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麗爛新聞 十一月号 二面

「ふんふん、ふーん♪」


薄手の服では肌寒くなり、佐奈先輩に選んで貰った厚手のパーカーが室内の気温に適していると感じたその日、ボクは部屋の掃除をしていた。


少し古い、かつての流行歌を鼻歌で奏でながら、掃除機を隈なくかけて行く。


他の部分の掃除は終わり、後は上から汚れを落とした床をキレイにするだけの現状……我ながら、かなりキレイにしたと思う。


戸棚の上を擦り、指で埃を弄る姑が居るワケでも無いけれど――最低限、失礼が無い様に。


そう、今日は――。


――ピンポーン。


「……っとと、もうそんな時間か……!!」


約束の時間は夕方の五時と余裕を持っていたハズだけれど、何時の間にか迫って来ていたらしい。ボクは急いで掃除機をしまい、部屋の全体を手早くチェックする。


「……よし。はーい、今出まーす!!」


ボクはバタバタと足音を立てながら、玄関へと向かった。







「すみません、お待たせしま――」


玄関の戸を開くと――そこには、夢の様な光景が広がっていた。


「――――――」


佇んでいるのは、冬支度の赤いコートに身を包んだ銀髪の人――勅使河原華蓮。


それも当然だろう――ボクが彼女を家に招いたのだから。


その傍らに置かれた、オシャレなスーツケースと持ち手からぶら下がる花柄のハンドバッグも。


――全て、ボクが『彼』に、一緒に暮らそうと提案したから持参しているのだ。


――けれど、そこに見えたのは――。


「……天音君、どうしたの?」


――扉の向うに閉じ込められたハズの『彼女』に見えた、様な気がしたけれど……目の前の現実はそのままそびえ立っていて。


「…………いえ、そのコートが素敵だなと思って……先輩に良く似合ってます」


「そうかな? ふふ、天音君がそう言ってくれるのは嬉しいなぁ……実はこれ、お母様に頂いたお気に入りなんだよ」


はにかむ様に頬を掻く勅使河原先輩を見て確信する――。


――完全に閉ざされたと思っていた花園に繋がる道が今、見え隠れし始めていると。








――どう言う理屈なのだろうか。


ボクは事前に仕込みを終え、火にかけている鍋を菜箸で突きながら考えた。


彼女は――マリアさんとの接触で、男を自覚せざるを得なかったのだと思っていたけれど。


「……そう言えば、『彼女』について直接聞いた事は無かったなあ」


それは全て、ボクと佐奈先輩の憶測でしかなかった。


そうやって目を背けて――諦めていたのは、あの時のボク達だったのかもしれない。


「彼女って誰の事?」


ひょこり、とキッチンに顔を出した勅使河原先輩に、二重の意味でドキリとした。


純白のエプロンを身に着け、それが殺人的に似合っていて――一瞬、身体と心が固まって。


まるで心が錆び付いていた様に、ぎこちない視線で先輩を眺めていた。


それが酷く――懐かしく感じて……。


「……ああ、そっか」


……やっと、当たり前の感覚に気付く事が出来たのだ。


ボクは確かに、その事を想い続けていたけれど。


言葉にして伝えていない――そもそも、かつての様に、いつも一緒に居なかったから。


幻想に咲く花を、すぐ近くで守っていた騎士を虜にしたのは誰だ?


意外とやきもち焼きな彼女を孤軍奮闘させ、すぐに抱き寄せられなかったのは誰だ――?








「……天音君?」


おずおずと上目使いでボクを見て来る勅使河原先輩のあどけない顔を見ながら、ボクは自答する。


立ちはだかる赤い閃光に、金色の令嬢に……壊れかけた騎士にかまってばかりだったのは――ボク自身だったのだ。


「……先輩、あの……」


男子としては小さめのボクよりも小柄な体躯と、輝く銀髪を見据えながらボクは問おうとする。


――勅使河原華蓮は――。


「――天音君!!」


「……っ。な、なんですか……?」


先輩はこほん、と咳払いをして、コンロの方を指差した。


「……お料理、焦げちゃいそう。ちょっと匂いが怪しくなって来たもの……」


「え? あ、すみません……っ!!」


ボクは慌てて火を弱め、鍋の底から掬う様にかき混ぜる。


ちょっと焦げ付いてしまった様な感触がある――ボクは溜め息を吐きながら味を整え直した。








「……私も手伝うね。何かやる事ある?」


「え、でも先輩はお客さんですし……」


ボクがそう言うと、勅使河原先輩は拗ねた様に唇を尖らせた。


「むう……一緒に暮らそうって言ったの、天音君なのに……」


自前のエプロンを抓み、『彼女』はいじけている。


誘った時はあんなに驚いていたのに、満更でもなかったのだろうか……いや、そもそも一緒に暮らすだなんて、相当に前向きな姿勢でなければ断るだろう。


――いや、そもそもボクが声を掛けたのは『彼』だった。


にもかかわらず、断らなかったのは……勅使河原先輩の心に――『彼女』に――ボクへの好意が少なからず残っているからと言う事の裏返しで。


「……そう、ですよね。すみません、先輩の前で見栄を張ろうとしちゃいました」


それに関しては、ボクの配慮が圧倒的に足りなかった。


誰よりも女の子らしい彼女が、新妻に憧れないハズが無い。


その気持ちを汲み取れるのは他でも無い、ボクでなければいけなかったのだ。


「あ、ううん、全然……寧ろ、ごめんね……こんな我儘言っちゃって……」


「いえ、気持ちは凄く嬉しいんです!! あの、もう一品作ろうかと思っていたので、そちらをお願い出来ますか?」


「……うん!」


 勅使河原先輩は花が咲いた様に笑顔を浮かべて、大きく頷いた。







「……うん、美味しい」


ボクは小皿で味見をして、満足を頷きで表した。焦げそうになった時はどうなるかと思ったけれど、なんとかなって良かった……。


「こっちも出来たよ。盛り付けるお皿って、どれを使えばいい?」


「あっ、お皿は食器棚にある大皿を使って下さい。下の段に置いてあるので」


「はーい♪」


そんな傍から見たらむず痒くなりそうなやり取りを経て、ボク達は食卓に夕食を並べた。


対面に座る様に着席して、揃って手を合わせる。


「「いただきます」」


揃った声音に、遠い記憶が反響する。




『『『いただきます』』』


『……おいしい!! ナオトのご飯、高級レストランよりずっとおいしい!!』


『そ、そうかな……パティは僕の作る料理を美味しそうに食べるから、作り甲斐があるよ』


『ほらツバサ、カミサマに感謝して食べるのよ。こんな温かいご飯、食べるのが一回だけでも幸せなんだから』




――うん。あの時が幸せだった事、今でも鮮明に思い出せる。


あの思い出が幸せだったって、胸を張って言える。







ボクは先輩が作ったオムレツを箸で裂いて、口に運んだ。


甘辛いひき肉の味と、先輩のアイデアで入れた枝豆の食感が見事に合っている。


それに――。


「……温かい、ですね」


自然と頬が緩むのを、止められなかった。


「そう、かな……でも、天音君の口に合って良かった」


勅使河原先輩は困った様な笑みを浮かべて、ボクが作った肉じゃがを小さな口に食む。


「……うん、美味しい。ちょっと焦げてる所もあるけど……」


「……次は、焦がさないで作りますね」


「本当? ふふ、楽しみだな」


――高校に入ったばかりの頃は、再びこんな風に食卓を囲んで、会話をする様になるとは思わなかった。


勅使河原さんと翠さんが侵入して来たり……先輩をこうして引き込んだり。


……全部、全部。


「……美味しいね、天音君♪」


――この人と、出会えたから。








「――先輩」


先輩がどう思っているかは知らない。


「……なあに?」


でもボクは――お節介だとしても、あなたの願いを叶えたいと思っています。


「……先輩は……勅使河原華蓮と言う人間は……」


あなたをほったらかしにしてしまいましたが……結果として、あなたがずっと気に掛けていた親友を、ボク達の手助け無しでも未来に笑える様に、導く事が出来ました。


「…………」


――だから、今度は――。





「……男性として生きたいのですか? それとも……女性として、生きたいのですか……?」






『ここで――終わりにしようよ。私なんかを想い続けても……それは無駄な時間になってしまうから』


『…………好き……です……!!』


『私みたいな半端モノはお邪魔だったかな……なんて』


あなたはずっと、ずっと――自分の気持ちは伝えるけれど、明確な言葉にしては来なかった。


あなたが、本当に進みたい道。


それだけは……あなたの口から、あなたの言葉で、聞かせて下さい――。








「…………これは、呪いなんだよ」


勅使河原先輩は箸を置き、眠る様に目を閉じた。


「私は……この身体で産まれて、後悔しているワケではないの」


まるで夢現に居る様に、うわ言を呟く。


「だって、父親が居ないのに、お母様が産んで下さったんだもの。この世に生まれ落ちた事が奇跡だって――ううん、そもそも、生きられる命なんてみんな幸せ……そう、思うべきなのに……」


――違う。


「……でもね、私は……我儘だから」


自分の存在を不確かなモノにしなければ、先輩は口にする事が出来ないのだ。


嘘を吐いていないと、キレイ事を言っていないと、自分を保てない。


何故なら――『彼女』は、真実(ホント)ではないから。


「……佐奈みたいに、辛くても生きなければならない人を見たら……救われて欲しいって願ってしまうし」


勅使河原華蓮は、確かに我儘だ。


「……マリアみたいに、抑えているモノを吐き出す事が出来ない人を、自分に精一杯嘘を吐いて、少しでも楽にしてあげたいと思ってしまうし」


相手の気持ちなんて考えず、利己的で、恐ろしく依怙贔屓な所もある。


「……今なんて、自分で吐いた嘘をすっかり忘れて……君の言葉に甘えて……お母様の望みを踏みにじってまで、叶いもしない夢を、見ようとしてしまっている……!!」


こう言う人の事を表す言葉を、ボクはたった一つだけ知っている。




「やっぱり、先輩は――優しいんですね。最初に抱いた印象と今とで、何も変わっていませんよ」




今日初めて、ボクは先輩にその言葉を伝えた。







あのハンカチを差し出された時から、ずっと変わっていないんだ。


確かに最初は、純然たる恋心ではなかったと思うけど。


けれどきっと、恋なんて、どこまで突き詰めても曖昧なモノにしかならなくて。


女の子を見ればドキドキするし、佐奈先輩と何度キスしたか分からない。


セックスこそしていないけど、一緒の布団で寝た事も、お風呂に入った事もあった(全部彼女から仕掛けて来た事ではあったが、断らなかったのはスケベなボクだ)。


そもそも、ボクのファーストキスは男に奪われているワケで。


……ああもう、こうして脱線するから、いつも大切な事に気付けない。


でも、多少の道草も、多分仕方の無い事なのだろう。


それらは言うなれば、人生の一編、一章、一小節。


無意味に見える思い出達の連なりが、確かな『ボク』になっている。


そう、思える様になったのは、ボクが変わったからだろう。


――そして、ボクの人生を変えてくれたのは、あなたが嫌いな『貴方(あなた)』じゃない。


ボクは――あなたが好きな、『貴女(あなた)』が傍に居たから、ここまで変われた――ここまで、来れたんだ。







「……優しくなんてないもん……あむ……」


涙目を伏せて、彼女はご飯を口に運び始める。


今は、どうしても言葉にしたくないらしい。


それは恐らく、先程彼女が口にした言葉が全ての理由なのだろう。


彼女が自分に吐いた『嘘』――一時的に夢を閉ざして、身体に応えたのは――。


――天城マリア。彼女の黒く煤け、ドロドロに溶けてしまった心を救う為に、男を『演じる』必要があった事。


そして今もまだ果たされていない、優しい祈り。


おかしいと思ったのだ――そもそも匂いフェチである彼女が自分の身体を意識する為に必要だった要素は、ボクが独占していたのだから。


だからボク達は、彼女の救出に荒業を使わなかったのかもしれない。


夏でもない季節に、匂いフェチである事も知らないマリアさんが――勅使河原華蓮を落とせるなんて、思いもしなかったから。


ボクと佐奈先輩は知っている。




勅使河原華蓮は、自分が男だと強く認識すると、心が拒絶して『必ず涙を流す』事を。








泣きそうになる――ボクは彼女がそこまで追い詰められた所は見た事が無かったが、佐奈先輩はそれが、彼女の心にとって良くない事だと知っていた。


ただ、そこから涙を流すまでにはかなりの許容範囲があるらしく、『八つ当たり』をしたら少し危ないかも程度、とだけ聞いていて、勅使河原さんからそう言った様子があるとも聞いていなかったのだ。


『いやあ、ここまで引っ張って置いて言うのもアレなんだけど……まあそこまで大した事じゃないんだよね』


勅使河原さんは嘘と本当を入り混ぜて話す話術を使う。そして、本当に大切な事以外は、嘘ばっかりなのだ。


相手に自らの心を悟らせない為に。底知れぬと思わせる為に。


例えそれが自分の『娘』であっても――。


――本当に『息子』の事を考えているなら、ボクに彼女を託さないだろうから。


『買って来たのが男性向けのエロい本って事は、華蓮はフィジカル面でのストレス――即ち欲求不満を抱えていると考えていた』


――そうだ、あの人はストレスと言った後、わざわざ欲求不満に言い換えた。


欲求不満。それは身体もそうだが――心がそれを求めて止まない時も示す。


二人が言う八つ当たりって……もしかして……『どうでもいいと思っている女性の裸体を見る事』だろうか?


しかも、性欲による衝動ではなく――何故自分がそれを見ているのかと、『白ける』為に。


……やっと、勅使河原華蓮にまつわる事象の、全てが繋がった気がした。


長い長い道のりの果てに――彼女を想えたから、ここに辿り着けた。





「……天音君、ご飯、冷めちゃうよ?」


「あ、はい、頂きます。先輩が作ったオムレツ、美味しいです」


「そう? って、さっきこのやり取りしたじゃない」


「あれ、そうでしたっけ?」


「……もう」


おどけたボクを嗜める様に、先輩は溜め息を吐いた。


「…………私は、優しくなんてないから」


唐突に、彼女はそう口にする。


「……そんなの、ボクだってそうです。ずっと、自分がやりたい事をやっているだけですし……助けたいと思ったから、皆の力になろうとして――この世界の、良い部分を伝えて行きたいと思ったんですから」


「――――――」


――そうだとも。


優しいなんて言葉は、たった一つの正しい尺度でしかない。


それこそ、正しくない道を行こうとするボクには無縁なモノなのだ。


彼女が優しくないと、自分で言うのなら――優しいなんて言葉は、何も意味を持たなくなる。


お節介。きっとこれが正しい表現で、それ以上も以下も無い。


――けれど、そんなエゴイズムの押し付けで、世界を良くして行く人が居る。


『……あの、大丈夫?』


人の心を、惹き付ける人が居る。


『……すごい汗。ちょっとじっとしててね……』


ボクはその事を、桜の舞う季節から知っていて。


『これで汗は拭えたかな。はい、もういいよ』


――ずっと、手を伸ばし続けていたのだから。





麗爛新聞 十一月号 二面 終


この記事は三面に続きます。

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