再生する魂(3)
朝から気温が上がらなかったせいか昼だというのに気温がグッと下がり、今にも雪が降りそうな濃いグレーの雲が空全体を覆っていた。北風が吹きすさぶ校庭では寒さに真っ向から立ち向かう半ズボン姿の陸上部員が汗をかきながらトラックを走っている姿が見え、部活動をしている他の生徒たちの掛け声も完全に閉められている窓越しからも聞こえてきていた。窓際の後ろから3番目の場所が自分の席である純はその声を聞きながら机に肘をついた状態でぼんやりとその寒々しい空を眺めている。先週末に神崎と戦った際に受けたダメージはそう残ってはいないものの、やはりたった2撃でのされたという精神的ダメージが大きいために昨日と今日は何をするのも億劫でぼーっとしている時間が多かった。あっけないほど簡単に気を失って気がつけば病院のベッドの上だったせいか、やられたという気が少ないもののやはり手も足も出ずに倒されたという結果が精神的にウツな気分にさせているのだろう。それにあの怪物神崎を倒したのが周人1人だという事実もまたその気分に拍車をかけていると思える純は、どうすればああも強くなれるのかを頭の中に巡らせてみた。恋人を殺された復讐心があるとはいえ、哲生の言った『負の感情』がそうまでの力を発揮できるのであればそれが間違いだと分かっていながらもその力を欲してしまう。周人への同情もあったにせよ一緒にいればもっと強くなれるのではないか、目標もなくただダラダラと生きていた自分を変えられるのではないかと思って仲間となったわけだが、今ではその心もぐらついてしまっている。哲生は仲間が、戦力が必要だと言ったが今の状況ではそれも必要ないと思えてくる気持ちもあった。滝医院で目覚めた自分たちが一通りの治療を終えて周人がいる病室を見舞った時は、彼は規則正しい寝息をたてながら深い眠りへとついていた。先生の話でも周人の体に相当なガタがきていると聞いたわけだが、それでも1人であの神崎を倒せる力があるのであればもう自分は用済みじゃないかという気持ちにさせられてくるのだ。小さなため息をついた純は窓から机の上へと視線をやりながら目を閉じて頭を振るのだった。
「あれ?まだいたんだ」
その声にハッとした顔を上げた純は教室の前方にあるドアから入ってきた西原さとみの方へと顔を向けながら小さな笑みを浮かべて見せるのだった。
「あぁ・・・帰ってもすることないしな」
「今からそれじゃ、明日からの冬休みは退屈だらけじゃないの?」
「まぁ、そうなるな」
その言葉に自嘲めいた笑みを浮かべる純に近づくさとみはそのまま純の前の席にある椅子を引くとスカートがしわにならないよう気を付けながら丁寧な仕草で腰掛けた。見た目同様落ち着いた清楚な女性の色香を漂わせているさとみは間近で見るとやはり美人である。何故彼女に彼氏がいないのか不思議に思う純だったが、そんなさとみに密かな想いを寄せている純にしてみればそれはそれでラッキーなことだったのだが。だが、だからといって告白する気は毛頭無かった。不良と呼ばれる自分と付き合えば、それは彼女の評価を下げる要因となる上に自分とは釣り合わないと思えるからだ。
「西原は予定いっぱいだろう?」
「ん~、そうでもないよ。私、寒いの苦手だから家にいると思う」
「デートとか、しないわけ?」
「・・・相手もいないのにできるわけないじゃない?」
そう言って微笑みながら首を傾げるようなポーズをとったためにその長い髪が美しい流れを描く形で広がっていくのを見ながらどこか嬉しさを隠せない純だった。
「暇なら、戎君が相手してよ」
「・・・・・俺?」
「私が知ってる『戎』って名前の男子はあなただけよ」
子供っぽい言い方でそう言うさとみだが嫌味には聞こえない。純は思わぬ提案にドギマギしつつも今の言葉の真意を探ろうとさとみをじっと見つめるが、さっきの台詞同様そこには何の感情も見て取れなかった。
「相手はできるけど・・・どこへ行ったらいいかとかわかんないし、どうすりゃいいわけ?」
「行きたい映画があるの。恋愛ものとか平気?」
「・・・まぁ、平気だけど」
本当は恋愛映画など全く興味がなく、派手なアクション系かスリラー系が好きな純だったがさとみとデートができるとあれば嘘もつく。その辺も悟られないように普段の自分を演じながらもどんどん高鳴る胸の鼓動を押さえるのが精一杯だ。
「じゃぁ、決まりね。明日は急すぎるから・・・明後日でもいいかな?」
「いつでもいいぜ、暇してるから」
一瞬周人たちと東京へ繰り出すこともあるかもしれないと頭をよぎったが、いくら哲生の『癒しの気功』による施しを受けたとはいえ今の周人はまだ重傷である。何より打撲と内臓へのダメージが残っているだけに年内の遠征はないとだろうと判断できた純はその日程でOKをするのだった。2人はその後お互いの携帯電話の番号とメールアドレスを交換し、詳細は今晩か明日の晩に打ち合わせることを約束して別れたのだった。小さく手を振りながら教室を後にしたさとみに胸をときめかせつつ、しばらくは無表情を保っていた純は人の気配が全くないことを確認してからニヤけた顔をして机に突っ伏すと嬉しさを噛み殺せずにガッツポーズをとるのだった。一方さとみは昇降口で靴を履き替えながら口元に浮かんだ何ともいえない嬉しそうな笑みを消すことなく、いつもの清楚さはどこへやら飛び上がりそうな勢いで門を駆けて行くのだった。半分冗談で断られると思っての誘いだったのだが、こうもあっさり話が進むとは思っていなかったせいもあってその嬉しさも倍増だ。口元に手を当てて思い出し笑いをするさとみは着ていく服を頭に思い描きながら気持ちは既に明後日へと飛んでいるのだった。
だるいのはいまだにあちこち痛む体のせいか、はたまた終業式のためだけに登校した気持ちのせいか。周人は立っているのもつらい感じで終業式を終え、その後ホームルームが終わるのを待って早々と教室を後にした。恵里のお通夜と葬式の一件以来、女子とは圭子とミカを除いて口をきくことも面と向かって顔を合わせることもなかった。それは女子が周人を避けている上に、恵里の友達を筆頭にして完全に無視を決め込んでいたからだ。その上復讐を始めてからの無愛想、無表情な周人から男子も離れていったせいか、廊下を歩く周人に声をかけるものは誰もいなかった。下駄箱から下履きを取り出し、落とすようにして床に置いて脱いだ上履きを拾いにかかる。だが激しい痛みを伴う腹部のせいで満足に身をかがめることが出来ずに苦悶の表情を浮かべた周人はそれでも上履きを拾い上げて下駄箱にしまうと痛む体を奮い立たせて昇降口を後にした。
「大丈夫?」
不意にそう後ろからそう声をかけられた周人は無表情のまま横に並んだその声の主である圭子の方へと顔を向けた。さっきの昇降口での様子を見ていた圭子は無表情の周人には慣れているせいか何も気にすることなくやや顔色の悪い周人に心配そうな表情を見せた。
「どこか怪我してるんじゃないの?」
「ほっとけよ」
「まぁ、ほっとくけど・・・」
「オレに話かけるとお前まで無視されるぞ」
自分を気遣うその意外な言葉に驚く顔をした圭子はこうして一緒に帰るのも久しぶりなこともあって周人の体を気にしながら歩くペースを遅くするのだった。あの『七武装』の小野による人質事件以来、圭子は周人の復讐に関してそれなりの理解を示していた。確かに最初は馬鹿げたことだとして、それを恵里が望んでいるわけもないとして止めたい気持ちがあったのだが、それは自分の好きな人が死に場所を求めているような気がしていたからだ。だがそんな周人への淡い想いも、その人が変わったような態度によって徐々に薄れていたところ、人質事件を通じ、またそれで出会った誠が少しながら気になっていることもあって以前のように話し掛けることができるのである。それに復讐を通じて得た仲間という存在が復讐を心配する圭子の心を癒している効果もあるだろう。たった1人ではなく、4人の仲間がいれば大丈夫ではないかと思っている圭子は今では周人の復讐を応援しているような気持ちになっているのだった。
「誠とは仲良くやってんのか?」
これまた意外なことに、夏以降周人が他人のことに関心を持つことはなく、特に圭子に関しては邪魔に感じていたようだったのでその言葉には驚いてしまった。
「仲良くって・・・たまぁにメールするぐらいだけど」
それは本当のことだった。あの事件で交換した携帯番号とメールアドレスだったが、結局電話はしたことがなく、メールも月に2、3度すればいい方だ。どういった内容で送ればいいのかもわからなければ誠のことをまだよく知らないためにためらっていることがその一番の理由である。恋というよりは異性に対して臆病な面を見せる圭子の心を表すそのじれったさは何より圭子自身が嫌っている部分であり、コンプレックスに近い部分でもあった。その例外と言える存在が周人であり、悪態をつきあっていたおかげでそう意識せずに仲良くなれたのが幸いだった。それゆえに、気になり始めた誠に対して一歩も踏み出せないことが最近の悩みになりつつある。
「あいつも、お前にメールしようかどうか悩んでたみたいだから、お前からしてやれ」
はっきりいってそれは嘘だ。だが時々圭子について聞いてくる誠の態度から、少なくとも誠が圭子を気にしていることだけはわかった周人はあえてそう嘘をついたのだ。とはいえ、誠が気にしているのはあの人質事件後の圭子の様子であり、最後まで送って行った自分の使命感からきているのもあるだろう。だがそれでもここまで復讐の手助けをしてくれている誠への感謝の気持ちもあってその仲介役を買って出ていたのだった。
「今のあんたが他人を気にするなんて珍しいね・・・そっか、まぁ、そうならしてみるわ」
少しはにかみながらそう言った圭子を無表情のまま見つめる周人の様子に変わりが無いが、その内面の変化を感じ取った圭子は復讐を終えた周人が元の優しい周人に戻れそうな気がして小さな微笑を浮かべて見せるのだった。その後2人は久しぶりに一緒に駅まで向かい、もちろん会話が弾むことがなかったが以前に近い状態で並んで歩いたのだった。
終業式が終わってさっさと帰った周人を気にしつつ、哲生は人気のない学校の廊下を歩いていた。先日神埼との戦いで受けたダメージはもうないといっていいほどの回復を見せているのは自分だけがかなりの軽傷ですんだからだと言えよう。それに純や誠、十牙ほどの精神的ダメージもないのは直接周人の戦い振りを見たからかもしれなかった。確かに周人の強さは圧倒的に増している。だが、それは神崎の余計な一言による怒りの力がそうさせたのだ。その実力差を目の当たりにして失いかけた復讐心、怒り、憎しみがその言葉によって爆発的な復活を見せた結果によるものでしかなく、あれが実力であり常に発揮できる力だとは思えなかったからだ。それを思い返しながら小さなため息をついた哲生は昇降口に続く階段を降りたところである美少女に目を留めたが、いつものような軟派な態度をとることも無く表情もそう変えずに自分の下駄箱へと向かって進むのだった。
「佐々木君!」
美少女は自分の前を無言無反応で通り過ぎることを予想していなかったのか、通り過ぎた哲生をあわてた様子で呼び止めた。学年ナンバーワン美少女として名高く、何より哲生が躍起になって口説き落とそうとしていた江藤美咲はどこかはにかんだ笑みを見せつつ下駄箱の中に収められている下履きに手をかけていた哲生に早足で近寄ると恥ずかしそうにしながらその可愛らしい顔を上げた。学年ナンバーワンと言われるその容姿は伊達ではなく、多くのナンパや告白、モデル等の勧誘を受けている美咲は自分でもイケているという自覚がある。そのせいか自分から人を好きになることはなく、自分に見合う男としか付き合う気もなかったせいか今でもフリーであり、難攻不落の女として有名となっているほどであった。そんな彼女がいつも馴れ馴れしく話し掛けてくる上にあちこちの可愛い女子にも同じことをしている哲生を好ましく思うわけもなく、邪険に扱っていたのだが今日は少し様子が違っている。というのも、ここ2ヶ月ほど哲生は学校でのナンパ行為を行なっていなかった。東京遠征による強敵とのバトルの連続があり、心に余裕を欠いていたのと、自信の『気』を高める努力を常に心がけていたせいもあってそこまで余裕がなかったのがその最たる理由である。今まで自分に寄ってきながらある日突然音沙汰がなくなれば寂しさを感じる上に、ここ最近の哲生は元々美形な顔立ちを鋭くしていたこともあって人気が急上昇していたのだ。何より、恵里の一件で涙を見せなかった周人をなだめ、そんな彼を責めた女子生徒を優しく戒めた彼の株が上がっているのもその要因となっていた。
「何か用?」
いつもであれば鼻の下を伸ばす哲生だが今日はそれもない。今、彼の頭の中にあるのは自分のレベルアップを図ることと今の周人の精神状態が気になっているせいである。逆にそれが美咲の中のプライドを刺激していく。
「あ、うん。冬休み、どこか行かないかなぁって思って」
「つまりデートのお誘い、ってなわけね?」
「・・・・・・まぁ、そうかも」
実に素っ気ない言い方がまたも彼女のプライドを刺激した。この自分がわざわざ誘っているのにその態度は何と思いつつそれを顔に出さないのはさすがだ。
「いいけど。俺、暇だし」
「じゃぁさ、映画でもいいかな?今話題の恋愛映画!」
「ラブラブもんか・・・いいよ」
一瞬何かを考えた風な哲生だが、意外とすんなりOKをした。そのまま話の流れ上携帯の番号とメールアドレスを交換し、2人は一緒に下校することとなった。それなりに会話を弾ませて歩いている2人の背中を遠くに見つつ、暗い表情をしたミカは大きなため息を一つついてからトボトボとした足取りで校門を後にするのだった。
終業式の翌日はまだまだ激しい筋肉痛にさいなまれたせいか1日家でゴロゴロした生活をした周人だったが、それでも基本的な鍛錬は忘れることが無かった。あの神崎を倒せたことに関しては自分でも釈然としていない。確かに完膚なきまでに叩きのめしたわけだが、今となっては無我夢中だったこともあって何をどうやって『雷閃光』に至ったのかはそうはっきりとは覚えていないのだ。恵里を侮辱され、怒りが全身を駆け抜けたまでは鮮明に覚えている。
「あの時の力をいつでも出せれば・・・」
そういう思いを胸に一通りの型を取っていく周人だったが、怪我やダメージだけのせいではないものから来る何かによってその動きに精彩を欠いていた。心と体がうまくかみ合わずに苛立ち、翌日は気分転換にと外へと繰り出した。栄市の北の外れに位置しているガレリアと呼ばれる広大な施設は映画館、ゲームセンター、ボウリング場といったアミューズメント施設の他に室内プールを完備したスポーツジムに温泉といった娯楽施設を持ち、さらにはショッピングモールまである一大エンタテイメントパークとして有名だった。近隣のみならず都心部からも客が訪れているせいもあって休みの日となればかなりの人で賑わいを見せ、絶好のデートスポットとなっているために多くの若者やカップルの姿も多かった。そのせいかどうかはわからないが、巨大な長方形を形取る建物の1階と2階部分を占める数多くの飲食店が混み合う中で、同じ店内でしかも隣り合うのはもはや運命に導かれているとしか思えない。お互い顔見知りでありながら知らん顔をしつつ全く同じ動きでコーヒーを飲んでいるのは哲生と純だった。この店に出入り口は2箇所あり、1つは建物内部から、もう1つは建物に隣接している屋外スペースから階段を上って入ることができるのだ。純とさとみが内部から、そして哲生と美咲が屋外からそれぞれウェイターに案内されたのは全くの同時であり、お互いに驚いた顔をしつつもそれぞれのパートナーにそれを悟られることなく席に着いたはいいが2人掛けのテーブルが隣合っているとなればさらに気まずくなるのも仕方がない。それでも暗黙の了解なのかお互いに目を合わせることもなければ双方を気にする素振りを見せず、2組はそれぞれの会話を楽しんでいた。そんな矢先、これまた偶然にもさとみと美咲がほぼ同時にトイレへと向かったのを幸いと、2人は顔を見合わせて苦笑するとお互いに意味ありげな表情を浮かべて見せた。
「お前さんにしちゃえらく清楚な彼女じゃないか・・・」
「彼女じゃない、同級生だよ・・・おまえこそ中々性格がきつそうな子じゃないか。てっきりあの巨乳の子が彼女だと思ってたぜ」
お互いがお互いをけん制しあうが、そこで一旦間を置くように黙り込んだ。
「周人は?」
「さぁな・・・自宅療養だろう。あの状態じゃ何もできないだろうしな」
「だが、あいつなら行きかねないぞ」
コーヒーの入ったコップを口につけながらそう言う純の言葉にいつに無く真剣な顔をしてみせる哲生は小さなため息をつきつつ純の向こう側にある窓の外へと顔を向けた。
「今のあいつはボロボロだ・・・身も心もな。傍目には強くなってるが、無理矢理精神の力で引っ張り出した力だ、体にかかる負担は相当なものだろう」
顔を戻し、やや視線を落としつつ小さな声でそう言う哲生につられてか、純も険しい表情をしたままコーヒーをすすった。
「けど、ああまで強くなれるのなら・・・俺は・・・俺も・・・・」
「今一緒にいる美人の彼女と付き合いたいっていう心は『正の気』だ。その力は『負の力』よりも大きな力をくれる」
途中で言葉を止めた純の気持ちを察した哲生のその言葉にゆっくりと顔を向けた純は険しい顔をそのままにじっと哲生を見つめつづけた。
「彼女と付き合いたい、キスしたい、抱きたいという欲求は純粋に『死』を乗り越える力になる。その心は正確に体とリンクしてさらなる力をくれるんだ」
哲生はそう言いつつも表情を暗くしていく。そんな哲生を不思議そうに見ながらやはりそんな漠然としたものよりも周人が見せたあの復讐に燃える力を欲しているということを言おうとした矢先、小さなため息をついて再度純を見た哲生は苦笑を口元に見せながらも真剣な顔つきになった。
「愛の反対は憎しみだ・・・守ると約束した人を守れずにその深い愛情が裏返ったのが今のあいつだ。言い換えれば、彼女が生きていて、必ず守るという誓いが変わらずにあったならば、あいつは今よりも強い力を手にしていただろうさ」
「だが、今のあいつは強い」
「偽りの強さだけどな・・・お前は見てないからさ、戦う気力を失ったあいつを」
その言葉に表情を硬くして何かを言いかけた時、さとみが席に戻ってきたために口を閉ざした。哲生もまた美咲が戻ってきたために表情を緩め、一瞬怪訝な顔をした美咲にこの後どうするかを尋ねてその場を誤魔化すようにしたのだった。
近所に出かかるのは知り合いに会いそうで嫌だった周人は残り少ないバイクのガソリンを気にしながら北へと向かっていた。体はまだ気だるく、なかなか元の調子を取り戻せない苛立ちを抱えつつも東京に繰り出す気分にはなれなかった周人は神崎との戦いから少しだけ恐さを覚え始めていた。死すら覚悟して復讐に挑んだのだが、実際死を目前にした時の恐さは今でもはっきりと覚えている。圧倒的強さを誇った神崎ですら『七武装』の1人にすぎず、まだあと4人の怪物を倒さなければ仇敵には届かない。その事実が周人の心に大きな影を落とさせているのだ。気の赴くままにバイクを飛ばし、目に飛び込んできたガレリアへと無意識的に方向を向ける。そのまま駐車場にバイクを止めた周人は当ても無くただブラブラとあちこちをさまよった挙句にファーストフードの店が円を描くようにして並んでいる飲食店フロアの1階へとやってきた。源斗とケンカをして以来小遣いはもらえていない。今では貯金を切り崩してガソリン代を稼いだりしているが、もうそれも底をつきつつあった。それに毎週末のように繰り出している東京への交通費もバカにはならない。仕方なく一番安そうな焼きそばとジュースのセットが売られている店に向かって歩き始めた周人は列に並ぼうとした自分の前に割り込む形でやってきた少女へと怪訝な顔をしてみせたが、すぐにそれは驚きへと変化した。
「久しぶり、というのも変ね」
そう言う少女は無表情な上に高揚のない声をしていた。
「お前は、魔女・・・」
「葵、宮下葵」
周人の言葉を遮るように自らの名前を名乗った葵は相変わらず無表情のまま周人の前から離れるようにして2階へ続くエスカレーターの方へと体を向けた。
「話があるわ」
振り返らずにそう言うとついて来いと言わんばかりにさっさと歩き出す葵にため息をついた周人は黙ってその後へと続いてエスカレーターに乗る。相変わらず振り向きもせずに黙ったままの葵の背中を見つめつつどうして自分がここにいることが分かったのかが疑問だったが、この葵がそれに答えるはずもないだろうとの判断で何も言わずについていくのだった。
先に店を出た純とさとみに遅れること5分、映画が始まる20分前になったために喫茶店を出た哲生と美咲は1つ向こうにある7階建てのアミューズメント施設がある建物へと向かうことにした。今いる飲食店の入った建物は4階建てであり、その3階と4階はショッピングフロアとなっている。まず一通りそこを見てから休憩として入った喫茶店だったのだが、純と会話をしてからの哲生は少し黙りがちになっていた。本来であれば自分が狙っている美咲とのデートなので舞い上がって当然だったのだが、いつになく落ち着いた雰囲気に何故か美咲の方がドキドキしてしまっていた。本来、今日は自己のプライドを満足させるため、最近素っ気ない哲生を再度自分に振り向かせるためのデートなのだったが、学校では見えない紳士的な部分やさりげない優しさもあって次第に本気で振り向かせたいと思い始めていた。
「あれは・・・・シュー?」
美咲との会話もそこそこだった哲生の足がふと止まり、つぶやくその視線の先には肩まで伸びた髪もバサバサなあの『沈黙の魔女』の姿が見て取れた。まさに意外なカップリングだが、あの2人がデートだということなどありえない。無意識的に後を追おうとした哲生だったが、美咲に腕を掴まれて前に進めずにつんのめった。
「ちょっと、佐々木君・・・」
上目遣いにそう言いながら両手で掴んだ哲生の腕を無意識ながら自分の胸に密着させる。普段の哲生であればその行為に目をハートに変えながらより密着させようとあれこれ策を講じたはずだ。だが今の彼は周人と葵のことが気になるあまりその状態にすら気付いていない。外にあるテラス状になったベンチの並ぶ場所へと消えた2人の姿を爪先立ちになりながら追う哲生にムッとした美咲は少し前へと進みかけた哲生を再度引っ張る感じで自慢の胸により強く腕を密着させた。
「佐々木君!」
「え・・・あ・・・・何?」
やはり全く気付いていない哲生に膨れっ面をしながら今度はその腕を引っ張りながら大股で映画館の方へと哲生を引きずるようにして歩き始めた。さすがに仕方がないと思った哲生は憧れの美咲と手を繋いでいるといったことにすら気付かずにさっき2人が消えたドアの方を見ながら美咲に連行されていくのだった。
ベンチはカップルたちで埋め尽くされており、2人が座るべき席はなかった。だが葵はそんな気など最初からないといった風に黒い柵に覆われたテラスの角へと向かうとその柵に手をつきながら建物に囲まれる形で中庭のようになっている小さな公園へと顔を向けた。周人は何も言わずにその横に立つと寒さも感じることなくダウンジャケットのポケットから手を出して公園で遊んでいる小さな女の子を連れた中年男性の方へと視線を落とした。
「何故『キング』を追うの?」
不意にそう問われた周人は何も言わずに横目で葵の顔を見たあと、柵を背にしてそこにもたれるような格好を取りながら分厚い雲がかかったグレーの空を見上げる格好となった。
「何故オレがここだとわかった?」
お互いがお互いに質問を投げる形を取り、沈黙が流れる。少し放れたベンチでは痩せた男に化粧だらけの顔を近づけて昼間から人目もはばからずにキスをする女の姿があったが周人も葵もそちらを向くことは無かった。
「江崎千江美は政府も欲しがる情報源を持った闇のネットワークを持っている。これくらいは簡単ね」
「で、1人でストーカーか」
「私は質問に答えたわ・・・次はあなたよ」
1人と言う言葉に肯定も否定もしない葵だったが、周人はこれが罠だろうが受けて立つ覚悟を持っているために動じることはない。
「知ってどうする?」
「どうもしないわ。ただ個人的に知りたいだけ・・・誰にも言うつもりはない」
はたしてその言葉は真実なのか、周人は一瞬迷いを顔に見せながら小さくため息をつくと葵と同じ向きとなって冷たい風を顔に受けながら分厚いはずの雲間から顔を見せて地上を照らしている神々しい雰囲気を持った二筋の光を見つめた。
「彼女を殺された、その復讐さ」
「『キング』に恋人を殺された人間は多いけれど、ここまでその復讐をした人はいないわね」
「そんなのしるかよ」
「でも、復讐を考える人間はいるわ、あなた以外にもね」
その言葉を聞いた周人はついこの間、神埼と戦う前に聞いた葵のつぶやきを思い出して無表情の顔をそちらへと向けた。葵は前を向いたままじゃれあっている1組のカップルへと視線を落とした後、一瞬だけ怒りをその瞳に宿らせた。
「それが私。あなた同様『キング』に復讐を誓った女よ」
「で、復讐がなんで『四天王』の彼女だ?」
「ヤツに近づく最短の方法だったから」
1つ1つの質問にしか答えない葵だったが別に気になることはない。他人が何をしようが何を考えようが興味がないからだ。葵は視界から消えたカップルから顔を上げるとさっきまで二筋だった光が一筋になったよどんだ空を見つめた。
「彼女は何故、どうやって殺されたの?」
問われた周人は頭の中であの日の光景がフラッシュバックされるのを嫌うかのように葵に対して少し背を向ける感じで斜めになった。そんな周人の方をチラッと見た葵は無表情のまま小さなため息をついた。
「彼女は約束に遅れたオレを迎えに来ようとした途中でヤツに襲われた挙句、心臓が悪かったためにショックで死んだ。そのあとすぐにヤツと遭遇したが逃げられた」
苦々しい表情は葵には見えなかったが、その悔しさ、怒りは十分に伝わっている。普段から人形のように無表情だった葵は少し憂いに満ちた顔を見せながらそっと長いまつげを伏せるようにして視線を落とすのだった。
「私の場合は、彼は逃げたわ・・・私を襲った久我に抵抗することなく、私を置いて自分だけさっさと逃げた。そのあと私は廃ビルの中でヤツに8時間に渡って乱暴された・・・ことが終わり、ヤツは満足そうに出て行ったわ。その3時間後、ビルの解体工事の人に発見された私は子供の産めない体になり、復讐を誓った」
葵は自身の苦く、思い出したくない過去を吐露するとまるで涙を堪えるかのようにグッと下唇を噛み締めた。大まかに話したとはいえやはりつらい過去だ。『キング』によって長時間乱暴された体はボロボロであり、自分を置いて逃げた彼氏への失望感、そして汚されたという思いと絶望感に打ちひしがれて心を失い、ようやく立ち直って復讐を決意したのがその1年後だった。親は世間体を気にするばかりで何のケアもしてくれず、彼氏も汚れたお前は嫌だと言って離れていった。全てを失った自分にあるものは激しく燃える復讐心のみ。まずは見捨てて逃げた挙句にさっさと新しい彼女を作った彼氏に復讐すべく、空手3段の腕前を活かして元彼の全身の骨を折ったのだ。助けを求めるその顔面を踏みしめ、自分がどんなに助けを求めても戻ってこなかった怒りを全て叩きつけた結果、その男は右半身が不髄になる重傷を負った挙句に彼女にも見捨てられたのだった。そして『キング』を追うべく東京に繰り出した葵は偶然ながら『四天王』の1人西原さとるの目に留まり、紆余曲折を経てその彼女である『沈黙の魔女』としての地位を得たのだった。それ以後、何度か『キング』と接触したがその圧倒的な威圧感、隙の無い行動に何も出来ずに終わっていたのだった。特に最大のチャンスであった『魔女』を抱くという行為も何故か葵だけは指名されなかったのだ。そんな葵を羨ましいと桜や緑によく言われたが、葵にしてみれば最大のチャンスも与えられずに歯がゆい思いをしていたのだ。
「けど、ヤツには隙が無い上にいつも私たちとは行動を別にしている・・・復讐できずにイライラしていたそこへあなたたちの噂を聞いたの」
細かい過去の話を一切せずにそう言った葵の言葉にただ黙るだけの周人は同情こそすれかける言葉を持たずにいるのだった。
「あなたが先か、私が先か・・・」
そう言うと手すりから離れた葵は無表情に周人を見つめる。
「私はただ個人的に『キング』を追う理由を知りたかっただけ、誰に言うつもりもないから」
同じように自分を無表情に見つめる周人を見ながらそう言う葵は片手を挙げると周人に背を向けた。
「オレはオレのやり方でヤツを殺す。お前はお前で好きにしろ。ただし、オレの前に立ちふさがるなら・・・女でも容赦はしなからな」
「ご自由に」
振り返ることなくそう言った葵はテラスと建物を繋ぐドアをくぐって出て行ってしまった。そんな葵を振り返りもしない周人は再び手すりに向き直って手を置くと今の会話を頭の中で反復するかのようにしながら視線を落としてしまうのだった。




