第一章 ファイズ=アルリアの日記【一】
気がついた範囲で誤字の修正を行いました。内容に変更はありません。
獣森の王国クーズベルク――
その周囲を森と山に囲まれた自然豊かな国。その土地柄か自給自足が基本となる国ではあるが、他国との貿易が一切ないわけではない。
民に大きな貧富の差はなく、大きな諍いが起きることもない平和な国だ。
夕方よりも少し早い時間。そのクーズベルクの象徴とも言える、国の名を冠した城の一室で、一人の少女が机に突っ伏している。
丸まった背中の上に見える腰程まである金色の髪は、まるで少女の存在を際立たせるかの様に、窓から差し込む陽の光をキラキラと反射している。
コンコン。
と、扉をノックする音で少女はうとうととしていた目を覚ました。
「は、はい?」
寝起きのせいか少しだけ上擦った声で少女が返事をすると、扉の外から少女にとって聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ワーナーです。入っても宜しいでしょうか?」
「ええ。大丈夫」
少女の返答の後に「失礼します」と言う声を発した後、扉の外にいる人物がその扉を開け部屋の中に入ってきた。
部屋に入り一礼したのは、まだ若い――しかし青年と呼ぶには少しばかり歳を重ねた男。
ワーナー=クレイヤード。顔の造りは悪くない。それなりに長い銀髪を頭の後ろで一つに結わいていて、長身で細身の男だ。白を基調とした布地の服を着ており、その上には黒いローブをまとっている。小さな丸縁の眼鏡を鼻の頭にかかる様にかけているが、その小さな眼鏡のせいで元々細く多少吊り上がったその目を余計に細くきつそうに見せている。
本人曰く、外敵に少しでも強そうに見せる為の伊達眼鏡であり、視力自体は悪くないとのことだ。
少女はその真偽を何度も確かめようとしたが、結果としてそれを定かには出来ていない。
「シャルネア様、眠っていたのですか?」
「え? どうして?」
キョトンとした表情を浮かべ、少女――シャルネアはその深い碧色の瞳を丸くした。
シャルネア=マーツ=ミリオム。それこそが少女の名前であり、このクーズベルクと言う国の王女であることを示している。
「おでこ、赤いですよ」
そう言って苦笑するワーナーを見て、シャルネアは恥ずかしそうに額を両手で隠した。もう遅いと分かってはいても、じっと見られたくはないのだろう。
「それよりも、どうしたの? 今日は勉強はない日だったはずだけど?」
ワーナーはシャルネアの教師として城に雇われている者だ。元々クーズベルクの人間ではないワーナーだが、その博識を買われて5年前に雇われたのがシャルネアとの関係の始まりだ。
本業は別にあるのだが、シャルネアはそれが何なのかは知らない。しかし、クーズベルクがその本業を支援することが出来るからこそこうして住み込みで働いて貰えていることは知っている。勿論、その本業についてシャルネアは何度も尋ねている。しかし、明確な答えを返して貰ったことがないのだ。
それを疑問に思いながらも、優しく自分の面倒を見てくれるワーナーのことをシャルネアは好いていた。
「シャルネア様が頼まれた物を用意してきたんですが……必要ありませんでしたか?」
意地悪そうに笑みを浮かべ、今にも踵を返そうとするワーナー。その様子を見てシャルネアは慌ててワーナーを止める。
「待って! もしかして、見つかったの!?」
「ええ。大変だったんですよ? あの膨大な量の書庫から探すのは」
「分かってる。本当にありがとう!」
苦笑を浮かべるワーナーに向けて、満面の笑顔を浮かべるシャルネア。まだその中身を確認したわけでもないのに、シャルネアは既に目的の物を手に入れたかの様に喜んでいる。
「それにしても……何故急に龍について調べようなどと思ったのですか?」
シャルネアがワーナーに頼んだ物。それは龍に関する書物だ。
御伽噺の類い程度ならシャルネアでも大した苦などなく探すことが出来る。しかしそれが学術書や生態について記された物となると話は違ってくる。
そもそも龍とは、遥か大昔に存在していたとされる伝説上の生物である。クーズベルクには比較的龍に関する物語が多く語られており、その書物も確かに存在している。本物の龍について記された書物が、だ。
しかしそれらは城の禁書庫に保管されている物で、例え王女であるシャルネアであっても無断でその中に入ることは許されていない。
現在禁書庫に出入りが認められているのは、今シャルネアの目の前にいるワーナーだけなのだ。
「ちょっと、ね……」
今この場にはいない親友のことを思い浮かべ、シャルネアは言葉を濁した。
「やはり教えてはくれませんか? 一応、禁書庫の物は帯出厳禁なんですがね」
「それでも、ワーナーは持ってきてくれたじゃない」
「それはまあ、他でもないシャルネア様の頼みですからね。それに、個人的にも龍に関してはいつか調べようと思っていましたし」
「そうだったんだ。でも、それなのに私が先に読んでもいいの?」
少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべてそう尋ねたシャルネアだったが、ワーナーは小さく笑みを零すとこちらも少しだけ申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「それなら気にしないで下さい。実はその本を見つけたのは昨晩でして、夜の内に一通り目を通しましたから」
そんな風に答えながら、ワーナーは後ろ手に持っていた一冊の書物をシャルネアに手渡した。
簡単な事典くらいはある厚さの書物だ。それを受け取り、シャルネアは驚きの表情を浮かべた。
「これをたったの一晩で読み終えたの?」
「ええ、まあ」
シャルネアの素直な驚嘆に少しだけ恥ずかしそうに苦笑を浮かべるワーナー。その恥ずかしさを誤魔化す為か、ワーナーは続けて言葉を紡ぐ。
「私から言えることは、その書物の信憑性が高いと言うことだけです。すべてが事実と言うわけではないでしょうが、史実とも合致する内容でしたし……にわかには信じられないかもしれませんが、少なくとも辻褄は合う。そんな内容でした。少なくとも、龍が確かに存在していた。ということに関しては」
「それってどういうこと?」
「読んでみれば分かりますよ。それでは、失礼します」
「え、ちょっと待って――」
シャルネアの制止も聞かずに、ワーナーは小さく笑みを浮かべながら踵を返しシャルネアの部屋から出て行ってしまった。
制止の言葉と共に伸ばした左腕を戻し、右手で受け取った書物を見つめてみる。
薄汚れた濃い緑色のハードカバーの書物。特に題名などは記されていない。
誰かが個人的に記した物なのだろうか? そんな風に考えながら、シャルネアはゆっくりとその書物を開いた。
その最初のページにはこう記されていた。
――我が友、誇り高き白き龍について記す――
ドクン。
シャルネアの鼓動が、その一文を目にした瞬間に大きく跳ねた。
シャルネアが龍について調べようと思った理由。それこそが、彼女が6年前に出会った白き龍にあるのだ。
シャルネアは期待を隠せずにドキドキと胸を高鳴らせながら、書物に記されている内容を口に出して読み始めた。
「クーズベルクが建国されてから50年を祝う建国祭の日、町の中に小さな白い獣が姿を現した。それが、私と彼との出会いだった――」
見たこともない獣が町中を駆け回っている。その苦情を受け、当時クーズベルクの近衛騎士だったファイズ=アルリアが獣の討伐隊に任命された。討伐隊はファイズの他に三名の騎士が選ばれ、ファイズはその指揮を任された。
そうして獣を追う内に、ファイズは疑問を覚える。獣は、何一つ町の住民に実質的な被害を与えていない。それなのに討伐する必要があるのだろうか? と……
そんな疑問を胸に抱えたまま、ついにファイズは獣の捕獲に成功する。
幸い、他の騎士とは別行動を取っていた。
ファイズは、自分の胸に抱えた疑問を直接獣にぶつけ、その真意を理解しようとした。当然獣とはっきりとした意思の疎通を図れるわけはなかったが、それでも獣に敵意も害意もないことは確信出来た。だから、ファイズは獣を森に逃がした。町には入ってくるな。そう、言い聞かせて……
書物の内容は、ファイズ=アルリアの一人称によるそんな内容を語るものだった。
「これは、日記……?」
それがシャルネアの書物に対する正直な感想。そしてそれは正しい。ファイズ=アルリアと言う男が書いた日記が、後に龍について記した重要な書物として城で管理されてきたのだ。
シャルネアは一度止めた手を再び動かし、日記のページを捲る。
建国祭の日から2年間、白い獣が姿を現すことはなかった。そう記され、一度日記は途切れる。
「この時の白い獣こそ、後の我が友――白龍シリウスである――」
最初のページ同様に、1ページ――たったの一文に、1ページを使ってそう記されていた。
「やっぱり……」
シャルネアは最初の一文を見た時に予感していた。誇り高き白き龍。その正体は、6年前に自分が出会った白き龍――シリウスだと。
それから夕食時まで日記を読み耽ったシャルネアは、少しだけシリウスのことを知れた気がして満足気に日記を閉じた。
夕食を済ませ、湯浴みをし、就寝する。
それが普段のシャルネアの生活サイクルだが、続きが気になって仕方なかった日記を、眠りに着く前に再び開き――
いつもより少しだけ夜が更けるまで、その日記を読み耽った……