ねごと④ 曇り空に似てる
阿倍カステラ、ねごとで吠えろ。
量産型。凡庸カステラ多角的に展開中!
所詮、人なんてもんは誰かのためにしか生きられないんだろうなと思いながら、母の作ったクリームシチューの味を思い出してみた早朝の土曜日。
曇り空を眺めていると雲ばかりの空がクリームシチューに見える。それに同意するよにカラスがカアカア鳴いてる。
「とりあえず、おはよう」
カラスは朝の挨拶をしてるようだ。
いや、ほんとのところカラスはなんて鳴いてるんだろう?
烏なぜ啼くの、烏は山に、可愛い七つの子があるからよ
野口雨情作詞の童謡『七つの子』では、その可愛い子が「七歳」なのか「七羽」なのか謎となっている。
多くの研究者がそのことについて、あれやこれやと考察したのだろうけどその答えは出ない。いっそ名探偵コナンや置手紙探偵事務所所長の掟上今日子さんに依頼をした方が結論がでるかもしれない。
僕はといえば「七歳」の頃にはすでに母はいなかった。
母の記憶はほとんど持ち合わせてないから、冒頭のクリームシチューの味は母の味ではなくハウス食品の味ではないか、と研究者は結論づけた。
僕は料理を作るのが得意だ。だが自炊は苦手だ。自分のために作る料理はそもそも「料理」と呼べたもんじゃない。とてもみすぼらしくてお粗末な代物だ。味に関しては、自分好みに作れるわけだから悪くはないのだけど。
自分好みの悪くはない料理は自分の人生に似てる。
うれしいはいとしいに似てる、いとしいはさびしいに似てる、と亜波根綾乃は歌っていたけど、それくらいに似てると思う。
自分のためにはやらないけれど、誰かのためになら最高の料理を作ることができる。そんな自信がある。
誰かのために生きることは母の作るクリームシチューにも似てる。広義ではハウス食品のクリームシチューのルーにも似てる。
望むと望まざるとにかかわらず僕は生きてるわけだから、うれしいがいとしいに似ていて、いとしいがさびしいに似ているように、誰かを思ってカラスのように泣くこともあるだろう。
僕が涙を流したなら。その涙の意味を研究者は考察するのかもしれない。
しかしその結論は的外れなものになるだろう。名探偵コナンや掟上今日子さんでないとやはり無理だろう。
いや、或いは簡単なことかもしれない。
キューピー3分クッキングで教えているくらいの簡単なものかもしれないな、とあまり深く考えすぎないほうがいい場合もあるんだとも思う。
マイナス思考で悩みまくった結果、この命さえも無意味だと思う日があるけど、“考えすぎね”って君が笑うと、もう10代の様な無邪気さがふっと戻んだ、と桜井和寿は歌ってる。
あまり桜井和寿の歌詞を引用すると、せっかくの阿倍カステラの素敵な文章が彼にもってかれてしまいそうで危機感を抱く。
素敵な文章だと思ってくれる人がいれば、僕は素敵な文章が書けるんだ、ということも誰かのために作る料理と似てる。
見上げた曇り空にカラスはカアカアとうるさい!
僕の執筆を邪魔してる。そんなくだらないこと書いてんじゃねーよ、と揶揄してる。
僕はそんな曇り空の下に今日も生きてる。
読んでくださってありがとうございました。
次回、ねごと⑤をお楽しみに。
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