罰として森の番人を命じられましたが、魔物が跋扈する森だし、私は何の力も持たない男爵令嬢です
ガラガラと車輪の音を立てて走る馬車。悪路のようで揺れがひどい。しかもこれは兵士の輸送用馬車だから内装どうこう以前に幌馬車だし、サスペンションなんてものはないらしい。
時には衝撃で体が浮くほどの揺れで、お尻が痛い。だけどその痛みさえ忘れるほど、私は恐ろしさに震えていた。
私はただのしがない男爵令嬢で、つい先日まで領地から出たこともなかった。それがどういう訳か突然王都に住むエディット王女様からお茶会に招待され、断ることもできずに出席。
おとなしく隅に控えていたはずなのに、王女様の陰口を言い、王女様のドレスに紅茶をわざと掛け、あまつさえ王女様の婚約者を誘惑したとして詰られた。
そうして罰として、森の番人を六ヶ月勤めることを言い渡されたのだ。
森──それは小さいながら、魔物が跋扈する森だ。どうやらそこに魔物の世界に繋がる入り口があるらしく、国内でそこにだけ現れるのだ。醜悪で狂暴な魔物は人を襲い、食べる。だから番人を置いて、魔物が森から出ないよう見張り、時には倒しているそうだ。
そんなところに、魔法も剣も使えない私は送られる。六ヶ月も。番人はふたり制だが、現在駐在しているのはひとりの兵士だけらしい。そんなところに無能の私が行っても、何の助けにもならない。むしろ足をひっぱるだけ。
きっと私は早々に魔物に喰われてしまうだろう。
──これはきっと、彼を傷つけた報いなのだ。
そんな後悔が胸を締めつける。私が住んでいた領地の屋敷は、隣国と接する国境の街にあった。代々の当主が税関の長を務めているからだ。今でこそ隣国とは平和な関係にあるが、昔の名残で街には国境警備隊が駐屯している。
その国境警備隊の小隊長に我が国の第三王子クリストフがいた。いずれは軍隊の幹部になりたいそうで、お飾りでも腰掛けでもなく、他の兵士と同等に任務をこなし、真面目で実直、リーダーシップも実力もあり、イケメンで色気があって、魔法はずば抜けて優れ、剣を握っても向かうところ敵なし。軍人にしては細身だけれど、腕に触れば筋肉質であることは確かで、剣ダコのあるごつくて大きな手も、広めの肩幅もすべてかっこいい。
……つまり、私は彼が好きだった。彼は休みの日によく誘ってくれて、観劇や食事、郊外へのピクニックに共に行った。毎日が楽しくて、こんな日々がいつまでも続いてほしいと、無理なことだと分かりながらも望んでいたのだった。
そうして三ヶ月前、ついに彼に都への帰還命令が出た。
クリストフは、求婚してくれた。
だけど私は田舎者の男爵令嬢で、王子の妻にはふさわしくない。私は、
「まあ。いっときのお遊びだと思ったからお付き合いしていたのに、本気だったの?それは困ったわ。私、結婚相手は税関に勤めている方じゃないとイヤなのよ」
そう答えたのだった。
真面目な彼は衝撃におののき、呆然として去っていった。
だけど、すぐに後悔をした。彼に私を諦めてほしくてあんなことを言ったのだけど、最後に彼が見せた悲しみにうちひしがれた顔が忘れられない。傷つけたかった訳じゃない。普通にお断りするべきだったのだ。
だからきっと、これは報いなのだ。死にたくないけど、こんな罰は不当だと憤る気持ちもない。粛々と運命に身を任せるのみだ。
馬車のスピードが落ち、やがて止まった。降り口のほうに荷が幾つか積まれているのを馭者と、馬で並走していた三人の兵士が手際よく下ろす。手伝う間もなかった。
すっきりしたところを降りると、兵士が
「では、新人を頼みます」
と言う声が聞こえた。姿は見えない。馭者台のほうにいるようだ。馬車をまわろうとしたとたんにそれは走り出した。騎馬の兵士たちもあっという間に遠ざかる。
あっけにとられていると、
「……ミレイユ?」
と聞き馴染みのある心地よい声が私の名前を呼んだ。
はっとして、視界の隅にいた兵士を見る。それはクリストフだった。
「どうして君がここに!」
駆けよってくるクリストフ。
嬉しさと罪悪感と訳の分からない気持ちで涙が浮かぶ。
「罰として送られたの。きっと魔物に食べられてしまえということだと思っていたのだけど、どうしてクリストフがいるの?」
「僕が番人だから」とクリストフ。「それに食べられるなんてことはない。確かに人を食べる魔物が跋扈している森だけど、付近の精霊たちが強力な結界を張っていて、出てくることはない。数年に一度、結界を破るような強力な魔物がいるけど、精霊と番人の協力で必ず倒してきた。ここ数百年、犠牲者はいない」
「そうなの?」
「ここでは家事を全て自分たちでやらなくてはいけないから大変だけど、それが罰なのだろうか」
と言ったクリストフの顔が赤くなる。
「そもそも何の罰なんだ。指示書を持っていないか?君に渡してあると聞いている」
そうだ。森に到着するまで開封厳禁、必ず番人がふたり揃ったときに読み上げることと命じられている。
荷物から取り出し、中身をあらためる。やけに可愛らしい字だ。
「『ミレイユ。あなたのこの地での重要な任務は4つあります』」
その下の文面に目をやり、絶句する。だけど、お腹に力をこめて気合いを入れると読み上げを続けた。
「『1、番人クリストフの叱咤。このクリストフは大バカ者で、失恋で自棄になり、生活環境が最も孤独で、自力で生活しなければならない森の番人を志望しました。しかもふたり制であるのに、ひとり勤務を希望。あなたはどんな風に扱われるか分かりませんが、王子だからと遠慮をすることはありません。貴様は阿呆だと叱って下さい。
2、番人クリストフの教育。この間抜けは愛する女が、身分を気にして求婚を断り、そのためにウソをついたことに全く気づいていません。彼の隊の全員が分かっているのにです。それどころか生きる気力を失くす始末。情けなさすぎて、王子とは思えません。いえ、王子落第、人間失格。脳ミソまで筋肉のこの男に、考えるという人としての基本をみっちり教えて下さい。
3、ミレイユ自身の反省。あなたは愛する人と幸せになる覚悟もないままデートを繰り返し、挙げ句に悲劇のヒロイン気取りで身を引きましたね。その際に相手の気持ちを考えない嘘をつき、大ダメージを与えました。そのことを深く反省して下さい。反省の証として六ヶ月間、仕事の相方、クリストフには決して嘘をついてはなりません。彼の質問には全て事実を答えること。守らない場合は、任務期間が延長になります。
4、ミレイユ自身のメンタル強化。弱気と引け目をなくす努力をしなさい。そのため、相方クリストフの名前を呼ぶときは必ず頭に《愛する》をつけること。怠ったときにはその都度、罰を与えます。
ミレイユ。この数日間は生きた心地がしなかったでしょうが、これは3に関するブラコン妹からのおしおきです。これであなたに対する不満は全て帳消しにします。
それから番人クリストフ。あなたの情けなさは目に余ります。ですのであなたの任務は、
1、思考力をつける。気づいていますか。あなたが思考を放棄したせいで嘘をついた罪悪感に悩み、苦しんだ者がいることを。考える力をつけるため、1日1回、相方ミレイユの素晴らしい点をみつけて本人に報告しなさい。
2、メンタル強化。ちょっと冷たくあしらわれたぐらいで人里離れた地にこもるなんて王子としてあり得ざる弱さです。精神を鍛えるために、相方ミレイユの名前を呼ぶときは頭に《愛しい》をつけること。また、ミレイユが4の任務を怠ったときは、間髪いれずに罰を与えなさい。罰はハグ、もしくはキスのどちらかです。
クリストフ。我が国軍の幹部候補として、立派に隊長を務められるよう、一刻も早く復活して下さい。あなたの元部下たちが心配しています。各種情報の提供・調査は彼らです。
では番人クリストフ、番人ミレイユ。つつがなく任務遂行するように。
なお、このミッションは国王夫妻の知るところではありません。彼らからの《許し》をどう得るかは、あなた方で考えるように。
はた迷惑なふたりのために骨を折った見返りとして、赤子が生まれた際には私が名付け親になることを要求します。
クリストフの賢い妹であり、国民の敬愛する王女であり、ミレイユの可愛い義妹になる予定のエディットより』」
長い指示書を読み上げてクリストフを見ると、彼の顔は真っ赤だった。多分、私も。お互いに知られたくなかったことを知られてしまった。
「……ええと、だな。番人小屋に使用人はいない」とクリストフ。「全て自分たちでしなければならないし、その……、半年間僕とふたりっきりの生活だ。君の安全を保証できる気がしない」
「あのね、クリストフ」
私がそう呼び掛けたとたんに、額にキスをされた。カッと頬が熱くなる。そうだった。任務4。初キスが罰で済んでしまった……けど、嬉しい。一生、クリストフとは無理だと思っていた。
「だめだ」と言ったクリストフの頬も熱そうな色をしている。「君に会えて、真実を知ってタガが外れそうだ。帰るなら今だ。今ならまだ、魔法で馬車を戻らせることができる」
首を横に振る。
「謝らせてほしいの。あなたを傷つけてしまって、ごめんなさい。あの時はああ答えるのが最上だと思っていたの」
「僕はそれまでの君を信じず、考えることもしないで、結果的に君を苦しめた。すまなかった。お互いに愚かだったな」
もう一度お互いに謝り、それから微笑みあった。
「……帰らなくていいのか」
クリストフの問いにうなずく。
「では僕は」コホンと咳払い。クリストフの緊張が伝わってくる。「もう一度、君に求婚したい。いいかな?」
「ええ。クリストフ」
ドキドキしながら、そう答えた。すると目を見開いたクリストフはゆっくりと近寄ってきて、唇を重ねた。
「僕の愛しいミレイユ。絶対に幸せにするから結婚して下さい」
「私もあなたを幸せにしたいから、結婚させていただきます。二度と愛するクリストフを傷つけないと誓うわ」
そうして任務も罰も関係なく、もう一度キスをすると……。
「じゃあ、まずは荷物運びからするか」とクリストフ。
「そうね」
「そのあとは定時の巡回までヒマになる」
「普段は何をして過ごしているの?」
「筋トレとか鍛練とか。だけど今日はしない。僕はさっき、ちゃんと言ったぞ。タガが外れそうだ、って。帰らなかったのは君だから」
ニコリとしたクリストフは立てた人差し指をちょちょいと動かした。幌馬車から下ろされた荷物が宙を飛んで行く。
そうだった。彼は魔法も大得意なのだ。
「よし。荷物運び終了。巡回は四時間後だ」
そう言って彼は私の手を握りしめた。
「三ヶ月ぶんのミレイユをゆっくり堪能させてくれ。後悔しても、もう遅いぞ」
「こ、後悔していないから、何も遅くないわ」
ちょっと声が震えたものの格好よく啖呵を切って、しっかりとクリストフの手を握り返した。