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くもりのち、はれ異伝ー約束の夜へ-  作者: 夏みかん
第3話
18/33

ただ、獣のように・・・(6)

倒れたままの芳樹に駆け寄る2人の少年を背に、周人たちは葵に先導されて高速道路の高架下を歩いていた。ますます交通量も減り、人の気配すら感じない道を照らすのは高速道路上にある黄色いライトが漏らす心ばかりの明かりとあちこちに点在している薄暗い街灯ぐらいしかなく、不気味なほど暗かった。雲が多いせいか天空から降り注ぐ星と月の光も無く、高速道路を走るバスやトラックの走行音だけがいやに響き渡る沈黙の中を歩く6人に会話はなかった。だが、目の前にかなり開けた場所が見え始めた頃、葵の真後ろを歩いていた周人が口を開き、長い沈黙を破ったのだった。


「待っているのは『七武装セブンアームズ』の誰だ?」


高揚の無い冷たい言い方だったが、葵はそんなことを全く気にする様子もなく頭すら動かさずに歩みを進めている。


「行けばわかるわ」


まるで機械のような口調でそう返事をした葵はボロボロになりあちこち穴だらけとなっている錆びて色あせた緑色のフェンスの前でその歩みを止めると一番大きな穴を目にしてそこから中へと進入した。同じようにしてフェンスをくぐったそこは何かの工場だったらしく、汚れて黒くなったコンクリートで出来た大きな建物がいくつも見える。雑草が生い茂る場所を抜けてアスファルトで整備された道を進む葵は大きな2階建ての横長な建物の前まで来たところで不意にその歩みを止めた。何かの施設だった面影こそあれど、壁もボロボロで閉鎖されてから数年が経過しているのが目に見えてわかる。


「この中よ」

「『キング』はいないんだな?」


答えずに壊れて傾いた特殊ガラスの自動ドアの横に立った葵は周人たちを順に見渡してからそのままの状態でぼうっとした顔を雲に覆われている夜空へと向けた。答える意思がないとしか思えないその態度に舌打ちをした周人がそのドアをくぐろうとした矢先、冷たい目で周人を見つめながら葵は小さな声で言葉を発した。


「『キング』を殺すのは私よ。あなたじゃないわ」

「なに?」


『キング四天王』の彼女であり『沈黙の魔女』と呼ばれている葵が『キング』を殺すと言った意味がわからない周人が怪訝な顔をしつつも葵を睨みつけた瞬間、建物の中のやや中央に位置している大きな階段から靴音が聞こえてきたために自然とそっちへと目をやった。


「葵・・・遊んでないでゲストを招き入れろよ」


ゆっくりとした足取りの中、薄暗い状態で突然現れたその男の方へと目をやる周人だが、暗くてよく見えないために目を細めながら建物の中に立ち入った。次いで4人が中に入ると最後に葵が中に入って周人たちを追い抜いて階段を降りきった男の方へと歩いていった。


「見届けろと言われてるわ」


埃でまみれた階段だがお構いなしに腰掛けた葵は気だるそうにしながら緊張感がありありの周人たちへと目をやった。ようやく目が暗さに慣れてきたのと、雲間から月明かりが漏れたせいで男の姿がはっきりと確認できた5人はその異様なまでの姿に言葉を失った。革のズボンに重そうなブーツを履いた下半身はまだ普通だ。異様なのは上半身。革のジャンパーの下には何も着ておらず、かなり鍛えられているとわかる筋肉質な肌を露出している。その肌にはドクロのタトゥーが胸から腹にかけて大きく描かれており、またドクロのチョーカーもしていた。そして下唇には銀色のピアスが4つ、耳は縁を形取るほど色とりどりの多くのピアスで埋め尽くされているのだ。長く伸びた髪は黒く、顔には水中眼鏡を思わせるバイク用とおぼしきゴーグルをつけているのだった。だが体自体はそう筋肉質ではなく、周人に近い無駄なぜい肉や筋肉もない締まった体をしているといった感じか。


「噂は聞いてるぜ、『ヤンキー狩り』!」


だらりと下げた手をそのままにニヤつきながらそう言ったドクロの男はポケットからガムを取り出すと口の中に入れてモグモグと噛み始めた。


「お前は?」

「名前なんてどうでもいいさ・・・お前はオレにやられて木っ端ミジンコさんだからな」


大げさな身振りを交えてそう言うと口の端を吊り上げて笑う男はさっき口に入れたばかりのガムをあっさりと吐き捨てると2、3歩進んで歩みを止めた。


「なんとなく、お前に性格が似てるな」


緊張した表情を崩さずにそう言う十牙に対して露骨に嫌な顔をした哲生だったが、この男の底知れない『気』に身震いしそうになるのをグッと堪える。今まで戦ってきた大物は皆『負の気』に満ちていたのだが、この男は違う。『正』と『負』の気が入り乱れて絡み合い、増幅し、それでいて煙のような感じを受けているのだった。


「あー、もうめんどくさいから5人がかりでもいいぜ・・・さっさと終わらせようや」


そう言った男はニヤついた顔をそのままに左右両方のポケットから小さなカプセルを2つ取り出し、それぞれ右手と左手でつまむようにしてみせた。


「来ないからこっちから行っちゃうぞぉ!」


そう言うと赤と青の色をしたカプセルをまとめて口に含むと一気に飲み込む。そして5秒ほどした後、男はブルブルと震え始めたかと思うと悲鳴のような絶叫を上げた。それは苦痛から来たものか、あるいは快楽からきたものか。


「バイナリー麻薬。本気ね、神崎」


それぞれ効用の違う薬を2つ飲むことによって体内で化学反応を起こして新しい薬となるバイナリー薬。その麻薬版を口にした神崎を見た葵のそのつぶやきは誰にも聞こえない。だがその言葉が終わった瞬間、目の前に展開された光景は葵の想像通りのものだった。


神崎と呼ばれた男は突然絶叫を止めた。見た目に変化も無ければ『気』に変化もない。だが、異様な雰囲気を感じた5人が緊張感を増しながら戦闘態勢を取った瞬間、神崎は4メートル近い距離を一瞬で詰めると周人が反応するより早く強烈な膝蹴りを顎に炸裂させた。成す統べなく吹き飛ぶ周人を見て驚く暇もなく、今度は腹部に強烈な拳をめり込ませてきた神崎によって誠が唾を飛ばしながら膝をつけばほぼ同時にすぐ隣にいた十牙の側頭部に強烈な蹴りを見舞った。まさに電光石火、武器を振るうこともさせずにわずかな、ほんのわずかな一瞬で3人を攻撃した神崎に対して純は驚く暇もなく、スピードでは圧倒的な力を持つ自分すら凌駕した瞬発力で強烈な回し蹴りをその無防備な後頭部に喰らう。その着地の動作のついでとばかりに哲生に飛び蹴りを見舞った。だがさすがにそれは態勢に無理があったらしく、哲生はそれをギリギリでかわすと反撃をしようと神崎の革ジャンを掴み、投げを放ちにかかったのだが投げられながら横顔に拳をめり込ませた神崎は背中から固い床に叩きつけられながらもそこから腹部につま先をめり込ませると言った芸当をやってのけたのだった。哲生の体が崩れていたとはいえそれなりの勢いで床に叩きつけられたはずなのにまるでダメージも無く、5人全員が苦悶のうめきを上げる中、神崎はすっくと立ち上がるとさっきの膝蹴りで吹き飛ばされて特殊ガラスごと外へ飛び出した周人の方へと歩いていった。口から血を流しながらもグラグラ揺れる意識を保とうとした周人に対して無造作に蹴りを放つ神崎。だが無意識的にそれをブロックしたものの、威力に押されてごろごろと地面を転がる周人は焦点の定まらない目をこらして近づいてくる神崎を見上げながらふらつく体を奮い立たせて片膝立ちの状態を取った。そして目の前に立った男に対して拳を突き出す周人だったが、男はそれを蹴り上げて軌道を変えると周人のパーカーの胸元を掴み上げて宙に浮かせながら強烈なパンチを数度腹部にめり込ませた。細身の体のどこにそんなパワーがあるのだろうか。身長も周人とそう変わらないこの男が巨体を誇った小野と同等のパワーを持っているとしか思えない。何度も何度も襲ってくる衝撃に血と唾を吐きながらもなんとか気硬化でその打撃を和らげようとするがダメージで集中力が半減しているためにその威力を相殺できない。神崎は掴んでいた服を無造作に放すと周人が落下するより速く体を回転させると胸の中心に蹴りを炸裂させ、大きく吹き飛ばした。雑草が生い茂った地面を転がる周人は口から大量の血を吐きながらもなんとか起き上がろうと体を動かす。だがはやり体は言うことを聞かず、片足と片手で体を支えて寝転ぶことだけは避けている状態でしかない。


「へぇ・・・『変異種スペシャル』でもないのに、なかなかタフだな」


ニヤついた表情のまま意味不明な単語を口にすると、背後から猛ダッシュで走ってきた純がすぐ後ろまで来ていたことに気付いていたのか、あっさりとその攻撃をかわしながら下から右足を跳ね上げてみぞおちに硬いブーツのつま先を突き刺した。純は口から泡を噴きながら地面に倒れこんで全く動かなくなった。いかにさっきの一撃で動きが鈍っていたとはいえ、あのスピードをかわして反撃した神崎の反射神経は人間というレベルではない。しかも動きが鈍かったとはいえ、ライトニングイーグルと呼ばれる速さと瞬発力を誇る純を超えるとは。


「ライトニング・・・というにはお粗末な速さだよ」


言いながら気を失っている純の頭を踏み潰そうと右足を上げかけた神崎は突然やってきた銀色の棒を掴みあげる。誠が伸ばした時速60キロ近い速度でやってきた如意棒をあっけないほど簡単に、それも片手で掴んだ神崎は10メートルの距離がある如意棒の先にいる誠に向かって意味ありげに微笑んだ。


「そら、飛んで来い」


そう言うや、なんと片手で棒ごと誠の体を持ち上げていくではないか。体重55キロの誠を10メートル先に置いた棒を持ち上げる怪力はオリンピック選手でもいない。そのまま3メートルほど浮かせた誠を勢い良く地面に叩きつけた神崎は衝撃で如意棒を放したそれを使って誠の体に数回叩きつけた。そして如意棒を遠くに放り投げたかと思うと木刀を構えてたたずむ十牙の方にゴーグル越しの視線を向けた。足がガクガクしながらもやや低い態勢を取りながら前へと進む十牙を見ても笑みを消さない神崎は風のごとく一気に間合いを詰めると下から振り上げられた一刀を難なくかわし、まっすぐに拳を突き出す構えを取った。その瞬間、上がった一刀が力任せに振り下ろされて踏み込んでいた神崎の脳天を直撃する、はずだった。だがまたも一刀は空を切り裂き、逆に顎を蹴り上げられた十牙は血を吐きつつ背中から倒れこんで動かなくなった。


「ハッ!惜しかったな」


あっけないほど簡単に3人を倒した神崎が片膝で立つのがやっとの周人を見て邪悪な笑みを浮かべてみせる。そんな神崎を見ながら歯を食いしばる周人はあまりに違う戦闘能力に少しながら怯え始めている自分を奮い立たせるのが精一杯だった。


壊れた自動ドアに手をかけて今の惨状を見ていた哲生はこうまで圧倒的な神崎の強さに戦慄していた。まさかここまでレベルの差が大きいとは思っていなかっただけにショックも大きい。そんな哲生は失った体力とダメージの回復を『気』で行ないつつ、いまだに階段に座ったままぼうっとしている葵を振り仰いだ。


「あいつは何なんだ?本当に『七武装』なのか?」


その質問を受けた葵が目だけを哲生に向ける。その質問は無理も無い。なぜならば今まで戦った3人の『七武装』ははっきり言って強かったがそれでも今の哲生たちのレベルとそう大差がなかったからだ。だがこの男のレベルは常識を遥かに凌駕している。『七武装』でこの実力となればその上を行く『四天王』や『キング』の強さなど想像もできない。自分の考えが甘かったことを痛感した哲生はフラつきながら葵の前に進むとその足下に座り込んだ。


「彼は『七武装』最強の男、神崎京かんざききょう・・・『七武装』でありながらただ1人『四天王』と同等の力を持っている」

「神崎・・・・たしか『麻薬王』とかいう・・・」

「計算違いの強さでしょうけど・・・これがあなたたちがケンカを売った男たちの実力よ」

「じゃぁあいつがさっき飲んだ薬は麻薬か」

「そう。力を増幅させる筋肉増強薬と、反射神経と反応速度を大幅にアップさせる薬を合わせて飲むことで、それぞれの効用に加えて体内で別の成分を発揮して彼を超人的にすることができるの」


いまいちよくわからない説明だったが、薬の力でああも凄まじい能力を発揮できていることは理解できた。しかし、どんな薬を使えばあれだけの反応をし、怪力を持つことができるのだろうか。


「じゃぁ薬を使って『四天王』と同等かよ・・・」

「仕方ないわ・・・『四天王』だって普通の人間じゃないし」

「どういうことだ?」

「呆れたわね・・・そんなことでよく『キング』を追っていたわね」


ため息混じりにそう言う葵に今の言葉の意味を聞こうとした矢先、ガラスが割れる豪快な音をさせながらあちこちから血を流して足下に転がってきた周人の姿を見た哲生はフラつきながらも立ち上がった。


「シュー・・・」


まだ息はあるものの、自動ドアに据え付けられていた特殊ガラスにぶつけられた際に負った傷口から出血しているだけでなく、口と鼻からも血を流している。特殊なガラスを砕くほど強烈に叩きつけられたせいでボロボロになった服から見えている腕は青あざだらけだ。顔も腫れあがり、あの強い意志がこもっていた目にも光は失われている。もはや周人の体から殺気が消え失せ、あの黒いオーラである『負の気』も消えてしまっていた。心が折られてしまったせいか傷のせいかはわからないが哲生が恐れていた事態が今、目の前で起こっているのは明白だ。


「1人足りないと思ってたら、ここでナンパとはな」


そう言われた哲生は両手に気を込めて念を送るが、やはりさっきのダメージのせいか輝く金色の光もどこか鈍い。それでも渾身の気を込めた一撃を神崎の眼前に繰り出すも、あっけなくそれをつかまれて鈍器で殴られたような衝撃が内臓を直撃し、息もままならぬままその場に膝立ちになる。


「終わりっと」


そう言いながら右足をまるでサッカーでいうシュートのような形を取った矢先、背後からその右足を掴まれて少々ながら驚いた顔を背後へと向けた。


「ウザくなってきたな、お前には」


ずっと浮かんでいた笑みが消え、ゴーグルの奥にある切れ長の目が悪しき光をたたえながら自身の右足を掴んでいる周人を睨みつけた。


「オレは・・・・お前を・・・・」


『負の気』を失いながもなお戦おうとするその意思は復讐心からなのか、それとも負けたくないという純粋な気持ちからなのかはわからない。だがどう見ても戦える状態でないだけに勝てる見込みはゼロでしかなかった。


「うるせぇ!」


小さく何かを言いかけた周人ごとボールを蹴るようにして股座をくぐらせ、前へと出た周人の腹部に体重を乗せた拳を落とし込んだ。動きが見えていただけに気硬化をしたが、やはり今の状態では慰め程度の防御力しか発揮しない。血反吐を吐いて痙攣する周人の意識は夢と現実の境界線を行ったり来たりしており、もはや戦う力は残されていなかった。たった一撃すら与えられずに死に直面している今、周人の中の『負の気』は消失して復讐を遂げるために立ち上がろうという気力も失っていた。心の底から勝てないという気持ちが湧きあがるが、だからといってその気持ちを捨てて気力を振り絞り、戦いつづけようという気持ちも浮かんでこなかった。もはや完全に心は折られ、死を待つだけの状態となっている。


「犬飼たちはこんなヤツ相手に何ウダウダやってたんだか・・・大体何なんだ、お前は・・・その程度の実力で『キング』を倒そうとかってさ」


そう言って倒れている周人の胸の上に右足を乗せ、腫れあがった顔を覗き込む仕草を取る。ミキミキという骨が軋む音をさせて痛みが全身を駆け巡る中、まだ折れてはいないのだが戦う意思がない今ではその痛みを堪えようという気力も無かった。


「大方『キング』を倒して名を上げようだの、『キング』に寝取られた女を取り返そうとか、そんな感じだろ?だったら無駄だね。『キング』にヤラれた方がお前とするよりも気持ちよがってたさ、きっとな」


その言葉に無気力だった周人の体がピクリと動く。その反応から今、自分の言った言葉が『キング』を追っている理由だと悟った神埼はまるで天を仰ぐかのように何もない天井を見上げて大声で笑い始めた。


「マジかよ!だったら最悪だなお前。もし女を取り返したとしても『キング』とお前とじゃアレの大きさが違うだろうしなぁ・・・もうお前じゃ満足させられねぇし、女も『キング』とした方が幸せだよ!」


腹を抱えて笑いながらそう叫ぶ神崎が異変を感じたのはそのすぐ後だった。その異変の元凶を見やった神埼は胸の上に乗せられている右足を両手で掴んでいる周人に恐怖を覚えてしまった。まるで悪鬼を思わせる憤怒に満ちた表情で自分を睨みつけている、さっきまで死にかけていた男の見せる表情ではないそれが恐怖を与えているのだ。神崎は掴まれている足を振りほどこうとしたが、周人の手によってがっちりと掴まれているために離れない。どんなに力を込めても全く離れようとはしないのだ。


「なんだ、お前・・・なんなんだ、この力は」

「恵里が・・・幸せだっただと?『キング』にあんな姿にされた恵里が・・・幸せだっただとぉっ!」


失いかけていた戦う意思、復讐心、それが一気に燃え上がる。愛らしい笑顔、まばゆいばかりに神々しかった裸体、それらを踏みにじった『キング』に犯され、殺された恵里が幸せだったと言うその言葉が周人の中にあった消えかけていた心を爆発的に増幅させた。怒りが体を伝わって力となり、一瞬、頭の中に冷たくなった無残な姿の愛しき少女の姿が浮かぶ。


「うがあぁぁぁぁっ!」


獣のごとき絶叫と共に信じられない力で神崎の右足を投げ飛ばし、神崎はその勢いに体ごと飛ばされる形を取ったが、片手を地面について側転しながらすぐに綺麗な着地を決めた。


「なんだ、こいつは・・・」


怒りに、恨みに満ちた悪鬼のごとき表情から分かるように全身から凄まじい怒りのオーラが揺れているのが神崎にも見えていた。幽鬼のようにフラフラと立ち上がった周人はどう見ても戦える状態ではない。ならば今の投げはまさに火事場のバカ力に他ならないだろう。


「最後のあがきか」


そう言うや、神崎は目にもとまらぬ速さの蹴りを周人の顔面目掛けて繰り出す。それは今日見せた中で一番速い蹴りであった。だが、油断も無ければ過信もないその蹴りをかわされれば動揺もしよう。しかも相手はいつ倒れてもおかしくない状態なのだ。そんな状態なのにその相手の右足が信じられない速度で跳ね上がる。目の端にそれを認めた神崎が蹴りの逆方向である右方向にそれを避けながらさらに無意識的に両手でブロックをしにいく。そしてそれは確かにブロックできた。なのに右側頭部走る物凄い衝撃は何だ。一瞬揺れた脳を奮い立たせ、後ろに下がりながら今の状況を分析したが、ありえないこととしか思えなかった。


「左右の足が同時に?」


間髪入れずにやってくる周人の拳をかわし、蹴りを見舞うも避けられて反撃を喰らう。見た目もボロボロのこの男が薬で反射神経と筋力を上げている自分の攻撃を避けて反撃をしてくる、その事実に驚きつつも油断無く攻撃を続けた。しかし、そのいくつかは当たるのだが周人の攻撃を避けることができない。ブロックするのが精一杯なのだ。死にかけた体がこうも動くのかというぐらい、さっきまでの様子が嘘のように高速の攻撃を仕掛けてくる周人に、神崎は生まれて初めて追い詰められた気持ちになるのだった。


顔に、腕に、体に攻撃が当たろうとも前へ出て攻撃の手を休めない。そんな周人を見ながら床に座り込んで腹部を押さえた哲生の背中を冷たい汗が流れていく。


「シュー・・・お前・・・」


声が震えているが、それは激しいダメージを受けたからではない。黒い、いや、もはや黒とはいえないほど漆黒のオーラは建物の天井付近まで届き、戦っている神崎すら覆い尽くすほどに大きくなっていた。もはや体は動ける状態になく、精神でそれを行なっているにすぎない。そしてその精神を生み出しているのが今まで見たこともないほど強大な『負の気』だった。言い換えれば、それは恵里への愛情に他ならない。無残な姿で殺された恵里が幸せだったと言った神崎に対する激しい怒りが周人の中に残っていた『負の気』を爆発させた、それはわかる。だが、だからといってあの神崎とこうまで互角に戦えるものなのだろうか。これほどまでに恵里を愛していたのか。最愛の人を侮辱された怒りがこうまで人を変えてしまうのか。もはや人間ではなくなった友の姿に恐怖する哲生は恵里に対する周人の気持ちを見誤っていたことを後悔していた。今でこうならば『キング』を前にした周人はどうなるのだろう。愛する人を己の快楽のために殺した相手を前にしたとき、周人の意識は人間の状態を保てるのだろうかと思えてくる。


「なんなの、彼・・・なんでああまで戦えるの?」

「愛情・・・・そして憎しみが同居した結果だな・・・けどお前、それでいいのか?シュー・・・お前のその姿を恵里ちゃんが望んでいるなんて思えないよ」


まるで答えになっていないその言葉を聞きながら、葵は何も言わずに神崎と死闘を繰り広げる周人の姿を見つめつづけた。


徐々にだがその変化は現れ始めた。神崎の攻撃が周人に当たらなくなっているのだ。だからといって周人の攻撃が神崎に当たることもない。さっきの蹴りが唯一のヒットであり、ダメージでもあった。


「速く・・・もっと速く動くんだ!もっと、もっと、もっと、もっとだ!」


動かすたびに感じていた苦痛はもうない。願うのはただ一つ、目の前の敵を、恵里を侮辱したこの男を完膚なきまでに叩きのめすことだ。蹴りを蹴りが迎え撃ち、拳をかわして拳を見舞う。一進一退の攻防が続く中、周人の心にあるのは相手より速く動くことだ。速く動いて攻撃を当てることしか頭に無い。


「こいつを倒すには大技しかない・・・けど、モーションの大きい技はダメだ。小さいモーションで大ダメージを与えるしか勝ち目は無い!」


周人が絶対的な信頼をおいている大技、奥義『天龍昇』は威力は抜群だが反面モーションが大きいのが欠点だ。これだけの攻防の中でモーションの大きさは致命的な隙を作ってしまう。


「なら、1つしかないな」


頭に浮かんだ1つの技。相手の攻撃を避けつつカウンターとなる一撃を叩き込めれば勝てる。だが、今の状態ではカウンターのその技もブロックされるだろう。そのためには一瞬だけ隙を作らねばならない。


「速くだ・・・こいつよりも速く動き、一撃を!」


あまりの攻防に精神力とは違って肉体が限界を超え始めており、ダメージを受けている内蔵が揺れて口から血を吐きそうになりながらも攻撃の手を緩めない周人だったが、その全てをブロックされては意味が無い。ただ一発のパンチが決まれば、そう思う周人は避ける行動を止め、その一撃を喰らわせることのみに集中した。


「ハッハー!バカめ!」


周人の攻撃を避けながら見事なフットワークで無数のパンチを浴びせる神埼だったが、これだけの手応えを感じながら倒れようとしない周人に悪寒を感じつつ、必死でそれを否定した。だがその悪寒は恐怖心に変わり、早く周人を倒したいと思ったためにわずかな隙が生じてしまった。本当に小さな、一瞬の動きのズレ。そしてその隙を周人は逃さない。放たれた高速の右ストレートにあわせて真下からのアッパーが周人の顔に直撃した瞬間の伸びきった肘部分に炸裂したのだ。肘が許容範囲を超える反りをみせたせいでミチッという音が拳を通して聞こえてくる。まさに肉を斬らせて骨を断つ。神崎の腕は折れてはいないだろうが筋を痛めたのは明白だ。麻薬の効果でそう痛みは感じないはずの神崎が激痛に顔をゆがめた後、我に返った刹那に周人の左拳が顔面を覆っているゴーグルを直撃した。特殊なガラスを使用したセラミックのゴーグルが顔の骨をきしませ、視神経にもダメージを与える。拳から血を流しながらもその口元に醜悪なまでの笑みを浮かべる周人に対し、神崎は視覚を奪われながらもそれを肌で感じたせいか、いまだかつて感じたことのない恐怖が全身を駆け巡るのが分かった。顔面の痛みに絶叫を上げながらも、それでもそこからパンチを繰り出すなんという精神力か。だがはやりそのパンチに威力は無く、そしてこれこそが周人が待ち望んだカウンターのチャンスだった。パンチにあわせて右足を相手の股下に置き、前傾姿勢をとりつつ人差し指と中指を折り曲げた第二関節を突出させた状態の拳をパンチのごとく相手のわき腹近くに炸裂させた。打撃と同時に拳と同化させた人差し指と中指による段差分の衝撃を与えつつ、両腕ごと一気に内側へと捻るように回転させ、その威力を螺旋状に放出して打撃をアップさせたのだ。さらにそこから折り曲げていた全ての指を弾くようにしてピンと伸ばすことによって肉体に叩き込んだ打撃を間髪入れずに数倍にまで跳ね上げさせた。筋肉というクッションが打撃の一部を吸収する前に次の衝撃を与えた結果アバラが砕ける感触を手に、周人は神崎の口からあふれ出た大量の血を頭から被りつつ、さらにその顎先を残った渾身の力で蹴り上げたのだった。


「ブガハッ!」


声にならないうめき声と共に蹴られた勢いで口に溜まっていた血が飛び出す。地面から足が、いや、体自体が浮き上がり、そのまま背中から一気に地面へと倒れこんだ神崎は体を痙攣させながら白目を剥いて動かなくなった。それを見た周人は神崎の足先に両膝を立てて倒れこむ体を何とか両腕で支えるも、精神力のみで動かしてきた体の反動か、口から血を吐きながら肩で大きく息をするのだった。


「あいつが勝った?」

「みたいだな・・・」


あまり嬉しそうではない哲生を横目で見つつ、葵は倒れている神崎の向こうで息も絶え絶えの周人へと視線を戻した。あれだけの状態から神崎を倒せるはずも無く、本来であれば立場は逆転していたはずだ。だが、結果は周人の勝ちであり、神崎の敗北なのだ。


「とりあえず報告はしておくわ・・・あなたたちが勝ったと」

「いや、あいつが勝ったと言ってくれ。俺ら4人は負けだよ」


老人のようによこっらしょと言いながら立ち上がった哲生のその言葉に黙ってうなずいた葵はもう興味がなくなったのかさっさと背中を向けてしまった。


「もうお帰りか?」

「ええ、うっとおしい連中も来たみたいだし、帰るわ。彼に伝えておいて、聞きたいことがあるから近いうちに会いましょうと」

「聞きたいこと?」


哲生の質問を背中に受けつつもそれを無視してさっさと歩き出した葵はガラスの無い窓から身を翻して外へと出て行った。砂利を踏みしめる音が遠ざかり、やがて聞こえなくなるの。


「玄関から出ないと建物に失礼だぜ」


そう言いながらフラフラした足取りで建物の入り口に立った哲生はこっちへやってくる車のライトに目にして腕でひさしを作るようにしてみせた。いまだに倒れたまま動かない3人を見つつ、周人の様子を見ようと建物内に顔を向けたところ、階段付近で神崎の横で倒れこんでいる周人を見てあわててそちらへと駆け寄ったために車から降りてきた人物、秋田に気付くことは無かった。


「また一つ、前へと進んだようだな」


そのつぶやきは車のエンジン音にかき消された。そして周人たちがいる建物の真向かいにある3階建ての建屋の屋上へと目をやれば、そこには全身を黒で覆った服に暗闇でも昼のような視界を確保できる特殊な暗視ゴーグルをつけた男がこれまた暗闇でもはっきりと写すことができる暗視カメラを手に立ち上がる姿がある。その男に向かってうなずいた秋田は車の運転席に座る秋田よりも年配の男に何かを合図した後、さっきまで死闘が繰り広げられていた建物へと静かに歩いていくのだった。

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