11.王子様の負けられない戦い、なお…
西ノルスディアには双頭の鷹が住む。そのように言われる所以はウェスホーク王国と並び立つ大国、ホークロア王国がその側で国境を接しているからである。
どちらの国も鷹を象った国旗を掲げ互いをライバル視している。かと思えば、どちらかの国が攻められればもう一方の鷹は協力してその嘴で敵を啄み殺す。その様はまさに双頭の鷹が一つの敵を相手にするかのようであった。
今日はそのウェスホーク王国とホークロア王国の長年の友好とライバル関係を象徴する親善試合の日。
互いの国の王子が国軍の精鋭を率い模擬戦を争うのだ。未だ死人は出ていないものの怪我人が多数出るが、それもまた祭りの花と人々を興奮させる。そんな熱気にあふれる会場にベルはいた。
「さあ、御覧なさい、ベル・ベチカ。ウルク王子のご出陣ですわよ」
コーネリアスが貴賓室から優雅な振る舞いで競技場を指差す。
眼下に広がる人の海から一段高い所に設けられた貴賓室からはウルク王子が馬に乗って駆ける競技場の様子がよく見える。しかし、ベルは貴族の中でも指折りの殿上人が座るこの貴賓室で自分だけが浮いている気がして気が気ではなかった。
ベルが何故このような場所にいるのか、簡単ながら説明しよう。
「ベル、是非とも僕の勇姿を見に来てほしい。君の姿を会場で見れば戦場に立つ怯懦も一時は忘れることができるだろう」
「きー、わたくしというものがありながら、きー」
「コーネリアスが君に迷惑をかけているからね。せめてものお詫びだと思ってほしい」
「きー、くやしいですわよ、きー」
以上である。本当にだいたい同じことが学院で行われた。そうして、今ベルはこの場所に座っていた。
「あの、私、このような場所に着て来る服が無くて」
「そんなの、学院の生徒なのですから制服を礼装としても問題ありませんですわよ」
同じく学院の制服を着ているコーネリアスが堂々としているのだから安心していいのだろう。
まあこれもゆくゆくは王子に養われるようになったら慣れなければいけないものの一つだ。適当に黄色い声援を送って場を盛り上げる一助になれば十分かと思い、ベルは親善試合の観戦に戻ることにした。
ここで親善試合のルールについて説明しよう。親善試合に出場するのは歩兵100、騎兵20、そして指揮官1だ。この指揮官とはもちろん両国の王子のこと。もし対象になる王子に年齢差があれば補佐を付けることが許されるが歴戦の将軍では勝負にならなくなるのである程度の年齢の者が選ばれる。
彼ら兵士の装備は刃を潰した武器以外は全て実践と同じ。要は鎧を着て鈍器を振り上げて戦うのだ。もちろん、怪我をしないよう最低限のルールが存在する。歩兵なら足の裏以外が地面についたら失格、騎兵は馬上から落ちれば失格だ。
しかしこのような紳士的なルールも試合が白熱すれば無視されていく。相手の意志が折れるまで殴り続けなければ逆襲されるのは自分なのだ。試合が後半になると怪我人の数は飛躍的に増えていき、会場もそれだけ盛り上がる。そうして勝者が決まるまで誰にも止められない祭が始まるのだ。
この親善試合には定石が有る。
よく知られていることであり両方の陣営がその戦法を取るのでそれが決定打になることは無いのだが、試合の流れは大体この定石をなぞって進む。
ところで先程、親善試合には両国の国軍の精鋭が参加すると言ったが、その精鋭というのはおそらく市井の人々が想像するような屈強な歴戦の戦士のことではない。平和な世が続くこの世界ではもはや戦場で武勲を立てて立身出世とはいかないのだ。
たしかに街道を荒らすモンスターや盗賊の討伐は有るが、それは十分に余裕のある戦力で行われるためそこで目に見えた武勲を立てるというのは難しい。必然的に軍隊での評価にはそれ以外の要素、つまり血筋が関わってくる。
国軍の誉れ有る精鋭と言えば、それはすなわちこの国でも上流とされる貴族出身の若者たちということだ。彼らの多くは勿論、研鑽を欠かさず名に恥じぬ働きをする者たちだ。しかし、同時にこのような親善試合で怪我をするのは馬鹿らしいと思っている根っからの貴族の継嗣も多いのも事実なのだ。
必勝法ではまずこのやる気のないボンボンを狙う。彼らは試合の後半でルール無用の殴り合いになる前にさっさとリタイアしたいと思っている。だから軽く小突くだけで簡単に倒れて大人しく退場していく。
そうして相手の戦力を後半になる前に減らしておくことが重要なのだ。そして、相手との戦力差が出来たところで乱戦に持ち込む。暴力が支配する紳士協定など知ったことかのリアルファイトはとにかく数の有利が勝敗を決するからだ。そのため駆け引きの前半戦と勝負の後半戦の試合の流れが今までの常識だった。
そう、今までは。
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ウェスホーク王国の若き精鋭、モルブ卿は実家の男爵家の跡取り息子。長男として箔をつけるために国軍に入れられ、特に苦労のないまま精鋭隊にまで出世した。
その経歴が示す通りヤル気は一ミリもなかった。
「マジだるいわ。さっさと降参して休みたいわ」
頼れる先輩から教えてもらった必勝法でもうモルブのやることは決まっている。
下手に後半まで逃げ回っていると空気を読まない奴にボッコボコにされるので前半で軽く敵と当たって倒れるのだ。出来れば相手もヤル気が無さそうな奴だと相討ちになって格好がつく。そのつもりでチャンスを待っていた。
まっ、今年はホームだし俺が頑張んなくても勝てるでしょ。
おそらくその待ちの姿勢が悪かったのだろう。
「討ち取ったり! 討ち取ったり!」
「馬鹿な! ヤルバー卿だぞ、騎兵隊筆頭がこんな序盤で」
「どうなっている! ホークロアの連中、いつもと違うぞ!」
モルブがヤル気の無さそうな敵を探しているうちに、また味方が倒れた。
碌な活躍も出来ずに倒れたことを悔しがっている姿からも倒れた味方がヤル気のある部類の兵士だったことは間違いないだろう。周囲の言葉からも彼は部隊の要となる人材だったようだ。
前半のまだ紳士協定が生きている期間のため彼はそのまま退場させられる。
「おいおい、ホークロアの連中、最初っから飛ばすなあ。こんな序盤に強いのを切っていくなんて」
件のヤルバーを討った兵士は当然のようにそのまま落馬し退場する。形の上では差し引きゼロ、どちらの有利にも不利にもなっていないように見える。
だがモルブには分かった。ヤル気のない相手に鼻を利かせることに集中していた彼だけは。
(おかしい、あいつは間違いなくヤル気の無いやつだった。なんで、強そうなのにわざわざ突っかかっていったんだ?)
相討ちになった相手方はヘラヘラ笑いながら退場していく。何かをやり遂げたかのような達成感を感じさせながら。
実はウェスホーク側が知らないことではあるが、ホークロア側ではある通達がなされていた。
それはいつも序盤にやられるような兵士にだけ知らされていた。曰く、相手方の兵士に賞金をかける、もしもその者たちと相討ちにまで持ち込めれば金一封の栄誉に授かることだろう。
ヤル気はないが金は欲しい。
特に名前だけの貧乏貴族は今の時代、特に上流の貴族に多い。商売などしたことがなく当然領地経営の才覚も無いような連中はそういった報奨金に弱い。
かくしてホークロアではヤル気のない兵士がウェスホークの実力者を道連れにして退場する戦法が順調に成功していった。
この賢くはあるが眉をひそめるような策を実行しているのは誰あろうホークロア王国の次の王、ホーランド・ホルス・ホークロアだった。猜疑心が強く、人を見下し、裏を読むことに長けたホーランド王子だからこそ欲をくすぐり自分の思いのままにすることが出来たのだ。
銀髪の下に隠された病的な顔色の王子はまだ油断なく競技場を観察している。戦力差は確実に開いている。見た目の数には現れない、個々の実力差による差を駒に見立ててホーランドは頭の中で計算していく。この差が決定的になった瞬間が仕掛ける時だ。そして、その時はもうそう遠くない。
残酷な殺戮の宴が開かれる瞬間を王子は青白い顔に笑みを刻んで待っている。




