03:バイオリンはイタリア語
王がお気に入りの砦に向かわれた。王城の騎士がいつもより少ない、そんなときに限って、星読みは言うのだ。
「ユグダの森に、テヤ神のいとしごが現れた」と。
ユグダの森は、王都に程近い場所にある、何の変哲もない森だ。馬で半日を近いととるか、遠いととるかは人それぞれとして、大した起伏や変わった地形もなく、ただただ平坦で広大なだけの森がユグダの森である。
今までテヤ神のいとしごもとい異界の者は、神殿か王座の間に呼ばれたとされている。星読みが時期を見て、王がこちらから呼ぶのだ。それが今回は向こうからやってきた。
ほかの国にも異界の者は降りている。四〇〇年前に一度、それ以前は一五〇年から二〇〇年に一度の頻度で降りてきていた。比較的新しい文献のどこにも、いとしごが自分から降りてきたという記載はない。
彼は慌てた。我々が保護する前にいとしごに何かあったらどうするのか、と。そもそもユグダの森は広大で、そこを探すのか、と。幸い王の一行は丁度そのあたりにいたから、騎士団副長と彼の補佐を務める文官を捜索に向かわせるよう、鳥を飛ばした。
あの文官はただの文官ではないから大丈夫だ。その辺の近衛騎士より強い文官など居てたまるものか。
ついでに王は調子が悪くなったことにして、城に戻ることになった。滞在を予定していた領地には、また別に鳩を飛ばさなくてはいけない。
宰相モニカは再び頭を抱えた。ちなみに一度目は、星読みから話を受けた時。二度目はユグダの森に向かった騎士と文官からの鳥を受け取った、たった今。
『テヤ神のいとしごと思われる方は女性で、こちらの言葉が通じないようです。今ユグダの森からお連れしたところです。夕刻には着くと思われます』
あの文官の、きっちりかっちりした文字でそう記されていた。いつの時代においても、いとしごは神殿か王座の間に、こちらから呼んだ。比較的新しい文献のどこにも、いとしごが自分から降りてきたという記載はない。そして彼ら彼女らは言葉はもちろん、文字の読み書きに至るまで理解した。
あの文官の操れる限りの言語をもってしても意思疎通が不可能ならば、それはもう諦らめるしかないのだと。
宰相モニカは頭を抱えたのである。
◇
でかい町に着いた。いや、まだ外側を眺めているだけだけど。あれはおそらく円村だ。壁に囲まれている。巨人に襲われるのを防ごうとでもいうのだろうか。
……円村は外敵からの防衛手段であるから、この町がいつ攻め込まれてもおかしくないことを示しているとも取れる。道路の状態とアルトさん、ハロルドさんの顔立ち、そして服装。
判断要素は少ないけれど、ここはヨーロッパのいろんな時代のいろんな文化がごちゃまぜになっている感じがする。
東の果まで進めば中国や日本のような国もあるのかな?
門は顔パスだった。私は町が見えた時点でアルトさんにマントを被せられたので、実際に見たわけではない。けれど馬は止まることがなかったのだ。よって顔パスであると判断した。
しばらくはそのまま大人しくしていたけれど、すこしずつ近づいてくる賑やかな声に、音にうずうずする。
人々の声や車輪の音が気になってマントの隙間からこっそり窺う街並みは、予想通りいかにも中世だか近世だかのヨーロッパという感じ。外国に行ったことはあるが観光客で賑わっていて、その時は生活感はあまり感じなかった。
しかしいま目の前に広がるのは映画やドラマでしか見たことがない光景。ここが「異世界」であることを私に強く印象づける。ひょっとするとここは異世界ではなくて、中世にタイムトリップしてきたのかも。ドイツ語なりフランス語なりがちゃんと分かれば確認できたのに。
大通りの両側には様々なお店が軒を連ねている。多くのお店は軒先に商品を出していた。ゴミも落ちていなくて綺麗だし、治安も良さそう。ガラスのはめ込まれた店は高級店か。
軒先に積み上げられた商品は織物に金物に肉、野菜。突出看板の形がお店ごとに違うのが面白い。ヨーロッパでは職種ごとに形が違うんだっけ。ここも一緒なのかな。行き来する荷馬車に積んであるのは何だろう。
第二次産業や第三次産業が、こんなにも発達しているのが不思議だった。本当に異世界なんだ。
お店の二階は居住部分になっているようで、窓辺に花が飾ってある。それにカラフルなガーランド。ゲームだと紙吹雪や花吹雪のグラフィックが舞っていそうだ。お祭りというわけではなさそうなので、一年中こうなのだろう。
見ているだけでこんなにワクワクするって、不思議だ。
人々の服装は割りと似通っている。女の人だとワンピースにエプロン。エプロンは肩紐がないタイプをつけている人もいる。男の人はオーバーオールだったり、シャツとズボンに別れていたり。
生地は無地だけど、カラフルに染められている。とは言えいかにも自然由来の発色という感じで目に優しい。
髪はブロンドが多く、茶髪や赤毛も混じっている。どちらにせよこの中に一人ブルネット……なんてカッコつけて呼んでみるけれど、黒髪は目立つ。このマントはアルトさんなりの配慮か。紳士だ。
そういえばアルトさんは金髪だが、街の人々に比べれば銀髪に近い気もする。
広場に差し掛かかると音楽が演奏されていて、踊っている人がいるのが見えた。楽器には詳しくないし見えなかったけれど、バイオリンにアコーディオンだろうか。アイルランド音楽に似ている。この場合バイオリンではなくフィドルと呼んだほうが的確かもしれない。
子どもたちは走り回っているし、踊っている人がいるのも見える。なんとも素敵な世界だ。RPGの始まりの町なんてこんな感じじゃないかな?
マジレスすると、仕事しろよというところである。
馬は止まることなく進み、人々がざわめきながら道を開ける。
蹄鉄の音が響く。
石畳を駆ける馬二頭。
馬が歩みを止めたのは、ザ・城! って感じの建物の近くだった。あ、西洋風の城です。王宮じゃなくて王城。戦うための、立てこもるための城。石造りのやつ。例を上げたいけど、私がわかる城は姫路城と五稜郭、首里城くらいなんだな。
アルトさんが馬から降りたので私も降りようとしたけどできるはずもなく、アルトさんに降ろしてもらった。この人、細マッチョなのか。日本の大学生みんなひょろひょろかチビだったぞ……。いや、他の学部、学科は違うかもしれない。
「コルマフエタ」
『どういたしまして』
あ、これはどういたしまして、だ。私が使うことはほぼないだろうけど、覚えておくに越してことはない。書き留めておきたいので、あとで紙とペンを貰いたいな。
馬は別の人に引き渡された。向こうに馬小屋が見える。
ここで新たな発見。アルトさんとハロルドさんは、そこそこいい身分のようだ。いや、めっちゃすごいのかも。今思うとやたらしっかりした服着てるもんな。他の人と比較すれば一目瞭然だ。誰しもが、二人が通るたびに声を掛ける。
ドミコジエプタ……。こんにちは? それともお疲れ様です?
よく耳にするけど分からない。もしかするとこっちの独特の文化なのかもしれない。日本でいうところのいただきますやごちそうさまのように。そうなったらお手上げだ。
アルトさんは城に入る前に別れた。ハロルドさんに促されて、城の、裏口のような小さな出入り口を通る。通路がやけに狭いのは仕様か。少し歩いて小さく質素な部屋に通された。高いところに小窓のある、閉鎖観半端ない小部屋だ。
ドアの前には騎士が二人立っていて、なんだか場にそぐわない雰囲気である。なんだどうした、私は軟禁されるのか。
『あの文官は、王へ報告に向かった。と言っても貴女には通じないのだろうが』
ハロルドさんに促されて木製の小さな椅子に座る。ハロルドさんは私が逃げ出すとでも思っているのか、ドアの横の壁にもたれかかって、腕を組んでいた。彼と私の間に四角い机があり、カツ丼でも出てきそうな雰囲気ではある。……くそう、食べたくなってきてしまった。
ふわふわの卵に横たえられたトンカツ、上に海苔が乗っていればなおよし。香ばしい海苔と心温まる出汁の香りで、箸が止まらないことに決まっている。そもそもカツ丼が不味いわけない。
ハロルドさんから凝視されているのが大変気になるので、努めて見ないようにする。私の顔に何か付いていただろうか。もしくは妄想が顔に出ていただろうか。大変気まずい。
ぼんやりと宙を舞う埃を眺める。あまりにも退屈なので素数を数えることにした。
二、三、五、十一、十三。ここまでは余裕である。順調に数えて三十七、四十三、四十七、四十……じゃない、五十三だな。
二三三が素数かどうか考えていると、ドアを叩く音がして、ハロルドさんが出た。何か受け取って、机の上に置く。
スープの器とスプーンの乗ったプレートだった。独特の臭いには覚えがある。
これってあれだ、オートミール。中世、と言っても幅広いけれど、確か十何世紀かに下級層が食べてたやつじゃないですかね。今や栄養食扱いですけど、当時の食事はオンリーオートミールだぞ確か。
私は悲しいカツ丼の妄想とおさらばしなければいけなかった。オートミール、こいつはなかなかの大敵である。あとハロルドさん、見ないでください。食べにくいから。おなかすいてるんですか。
息を止めると味がしなくなるんだ! という小学生かくやという方法でオートミールを流し込み、私は再び素数を数える。そしてまたまたノック音、やはり出て行くハロルドさん。
再び入ってきた時には見事な金髪のお姉さんを連れていた。きっちり髪をまとめて、簡素なワンピースを来ている。ついでにすげー美人だ。
『マリナ殿、貴女の身の回りの世話をする方だ』
『マリナ様。これからよろしくお願いいたします』
「ラデシ……コナ?」
『よろしくお願いします』
「ラデシアスコーナ」
お辞儀をしながら、ということはこれが「よろしくお願いします」なのだ。
それにしても綺麗なお辞儀だ。カーテシーって言うんだっけ。服装はメイドさんみたいだけど、どちらかと言うと侍女……良家のお嬢様が行儀見習いをしているのではと思う。
『申し遅れました。わたくしアユリアナ・ヴィンディッシュ=ヴォルフェンビュッテルと申します』
「……アユリアナ?」
おそらくは名前と思しき部分が、大変、ええとても非常に長かったので、私はおずおずと聞き返す。初見殺しならぬ初聞殺しですよまったく。
『はい』
しかし訂正しないということは、彼女はアユリアナで、これは肯定をあらわす単語だ。首を縦に振るだけの返事よ、さようなら。私はまたひとつ賢くなりました。
「ユリアさんって呼んでもいいですか? ユリア」
『もちろんです』
「コルマフエタ。私はまりな。しみずまりな」
ユリアさんとは長い付き合いになりそうだ、そんな予感がした。
楽器ができる人ってすごいですよね。私は高校で音楽選択でしたが、単に教科書代が一番安かったからでした。