第一章 ファイズ=アルリアの日記【二】
気がついた範囲で誤字修正をしました。又、後半部分に少しだけ追加しました。
ファイズ=アルリアの日記を読み始めた翌日、朝食を終えたシャルネアはクーズベルク城の北側に位置する廊下を一人で歩いていた。
食堂は城の一階西側にあり、そこから北側の二階にある自身の部屋に戻る為には通らなければならない廊下。正確には遠回りをすれば違う道から戻ることも出来る。しかし、一刻も早く部屋に戻り日記の続きを読みたいシャルネアが遠回りするはずもなく、真っ直ぐに最短の道のりで自分の部屋へと向かって行く。
心なしか、その足取りがじょじょに速くなっていく。
「シャル様!」
早足で歩くシャルネアの姿を見て、そんな風に声をかける者がいた。
短く切り揃えた黒髪に、髪の色同様に黒く、そして澄んだ瞳の青年。歳はシャルネアよりも少し上の18歳で、クーズベルク城内を守る騎士の一人だ。
どちらかと言えば小柄で細身ではあるが、騎士と言う役職に相応しく引き締まった身体つきをしている。
「ファイ? どうかしたの?」
少し前に通り過ぎた部屋から出てきた青年――ファイ=ルークに声をかけられたことで足を止め、振り返った先にいる人物の姿を見てシャルネアはそんな呟きを漏らした。
「それはこっちの質問です。そんなに急いでどうしたんですか?」
「それは……」
特に隠す程のことではない。読みたい本があるとだけ言えば済むのだが、シャルネアはその本が禁書庫の物であることを意識してしまい言葉を濁してしまった。
「言い難そうですね。もしかして、また勉強をサボろうとでもしてたんですか?」
「そう言うわけじゃ――」
ない。そう言おうとしたシャルネアだったが、ファイの勘違いがむしろ好都合だと気がつき言葉を止めた。
「いえ、まあそんなところかな。ワーナーには内緒にしててね?」
今でこそ勉強をサボることなど殆どないシャルネアだったが、数年前までは当たり前の様に逃げ出していた。ファイもその事実を知っているからこそ、冗談半分で紡いだ言葉だったのだが……
「……何か隠してます?」
「そ、そんなことあるわけないじゃないっ」
「……分かりました。何をするつもりか知りませんけど、ほどほどにしておいた方が良いですよ?」
「分かってる。皆に迷惑かけるつもりなんてないから」
今のところはね。そんな風に心の中で付け足すシャルネア。実際にこれから直ぐに誰かに迷惑をかけるわけではないが、それでも今までに多くの人に迷惑をかけてきたことを理解しているからこそ、そんな風に考える。
「じゃあね、ファイ」
「ええ。気をつけて」
そんな言葉を交わし、二人はそれぞれ逆方向に歩き出す。シャルネアはファイの行き先を知りはしないが、それを気にかけることもなく踵を返し、再び自分の部屋へと向かった。
手にしている日記を閉じて、シャルネアは小さく息を吐いた。
最後まで読んだわけではないが、日記の筆者であるファイズがシリウスのことを本当に大事に想っていることが窺えるその内容に、シャルネアは少なからず嫉妬していた。
シャルネアはシリウスを親友だと思っているし、シリウスも自分のことを親友だと思ってくれている。そう信じてはいるものの、過去にそれよりも強い絆で結ばれていた者がいる。そんな焦燥感に似た感情を抱き、しかしそれを理解出来ずに悶々とした気分のまま再び息を吐く。
コンコン。
気持ちが沈みかけたところで扉をノックする音が聞こえ、シャルネアはびくりと肩を震わせた。
「……はい?」
小さく深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、扉越しに言葉をかける。
「ワーナーですが、入っても宜しいでしょうか?」
それは、ワーナーがノックをした後に毎回尋ねる言葉だ。多少言い回しが変わることもあるが、シャルネアの返事の後には必ず今の様な言葉を紡ぐ。
「どうぞ」
シャルネアのそんな返答に、ワーナーは静かに扉を開けて部屋の中に入ってきた。
開けた時同様に静かに扉を閉め、ワーナーは真っ直ぐにシャルネアを見つめる。
「読んでいたのですか?」
何を。とは言わない。お互いに何を指しているのか言わずとも理解出来る。そう確信しているのだろう。
「ええ」
「どうです? 知りたいことを知ることは出来ましたか?」
「多分、少しは……」
その返事は、シャルネア自身が明確に何かを知りたいと思っているわけではないことから出た言葉だ。しかしそれでも、ファイズ=アルリアの日記には龍――シリウスに関して色々と記されているのは事実である。
龍について、そしてシリウスについて知りたいと思っているシャルネアにとっては、これ以上の資料は存在しないだろう。
「読み終えては……いないみたいですね」
「当然でしょう? 私はワーナーみたいに本読むの早くないんだから」
「自分が特別速読だとは思っていないのですけどね……」
シャルネアの言葉に、嘆息混じりに息を漏らすワーナー。
「一つ気になったんだけど……」
「なんでしょう?」
「どうして、この日記はこんなに綺麗なの?」
クーズベルクが出来てから今は246年が経っている。ファイズ=アルリアとシリウスの出会いが建国から50年後のことで、日記が書かれたのが更に後のことだったとしても、人間の寿命を考えれば少なくとも日記が書かれてから100年以上は経っていることになる。
「文字が掠れてるところはあったりするけど、ほとんどが読める状態だし、装丁もそんなに酷くなってない」
「答えは簡単ですよ」
不思議そうに日記を見つめるシャルネアを見て微笑を浮かべながら、ワーナーは右手の人差し指を立ててそう言った。
「どういうこと?」
「その日記は写本なのです。最後のページに書いてありますよ」
ワーナーのそんな言葉で、シャルネアは日記の最後のページを開く。
「……本当だ」
50年程前に、アルリア家の倉で見つかったファイズの日記の重要性に気がついた当時のアルリア家の当主が、可能な限り正確に書き写した物が今シャルネアの持っている日記だ。
一度新しく書き直されているとは言え、それでも50年の月日が経っていれば傷みもするし劣化もする。それにしても十分に良い保存状態と言える程、その内容を読むことが出来る。
「その日記を書き写したのは当時のアルリア家当主、アルベルト=アルリア。騎士の名家であるアルリア家でしたが、彼の代でアルリア家は潰えます」
「そう言えば、アルリアって名前聞かないかも……」
突然のワーナーの説明に、戸惑いを覚えながらもその言葉と自身の記憶を比べてみるシャルネア。
「アルベルトは、アルリア家とほぼ同格の家の娘に恋をしてしまったのです。騎士にとって家名とは誇りとも言えるものでした。しかし、不運なことにアルベルトもその娘も一人っ子。アルベルトにしてみれば既に家名を継いでさえいたのにも関わらず……娘の両親は、アルリア家に娘が嫁ぐことを許さなかったのです。それでも娘のことを諦められなかったアルベルトは、自身の誇りとさえ言える家名を捨て、娘の家に婿入りをしました。この時点でアルリアの名を持つ者はアルベルトの両親だけになったのですが、二人もアルリア家が潰えることを覚悟し、やがて二人の命が尽きると共にアルリア家は潰えた。と言うわけです」
「そうだったんだ……でも、どうしてワーナーはそんなことまで知ってるの?」
「その日記を読んで、アルリアと言う家に興味が湧いたので調べたのです」
「えっと、一日で?」
「はい。私も驚いてます。今回は運が良かったとしか言いようがありませんね」
「どうして?」
「シャルネア様は、もう少しご自分で考える様にした方が良いかもしれませんね」
苦笑混じりにそんな風に言われ、シャルネアは思わず口を噤んだ。
「私はまず、城の中にアルリアと言う家名を知っている者がいないか探すことにしたのです。そして直ぐに見つけました。ただ知っているどころか、とても縁の深い者をね」
「…………」
再び尋ねてしまいそうになるのを堪え、シャルネアはワーナーの言葉の続きを待つ。
「アルベルトが婿入りをした相手の家名――それがなんとルーク家だったのです」
「ルーク!? それって、ファイの家名じゃあ……」
「その通りです。アルリアについて私に教えてくれたのはそのファイ君です。本当に運が良かった」
騎士の家系のことは騎士に聞けばわかる。と言うわけではない。それでも一番知っている可能性が高いのが騎士であろうと思っていたワーナーだったが、たまたま最初に尋ねたファイが大当たりだったことに内心今も驚いている。もっとも、それを表に出したりはしないが。
「そうだったんだ、ファイのご先祖様がシリウスと……」
「何か言いましたか?」
シャルネアのぼそりと呟いた言葉を聞き取れなかったワーナーの問いかけに、シャルネアは慌てて首を横に振る。
「何でもない。それより、今日の勉強はいいの?」
「そうですね……では、そろそろ始めましょうか」
「ええ」
「それでは、今日はクーズベルクの隣国について説明しましょう」
「お願いします」
そんな言葉を境に、二人は雑談から勉強をする為の時間と気持ちを切り替え、ワーナーの言葉の通りクーズベルクの隣国についてシャルネアは学ぶことになった……
隣国について学ぶと言うワーナーの授業を終えたシャルネアは、しばしワーナーと雑談を交わした後再びファイズ=アルリアの日記を読んでいた。
日記を読んでいる内に、シャルネアはシリウスと出会ってからのことを思い返す様になっていた。
初めて出会った時の衝撃。再び会いたいと思い、度々城を抜け出しては会いに行っていた頃のこと。
その内に龍と言う存在について知りたいと思う様になり、出来る限り自分でも龍について調べてみた。しかし、立場上表立って龍の存在について調べることは出来なかった。
そうしてヤキモキとしていた頃、ワーナーと出会うことになる。初めの頃はワーナーに心を開いていないシャルネアだったが、じょじょにその壁も薄れ、今の様な関係になる。それでも龍について尋ねることは出来ずにいたのだが、最近になってワーナーが禁書庫への出入りを認められいることを知り、龍について記されている書物を探してくれる様に頼んだのだ。
「ワーナーには、感謝しないとね」
改めてそんな風に考え、何かお礼でもした方が良いかと思案する。
コンコン。と、扉を叩く音で思考を止め、シャルネアは言葉を返す。
「はい?」
「シャルネア様、お食事の御用意が出来ました」
それは、何度か聞いたことのある城に使える侍女の声だった。クーズベルクでは基本的に個々人に従事する者はいない。城で働いている者は、王族の為に働いているのではなく国の為に働いているのだ。勿論、国と言う形を取っている以上一番権力を持っているのは国王ではあるのだが、絶対的な権力と言うわけでもない。もっとも、シャルネアや現国王であるアラダブル=ミリオムなどは民に好かれている為、反逆の意思を持つ者は今の所現れていない。それだけ民に信頼されていると言うことでもある。
「分かった。ありがとう」
扉越しに言葉を返すと、侍女の気配が去って行くのを感じシャルネアは日記を閉じて立ち上がった。
勉強の為に用意された机の上に日記を置き、ゆっくりと扉へと向かう。
そのまま扉を開き廊下に出ると、少し先にファイの姿があって声をかけた。
「ファイ!」
「あ、シャル様。これから夕食ですか?」
「ええ。良く分かったわね?」
「今侍女と擦れ違いましたからね。何かを運んだりしてる訳でもなかったし、歩いてる位置的に、シャル様に食事の準備が出来た報告にでも行ってたのかと思ったわけです」
「へぇ……ファイって結構凄いのね」
それは単純な驚きから出た言葉で、シャルネアは褒め言葉として使ったつもりだったのだが、ファイはその言葉を皮肉と受け取ったのか僅かに頬を引きつらせる。
「俺はそんなにバカそうに見えますかね?」
「そんなことないわよ。今のも褒めたつもりだったんだけど……」
ファイを怒らせてしまったと思い、シャルネアは上目遣いに弱々しく言葉を返した。そんな様子を見てファイもしまったと思ったのか、慌てて言葉を紡ぐ。
「冗談ですよっ。からかわれたのかと思ってちょっと反撃してみただけです」
「そうなの?」
「はい」
「もうっ。今度やったら私が怒るからね?」
「はい。すみませんでした」
少しだけ頬を膨らませるシャルネアに、ファイは素直に頭を下げた。
こんなやりとりも、クーズベルクの王族だからこそ許されるものだろう。
「そう言えば、ファイはお勤めだったの?」
「はい。と言うか、まだ終わりじゃないんですけどね」
「って言うことは、サボリ?」
「そんなわけないじゃないですか。今は休憩中です」
「そうなんだ」
などと会話を交わしている内に、シャルネアはファイの先祖がシリウスと出会っていたことを思い出す。
「どうかしましたか?」
そんなシャルネアの僅かな変化を感じ取ったらしく、ファイが不思議そうに尋ねた。
「何でもない。それじゃあ、お勤め頑張ってね」
「あ、はい。ありがとうございます」
そんな言葉で自身の中で燻るあまり良くない感情を誤魔化し、シャルネアはファイと別れた。
それから夕食を済ませたシャルネアは、部屋に戻ると再び日記を読み始める。
すると急にシリウスに会いたくなり、その感情を抑えられなくなる。
「うぅ……今日は早く寝て、明日会いに行こうっ」
そんな決意を固め、シャルネアは直ぐに眠る準備を始めた。
それが終わる頃には自然と眠気も訪れ、シャルネアはそのまますんなりと眠りに着いた……