第3話 笑い上戸に思考はショート
ロック老人が寝室から持ってきたもの。それは、握りこぶしサイズの水晶玉だった。
海のような半透明の青色をしており、元の世界であれば胡散臭さの塊だっただろうそれは、何かしらのパワーを秘めていると感じさせるオーラを纏っている。
「何ですかこれ?」
「これはな、魔導器の一つで、伝言水晶というものだ」
伝言水晶。
何というか…
「ネーミングセンスないっすね」
「ワシに言うな」
つい本音が漏れたが、それだけで何に使う道具なのかすぐに分かる合理性重視の名前である。大方、対になっている水晶玉を通じて、離れた人とでも会話できるというものだろう。
というか、オタク知識のせいでさり気なく受け入れてしまったが、魔導器って具体的にはどういうものなんだ?
「魔導器というのはだな、魔法と道具の開発の両方に長けた人物によって作られた、魔力によって動く便利な道具のことだ」
ということらしい。
じゃあ魔力って?
「魔力というのは、世界中に存在する『マナ』と呼ばれるエネルギーを人体や道具を用いて変換し、自由に扱えるようにしたものだ。これを術式によってコントロールし、魔法を使うこともできる」
ということらしい。
マナや魔力の正体を科学的に説明することは、恐らくこの世界では不可能だろう。そもそも、魔法という概念がある時点で、元の世界の物理法則がほとんど通用しない可能性すらある。
ところで、その話を聞いて一番気になったのは。
「マナを魔力に変換するのって、誰でも出来るんですか?」
「残念ながら、そこは才能だな。出来る者は苦労せずともできるし、出来ない者はいくら試しても出来ない」
なんてこった。
魔法が使えるか否かは俺がどれだけこの世界をエンジョイできるかに深く関わってくるだろう。そのためにも、一度試しておく必要がある。
怖いのは、魔法のスキルレベルが0であることだ。
質問を重ねようかと口を開きかけたところで、ロック老人が右手を水晶玉に乗せながら話し始めた。
「と、話が逸れたな。この魔導器だが、これと同じ形状をした赤色の水晶玉がタイタンにある。それとこれとで一つの魔導器なのだ。こいつを使えば、片割れの持ち主とどれだけ離れていようとも会話ができる。どうだ凄いだろう」
「それはすごいですね」
予想通りだったのでリアクションが取りにくい。
ロック老人は俺の素っ気ない返事に眉を寄せ、不満げな表情を作った。
「なんだ、もっと驚くかと思ったんだがな。もしや知っていたのかね?」
「いえ、元いた世界には、同じ機能を持ったもっと便利なものがあったもので」
全くもって俺が誇ることではないのだが、少し鼻を高くしてそう答える。少し悪ノリが過ぎるか。
「そうか…。興味深いのう。また今度、お主のいた世界とやらの話も聞きたいものだ」
ロック老人は気を悪くした風もなく、髭をさすって感嘆しており、純粋に好奇心を刺激された様子だった。物知りと言われるだけあって、学者気質なのだろう。是非、と答えて、話の続きを促す。
「赤い水晶玉を持っているのは先刻話に出したグラントという奴でな。お主のように奇抜な格好で現れた人物を屋敷で食客として匿っているのだ。つまりこいつを使えば、同郷の者とコンタクトが取れるかもしれん」
伝言水晶という名前を聞いた時から予想していた流れだったが、俺は、安堵と緊張との入り混じった、説明し難い感慨に襲われた。
「どうだ、試してみるか?」
固まる俺に対し、ロック老人は続けて言葉を投げかける。
答えはもちろん、イエスだ。
ロック老人が右手をかざして何やらブツブツと呪文を唱えると、水晶玉の内部に淡い光がぽうっと浮かび上がって水晶玉全体を明るく染め、魔導器としての効果を発揮し始める。
その後、おそらくグラントという人物と思われる対話相手とガハハと愉快そうにしばらく談笑していたが、4分ほどして、左手で俺に手招きした。椅子から立ち上がり、ロック老人の傍へと移動する。
「えっと…これ、どうやって使うんです?」
「魔力はワシが供給し続ける。お主は、水晶玉を会話相手と思って会話すればよい」
単純明快でいいな、と思いながら、よしと気合を入れ、俺は水晶玉に声を投げかけた。
いよいよ運命のご対面だ。
「えーっと…。すみません、声聞こえてますかー?」
すると、20代前半くらいと思しき女性の声が聞こえてきた。のだが。
「うぇー?聞こえてりゅよー!キミ、日本人なんだってぇ?仲間だねぇ!あはははは!!!ヒック」
…なんだろうこの豪快な喋り方と妙に呂律の回っていない感じ…。
思い当たる理由は1つ。
「ロックさん、これって…」
「いや、ワシがグラントに信号を送った時にはもうこの状態だったらしくてな。明日以降にしようかと思ったのだが、明日は用事があるとかで…。すまぬな」
頭を掻きながら苦笑を浮かべるロック老人。
………………。
「何でこんな時間から飲んでるんですか!!!」
テーブルに両の手の平をバシンとぶつけながら悲痛な叫びを上げる俺。
「うぇー?いーじゃんいーじゃん、あたし食客だよー??もてら…もてなされちゃってるワケ!こりゃもう、飲まずに入られるかってーの!ゲラゲラ」
何だこの状況。心強い仲間ができるはずだったのに、酔っ払いの相手をすることになるなんて聞いてない。
ともかく、まだ受け答えはできるレベルのようだし、情報の確認から始めるか…。
「…まぁいいです。俺は畑守智といいます。あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あたし近藤奏!シクヨロ!!」
近藤奏…?
少し心に引っかかるものがあったが、思考を巡らせる前にそれはゲップに掻き消された。
「ちょっ、気をつけてくださいよ」
「あぁ〜ゴメンゴメンあはははは」
相変わらず間延びした返答だ。
いつまでも酔っ払いに振り回されているわけにはいかない。俺ははぁとため息をつくと、スイッチを切り替え、伝言水晶に真剣な顔で向き直った。
「本題に入ります。まず訊きたいんですが、近藤さんはここがどこかわかりますか?」
「あー…名字で呼ばれりゅの好きじゃないんら。奏って呼んで♡」
「奏さん」
「ハイハイ。もぉ〜カリカリしないでよぉ。ここがどこかって?そんなのあたしがわかるわけないじゃなーい!」
少しイラっとしたのが声に出てしまったか。いけないいけない。
ここがどこかわからない、という返答は別に期待はずれでもない。俺と同じように飛ばされてきたなら、俺の知らないことを知っているのは違和感があるからな。
「じゃあ次の質問なんですけど…。奏さん、スキルレベルの確認ってもうしました?」
「おっとぉ〜それを訊いちゃうかぁ〜。困ったなぁ〜うへへうへ」
どう考えても困っている人の声ではない。再びイラっとする。しかし怒ったら負けだ。
不自然に口角の上がった表情をピクピクさせながら、俺は優しい声で話を促した。
そして返ってきた言葉は想像を絶するものだった。
「それがねぇ…なんと、攻撃魔法スキルが全部レベル60なのだ!!」
「は…はぁ!?」
今一度確認するが、俺の魔法スキルは全てレベル0だ。そして、スキルレベルは、俺の見立て通りなら元の世界の能力に対応している。
ならば奏さんは魔法使いの末裔だったのか。否。元の世界に魔法が存在するだなんて到底考えられない。
俺は自分の桁外れの栽培スキルを思い浮かべる。恐らく何らかの力によって、俺は栽培スキルを、奏さんは魔法スキルを、不条理な形で受け取ってしまったのだろう。それが何なのかは、まだ想像も及ばないが。
そして俺がこの時どういう気持ちだったのか、諸君らなら分かってくれると信じている。
「羨ましい!!!!」
俺は、この世界に来てから何度目かの絶叫を上げた。