第三章 龍の生まれる瞬間【一】
(それにしても……シャルネア様は、なぜ森に行こうとするのだろうか)
城の廊下を歩きながら、テルスはそんなことを考えていた。
父親であるアラダブルから、耳にタコが出来る程「森へは行くな」と言われたにも関わらず、シャルネアは何度も森に足を運んでいる。それはシリウスに会いに行く為なのだが、それを知る者は城の中にはいない。テルスも例外ではなく、シャルネアが町ではなく、何もないはずの森に足を運ぶ理由を考えていた。しかし、その答えはいくら思考を巡らせても出て来ない。
廊下を進むと、階段へと差し掛かる。緩やかにカーブを描く階下へと伸びる階段。それなりに急な螺旋を描く階上へ伸びる階段がある。この場所は廊下の突き当たりで、それぞれ1階と3階に繋がっている。テルスが先程までいた謁見の間が、城の2階にあることが伺える。
テルスは階下へと伸びる階段へと歩を進め、ゆっくりと階段を降りる。
「テルス様!」
途中、階下から部下が駆け寄ってきて、テルスは足を止めた。
「どうした?」
「やはり、城内にはいない様です」
それは予想していた答えだった為、「そうか」と短く応えただけで、テルスは特に部下を叱責するつもりはなかった。しかし、仕事をこなせなかったと思ったのか、当の部下はどこか弱々しい態度だ。テルスは小さく溜息を吐くと、新たな命を下す為に口を開く。
「お前は一度皆を集めろ。一班には城下を、ニ班は通常通り城内の警備を続ける様に伝えろ。それから三班は森だ。私もこれから森に向かう。その後に続く様に伝えるんだ」
「は、はい! かしこまりました!」
部下は緊張を隠せずに、しかしハッキリと応え、再び階下を走って行った。
テルスの部下――つまり、クーズベルク近衛騎士は15人いる。それぞれ5人ずつ班分けされており、一班・ニ班・三班と分かれている。ただ無作為に班分けされているわけではなく、そこにはテルスなりの考えがあるのだろう。
先程の部下が他の部下たちに声をかけ終えるまで、少しばかり時間がかかるだろうと踏んだテルスだったが、それを待つつもりはなかった。止めていた足を動かし始め、1階へと降りた足でそのまま城門へと向かう。廊下を歩くテルスの足音だけが、周囲に響いている。
そこで、テルスは不自然さを覚えた。
(静か過ぎる)
それが、テルスが抱いた感覚。
普段なら、見張りの兵や侍女などの声が喧騒となって城内を包んでいるはず。だと言うのにも関わらず、それ程足音を立てずに歩いているはずの自分の足音が響いている事実。何か嫌な予感を覚え、テルスは軽く身構える。身構えながらも、歩は進める。周囲の気配を探りながら、ゆっくりと。
城門を潜り、外に出た。広く、それなりに空気の循環がされているとは言え、室内は室内。そんな城内から外に出た為、軽く開放感を覚えながら、小さく呼吸を繰り返す。意識を研ぎ澄ませる様に、深呼吸をする。
(静か過ぎる)
再び感じた感想。もっとざわついているのが当然のはずなのに、不自然な程静かな周囲。それを確かに感じているにも関わらず、テルスは辺りを見回しはしない。ただ、その場で足を止めただけだ。目を瞑り、更に意識を研ぎ澄ませる。
「…………」
そして、気が付いた。カッと目を見開き、腰に吊るしている剣を引き抜いた。視線を左右に動かし、より自分に近い位置にある気配を探る。
瞬時に右側の気配が動いたことを察し、その気配に向かって地を蹴った。
城壁沿いにある草むらに飛び込んだ瞬間、ぐにゃりと景色が歪んだ。しかしそれは一瞬のことで、直ぐに元の景色に戻る。否――そここそが本来の景色。事実を歪められた偽りの景色から、本来の景色の中へと飛び込んだのだ。
テルスの目に映ったのは、城壁を囲う様に集まった何十人もの黒尽くめの男たち。何の為に、その集団がこの場所に集まっているのか……
「貴様等、何者だ?」
一番近くにいた男に対し、テルスは低く問いを放った。しかし、男は応えない。それどころか、男達の誰しもがテルスに視線を向けもしない。ただ、何かの作業に没頭している様に見える。
「答えぬのなら、力付くで答えさせるまでだ」
言葉を放った瞬間、テルスは再び地を蹴った。一番近くにいた男に向かって、剣を向けながら。が――
突如剣先に熱が溜まり、瞬時に炎が上がった。テルスは身を止め、剣先を地面に突き刺し炎の進行を食い止める。勢いのついていた身を急に止めた為、地面を軽く抉ってしまったが、今はそんなことを気にしている余裕はない。テルスは瞬時にそう判断し、一歩、もう一歩だけ下がり態勢を立て直した。
(こいつら、何者なんだ? 妙な術を使う様だが……)
魔術について何の知識もないテルスには、男たちの周囲に魔術が構成されていることに気付けない。しかし、そこに何かが存在していることだけはハッキリと知覚出来た。だからこそ、無闇に飛び込むような真似を二度は出来ない。
地面に突き刺したままだった剣を抜き、再度構える。今も、男たちに動きはない。隙だらけのはずの相手に、手を出せないもどかしさ。そんなものを感じながら、テルスはゴクリと唾を飲み込んだ。ただその視線の先に、謎の集団を見据えながら。
数瞬の間を置いて、男たちがいっせいに両腕を上げ、城壁へと向けた。大勢の人間が同時に同じ動きをする――そんな異様な光景を目の当たりにし、テルスは息を飲み込んだ。思わず、剣を握る手に力がこもる。
城壁に向けられた男たちの手が、淡く光りを放ち始める。男たちの構成する魔術が、第2段階へと移行したのだ。これだけの人数で、一つの魔術を完成させようとしている。この魔術が、いかに大掛かりなモノなのかが伺える。
『集いし魂達よ』
今まで沈黙も守っていた男たちの一人が、不意に口を開いた。
否――
男たち全員が、同時に口を開いたのだ。まるで、一人の人間が口を開いたかの如く、寸分のズレもなく。
『集いし魂達よ。我らの声に応え賜え――彼の地はそなたの世界也。そなたは燃やす者。そなたの世界は、炎の世界――火炎地獄』
刹那、世界がざわついた。城壁から爆発が起こり、それどころか城内からも火の手が上がる。
先程までの静けさが嘘だったかの様に、城内から悲鳴が響き渡る。テルスがその悲鳴に気を取られた一瞬で、男たちは一斉に散った。男たちが向かう先は、城内……
「待て!」
テルスが後を追おうとした目の前に、男の一人が立ちはだかった。テルスがそう認識した瞬間には、背後から別の男が襲いかかってきていた。
寸での所でその襲撃に気が付いたテルスは、何とかその攻撃をかわす。
「…………」
「…………」
相変わらずの無言で、男二人がテルスと対峙している。
侵入者が現れた以上、援軍は期待出来ない。相手が二人であることをせめてもの救いとし、テルスは軽く舌打ちしながらも剣を構えなおした。
相手は理解の範疇を超えた術を用いる。それが二人……
眼前で大した構えも取らずに佇む二人の男を見据えながら、テルスはどうやって敵を打ち倒すかを思案する。しかし、思考を巡らせる時間を与えてくれる程相手は甘くはなかった。男の一人がアサシンナイフと呼ばれる短刀を振るい、テルスへと襲いかかってきたのだ。テルスは半歩後ろに下がりながら、剣でナイフを弾く。ナイフを弾かれた男が右に跳んだと思った瞬間には、その先にいたはずのもう一人の男がテルスの眼前にまで迫ってきていた。その男の手にも、アサシンナイフが握られている。
「――っ――」
声にならない叫びをあげながら、テルスは無理矢理更に後方に跳ぶ。
ナイフの軌道は空を切ったものの、それだけでは安心は出来ない。先に横に跳んだ男が、再びテルスに迫っていた。それを予測していたテルスは、左腕の篭手でナイフの攻撃を防いだ。そのまま押し返し、男のバランスを崩す。と同時に、剣を突きつけようとする。が――
その隙を拭う様に、もう一人の男がナイフで突きを放ってきた。追い討ちを諦め、テルスは再び後ろに跳んだ。
二人交互の攻勢。隙を隙としない、絶妙なコンビネーション。統率の取れた、完璧な動き――
(まるで人形だな)
そんな感想を抱きながらも、隙を作らぬ様に構えを崩さない。
男たちも、テルスが一筋縄ではいかない相手と認識したのか、一度動きを止める。お互いがお互いの動きを牽制し合いながら、隙を伺う。空気が緊張し、まるでその空間だけ時間が止まってしまったかの様な錯覚さえ覚える。しかし、それも一瞬のことだった。テルスが身体を後ろに傾かせた瞬間、男たちが左右に同時に跳躍した。テルスにとって同時攻撃は予想外のことだったが、わざと作った隙に食いついてきたこと自体は予想通りの結果だった。後ろに傾けかけた身体を瞬時に元に戻し、そのまま右側から攻め来る男に向かって跳んだ。同時攻撃は、むしろ好都合。そんな表情を浮かべ、テルスは男の脇腹を切り裂いた。暗殺者めいた格好の男たちは軽装だ。防具と呼べる様な物は殆どなかった為、一撃で致命傷を与えるのはテルスにとって容易なことだった。
男の脇腹からは鮮血が流れ出ている。男が片手を当てているが、その隙間から零れ落ちていく。このまま放置すれば、出血多量で間違いなく死に至る。テルスは脇腹を押さえうずくまる男から視線を外し、反対に跳んだ男にその視線を向ける。
「!?」
驚きで男が足を止めたと思っていたテルスは、男が眼前にまで迫ってきていた事実に驚きを隠せなかった。仲間がやられたというのにも関わらず、何の感情も抱いていない。そんな男に恐怖と怒りを覚え、テルスは力任せに男のナイフを弾く。振り払った直後に、剣を袈裟斬りに振り下ろした。何とか勢いを殺し、後方に跳んでかわそうとしたらしく、テルスの一撃は深く入らず、男の肩口から胸を浅く傷付けただけだった。しかし、テルスはそのまま間を置かずに第二撃を放つ。今度は横薙ぎに、男の胴を切り裂いた。その追撃の早さに、男は回避行動を取ることが出来ず、骨の一歩手前まで肉が切り裂かれた。先の男よりも、明らかに重傷と呼べる傷。どちらも、もう助からないだろう。
テルスは肩で息をしながらも、その荒くなった呼吸を整える。もう男たちが立ち上がる気配がないことを確認し、侵入者達を排除するべく城内へと向かった……