赤ずきんと狼
どこで、狂っていってしまったのだろうか
◆◇◆
「はじめまして、オオカミさん」
「は、はじめまして」
君の挨拶に対してぎこちなく俺は返した。
「わたしは赤ずきんっていうの」
「へぇ……」
嘘だ。俺は今、嘘をついた。
君の名前なんて、ずっと前から知っていた。
君が幼い頃から。
「今からお婆ちゃんに会いに行くのよっ。届け物もあるの!」
そう言って笑う君に俺の心が暖かくなって、胸が締め付けられた。
◆◇◆
俺は狼だ。それも、自分の意志に関係なく人を食べてしまう。
それは運命で、覆すことはできない。
俺たち、狼は人に忌み嫌われている。
だから、街から遠い場所で普段は暮らしている。
出かけるといっても来るのは人が滅多に来ないこの森ぐらいだ。
君と初めて出会ったのもこの森だった。
「こんにちは、オオカミさん。わたしはあかずきんっていうの!」
あの時、向けられた暖かい笑顔は人を憎んでいた俺の心を溶かしていった。
君はもう、忘れてしまったみたいだけど、俺にはとてもとても大切な思い出なんだ。
「――さんっ、オオカミさんっ!
聞いてる?」
「あ、ごめん。聞いてなかった」
俺が謝ると、赤ずきんは頬を膨らませて怒った。
そんな君も可愛く見えてしまうほどには俺は重症だったりする。
「しょうがないなぁ。えっとね、
お婆ちゃんに何かプレゼントしたいの!何がいいと思う?」
「そう言われても、ここは森だしなあ……」
もちろん、誰も住んでいないし、店もない。
だけど、ここで君とお別れなんてしたくない。
俺は必死に考えてみる。一分間ぼど考えると、いいアイデアが思いついた。
「じゃあ、お花のプレゼントはどうだい?」
「素敵だわっ!」
「良かった。実はすぐ近くにとても綺麗な花畑があるんだ」
俺がそう言うと、赤ずきんは目をキラキラさせて「案内してっ」
と俺に言った。
もちろん俺はそんな赤ずきんに良いよと答えた。
◇◆◇
――花畑にて
俺は花をつんでいる赤ずきんをそっと遠くから見守る。
これ以上一緒にいると危険だと理性が俺に警告していたから。
俺たちは決して交わらない。それは、運命だ。
でも、少しでも俺たちが交わるのなら――。
◆◇◆
――湖にて
「オオカミさんっ、ここの水は冷たくて気持ちいいわっ!」
「あ、赤ずきんっ!そんなにはしゃいだらダメ――あ」
「きゃあっ」
俺が注意しているというのにはしゃぐ赤ずきん。とうとう湖に落ちてしまった。
「だから言っただろ」
「アハハ……ごめんなさい」
俺はそんな赤ずきんに呆れながらも手を差し伸べる。そして、赤ずきんはそれを掴んで湖から上がった。
「くちゅんっ」
濡れている君はとても寒そうにしていた。
でも、何も持っていない俺は君に何もしてあげることが出来ない。
すると、赤ずきんが急に俺に抱きついてきた。
俺の頭は一瞬で真っ白になる。
「な――」
「だって、オオカミさんの毛皮は暖かいから」
そう言って、君は抱きついたまま眠ってしまった。
「……どうしよう」
なんだか、頭がフワフワしていて夢を見ているようなこの状態。
幸せそうな君の寝顔を見つめながら困惑する。
「でも、好き、だなぁ……」
君の声も、この肌の温もりも、
あたたかい笑顔も全てが。
この思いを告げることが出来たら、どんなに幸せだろうか。
でも、そんなことは許されないことは分かってる。
俺は、赤ずきんの頬を優しく撫でた。
ああ、本当に――この子の全てが欲しい。
◆◇◆
「……ん」
「いい夢見れた?」
「うんっ、オオカミさんと一緒にお買い物したり、ご飯食べてる夢を見たのっ!」
――グラリ。
「デートみたいで楽しかったわ!
いつか一緒にデートしようねオオカミさんっ!」
――グラリ。
離れないと。ダメだ、君から離れないと。
「じゃあね、赤ずきん」
「えっ?オオカミさんはお婆ちゃんに一緒に会いに行かないの?」
「うっ、うん、大丈夫」
はやく、離れないと。
「またね、オオカミさんっ」
そして、君は笑って俺に手を振った。
はな、れないと……。
俺は走り出した。無我夢中に。
君のことを傷つけたくない。殺したくない。――食べたくない。
『君の全てが欲しい。君の苦しむ顔が見たい。――食べてしまいたい』
嫌だイヤだいやだ嫌だ。
俺はあの子にこれからも笑顔でいてほしいんだ。
◇◆◇
「――はあっ、はあ」
随分と長く走ったような気がする。
「ハラガ、ヘッタ……」
俺は近くにあったポツンとたった家へと入っていった。
◆◇◆
「あ、ああ……」
家の中には誰もいない。
いや、正確には――
「俺が食べた……」
家の中にはお婆さんがいた。空腹だった俺は、その人を――食べてしまったのだ。
俺は人なんて食べたくなかった。狼の本能など、無視したかった。普通に生きたかった。
でも、俺は――
「人を食べてしまった」
俺がその場に立ち尽くしていると、ドアのベルが鳴った。無視をしようとしたけど、出来なかった。心配している声が聞こえたから。
――お婆ちゃん?大丈夫?
その声は紛れもなく、愛おしい赤ずきんの声だった。
「うそ、だろ……?」
ここは、彼女のお婆さんの家だったのだ。
つまり――俺が君の家族を食べた。
俺は慌てながらも、とりあえずお婆さんのフリをすることにした。
君をなるべく悲しませないように。たとえそれが、かりそめだったとしても。
帽子を深く被って、ベットに潜る。そして裏声で、ドアの向こうの君へと「良いよ」と言った。
「久しぶりねっ、お婆ちゃん!
元気にしてた?」
赤ずきんはベットの中にいる俺に明るくそう話しかけた。
「あれ、お婆ちゃん、風邪でもひいた?声がいつもより、低いわ」
「あ、ああ、そうだよ。風邪をひいてしまってね」
「なんでお婆ちゃんの耳はそんなに大きいの?」
「耳が遠くなってしまったから、機械をつけているんだ」
「ねえ、お婆ちゃん。どうしてこんなに身体が大きいの?」
「この頃、食べすぎてしまってねえ……」
俺は赤ずきんの質問に対して怪しまれないように答えていく。なるべく、穏やかに、優しく。
そして、そのたびに向けられる笑顔に俺の理性がとびそうになってしまう。
でも、そうしたら君を――食べてしまう。
食べたい食べたい食べたい食べたい。
食べたくない食べたくない食べたくない食べたくない。
苦しい。
俺は君へと伸ばしそうになる腕を必死に抑える。
「あのね、途中でオオカミさんに会ったの。とても、かっこよくて素敵だったわ!いつか、お婆ちゃんに紹介するね
楽しみだなあ、会いたいなぁ……」
――ああ、もうだめだ。
そう思ったときには遅くて、いつの間にか俺は君の体を壁へと押さえつけていた。
「おお、かみさん……?なんでここに……?」
目を白黒させている君。純粋な怯えのない瞳でただ、俺のことを見つめている。
「俺はね……人喰い狼なんだよ。君のお婆さんも俺が食べた」
そう言って俺は牙を見せた。獰猛な笑みを顔に浮かべて。
だけど、俺は足をどうにか動かして、近くにあったナイフを赤ずきんの足元へとよこす。
お願いだから、俺を殺して。
君はナイフに気づいていた。なのに、足を激しく動かして蹴り飛ばしてしまう。
君は震えていた。俺に怯えていた。なのに――笑った。
「良い、よ……。私を食べて。それであなたが幸せになるなら……」
驚いて動きが止まる俺に向かって君は続ける。
「あのね、知ってたの。あなたが人を食べるということを。でもね、実際に話してみたら違った」
「うるさい。うるさいっ、うるさいっ」
「あなたは人よりも優しくて、素敵だった。きっと、お婆ちゃんを食べてしまったのも、何か理由があったのでしょう?」
「やめろ、やめろっ」
「だから、良いよ。オオカミさんになら、殺されても構わない」
頬に流れているものはなんだろうか?あたたかくて、雫となって落ちていく。
俺は大きな口を開いて――、
――バンッ、バンバンバンッ!!
突如、ドアが大きく開かれて入ってきた青年。部屋中に響く轟音。そして、火薬の臭い。
なんだか身体中が痛い。熱い。心臓がもげそうな程に痛い。血が煮えたぎるように、熱い。
「オオカミさんっ、オオカミさんっ」
これで、赤ずきんを食べないてすむのか……?
そう思うと、なんだか痛みも少しだけやわらいだ。
俺は君が巻き込まれないように突き飛ばす。心の中で謝りながら。
「忌まわしき狼、死ねえぇっ!」
どこかで見たことがあるような顔だな……昔会ったことがあったのだろうか?
でも今の俺には思い出そうとすることさえもできない。
「やめてっ、やめてっ、オオカミさんを殺さないで。この人は何も悪くないのっ」
違うよ、赤ずきん。俺は君のお婆さんを食べてしまったんだ。
俺はね、赤ずきん。人食い狼なんだよ。
「オオカミさんっ、オオカミさんっ」
突き飛ばされても尚、赤ずきんは立ち上がり俺のそばにかけよる。
泣かないで、赤ずきん。俺なんかのために。
そのまま赤ずきんは俺の手を握っていた、最期まで、ずっと。
「あのね、赤ずきん。俺は――」
ずっと、君のことが好きだったんだ。
部屋には、無惨な動物の亡骸と、それに抱きついて涙を流す少女が残されたのだった。