第二章 近衛騎士昇格試験【一】
気がついた範囲で誤字の修正を行いました。内容に変更はありません。
クーズベルク城一階にある一室で、二人の男がテーブル越しに顔を合わせ言葉を交わしている。
一人は口ひげを生やし、茶色がかった髪をオールバックにした中年の男。クーズベルク近衛騎士隊の隊長であるテルス=サランドだ。
もう一人は黒髪黒瞳の男。歳はテルスよりも少し上だろうか。テルスの様に鍛え上げられたと言うわけではないが、それなりに引き締まった身体つきをしている。実際の年齢よりも多少若く見られがちだが、決して軽んじて見られないだけの威厳を持ち合わせている。
アラダブル=ミリオム。それが男の名前であり、獣森の王国クーズベルク国王の肩書きを持つ男だ。
「テルスよ、あの青年をどう思う?」
本日の午前より始まったクーズベルク近衛騎士昇格試験。昼の休みを利用して、アラダブルはテルスに午前までの様子を尋ねていた。
「ルークのことでしょうか?」
アラダブルの問いかけにそう返したテルスだったが、その答えが間違っていないことを確信していた。
試験を受ける為の年齢制限はないが、あまり若いうちからこの試験を受ける者はいない。早い者でも20代半ば辺りから、と言うのが一般的だ。実技試験としての模擬戦闘も、筆記試験のどちらも知識と経験が求められるこの試験では、10代と言う若さは決して有利とは言えない。だからこそ、近衛騎士を目指してはいるが試験に臨むのはある程度歳を重ねると同時に経験も重ねてから。と考える者が多いのだ。
「ああ。クーズベルク史上最年少……剣の腕はある様だが……お主はどう思っている?」
「私見を言わせてもらえば、合格にしてやりたい気持ちはあります。しかし、まだ早いと思うのも事実……後は、試験の結果次第でしょう」
「ふむ、そうだな。結論を急ぐ必要はないか……他には誰か期待出来そうな者はいるのか?」
「そうですね……いえ、単純な戦闘能力で言えばルーク以上の者はいないかと思います。しかし訓練と実戦は違う。その辺りはやはりルークには経験が足りませんので、もっと経験を積んだ者。と言う意味でなら他の全員にも期待は出来るかと」
「なるほど。やはり結果次第と言うことだな」
「そうなりますね」
「では、午後の部を楽しみにするとしよう」
そんな言葉で会話を終え、二人は共に部屋を後にした。
クーズベルク近衛騎士昇格試験。
3年に一度行われるその試験は、初日を実技試験、二日目を筆記試験として二日間行われる。
今回の試験に臨んでいるのは八人。騎士として数年腕を磨いてきた彼らの中でも、ファイの力量は群を抜くものだった。
トーナメントでの模擬戦闘。それが実技試験の内容で、ファイは順調に勝ち上がっていた。
午前中には一回戦を行い、午後に入ってからは準決勝。そして、これから決勝戦が行われようとしている。
「流石だな、ルーク」
「そう言うジーン先輩こそ」
試験が行われているのは、クーズベルクの地下にある騎士や兵士の訓練場だ。一対一の戦闘ならば十分に動き回れるだけの広さはある。
そんな訓練場のほぼ中心で、二人の男が視線を合わせながらそんな言葉を交わしている。
一人は黒髪黒瞳の青年、ファイ=ルーク。
そしてもう一人が、短く切り揃えた金髪、そして垂れ気味の目が特徴的なローグス=ジーン。
二人の会話の通り、ローグスはファイの騎士としての先輩にあたる。今回の受験者の中ではファイの次に若く、今年で24歳になる有望株だ。
「始め!」
二人の会話が途切れたのを見計らったのか、勝敗の判定を任された近衛騎士がそんな声を上げた。
ほんの数秒前までは穏やかな雰囲気で話していた二人だったが、その掛け声と同時に臨戦態勢を取っていた。
「行くぞ」
先に動いたのはローグス。腰に提げた剣の柄に置いていた手を――身体を捻り、そこから戻る回転を利用して抜剣する為に腕を動かす。
二人の距離は遠いわけではないが、一歩も動かずにその剣が届く程近いわけでもない。ローグスの剣の抜き方は一見すれば無駄な動きが多いとしか思えないものだ。しかし、それが彼ならではの剣術だと知っているファイは静かに、そして迅速に自らの剣を抜き次の瞬間には放たれるであろう剣撃に備える。
右足を軸に剣を抜いたローグスは、身の回転の勢いに乗り左足を一歩前へと出し瞬時に軸足を左足に替える。と同時に剣も逆袈裟に振り切っている為、まるでその動きは標的を捉えられず空を斬ってしまった間抜けな姿に見える。が、その姿に呆ける者や隙と勘違いして近づく者を薙ぎ払うのがローグスの技だ。
ただ剣を振り切るだけなら軸足を替える必要はない。振り切ると同時に前に出した左足。そして右手を追う様に剣の柄へと伸びる左手。次の瞬間には、右手だけで振った剣を両手の力で上から無理矢理振り下ろし、相手を袈裟斬りにする。と言うのが一連の流れなのだが、今回の相手であるファイはその流れを知っている。身を退くと言う考えもあったが、それでもファイは敢えてローグスから打ち込んでくるのを待ったのだ。
「流石に引っかからないか」
ぼそりとそんな呟きを漏らしながらも、ローグスはむしろ楽しそうに笑みを浮かべていた。その表情に気がついたファイは訝しげに眉をひそめたが、自身の行動を変えるつもりもなく身構えている。だからこそ、ローグスは自分から仕掛ける。
相手が打ち込んでこない時や後ろに退いた時、そのまま何もしない時などはローグスの技は無駄になる。しかし、ローグスの技はそれだけでは終わらない。
結果的にはその一歩では二人の距離は大して縮まらず、未だに一振りで剣が届く範囲にはない。それでも何らかの手を打ってくると思い待ちの態勢を取るファイに対し、ローグスは期待を裏切らずに次の行動に出たのだ。
剣を振り上げた状態のまま、ローグスは気合の怒声を上げながらファイへと向かって駆け出していた。そして振り下ろされる一撃を、ファイは避けようともせずに己の剣で受け止めた。剣と剣がぶつかり合い金属音が響き渡ったのも一瞬、金属が擦れる音が続く。
二人が剣をぶつけ合ったまま、お互いの力――単純な腕力を競う。
だが、それも長くは続かない。
一度互いに強く剣をぶつけ合ったかと思うと、二人はほぼ同時に後ろに跳躍し距離を取った。
仕切り直しか……
普通ならばそう考えるだろう。しかしそんな常識めいた考え方は二人にはなかった。
身の軽さ故なのか、それともそもそもの跳躍力に差があったのか……ローグスよりも先に床に足を着いたファイが、僅かにローグスよりも早く床を蹴っていた。その時には既にローグスも体重移動を終え跳躍に移ろうとしていた為、今更他の動きをすることが出来ない。いや、出来たとしてもそんな選択はしなかっただろう。
真っ向勝負。
決勝まで残った若い二人は、今やそれしか頭になかった。
何度も打ち付けあう剣撃。時には距離を取るが、やはりその間は短く、まるで舞いの様に剣を合わせる二人。いや、実際にはそんなに美しいものではない。だが、そう思えるだけの荒々しくも鮮麗され始めている動きがそこにはあった。
十数分の間続いたその戦いだったが、変化は当然の様に訪れた。
ローグスの振り下ろした一撃が空を斬ったのだ。それを好機と、ファイは一歩を踏み出しローグスへと迫る。刹那、俯き加減に見えるローグスの口元がニヤリと歪んだのが視界に入り、しまったと無理矢理踏みとどまろうとした。が、それが逆に隙となってしまった。
初撃に見せたフェイントを織り交ぜたその技を、何度も打ち合ってきたことでその動きに慣れてしまった頃に放つ。狡猾且つ、効果的に。
初撃とは放つ順が逆だが、その意味合いに違いはない。そもそもこの技は、重心移動と体重移動を合わせた動きから成る連続攻撃だ。理屈上は下から斬り上げる動作と上から斬り下ろす動作を交互に何度でも行える。もっとも、初撃はともかくそれ以降の一撃は手を抜くわけにはいかないので、空を斬る度に体力を消耗してしまう為あまり連続では行わない。それ以前に何度も繰り返せばフェイントとしての効果も失われてしまう。
そもそも準決勝でこの技を使ったのはローグスの意思だ。その様子を見ていたファイに技の流れを読まれていることもローグスは理解していた。だからこその、今の戦いの運びなのだ。これこそが、ファイには足りない経験による差……
逆袈裟に斬り上げられた一撃を胸に受けたファイは、その衝撃で膝を床に着いた。
クーズベルクの一般兵に支給される胸鎧を着ている上、インナーとして着ている黒いシャツの下には軽量化を図る為に一本一本の繊は細いものの人の身を守るには十分に効果を発揮してくれる鎖帷子を着けている為、ローグスの斬撃は衝撃としてしか受けなかった。
とは言え、鎖帷子に傷が入る程の一撃を受けたのだからまともに戦闘を続けられる状態ではなくなってしまったのは事実だ。
つまり――
「勝者、ローグス=ジーン!」
近衛騎士の判定を告げるその言葉で、実技試験の内容はその工程を終えた……