第2話 異世界オタクの旅〜第1村人発見〜
「ふぅ………」
潤いを渇望していた喉に冷たい水を流し込んだ俺は、安堵から長いため息を吐いた。
「それにしても綺麗な水だなぁ」
俺は今、北から南へと流れる川を目の前にしている。
この世界に召喚された場所から東に歩き続けたところ、15分ほどでこの場所に着いたのだ。
もっとも、太陽が東から昇り西に沈むという元の世界の常識が当てはまれば、だが。
川は幅が目測4mほどで、流れる水は見事なまでに透き通っていた。
透き通っている=安全とは言えないが、水分不足で倒れては元も子もないので、俺は思い切って飲むことにしたのだ。美味しかったしまぁ大丈夫だろう。
「さて…と」
俺は腰を持ち上げると、下流に顔を向け、目を細めた。見えるのは相も変わらぬ大自然のみで、人工物の気配はない。
次に上流を見てみたが、こちらも同じ塩梅だった。
ならば、下流に向かって歩くべきだろう。
サバイバルに詳しいわけではないので勘の域を出ないが、上流に行くほど辺りの地形は険しくなるはずで、そんなところに住居は建てないだろう。と思ったのである。
大きく伸びをしてから、よし!と気合いを入れると、俺は再び歩を進め始めた。
変化があったのは、歩き始めてからわずか4分後のことだった。
「煙!」
真っ白な雲に混じって、遠方で灰色の煙がもくもくとなびくのが見える。
煙の立つところに人間あり。きっとあそこには村なり何なり、人の居住区があるだろう。そう思うと自然と歩くペースが速くなり、気付けば駆け出していた。
そしてすぐバテた。
なにしろ元の世界にいた頃は、帰宅部の上に休日はほとんど自宅に篭りっぱなしの不健康生活を送っており、体力には全く自信がないのだ。
そこからまた初めのペースでとぼとぼ歩き、木造の家が立ち並ぶ村に着いたのは、太陽が沈み始める頃だった。
「あら、旅の方?」
村は腰ほどの高さの木の柵で囲われており、その一部のゲート状の部分にやって来たところ、人の良さそうな美人のご婦人に声をかけられた。後ろで束ねられたアッシュブラウンの髪といい、それと同じ色の瞳といい、透き通るような白い肌といい、どう見ても日本人ではない。桃色の質素なワンピースにレースの付いた真っ白な前掛けを着用しており、左腕には籠が下げられていて、白い布で蓋をしてある。
見知らぬ場所で人と出会えた感動をジーンと味わう。
「あっ…ええと…まぁそんな感じです」
そうしてからやっと、自分が素性の知れない不審人物であることに気がついた。それにこの世界の知識もほとんど無い。成り行きでここまで来たはいいが、具体的なプランが何もなかったことに重ねて気づく。
とりあえず肩書きは旅人でいいとしても、食事や住居はどうしよう。まさか日本円が使えることはないだろうし…
って待てよ、この人今日本語喋ったよな。
そんなことをつい考え込んでいると、
「あの…?どうかされましたか?」
ご婦人に心配されてしまった。前を見ると、上目遣いで怪訝そうな表情をしているのが見えた。
さっと目線を横に逸らしながら言う。
「いえ、その、実は記憶喪失になってしまったようで…。気がついたら草原にこの格好で放り出されていたんです。煙が見えたので人がいるかと思いとりあえずここに来てみたのですが…」
勢いで、異世界召喚された時の便利な常套句「キオクソーシツ」を発動してしまった。まぁこれ以上いい手が見つかるとも思えないし結果オーライだろう。
「記憶喪失!?それは大変です!明日の寄り合いで相談しましょう。それまでは私の家に…いえ、うちは今忙しいんでした…すみません」
こっちの方がびっくりした。
人が良さそうだって?その第一印象は半分正解で半分ハズレだ。その実、人が良すぎた…!
あれだけ驚いていたのに、すぐに対策を打ち立てる冷静さもあるようで、目が飛び出るような思いだ。
「謝らないでくださいよ。見ず知らずの俺に親切にして下さってこちらこそ頭が上がりません。一晩くらいなら野宿でも構いませんし」
両手をぶんぶんしながら慌てて早口で捲したてる。人に親切にされるのは慣れていない。
そこで、ご婦人はハッと口元を手で覆った。
「そうだ、物知りのロックさんなら何かわかるかも!あなた、特徴的な格好をしていますし…」
物知りのロックさんがどなたかはご存知ないが、異世界から飛ばされてきた俺についてわかることはほとんどないだろう。
しかし、ご婦人はこれしかないという風に腰に手を当ててうんうんと頷いているし、多くの村民とコンタクトを取れればそれだけこの世界の情報を収集しやすくなるので嬉しい。しかも物知りと来た。好意を無下にすることはないだろう。
「それはありがたい。案内を頼んでもよろしいですか?」
ご婦人はよしきたとばかりに任せてくださいと一言発すると、軽やかな足取りで村の反対側に向かって歩き出した。鼻歌まじりでとても嬉しいそうである。
可愛い人だなぁ…。
ロックさんとやらの家は、なかなかに趣深く、歴史を感じさせる風体であった。
平たく言えば、ボロボロ。さながら、お前んち、おっばけやーしき!という感じである。
雰囲気のある白い扉を開けて出てきたのは、これまた家に似合うご老人だった。背は150cmほどで、各所にほつれのある麻の服を着て、杖を持ち、頭髪はすっかり後退し、白い髭を蓄えている。すげーテンプレ。
「ロックさん、聞いてください、この方、記憶喪失になってしまったそうで…」
軽く挨拶を交わしてご婦人が話し始めるが、ロック老人はそれが耳に入らないという風で、俺を見て目を見開いていた。
ご婦人が気がつく。
「あの、ロックさん?聞いてますか?」
頬を膨らませて、ぷんぷんという効果音が聞こえてきそうだ。
「君…もしや、別の場所から飛ばされてきたということはないかね」
またもご婦人の言葉を華麗にスルーすると、ロック老人はそんなことを口にした。
え?今なんて?飛ばされてきた???
「詳しく」
食いつかないはずがなかった。
夕食の準備をしなければいけないというご婦人にお礼を言って見送ってから、俺はロック老人の家に招かれた。
室内は、外見の割に綺麗にされていて、いかにもファンタジー世界の民家といった具合である。玄関と呼べるスペースは無く、洋風に土足で踏み入るタイプのようだ。お世辞にも広いとは言えない広さではあるが、円形のテーブル、3脚の椅子、食器棚、タンス、調理台、暖炉と、必要最低限の物だけがこざっぱりと置かれていて、一目で快適と見て取れた。
暖炉の隣には扉が備わっているが、恐らくあの奥が寝室なのだろう。
適当に座れと言われたので椅子を1脚引いて腰を下ろすと、しばらくして熱い液体の入ったカップが運ばれてきた。
「それで…どうして俺が別世界から飛ばされてきたとわかったんですか?」
対面に座った老人に対し、俺は早速本題を切り込む。
「まぁそう焦るな。ホレ、冷めないうちに」
言われて目の前の黒い液体を口にする。
コーヒーのような味だが、甘みが強い。マッ◯スコーヒーに近いか。体をポカポカしたものが包み、ほっと一息つく。
そこで老人を見ると、指を忙しげに動かしており、焦っているのが見え見えだった。思わず笑いそうになる。
表情を崩さないようにしながら、カップをテーブルに戻して気を取り直す。
「これ、美味しいですね。元いた所で好きだった飲み物に似た味がします。なんという飲み物なんですか?」
世辞も兼ねて、本心からそう口にする。と、
「いや、そんなことよりお主、さっき『別の世界』と言ったな?」
少々前のめりになりながらそう訊いてきた。
そういえば、老人は別の場所と言っただけで、別の世界とは言っていなかったか。とはいえ、隠すことでもないだろう。
「そうです。まぁ、まだ確証があるわけではないのですが…」
「素晴らしい!!!」
唐突に食い気味に叫んで拳を握りしめ立ち上がった。
俺がギョッとして老人を見ていると、老人は身振り手振りを交えて楽しげに語り始めた。
「いやな、昨日ワシの友人のグラントのやつが奇妙な人物と交流を持ったという話を聞いたのだが、その人物というのがまた特徴的での、非常に羨ましかったのだ。そのあと耳にしたのだが、同じように変な格好をした人物が別の町でも見つかったという。これはワシにもチャンスがあるかもしれないと思っていた矢先にお主と出会ったのだ!しかもなんと別世界からの来客ときた!なんという奇跡、いや運命かもしれんな!会えて嬉しいぞ!!」
最終的に俺の両手を掴んでブンブンと振り始めた老人に対し、俺はやっと硬直から解放された。
直後襲ってきたのは激しい衝撃。
「えっ!俺と似たような人が他にもいるんですか!?」
「ふむ…たしかにそこは気になるところだろう。さっき言った通り、現時点でワシが知る限りでは2人いる。東の村タイタンと南の町バランシュにな。とはいえ、どっちも50スルは離れているからすぐに会うのは難しいだろう」
ロック老人は椅子に座り直し、落ち着いた口調で話す。
50スルが果たしてどれくらいの距離なのかは全くわからないが、すぐに会えないというのはやはりもどかしい。
となると、ひとまずはそのどちらか、あるいは両者とコンタクトを取るのが目的になるか…。
そう考えていると、老人は顎に手を当て、ニヤリと笑って言った。
「そう落胆するでない。実はな、ワシには1つ秘密の道具があるのだ」
どこ◯もドアでも出てくるのかと、俺はゴクリと生唾を飲み込んで続く言葉を待った。