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くもりのち、はれ異伝ー約束の夜へ-  作者: 夏みかん
第5話
25/33

運命の彼方へ(1)

病院独特のアルコールの匂い、その元である消毒薬の匂いが心を落ち着かせるのも変な話である。こじんまりとした診察室には簡単なベッドがあり、そこは町の診療所や小さな病院と大差のない設備があるのみでどこか殺風景な印象を受ける場所だった。周人がこの病院に来るのは2度目だが、何故か行き慣れた病院のような安心感を得るのも不思議な話だ。前回は軽傷だった哲生を除く4人が意識を失った状態で運ばれてきたわけだが、今日は違う。打撲と骨折の周人以外は皆ピンピンしており、また、怪我をしている周人もどこか雰囲気が違っていた。以前にここ滝医院に来た時はかなりの重傷だったせいか、持っている雰囲気もどこか暗く悲壮感も漂っている感じだった。だが、今はまるで違う。どこか刺々しくも穏やかな感じなのだ。肋骨3本が折れながらもズレることがなかったのが幸いで哲生の力を借りれば2週間程度で完治できる傷と、あとは多少の打撲でこちらも同じぐらいで完治との診断だった。内臓にもダメージがみられたが出血等はなく食事に気をつければ問題ないとされた。仲間からすればあれだけの死闘を演じておきながらこの程度で済んだと言うべきか、はたまたこれほどの傷を負わされたというべきか微妙である。しかし周人の中の『負の気』である殺意による復讐心が消え失せていることは実感している。戦うことの意味、楽しさ、そして相手の強さをまっすぐに超えた上で勝利を得るという心が究極の『正の気』である『無我の領域』を目覚めさせたのだ。


「しかし、いやにご機嫌な感じだな。いいことでもあったか?」


あちこちが傷み、汚れたハイネックを着る周人に向けてそう言いつつタバコに火を灯すのはこの滝医院の主である滝その人だ。ご機嫌と言われた周人は確かに雰囲気は和らいでいるとはいえ診察中から今もずっと無表情である。そんな滝の言葉に哲生は小さく微笑むと椅子から立ち上がる周人の肩にぽんと手を乗せた。


「いいことと言えばそうなるかな。もうすぐ憎き仇とご対面だろうし」

「ほぉ。でも、その時には俺はここにおらんぞ」


いつものように時間外の一仕事を終えた滝は満足そうにしながらゆったりと白い煙を立ち昇らせる。大きく煙を吸い込んでゆっくりと吐き出せば心が落ち着いてどこかほっとしたような気分になるのだった。


「なんだよ、先生、引っ越すのか?」


そんな滝の様子を見ながら十牙がそう問い掛ければ、滝は右手で右の耳の裏を掻きつつ小さいながらもうなずいた。


「あぁ。ここもあちこちで知れ渡ってきてな。一応闇でやってる商売がメインなわけだし、警察が来たら俺ぁ逮捕だ。世の中、秋田警部みたいな気のいい警官ばっかりだと助かるんだがねぇ」

「で、どこへ?」

「桜町あたりが候補だな。一応決まったら秋田さんには知らせるから、聞けばいい」


その土地の名前を聞いた周人は一瞬表情を曇らせたが、すぐにそれをかき消して微笑へと変貌させた。これで桜町という名前を聞くのは3度目である。何か因縁めいたものを感じつつも何も言わなかった周人は治療で乱れた服を整えると真後ろにあるベッドへとゆっくりした動作で腰を下ろした。


「来週中には夜逃げだ。だから後の治療は近所の病院でしてもらえ」


滝はそう言うとゆっくり煙を吐き出して狭い診察室の中に煙を溶かし込むようにするのだった。周人はコルセットの巻かれた腹部を押さえつつも哲生による癒しの気功術があれば滝の治療はおろか近所の病院の世話になることもないだろうと思いながらもしばらくは動けない体をもどかしく思う。だが、自身における現段階で最強の敵であった千早茂樹との激闘に関しては満足しているし、何よりあれだけの戦いをした結果の怪我であることもあってそう悲観的でもない。そんな周人を見て小さく微笑んだ滝は治療も終わったためにさっさと5人を帰すと夜逃げのための荷造りを再開するのだった。


最愛の恋人恵里を亡くしてからただの1度も彼女の墓に参ったことはない。愛する人の死を受け入れてようやく前に進もうとした矢先に警察による一方的な犯人の捜査打ち切りを聞いて復讐に燃えたせいもあるが、早く帰ると約束した自分が遅れたことによる責任、後悔、そして約束を破ったという想いからここに足を向けられなかったのがその理由だろう。合わせる顔がないということもあって復讐を果たすまでは、その報告をするまではここには来ないという自分自身への誓いを破らせたのは浄化された『負の気』のせいかもしれない。1月の終わり、白い雪がちらほらと舞う真冬に花を片手に石段を行く周人は壇上に山となった墓地の中腹中央にある『磯崎家之墓』と掘り込まれた墓石を見つめながら沈痛な表情のまま風に黒いコートの裾を揺らめかせてそこに向かって一歩一歩ゆっくりと進んでいくのだった。重苦しい足取りはその胸の内を表現していると言えよう。やがて恵里の眠る墓を前にした周人はさっきまで降っていた雪も、そして冷たい風も止んでいることに気がついてゆっくりとグレーの色合いをした重い雲で覆われた空へと顔を向けたのだった。行く手を遮るようにしていた雪と風が止んだということは恵里が自分を待っていたのではないかと考え、その視線を墓石へとまっすぐに向ける。人が生きた証とするものなのか、それとも故人を未来へ残すために建てるのか、墓石は墓地を埋め尽くすほどに山を形成している。その1つ、恵里の眠る墓石を見つめたままの周人は買ってきた花を挿し、線香に火を灯した。桶に入れた水をそっと墓石の頭からかけてやるが、それはたった一度のみ。あとは周囲にかけて桶を空にしたのはこの寒い中で水をかけて風邪をひかせたくないという想いを込めてのことだった。死んだ人間が風邪をひくわけがないのはわかっているのだが、それでもそうしてあげたい気持ちが強く出た結果だ。周人は桶の中にひしゃくを置くと軽く手を合わせたのみでじっと墓石を見つめつづけた。知り合って4ヶ月、付き合ってわずかに2ヶ月だったが、心から好きだと言えるほどに愛していた。この子さえいれば何もいらないとまで思えた恋だったからこそ今の復讐がある。早く帰ると言った約束を破ったこと、必ず君を守ると言った誓いを破ったこと、それらに対する謝罪の言葉しか出てこない周人は悲痛な想いを顔に出しながら恵里に会いたい気持ちが大きくなっていく自分を自覚できないでいた。直接会って謝りたいという気持ちが胸を締め付け、涙が込み上げてくる。だがそれをグッと堪えた周人は今日ここへ来た本当の目的を告げるべく、心の中ではなく声に出してその想いを口にするのだった。


「仇は必ず討つよ・・・でも、それは相手を殺すんじゃなく、叩きのめすに変わってもいいかな?」


犯人である『キング』が憎いのは変わらない。だからこそ恵里の命を奪った代償としてその命をもって罪を償わせるつもりだった。ただその一念だけで今まで数多くのケンカをし、父親と反発してまで復讐を遂げようと頑張ってきた。だが、冷静に考えて今の実力をもってしても果たして『キング』に勝てるかどうかは微妙だ。怒りで周囲が見えなくなっていた自分が先日の茂樹との死闘で目覚めたかのごとく今は実に冷静にいられる。もちろん恵里を殺した『キング』は死ぬほど憎いが、まずは勝つという心が相手を殺すという心を凌駕しているのだ。


「待ってろよ。もうすぐだ・・・もうすぐで全てが終わるから」


じっと墓石を見つめながらそう言った周人は小さく微笑むとそれに背を向けた。仇を討てば成仏できるなどというのは生きている人間の勝手な解釈かもしれない。それでもそうしなければ周人は前へと進めない。彼の時間はあの早く帰ると約束した日で止まっているのだから。


墓石が立ち並ぶ墓地を背に、周人は自分のバイクを止めてある小さな駐車場へと向かっていた。駐車場といっても車が4、5台止められる程度のものでしかなく、その脇にバイクを止めているだけだ。真横にはゴミの焼却炉があって花を包んでいる紙などを捨てられるようになっており、そこから少し先へ進んだ所にある180度曲がる下り坂を降りていけば住職がいるお寺があって、さらに下れば国道へと続く細い道へと出るようになっているのだった。誰もいない墓地は山を削って作られているせいか冷たい風が容赦なく吹きつけてくる。黒いコートの裾を風にはためかせた周人の足が止まり、鋭い視線が自身のバイクの方へと向けられた。周人のバイク以外は何もないその駐車場。その自分のバイクの真横に立っている少女を見つめていた周人の足が再び前へと進み始めた時、少女はバイクから離れると白いコートの裾を風で揺らめかせながらゆっくりと周人の方へと歩み寄ってきた。


「久しぶりだな、ストーカー」

「怪我はもういいみたいね、『魔獣』さん」


どっちも無表情無感情のままそう口にし、少しの距離を開けてたたずむ。黒いコートの前を開けている周人は対照的に白いコートのボタンをきっちりとめた物憂げな表情をした目の前の少女、宮下葵を見つめつづけた。


「驚かないのはさすがね」

「驚いてるさ・・・『魔獣』って言葉にもな」


決して驚いているようには見えない実に淡々とした言葉でそう言う周人を見つめる葵の表情に変化は無い。彼女が怒りや悲しみ、そして笑顔を見せたことが無いせいか、周人は別段それを気にすることもなかった。


「時期外れの墓参りだけど、ひょっとすると少し先にはいい報告ができるかもね」


葵の口から言葉と同時に白い息が風に舞う。ゆっくりとコートのポケットに手を突っ込んだ周人が何かを言いかけたせいかその口からも白い息が現れ、それはすぐに霧散して消えた。


「昨日、『キング』から『四天王』に伝達があったわ。2週間後に東京の港第3区画へ来い、とね」

「2週間後・・・港第3区画・・・・・・そうか」


葵が何を思って自分にそう告げたかはどうでもいい。葵もまた『キング』に恨みを抱いてその命を狙っていることも知っているだけに、共通の敵である『キング』に関する情報を提供してくれた程度にしか思っていないからだ。


「どうやら私では復讐できそうにないから、だからあなたに託すわ」

「・・・どういう心境の変化だ?」

「それはこっちの台詞ね」


その言葉の意味がわからずに怪訝な顔をする周人だが、葵はそれを無視するかのように墓石の山となっている墓地の方へと顔を向ける。そんな葵の横顔をじっと見つめる周人は今の言葉の意味を問い掛けて葵の視線を自分に戻させた。


「あなたは変わったわ・・・『金色の野獣』と戦って、雰囲気も、殺気も」

「それに関しては否定しねぇよ・・・」

「刺々しいまでの雰囲気はなくなったけど、その闘志は鋭くなってる」

「今のオレならヤツに勝てそうか?」


本気とも冗談とも取れない言葉だが、葵は静かに首を横に振った。それが予想通りの答えだったせいか、周人は薄いながらも自嘲じみた笑みを見せて少々ながら葵を驚かせた。とは言っても表情に変化はないままだが。現に憎しみの心を昇華させ、『無我の領域』を極めた周人は身に纏った炎のような殺気を静かな水の心で発揮できるようになってからは自己や相手の分析が実に冷静にできるようになっていた。恵里を失った現場で出くわした『キング』の強さには手も足も出ずに恐怖が全身を駆け抜けた。あれから数限りない修羅場を潜り抜けてきたが、正直今の自分でも勝てる見込みは少ないと思っている。もちろん負ける気など毛頭ないが、それでも苦戦は承知の上だ。たとえその先に死が待っていたとしてもただ相手を殺すことのみを追い求めていた自分には無かったその冷静な判断を受け入れている周人を不思議に思いつつ、葵は穏やかな雰囲気を持った周人の強さが増していることを見抜いていた。その上でのさっきの返答だ。いかに『キング』が強いかをよく知っている葵は周人が勝てないと判断しながらも勝利を託すことにした理由を静かに語り始めた。


「勝てないのは私も同じ。なら、あなたに託すしかないの。誰もヤツには勝てないとわかっているけど、その可能性がないに等しいけど、それでも確率的には私より上だから」

「お前の分まで背負って戦えるほど心が広くねぇけど、一応心の端には留めておくさ」


周人は無表情ながらそう言うと今にも雪が降り出しそうな黒ずんだグレーの空を見上げた。いつ雪が降ってもおかしくない空に身を切り裂くほどの寒い空気を感じながらもその顔には寒さは浮かんでいなかった。そんな周人に向かってコートのポケットから数枚の紙切れを取り出した葵は無造作にそれを周人に向けて差し出した。周人は前に進んでその紙を受け取ると葵の顔色をうかがうようにしながらその紙を開いていった。


「『四天王』に関する情報よ。あなたたちは実力はあるけど情報量が少なすぎるわ。それでは勝てない」

「・・・・『変異種』?」


紙を見つめながらそこに書かれている聞いたことのない言葉の羅列に眉をひそめる周人に対してあからさまなため息をついた葵は再び両手をコートのポケットに入れた。


「それを知らない時点で終わってるわ。ま、あと2週間、せいぜい勉強しなさい」

「2週間後の今日、でいいんだな?」

「えぇ、復讐を遂げるチャンスはこれしかないわ。詳しくはそこに書いてあるから」


そう言うと葵は周人とすれ違う形で前へと歩き始めた。


「ありがとう」


その周人の言葉に一瞬歩みを止めた葵だったが、すぐさま歩き始めた。お礼の言葉など期待もしていなかったし、されるとも思っていなかっただけに戸惑いを感じたのだがそれを態度や表情に出すことなく葵はさっさと坂の方へと姿を消してしまった。そんな葵の背中に小さな、ほんの小さな淡い微笑を浮かべてみせた周人はズボンのポケットに入れておいた携帯電話を取り出すとまず哲生に連絡を取ってメンバー全員に集合するよう通達するのだった。


周人のバイクが駆け抜けていくのを見ながら、国道へと続く細い道路脇に止めている赤い大きなバイクにまたがった葵はボディカラーと合わせた真紅に黒いラインの入ったヘルメットをかぶりかけてその手を止めた。墓地からわずかな距離しか離れていないこの場所は車の通りも少なく、今さっき周人が去っていった国道方面にしか道は繋がっていないせいか人もいない。にもかかわらず行き止まりに続く方向に向けてバイクを止めている葵はその場に似つかわしくない格好をした美少女を目にしたためにその動きを止めたのだ。そしてその美少女はよく知っている顔だったせいか、ここにいる理由もまたある程度の予測はついていた。


「『魔獣』の彼女が眠る場所・・・そこで敵である彼と接触したあなたの意図はわかってるわ」


千早茂樹との死闘、その結果はすでに広く知れ渡っていた。ミレニアムがアルカディアと抗争になったことも有名であり、その結果『ヤンキー狩り』と呼ばれた周人がいまや『魔獣』と呼ばれて恐れられていることも既に関東中で話題である。だからか、神崎との死闘の際に負った左頬の傷、ガラス張りのドアに頭から突っ込んだ際に出来たその傷を模倣する者も多い。そこで哲生が流した噂、『魔獣の傷は右頬にある』が浸透しつつあるのも、『魔獣』に対する闇の組織や暴走族たちの関心の大きさを示していた。そしてそんなちっぽけで大衆的な噂など興味もなく、もっと大きな情報を得ているであろう目の前の美少女、『破滅の魔女』として有名な江崎千江美は口元にある妖艶な雰囲気をかもし出しているほくろをそっと右手の人差し指でなぞるようにしながら少々顔を傾けるポーズで葵を見つめて小さく微笑んだ。全く予想もしていなかった千江美の登場だが、顔色はおろか態度すら変えない葵を葵らしいと思う千江美もまたこの反応は予想通りだった。


「『魔獣』木戸周人が『キング』を狙う理由はここに眠っている彼女の仇を討つため。それぐらいの情報は掴んでいるわ、それこそもう随分前からね」

「そう。なら何故それを『四天王』に報告しないの?」

「興味があったから。ホントに『キング』まで辿り着けるかどうかね。それはあなたと同じと思っていたわ、つい3日前までは」


そうまで言うと小さく微笑む千江美は赤いコートの上から巻かれたピンクのマフラーを巻き直すようにしながらゆっくりとした足取りで葵の方へと近づいてきた。この寒い中、ズボンではなくスカート姿の千江美は葵のバイクのガソリンタンク部に右手を置きながら無表情な葵の反応を楽しむかのようにその顔を見つめつづける。葵はそんな千江美を平然と見ながら座席にヘルメットを置くとコートのポケットに両手を突っ込んだ。


「宮下葵・・・数年前に『キング』に暴行され、子供の産めない体となる。そして当時付き合っていた彼氏でありながら自分を見捨てて逃げたその男に対し、復讐のために瀕死の重傷を負わせ、『キング』を追って上京。街で暴力行為を行なった際に『四天王』の西原さとると出くわし、気に入られて『沈黙の魔女』となった」


葵の簡単なプロフィールをまるでポエムを口ずさむがごとく口にした千江美の顔から笑みが消える。だが葵はそんな千江美を見つめたまま微動だにすることなく、まるで美しい彫像のごとく立ったままでいるのだった。


「そのあなたが彼に何を?」

「復讐の代行依頼」


千江美の意に反してあっさりと事実を述べた葵を見て少々驚く顔も美形である。葵はそれだけ言うと置いていたヘルメットを手に取ると脇に抱えるようにして持ち、バイクにまたがった。


「でも彼がそれを遂行できるとは思えない。『キング』をよく知るあなたならわかるでしょう?」

「ええ。だから彼が死んだら自分の手でやるだけ。利用できるものはなんでも使う。それだけね」


少し興奮気味に言葉を発した千江美と違い、淡々とそう言う葵はさっさとヘルメットをかぶってしまった。もう会話はこれで終わりだと言わんばかりのその態度だが、千江美はさほど気にした様子はなかった。


「報告するならどうぞ・・・その時は一足早く私が実行するだけ」


ヘルメットで言葉が曇るが、千江美の耳には届いている。その言葉に小さなため息をついた千江美は少し悲しげな笑みを浮かべ、ここで初めて葵の表情に変化をもたらせた。


「報告しないわ・・・だって、私たちみんなもう『四天王の彼女』って立場には疲れてきてるから。でもね、逃げることはできない・・・ヤツらからは逃げられないし。だから緑も桜も何も言わないけど、心では彼らを応援してる」


全く予想外の言葉に目を見開いた葵はハンドルに置きかけていた手を戻すとヘルメットを脱いでバイクから降りた。緑や桜、そして千江美が『キング』の一味から逃げ出したいと思っているなどとは想像もしていなければ気が付きもしなかったからだ。そんな疑問を顔で表していたせいか、千江美は薄く儚い笑みを見せるとその本心を打ち明け始めた。


「最初はこれでいいと思ってた。地位も金もあって何の不自由もなかった。何より彼から愛情を感じていたからね・・・でも、今はない。私たちを利用しているだけ・・・自分たちは楽をして情報を取らせ、性欲が溜まると一方的に抱いてさっさといなくなる。だから『魔獣』の行動の真意を知った時は正直泣いたわ」


『四天王』の女として置かれている今の状況をそう口にした千江美は悲しげな顔をしたまま顔を伏せた。もはや自分は道具としてしか扱われていない事実を前にそれを隠していた本心を吐露したせいか、少し心が軽くなったような気さえしてくる。


「ただ純粋に彼女を愛していたからできる行動よね・・・『キング』の持つ地位や権力など眼中に無い、今まで喧嘩を売ってきた連中とは違うと思ってたし、何よりここまで辿り着けたということがそれを証明している」

「そうね・・・でもだからって勝てる見込みがあるとは思えない」

「でも期待してしまう」


今言った千江美の言葉に一瞬だけかすかな笑みを浮かべたのは幻か。どんな時でも決して表情を崩さない葵のその笑みを見て呆然としていた千江美もまたゆっくりと口元に柔らかい笑みを浮かべるのだった。


「期待しながらも黙って見届けましょう・・・彼が勝てば私たちの願いも叶う。彼が負ければ今までどおり。大穴狙いの賭けだけど」

「そういうバクチ、好きよ」


葵は微笑みながらそう言う千江美の言葉を聞きながらヘルメットをかぶると座席のカバーを開いてもう1つ簡素なヘルメットを取り出して千江美に投げてよこした。そしてバイクにまたがるとエンジンを始動させ、千江美がヘルメットを被るのを確認してからバイクの向きを変えていく。千江美はゆっくりとバイクにまたがると葵に体を密着させながら腰に手を回し、しっかりと組み合わせた。それを確認した葵はクラッチを軽い動作で作動させながらややゆっくりした速度でバイクを進めるのだった。


葵との出会いの後で仲間にコンタクトを取った周人だったが、やはり今日の今日では都合が合わずに翌日に哲生の家に集合となった。葵のくれたメモには『四天王』及び『キング』に関する事細かい資料、そして『魔女』たちの情報までもが書き記されていたのだった。以前に周人が葵と接触していたことを知っている哲生以外の3人からその経緯を説明するよう求められた周人はまず葵が何故このメモをくれたかを説明し、それからメモの内容の把握に入った。


「おそらくこいつが『四天王』最強だろう・・・大野木信也おおのぎしんや、『神の目を持つ男』」

「・・・この『変異種』とかってマンガとかでよく見る設定だけど、本当にいたなんてちょっと驚きだよ」


メモに書かれている『変異種』という言葉に興味を持った誠の言葉に純もうなずく。遺伝子的に特異な変異を起こした固体、『変異種』と呼ばれるいわばエスパーのような超能力者、それが『キング』であり、『四天王』なのだ。常人ではないその5人を相手にするのは普通の人間である周人たちでは勝ち目が無いと判断されても仕方が無いだろう。


「西原・・・さとる?」


メモに書かれている『四天王』の1人の名前に興味を示した純の言葉に反応するものはいなかったが、純の動揺は見て取れる。知った男なのか、純は西原に関する情報を食い入るようにして見入っていた。『神の身体を持つ男』とされ、身体のあらゆる関節をあらゆる方向に曲げることが可能な変異種とされている。ようするにビックリ人間大賞に出てくる類の能力者のようだ。だが、純にすればそんな能力など頭に無い。興味があるのはその名前のみだ。純が想いを寄せる同じ学校の才色兼備な優等生、西原さとみ。あまりに似ているその名前からさとみの血縁者、兄なのではないかという疑問が頭をよぎったからである。だが純の知る限りさとみに兄弟はいない。一人っ子だとは知っているが、両親の離婚によって引き裂かれた兄である可能性も無きにしもあらずだという考えも浮かんだが、それだと名字が変わってしまう。かといって血縁者で無いと否定できないせいか、様々な疑念が頭をよぎる純はそのまましばらく押し黙ってしまうのだった。


「ホントかねぇ、こいつ・・・『神剣フラガラッハ』」


十牙が興味を示したのは『神の剣を持つ男』御手洗慈円みたらいじえん。その変わった名前の他、同じ剣士として興味が惹かれる。資料によれば『この世に斬れぬ物などない』とされるその剣を持つ慈円の能力は空間認識能力。見える範囲を1ミリ単位の方眼に見立て、細かく座標で物の位置を見ることができるらしい。簡単に言えば距離感が異常に鋭く発達した能力であり、すべて1ミリ単位での距離の把握ができるのだ。相手がどう動こうとも瞬時にその距離感を割出して斬りつける能力は剣士としては最大の武器になるだろう。それに加えてその最強の剣である。


「そう思うなら自分で確かめるこったな。ってことでこの『お手洗い』は十牙が担当で決まり」

「勝手に決めてんじゃねぇよ!」


哲生の言葉にいちいち噛み付く十牙とのやりとりはもうお約束だ。


「でも剣士なら十牙だろう・・・妥当な線だよ」


誠の言葉を受けて渋い顔をしながらもうなずく十牙はこの慈円を倒せば最強の剣士、すなわち真の剣王となると考え、戦う相手を決めたのだった。


「粗末だろうけど、その大事なモノをチョン斬られないようにな。千里ちゃんが泣いちゃうぞぉ」

「・・・・・・・・・・マジで殺すぞ」


股間を指差してほくそ笑む哲生の冗談にいつもであればさっき同様噛み付く勢いで反撃する十牙だが、今は何故かおとなしめにそう言った。どこか調子の狂う哲生がしかめっ面をする中、隣に座っていた誠がニヤリとした笑みを浮かべるのを見た十牙は口篭もるようにしながらそっぽを向き、お茶を一気にあおり飲んだ。


「ってことなら俺はこいつだね。『神の槍を持つ男』大場圭介」


顔を真剣に戻してそう言った誠が指差したその大場の能力は右の手の平に無重力を生み出すとされ、触れた物の重みをゼロにできるという信じ難いものだった。まるでSF映画の設定だが、本当にそんなことができるかどうかは疑わしいがおそらく事実なのだろう。そしてその大場が持つ『神の槍ミストルテイン』は総重量1トンにも及ぶ特殊鋼材で出来た円錐型の槍である。1トンという重さから考えても、武器を弾かれるだけで相当な衝撃が返ってくるだろう。


「槍と棒の対決か。まぁ妥当な線だな・・・ってことは、残るは2人」

「こいつはオレがやる・・・西原さとるはな」


哲生の言葉に重なるようにそう声を発したのは純だった。やはりその名前が気になるせいか、戦う相手はこの男だと決めていた純はまずはこの男が本当にさとみと無関係かどうかを確かめる必要があると考えていた。もしさとみに関係する者であれば、やはり好意を寄せている女性の関係者とはやりにくい。かといって負ける気もないのだが自身の気合に影響が出てしまうからだ。


「じゃぁ自動的にオレは大野木さんね・・・残り物に福はなさそうだが」


その名前が書かれたメモを指でトントンとしながらそう言う哲生はいつになく渋い顔をしていた。『四天王』最強にしてその能力は2秒先の未来が見えるというものだ。それが本当だとしてどういう風に見えるかはわからないが、戦いにおいて相手の攻撃が先に知れていればこれほど対応しやすいことはない。だからこその最強なのだろうが、今の自分がこの男に勝てる見込みはどう分析してもゼロだ。自分の扱う流派における究極の力である『無我の領域』にまだ達していないことがその最大の要因だ。今現在それを扱えるのは周人と十牙の2人だけ。自分が口説き落とす目標としていた美咲と結ばれたことがそれに近づく要因だと思っていたのだが、実際は何も変化が無かった。正直焦る気持ちもある哲生は言い知れない不安を隠すかのように軽い口調を貫きながらも重苦しい胸に不安を溢れさせるのだった。


「しかし、まるでこうなる運命だったかのような組み合わせだな・・・剣と剣、槍と棒とかさ」


純はメモを見つめていた誠や十牙の視線を受けながら小さく微笑みを浮かべる。5人の出会いは偶然だろう。だがこうまで歯車がかみ合う今を見ればこれがあながち偶然ではなく、運命によって導かれたとも思えてしまう。


「『この世に生きる者の運命が宇宙や時空を作っている』・・・以前に母さんが教えてくれたこの世の真理って言葉がある。オレたちの出会いが運命なら、それが今の状況を作り出しているという感じだな」


周人はそう言うとお茶を一口すする。いまいち難しかったせいか苦々しい表情を見せる十牙以外の3人はどこか納得したような顔をしてみせた。この5人が運命の導きで出会い、友となったことが『四天王』と戦う環境を作り出したと思えるからだ。偶然ではなく必然の出会いがこの戦いの終局に向けての道筋を作り上げたと思える。でなければこの相手に対してこうまで個人個人の能力に一致した相手と巡り合えた説明がつかない。それこそ偶然かもしれないが、これもまた必然であったならばこれほど奇妙で面白い話はないのだ。


「2週間後の夜、夜十時・・・決戦はそこだ」


「少しでも強くなるように努力しないと、今度は負けたら本当に命を落としちゃうからね」


誠の言葉に全員がうなずく。敗北が即座に死に繋がる戦いなど経験がない5人にとって、まずその恐怖に打ち勝つ強靭な精神力が必要となる。そのために誠と純はある決意を胸にし、十牙はより高みを目指すことを自分に誓うのだが、哲生の表情だけは硬かった。周人はそんな哲生のことが気になりつつも、仇であり、最強無敵の存在である『キング』との戦いに向けて自らの心を鍛えようと自分自身に誓いを立てるのだった。

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