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くもりのち、はれ異伝ー約束の夜へ-  作者: 夏みかん
第1話
4/33

天使消失(4)

デートの翌日は必ずと言っていいほど感想を聞きにやってくる圭子が予想通り来たのを横目で見ながら、周人は晴れた空を見つつほくそえんでいた。


「おはよ。で、どうたったの?告白したの?」


今日は机の上に腰掛ける圭子はまるで周人に見せつけるようにして膝より上に捲れあがったスカートを直そうともせずに優雅に足を組んだ。どこか嬉しそうな声色の裏に隠された微妙な感情に気づくはずもなく、周人はにんまりした笑顔を見せながら椅子の背もたれに身をゆだねて偉そうにふんぞり返るような格好を取った。


「喜べ、オレに彼女が出来たぞ」

「マジ?」

「あぁ、もうラブラブ!」


落ち着いた口調の圭子と違い、どこか調子に乗った言い方がその心境をわかりやすく表現していた。それにずっとにこにこしていることからもそれが読み取れる。


「そっか、よかったね。大事にしてあげなよ?」

「もちろん!」


微笑む周人に向かって笑顔を返した圭子は下着が見えそうなほど軽やかにジャンプするとまるで体操選手のように両手を広げて降り立った。そのまま顔だけを周人に向けると口の端を小さく吊り上げて笑みを見せ、それから自分の席へと帰っていった。そんな圭子の後ろ姿を見ながら同じように微笑んだ周人の心の中はまさにバラ色だった。だが、自分の席に着いた圭子は対照的に暗い表情をしていた。そんな表情を誰にも、特に周人には見られたくない圭子は両腕でガードするようにして机の上に顔を伏せると、こみ上げてくる涙をグッとこらえて全身を硬直させるのだった。


幸せの絶頂にあるせいか、いつもは苦痛な授業も全く苦にならない。だが待ち合わせをしている放課後が待ち遠しい気持ちは変わらないのでその辺だけがネックではあったのだが。とにかく休み時間は会わないようにして帰宅時間を合わせるということにしていた2人は混雑する時間帯を避けた午後3時半で昇降口にてという風にしていた。掃除も終わりのんびり片づけを済ませればちょうどいい時間だ。昇降口に下りて自分の下駄箱に向かった周人はすでに出入り口近くに立っている恵里の姿を目に留めてあわてた様子で靴を履き替えた。


「ゴメン、待たせちゃった?」

「ううん、私が早過ぎただけだから」


にこやかにそう言う恵里は微笑みながら周人の横に立った。


「明日からは少し早めに動くよ。待たせるより待つ方がいいからさ」

「いいよ、今日みたいな感じで。ただ、早く会いたかっただけだし」


恥ずかしそうにしながらそう言った恵里の言葉にメロメロになる周人はだらしがない笑みを見せながら校門を出た。付き合い始めたといっても手を繋いで帰るわけでもなければ恋人同士の雰囲気を出しながら帰るでもない。ただ一緒に並んで歩いているだけだったが、先週までとは違って心の距離がないというだけで世界が違って見えるほどだった。


「磯崎さんはどこか行きたいところとかないの?」


次の休みにどこへ行こうかという話の流れからいつもは周人が決めていることを考慮して恵里の行きたいところを聞いてみたのだが、恵里は少し何かを考えるようにして黙り込んでしまった。


「あ、いや、無ければ無いでオレが考えるけど」


悩んでいるように見えたのか、周人が気を遣ってそう言ったのだが恵里はふるふると首を横に振るようにしてみせた。


「あ、行きたいトコロはあるんだけど、そうじゃなくって、その・・・」

「何?」

「付き合ってるんだし、そのぉ・・・名前で呼び合いたいなって思ったの。だから今日から学校以外では周人って呼ぶね」

「オ、オレはじゃぁ・・・え、恵里って呼ぶ」


普段は大人しく、あまり積極的でない恵里だがこういうことに関してははっきりと物を言う。対してこういったことが苦手な周人の方がしどろもどろになってしまったが、実は以前から家にいる時とか、1人でいる時にはすでに勝手に名前で呼んでいた。だがいざかしこまって恵里を前にすれば恥ずかしさと照れが生まれてしまうのだ。周人は嬉しそうにうなずく恵里にますます照れた顔をしながらももう一度行きたいところがどこなのかを聞いてみることにした。


「恵里はどこに行きたいの?」


照れたせいか中途半端な声でそう言う周人にくすくす笑う恵里だったが、行きたい場所を思い浮かべているのか少し遠い目をするようにした。


「行きたいところはねぇ、海!・・・そうだ!ねぇ周人、海に行こうよ!自転車に乗って!」


いきなり胸の前に両手を合わせてそう言うとキラキラした瞳を輝かせて周人の鼻先にまで顔を近づけた。少し顔を前にすればキスできる距離にありながら硬直してしまっている周人は真っ赤な顔をしながらも海岸を笑い合いながら走るベタな2人の姿を頭に描き出した。


「海かぁ・・・自転車に乗ってって・・・・・・・・・・遠いんじゃない?」


自転車に2人乗りして走る姿を想像してそれも悪くないと思った周人だったが、海までは下りが多いとはいえゆうに15キロはあるだろう。毎日朝晩しっかりトレーニングを積んでいる周人は体力的に考えてもその距離は問題ないと判断できたが、梅雨明けも宣言されつつあるだけに快晴ともなればその殺人的暑さで恵里の方が危険と思えたのだ。


「そうだよねぇ・・・・遠いよねぇ」

「いや、走るのは走れるよ。でも暑かったらその・・・磯ざ・・・じゃなくって、恵里が心配だよ」

「大丈夫だよ暑いのは平気。私、夏、好きだから」


笑顔でそう言う恵里だが、実際には暑さが心臓に負担をかけないかが心配なのだ。


「もし、もしもだぜ、途中でヤバそうになったら言うんだぞ?絶対に!」

「うん」


素直に、そしてとびっきりの笑顔でそう返事をする恵里に微笑を見せた周人は恵里に無理をさせないようにと肝に銘じながら日曜日の天気がバカほどの晴れにならないように天を仰いで祈るのだった。


日曜日、周人の祈りを快晴への祈りと取ったのか入道雲が立ち上るこれ以上ない真夏日となっていた。朝の8時半という時間帯であるのにすでに日なたに立っていれば汗が流れ落ちてくるほどだ。周人はこの暑さを計算して半袖のイラスト入りした白いTシャツに膝丈までの短パン姿だ。事前の打合せで海には入らないことを決めているので水着は持って行かない。自転車も周人の物を使用するために恵里がここまで来ることになっていた。駅で待ち合わせようとしたのだが、より海に近い周人の家の方が負担も少なくなっていいだろうとのささやかながらの恵里の計らいだ。


「暑いけど、帽子はいらないの?」


そう言ったのは入道雲が白さを浮き立たせている天を仰いでいる周人の母親静佳であった。着物が似合いそうな和風の美人であり、艶やかな黒髪が肩甲骨あたりにまでかかっている姿がかなり雰囲気とマッチしているといえよう。


「持ってる。このクソ暑い中、死にたくはないし・・・それよりも中に入ってなよ」


すでに全てのスタンバイを終えている周人は日影に止めた自転車の前に座りながら同じように恵里を待っている静佳にシッシッと手振りをする。


「いいじゃない。初めて出来た彼女がどんな子か見たいもの」


そう言ってにこやかに笑う静佳にガックリとうなだれる格好を取った周人は反論もせずに道路の方へと顔を向けた。息子としての経験からおそらく何を言おうともそこから動くこと無いだろうと判断したのだ。静佳は芯の通った女性であり、他人に何を言われようが自分の思うがままに実行するタイプの人間だ。それを知っているが故に周人も無視を決め込んだのだった。


「あ、周人。おはようございます!」


周人の家には庭があり、静佳が大事に育てている花々がガーデニングという形でそこを彩っていた。家の玄関は正面から見てやや左側にあり、庭の右側には2台は止めることができる屋根付きの大きなガレージがあった。今、周人と静佳がいるのがそのガレージの前だ。恵里はガレージ側の方向から姿を現し、周人を目に留めた後、真横に立っている静佳を見て丁寧に頭を下げた。


「おはよう。初めまして、周人の母です」

「磯崎恵里です。周人さんとは、その、いいお付き合いをさせてもらってます」


最近の乱れた女子高生とは違い、見た目通りしっかりしている恵里は丁寧におじぎをしながらしっかりと自己紹介をした。そんな恵里に向かってにこやかに微笑んだ静佳は玄関先まで歩くともう一度真夏の空を見上げる仕草を取った。


「じゃぁ行こうか」

「うん」


赤い野球帽をかぶり、白い自転車にまたがった周人は恵里のいる方へと漕ぎ出す。白いワンピース姿に麦わら帽子を被った恵里は肩から小さな赤いバッグを斜めから掛けてお嬢様座りで後部座席部分に腰を下ろすと、ゆっくりした動きで周人の腰に手を回した。


「行きますか」

「うん」


にこやかな表情でうなずく恵里を見つめる静佳がここで周人には内緒で隠し持っていたカメラでその様子を撮影した。だが周人も恵里もそれには気づかず、2人は海に向けて出発したのだった。手を振る恵里に手を振り返す静佳だが、ここでまるで雷にでも打たれたような衝撃が体を駆け巡った。さっきまでのにこやかな表情は微塵もなく、あるのは悲しげな、それでいて苦々しいものである。


「恵里ちゃん・・・・あなた・・・・・・・」


泣きそうな顔をしながら消え行く2人の背中を見やる静佳は額から流れ落ちる汗もそのままに苦々しい表情をしたまましばらくそこに呆然と立つ尽くすのだった。


快調な滑り出しを見せる周人だが、さすがに信号には敵わない。大きな交差点で自転車を止められた赤信号を睨みつつ、降りようとする恵里を制して日影まで移動する。


「やぁ、木戸君!」


信号待ちをしながら海までの道程を頭に描いていた周人の背後からそう声をかけてきたのはやや小太りな体ながらどこか筋肉質な腕をTシャツから覗かせている男だった。


「先生!久しぶりですね」

「おおよ!中学出たら全然顔を見せてくれないんだからなぁ」


言いながら近づいてきたその男は座っている恵里に人懐っこい笑顔を見せながら挨拶をしてきた。恵里も微笑を浮かべながら挨拶を返す。


「木戸君、可愛い子じゃないか。しっかり彼女まで作って。まぁ君は男前だし、優しいから心配はしてなかったけど」

「この人は大山さん。中学の時に通ってた塾の先生なんだ」

「初めまして磯崎恵里です」

「どうも!大山康男です。よろしく」


親しみやすい笑顔を見せながらそう言う康男は自分に見せた恵里の笑顔に言い知れない魅力を感じた。目の下まである長い前髪を含めたどちらかといえば長めの髪形の周人だが、しっかりコーディネイトして髪型もビシッとすればかなりのハンサムだと思っている康男にしてみれば、そんな周人の彼女として恵里は可愛いさが少し足りないと思っていた。だが、今の笑顔を見ればそういった考えはどこかへ飛んでいくほどに魅力的で可愛いと思えたのだ。それに白いワンピースに麦わら帽子といった夏を現すその姿もまた夏少女と言える可愛らしさを見せているからかもしれない。


「どこへ行くんだい?」

「海です」

「・・・・そりゃまたえらい遠くまで。まぁ君の体力なら楽勝だろうけどさ」

「先生はどこへ?」

「ちょっといろいろあってね・・・・・君だからこそ言うんだが、引っ越すことになるかもしれないんだ」

「引っ越すって・・・」

「その都合で、忙しいんだよ」


久しぶりの再会の余韻もどこへやら、思いがけない話に言葉を失う周人。塾とはいえ和気藹々とした家族ぐるみのような環境だったからこそ成績も伸びたと思っている周人は他の塾でなくてよかったと思えるほど充実した時を過ごした思い出があるだけにかなり複雑だった。


「まぁその話はまた今度な。彼女が退屈してしまっているから」


険しい表情をしている周人に笑いかけながらそう言った康男は自分がいてはさらに突っ込んだことを聞いてきそうな気がしてそそくさとその場を去っていった。去り行く康男の背中を見ながら停車して2度目の青色に変化した信号を確認して自転車を走らせたのだった。


軽快に自転車を飛ばす周人は後ろに乗せた恵里を気遣いつつも徐々にスピードを上げていった。恵里は風を切って進む自転車に心地よさを感じながら周人の背中に密着するように体を合わせると片手で周人の腰に手を回し、片手で風にヒラヒラ揺れる麦わら帽子を抑えた。日差しはさらなる強さを増し、暑さも倍増していたのだが密着させた体が熱いとは感じない。むしろその温かさが気持ちよく、進むことによって発生する風もまた気持ちいいぐらいだ。


「しっかり掴まっていろよ。下るぞ!」


そう言った周人の言葉にさらに体を密着させつつ風で飛ばないように麦わら帽子を押さえ込む恵里はそっと前方を覗き込むようにしてみせた。前方30メートルほど先から高架線路を避けるようにして大きくすり鉢状になった坂が目に飛び込んできた。

「加速をつけないと上がれないかもしれないから、絶対手を放すなよ?いくぜ!」

掴まれている手に力を感じた周人は少しだけ腰を浮かせると力強くペダルを踏み込んで自転車を加速させていく。感じる風が徐々にきつくなっていく中、2人を乗せた自転車は長い長い下り坂へと突入していった。


「いやっほぉぉう!」

「きゃぁぁぁ!」


対照的な悲鳴が高架のトンネルに反響してこだまする。ものすごい勢いで加速をつけた自転車はあっという間に最深部を抜けて上り坂を突き進んでいった。周人は勢いが止りつつある自転車の速度を殺さないように立ち漕ぎをして下った分と同じだけの上り坂を登りきろうと足に力を込めた。つらそうならば降りようと考えていた恵里だったが、周人はほとんどスピードを落とさないでその坂を登りきってしまった。


「凄い!凄いよ!」


振り返れば長い坂が見えるだけにその感動もひとしおな恵里は息を切らしつつもにこやかに笑う汗だくの周人に笑顔を向けた。


「大丈夫?少し休む?」

「いや、おかげで元気になったから」


心配そうにそう言う恵里の言葉に笑いながらそう答えた周人の息はまだ荒い。何もしていないのにどうして元気になったのか不思議だった恵里だが、それ以上何も言わずにペダルを漕ぎ始めた周人の腰に手を回した。周人は今見せた恵里の笑顔に元気を復活させ、もっとこの笑顔が見たいと海を目指してひたすらに進んだ。きっと海を見た恵里はとびっきりの笑顔を見せてくれるはずだと、それだけを胸に疲れすら感じることなくただひたすらにペダルを漕ぎつづけたのだった。その結果、予定としていた11時ではなく、10時ごろには海がその姿を家々の間から徐々にその姿を見せ始めていた。


「よし、ちょっと休憩しよう」


ペースを落としつつあった周人は少し先に見える公園で休憩を取ることにした。ちょうど公園入り口にはジュースの自動販売機もあって休憩するにはぴったりだ。2人は冷たいジュースを購入して公園に入ってすぐにある日影のベンチに腰掛けた。気持ちばかりの風しか吹いていなかったが、それでも気持ちがいいと思えるほどな周人は軽いストレッチを行なった。


「座りっぱなしで疲れただろ?」

「周人の方が疲れたでしょうに・・・私は座っていただけだもの」

「こんな小さなところに1時間半も座ってたんだ、しんどいと思うけど。オレは立ったり座ったりできるし」

「でも凄いね。いっぱいあった坂も何のその!」


普通であれば後ろに乗った自分が降りなければ上がれないほどの上り坂も周人はいとも簡単にクリアしていた。それに見たところカラ元気ではないタフさでケロッとしている。


「普段から鍛えてるしさ。小さい頃からずっと父さんやじいちゃんにしごかれてきたから」

「なんでしごかれたの?」

「武術を継いでる家系って前に話したよね?」


仲良くなり始めた頃、ひょんなことからそういう話をメールでやり取りしたことを思い出した恵里は素直にうなずいた。武術といわれてもピンとこない恵里にしてみれば代々空手か何かを習っているという認識ぐらいしかなかった。たしかに家系として代々受け継いできているとは聞いていたのだが、まさか祖父や父親にしごかれて育ったとは夢にも思っていなかっただけにその言葉は意外だった。


「名字と同じ木戸の名を持つ武術でさ、木戸無明流きどむみょうりゅうって言うんだ。まぁ遠い親戚に仲が悪くなって分かれた分家、木戸無双流ってのもあるらしいけど」


分家とされている木戸無双流についてはその名前と分かれた経緯しかしらない周人はそこだけはさらっと流すようにして話を進めた。


「オレは一人っ子だし、自動的にそれを継ぐことになってるからすんげぇしごかれたんだ」

「そうだったんだ。私はてっきり代々空手か何かを習ってきてるんだと思ってた」

「似たようなもんさ。とにかくしごかれたおかげで今でも朝晩はトレーニングしてるから体力は抜群だよ」


グッと拳を握って微笑む周人を見ずともその体力の凄さは十分にわかっている。痩せ型体系の恵里とはいえ、後ろに人一人を乗せて延々10キロ以上を走ってきた上に何度も坂を突破してきたにも関わらずここまでほとんどスピードは落ちていない。それに予定時間よりも早くここまで来ているだけに心から凄いと思う恵里は笑顔でそれに応えた。


「ま、これもトレーニングみたいなもんさ」


そう言って買った飲み物を一気にあおると硬いスチール缶をいとも簡単に握りつぶした。恵里はそんな周人を見ながら果たして彼が強いのかどうかを考えてみたが、自分が知っている周人を見ている限りではとても強そうには思えずに想像すらできなかった。そのまま他愛の無い会話を続けた2人は10分近い休憩を終えて海へ向けての自転車の旅を再開した。ここからはひたすら平たんな道をひたすらまっすぐ進めば海だ。周人は一定のペースを維持しながら恵里との会話を楽しみつつペダルを漕ぎつづけた。その結果、予定としていた11時半を大幅に早めた11時前には目の前に雄大な海が広がったのだった。目の前に展開された青い海は空の青とは違う色合いを見せながら白い波が迫ってくる様子がはっきりと見えていた。


「うわぁ!海だぁ!海だよ、周人!」


いつになくはしゃぐ恵里は自転車から落ちそうになるのもおかまいなしに身を乗り出してその広大な海に瞳を輝かせた。風に揺れる麦わら帽子を押さえながら上半身を折り曲げて覗き込むようにする恵里は満面の笑顔でキラキラ輝く海を眺めた。周人はバランスを崩さないように気をつけながらもあと少しに迫った海へと自転車を加速させていく。やがて自転車のタイヤがその回転を止め、周人の右足が砂混じりの地面を踏みしめた。多くの自転車やバイクといった乗り物が乱雑に並ぶ場所に一旦自転車を止めた周人は海水浴客で混雑している砂浜を見つつくつろげる場所を探してぐるりと首を巡らせて端から端をくまなく見やる。だがどこもかしこも人だらけでしかなく、くつろぐどころか入り込む隙間すらないようだった。恵里は海からの風に心地よさを感じながら遠い目で彼方に見える水平線を見つめている。


「少し場所を移動しよう。ここは人が多すぎる」


そう言った周人の言葉にうなずいた恵里を再び後ろに乗せ、周人は自転車を漕ぎ出した。ゆっくりした速度で海を真横に見ながら交通量の多い道路沿いを進む。恵里はちょうど正面に見える海を眺めつつ潮風を受けながら周人の背中に頭をもたれさせた。


「あそこに岩場があるな」


背中越しに直に伝わるその言葉に正面方向を覗き込めば砂浜の終わりにあるテトラポットと直結した岩場が見えた。子供と思える人影も見えるが、砂浜に比べれば人などいないに等しいようだ。だがまだまだ距離あるために周人は少し加速をかけながらより海に近い松林に続く歩道へとコースを変えた。砂浜と大通りとに挟まれた松林には多くの家族連れが日影の空間でくつろぎ、若者たちがバーベキューなどを楽しんでいる。そんな光景を横目に見ながら少しガタガタの道を行く周人と恵里は松林の終わりに出店の通りを見つけた。海の家などから離れた場所にも関わらず4つの店が列を成す客に悪戦苦闘をしているその様子を見た周人はそれでもまだそう待つことなく買い物ができると判断し、今のうちに昼ご飯を購入することを恵里に提案した。時間はまだ11時にもなっていないが混む前に買っておけばいいと判断し、またいちいちここまで買いに戻る手間を考慮してすぐにそれを了承した。焼きそばに加えてお茶とおにぎりを買い、走りながら食べようとカキ氷を買った2人だったが、とりあえず休憩を兼ねて松林でカキ氷を食べることになった。周人はレモン、恵里はイチゴのカキ氷を頬張る。頭が痛くなることを考慮してゆっくり食べる恵里と違い、喉が渇いていた周人はハイペースで平らげたせいか激しい頭痛にさいなまされて悶絶し、恵里を笑わせた。木漏れ日が差し込む空を見上げた周人は潮の匂いをかぎながら隣でカキ氷を食べている恵里を見つめた。美味しそうに、嬉しそうにゆっくりと食べる恵里を見ているだけで楽しい気持ちになってくる。いまだかつてない充実感を噛み締める周人の口元に浮かんだ自分の好きなあの淡い微笑を見ることが無かった恵里だったが、心の中は周人と同じ充実感で満たされていた。


「そういえば聞きたかったんだけど・・・」


この海への小さな旅を言われた時から気になっていた事を今ふと何気なしに思い出した周人はほとんど空になった器を持っている恵里に向かって話を切り出した。恵里は残っていたイチゴのシロップを飲み干しながら目を周人の方に向けて続きを待つような雰囲気を出す。


「なんで海に?しかも自転車でさ」


バイクを持っている周人とならばもっと早く快適に海まで来れたはずだ。海に行きたいということには何の疑問もなったのだが、何故自転車なのかが気になっていた周人は結局それを聞けずに今日を迎えてしまっていた。


「結構憧れてたんだ。自転車に乗って海へ行くって事に。それに周人と行きたかったから」


笑顔でそう言われた周人はもはやそんな理由などどうでもよくなり、一緒に行きたかったという言葉だけが頭の中でリピートされていた。


「そうだな、自転車の方がなんか青春っていうか、一体感があるっていうか」

「うん。だからありがとうね。わがままでこんな遠いところまで、しかもずっと運転させて。帰りは私も漕ぐよ」

「いいよ。恵里を乗せて走ってるだけで幸せなんだから」


まだ初々しいカップルはそう言いあうとお互いに照れてしまい真っ赤な顔をしてうつむいてしまった。確かに心は幸せで満ちている。2人共異性と付き合ったのはこれが初めてであり、またこうまで心から好きになった、愛した経験などない。クラスメートでもわがまま、高飛車で自己中心的な発想の女子が多い中、恵里は至ってごく普通の少女であると思える。周人の意見に耳を貸し、それを尊重する。今回のように自分から積極的に意見を発することが珍しいほどだ。控えめでいながらしっかりとした面ももっている恵里だからこそ惹かれ、好きになったと言えた。そして恵里もまたクラスメートの男子にはないものを周人に感じていた。わけのわからない風貌に不良じみたスタイルこそかっこいいと思っている男子が多い中、周人にはそれがない。長めの前髪を含めた髪型こそ今時でかっこつけていると言えるかもしれないが、その優しさ、純粋さは他の男子にはないものだと思えるからこそどこか男子に対して近寄れないでいた自分がこうまで好きになったと言えるだろう。お互いがお互いに似た空気を持っている2人ははにかんだ笑みを見せながら見つめあい、小さく笑う。そこには幸せと愛情が隠されることなく表れていることを感じ取りながらお互いの心の中にある相手への想いがさらに増していくのを自覚するのだった。


テトラポットで遊んでいる小学生もいなくなり、2人は防波堤を背もたれにしながら昼食を取り始めた。ここに来るまで意外に時間を費やしてしまったのは岩場を迂回するべく大きくカーブを描いた道路沿いを走って来たからだった。途中からそれに気づいて海へ向かって進んだものの、道らしい道もなく、自転車を押して強引に雑草だらけの道を進んだ結果ようやくここにたどり着いたのだ。真夏の太陽を受けたテトラポットは熱せられて熱かったが、背もたれにしている防波堤が日影を提供してくれていたせいかそこだけは座れる熱さだったために2人は日影を利用してそこに腰掛けていた。日影とはいえ殺人的な熱さがコンクリートを熱し、その熱気が肌に触れて汗を噴出させる。周人は暑さに耐え切れずにTシャツを脱ごうかと考えたが、さすがに恵里の前ではそれもしづらくなって結局袖を肩までめくりあげて対応した。ノースリーブのワンピース姿の恵里も暑そうだったが、夏が好きだと言うだけあってまだ平気そうな顔をしている。


「ここだと人が少ないから水着持ってくればよかったなぁ・・・」


焼きそばを頬張りつつポツリとそうつぶやいた恵里に小さく微笑んだ周人はそうだねと相槌を打った。何度か確認したのだが、恵里は泳がないからと水着の持参を拒否していたのだ。恵里の水着姿を見たかったと思うだけに、今の一言は周人の中にあった無念を呼びさます結果となってしまった。


「泳げないわけじゃないんでしょ?」

「泳げるけど、いっぱいは無理。泳ぐのは全身運動で心臓にも負担がかかるから」

「そっか・・・」

「でもね、手術すれば治る可能性もあるんだよ」


そう言ってお茶を飲む恵里を見やる周人はくわえていたお茶のペットボトルを落としそうになりながら勢いよく恵里の方へと顔を向けた。


「治るの?マジで?」

「あ、でも、成功してもどこかに弊害がでる可能性があるみたいで・・・恐いし、普通に生きていくには今のままでも平気だから」

「そうか・・・」

「でも・・・私も鍛えたら、そしたらこの心臓も強くなるかな?」


唐突に、だが真剣にそう言う恵里に目をパチクリさせた周人だったが、口の端を優しく吊り上げて微笑むと力強くうなずいた。


「なるさ!でも無理することないよ。普通の生活ができればいいじゃんか」

「でも一緒に泳いだりとか、スポーツとかできないんだよ?」

「泳がなくても海岸で遊べるし、スポーツってもピンキリだろ?」


優しくそう言う周人の言葉に感謝の気持ちで一杯になった恵里はその右肩に頭をもたれかけ、周人に身を預けるようにしてみせた。周人は嬉しい反面緊張して体を硬直させながらも鼻をくすぐる恵里の髪から流れてくるいい香に心音を激しくしていった。


「ありがと・・・ホント、周人は優しいね」


そう言われた周人は真っ赤にした顔を見られまいと遠くに見える海岸沿いの景色へと顔を向けた。そんな周人を見てくすっと笑った恵里もまた同じようにその景色を見つめる。


「ずっと一緒にいようね・・・ずっと、ずっと・・・」

「あぁ、すっと一緒さ。ずっとね」


恵里の言葉を反復するかのようにそう言った周人はたとえ何があろうとも絶対に恵里を守り抜こうと心に誓った。自分が持つ力の全てを駆使して、この子の笑顔と今の幸せを守り抜こうと自分自身に誓ったのだった。


昼食を取ったあと、2人は岩場へと向かった。ヒールの無いサンダルを履いてきた恵里も軽やかに岩場を歩き、カニやフナムシを見て一喜一憂したのだった。波が押し寄せる岩場のヘリに降り立った2人は波に足を浸けて冷たい水の感触を楽しむ。ワンピースの裾を膝より上にまくった恵里のはしゃぎように来てよかったと思う周人はその笑顔を脳裏に焼き付けるように見つめた。夏と笑顔が最高に似合う彼女がそっと波に触れる仕草は周人をときめかせ、恵里に対する愛情がどんどん増していくのを自覚する。膨れ上がる想いを胸に少しながら人が減った砂浜へ向かうことにした2人は足場の悪い岩場を抜けてテトラポットに戻ったのだった。岩場を行く恵里を気遣って手を伸ばした際に繋いだ手は砂浜に出た今でも離れていない。ごく自然に指を絡めあう2人はそこに照れを感じることもなく夏の暑い中にあってお互いの温もりを噛み締めていた。日差しのきつい時間帯を過ぎたとはいえ、まだまだ灼熱の太陽はその自己主張とも言える光と輝き、熱を提供してくれている。焼けて赤くなった肌を露出した恵里はその焼けた肌すら心地よく感じながら傾き始めた太陽が放つ光を反射してキラキラ揺れる海面の彼方へと視線を走らせた。時刻は午後4時、夕方である。


「夕日が沈むところを見ていたいけど、遅くなっちゃうね」

「恵里がいいならそれでもかまわないよ。帰りはペースを上げて帰ればいいわけだし」


そう言う周人の言葉に甘えて夕日を見ることにした恵里は随分人気が減った海岸を見渡しながらその場にしゃがみこむとそっと白い砂を掴み上げた。指の間から漏れてさらさらと落ちる砂の感触を楽しみながら近づいては離れていく波を見つめる。その後、2人は童心に帰って砂山を作ったり貝殻を集めたりして2人だけの楽しい時間を過ごした。テトラポット近くの人気の全く無い砂浜に立つ2人が見守る中、やがて太陽が西に傾き始め、ゆらゆら揺れる表面をした赤く丸い太陽がどんどん水平線に近づいていく。朱に染まる空では入道雲がその縁を赤く輝かせて粋な演出をしていた。長い影を引きながら風に揺れるワンピース。恵里の横に立った周人もまたその美しい光景に言葉もなく見入ってしまっていた。偶然触れ合った手がどちらともなく指を絡めあい、1つになる。ゆっくりと水平線と太陽が重なると、思ったよりも早い速度で燃えるような赤い太陽が海に没しながら徐々にその円形を崩し始めた。恵里は無意識的に少し周人に身を預けるようにしてみせる。周人はドキドキと高鳴る鼓動を胸に繋いでいた手を離すとそっと優しい手つきで恵里の肩を抱いた。恵里は何の反応も示さずにうっとりとした顔で半分以上姿を消した太陽を見つめている。


「また来ような、絶対に」

「うん」


そう言って見詰め合う2人。消え行く太陽のせいか、潤んだように見える恵里の瞳に吸い込まれるような感覚を得た周人に向き合う恵里。完全に姿を消した太陽だが、その偉大な力の残りはまだまだ闇を蹴散らす明るさを保っている。周人は何を考えるでもなくそっと恵里の顔に自分の顔を近づける。恵里はそれが当然のようにそっとその愛らしい瞳を閉じると少しあごを突き出す感じで顔を上げた。長く伸びた2人の頭を形取る影が1つに重なる。それは目を伏せた周人の唇と可愛らしい恵里の唇が重なった瞬間であった。柔らかさと温もりを共有した2人はどちらともなく名残惜しそうにその唇を離した。目を開き、見詰め合った2人が同時に照れた顔をする。周人はそんな恵里に微笑むと優しくそっと抱きしめた。恵里もまた周人の背中に手を回し、その温もりを全身で感じ取る。東の空が紺色の闇に包まれつつある中、再度唇を重ねる2人の頭上には光り輝く一番星が気の早い姿を現しているのだった。

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