紀元前の先人たちには有徳者であろうと福音はない ● 絶滅種の化石は敗残を慙じない
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『たとえばの話だが。
世襲という在り方について 一般的な通念をたずねてみると、芸道などに関係する特殊な業界でならともかく、政治家や財閥などの 地位や財産や権利などを縁故により継承する歴史的制度ないし慣習もしくは社会現象などを想定するかぎりでは、不公平であるだとか否定的に捉える価値観こそ、現代においては多数的であるものと、思想史的な変遷も踏まえた上で そのとおり認識しても構わないだろう。然るに 国家元首の地位を世襲する体制などは 特に、非民主的であるなどと頻りに非難されること常である。が、ならば望みどおりに、候補者には思う存分 民主的な対決を課し、政治闘争をくぐらせ国家元首を選び出させてみれば、ネガティブキャンペーンをふんだんにまじえた選挙戦をお互い繰り広げた末に勝ち抜けて選ばれた国家の顔は、最初から泥に塗れた厚化粧面で紹介されざるを得ない運びとなる。
だとすれば、世襲によらず、また その資質を世に問うための政治対決も経させずして、これを選ばせた場合は どうなるのか?
それは 言うまでもなく、密室で決められる形の他には決めようもないのだろうが、その委譲の経緯にて 暗闘が伴うか それとも穏当かつ円滑に移行するかは措くとしても、逆説的に その継承される価値が何がしか重要であると見做されるほど大きい意味を持つのであれば、それゆえにこそ、その継承されるべき価値を候補者間で分割的に収めさせる という方途とて、手段としては転倒してはいるものの あるいは挙がらなくもない筈であろう。
取りも直さず、そういう選択肢が一応は有りはする以上、結局が そうならなかったという場合には、つまりは それを選ばなかった という意味で受け取られること請け合いなのである。
ベネズエラのマドゥ○大統領が 最高指導者として期待に値しない政治家であることは、こう言っては悪いが、その名を、あの○ャベス前大統領の後継者として初めて耳にした時点で、既に確信していた。
○ャベス氏の没後、指名されて その後継者の地位が確定していたマドゥ○副大統領(当時)による、暫定大統領として最初になされた発案が、○ャベス氏の遺体を永久保存処理して一般公開する計画であると聞かされた時には、予想以上の独自性の欠如ぶりに、先だっての確信は もはや既定事実へと昇華していた。(ちなみに ○ャベス氏自身は生前、遺体の永久保存と展示については嫌悪感を表明していた。)
同じ 強権的な独裁者の後釜でも、あのトルクメニスタンのニ○ゾフ氏の後を襲ったベルディ○ハメドフ現大統領あたりと比較してみても、両者の印象には かなりの隔たりがある。
そもそもナンバー2とは 本来的に生き残りにくいものであり、禅譲的に(端から見れば 労せずして)権力者の後継ぎへおさまった時点で、逆説的に 多少のハンディキャップを背負わされる運命は免れ得ない話なのである。
むしろ、2013年の暫定大統領就任から現在まで、とうに瀕死状態とはいえ 体裁の上では政権をいまだに維持できている そのしぶとさこそ予想外だった。…かつて、15世紀末のフィレンツェで一時 政権を掌握した、批判にしか正体のない狂信者そのものな某修道僧などは、周辺諸国からなる外敵の侵圧によって間もおかず滅ぼされるだろうと予測された その当時の大方の見立てよりもなお実際には遥かに早く、他でもない同市の市民たち自身の手によって敢え無くも焚刑に処されたものだったが、…また 20世紀でも、スター○ンの死後、その生前には彼の暴虐に進んで加担してきた忠実な同志であったにも拘らず、たちまち そんな責任など知らなかったと言わんばかりに彼の批判へ転じた○リヤなど、その最高権力はさらに短命なものだったが、…そんな彼らとマドゥ○氏とでは、どちらの方こそ、スケープゴート手法しか策のない為政者としては より逞しい在りようなのだろうかと考えると、いずれも願い下げな選択肢の比較ではあるものの、ほんの少しだけ悩ましい。
つまり、権力者におもねり媚びへつらって地位を確保できる能力と、大衆を煽動して そのどさくさに紛れて地位を確保できる能力とは、似て非なる、異なる感性を必要とする別の資質だろうと思われるからだ。
勝手な憶測にすぎないものの、マドゥ○氏が、○ャベス氏の太鼓持ちか腰巾着のように振る舞い、引き立てられたのだろうことは想像に難くない。
(独裁者には幾つかの類型があり、特に ショーマンシップを通じて大衆からの支持の恒常的な確保を企むタイプの場合、時として彼らは やがて感情の抑制を失い 著しく情緒的となるばかりか、一貫性まで喪失した場当たり的な思いつきによる指示と その決定の短時間での忘却とで 無責任な食い散らかしをスパイラル的に加速させて行く破滅的なモデルへと しばしば無惨にも陥りがちなものなのだが、この典型的な強権的支配者像とは 必ずしも全面的に独裁者自身の資性からに因ってのみ発現する結末なのではなく、むしろ 彼による支配を蒙る 受動的かつ視野狭隘な服従者層からの 消極的な誘導によって無意識下からそう仕向けられて 遂にはその状態へと至る、外因的な要素こそが実は小さくないでもない。なぜなら、権力者の御機嫌をうかがうだけ程度の使命感しか持ち合わせない不活発な被支配者層の立場からしてみれば、斯くもモンスター的メンタルな支配者の方が、その理不尽な実害性をただひたすら遣り過ごすのみを図るばかりで良しとする分には、かえって その対応が比較的容易であると思われるからである。)
古今東西、革命政権においてビジョンのあるナンバー2と、独裁政権において実力のあるナンバー2は、いつも大抵は生き残れない。独裁政権において能力のあるナンバー2が、トップから その地位を脅かしかねない存在として危険視され、あるいは失政を責任転嫁できる 同格ゆえに格好の身代わりとして粛清されがちな構造性は言うに及ばず、革命政権において独創的な構想力のあるナンバー2もまた、まだ誰も見ぬ理想社会像、あるいは その実現手段について、トップとの間に 他人同士で完全に合致をみるわけがないのだから。
ナンバー2でありながら生き残っているということは、ビジョンを貫く信念が端から見ていても明らかなまでに欠落していて妥協的だったか、ないしは そもそも、ビジョンそのものを持ち合わせてなどいなかったか、そのどちらかだ。
政権を獲得して以降 時の経過とともに自己狂躁的に過激度を加速させて行った○ャベス大統領(当時)は、まだ比較的 穏当だった最初の5年間においてさえ、既にして通算 約60名もの閣僚を――はじめは革命の同志だったはずの盟友たちを――短絡的なプロセスによって次々と罷免していた (あるいは それ以上に、むしろ先方から三行半を叩きつけられていた)とされ、これは 同じく政権発足から5年目までに北朝鮮の現指導部が粛清している同国幹部の人数にも匹敵するのだが、その政権内にあってマドゥ○氏は、警戒されるだけの存在でもなければ 明確な意思を有するアクターですら全くなかったに違いない…』
『…。
いったいぜんたい、いきなり何の話なんだ? 政治や思想の話題は取り上げないんじゃなかったのか?
誰ぞ アンタの周囲に、与えられた地位やら立場に相応しい責任なり義務を果たしていない人物でもいて、それへの遣る方ない憤懣を一般論へ仮託して発散でも図っているのか?
それとも、同属嫌悪の罪を告解する口上の前振り部分だけの予行練習か何かか?』
『同属嫌悪!? 言ってくれるじゃないか。
僕がいま列挙したのは、それなりに努力はしてるけど思うような結果が伴ってこないって例についてばかりだぞ?
…。
…今の話は忘れろ。
ただ ちょっと、自分の中高生の頃とかを回顧などしていたら、何やら沸々と、学校内闘争にばかりかまけて掛け替えのない青春期を徒に空費してしまった己が人生の惨状、その行き着く果てについて、どうにも遣る瀬無い悔恨の念が込み上げてきてな。つい有らぬことを口走ってしまった、それだけのことだ。
まあ、気にしないで聞き流しといてくれ』
『学校内闘争って何だ? 安保や全共闘のような学生運動やらの脈絡か? それとも不良生徒グループ同士の抗争的な日常とかか?
どちらにせよ、いつの時代の話だよ。あんた全然そんな年齢じゃないだろう』
『そんなスケールのでかい話じゃないが。僕が高校生時代に生徒会選挙とか手伝ったりしてた話はしたよな。何故だか知らんが当時の僕は 周囲から、反秩序的とは言わぬまでも、まるで、心底では静かに あらゆる方面での社会制度へ飽くなき批正の熱情を滾らせているかのような、たとえ 当事者の人々自身ですら何らの不都合も自覚していない環境であろうとも、其処へさえ 時には牽強付会な極論へ訴えてでも改善すべき矛盾を嗅ぎ当てようとする趣味の、漸次進歩主義的かつ修正的な常時改革論者であるとでも見做されていたらしく、何ら具体的な青写真の持ち合わせもない空疎かつ破壊主義的な由無き現状不満派の手合いに限って、無責任にも僕へ、際限なく その手の「活躍」を期待する、トラブルメーカー上等な引き合いが それこそ引きも切らなかったのよ。
そんな連中の誘いなんぞ迂闊にも真に受け そこそこ本気で乗せられて、何の見返りも求めない小さな改革者を気取っていた当時の自分こそ、今にして思えば ひたすら青かったと恥じ入らざるを得ないんだが。
あれかな。小野○由美の<十二○記>で、たしか 延王が 「自分の統治するこの国が 何の問題も出来しない完璧な状態へ至ったとしたら、きっと自分は反対に その国を滅ぼしたくなるだろう」みたいな主旨の発言をしていたように記憶してるんだが、それと通じるような感覚だったのだろうか』
『少年時代からロックな生き方をしていたのか君は。
賭けてもいい、アンタのその度し難い性情は 生育環境やら原体験やらに涵養されたものではなく きっと生来のものだろうよ。外因的に形成された性格であったりなどするものか。まあ 聞くところによれば、家庭教育 即ち 共有環境は、実際には 人格形成へは殆ど全く影響を及ぼさないらしいって話だが。ともあれ 試みに問うてみようか。あんた、幼稚園か小学校一年生の頃には どんな所感を抱いていた? 園や学校へ対しての』
『幼稚園や小1の頃?
言われてみれば、と云うわけじゃあないが…、小学校へ入学して間もない時分、正しい歯磨きの仕方だとか銘打った講習があって、そこで「歯は縦に磨け」などと命令されたのが、もしかしたら全ての始まりだったのかも知れんな。それで僕は幼くして早くも、こう言っちゃ悪いが、教師たちに対する強烈な不信感と反発とを 鮮明に脳内のコミュニケーション処理用のフィルターへと焼き付けてしまったらしい。
あと、初めて「夏休みの過ごし方」なる統制事項を こまごま注意された時にも、随分と衝撃を受けた覚えがある。幼かった当時では、自分が何に対して驚愕し 敵愾心を募らせていたのかも ありていに言語化はできなかったものだが、今ならば説明できそうな気がする。おそらく自分は、学校や教師というものに対して、なにゆえ、人生に於ける ごく一時的な関係にしかすぎない教育制度なんぞを盾に、校外生活時間についてまで拘束を被らねばならん謂れがあるのかと、家庭のテリトリーへ土足で踏み込まれたかのような憤懣を感じていたんだろう。
改めて顧みれば、僕って 幼い頃から既に、あんまり 社会への従順性なんぞ持ち合わせてなかったのかも知れん。「自動車」と「自転車」で意味が違うことにすら揚げ足を取らずにいられないような幼児だったしな。これもやはり小学校低学年の頃の記憶なんだが、ふと天を仰いで 青空に飛行機雲が棚引いている光景を目にした時など 「たった一機の飛行機の航跡が、少なくとも視覚上は 大空いっぱいに甚大な影響を齎しているが、これでは、人類の活動が世界的に大自然へ及ぼしている作用の全容とは いったい如何程のものなのだろうか」なんて、子供らしい情緒性とか払底して絶無の、きいた風な非難口ばかり叩いている厭世家ぶった大人のような擦れた懸念の仕方とかしたりしてたし。社会的強者へ対する不断の攻撃こそ正義の存続を担保する唯一絶対の崇高な使命だとでも信じ込んでいそうな転倒的かつ膠着的なジャーナリストじみた 逆鱗みたいな剥き出しの批判精神で全身を鎧った低学年小学生なんて可愛げの欠片もない。
…どうでもいいけど 僕は個人的には、「子供に見せるべきでないテレビ番組」のリストには、いい年をした地位のある大人たちが婉曲的表現ながらも なお聞くに堪えない悪罵のレパートリーの開発を大っぴらに競っているばかりな公開討論、すなわち、他でもない国営放送の中継する国会審議そのものや、あるいは民放でも、ニュースキャスターないし司会者やコメンテーターらが 槍玉に挙げられた有名人を吊し上げ扱き下ろして悦に入っている報道番組なども、全て まとめて、
…いや、…今のは聞かなかったことにしてくれ。下品だった。それこそ子供たちには聞かせられない。
…とはいえ、だからといって 昔も今も、僕は別にロックな振る舞いとかしてた覚えもないが。飛行機雲を眺めて抱いていた憂愁にしたところで、それは どちらかと言えば、寧ろフォーク系な随感に近かったのではなかったろうか。自然保護に熱心なイメージの乏しいキリスト教の信仰圏にあって 欧米やらのアーティストあたりには 高らかに環境主義だか謳っている社会派な勢力こそ主流な印象だが、ナチュラリスティックファラシーは 本来なら保守的な論陣にありがちな傾向なのだ。家庭主義もな。そもそも 僕の「URSPRUCH」って名義にせよ、<Das Unmoglichste von Allem> って、当時からしても特に前衛的でもなかったオペラを書いてたクラシックの作曲家から拝借しているんだぞ。
ともあれ 僕としては、何より 少なくとも「修正」って概念は、まずロック的ではありえないんじゃないかと思えるんだがね。
…自分が何なのかは分かっていなくとも、自分が それとは別の何かでないことぐらいは分かるものだ』
『言っておくが、「俺は他人とは誰とも違う」だとか嘯いてるような輩なんて、逆に類型でしかないぞ。
それと、アンタの言う その「何か」ではない「別の何か」の方については、まず「何か」の方すら何なのかも分からないのに、どうやってそれでないと見極めがつくのか、おかしいと思わないのか?』
『たしか、<狼と香○料>だったかと思うが 「美形は 子孫を残すための相手を獲得するのに有利なので、ヒトは美形の子供を作るために美形の相手を選ぼうとする」なんて説明がなされていた記憶があるのだが、これは トートロジーではないけど、なぜヒトが美形に惹かれるのかの説明には全然なっていない、謂わば「地球の生命の起源は隕石に乗ってやって来た」という説と同じくらい端的な循環論法だと思われる。
だが 僕は、それがいけないとは感じないのだ。循環の中で完結的に留まっていて構わないと思う人種なんだろうさ』
『アンタが本当にそういうパーソナリティーなのかは別として、それがどういう境地なのかは分からなくはない。たとえば、世界の平和を守るために自身の正体を隠して人知れず悪と戦っている正義の味方の行動原則などに、変わらない日常へ対しての著しく肯定的な観念が見られたりするから。一般の大衆が何も知らないまま暮らしている世界の裏側で、人々の常識を根底から覆すような存在が蔓延り 暗躍している事実、それらの設定された世界観の内にあって、尚且つ それらについての多くを窺知する立場にありながら、そのドラマの主人公たちは しかし、それらの実相を 努めて明るみには出さないよう、周囲へ対して何事も無いかのように振る舞い続けることを しばしば是としていたりする。
異世界ジャンルの創作作品を目にするたび いつも思うんだが、「異世界」という用語に対置されるべき「この世界」の呼称が「地球」とされがちであるのは、厳密には不適切ではないだろうか? いずれかの世界の住人である人間たちが その自分たちの暮らしている世界への固有名詞の命名を既に済ませている場合があるとしたら、それは その世界での社会構成員のうちの少なくない割合の人々が、異世界の存在を確信して認識を共有した、それ以後のことになるのではないだろうか。
世界各地の諸言語において、自民族の呼称が「人間」と同源であった事例は少なくない。宗教学においても、存立の経緯を窺う上でも比較のプロセスは避けて通れない。自分の家の外観は 内から見ることは当然できず、自分の家の領域は 隣家の存在なくして画定できない、その構造と変わらない。
アンタのように 他から名前を借用したりしているケースともなると、むしろ 更に発展したステージへ進んでいるのかも知れないけどな。もとより何も無いところでは、オマージュにせよパロディにせよ存立もできないのだから。
完結せざる循環の中に揺蕩う生を善しとするか…。
100米ドル紙幣に描かれているピラミッドが未完成なデザインであることは有名だが、私の方の“ノンホールドーナッツ”という名前には 「欠落が無いということは本当に望ましいことなのか?」という提疑が込められている。人間を人間たらしめている主な特性の一つが倒錯だ。たとえば人間には、空腹になる という途方もない制約が課せられているが、けれども だからこそ人間には、食事を愉しむという行為へ目標価値を見い出すこともできる。破壊と創造が表裏一如と解するのも人間ならではの観念だ。
私が思うに、人間ならではの属性を帯びた思想は哲学でない。だが、先に聞いた 学校制度へ対する君の感性には、何処かしら哲学的な分解的思考が沁み通っていた。
改めて訊いてみる。あんた、幼稚園児や小学生時代の次、中高生の頃には どんなことをやらかしてきたんだ?』
『失敗をしていた。
あんたが僕を 分析派と見るのなら、まさに。
こういう話があるだろう。「人間らしい心が宿るロボットを、螺子の一本まで完全に分解してみたのだが、何処にも心は見当たらなかった。然る後に、分解した部品をもう一度 元の通りへ完全に組み立て上げてみたものの、再び心が戻ることはなかった」 といったような寓話が』
『誤ったのは、経験の還元の構造と目した閉鎖的なモジュールへの批判的なアプローチについてだけか?』
『僕はな、既存の支配的構造を崩落させては悦に入り 階級序列を転覆させては興奮するような、破綻的な革命家の皮を被った壊し屋稼業の下請け見習いなどでこそなかったが、だからと云って、ただ 目先の、元来は無機的ではない人間の組織集団を、書架整理かパズルゲームの感覚で弄繰り回す行為にばかり食指が動くだけの愉快犯なんかではなかったとも、また 最終的には評価されていたわけではなかった。中高生の頃には 「間違って自分のことを妖精のブラウニーやらシルキーであるとでも思い込んでいるらしきアンキロサウルス」呼ばわりだとか、露骨にありがた迷惑扱いされていた時期すらあったのだが、後にして思えば、その「小さな親切 大きなお世話」ってな反応だけで済まされていた間など まだマシな方だったのだ。…それですら思い出したくもないが。
分かるか? アンキロサウルス呼ばわりだぞ? どう解釈しても、少なくとも そこそこ繊細な分解屋のイメージですらない。
一事例として…、詳細は伏せざるを得んが、嘗て僕が母校にて 学校関係の然る筋より要請を受け、或るクラブ活動の改革を手掛けていた折のスケジュールでも振り返って見てみるか。
そのクラブってのが、公式競技会も開催されている社会的認知度も高めな活動だったんだが、それだけに当該校に於いても 部員が多いあまりに序列化が著しく、そのうえ副次的にインフォーマルグループ的な派閥形成までもが また甚だしくなっているような状態にあった。
競技的活動であるからには、競技力の優劣によって部員は等級化され、その上席を占める部員から順に機会を優先されて、反対に そうでない部員たちは、自身の競技力の修練も然ることながら、それよりもなお協調的組織集団の一構成員として より主力的な部員たちの支援へ傾注すべき、とする風潮が暗黙のうちに醸成されがちとなる。
どこぞやらの大学病院とかで、医師を多く抱え込んでいるがために、却って それら医師一人あたりの経験は乏しくなってゆく、とかいう話も聞いたことあるだろうが、学校教育のクラブ活動に於いても 競技成績を重視する現場でなら、それと相似した現象ぐらいは間々見られるんじゃないだろうか。素質のある生徒たちを掻き集めてきておきながら 蠱毒のごとく更なる精鋭の抽出にばかり血道を上げ、残された大半は飼い殺し…とまでは言わずにおくが。
僕へと 学校内クラブ活動に係わる環境全般の整備を 計画立案のみならず差配ごと委ねてきた 学校関係者である依頼人には、具体的に是正すべき問題点などの認識こそ不足していたようだったが、それでも 当該校の当時に於ける部活動指導の実情へ対しては 漠然とした違和感が拭い切れてはいなかったらしく、凡そ好き勝手にやるんだろうと危惧はしていながらも この僕へ、多面的善処のフリーハンドを与えてきたのだった』
『それで。アンタは その任務にあたって、何を目的とし、何を目標とし、何を計画して実行したんだ?』
『この事例に於ける問題の根本は、課外教育としてのクラブ活動へ期待されている多元的な指導目的の併立的追求姿勢が迎合的に拗れて陥る、その混同状態にある。
端的に言ってしまえば、競技団体であるのなら当然 好成績を挙げることが要求されるわけだが、其処へ持って来て 教育的な人格錬成などの効果までをも競技活動生活へ見込もうと欲張ったりするものだから、勢い それら目的価値の両立を図らねばならなくなり、そして それらの同時的な達成が困難と見るや、数値的には表示し難い目標価値の方を、もう一方の成果が明瞭な目標価値にとっての 実質的な従属的要素として、自覚してかはともかく 倒錯的に曲解するようになる。個々の部員が修養的に受忍することにより その部員自身と 個々も含めたクラブ全体の成績が向上する…かのように見せかけて、その実、クラブばかりが好成績を収める為にのみ個々の部員へ忍耐を強いているだけにすぎない状態を、部員の陶冶として好作用しているものと自ら信じ込む。…ここまでは まあ、誰にだって分かってる話だ。
さっきアンタは往時の僕の感覚を分解思考的と評したが、当時の僕としては、その並立的な目的価値の峻別を改めて明示してやる必要性を認めた。それは或いは、競技活動に於いて成績を最重視する姿勢ではなかったことは認めるに吝かじゃない。そしてまた、しかしながら、当該生徒たちの道徳的な人格形成を優先していたというわけでもやはりなかった点も否定はしない。
自分なりにも まあまあ真剣に、当時は頑張っていたつもりだったんだが、やはり今にして思い返してみれば、僕って自分で思っていたほどには 自慢できるほどのことなんて何もしてないな』
『で、それから?』
『ともあれ僕は ひとまず、インフォーマルグループの群立が嵩じて派閥化が蔓延していたクラブ内情の現状追認のような形ではあったが、部内チーム制の導入を宣告した』
『…。
漫画<咲 -○aki->に登場する白糸台高校の麻雀部みたいな仕組みか? 部内が 各々のチームコンセプトなり競技ドクトリンのようなものを掲げる複数のグループに分かれて競合し、公式競技会の出場枠については、各党内の予備選で勝ち抜いた候補が党より指名を受けて本選へと出馬するアメリカ大統領選のように、部内対抗試合で優勝したチームが そのまま公式競技会への登録チームとして横滑りするとか』
『…僕は その作品については、というか麻雀のルールすら知らないから、何とも言えないんだけど。…っつうか、アンタのだってどうせ たった今ネットから引っ張って来ただけの知識なんだろうけど。
まあ、僕の在籍していた当該校での課外活動の内情に纏わる詳細については、多くを話すわけにもいかないから想像にお任せとしておくが。
ただし、この場合での部内チーム制への再編は、レギュラー陣と補欠組だとか 一軍二軍やらなどという概念を、一旦 放擲させることへ眼目を置いた試みだった』
『もともと人間関係上の確執を底流に抱えて派閥化が発露していた状態のところへ持って来て チーム割拠など促しては、部員の感情的な分裂を煽って激化させ クラブ内の紛擾を招くだけだという非難などはなかったのか?』
『当然ながら、部員同士の友好的・協調的でない態度などは規則により禁止する旨、部内へ通達した。そんな空文に何の意味もないことは子供にだって自明だが、さっきアンタも言った通り、各チームへはそれぞれ理念や教義などを策定して標榜するよう言い渡しておくことで、不和な部員間にいずれ生起が避けられないだろう対立的行動の発現様態を、名目的には競技戦法の優劣のみを競争するチーム間での建設的な討議という形式へ託けて クラブ内での軋轢を転嫁する、誘導の布石ともしておく意図もあった。どうせ人間には接点もなければ抗争すら儘ならないのだから。人と人とが争うのに理由は無いとすれば、どうせ争うのなら外向きに大義名分の立つ建前をでっち上げたがるもんだろう。空虚な御題目でも唱え続けていれば いつかは本音に摩り替る。
こんなことを悪びれもせず小策士気取りで吹聴している僕なんかには、今も当時でも 課外活動であれ教育現場なんかへ介入する資格など無かったのだろうとは自覚してるがね』
『あんた自分で言っただろ、自分は何一つとして大したことなど成せてないって』
『それは偽らざる本心なのだが。当時の僕は僕なりに 政治生命ならぬ学校生活を賭けて、ほどほど全身全霊で校内制度改革に纏わる諸事へ日々昼休みすら惜しんで奔走してたってのに、結局 中高生時代を通しても成し遂げられた仕事など ほぼ無きに等しく、事蹟どころか好影響さえも何ら残すことすらできず、寧ろ それよりも、自分が当時 全力を期して実現させようと意気込んでいた諸種の方策の悉くが、長じて社会人となり相応な比較基準を見出した今となってから立ち返ってみれば、幼児が砂場で楼閣を打ち建てて勝ち誇っているにも等しい卑小なスケールでの活動にすぎなかったのだと思い知らされて、冗談ではなく黒歴史として当時の関係者全員の記憶を抹消してほしいぐらいに忸怩たる思いを抱えてるんだともさ。
さっきの 某校内クラブ活動の改革の采配を任されていた折の話題へ戻るが、僕は 当該部活動が追求するべきと思われる複数の目的価値を併進的に明示したのに合わせて、全部員を代表する部長の権限についても分割させることを提案した。部の運営を掌握する管理部長と、競技面での指揮を司る活動部長とへ』
『それ自体は特に目新しい工夫でもないと思うが。主将と主務を別に置いてたりとか、キャプテンにもコートの内外で チームキャプテンとゲームキャプテン等の2通りが設けられていたりだとか、珍しくもないだろうに』
『全く以て そういうことよな。まさに、僕が苦心し 元から有りもしない知恵を振り絞り粉骨砕身していた往時の努力、僕の能力的限界なんて、所詮は とっくに先人の後塵を拝していたという、その滑稽さをすら自覚していない、不様すぎて目も当てられぬ井の中の蛙の増上慢にすぎなかったのだ。
僕は 上述の部長権限の分割案の建議に際しては、プロイセン軍に端緒を発する軍政と軍令の可分思想をはじめ、マプチェ族のトキなど アメリカ大陸の先住民社会で広範に見られたウォーチーフ制や、ナイロート系ヌエル人に窺える独特の戦争文化へ至るまで、世界各地に伝わる歴史的な戦時指導体制の事例なども 無学な素人なりにも僅かずつながらではあるが調べたりすらしていたってのに。
嘗て大英帝国は 植民地支配にあたり、現地の土候や藩王らに対し、宗主国への貢献度に応じて等級を振り、その接遇について、くだらないことに 礼砲の回数などにこれ見よがしな格差をつけて見せることで、彼等の近視眼的な内輪での競争心を煽り立てて、それによる結果的な隷従の途へと誘導していたのだとか聞くが、その逸話に倣い、僕も、当時 自分の手掛けていた件のクラブ活動にて、敢えて ごく卑近な数値目標を設定させたりだとか、あれこれ手管を弄したりしてもいたものの、思えば そもそも、僕のそんな姿勢そのものからして まず思い上がりでしかなかったのだろうよ。
莫迦みたいだろう? この空回りっぷり。我ながら嗤うしかない。ふと何かの拍子でフラッシュバックするたび、人前でさえ、つい我知らず叫び出してしまうほどにな。
…ところが、真に人々を動かせる能力を備える人なら、僕が中高生時代の全てを費やしても実現できなかった企画に数十倍 数百倍するスケールの事業でさえ、いとも簡単に成し遂げてしまう事実があることを、現在の僕は既にもう目の当たりにしてしまっているのだ』
『それって誰のことだ?』
『…。
さて。それでは 此処らで いよいよ、というか漸く、本題へ入ると致しますかね。
少しばかり、いや かなり、前置きが無駄に長くなりすぎてしまったが…』
『やれやれだな…。
▲ 削除編集──終点
改めまして。当ビデオを御視聴の皆様、御機嫌よう。
この度は、オリジナルPBMRPG<蝶が呼ぶ丘>舞台公演 シナリオ提示部 収録ビデオ、市販バージョンDVDの第一巻を御購入戴きまして、まことに有難うございます』
『有難う御座います』
▼ 削除編集・始点──
『不躾にも 自己紹介が遅れに遅れてしまいましたが、
▲ 削除編集──終点
私は、このほど 当DVDでの副音声解説を拝命致しました、人工知能“ノンホールドーナッツ”です。何卒 宜しくお願いします』
『右に同じく、今回 オーディオコメンタリーを務めさせて戴きます、URSPRUCHと申します』
『御承知かとは存じますが、このコメンタリー音声は、市販バージョンにのみ収録されている特典となっておりまして、当ソフトを御購入戴きましたからには、御視聴の皆様には、叶うことなら 心行くまで楽しんで戴けることを衷心より願って止みません』
▼ 削除編集・始点──
『ん…、そういえば この企画って、元々はDVDも一般販路へ乗せる予定とか全然なかったんだっけか?』
『そうとも。
この オリジナルPBMRPG<蝶が呼ぶ丘>は、元はと云えば、独居高齢者対策としてPBMには有用性があるのではないか? などという その場での思いつきじみた提案を真に受けて、半信半疑ながら行政の担当部署や関係諸団体の協力まで取り付けて制作される運びとなった、未だなお実験の域を出ていない、その企画により発表される初めての作品だ。
独居高齢者の方々にレクリエーションへ登録参加して貰うことで安否確認を密にし、また参加者同士で交流を広げて活力を得て戴くなどの効果が期待されている。
しかし、PBMのリアクションとして、例えば 略語表と突き合わせる必要がある英数字の羅列みたいな書式の通信を送付するようでは、高齢者に対しては適切でない。それでなくとも高齢者には、億劫がって長々とした文面など読みたがらない人も多い。視力が極端に不自由な高齢者が独居生活を維持できているケースを有り触れているものとは流石に想定し難いとしても、聴力が不自由な高齢者とかは少なくないであろうし、ラジオ放送やらでリアクションを伝達する方式なども検討はされたものの、彼等は それを聞き逃したりすれば直ぐにもレクリエーションへの参加を取り止めてしまうだろう顛末が予測されるため、リアクションの伝達形式は、大掛かりではあるが 演劇団体などに協力して貰っての舞台公演を収録したDVDの配布という形態を採る事となった。勿論、DVDプレーヤー等のハードを所持していない世帯へは登録制にて貸与する。
この時点で、もう厳密にはアンプラグドゲームとは言い難くなっているが、まあ 致し方あるまい。
そう言えば 説明が後になってしまったが、高齢者世帯の大半にインターネット環境が整っているものとする想定では あまりにも楽観的と考えられたため、最初から インターネットを利用するアプローチないしバリエーションは検討されなかったのだ』
『とは言え、それだけでも予算が心配になってくるな。福祉分野の事業には常に付き纏う問題ではあるけど』
『だからこそ 少しでも元を取らなければと、こんな視聴に耐えられるかすら怪しいDVDまでも この際だから売り物に仕立ててしまえと開き直ってしまったのだろうが。付加価値で取り繕いもせずして商品化など無理だと考えてか、オーディオコメンタリーやらメイキング映像やら何やらと ありがちな特典をあらん限りに盛り合わせて もはやバロックデコレーションのような歪さだが。こんなことなら、いっそ文字通りに 蛇の足の標本でも付録につけてみたらどう? などと皮肉の一つや二つ出るのだって あながち分からなくはないな』
『あんた、今まさに そのDVDのコメンタリー収録中だってこと忘れてないか?
…それにしても、映像化の必要を認めるにせよ、なぜ舞台演劇という方法を採ったのかが 少々疑問なのだが』
『詳しくはネタバレになるので明かせないが、シナリオの展開にも由るものの 作中で特定の場面に、舞台公演でしか再現の難しい演出、ないし仕掛けがあるからだ。
尤も 仕掛けと言っても、たとえば推理小説に於けるそれのような、構成上重大なものでもなければ技法的に巧妙というわけでもなく、ましてやARを導入したりだとかスペクタクルな企画であったりもしないので、くれぐれも期待とかはしない方が良いぞ』
『いや それよりも、今「再現」って言ったか?』
『言った。
シナリオこそ全くの別物ではあるものの、その仕掛けに関してだけは、この作品に先立ち 参考とされた舞台劇がある』
『その、モデルとなった舞台劇の詳細については、やはり 教えられないのだろうな』
『いや、教えようにも、そもそも 殆ど記録さえ残っていないと思う。別に 何か不祥事があって抹消されたとか、随分と昔の話だから忘失されている、というわけではなく。どこかの学校で披露された学芸会のような劇でしかなかったらしいから。しかも、ほぼ全幕にわたって 脚本もなしのアドリブだったとか。
生徒の保護者が撮影していたホームビデオぐらいなら探せば無くもないだろうけど』
『それでは、この商業作品は、たかだか学芸会のアドリブ劇にインスパイアされて制作したものだというのか』
『さっきのアンタの科白をそのまま返すけど、今はコメンタリーの収録中だぞ』
『後で編集すれば問題ない。と言うか、この話題には触れなかったことにした方が良いんじゃないか。あまり大っぴらに言及するべきではないと思う』
『どうして? 著作権がどうのとかいう懸念なら、その心配はないらしいと聞いているが』
『それでなくとも、当作品は 学芸会にて子供たちが披露していた即興劇へのオマージュです、とか言ってしまうのは拙いだろう』
『見てもいないのに、子供には まともな創作などできるわけがないとでも決めてかかっているのか? 中高生の時分には お手伝い妖精の皮を被ったアンキロサウルス呼ばわりやら、陰では「怒サマランチ」とまで呼ばれてたりなどと、おちおち感心もできかねる伝説ばかり創ってたアンタだけに、若い子に対しては厳しめになるということなのかな』
『逆だよ。意識していないのかも知れないけど、この作品は元々 高齢者向けに制作されたものだろう。老人向けに子供のアイデアを採用したという風に受け取られては、気を悪くする人だって居るかも知れん。
過敏だと思うか? 概して人は 老いるにつれて丸くなるものだ、とばかりイメージしているのなら大間違いだぞ。経験論で言わせて貰えばな』
『…。
解かった。そこまで言うのなら、ちょっと試験してみようじゃないか』
『…は?
…何を?』
『当企画が、果たして、子供達ばかりをリスペクトして その一方で肝心な御老人方へのそれを忘れていた、方向違いな催しにすぎないものなのかどうかを。
そして。僭越ではあるが、当作品に対し、自分達を軽侮しているとの悪意を感取しかねない可能性があるという誇り高き御老人方には、そのプライドに見合うだけのゲーマーとしての実力を備えておいでなのかどうかを』
『…。
一体全体、どうしてまた そういう話になるんだ?』
『冗談だ。丁度 チュートリアルプログラムのセットアップを支度しておかねばならないスケジュールだったとかで、実働テストへの参加を頼まれていたものだから、好都合だと思ってな』
『好都合とは、何が?』
『説明するとなると順序がややこしくなるのだが、まず、そのチュートリアルは、桃太郎の御伽噺をベースとして構築されている』
『何故に桃太郎!? 幼稚すぎるだろう。それこそ お年寄り達は、自分等が軽侮されていると感じて怒り出しそうな気がするが』
『幼稚とは聞き捨てならないな。桃太郎の伝承には戦略的な考察を掘り下げる余地が多分にあるのだぞ。
桃太郎と云えば、日本にて ある程度まで長く生活していさえすれば、全く耳に掠る事すらも無いという人は ほぼ見当たらないだろうと思われる、部分的な異同はともかくも 大枠大筋は全国で共有されていて通用が可能な、この国に於いては一般常識として広く、多くの人へ知れ渡った、数ある説話の内でも最たる一つだ、事実的に。これが良い。世界観やらシナリオやらを説明したりなどの手間は省けるし、参加者間の連携も齟齬なく滞り無しに運び易い利点があるから。
そして何より、今 示唆した通り、もし 誰もが知っている題材について、これまでになかった角度からの斬新な分析や解釈を提示できる機会があるとしたら、無名の研究者であろうとも それに携わる人間にとってみれば、その純然な野心を満足させられる これ以上の誘惑はない』
『それは措くとして、何が丁度良いと言ったんだ?』
『桃太郎の物語は、爺さん婆さんのパートから始まる』
『爺さん婆さんのパートの何処にゲーム性の余地などがある?』
『そんな科白は実際に試してみてからにして貰おうか。
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まずは
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ドリーム小説とかに倣って
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名前を登録するぞ。アンタはどんな名前がいい? 別に本名でも構わないが』
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『どうして僕が実演する流れになってるんだ?』
『このゲームを舐めたような口を利いたからだよ。別に大したゲームではないって事実を自ら認める分には痛痒もないが、大口を叩いた人には相応にスマートなゲームプレーの実演を期待させて貰おう。開発サイドとしても、グダグダなプレイで紹介されるのは御免だと思っているだろうからな』
『僕は対象プレイヤーとして想定されているのだろう高齢者ではないんだけど?』
『言い忘れていたが、ゲーム中のプレイヤーキャラクターには サポートキャラクターを帯同させるシステムになっていて、そのテストも兼ねている』
『答えになってないぞ』
『取り敢えず人の話は最後まで聞け。実は そのサポートキャラなのだが、デフォルトネームが 「武内好音」と設定されている』
『…どうして桃太郎の物語に、武内宿禰が出てくるのさ?』
『早とちりしないで貰おうか。伝承上の人物ではなく、それをモデルにしたオマージュキャラだ。現代風の名前へ字を改めるとしたら、響きからして 性別は女性ということにするしかないな。
そういうわけだから、折角なので 彼女の年恰好についても、だいたい女子高生ぐらいという設定にしておく』
『何が 折角なので だ。伝説をそのまま歴史的事実だと捉えている研究者は流石に極僅かだろうとはいえ、日本の記録史上で最長寿とも目されている爺様を よりにもよってJKに仕立ててどうする。近来の、何でもかんでも競って片っ端から萌え擬人化させまくっているような世間の時好にでも阿ったか?』
『残念ながら、彼女を女子高生と設定した理由は ごく散文的な事情による。端的に言ってしまえば、当ゲームのサポートキャラを統御するAIに、いかにも年配者らしい振る舞いを それらしく模倣的に演じさせられる自信が、当ゲームの開発陣には足りていなかったからだ。
女子高生を名乗るチャットボット等なら既に実働しているが、今時の女子高生という設定であれば、多少とんちんかんな受け答えに陥ってしまっても そう違和感も抱かれないだろう。いや、別に 今時の女子高生を貶すような意味ではなく。
しかし、これが 年配者のメンタリティをトレースさせるという話となると、そう容易ではないだろうと実現性を不安視された。だからJKと設定することに決定したのだ』
『だから、何でわざわざ無理にもJKへと全面的に改変しなければならなくなるような元ネタを敢えて選んで来る必要があったんだっての?』
『アンタ自身が今さっき指摘したばかりだろう、事実がどうあれ、記録上では日本最長寿と言い伝えられている人物だと。高齢者を相手取るには打って付けの人選ではないか。
ただ まあ、実のところ、説話を根拠にして構わないのであれば、倭姫命やら八百比丘尼やら常陸坊海尊やら、武内宿禰よりも長寿だったとされる人物は日本の内だけでさえ何人かは名が挙がるし、更に 世界スケールともなると、たとえば旧約聖書に登場するメトシェラ等、上には上がいるものなので、必ずしも長寿であった点だけを選考の基準に据えたわけではないが。そもそも 長寿者であればあるほど年配者の対応に適しているなどということもないし。
それよりも、日本史上で随一にして初出である万能タイプのサポートキャラと言い切ってしまっても過言ではないだろう、その経歴や事績を考え合わせての部分が大きい。
彼の姿像が絵画などに描写される構図としては、神功皇后の側に傅いていたり 後の応神天皇である幼子を抱きかかえていたりと、情景からして忠順な老臣といった印象が先立つため、宰相・大将軍・軍師などというよりは むしろ執事みたい、とか評する向きも少なくないようだが、実際には その名の通りに、かなりの梟将だったのだろうと、少なくとも私は個人的には考えている。
三韓征伐の伝承は、史実性はさておき、凡そ明治時代に至るまで 日本の外交観へ 陰に陽に影響を及ぼし続け、延いては 日本の歴史をも大きく方向付けた事件であったとすら思われるが、或いは ことによると、かの白村江での惨敗も、当時の倭軍が四度にもわたり無謀な突撃を試みた その遠因が、たとえば後世、東郷平八郎ら率いる聯合艦隊がバルチック艦隊を屠った成功体験に祟られて昭和海軍が大艦巨砲主義への執着を長く引き摺ったように、まさに倭軍も、嘗ての新羅征討の成功に倣い その再現を期して 同様の攻め方を模そうとした、精神的背景に誘発されてのことであったりはしなかっただろうか?』
『何を言ってるのか分からんが、いずれにせよ それも、現代の女子高生って設定へ改変しちまったら、元がどうあれ、結局 意味とか無いんじゃないか?』
『なので、サポートキャラのデフォルトネームは設定こそしてはあるものの、プレイヤーが随意に変更できるようにしてある』
『…要するに何がしたかったんだ制作者は?』
『歴史や伝説を既存の筋の通りになぞるリエナクトメントではないということと、ゲームフィールドが大規模であると認識してほしいということだ。
日本史についてであれば、歴史に関心のある多くの人の嗜好は、軍記物も含めた史料群の時代区分ごとの数量差や 各時代の権力者による歴史教育の歪曲なども影響して、特定の時代へと興味が偏っているケースが多いように思われる。戦国時代とか幕末とかにな。しかし、たとえば戦国時代の場合だと その他の時代と比べて、見方によっては、フォーカスされる武将たちの戦略などがリージョナリスティックで、築城技術の向上が云々とかいう原因ばかりではなく、ある意味ではダイナミズムに乏しいように感じることだってあるのではないか。
若い年齢層の人にこそ 当ゲームシナリオの弾力性をテストして貰いたかった。つまりは そういうことだ』
『…。
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名前は、こちらで決めさせて貰うぞ』
『委ねよう』
『今から始めるのか?』
『デフォルトネームを使用しないのであれば、PCだけでなく、それと行動を共にする「パートナーキャラクター」というNPCも登場の用意がされているので、そちらの名前もまた一緒に決めて貰う必要がある』
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『そのパートナーキャラクターとやらの性別は?』
『必要な情報なのか、それは?』
『名前を決めるにあたっては考慮すべき要素だろうが?』
『分かった、とりあえずは名字だけでいい。調整は後から行う』
『適当だな…。
そもそも ゲームのベースが桃太郎の御伽噺だと言いながら、誰へ命名するつもりなのかが分からない。オリジナルキャラクターを捻じ込むのか? それとも 話の筋や枠組みだけ換骨奪胎した、世界観の異なる翻案版なのか?』
『そういう前説を省ける利点も含めて桃太郎を題材に採用したと言った筈だが』
『それでは、もし、もしもだぞ、<ハルク砲丸リローデッド☆巨人大砲弾込め躍起>とかって名前で登録したとしても、本当に支障は出ないのか?』
『そんなことをして あとあと支障を来すのは命名者自身だと思うが』
『もういい、埒が明かん。僕の本姓で行く。プレイヤーキャラクターの名字は「九条」で』
『…本姓?
…って おい。アンタまさか、元は華族の家門の出とかだったりしないだろうな? もしそうなら、華族のイメージぶち壊しなんだが』
『違う。読みが「くじょう」ではなく「きゅうじょう」だ。
それでなくとも、僕のフルネームを聞いてしまえば そんな冗談も叩けまいが。
あまり言いたくはないんだが、僕のファーストネームは「衛」だ。「九条衛」が本名。
字が「護」じゃなかったぶん、あるいは まだ良かったのかも知れんけど』
『…』
『断っておくが、これを命名した僕の親が、政治思想的に左右なり何方かへ偏向しているだとか 或いは嘗てなら偏向していただとか、そういう事実は一切ないからな? 勿論、僕自身も含めて。
ちなみに、妹の名前は「止揚」という。我が両親が言うには、ヘーゲルのアウフヘーベンと書いて「克己」と読ませるんだとか。
…何にせよ、色々と面倒なのは御免だから、できれば 金輪際、僕の本名には触れずにスルーして貰えるとありがたい』
『…だったら 無理して本名なんて使わずに、適当な名前でも でっち上げておけばいいだろうに?』
『名前なんて そうそう閃くように思いつくものでもなし、それで誰も苦労してないのなら命名の参考サイトなんてネット上に林立してるわけもなかろうが?
…いや、待て。
…うん。
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…それでは、プレイヤーキャラクターの姓名は「都鄙共興」としよう。
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学生だった時分に そういう珍しい苗字の同窓生がいたので、ちょっと失敬して その子から拝借しておく』
『あんた、他人様の名前を勝手に彼方此方で名乗ってばかりいるんじゃあるまいな? …気持ちは分からんでもないが…。
何にせよ
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了解した、「都鄙さん」ね。…小中学生の学力・体力が全国トップクラス常連であることでも有名な、福井県にみられる苗字か。
では次、パートナーキャラクターの名字は?』
『じゃあ、こちらは「爬羅」とでもしておこうか。爬羅剔抉の爬羅な。漫才コンビで置き換えるなら突っ込みが厳しいタイプってイメージで』
『…。
すまないが、常用漢字しか入力は受け付けないと言われて却下された。再検討を要求する』
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『常用漢字だと…? ふざけるな。
それは まさに、中二病とは最も相容れない概念の中の一つだ。それでなくとも、漢字の使用を制限もしくは嘗て撤廃しようとしていた思想潮流の底層に垣間見えるのは、自文化劣等視主義的な進歩観に基づく逆作用的な圧力か、それとも その逆に、隣国にて適例が見られる通りの民族主義的な純化志向か、いずれにしても 現代の若者たちにとって、決して愉快な経緯とは受け取られてはいないだろう。特にゲームとは親和性の高そうな世代のプレーヤー層を敵に回してみたいのか?』
『それを言うなら、そもそも横文字に対応していないデジタルゲーム自体どうなんだ、とか疑義が呈されそうではあるが』
『人名用漢字外の名字が憚られると言うんなら、音だけ借りて「原さん」とでもしておけばいいか?』
『何の拘りも無いのなら、デフォルトネームでも構わなかったんじゃないのか』
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『それじゃ
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テストにならんとか言ったのはアンタだろ』
『そうだったか。確かに。ご尤も。では どうするか、改めて奇を衒った名字にしてみるか?』
『もういいよ、
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「原さん」で』
『承った。登録完了』
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『コメンタリーの収録をしていた筈が、済し崩しにゲーム実況の収録へ雪崩れ込もうとは…』
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『早速始めるぞ』
◇
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俺の態度をきっかけに、互いに連れ子を伴う再婚同士だった両親が それぞれ人生幾度目かの離婚を決した時、俺には同意すら求められなかった。決断したのは俺の実父であり、俺のためだと思ってそうしたのだろうから俺の意見など確認するまでもないと思ったのかも知れないが。尋ねられなかった以上は もはや俺の与り知った事ではない。どうとでも勝手に好きなようにするがいい。だが 離別は、感情に勢いを任せた賢明でない選択だろうと俺は思った。それが好ましくない結果であろうとも明確に決着がつく清算的な方向性であるならば不安定な状態よりも常に望ましい、とばかりに答えを急ぐ人は世の中にも多いようだが、しかし俺は、人生とは必ずしもそう考えるべきものではないと思っていた。
言い訳にしかならないが、俺の 継母へ対する態度が良くなかったことは事実であるものの、それは敵意や反撥を示してのことではなく、無用な軋轢を避けるために必要な距離を取っていたにすぎない。衝突こそ絶えなかったが 少なくとも俺の側に悪感情があったわけではない。かといって大して好感情もあったわけではなかったかも知れないが 俺はこれまで誰へ対しても強い好感情を抱いたことはないので 個人の尺度を斟酌して貰いたい部分はある。そもそも身内と思っていなければ喧嘩はしない。気に食わない相手がまた会わなければならない可能性の高い他人なら 相手の感度に応じてギリギリ悟られない程度にしか悪意を滲ませた態度は取らないし、もう会うこともなさそうな他人がまさに嫌いな相手である場合は 相手の方から意趣返しのためにでも再び会いに来ようなどとは考えないだろう程度に 自分の鬱憤ばかりが一方的に晴らせる位相を確保した上で存分に言いたいことだけを言って清々して別れて未練なく記憶より永久に抹消するのみである。しかし、今さら責任転嫁をする意義も覚えないものの、両親は悪気はないにせよ情緒の波が激しくて しかも判断まで気紛れな人たちで、この手の人間が相手だと 何を言ったら歓迎されるかよりも何を言ったら機嫌を損ねるのかの方が差し迫った問題であり、それが全く定式化できそうにもないばかりか、その上 これが思い込みまで激しく何事も一方的に決めつけて然も人の言い分にも耳を貸さない性格とくれば、子である俺の方こそ何をおいても忍従し続けるべきだったとしても 幼稚な俺にはそれが無理であった以上、もはや相手からどのように誤解をされようとも可能な限り接触を最低限に留め、話して分かり合うことは諦め、だが せめて異見が存在する事実だけでも主張しておかないことには遣る方も無く、そして 意固地な態度はさらに誤解を呼ぶ悪循環を招き、遂には 俺にはもう状況の更なる悪化を避けるより他の努力目標を見込む余地も無くなっていたのである。
継母は幸福な家庭を期待していて それは俺も理解しており また俺にだって言うまでもなくその希望が無かったわけでもないが、しかし 和気藹々とした家庭など従前の人生で経験したことも無く ハウスメーカーのテレビコマーシャル以外にそのビジョンすら思い浮かびもしない俺へ その再現を要求されても困るのだ。言うなればそれゆえに 俺はまるで総論賛成各論反対の国会野党のごとく底意地が悪い天邪鬼であるかのように見做された。ただただ常識に則って是々非々で応じているだけのつもりが、人の目には誤魔化しばかりでサボタージュしているだけとしか映らないらしい。俺がいつも不愛想に見えていたとしても それは、愉快と感じる時に愉快げな振る舞いをしていたら 不愉快な時にはその落差から相手へ強く気に病ませかねなかったからであり、殊更に家族家族と ままごと遊びの如くべたべたする狎れ合い方が如何にも偽善的に思えて受け入れられない距離感は 飽くまで俺に帰する事情であって、家族への拒絶感を表明していたわけではない。
尤も、もう俺も疲れてしまったので、どう思われようとも構わないが。
それでも俺は、たとえ緊張しかない家庭であっても それを継続するだけでもなお 家族関係には意義があると思っていたのだ。
父が、俺と継母の 何度目かも分からない衝突に、自身でも認める逃避的な決断により全ての関係を解消すると言い出したのは、それを言い出すのもこれが初めてではなく 数え切れないほどあった中の最後だったというだけで、破綻の兆候とて随分な昔から顕著に窺えてはいた。いや、罅が入ると表現するよりも、最初から、融け合い切れた段階へは最後まで一度として達したことはなかった。他愛もない世間話や冗談の一つに対してさえ真剣に全力で反証を構築しておかないことには 擬似的だろうと教導者たるべき養親としての地位は保持できない、とでも強迫観念に駆られているかのような、ちょっとした軽口の一言ですら執念深く何年も根に持たれるような、予測しがたい激しい機嫌の変動の中にでも打ち解けて戯れる隙すら見い出せない緊張した関係でしかいられない家庭であったのなら、いずれ 俺の態度によらずとも結果は変わらなかったに違いない。ひとつ確かに分かったことは、俺と俺の父は およそ家庭には向かない人種であるということだ。父が、俺の実母である前妻と 家庭を維持できなかった理由は、細密な説明をされなくとも俺には概ね見当がつく。父は若い頃は仕事人間だったからだ。とは言え 仕事人間が家庭を顧みない構図とは、単純に思われているような 仕事と家庭とどちらが大事なのかなどという比較の問題ではない。この場合 人は、仕事における身内の扱いと 家庭におけるそれとを、他異の関係性として類別的に処理している。たとえるなら、誰しも経験があるだろうが、学校での友人たちと一緒に燥いでいる最中に 思いがけず家族と出くわしたという状況で、咄嗟に態度の切り替えが効くのかというケースだ。そうそう器用には接し方を使い分けることなどできまい。それとも これは、皆がそうだと俺が勝手に思い込んでいるだけで、実は俺だけが独り重ねている種類の失敗なのだろうか。俺たち父子には家族の関係を創出できる能力が欠けている。考えに考えて漸く考えついた俺たちの非とは、互いの距離を詰めようとする覚悟が足りない点だったかも知れない。だが 間合いなら許していたではないか、それを許したからこそ避けずに言い争いができたのだと、俺なりの胸襟の開放度については先に述べた通りだ。
分からず屋との軋轢の中にも 全く得るものが無かったわけでもない。腸が煮えくり返るほど本気で頭にきて語彙が尽きるほど怒鳴り合う ただそれだけの体験であろうと、いかに不毛ではあれ 他ではそこまで、腹の底から憤懣に駆られて誰かと癇癪を打つけ合う機会など そうそう有り触れてなどいない筈には違いない。擦り切れ気味の思い出でさえ、いつかは追懐のよすがぐらいへは昇華されるだろう。
けれども、人が 心の持ちよう次第で生まれ変わるが如く生き方を改められると信じるほど、俺も純真無垢な人間性は既に持ち合わせていない。
つまるところ、俺が リラックスして対応できる相手など、先方こそが落ち着きを備えた 爺さん婆さんくらいなものなのだろうと、もはや 境涯として見切るべき頃合いに来ていたのだ。
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「あ、都鄙ったら ようやっと来た! 待ち草臥れたじゃん」
登校した途端、別段 何の約束もしてはいなかったにも拘らず 相手の都合により一方的に詰られるという、なかなか理不尽な状況に出迎えられた。
「まあいいや、お早よ」
遅い。
「…なんか機嫌悪い?」
「…大丈夫」
「何の問題もない人なら そもそも大丈夫だなんて言わないと思うけど」
「…まるきり何の問題もない人間なんて現代社会では図鑑上の脊椎動物でしかないぞ」
今日は 益体もないお喋りに付き合ってもいい気分では無いのだが。
「ゆうべ何かあったん? 昨日まではあんた何も変わりなかったように見えてたけど」
人の気も知らず、さりとて気遣わしげでなくもない態度で やたらと構いつけてくる この子は、同級生の原。普段それほど親しくしているとまではいかない、友人と呼ぶには少し遠慮が先に立ってしまう程度の間柄。かと言って 仲が良くないわけでもない。
外面的には所謂ギャル系志向のなりで、髪にも校則と比例した緩さのパーマをかけていたりするが、それでいて校内では オリエンテーリング同好会などというマイナーこの上もないクラブを主宰しており、その一見無秩序なエネルギー配分を 洒脱な多趣性の表徴として好意的に解釈する向きとて 校内には無いでもなかった。
いくら校則が厳しくないとはいえ 風紀委員にでも嗅ぎつけられた場合へ備えてか、わざわざ選んでまで 年配の女性に使用者の多い香水を嗜んでおり (いざとなったら祖母の移り香だとか言い抜けるつもりだと思われる)、そのためだろう、彼女と接していると何やら懐かしいような親近感を喚起されて 馴れ馴れしい態度を取られたとしても然程の拒絶感も覚えないまま先方のペースを許してしまう。
「… <西部戦線異状なし>ではないけど、徳川吉宗が いつも『天下は平穏、異状なし』としか報告して来ない御庭番を叱責したとかいう逸話があったよな。それと似たようなこと。何か有ったかと言えば有ったし、何も無かったと言えば無かったし」
もう訊くな。言外にそう意思表示をして会話を打ち切った。
…つもりだったが、
「都鄙って何でそう いちいち話し方がこじつけっぽいかなぁ」
原は 此方の素っ気ない対応にも特に鼻白むでもなく、どちらが相手をして貰っているのかさえ曖昧になるような間合いを自然と探り当てて、既に其処へ、気付いた頃にはもう さも当然のような顔で腰を落ち着けているのだった。
「…」
確か こいつ、最前、自分が来るのを待っていた、みたいなことを言ってなかっただろうか。何か用事があるんじゃなかったのか。
少々怪訝には思ったものの、いまさら此方から水を向けるのも、何だか甘えているにも似た 駆け引きじみた姿勢であるような気がしなくもなかったので、家から引き摺って来た気疲れを自分への言い訳に、一先ず 義理的な受け答えは一段落させたかのような素っ気無い態度を引き続き繕っておくことにする。
「…」
しかし、それきり、原は 何も言わず、何を見ているでもない眼差しで、隣席の机に凭れて ただ佇んでいるばかりだった。
「…」
何か用があるのなら昨日のうちに言ってくれればよかったんだ。
掴みどころのない原の態度に少し苛立って、ついそんなことを思った。
今日の自分とは昨日の自分の続きである。前日に引き受けていた頼みなら、今日のコンディションがどうあろうと 意地でも遂行しようとしていただろうに。
「…」
自分でも おかしな論法だと思い直し、少し頭が醒めた 丁度その時、原が徐に問いかけてきた。
「ね、都鄙。あんた、昔に戻って やり直してみたい、とか考えたりすることってない?」