麗爛新聞 十二月号 三面
「じんぐるべーる、じんぐるべーる♪」
どこかたどたどしい歌声を奏でながら、銀髪を揺らしてクリスマスツリーの前を行ったり来たり。
その楽しげな様子を眺めながら、ボクは冷まし終えたスポンジにクリームを塗って行く。
――二人で別々の事をしているのに、目指す場所は同じだと、肌で感じ取れていた。
「すずがー……っ」
「――っ」
彼女がボクを見たせいで――目が合ってしまった。
そのまましばらく見つめ合って、ふいに彼女が視線を外した。
「……すずがー、なるー……」
ぎこちなさが加わった、それでも透明さを失わない歌声が再び耳に溶けて行く。
その旋律に合わせて、クリームを塗ってみる。
――意外とガタガタになってしまったのは、彼女に黙っておいた方が良さそうだった。
今日は十二月二十三日――祝日であり、クリスマスイブの前夜でもある。
学校はお休みで、朝からそわそわと明日の準備をしていたら、何時の間にか夜になってしまっていた。
昼から作り始めていたケーキも、後はイチゴとマジパンを乗せて――生クリームを絞れば――。
「――出来た!!」
「こっちも飾り付け終わったよー」
ボクは顔を上げ、手頃ながらもしっかりと季節感を出している部屋を見渡した。
「おお……凄いそれっぽいです! ありがとうございます、お疲れ様でした」
「天音君もお疲れ様。ケーキ、大変だった?」
楽しそうに首を傾げる先輩に微笑みながら、ボクはホールケーキに緩くラップをかけて冷蔵庫に入れる。
「まあ、少しくたびれました」
――この微妙な関係の同居がもたらした影響はかなり大きかった。
今では、互いに気遣わず、肩肘も張らず。
一言で言ってしまえば、暮らしやすい関係性に発展、或いは衰退していたのだ。
「ふふ、肩揉んであげようか?」
「……それじゃあ、お願いしてもいいですか?」
「任せて♪」
――そんな申し出を断る理由も、抵抗感も無くなっていた程に。
「力加減はどう?」
「んー、もっと強くても大丈夫ですよ」
「わかった……これぐらい?」
「あー……気持ち良いです……」
肩をぐにぐにと揉まれる感触に目を細めながら、ボクは時を刻んで行く時計を眺めた。
――途切れなく、淀みなく、時が流れ続けている。
来たるべき日は――刻一刻と、近付いていた。
「……お疲れ様」
近くから聞こえる勅使河原先輩の労いに、ボクは頭を振って答える。
「いえ、お菓子作りはそこまで苦じゃ……」
「ううん。そっちじゃなくて……麗爛新聞の事」
肩を揉む手が止まると同時に、彼女の『気遣い』を感じ取った。
「――ああ。それこそ苦じゃないですけど……ありがとうございます」
共に過ごす、微妙な空白期間のせいで湧き出た不安を拭い去る。
それが、ボクに課された使命であり、ボクのやりたい事でもあったから。
「大変だったでしょう? マラソン大会で良い所を探すのって」
そう、十二月は初旬に行われたマラソン大会を麗爛新聞で取り上げた。
麗爛のマラソン大会は割とエグい事で有名だった――男子は十キロメートル、女子は七キロメートルのコースを走るのだ。
伝統行事と化しているこの大会ばかりは生徒会の力の及ぶ場所に無く――そもそも生徒会がして来たのは、既にあるイベントを良いモノに変える事が主だったが――生徒達の汗と苦痛に塗れ、死屍累々のゴール地点が完成する運びになったのである。
「ま、まあボク自身も完走するのに必死だったので他の人達の事をとやかく言える立場ではなかったんですけどね……」
「んー、それは違うかなあ」
「……え?」
十キロを走り終え、ゴール地点で目をぐるぐる回して倒れ込んだ彼女が予想外の反応を示した為、ボクは首だけで後ろを見ようとした。
――顔は見えないけれど、いつも通り幻想的な煌びやかの髪が目に入る。
「私は……一緒に苦労して走ったから、その人達が見た光を感じられたんじゃないかな、って思うんだ」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせる様にも聞こえていた。
闇を闇だと、光を光だと。或いはそれらがあべこべに混ざり合った――現実を現実だと思ったから。
――同じ痛みを背負って、寄り添ったから。
「……そうですね」
ここに居るのがボクでなければ……そして、ここに居るのがあなたでなければ。
この未来は、絶対にありえなかった。
ボクには、そんな確信があったのだ。
――――――
――――
――
『~~~♪』
「……すぅ……」
私はパシャパシャと聞こえる水音とハーモニーを奏でる旋律に耳を傾けた。
天音君は、お風呂に入る時に必ず鼻歌を歌っている。
お風呂が好きなのか、それとも鼻歌が好きなのか――はたまた、どちらもが好きなのか。
――私は、そんな事すら知らない。
知らないから――何時までも、現実から目を逸らしている。
手に持ったタオルも、ボタンを外して脱いだシャツも、無意識に手で隠してしまっている、谷間の無い胸にも。
――背中、流そうか?
佐奈だったら……真っ当な女の子だったら迷いなく言えるかもしれない、その一言が言えずに、幾度も躊躇いの吐息を漏らして。
「……はぁ……」
熱くなった頬と、高鳴り過ぎてもうなんだか分からなくなった鼓動も押し隠して、私はまた溜め息を吐いた。
シャツを着直しながら、マラソン大会の苦労なんて比じゃないぐらいにくたびれて。
そうしてまた、何でもないフリをして、お風呂上りの貴方を食卓で待つ。
――意気地なし。
そう、自分でも分かっていた。
どんよりと沈む気持ちのまま、装飾を施した部屋に戻って来た私。
輪繋ぎで彩られた壁と、明かりが灯らなくても眩いクリスマスツリーが出迎えてくれて、クリスマスを感じさせる――。
「――――――」
――同じだと、思ってしまった。
クリスマスも、信仰心の薄い私達からすれば、こうして飾る事で雰囲気を演出する。
私も、このキレイで可愛い洋服があるから、勅使河原華蓮なのであって……。
『――どんな姿でも、先輩は先輩ですよ』
「――ッ!!!!」
言ってくれるだろう……多分、いや、絶対……!!
あの人は――天音翼は優しいから、必ずその言葉を口にする……!!
嬉しいに決まってる。想い人にそう言われて、そう妄想するだけで、頬が綻ばずにいられない。
でも、そんな……出来過ぎた終わりが、訪れると信じられない。
――ああ、そっか。
この違和感は、埋められない距離感は――。
他でもない、この私の不信感が作り上げていたんだ――。
着飾り、誰かにちやほやされて初めて――私は私で居られる。
たくさんの人に背中を押されて、今の私は女の子に触れても一定の条件下でなら、自分を保てる程にはなったけれど。
――出来た事と言えば、たったそれだけなのだ。
先輩風を吹かせて、導いた様に見せかけて。
大好きな人の心に迫る事も拒み、こうして足踏みを繰り返す。
――『自分』の良い所だけを、あなたに見せたくて。
そうしないと。
「――そうしないと、好きでいて貰える自信が無いよ……!!」
中途半端に、人の気持ちが分かってしまうから分かる。
今の彼は、私を好きで居てくれていると思う――でも、勅使河原華蓮として好きなのかは、分からなくて。
――それを聞いてしまうのが、とても怖かったから。
『あなたの女性としての心が……好きですよ』
――そう言われてしまうのが、とても怖かったから。
「……さむい……」
ベランダに出て、星の煌めく黒い寒空に向かって、白い吐息をほうっと吐いた。
あの星の様に、人間がどう足掻いても触れられない場所に『幻想』があったなら。
そんな『ろまんちっく』な事を考えて、自嘲の笑みが零れてしまった。
――手を伸ばした彼、そして近付いた私。
ずっと、女の子として暮らして行くのが、私の夢だった。
格好良い、白馬の王子様の腕に抱かれて――花嫁になる。そんな、誰もが思い付く拙い夢が――私そのものだったのだ。
けれど、何時の間にかそうじゃなくなっていて――。
『遊ぶなら、暗くなる前に遊んでおきましょう』
――夕焼けの中、差し出された手を思い出すだけで、風の冷たさを忘れるくらいに身体が熱くなる。
あんなのズルい。女の子だとか、男の子だとか、そんなもの関係無しに、心臓が暴れ回ってしまうもの。
――やっぱり、私は我儘だ。
あの時から私は――天音君を、天音翼と言う一人の人間として、意識してしまったから。
私は、どこまで行っても私にしかなれないけれど。
――あなたにだけは、私を愛して欲しい。
――勅使河原華蓮を、愛して欲しい。
そう、想う様になってしまった――。
性欲を伴わない愛を抱くのは難しいと知った。
そして――性欲を覚えながら愛を抱く事の切なさを知ってしまった。
身体が欲しいワケじゃないのに、恋しくて。
心が欲しいワケじゃないのに、愛しくて。
――もし、成し得る感情がどちらかだけなら。
「…………」
――考えたくない。考えられない。
いや、違う――私は、それを知る術を持たないのだ。
この道を選んだ私達。後戻りが出来ない――退路は無い――様に見えて、実はある。
――勿論、彼にのみ、だけれど。
私は――この道以外に、生きる道はないけれど。
「――――――」
何も言葉に出来ず、私はあの星の並びに手をかざす。
分かりやすくて、誰にでも見えて。詳しい知識が無くても、トクベツな存在だって分かるあの星座に。
「――オリオン座ですよね」
「……ッ!?」
心を見透かされたのかと思った――違う意味で心臓が跳ね上がってしまった。
「ボクも好きなんです。伝説とかは、ちょっとぐらいしか分からないんですけど……」
お風呂から上がったばかりなのだろう。傍に居るだけで、隣に並んだ彼を見ていないのに、うっすらと湯気が見える。
「……私も。確か、さそり座に刺されたんだよね?」
「……多分」
「…………ふふっ。ごめん、私も、ちょっと適当に言っちゃった」
苦笑混じりの声と、ぼんやりとした会話に、私は思わず笑ってしまった。
こんなに下らない話をしているのに――どうして、ここまで満たされるのだろう。
彼が少しでも離れると不安に感じて、情緒が乱れてしまうのに――。
「明日、クリスマスですね」
「……そうだね。パーティー、楽しみだね」
「……はい」
――ごめん。
私、今……全部分かっていて……わざと、話題を逸らした。
「でも、良かったの? このお家で、パーティーだなんて……」
なんでもなかったフリをして、大切な事を聞いておく。
おばあ様の話通りなら、この家は出来るだけ来客を呼ばず、思い出を守る様に閉鎖していたハズだけれど。
「良いんですよ。折角だし、皆で遠慮なく集まるには、都合の良い部屋ですからね」
そう、今日一日を使って準備をしていたのは、明日の就業式の後に行われるクリスマスパーティーの為だったのだ。
佐奈、マリア、絹糸君、そして私達。いつも通りの顔触れで集まって、ケーキや気持ちばかりのご馳走を食べるぐらいしかしないのだろうけれど。
――だからこそ、少し心配だった。
「……ご家族と一緒に暮らした……大切な部屋なんだよね?」
「…………そっか、祖母から聞いたんですよね」
「……ごめんね」
天音君はバツが悪そうに頬を掻いて、腹を括った様に息を吐いた。
「いえ……だからこそ、楽しむ為に使うべきかなって思ったんです。父も母も笑顔だったのに……ボクが今を笑えない部屋なんて、少し悲しいかなと」
「……今を笑う……か……」
――なんだか、天音君らしい言葉だな、と心の底から思えた気がした。
「天音君、今から聞く事に、『はい』か『いいえ』で答えてくれる?」
「……はい」
そんな彼らしい言葉に釣られて。
「…………私がここに居て、楽しい?」
――自分で逸らしたクセに。
「はい」
臆面も無く答える彼に、一歩だけ詰め寄って。
「……それは、私が近しい立場の先輩だったから?」
――自分で怖がっていたクセに。
「いいえ」
彼の真摯な瞳に吸い寄せられる。
「それは――女の子として?」
――自分で、この弱さに向き合うと決めたから。
「…………」
――何も答えない。彼の腕が、静かに私を抱き寄せた。
寒風に吹かれて、冷えてしまった身体が――とても温かい何かに包まれた気がした。
「…………」
天音君はジッと、腰を抱く私の目を見つめて来る。
――まるで、翠玉の様に深い色。光を閉じ込めた様に煌めくそれは、星の輝きに似ていて。
「…………私のこと……好き……?」
まるで、愛に飢えた獣が温もりを乞う様に。
背中に腕を回して、近くにある彼を、さらに求めた。
「…………はい。勅使河原先輩が……」
「……もっと、近くで聞かせて」
私は天音君の胸に顔を近付ける。
彼は答える様に――耳へと唇を寄せて。
「――好きだよ……華蓮」
――心にも、身体にも近くなった熱い吐息が、冷えた耳をじんわりと溶かして行く。
熱が波の様に身体を伝わって――全身を熱くさせ、寒さを跳ね除けて行った。
「天音君……ううん――翼くんっ……!! 私も……あなたが、大好きっ……!!」
映画館で、叶わない想いを伝えた時から――きっと、もっと前から――バレバレだった恋心。
それでも、口にしたかった。
あなたへの想いを、この場で――あなたの腕に抱かれながら、伝えてみたかったから。
「……遅れてごめん」
――しっかりと、『私』が抱き締められている。
諦めようとした夢、憧れ――希望。
そんな、何処にもないのに――ここにある、幻の様な心に……ただひたすら、手を伸ばしてくれたから。
「……待ってたよ。ずっと、待ってたけど……それでも、迎えに来てくれたから……許してあげる」
背中に回した腕に力を込めて、精一杯、あなたの心に近付こうとした。
――けれど、身体が――心と心が触れるのを、阻み続けている。
「――ありがとう」
それでも、彼が包み込んでくれている。
私の心を――この身体ごと、ぎゅっと、強く――。
「…………ぐすっ……うっ……ううっ……ごめんね……私が……わたしがっ……!!」
溢れ出た謝罪の言葉――きっと、生まれ持った運命を呪った罪深き人の業。
「……大丈夫だよ。ボクは……どんな姿でも、どんな心でも――華蓮の事を、もっと知りたいから」
染み入る赦免の言葉――きっと、死に行く命が背負い切れない、浅ましき人の夢。
「男とか、女とか。正しいとか、正しくないとか――そんな線引き、必要無い。華蓮が自分を我儘だって言うのなら――そんな、我儘な華蓮も……好きになってみせるから」
――言わなくても、欲しい言葉を囁いてくれる。
良い恰好しいで、えっちで、友達想いで、女の子にだらしない。
――良い所も、悪い所も、全部。
――どうしようもないぐらい、大好きになっていた。
「…………うわあああああんっ……!! 好きなの……私の事を知っても……私のそばに、いてくれたあなたが……!!」
――惚れた腫れたの恋話。
いつも、誰かに好かれてばかりで、その気持ちの本当の意味が、分からなかった。
――救われた気分だったのだ。自分は、人を傷付ける事しか出来ないと思っていたから。
悲恋の痛みを与える事しか出来なかった私に。
「……うっ、ぐすっ……人を、好きになるって事が……こんなに辛くて……!!」
あなたを苦しめていると思い込んでいた私に。
「人を好きになるって事が……こんなに、素敵な事だなんて……知らなかった……!!」
この気持ちが、強がりなんかじゃなくて……きちんと良い面を持つと、身をもって教えてくれた、あなたに。
「――ありがとう……!! 本当に……ありがとう……!!」
心からの感謝と、精一杯の気持ちを乗せて。
「…………こちらこそ。華蓮に会えて……本当に良かった」
翼君は私の頬を流れる雫を指でなぞり、星空へ輝きを飛ばして――顔を近付けて来る。
「――――――あっ」
――『ろまんちっく』な彼の行動に、呆気に取られた私は……近寄って来る彼の女の子みたいな顔に、息を呑む事しか出来なくて。
「……誕生日、おめでとう……んっ」
唇に伝わる感触が、夢にまで見た贈り物が、頭を沸騰させて、ドロドロに溶かして行く。
「……んっ、ちゅっ……んうっ…………ふあっ……」
――少し冷えた手が絡み合って、月光に照らされる姿が一つに重なって、また二つに分かれるまで。
ただ、星の煌きを見ながら、夜の様に深い髪色の彼の愛に、応える事しか出来なかった。
麗爛新聞 十二月号 三面 終
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