第一章 ファイズ=アルリアの日記【四】
気がついた範囲で誤字の修正を行いました。内容に変更はありません。
クーズベルク城の裏庭――霊邪の森との境辺りで、一人の青年が汗を滴らせながら剣を振るっている。陽は落ちかけ、気温そのものはそれ程高くない。軽い運動でこれ程までに汗が流れることはないだろう。それは、青年が長時間こうして剣を振るっていることを意味している。
「精が出るな、ルーク」
そんな青年――ファイ=ルークの背後から声をかけたのは、口ひげを生やした中年の男。そのひげも、そしてオールバックにしてある短めの頭髪も茶色がかった色をしている。鉄製の鎧を身に纏っているその身体付きは良く、鍛え上げられているのが瞭然だ。
男の名はテルス=サランド。クーズベルク近衛騎士隊の隊長を勤める男である。
「サ、サランド隊長!?」
声をかけられたことで剣を振るっていた腕を止め振り返ったファイだったが、その相手が想像もしていなかった相手だったことで驚きを隠せなかった。
「どうした? 別に気にせず続けていいんだぞ?」
「いえ、そろそろ終わりにしようかと思ってたんです。それより、どうして俺なんかに声を?」
「ルーク、あまり自分を卑下するものじゃないぞ。お前の実力も働きも私は十分に理解しているつもりだ」
「あ、ありがとうございます!」
緊張のせいか上擦った声を上げるファイ。そんなファイの様子を見て、おかしそうに小さく苦笑を浮かべるテルス。
「もう直ぐ、近衛騎士昇格試験だったな。その為の訓練か?」
「はい。あ、いえ……剣を振ること自体は日課なんですけど、今日は午後が非番だったから特別です」
「……午後からずっとこうしていたのか?」
「はい」
即答するファイの姿を見て、その言葉に偽りがないとテルスは確信が持てた。否、そういう青年だと理解しているからこそ、テルスはファイのことを買っている。
「そうか。まあ、訓練は良いがあまり無茶はするなよ。試験日に体調不良じゃあ話にならないぞ?」
「分かってます。これでも、自己管理には自信があるんですよ」
そう言ってニッと笑みを浮かべるファイ。その様子を見てテルスを苦笑を浮かべる。
「それは初耳だが、素晴らしいことだ。まあ、何にしてもしっかりな」
「はい。ありがとうございます」
テルスの言葉に頭を下げて答えるファイ。
満足気にテルスは頷き踵を返す。ファイはその姿が見えなくなるまで頭を下げ続け、そよぐ風によって揺れる木々の擦れる音以外には静寂を取り戻した頃に頭を上げた。
一息吐く。
空を見上げ、ファイは目を瞑る。
暖気を含んだ生暖かい風すら、汗をかいた身体には涼しく感じる。その風を心地よく感じながら、ファイは試験のことを考える。
近衛騎士――それはクーズベルクの騎士たちの憧れである。難関と言われる試験を突破した者だけがなれる近衛騎士は、町や城を守る通常の騎士と違い王族を守るのが主な仕事だ。もちろん、それだけが仕事と言うわけではない。他の騎士たち同様に町や城の警備をすることもあれば、他の騎士を従え人に危害を加える凶暴な動物の討伐などを行うこともある。
その近衛騎士になる為に、ファイは日々鍛錬を行っている。
ゆっくりと目を開け、ファイは視線を真っ直ぐに戻す。
「戻るか……」
そんな呟きを漏らし踵を返した瞬間、ファイは森の方に人の気配があることを察した。瞬時に視線を森へと向け、同時に身構える。
だが、草木の合間から現われた人物を見て、ファイは驚きの余り言葉を失ってしまった。
「あ、ファイ……」
現われた人物――シャルネアは一瞬気まずそうな表情を浮かべたものの、直ぐに笑顔を取り繕う。
「今日も特訓してたの? 頑張ってるわね」
「ええ、まあ……それよりシャル様、どこか行ってたんですか?」
「そ、そんなわけないじゃない。ちょっとお城の周りを散歩してただけ」
慌てて言い繕うシャルネアだったが、その様子から嘘を吐いているのは明らかだった。ファイはわざとらしく大きく溜息を吐き、首を左右に振りながら肩を竦める。
「もし俺がシャル様付きの近衛騎士になったら、絶対に勝手な外出は許しませんからね」
王族ではなく国に従事するクーズベルクにおいて、近衛騎士だけは担当と言う形で個々人の警護に当たる。
今のファイの言葉は自身の願望も含まれているのだが、シャルネアは当然そのことを知りはしない。
「だから、ちょっと散歩してただけだってば」
「信じられません」
「……そう。なら別に信じてくれなくてもいいわ。それじゃあね」
頑ななファイの言葉に、シャルネアは軽く頬を膨らませながら城へと向かって歩き出す。
「シャル様!」
真剣な声色で呼び止められ、シャルネアは足を止めゆっくりと振り返る。
「何?」
「本当に、危険なことはしてないんですよね?」
そう問いかけるファイの表情は、心の底からシャルネアのことを心配しているのだと分かるものだった。だからこそシャルネアも真剣にその問いに言葉を返す。
「ええ」
道中、絶対に危険がないとは言えないが、シリウスと会って話をすることが危険なことだとは思っていない。だからこそシャルネアははっきりとそう答えた。
「……わかりました。でも、本当に無茶はしないで下さいね」
「わかってる」
心配してくれてありがとう。そんな意味を込めた笑顔を浮かべ、シャルネアは今度こそ城の中へと戻って行った。
その場に残されたファイも、しばらく涼んでから城の中へと戻る。
そうして、陽が沈んでいく。
今はまだ保たれている、平和な景色を赤く染めながら――
龍とは一体何なのか――
シリウス自身に龍であることを告げられてから、私はずっとその疑問を抱いてきた。
龍――
太古より存在する獣。人の何倍もの巨体を持ち、尚且つ人よりも優れた知能を持つ伝説上の生物。
シリウスはまだ成体ではない為、大きさは私と同じくらいだ。しかしいつかは伝説の通り巨体になるのだろう。それは初めてシリウスと会った時から今までの成長を考えれば事実であると推測出来る。
ならば知力はどうなのだろうか。
あらゆる生物の言語を理解し、意志の疎通を可能としている。魔力を使い、念話という形で言葉を交わす。それを幼い内から可能としていることを考えれば、確かに知能も高いのだろう。
魔法――
そんな言葉が私の脳裏に浮かぶ。
龍の持つ力は、かつて神が使ったとされる魔法なのではないだろうか?
そんな風に思えてくる。
そもそも龍は、本当に生物なのだろうか?
私はシリウスを友だと思っている。シリウスには間違いなく自我もある。
だがしかし……
私は、龍もまた神の遺物なのではないかと考えている。
確証はない。これはただの私見だ。
おそらく、私がその答えに辿り着くことはないだろう。
しかし答えなどとは関係なく、シリウスの存在は公には出来ない。
私はそれを悲しく思う。
孤独に生きなければならない友のことを思うと、どうしても目頭が熱くなってくる。
……私の余生は短い。
願わくば、私の命が尽きた後も、シリウスに新たな友人が出来ることを祈る。
我が友が、孤独に苛まれない様に……
パタン。
そんな音を立て、シャルネアはその日記を閉じた。
天蓋付き――ではないが、十分に豪華と言えるベッドの上で、シャルネアは日記を胸に抱き締め仰向けに倒れる。
見慣れた自身の部屋の天井を見上げながら、シャルネアは日記の書き手のことを考える。
ファイズ=アルリア。
クーズベルクの近衛騎士。
シリウスの親友。
ファイのご先祖様……
事実として受け止めたそれらの内容が、まとまった意味を持たずただぐるぐると頭の中を巡る。
日記の内容から、どの様な人となりだったのかはある程度想像は出来る。だがそれはあくまでもシャルネア個人の感想であって、実際のファイズの人となりと言うわけではない。
どんな人間だったのか気にはなるが、その答えは永久に手に入れることが出来ない。シャルネアにとって、ファイズ=アルリアは過去に存在した人物なのだから仕方がない。それでも知りたい。と、答えの出ない問いを頭の中で繰り返す。
(だけど……)
と、シャルネアは思う。
(少なくとも、いえ――間違いなく、この人はシリウスのことを大切に想っていた)
それが理解出来るからこそ、安堵と嫉妬を同時に感じる。
良くも悪くも、偉大な生物だと語られる龍。そのシリウスと畏怖の対象ではなく、対等な友として見ていた者がいたと言う安堵。しかしそんな特別な相手が自分だけじゃなかったと言う嫉妬。
最初は気づいていなかった。しかし、今のシャルネアはそれを自覚していた。だからこそ悩む。いや、悩む必要など本来ならばないのかもしれない。それでも、シャルネアは悩んでしまう。今までに感じたことのない自身の汚い感情と、どの様に向き合っていけばいいのか。
ファイズ=アルリアの日記を読んでしまったからこそ悩む。
この先、シリウスとどの様に接していくべきなのかを……
王族――そんな立場だからこそ余計に、龍と言う強大な存在との接点を持つことに危険性を伴う。
少女として……一個人としての悩み。
そして、王族としての悩み。
二つの悩みを抱えたまま、シャルネアはいつの間にか眠りの淵へと落ちていた……