再生する魂(6)
「笑ってる・・・」
純のつぶやきは目の前にいる2人が信じられないといった風な言い方だった。あれだけの攻撃、骨が折れて体の内部に直接響くような打撃を受けながら立ち上がった周人の顔に笑みが浮かんでいる。今まで数多くのケンカや死闘を見てきたが、こんなことはなかった。それに茂樹の強さはこれまでの相手とは全く違ったものであり、戦略も技もないケンカそのものなのだ。神崎のように薬に頼らずともこれだけの強さを持つ茂樹とこうまで戦える周人を凄いと思う反面、どこか羨ましいと思う自分がいた。
「『負の気』が・・・・消えてる」
隣でそうつぶやく声に顔をめぐらせれば、哲生が驚愕に満ちた顔を徐々にほころばせるのが見える。そう言われてみれば周人からあの凄まじい気流のような殺気が消えている。茂樹の闘気に微塵の衰えも無いが、周人の気もまだ健在だ。だが、あの刺々しい殺気はどこにもなく、あるのは闘気、怒気、殺気が入り混じった鬼気と言えるものだ。かなりのダメージを受けているにも関わらずその鬼気は茂樹の闘気と五分五分である。
「シュー・・・もしかしてお前、目覚めたのか?」
震える声でそう言う哲生を横目に、睨み合いながらも笑いあう2人の方へと顔を向けた純は自分も戦いたいという衝動を抑えるのに必死だった。
「あぁ、もうチームとか芳樹のこととかどうでもいい!ただオメェを倒したい!一人の男として、倒したい!」
茂樹は自分の今の気持ちを正直にそう言うと指の骨を豪快な音を立てて鳴らしつつゆっくりと周人へと近づいていった。当初は周人に倒された弟の芳樹によってつけられたチームの汚点を払拭するため、そして芳樹の仇を討つためにこのケンカを始めた。だが今はもうそんなことなどどうでもいい。この強い相手を倒したい、ただその気持ちしか心に無いのだ。
「不思議だ・・・こいつともっと戦いたいと思える。純粋に、何も考えずにただこいつに勝ちたい。こんなに戦うことが楽しいなんてな・・・」
心の中でそうつぶやく周人の口元から笑みが消えることは無かった。体は酷く痛むし吐き気も止まらない。それなのにもっともっと戦いたいという欲求が心を満たしていた。茂樹の拳から感じるのは戦いを楽しんでいるという気持ち。自分を殺そうだの復讐の邪魔をしようといったものではなく、あくまで全力をもって自分を倒したいと言う気持ちだけであった。その気持ちを受けてか、周人もまた恵里への復讐を抜きにしてこの好敵手を倒したいと心から願うようになっていた。一人の武術家としてこの素晴らしい強さを持った男を倒したいと。
「不思議だね、恵里・・・何故かな、今、君をすごく身近に感じるよ」
最愛の人である恵里を失い、自責の念と激しい恨みから復讐に身を焦がしながらもそれを良しとしないというようにこれまで恵里の存在を感じることはなかった。死んだ人間を感じる事などないとわかっていながらも心のどこかで自分のしていることを応援してくれていると勝手に信じて今日まで戦ってきた。そんな自分が復讐を二の次にただ純粋な気持ちで相手を超えたいと戦っている今、恵里の息吹を、存在を、気配をすごく身近に肌で感じ取っていた。まるで今までの復讐にとらわれていた自分を否定するかのように。お互いがお互いを超えたい気持ちを胸にした2人が同時に駆ける。互いが拳を、蹴りを放ち、避け、再度攻撃をする。同じ位置に立ったままですさまじい攻防を繰り広げる2人を見やる者たちはそれを見ているだけで血湧き肉が踊った。そのせいか、数人が興奮を抑えられずに哲生たちに襲い掛かってきたのだが、同じ気持ちを抱えている4人の相手になるはずもなくあっけなく地面に倒れこんだ。だからといってそれに怒った集団と乱戦になることもない。自分たちが戦うよりも周人と茂樹の戦いを見ていたいという欲求の方が強いのだ。そして彼らが目にしているそこにあるのは純粋な魂のぶつかり合い、意地のぶつかり合い、そして戦いを楽しむ心だった。
「動く!体が思った通りに・・・意識しないでも動く!」
気力で速く、もっと速くと意識しながら戦った神崎戦とは違い、今は思うより速く体が反応している。その周人の左腕を茂樹が掴み上げた。恐るべき怪力という握力で骨ごと腕を握り折りにきた茂樹から逃れようと右の拳をわき腹にめり込ませるがとっさに体を宙に浮かされたために踏ん張るべき足が地面に着かずに力が入らない。『天龍昇』ですら受け止めた相手を前に気の抜けたようなパンチでは揺らぐことのない茂樹のその肉体に舌打ちをした周人はみるみる変色していく左手を脱力させながら右手で茂樹のタンクトップを掴んで足を折り曲げるとまるでその場でダッシュをするかのように無数の蹴りを茂樹の顔から腹部にかけて浴びせていった。顔面に受けた打撃で鼻血を垂らしつつも掴んだ腕を放さない茂樹は空いた手で周人の腹部にその大きな拳をめりこませようとしたがその肘を蹴り上げられて不発に終わり、とりあえず左腕を折ることに専念し始めた。よりいっそう軋む腕に苦悶の表情を浮かべた周人は力を込める茂樹の膝に足を置くとそこを地面替わりにして踏ん張り、右拳を茂樹が自分の左腕を掴んでいる上腕にたたきこんだ。その衝撃で一瞬力が抜けたその瞬間に素早く腕を引き抜いた周人はそのまま膝を蹴って茂樹の左側頭部に強烈な蹴りを叩き込む。脳が揺れてぐらつく体を踏ん張りつつも空中に逃れる周人を掴んだ茂樹は力任せに固いコンクリートの地面に背中から叩きつけた。血を吐きつつもなんとか受身を取った周人はそのまま地面を転がって間合いを空けると片膝立ちとなる。顔が伏せられているせいで表情は見えないが口から流れる血がグレーのコンクリートに滴って赤い染みを作り、大きく肩で息をしていることからかなりのダメージを負っていることは誰の目にも明らかだった。だがそんな周人を攻めない茂樹もまた先ほどの蹴りのダメージのせいで脳が揺れたためにバランス能力が低下している上に動けない状態にあった。だがその闘気に微塵の衰えも無い。
「シュー・・・もう限界だな」
闘気を保って立つ茂樹と、鬼気を失って片膝立ちとなって荒い息をしている周人。どう見ても周人のスタミナが限界に達していることから勝ち目がないことが分かる。だが哲生は嬉しかった。たとえ負けかもしれないこの勝負だが、周人の中の『負の気』を消し去り、戦うことの楽しさを思い出させたことは大きな財産となる。だが、そんな哲生が周人を見て恐怖に引きつった顔をしたのはどういうわけか。いや、哲生だけではない。純も十牙も誠も、そしてミレニアムのメンバーも皆恐怖というか、戦慄に表情を強張らせている。全ては周人の全身から発せられている鬼気のせいだ。さっきまで纏っていた鬼気は鋭さこそないとはいえ大きなものであったが、今周人が発している気はそう大きくはないものの鋭い、まるで磨ぎ澄まされた刃物のような状態で茂樹に向けられていた。
「恐ろしいなぁ・・・・生まれて初めてだ、こんなに恐いと思ったのは」
「オレもだよ・・・あんたが恐い」
気流渦巻く凄まじい鬼気を身に纏いながらゆっくりと立ち上がる周人は見たものを戦慄させる笑みを浮かべていた。だがそれは殺意を伴った笑みではない。その証拠に鬼気の中にある殺気は緩やかな風のように揺らめいているのだ。怒気も殺気も風のごとくゆらめき、大きな闘気と混ざり合うことで鋭い鬼気と化している。
「とんでもねぇな、・・・例えるなら、俺が『野獣』なら、お前は『魔獣』だ!」
茂樹の発したその『魔獣』という言葉が波紋のように広がっていく。今目の前で展開された戦い振り、そしてこの鬼気、まさに『魔獣』というべきものにふさわしい。
「ナイスなネーミングだな・・・的を射ている」
どこか嬉しそうな純のその言葉に全員がうなずく。
「けど、これが周人本来の姿なんだね・・・眠っていた、『負の気』が昇華されて目覚めた真の力」
「チッ!せっかく俺がモノにした『無我の領域』で勝てると思ったのによ・・・あいつの方が凄いんじゃ、こりゃダメだな」
珍しく素直に負けを認めた十牙の言葉に哲生は何も言わずにうなずいた。見事なほどに『負の気』を昇華して『無我の領域』を極めた周人の強さは哲生が想像していたものを遥かに超越したものだ。その戦い振りはこれからだが、それはここまでの鬼気を持つ周人に怯えている自分を自覚した上での冷静な判断だった。
「オメェが恐い・・・全身に鳥肌が立ってやがるし、正直震えてる」
背中を伝う冷たい汗を感じながら茂樹は静かにそう言いつつ一歩を踏み出した。闘気に微塵の揺らぎも衰えもないことから今の言葉が嘘のように聞こえてしまうが、恐怖を感じているのは事実だった。だがどうだろう、こうまで怯えている、恐怖を感じているにもかかわらず戦いたいという気持ちに衰えがない。
「オレもだよ・・・あんたが恐い」
こちらもそう言いながら長い前髪の向こうにみなぎる闘志を灯らせた瞳をそのままに、周人もまた逃げ出したい気持ちよりももっと戦いたいという気持ちで胸がいっぱいだった。
「この最高の相手を倒したい」
お互いがお互いにそういう思いを強く抱いた刹那、恐怖が自分の戦う意思をさらに加速させ、それを体現するかのように周人が駆けた。さっきまでボロボロだった体がこうまで動くのかと思える電光の動きはこの戦いにおける最高のスピードをもっていた。震えていた足が戦う意思と同調して前へと進む。恐怖と歓喜が入り混じった笑みをそのままに迎え撃つ茂樹もまたそのスピードを的確に捉えているのだった。目の前で一瞬だけ背中を見せた周人の姿を見た茂樹は攻撃予想地点目掛けてそのごつくて太い腕を振り上げた。筋肉が岩と化して盛り上がる上腕で強烈な蹴りをブロックしつつも自身もあまり得意ではない蹴りを見舞う。風を轟かせながら空気を押しのけるその足を後退して避けた周人は通り過ぎた足を見てから元の位置へと一歩踏み出し、ほぼ同時に左右の足を宙に舞わせた。もはや本能のみで両側頭部を両腕で覆うような格好を取った瞬間にすさまじい衝撃が襲い掛かる。このブロックがなければ脳震盪を起こしていたと思う茂樹はこのギリギリの攻防に背筋が凍りながらも言いがたい快感を得ていた。そして周人が両足を地につけるかつけないかのその隙を狙って本気の、何の手加減もない一撃がその腹部に飛び込んだ。もはや相手が死ぬかもしれないという心の奥底にあるためらいなど存在しない。本気でやらねばこちらがやられるのだ。そういう相手なのだという思いから振り抜かれた一撃は完璧に決まったはずだった。だが自分から見て華奢な周人の腹部は恐ろしく硬い。いかに腹筋を鍛えようにもこうまで硬くなるものなのだろうか。鉄の塊を殴りつけた衝撃を拳に感じながら吹き飛んだ周人が片膝をつきつつ腹部を押さえている様子を見ても致命的ダメージを与えたというような気は全くなかった。どちらかといえば衝撃を逃がすためにインパクトの瞬間に流れに合わせて飛び退いたといった方が適切だろう。周人はとっさながら渾身の気硬化でその衝撃をどうにかやりすごしたが、やはり全てを防ぎきることは不可能だったようで既にダメージを受けている肋骨が鋭く痛んだ。だが今はその痛みすら歓喜に変わる。
「こいつを倒すには圧倒的な打撃しかない・・・かといって『天龍昇』すら耐えるほどの筋肉じゃ・・・」
先ほど完璧に決まりながらもその鋼の筋肉で受け止められた自身最大の必殺技『天龍昇』以外に最大の破壊力を持つ技は無い。かといって小技で攻めてもそう大したダメージを与えられずに反撃を喰らってしまう上にスタミナもそう無い。悩む周人に茂樹が迫り、戦略を練るどこでなくなった周人は自分を掴みに来た茂樹の腕から逃れるように体勢を低くした後、捕まえようと失敗して交差した腕をすり抜ける形で茂樹の体を伝って肩口で一瞬逆立ちした後、素早く背後に着地を決めた。とっさのことに反応の遅れた茂樹が振り返るまでに勝負を決めようと、イチかバチかで右足を茂樹の足下に向けて大きく踏み出し、同時に腕を背中から回すようにして拳という名のボールを投げる態勢に入った。
「無理だ!そいつには通用しない!」
思わずそう叫んだ哲生の声も届かず、周人は振り向く茂樹のわき腹付近にその拳を叩き込んだ。だがやはり両腕の拳を目いっぱいの力で握りしめながら歯を食いしばり、両足を開いて地面を踏みしめた茂樹はその一撃に耐えたものの、先ほど喰らった初撃の『天龍昇』のダメージもあって内臓にいくらかの違和感を持っていた。骨が軋み、折れてはいないもののそれに近い状態かもしれないと思う。そして先ほど同様大技を出し切って動きを止めるだろう周人に渾身の一撃を撃ち放とうとした瞬間、その目が驚きに見開いた。なんと周人は動きを止めることなく踏み込んだ右足をそのままにさっき打ち込んだ右腕を茂樹に突き刺したまま両足と右腕を軸に上体を左に捻るようにしているのだ。と同時に左腕を下から回して背中を通し、頭上から正面に向けて渾身の一撃を見舞う瞬間に右手を離して全く同じ場所にその魂の一撃をめり込ませた。寸分違わぬ場所に、しかも一瞬力を込めるタイミングを失った相乗効果でバキッという豪快な音を響かせて肋骨が折れる。それに加えて内臓が激しく揺さぶられ、その衝撃が脳にまで伝わるその左右連続の『天龍昇』の威力に茂樹は思わず片膝をついてわき腹を押さえると脂汗を流しながらその強烈な痛みに耐えてみせる。右の『天龍昇』の衝撃が消え去る瞬間に放たれた左の『天龍昇』は単発のそれの数倍のパワーを発揮したのだ。しかしどうしたことか、今が最大のチャンスにもかかわらず周人もまた動かない。無理矢理強引に放った左の『天龍昇』の副作用から走る衝撃に左半身の骨が軋み、激痛が全身を駆け抜けていた。特に茂樹に握りつぶされそうになっていた左腕のダメージは激しいようで動かすこともできない状態にあった。それでも周人は鬼の形相をしながら右足を大きく振りかぶる。足先から脳天までを駆け巡る痛みに耐えながら渾身の蹴りを茂樹の顔面に向かって振りぬいた。もはや腕を上げる力もないのか、茂樹はモロにそれを顔面に受けながら血と汗、そして唾を撒き散らしながら顔を歪めて首を捻る。ガクッと首を落としたのもつかの間、そこからさらに踏み込んだ周人は自分に残っているありったけの力を込めた右拳を茂樹の側頭部に叩きつけたのだった。脳が打撃で高速に揺れて意識を飛ばしにかかる中、それを踏ん張るように右腕を地面に着いて息を切らす茂樹は歯を剥き出しにして凄惨なる笑みを浮かべ、それを見た周人はもはや余力の無い自分の敗北を認めたのだった。
「・・・・・・俺の負けだぁ・・・・・けど、楽しかったぜ、『魔獣』よぉ」
歯茎まで見えそうなすさまじい笑みを浮かべながらそう言った後、茂樹の巨体がゆっくりと前のめりになった。そのまま地面に倒れ伏した茂樹を信じられないといった目で見やった周人はまるで勝った気がせずに分厚い雲で覆われた夜空を見上げながら大きく息を吐き出した。
「勝負は引き分けだよ・・・けど、楽しかったよ、オレもな」
身体全体が痛むのをどこか心地よく感じながら、自身の変化にも気付かずに仲間の方へと顔を向けた周人はかすかな笑みを見せたのだった。
「おらぁ!総長の仇を討てぇ!」
「こいつらをぶっ殺せぇ!」
茂樹が倒された瞬間こそそれが信じられないという感じでしんと静まり返っていたミレニアムだったが、我に返った者たちが怒号をあげたことによって全員が一斉に血走った目を5人へと向けた。哲生と純はそのままの状態だったが、誠は如意棒を戦闘モードに移行させ、十牙は阿修羅を握りしめる。さっきの周人の戦い振りを見ていたせいで騒いだ血を抑えきれないように自分たちを取り囲む集団を見やる4人の顔には笑みが浮かんでいた。いつ襲い掛かってきてもいいようにしている4人だが、突然後ろの方から声が消えていくのを不思議に思いながらも張っている気を消そうとはしなかった。やがて再びしんと静まり返る集団の中から右腕をギプスで巻いた赤い髪の少年が姿を現し、倒れて動かない茂樹の方へと近づくとそのすぐ脇に膝をついた。
「兄貴・・・」
気を失っているようだが、表情はどこか晴れやかで口元には笑みすら浮かんでいる。そんな兄を見た後、傍に立つ周人を見上げた赤い髪の少年、芳樹はゆっくりと立ち上がるとその目の前に立った。誰もが兄を倒された復讐を開始するものとそれを合図に一気に襲いかかろうとしていたのだが、芳樹はそれをせずにただその場に立ちながら闘気も闘志もみせずにいるのみだった。
「礼を言うよ『ヤンキー狩り』、いや『魔獣』か・・・」
「いいのかよ、自分と兄貴を倒した相手に礼なんか言って」
「兄貴があんなに楽しそうなの、久しぶりだった。きっと満足してると思うよ・・・負けたけどな」
肩をすくめるようにそう言いながらも、芳樹の顔は晴れ晴れとしていた。自分が尊敬し、絶対的存在としている兄が全力を出しても倒せなかった相手に自分が勝てるはずもなかったという思いもあって芳樹は周人に敗れたことを悔しいと思わなかった。しかも自分は全力で戦った上での敗北だ、逆に気持ちがいい。
「勝ったように見えるかもしれないけど、引き分けだよ・・・」
目を閉じてそう言う周人に笑みを見せた芳樹が殺気立つメンバーをどうやってなだめるかを思案しながら振り返った矢先、突然集団を成すその後方で怒号と悲鳴、そしてバイクの爆音が轟いた。
「アルカディアの連中だ!」
その叫びを聞いた芳樹は顔色を変えつつも迎撃を大声で命じた。何がなんやらわからない哲生たちはひとまず周人と芳樹がいる場所まで駆け寄ると事情を聞くのだった。
「俺たちと対立してる『キング』配下のチームだ・・・おそらく張り紙を見て近くに潜んでいやがったんだ・・・クソッ!今日は高木もいないし・・・戦力が足りねぇ」
今の芳樹の話からして周人たちとミレニアムが戦い、互いに消耗したところで一気に攻撃しようとしていたのだろう。だが予想に反したタイマン勝負に計画の変更を余儀なくされたところ、100人を一人で倒せる茂樹が倒されたこと、そして芳樹が怪我をしているこのチャンスを狙って攻撃を仕掛けてきたのだ。しかも暴走族集団アルカディアは『キング』の支配下にあり、ミレニアムに匹敵する戦力を持っていることで有名だった。だが『金色の野獣』こと茂樹の実力に対抗できる者がおらず、ここまで苦汁を舐めさせられてきたのだ。そんな彼らがこの千載一遇のチャンスを逃すはずも無い。総人数の約半分しかいない今のミレニアムに対し、200人全員でやってきたその戦力差に加えて芳樹と茂樹が戦えない状態は痛手に他ならない。もはや成す術なくなし崩し的に乱戦となった周囲を見た芳樹はとりあえず茂樹を安全な場所に運ぶことにした。
「足りるかどうかしらねぇが、戦力ならあるぜ」
そう言うやいなや、まっすぐ茂樹を狙って突っ込んできたバイクにまたがった長い金髪の男の顔面に目にも留まらぬ速さで阿修羅をめりこませる十牙。バイクから剥がれ落ちた男は鼻を折られ、前歯も数本欠落していた。バイクはそのまま転倒しつつ、惰性によって海へと落下した。
「そいつらを倒さないと帰るに帰れないしね」
そう言う誠は如意棒を伸ばして振り回しながら近寄るバイクのタイヤを横殴りにして横転させると素早く短く戻して近づく3人をあっという間に叩き伏せた。
「それに今日は血が騒ぐ」
薄い笑いを浮かべつつ信じられないスピードで駆け出した純はあっという間に集団に紛れてしまった。その後に続いて十牙と誠もバラバラの方向に駆け抜け、凄まじい強さでアルカディアの連中をなぎ倒していった。そんな3人に呆然としながらもすぐに我に返った芳樹は3人が敵ではないと大声を張り上げる。思いも寄らぬ助っ人に戸惑いながらその強さに士気が上がるミレニアムだった。
「シュー、お前はおっさんと一緒に隠れてろ。後はなんとかするから」
「頼む」
「見事だったぜ、連続の天龍昇」
哲生は笑顔でそう言うと周人の肩をポンと叩き、雄たけびを上げつつ集団に飛び込んでいった。そんな様子をポカーンとした様子で見ていた芳樹は痛む体を押して茂樹を担ぎ上げる周人の手助けをしながら近くにあるコンテナ置き場まで行くとコンテナと海との狭い隙間に茂樹を横たえた。こう狭ければそうそう攻撃はできないだろう。
「お前もそこにいろ。ここに来るヤツはオレがなんとかする」
そう言うと周人はコンテナに対して2人がいる場所とは真逆の方向へと移動した。あれほどの戦いを見せた後で何ができるのかと思う芳樹だったが、近づくバイクの男に飛び蹴りを炸裂させる周人を見て恐怖と、そして敬意を持つのだった。
「なんでだ?なんで・・・」
「やらせたくないだけだ、野獣の旦那をな・・・本当に強いんだ、お前の兄貴は。それをこんなことで汚点をつけさせるわけにはいかねぇから」
そう言うと周人は新たにやってきた金属バットの2人組に蹴りと肘を炸裂させた。さすがにさっきのようなキレはもうないものの、それでも小物同然のヤンキーどもが勝てる相手ではない。それにどうやら哲生たちの活躍によってアルカディアの方が押され気味になっているようだ。
「噂以上だ・・・」
『戦慄の魔術師』、『ライトニングイーグル』、『旋風の猛虎』そして『剣王』の強さは『ヤンキー狩り』改め『魔獣』の強さに霞んでいる節があるものの、それでもやはり圧倒的に強いと思い知らされる芳樹は大きな音を立てて唾を飲み込みつつ、いつかはこうなりたいと思える背中を兄茂樹同様に周人に見ていた。やがて爆音を鳴らしながら撤退を始めるアルカディアに対して雄たけびをあげつつ撃退を喜ぶミレニアムは、去り行く集団を見ながらたたずむ4人の強者に敬意を表した。不意を突かれた上に茂樹と芳樹を欠いて動揺するミレニアムがこうも簡単にアルカディアを撃退できたのは一重にこの4人のおかげである。ゆっくりと周人たちのいる方にやってくる4人を睨む者などもはやいるはずもなく、全員が敬意と畏怖をもった目で見つめる中、ようやく目を覚ました茂樹に芳樹を含めた6人が顔を向けた。即座に事情を話した芳樹の言葉にひどく動揺しながらも自力で立ち上がれない茂樹は芳樹の手を借りながらも何とか立ち上がると自分を見つめる周人の肩にポンと手を置いてから哲生たち4人を順に見渡した。
「デッケェ借りができちまったな・・・」
「いや、ほんのお礼だよ」
何もしていない、周人と死闘を繰り広げて敗れただけの自分に何の礼を言うのかわからない茂樹は今の言葉を発した哲生に怪訝な顔をしてみせた。
「ウチの『魔獣』さんに戦う楽しさを思い出させてくれたことへのな」
そう言われた周人は小さく微笑みつつも何も言わず、そんな周人を見た茂樹もまた笑みを見せたのだった。
「よかったら聞かせてくれねぇか?なんで『キング』を追っているのかをよぉ」
そう言われてどうしようか迷った哲生が周人に顔を向ける。純たちも黙って周人を見つめる中、意外なことに周人は自らの口で恋人を殺され、その復讐のために『キング』を追っていることを話した。哲生は周人の心境の変化に嬉しさを感じつつ、この戦いによって『無我の領域』を見出した周人がこのまま殺意による『負の気』を復活させないことを祈る。だがおそらくは心配ないだろう。さっきの茂樹との戦いで殺意ではなく、純粋に相手を超えて倒すことを自覚しているのならばどちらの方が力を発揮できるかがわかっているはずだからだ。
「そうか・・・『ヤンキー狩り』の理由がそれか・・・で、オメェらはその手助けか?」
「まぁ、いろいろあって『ヤンキー狩り』、じゃないな、今日から『魔獣』だったな・・・その手伝いをしてる」
純のその言葉に茂樹はにんまり笑うと折れた肋骨が痛むわき腹を押さえながら支えもなく自力で立つのだった。
「以前に見たときぁ小物だったオメェらがこうまで強くなってるのも納得だ」
アルカディアの連中と戦っている純たちを見ていない茂樹のその言葉だが、それは嘘ではなかった。まだ周人と出会う以前に見かけた時と違い、今の純、誠、十牙は気が張り巡らされ、茂樹が戦いたいと思わせるほどの強さを滲み出しているのだ。
「まぁなんにせよ、デッケェ借りができた。必ず返すからな、オレァ義理固いタチだしよ」
「いらないよ」
「負けた相手に恥の上乗せしてんじゃねぇよ」
怒った口調ながら顔は怒っていなかった。あの死闘を通じてお互いに奇妙な形で心を通わせたからこそ恨みもなければ悔しさもない。
「引き分けだよ・・・オレも動けなかったしな」
死闘の直後に茂樹と芳樹を守ってアルカディアの連中を叩き伏せた男の台詞ではないが、それに関しては誰も何も言わなかった。
「俺と引き分ける程度じゃ『キング』は倒せねぇぞ。だがアレは俺の負けだ・・・それに借りは返す、拒否しようが無駄だぜ」
そう言うと近くにいた丸刈りの男に自分専用の大型バイクを持ってこさせた茂樹は痛むわき腹を気にする素振りを見せずにそのバイクの後部にゆっくりと跨った。折れた骨が内臓を刺激し、その内臓はおろか腹部全体がひどく痛んだ。頭もグラグラして吐き気もある。明らかに改造車とわかるそのド派手なバイクは背もたれが異様に長いのだが、茂樹が座ればそれも普通に見えてくる。その背もたれにぐったりと体を預けるようにした茂樹は丸刈りの男に運転するように命じた。
「そういや名前聞いてなかったな・・・お前らの」
そう言う茂樹がまず顔を向けた哲生から順番に名を名乗り、最後に周人へとその顔が向けられた。
「木戸周人だ」
「覚えた。じゃぁな木戸・・・『キング』を倒せることを祈ってるぜ」
そう言うと口の端を吊り上げて笑みを浮かべる茂樹を乗せ、雷もかすむような爆音を轟かせて勢いよくバイクを走らせた丸刈りの男はどこか緊張した顔をしていた。芳樹は短い髪をしたピアスだらけの男の駆るバイクに便乗しながら軽く片手を挙げて茂樹の後に続いて去っていく。次々と爆音を響かせて走り去るバイクの群れを見ながら、周人は恵里を失って以来の心地いい気分に浸りつつも『キング』に一歩近づいたような気がして気を引き締めるのだった。
「折れた骨が内臓を傷めているだろうに・・・タフな野郎だ」
あれだけの死闘を演じた上に気を失っていた茂樹が自らバイクに跨って去っていったことに苦笑した哲生は横に立つ周人を横目に見ながらついさっきまで身に纏っていたとげとげしい雰囲気が消えていることに充実感を得るのだった。
赤いクレーンの上に立つ葵は最大望遠で周人の姿をモニターしつつ、さっきまでと少し様子が違うことを見抜いていた。先日周人と接触し、『キング』を追う理由を知った葵はそのことに関して誰にも何も話をしていなかい。団結力だけでなく、友達としての気持ちの繋がりが濃い『魔女』同士でもその秘めたる自分の復讐心を話したことはなかった。『キング』に対する激しい憎しみが同じという想いからか、はたまた殺された彼女のために復讐をしている周人の彼女を羨ましいと思ったからかはわからないが、自分の過去を面識の少ない相手に話をしたのは初めてのことだった。
「これで『四天王』が動くわ、確実にね」
「『ヤンキー狩り』がここまでやるとは思ってもみなかったけど・・・あの『野獣』を倒した力は本物だわ、恐れ入る」
緑と桜の言葉に千江美が薄い笑みを見せながらうなずくのを横目に見ながら、ただ1人カメラを装着したままだった葵がうっとおしそうにそれを顔から引き剥がすともう用済みだと言わんばかりに網状になった鉄板の上に捨てるようにして落とすのだった。だがその行為に関して誰も何も言わず、クレーンの操縦席の脇にある簡素なエレベーターに乗り込んだ緑は2人が限界となっている狭く小さなエレベーターに乗り込む桜を確認してから近くにあった赤いレバーを手前に倒す。すると真ん中に空洞があいたような鉄骨が組み合わされた支柱、地上40メートルの高さにある操縦席と地上とを繋ぐその支柱の空洞部分を小さな箱がゆっくりと下りていった。
「けど、途中で何か変わったというか・・・『ヤンキー狩り』が楽しそうに見えたけど気のせいかしらね」
葵に向けてそう言ったのか独り言かはわからないがおそらく後者であろう。普段からほとんどしゃべらない葵に質問をしても答えが返ってくることは少ない。それをよく知っているだけに個性的な4人の間ではそういう各々の性格を知った上での会話がなされ、返事がなくとも苛立つことも気を悪くすることもなかった。
「そうね・・・でも、本当に変わったとしたら、それは脅威になる」
全く期待も予想もしていなかった葵の言葉に千江美は驚いた顔を葵の背中に向けた。相変わらず周人たちがいる方向を見たままの葵が何を思ってそう返事をしたのかはわからない。驚きを隠せない千江美はこと周人に関しては口が軽くなる葵に眉をひそめながら、2人の関係や接点について調べてみたいという欲求を胸に、緑と桜を下ろして戻ってきたエレベーターに乗り込むのだった。
月も星もない雲で覆われた空をネオンや車のライトの輝きが反射をするかのようにその形をくっきりと浮かび上がらせていた。弱々しいながらも昼のような明るさがあり、東京という街が休むことを知らない場所だということをあらためて認識させられる。海を越えた向こうにある素晴らしい夜景を相変わらずの無表情で目にしつつ、周人は夜の東京ばかりを見ていたと何気にそう思っていた。そんなことを考えることなど今までになかったことだ。自身の心境の変化にどこか戸惑いつつも、それが心地いい。
「相手を殺すことだけが復讐じゃぁない、か」
戦いの最中に恵里を感じたことでより強くそう思った周人は自分の中にみなぎったさっきの『気』を思い出していた。神崎との戦いではたとえ自分がどうなろうとも相手をぶちのめすといった感じで気持ちだけが先走り、結果として体がついてこずに無理矢理動かしていた感じがしていた。だが今日は違う。相手を超えたい、倒したいと思う以上にもっと戦っていたいと思ったほどだ。そのせいで体は素直に動き、ダメージを受けようが立ち向かっていく心を持てたのだった。現に今も痛む体がどこか心地いいのだ。
「『キング』を殺したい気持ちはあるけど・・・」
そう心でつぶやきながらあの日、あの公園で遭遇した際のけた違いの迫力、強さを思い出す。復讐に心を奪われて忘れていたあの圧倒的な威圧感、存在感、そして人間とは思えぬ強さ。祖父である鳳命が言った『人類最強』というその存在を前に果たして自分がどこまで戦えるのかと思いを巡らす。
「まずは勝たないとな」
『キング』を殺すという目標がいまや『キング』を倒すという風に変化している心境を悪くないと思いながらも、恵里を殺した罰を、そして何より自分自身の怒りと憎しみをぶつける心はそのまま残っている。だがまずは勝たねば何も始まらないのだ。
「何も考えるな・・・ただ、勝つことだけを考えろ」
復讐心と言う『負の感情』をそのままに穏やかな心を持つ周人は目覚めた自己の真の力を認識することなく、仲間に促されて名残惜しそうにしながらその美しい東京の夜景を背にして歩き出すのだった。




