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#1−4 保子さんとお風呂の話

「ふぅー……」


 湯船に首まで浸かって、僕は大きく息をついた。

 熱い湯から全身にじんわりと熱が伝わり、心地よい。

 背後からは、小さく水音が聞こえてくる。



 夕飯後、ちょうどいいタイミングでお風呂が湧いたのも、どうやら保子さんのおかげらしい。

 夕飯の用意をしつつ、食べ終わる時間を狙って湯沸かし器のタイマーをセットしてくれていたようだ。

 さすがは最新型。つくづく、よくできたアンドロイドだ。


 水音が聞こえてくるのは、保子さんが食器を洗ってくれているからだ。

 食後、皿洗いもせずに風呂に入れるとは、我ながらいいご身分である。

 いやまあ、そういうことを任せるために、彼女を買ったんだけど。


 それでもなんというか、職場の先輩が聞いたら羨ましがりそうな話ではある。


『皿洗いは俺の仕事だよ。嫁さんに子供の世話を任せきりな分、そういう雑用は俺の役割なんだ。サボったら何を言われるか分からない』


 ……なんて言ってたっけな、先輩。

 確か結婚7年目だったかな?

 人生の先輩方の話を聞くに、どうやら妻帯者の方々には、帰宅後も並々ならぬ苦労があるらしい。


 それに比べて、家庭用アンドロイドのいる生活は、なんというか気楽である。


 半日ほど一緒に過ごしてみてわかったことだが、どうやら彼女たちアンドロイドにとっては、仕事を任されることが喜びらしい。

 あれもこれもと雑用を頼んでいるのに、まったく嫌そうな素振りを見せない。

 それどころか、用事を頼むたびに、なんだか嬉しそうな顔をする。


 少々気になったので、保子さんに直接、聞いてみたところ……


『アンドロイドは、主人のために仕事をすることが喜びなんです。“主人の期待に応える”というのが、アンドロイドに組み込まれた本能なんですよ』


 ……という答えが返ってきた。

 なんともいじらしい話である。


 しかし、そんな本能を持っているというのは、なんというか少々、都合よすぎじゃないだろうか? 人間にとって。


 ……いや、違うか。

 そもそも人間が、自分たちに都合のいい存在としてアンドロイドを作ったのだ。

 人間にとって都合のいい性質を備えているのは、当然だろう。



 ああ……それにしても、いい湯加減だ。

 家事のことを一切気にせず、のんびり風呂に入れるというのは、想像以上にいいものだな……。



 ○■○■○



 じっくり湯船に浸かった後で風呂から出ると、保子さんは昼間取り込んだ洗濯物にアイロンをかけているところだった。


 作業に集中しているためか、目が真剣だ。

 折りたたみのアイロン台の前に正座し、手際よくシャツにアイロンを当てていく。

 襟、肩、袖口、袖、身ごろ……と、順にシワが取れてきれいに仕上がっていく様は、見ていて気持ちがいい。


 ……人がやってくれる分にはな!


 僕は正直、あまりアイロンがけが好きではない。

 めんどくさくて手間な割に、自分でやると仕上がりがイマイチなのだ。

 今までは必要だからと渋々やっていたが、これからは全部、保子さんに任せられる。実にありがたい。


「保子さん、お風呂空いたよ」

「はい。悠一さん。では私もお風呂に入ってきますね」


 ちょうどアイロンをかけ終わったところで声をかけると、保子さんは満足そうな顔で返事をした。

 ハンガーにシャツを吊るして、手際よく道具を片付け、エプロンを脱ぐ。



 ちなみに、アンドロイドも風呂には入る。

 風呂だけでなく、食事もすればトイレにも行く。

 この事実を知ったときには、少々意外に感じたものだ。

 しかし、考えてみれば当たり前の話だ。


 現代のアンドロイドは、ただの機械仕掛けのロボットではない。

 皮膚、毛髪、爪、口、目……と、全身に生体部品を使っている。


 生体部品というのは、細胞でできている。

 細胞を維持するには当然、材料となる有機物が必要だ。

 そのため、定期的に食事をして、新しく細胞を作るための材料を摂取する必要がある。


 細胞には新陳代謝がある。

 新しい細胞が作られるとともに、死んだ細胞や、老廃物が出る。

 放っておけば皮膚の表面には垢が生じるし、古い毛髪は抜け毛になる。

 そうでなくても、生活していれば体の表面にホコリや汚れがつく。

 だからアンドロイドも、清潔さを保つには風呂に入る必要があるのだ。


 また、代謝で生じた老廃物、食事に含まれる不要な成分は、体外に排出する必要がある。

 つまりはトイレに行く必要がある。人間と同じように。


 そう考えるとアンドロイドも、あまり人間と変わらないのかもしれないな……。


 着替えを持って脱衣所に向かう保子さんの背中を見ながら、僕はふと、そんなことを思ったのだった——。



 ○■○■○



 風呂から上がった保子さんは、柔らかそうなピンクのパジャマを着ていた。


 日中の服装とはだいぶ印象が違う。

 昼間着ていた服はボーダーのトップスに、くるぶし丈のパンツという、シンプルなスタイルだった。

 エプロンも黒無地にポケットがひとつ付いただけ、という実用重視の品。

 そのため、てっきりシンプルなものが好きなんだと思っていた。


 しかし、今着ているパジャマはかなり雰囲気が違う。


 柔らかそうな素材の、薄いピンク色の上下だ。

 長袖の上着は袖と裾が少し広がり、スカートのようにひだが寄っている。

 上着の前側には、ボタンの位置で小さなリボンが並んでいる。

 そして襟元と足首の周りには、軽くフリルがあしらわれている。


 なんというか……ちょっと少女趣味な感じだ。

 いや、これはこれで十分アリというか、結構いいのだが。

 風呂に入る前と後の姿に、随分とギャップがある。


 もしかして、昼間の服装は『仕事着』で、今着ているのが彼女の趣味……ということなのだろうか?

 実は意外と、かわいいものが好きなのかもしれない。


 あと、入浴前と印象が違うのは、髪型のせいもあるかもしれない。

 日中は首の後ろでまとめていた黒髪を、今は特にまとめず背中に流していた。

 身体の動きに合わせて髪が揺れる。

 わずかに水分を残しているのか、その髪は入浴前よりも艶があるように見えた。



 ○■○■○



 風呂から出た後は特に何をするでもなく、早めに寝ることにした。


 客用布団を敷いた後、どちらがベッドを使うかで一悶着あったけれども。

 結局僕がベッドを使い、保子さんは床に敷いた布団で寝る、ということで落ち着いた。

 僕としては、なんだか女性を床に寝かせるようで抵抗感があったのだが……。


「主人を差し置いてベッドで寝るわけにはいきません」


 ……と、保子さんが譲らなかったのだ。

 まあ、女性というか、女性型のアンドロイドなわけで。

 本人がそう言っているのだし、別に問題はない……だろう、多分。


 それに『充電』の都合もあった。

 保子さんは、アンドロイドである。

 活動を維持するには、外部からの電力供給が必要になる。

 食事はあくまで、生体部品を維持するためのもの。

 活動用のエネルギーは内臓バッテリーに蓄えた電力なのだ。

 定期的にバッテリーを充電する必要がある。


 保子さんの場合、夜間に専用の『充電マット』の上で寝ることで充電される仕組みになっている。

 背中が割れてバッテリーパックが出てきたりはしない。

 充電用のケーブルを接続するプラグなんかも付いていない。

 充電マットの上に寝ているだけで、内臓バッテリーに電力が送られるようになっているのだ。

 なんでも『ワイヤレス給電』の仕組みを使っているらしい。

 充電マットから多少の距離があっても問題なく充電できる仕様なので、充電マットの上から布団を敷いて、その上に寝てもらうことにした。



 ベッドに腰掛け、そろそろ寝ようか……と思ったのだが、無言というのもなんだ。

 何か一言、声をかけてから寝よう。

 そう考えて、何を言うべきか迷う。

 僕が迷っていると、保子さんが先に口を開いた。


「あの、何か?」


 どうやら、保子さんの顔を見たまま黙り込んでいたらしい。

 あー、その、なんだ、考えてみれば、そんな大げさなことでもないか。


「えーっと、保子さん。今日は一日ありがとう。よく働いてくれて助かるよ」

「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです」


 すなおに感謝の言葉を伝えると、保子さんが笑みを深くした。

 一日の最後に、いい笑顔が見れたな。

 言っといてよかった。


 やはり、感謝を言葉にして伝えるのは大事だな。相手がアンドロイドであっても。

 黙っていては、伝わらないこともあるのだ。


「それじゃあ、明日からもよろしくね。おやすみ。保子さん」

「はい。おやすみなさい。悠一さん」


 そう言ってあいさつを交わすと、部屋の明かりを消して、僕はベッドの上で静かに目を閉じた。


 こうして、保子さんとのふたり暮らし、最初の一日が幕を閉じたのだった——。

「お風呂の話」とは言ったが、一緒に入るとは言っていない。

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