再生する魂(2)
「今の報告がマジなら・・・こりゃ動かざるをえないな」
「面倒だが、神崎を倒すほどの実力だ・・・ココまで上がってくる可能性は高いか」
右半分の髪は緑色で肩まであるのだが、左半分の髪はかなり短い上にピンクの色をしていた。左右アンバランスにもほどがあるが、一重で切れ長の目を鋭くさせた男は寒いのか紫色したダウンジャケットの上からさらに赤いコートを身に纏い、首には黄色いマフラーをしていた。新宿にある高層ビルの屋上は大型の給水タンクや発電室があり、小さいながらもヘリポートまで設置されていた。周囲を囲むフェンスも低く、パイプが網の目のように走るそこは一見すればテレビアニメにでてくるような悪の秘密基地のような場所といえよう。全身をカラフルに彩ったその男は茶色いパイプの上に腰掛けながら強く冷たい風を受けながら缶のココアを手に少し震えているようだ。そんな男の目の前には2メートルの高さを持った発電室の壁があり、その上にはかなりのイケメン顔をした短めの髪を茶色に染めた男が座っていて足をブラブラさせながらヘリポートの近くにある避雷針と通信用アンテナが緑と赤の光を明滅させている様をぼんやりと眺めていた。こちらは黒いタートルネックの上から黒いロングコートを着ているだけでそう寒そうではない。そんな対照的な2人の男と三角を描く形でたたずんでいるのは宮下葵である。葵は2人に『ヤンキー狩り』によって神崎が倒されたことを報告しにここへと来たのだ。
「大野木やさとるには俺たちから言っておく・・・お前ら4人はそいつらの情報を集めろ」
「わかった」
そう返事をした葵は2人にさっさと背を向けるとその場を立ち去ろうとした。そんな葵を見て顔を見合わせた2人は苦笑を漏らすとカラフルな格好の男が足下に置かれていた奇妙な物体を手に立ち上がるとその先を去りゆく葵の肩に乗せた。
「おいおい、久しぶりに彼氏に会いたくねぇの?」
その言葉に葵は立ち止まると、顔を少しだけ後ろへ傾けるようにしながら右肩に乗せられた金色の物体、縦長の三角錐を形取る西洋の騎士が持つ槍のようなその切っ先をつまむようにするとそのままゆっくりと振り返る男を見やった。三角錐の底辺中心から伸びた柄の部分を持ったカラフル男へと鋭く冷たい視線を投げた葵はその金色の槍をどけた男を無表情のまま見ているだけだった。
「・・・なんだよ」
その鋭い視線にタジタジとなっている男を見て喉を鳴らすような低い笑い声を上げる頭上の男は、これまた西洋の騎士が持つような豪華な赤い色を基調に金色の細工が施された鞘に収められた剣を手にそこから飛び降りると、槍の男の右肩を叩いてみせるのだった。
「ムダムダ・・・さとるが一週間連続で4人の中学生を犯したことはバレてんだ。そりゃ怒りもするさ。お前も気ぃつけろよ」
「チッ!マジかよ・・・そんなの知ってるってことは千江美の野郎だな」
「俺も桜とは長いことヤってねぇし、ま、また家出女で我慢しようぜ、お互いな」
下卑た会話にウンザリしたのか、葵は踵を返すとさっさとそこから姿を消してしまった。そんな葵に苦笑した槍の男は隣でニタニタ笑っている剣の男を横目で見た後、小さく口の端を吊り上げて醜悪な笑みを見せるのだった。
「まぁ、あいつを抱いても面白くねぇからな・・・無表情だし、感じてるかどうかも今ひとつだ。胸もあんまりないし」
「だろうな。だから『キング』もあいつだけは指名しねぇ」
「楽しくないわな、そりゃ」
「あぁ・・・けど、ほれ、また楽しくなさそうなのが来たぜ」
卑しい笑みを消さない2人が見つめているのは今しがた葵が姿を消した出入り口となっている小さなドアだ。そこが勢いよく開いたかと思うと小さな入り口を破壊しそうなほど窮屈に体をかがめた大男、身長2メートルはあろう金髪の外人が姿を現した。昼間はまだ暖かかったとはいえ、それでも気温は一桁だった。そして深夜である今は0度に近い気温でありながらこの外人は緑色したタンクトップに迷彩カラーのズボンを履き、分厚い底のブーツを履いていた。軍人とおぼしきそのスタイルらしく金髪も短く刈り込んでいる上に筋肉もはちきれんばかりだ。
「お前らが『モンスター』の世話人たちか?」
2人を見下ろす格好でそう言った言葉は英語であった。2人は困ったような顔をしつつも外人を見上げたまま口元の笑みを消すことは無かった。
「英語か・・・・まったくわからんな」
「あぁ、意味不明だ」
どこかバカにしたような口調でそう言うと顔を見合わせて肩をすくめてみせた。そんな仕草を見れば日本語がわからぬ外人も自分がバカにされていることぐらいはわかる。こめかみに青筋を立てた外人は大きな拳をボキボキという音を立てて骨を鳴らすとファイティングポーズをとって見せた。
「あぁ、こりゃ分かりやすい・・・世の中ゼスチャーで伝わるもんだ」
「ゼスチャーじゃなくてボディランゲージだろ?」
「お!お前意外とインテリだな」
殺気立つ外人を前にした会話ではないのだが、男たちはそう言いあうと大声で笑い始めた。そんな2人を見て完全に頭に来たのか、外人は凄まじい闘気を身に纏いながら血走った目を2人へと向けつつ、そこは冷静にすり足で徐々に間合いを詰めた。
「2人合わせて4億の賞金いただきだ!」
英語でそう叫びつつその巨大なハンマーのごとき拳を茶髪の男の顔面めがけて力いっぱい振り下ろした。踏み込んだ足がコンクリートの床を踏み抜くのではないかと思えるほどの勢いで力をひねり出し、目にも止まらぬパンチがまさに高速で茶髪の男の頭を吹き飛ばしたと思える一撃だった。外人にしてもその一撃はパーフェクトであり、その余韻に酔いしれていたほどだった。
「ざぁんねん!惜しかったねぇ」
だがどうだろう、茶髪の男はニヤついた顔をそのままに一歩も動くことなくそこに立っているではないか。さっきと全く変わらぬ態勢に状況が把握できない外人だったが、あることに気付いて眉をひそめた。さっきまで左手に持たれていた鞘に収められた剣が右手に持たれている。いつの間にそれを抜いたのか、確かに鞘は左手に握られたままだが柄の部分とおぼしき物は右手に握られているのだ。柄もあれば鍔もあるのだが、不思議なことに刀身が見えない。持たれている柄の状況からして切っ先が地面に着いていると思った外人がその付近を見ていると、そこには絶対ありえない物が置かれていた。それを見た外人は慌てた様子で自分の右腕を見やり、凄まじい悲鳴を上げる。なんと繰り出したパンチと言うべきか、肘から先が完全に消失しており、さっき見た屋上部分にそこから先が落ちているのだ。落ちた腕は鮮血を溢れさせているが失った肘部分からは不思議なことに血が流れていない。恐る恐る腕を曲げてそこを見れば実に鮮やかに斬り取られているせいか、骨や筋肉組織がみごとなまでに露出している。血の気が引く思いでそこをマジマジ見ていた外人から2人が数歩下がった矢先、突然失われた腕部分から噴水のことく血が舞い上がった。再度絶叫する外人を見て大笑いするのはそれをやってのけたとしか思えない茶髪の男だった。
「お粗末さま」
笑いを終えたその男がガクガク震えている外人の足に向けて刃のない剣を横に振った。一瞬の閃光の後、男の膝がズレ始めたかと思うとブーツだけを残した状態の足と、そこから上の体部分が分離を始める。すね部分を斬られて巨体を支えきれなくなった外人は背中から音を立てて倒れこむと無くなった腕と足の痛みにまたも絶叫を上げた。辺りが血の海に変わっていく中、茶髪の男は光の加減で一瞬だけきらめいた刃を鞘に戻すと血を踏まないように気をつけながらパイプを伝って出口の方へと歩き出した。
「おいおい御手洗・・・こいつどうすんの?」
「大場の好きにしなよ、ご勝手にぃ~」
そう言った茶髪の男、御手洗慈円の言葉に小さなため息をついたカラフルな格好の男、大場圭介は全身を痙攣させて苦しんでいる外人を見下ろす格好を取った。怯えた目で大場を見上げている外人は震える声で『ヘルプ』と何度もつぶやいている。そんな外人に向かって明らかな侮蔑の視線を送る大場は右手に持った金色の槍を胸元まで持ってきた。
「ワタシ、エイゴワカラナ~イ!ソ~リィ~、バイバ~イ!」
日本語英語の発音でそう言った瞬間、持っていた槍を男の顔面目掛けて落下させた。突き刺すわけでもなく、横にした槍をただ単に落としたのだ。もはや避けることもできずに落ちてくるその槍を恐怖に引きつった目で見たのが最後の記憶となってしまった。グシャリという鈍い音の後、失われた手足をビクンと痙攣させた外人はすぐに全く動かなくなってしまったのだ。そんな外人を冷たい目で見下ろしながら言い知れないほど無残につぶれた顔面にめりこみ、さらにはコンクリートにすらヒビを入れているさっき落とした槍を軽々しくひょいと持ち上げると付着した血を払うようにして振り回すと肩に乗せた。
「だてに2億を超す賞金首じゃねぇんだよ、オレたちはな」
もはや原型をとどめていない無残な状態になった外人に唾を吐いた後、大場は靴が血色に染まることすら構わずに血の海と化したそこを歩いて出口へと向かって歩いていくのだった。
幸い一番軽傷だった哲生の癒しの気功のおかげもあってわずか1日で傷も癒えた十牙は自宅から少々離れた場所にある公園に来ていた。怪我といっても主に打撲であったせいか思ったよりも軽傷だったものの、手も足も出ずにやられたことは屈辱でしかない。確かに自分だけでなく純や誠も瞬殺といえる状態で倒されてしまったのだが、そんなことはどうでもよかった。あれだけの強さを持った相手を倒したのが周人であり、しかも誰の力も借りずに1人で倒したという事実が重くのしかかる。出会った頃はほぼ互角だったのに今ではかなり水を空けられてしまっているという現状が腹立たしかった。哲生の言う通り本来使うべきではない『負の気』による怒りの感情が周人の後押しをした結果勝利を得たとは聞かされたが、そうなれば自分も『負の気』を欲してしまうのが正しい心だろう。間違った力だとはいえそこまでの強さを持つのなら自分もと思う十牙だったが、そこまでの『負の感情』を持てないこともまた事実だ。それに同じ『負の気』を持って戦ったとしても、あの神崎を倒すほどの力、恋人を殺された復讐に燃える周人のそれに勝るとは思えない。ならば対極の力であり、哲生が言った無限の力を提供してくれる『正の気』を磨くしかないと決断した十牙はまだ少し重い体を押して愛刀としている木刀をまっすぐに構えると静かに目を閉じて精神を集中させた。現在の時刻は夜の十時であり気温は0度を切っているのではないかと思えるほど身を刺す寒さを伴った風が吹いている。それでも薄い長袖のTシャツにジャージの下を履いただけの十牙は裸足であった。この公園で修行する際は四季を問わず例え雨であろうが雪であろうが、常に裸足でいるのだった。精神を研ぎ澄まし、木刀を持った手にじわじわとした念を送りつづける。周人に勝ちたい、超えたいという想いの全てを手を通して木刀へと注いでいった。徐々に熱くなっていく手の感触を感じた瞬間、十牙の剣が軽やかに空を切り裂く。縦に横に、斜めに振られ、そして目にも留まらぬ突きが炸裂する。目の前に周人を見立てて一心不乱に木刀を振りつづける十牙はこの寒い中汗をかいていた。決して休むことなく30分間木刀を振りつづけた十牙の腕から汗が飛び散る。やがてゆっくりと動きを止めた十牙は少し振りかぶるような状態でゆっくりとした深呼吸を開始した。そのままそっと目を閉じるとそこに周人の姿を思い描く。闘志、殺気を剥き出しにした周人がゆっくりと構えを取る中、十牙は今までで一番の念を木刀に込め、その渾身の一撃を見舞うために一歩踏み出した。風に舞う落ち葉が振り下ろされた一刀と重なる。そしてその一撃が通り過ぎた後、なんと1つだった葉が綺麗に2つとなって風に乗ってヒラヒラと土の地面に落ちていったのだった。
「すごっ!」
突然背後から聞こえてきた女の声にあわてた様子で振り返る十牙が目にした人物は赤いダッフルコートに白いマフラー、そしてグレーの手袋をはめた同級生の藤川千里の姿だった。予想もしなかった人物の登場に激しく驚く十牙に向かってタオルを差し出した千里は普段にはない可愛らしい笑顔を見せている。思わず可愛いと思ってしまった十牙はそれを悟られまいとひったくるようにタオルを取ると、顔を流れる汗を拭きながらドキドキしている胸の鼓動を落ち着けるように自分に言い聞かせた。学校でもやかましいタイプの千里は人見知りをしないために男女を問わずに人気があり、しかも男女を問わずに友達も多かった。実際不良というレッテル貼られながらも、いや、実際に不良なのだが、成績は優秀な誠が千里と友達になったせいで中学の時からコンビを組んでいる十牙も自然と親しくなったのだが、この手のタイプがどうも苦手なせいか千里を意識したりすることはなかった。顔を見れば嫌味や小言しか言わず、そのくせなにかと口を出してくる性格も自分と合っているとは思っていない。そんな千里を疎ましく思うせいか邪険に扱う十牙だったが、千里はそんな態度をまったく気にすることなく、逆に馴れ馴れしいほどに話し掛けたり一緒に帰ろうと声をかけたりしていたのだった。普段がそんな状態である十牙は今の自分のドキドキが不思議でならない。とりあえず練習を一旦中断した十牙は千里がくれた自宅から持ってきていたタオルを置いていた木で出来たベンチに腰掛けると体が冷えないようにとこれまた持ってきていたダウンジャケットを羽織り、ちょこんと横に座る千里をチラッと横目で見やった。
「こんな時間に出歩いていたら、いくらお前が空手2段でも襲われるぞ」
千里の空手の腕前は学校はおろか周り近所でも有名である。というのも、近所に出没していた痴漢が千里を襲った際に見るも無残なほどにこてんぱんにやられたためだ。警察から感謝状が出たものの、やりすぎで注意されたというのも有名なエピソードだ。
「あれれ?私を心配してくれてんの?」
「バカヤロ!違うわい!」
ただ単に悪態をついた自分の言葉に対してそう返されてはようやく落ち着けたさっきのドキドキが復活してしまう。いつになく調子が狂う十牙は止まらないそのドキドキに苛立ちを感じ始めていた。
「私の家、そこ」
そう言って背後にある公園沿いのマンションを指差した千里につられて十牙もそこを見上げて見せた。少し古めの12階建てのマンションの8階か9階付近を指差していた千里はおもむろにコートのポケットから温かい缶コーヒーを取り出して十牙に差し出した。
「・・・・いらねぇよ」
素直にありがとうとは絶対に言わない十牙を知っているだけに、千里は何も言わずに再度コーヒーを持った腕を突き出すようにしてうだうだ言わずにさっさと受け取れといった風にした。さすがにそうされては断れない十牙は缶を受け取ると、珍しく素直にありがとうと言うのだった。そんな十牙にはにかんだような、普段の悪態をつく千里にはない愛らしい笑顔にまたも調子が狂うせいか、顔が火照るのを感じる十牙は千里から顔を逸らしつつも温かい缶の温もりの中に別の温もりを感じていた。
「ここがあんたの練習場なのは知ってた。毎日朝晩ここで木刀振り回してるの見てたから」
「振り回すって・・・・夜はまぁ、この時間だけどよ、朝は4時過ぎだぞ?」
「最初は変な夢見て目が覚めてそのまま眠れなかったからぼんやり外見てて、んで偶然見つけた。それからたまに見るたびにいるから・・・今ではあんたを見てからもう一眠りするのが日課だね」
「・・・素直に寝てりゃいいもんを」
わざわざ自分を見るために一度早朝に目を覚ましていると聞けば恥ずかしくもなる。特に女性に対して免疫の薄い十牙はあからさまに顔を赤らめるとその照れを隠すようにコーヒーを口にし、そんな十牙を見て嬉しそうに微笑む千里もまたコーヒーと一緒に買っておいたココアを取り出すと栓を開けて口をつけた。
「いつから見てんだ?」
「小学校6年生の時から」
その言葉に先日同様派手にコーヒーを噴出した十牙に露骨に嫌な顔をしてみせた千里だったが、すぐに『しょうがないなぁ』という風に表情を変えてむせ返る十牙の背中を優しくさすってあげた上に持っていたハンカチで口元を拭いてあげる。傍から見れば仲のいいカップルかもしれないが、千里にすれば手のかかる子供を相手にしている感覚だ。しばらくむせていたものの落ち着きを取り戻した十牙は涙目で心配そうな千里を見やった。その表情といい、今まで見せたことのない千里の女性の部分に触れたせいか、やはり妙に意識してしまう。
「小学校って・・・・・」
「だから高校で一緒になった時は嬉しかったし、問題児って知った時はあぁ、やっぱりねって思った」
「悪かったな」
「いえいえ」
目を細めて文句を言う十牙ににこやかな笑顔で返事を返すその態度はいつもの千里と言えよう。だがそんな中にもどこか可愛さを見せている千里にドキドキした胸は止まらない。
「けど、みんなが言うような乱暴者じゃないことは知ってたし、友達になりたかったから、今の関係にはまぁそれなりに満足してるよ」
それなりにとはどういう意味かと思ったが、そこはあえて触れない。
「何を知ってるんだよ・・・自分で言うのもなんだが俺は乱暴者だぜ?」
「でもさ、無意味なケンカしないじゃん。それに捨てられた子犬に傘あげたり、いじめられている小学生にケンカのアドバイスしたりしてるしね」
その言葉に驚きと戸惑い、そして照れが心を埋め尽くしていった。なぜそれを知っているのかが知りたい。確かに雨の日にここで捨てられていた子犬に傘をあげたことはあった。しかしそれは中学の時の帰宅途中であり、後にも先にもただ一度きりだ。しかもその行為を誰にも見られたくなくてしっかりと周囲を確認したはずだ。それにイジメに遭っていた小学生にケンカのアドバイスをした時は休みの日の夕方であり、その時も周りに誰も居なかった。マンションからその様子を見ていたとしても、その小学生がいじめられていたかどうかなどわからないはずだ。
「お前は俺のストーカーか?」
「そうかもね」
素っ気ない返事でココアを飲む千里につられてコーヒーを口にする。栓を開けてから随分時間が経ってしまった上に気温が低いせいか、それはかなり冷たくなっていた。十牙はため息をつくと頭を掻きつつ千里を見れば、やはり寒さからか少し震えている。いくら厚着をしていてもこうじっとしていれば寒さも増すだろう。
「もう帰れ・・・風邪ひくぞ」
「あんたは?」
「もう済んだし、帰る」
本当はもう少し修行をしたかったのだが、そうすれば千里はここで見ていると言い出すのが目に見えているだけにそう言うとタオルを首からかけて木刀を手に立ち上がった。千里も同じように立ち上がると十牙が持っている空になった缶をひったくるとそれをマジマジと見つめ始めた。
「ここに口つけたら間接チューだね」
「・・・お前は変態ストーカーか?」
「そうかも」
そう言ってにんまり笑う千里にげんなりした様子の十牙はどこか調子が狂わされてため息をついた。だが、それも悪くないと思える自分には気付いていない。
「ほら、もうさっさと行け!」
「うん。じゃぁね、また明日!テンも風邪ひくなよ!!」
「・・・・・誰だって?」
「あんた十牙でしょ?十は英語でTEN、だからテン、わかった?」
「わけわかんねぇよ!けど学校では呼ぶなよ」
勝手に付けられた馴れ馴れしいあだ名に疲れた顔を見せる十牙に可愛らしいくすくすとした笑い声をあげる千里は、それは2人だけの時ならば呼んでもいいのだと解釈してにんまりと微笑んだ。そのまま嬉しそうな顔をした千里がバイバイと言いながら小さく手を振る。首を傾げたようなその仕草に図らずも可愛いと思ってしまった十牙はそれを否定するかのようにさっさと背中を向けると気持ち程度片手を挙げてそれに応えた。そんな十牙を見てますます嬉しそうに微笑んだ千里は駆け足でマンションの入り口へと姿を消し、そんな千里の姿を確認してからもまだその場にたたずむ十牙は10分ほどしてから公園を後にするのだった。
「ちゃんと私が家に帰るまでいてくれたね・・・ふふ、あんたが優しい人だって知ってるんだぞ。じゃぁね、おやすみ、テン」
自室の窓から遠ざかる十牙の背中を見つつ、そっと手を振りながらそうつぶやく千里はその背中が完全に見えなくなるまでそこに立って見送ってからベッドの中へと冷えた体を横たえた。温かい毛布と布団の感触に安堵の顔をしつつ、心までもが温かく感じる千里は翌朝もちゃんと早起きをして日課である十牙の朝練を微笑を浮かべながら見つめたのだった。
「おう!どうだ調子は?」
「だいぶ回復したけど・・・精神的に、ちょっとね」
「まぁな」
今時では珍しい方といえるのか、オーソドックスな黒のガクラン姿の十牙と誠がバスを降りて学校へと向かう。ガクランの中にはフリースのタートルネックを着込んでいるせいか、薄着なようでも温かい。昨日の日曜日を挟んで誠と会う十牙だったが、やはり自分と同じように神埼と戦った傷は癒えても精神的なショックからは立ち直れていない誠とそう言いあうと小さなため息をつくのだった。
「やっぱ、全員のレベルアップが必要だね」
「あぁ。けど、ヤツらが本格的に動くのも時間の問題だろ?短期間であそこまでは無理だ」
『七武装』最強の存在である神崎を倒した今、確実に『四天王』が動くだろう。その神崎が『四天王』と互角となれば今のままの実力ではまたも惨敗という結果は目に見えている。はっきりいって自分たちのレベルはどう頑張ってもそこまで到達していないし、かといってそこまで辿り着けるかどうかも疑問だ。
「だからって悲観的になってもしゃぁねぇ・・・地味に修行するすしかねぇのさ」
「あれ、いつになく前向きだね?」
「リベンジのためだ」
素っ気なくそう言う十牙だったが、実際にはもう周人たちに対するリベンジはどうでもよくなっていた。仲間意識がそうさせたのもあるが、今の自分が周人に勝てるとも思えないからだ。それがわかっている誠は苦笑するだけで何も言わなかったが、気持ちは一緒だった。
「おっはようさん!」
「あ、藤川さん、おはよう」
「・・・あ、おう」
2人の間に入る形で元気な挨拶をしてきた千里は制服の上から赤いダッフルコートを着込んでいた。校風としてわりと自由なせいか、服装に関してもそう厳しくはない。そんな姿の千里を見ながらどこか様子のおかしい十牙を見た誠は首を傾げながらもそれを口にはしなかった。
「今日で終業式だけどさ、どうせだったら土曜日で終わりにしてほしかったよね?」
「そうだね・・・このために月曜日に登校ってうっとーしいもんね」
昨夜の千里が嘘のような普段と変わらぬ様子に戸惑いながらもどこか意識してしまう自分にも戸惑う十牙は千里と一切目を合わすことなくただ黙々と歩いていた。そんな十牙をやはりどこかおかしいと感じた誠が話題を振ろうとした刹那、先に千里が十牙に声をかけた。
「テンもさ、やっぱウザイと思う?」
普段と変わりがないはずの会話、だがそこに若干ながら普段と違う部分があったせいで誠だけでなく、十牙もまた表情を凍りつかせた。
「な!お前ここでその名を言うなって・・・」
そう言いかけてからしまったと思った十牙が口を閉ざしたが、既に後の祭りだった。
「テン?テンって?」
「柳生のことだよ。十牙だからテン」
「いつからそうなったの?」
「昨日だよ」
驚く誠に対して実にあっけらかんとそう言った千里の横ではしかめっ面をしながらそっぽを向く十牙が冷や汗をかきながらこの後のフォローをどうするかを悩んでいた。
「・・・・そういう仲だったんだ」
「違うわい!昨日公園で修行してたらこいつが・・・」
「頑張ってるからコーヒー差し入れしただけだよ」
「・・・っ!」
「2人とも・・・・ラブラブじゃん」
薄い目を十牙に向ける誠はやっぱりなという風な言い方でそう口にした。そんな言葉に千里はニヤッとした笑みを十牙へと向けたが、十牙はそっぽを向いたままだった。
「けど、言い方に深い意味はないよ。思いつきでそう言っただけだからさ」
普段と変わらぬ口調、表情でそう言うと千里は2人に小さく手を振ってから反対側の道を歩いている友達の方へと駆け出していくのだった。そんな千里の後ろ姿を見ながらホッとした顔を見せた十牙だったが、意味ありげな笑みを絶やさない誠に向かって睨みつけるような視線を送った後で早足になって先へと進んでいく。そんな十牙を見ながら少し違う感じの笑み、どこか困ったような笑みを浮かべた誠は斜め前を歩く千里を見ながら小さなため息をついた。
「やっぱりというか、藤川もようやくって感じかな」
そうつぶやく声は冷たさという刃をもって身を切り裂きに来る北風に飛ばされ、誰の耳に届くことも無く天に向かって舞い上がるのだった。




