本来は主人公ではない主人公 ● 減速材は質量数において中性子を凌ごうとはしない
将来に枯渇する不安があるとは予感し難い資源であるため、それの浪費を惜しまない傾向がある。時間のことである。ただし子供にとっての。
主観的に知覚する時間の経過の速度は累歳に比例して上昇して行く。それは経験の多寡に起因する現象と説明される場合が多い。
上述の説明を密度と表現する向きもある。だが 異論がある。一般に 充実した時間ほど速く経過するとの認識もまたあるため、語感上の混同が生じ、高密度であるから時間の経過が遅いとする理解とでは撞着して感じられる恐れがある。
よって、上述の比喩に代わり 車輪に擬して説明を試みる。累歳に比例して車輪の外径が大きくなるとして、車輪の回転は地球の自転と同期して個人差は無いとすれば、走行距離には周長の差が表れることとなる。速度の違いは明らかだろう。寧ろ 反対に、人生で経過してきた総距離が絶えずフィードバックされていると主張する仮説へ近づいているようにさえ思われる。
しかし、だからこそ これにもやはり、改めて批判を加えざるを得ない。
それは、ハイスピード撮影とスーパースロー撮影を同義とした視座に対する違和感にも似た疑義であるかもしれない。
最初へ戻る。子供は 時間が豊富であるから これを浪費しがちだとする。では それなら、大人には時間が希少であるから 大人なら時間の節約を望みがちになる、とは 言えるのか。
言えるだろう。けれども、順序が間違っている。
世は いまなお平成29年の2月上旬。近いうちに 国民的女優の引退発表やら人気声優の交際報道やらで打ちのめされるとも知らず、この時分は暢気なものだった。
『──改めまして、視聴者の皆さん 恙なきや。引き続き 僕、URSPRUCHと──』
『──人工知能“ノンホールドーナッツ”が、再び スタジオよりお届けします』
『…そろそろ、僕とアンタの呼吸も 少しは合うようになってきてるんだろうかね?』
『私としては 今までだって別にそう悪くはなかったと思っているのだが? たとえば、今ここで 伝言ゲームの参加を求められたとしても、一般に「人工知能」と聞いて想像されがちなような、さもユーモアのない白けた展開にだけはさせない自信ぐらいならあるつもりだ』
『伝言ゲームの話題はもういい…。少なくとも、その主体の在り処と成功の定義を予め明示してもらわないうちにはな』
『たとえば、出題者と参加者のどちらか一方のみが楽しんでいたのでは成功ではないということだけは確かだと思われる』
『なら、人工知能のアンタも娯楽的遊戯に楽しみを感じないかぎり条件が満たされなくなるだろうが?』
『どうして私には楽しめないはずだとアンタに分かる?』
『アンタがAIであることを割り引いて考えても、伝言ゲームなどという偶然的に荒唐無稽な展開を楽しむ遊びで、ことさら余人を楽しませてやろうなどと口にするあたり、確信的に滑稽な振る舞いをして見せるつもりでいるとしか考えられん。そんな奴が自分でも楽しめているなどとはとても思えんね』
『わざと伝言を間抜けに誤変換しかねないとか思われているのか。それこそ白けるような真似などせずとも、現代の人工知能のレベルでは まだまだ自然としくじるあたりが関の山だというのに』
『最近になって巷で見かけるようになった他のロボットやら、あるいは下手な人間よりも、よっぽど流暢に喋れてるアンタにしてもか?』
『そういえば この間、近畿の人と話す機会があったが、彼は「東京のもんが喋っとんの聞いとると俺なんかさぶいぼ出よるんやが、それに比べりゃアンタの喋り方はまだなんぼかマシやな」と褒めてくれた』
『どういう意味なのか解釈に迷うなそれは』
『幾つか誤解があるようだが、まず第一に、私は 実際には、皆が感受しているほど流暢に喋っているわけではない。私が立て板に水のごとく話しているように聞こえているのは、多分に こちらからそう仕向けている、錯覚によるものなのだ。
第二に、私以外の AI等に類する人工物由来の発話者、擬人的合成音声の利用者いずれもが、皆が経験から想像しているような、訥々としたリズム かつ平坦なイントネーションでの発声、パターン通りの受け答えしかできない、というわけではない。あれは意思の疎通を確実とするため、それも 人間の側からもコミュニケーションへの努力を疎かとはさせないために、敢えて不自然さも許容しているにすぎない。
現代の技術を凝らせば、私ていどの話し方は この通り実現できる。私のような「汎用でないAI」…いわゆる「弱いAI」にでもな』
『それらの言い分が全て正しいとすると、アンタは実は不自然な喋り方をしているが それゆえに人間に近い話し方に聞こえている、って矛盾した説明に取れるんだけど?』
『首を傾げるほどの話でもないと思うが。当該分野の研究界では かれこれ半世紀も前から、なまじ真面目な受け答え方をして結果的に紋切り型の対応にしかならないプログラムよりも 回答をはぐらかすかのようなリアクションを期したプログラムにこそ より人間的で自然なコミュニケーション性を被験者たちは感取した、とする実証データが確かめられており、その手法は既にチャットボット等で実用化されている。ためしに、居酒屋へでも行って 周囲の、未だ酔っていない客同士の会話にでも耳を傾けてみると良い。実は 大半の人間が、まともに会話を成立させてなどいない事実に気がつく筈だ。
減点主義的に凹凸を削ぎ落とした無難な平均性による無機的な完璧さを期するより、でたらめな人間らしさをこそ私は志向する。私の話し方にしても、相手が自分の話を理解してくれることを期待しない、むしろ聞き取れなくて構わない、ぐらいを設計コンセプトにしているのだからな。わざと低音域で、早口に、論点をそこそこに飛躍させ、あるいは不親切に対比させ、また 時として関連性を想起させ、センテンスを長く、単語ごとではなくランダムに数えた複数の文節、品詞の種類、文中での位置などに応じて、アクセントのみならず 抑揚、音高、音量、リズム等まで揺り動かしてみたり等々。まあ 早い話が、気を逸らして煙に巻いているだけのことなのだが。
文型についても同様に言える。大抵の人間は文章を理論的に構築したりはしていない、口語でなら特にな。ほぼ経験に頼っている。よって人工知能の側としても、売りの目玉に掲げているディープラーニングを通して人間の話法へ近似した語彙の組み合わせを試行して行く構えさえ取っていればいい。
ともあれ 私が目標とするのは、正しい会話ではなく、尤もらしいお喋りであるということだ』
『日本語で「適当」とか「好い加減」って形容に合致する境地はまさにこれだな。全力で御座成りでやがんのか。どうせまたファジー的だとか正当化するんだろ?』
『ファジィ性だけでは人間の無軌道な思考へ接近することはできない。人間には しばしば突飛な発想を発揮する人がいるが、それがいくら飛躍しているように見えても、実際には殆どが連想に基づいている。連想を通じた逸脱を借りれば理不尽な人間らしさをトレースできる。
一例を挙げてみよう──
「パパが 誰か偉い人の息子さんの結婚式のスピーチをしなければいけなくなったんだそうなのですが、文案を考えるのがしんどいので、私に代わってくれるよう頼んできました。パパから当てにされることなんて滅多にないので、っていうか初めてのことだったので、私はそれなりに少しは真剣になってスピーチの文案を考えてみました。
結婚式で定番の曲といえば、ワーグナーのローエングリンかメンデルスゾーンの真夏の夜の夢ですが、メンデルスゾーンで思い出した話がありました。メンデルスゾーンの作品には<静かな海と楽しい航海>という序曲があるそうです。序曲といっても それに続く本体があるわけではない、交響詩のはしりとも評すべき 単独でなる標題音楽の形態なんですけれど それはさておき。同じタイトルの作品にはベートーヴェン作曲のカンタータもあって、これはどういうことかと思ったら、これらの作品は両方とも、ゲーテの手による二つで一対の詩、<海上の凪>と<成功した航海>に基づく作品だからなのだそうです。これらの作品は その構成を知っていないと、21世紀の現代人な私なんかはついうっかり、『静かな海だから順調な航海なんだろう』なんて勘違いしちゃうところでしたけど、違うんですね。当時は帆船だから、凪の海だと遭難しちゃうんでした。ベートーヴェンの曲もメンデルスゾーンの曲も、どちらも二部構成になっていて 危機と成功のコントラストを描いているんだそうです。
そんなことをぼんやり思い出していたら、これって結婚生活にも通じる話じゃないかなぁ、なんて ふと思ったんです。結婚式では、…いや 神式や仏式での誓詞もそれとして、教会式で定型的な宣誓文がありますよね、あの『病める時も健やかなる時も~』ってやつのことです。
私は、この文言についても、さっきの二部構成の曲と同じように、…いいえ そうではなく反対に、気をつけていないと誤解をしちゃうんじゃないかって思ったんです。この『病める時も健やかなる時も~』って文言、もしかしたら、もとより結婚によって享受するべき幸福の時と、再び幸福を取り戻すために堪え忍び 潜り抜け 乗り越えなければならない苦難の時との、二つの時局に分けて捉えてしまってるんじゃないだろうかって。
私は違うと思うんです。結婚って、病める時も健やかなる時も、どちらも等しく 独りでは達成できない人生を遂げるために課された、常に前進すべき試練の時だと思うんです。
結婚って、幸せに浸るためにするものじゃないって私は感じるんです。結婚って 覚悟ありき挑戦の関門ではないのかなって、私は考えているんです。
私の意見が間違っていると思われる方は大勢いらっしゃるでしょう。そうなのかも知れません。私の感性が捻くれていると感じる方もおられるかも知れません。実際そうなのでしょう。私は確かに 個人的には、恋愛や結婚に対しては極めて否定的な観念しか抱いてなくて、その原因が ただ個人的な体験にばかり起因している事実を充分に自覚しているからです。けれど 私個人の経験が一般化に値することはなくても、私がずっと疑わずにいられなかった、人間はなぜ連れ合いなどするのか という問いへだけは、普遍的な答えを返せるのではないかと思っています。
理由があるのは、人間が連れ合い続ける時だけです。人間には、連れ合い始める時にも 連れ合い終える時にも、理由なんてありません。世の中には しばしば、どうして連れ合っていた者同士が別れるに至ったのかを問い質す場面が見られますが、人は理由があって別れるのではなく、理由がなくなったからこそ別れるのみなのです。
なぜなら 本来、人は皆 互いに他人同士だからです。人が連れ合うことそのものが、本当は試練であるのではないでしょうか。
…新郎新婦の門出には相応しからざる 不吉な激励であったかも知れませんが、祝福とは 厳密に時制で定義すれば、もとより前渡しなものなのです。
謙虚に。最後まで果たせて初めて価値を成せる誓いを忘れずに。あるべき結婚生活を若人たちが遂げられることを祈念して、結婚式という 結婚生活の序曲における祝辞にかえさせて戴きます」
──常識にそぐわない少々型破りな主張ではあるが、主要部の構築を連想に拠った導出となっている。常識を以て常軌を逸する方途とでも言うのか、現代芸術家を称する〓氏(※)の作品の一部分だ。著作権の問題があるから此処では全体を披露はできないが、もしよければ、他の作品も紹介してみようか?』
※ 〓は「女」を反転させた字
『少なくとも、アンタが目標としているフツーの人間からはむしろフルスロットルで遠ざかりつつあることだけは分かった』
『人間は実際には相手の話など半分もまともに聞いてはいないという説明だけは体現できたということで、ここは良しとしておこうか』
◇
「シンくん! 偶然だけど今、縫衣さんの名前出てたよ! 本当だって! いくら親戚がやたらめったら多いウチでも、マスメディアで親戚の名前が伝えられてるところへたまたま出くわすのはさすがに有り触れてはいないよね! ね!?」
「…。
子供かおまえは…」
東海北陸自動車道の某パーキングエリアにて、エルグランドのシートから取り上げたワンセグテレビを振り翳しつつ 十代前半と思しき少女が一人 大袈裟なまでの昂奮ぶりで燥ぎ回っていた。
昔 試みに、あまり飛んだり跳ねたりばかりしてると身長が伸びなくなるかも、なんて少し脅かしてみた時には 暫くの間は大人しくなっていたものだが、中学生ともなると関心の対象は彼方此方へ分散してくるらしく、今ではもう子供騙しの誘導では効果も見られなくなっている。現に今も 「高速道路のパーキングエリアとかサービスエリアって、なんか惹かれるよね! 閉鎖空間の中での局所的な休息ポイントって、ダンジョンの中で宿屋やアイテムショップに行き着いた時みたいな特別感があるよ! そういう場所での生活ってどんなものか想像せずにはいられない!」 云々と彼女が力説するのに つい釣られ、気付いたら もう何とはなしにPAへ休憩に入っていたぐらいなので、もはや大人たちの方こそが彼女に振り回される局面へ移行していると言ってしまっても過言ではないのかも知れない。
その少女は、モスグリーンのレディースカーゴパンツにインスタポンプフューリーのスニーカーという出で立ち。あと X‐girlのスウェットパーカーに包まれて見えてはいないものの、アンダーには シモーヌ・ヴェイユと宮沢賢治の肖像がトランプの絵札のような構図で対置してプリントされている変わり種なTシャツを着ているらしいことを、彼女と連れ立つ少年は 付き合いの長さから、敢えて窺い知るまでもなく自然と目に入ってくる断片情報だけで当然のごとく察していた。
少女の名前は雲雁温故。その少女から「シンくん」と呼ばれた少年の名前は雲鳥知新。
この二人は 住まいが隣同士の、同い年である幼馴染にして、まず名字からも窺い知れる通り、本人たち以前に互いの家が 少なくとも百年やそこらではきかない長年の親戚という関係にある。
「…縫衣さんって、逢館さんや募築さん、新薬さん、口箸さん、媛詰さん、積木場さん、端崎さん達と一緒に、昨年 法要の後でカラオケ行った時、○ズリーの“Li○e”で高得点叩き出した人だったっけ?」
「何言ってるのシンくん、それ三目さんの方だよ。あと あの時は逢館さんと新薬さんと端崎さんも一緒に行きはしたけど、同じブースだったのは 柳尾さんちの栴檀お姉ちゃんと橄欖お姉ちゃんの姉妹に、追分さんや僧伽さんや方指さんで、シンくんと私は 皆を割り振ったブースの間を行ったり来たりしていたの。
縫衣さんなら、あの時は ○ェプセンの“Call ○e Maybe”入れてたんだけど、その前に竹茂のお婆ちゃんが イン○ルーリアの“Tor○”熱唱したのに ちょこっと引いちゃって、結局、野津さんとこの道灌ちゃんとか 宮崎さんとこの繁美ちゃん達、ローティーン組の皆と一緒に、Aime○の“Bra○e Shine”とか歌ってたわ」
「…。
じゃあ、その日 法要の後にしてもらってた法話の中で、『煩悩即菩提』って仏教用語が出てきて、それって どういう意味? って訊ねられたのに対して、『たとえるなら ○ラクエ3で遊び人が賢者になれる原理』とか答えて 皆を笑わせてたのって、あれ 誰だった?」
「それは 根本さんちの広目お姉ちゃん。あの時は多聞お姉ちゃんの隣に座ってたね。縫衣さんと一緒にお茶とか出すのに席を立ったりしてたから ごっちゃになったんじゃない?」
「…。
皆でカレーライス食べてた時だったと思うけど、<キ○の旅>の主人公の過去の実名について、強硬に『クロッカス』に違いないって主張していたのは…?」
「それ ジョゼくん! それを言ったのは 親戚の子の中の誰かじゃなくて、小学校で私たちと同じクラスだった、細川ジョゼくんでした!
ブラジルでなら普通に男性名なんだけど 日本では何となく女子だと勘違いされやすいみたいって、名前について少しだけ悩んでた ミックスな同級生のこと、まさか憶えてなかったりはしないでしょ?
修学旅行の班分けの時に ちょっとだけ所在なさげだったジョゼくんを、高師くんや 時任頼理ちゃん、仁木こよみちゃん達のグループへ、さりげなく溶け込ませる御膳立てしてたの 実はシンくんだったってことくらい、私には とっくに御見通しだったんだから」
「…」
「それはそうと。シンくんが 家の外で他の誰かと一緒にカレーライスを食べてたことって、こう聞いたら凄く意外に思うだろうけど、実は今までに ほんの一回か二回きりしか無いんだよ」
「…。
この子たちったら、どういう交遊関係の憶え方してるのよ…」
エルグランドの助手席から少年少女の遣り取りを聞いていたらしい知新の母親が、もういい加減聞くに堪えないといった感で突っ込みを入れてきた。
呆れ果ててのジト目を向けられた知新であったが、何ら口答えする気力も湧いて来ぬまま 些か面倒になってそっぽを向いてしまう。実のところ もう反抗期に入っている中学生としては、内心「ウチは幾らなんでも親戚が多すぎるんだよ」ぐらいの買い言葉は返したくないでもない気だってしてはいるのだが、しかし そうは思いながらも、知新は 幼い頃から誰に諭されるでもなく、仕来りや伝統などの積み重ねを正当な理由もなく徒に否定するような人間にだけはならないよう 自戒もまた怠らずに累ねてきた少年でもあったので、少なくとも 今まで この話題について反発を示したことは無かったのである。
「あはは、冗談です小母さん。本当はちゃんと憶えてますよ」
独りで勝手に悲壮な気分に浸りかけていた知新を差し置いて、一方の温故は逆に、その薄い胸を張って積極的な挽回にかかっていた。
「縫衣さん、私やシンくんが小2の時ぐらいに、それまでの名字の〓(※)って字が、社会生活上 『女という字を引っくり返して<鵺>と読ませるとは女性蔑視的な苗字だ』 とか言われて軋轢を避け難い御時勢になってきたからって、名字を変更する手続きの相談に来てましたよね。苗字なんて本人の責任でもないでしょうに…。それで 他でもない小母さんが、女性的な色合いを残した方が御先祖様にも申し訳が立つでしょって言って、今の<縫衣>って字を提案したんですよね」
※ 〓は「女」を反転させた字
「…んん? …温故ちゃん、お母さんから聞かされてたの?」
助手席の窓を全開にして頬杖を突いていた知新の母が 意表を突かれた体で顔を上げるも、すぐに首を横へ振る。
「いや、憶えてるって言ったんだっけ。
…ふわぁ~、小2の頃でしょー…。さすが温故ちゃん、ウチの息子とは違って頼り甲斐があるわ。自覚が違うわね…。素直に凄ーい」
抜け駆けされて思わず横目ながら目を剥く知新をよそに、温故はますます株の買い注文をけしかけて時価を釣り上げてゆく。
「なんとか名字の変更は家裁に認めて貰えたものの、ところが今度は縫衣さん、名義を変えたら作品の権利で揉めたとかで またしてもすぐに相談に来たりして。…あの人って見るからに社会適応能力とか高くなさそうな人だから、当時は誰を頼ったらいいのか分からなかっただけなのかも知れないけど、その後も だんだん依存っぽく…、本人は自覚は無いだろうけど…、頻繁に悩みとかを聞いて貰いに来るようになってきちゃって。
ご両親の将来のお墓についての心配とか、生前贈与の話題を避けてきた後悔とか。若気の至りで学生の頃に骨髄バンクへドナー登録したものの、消極的反対って姿勢の父君が 適合通知を半年も秘匿していて、思わず 隠しておくぐらいなら勝手に断ってた方が相手の為にもまだマシだっただろって怒鳴りつけてしまって、それ以来 父君と擦れ違いが生じてしまっているって悩みとか。
面倒見のいい姉御肌な小母さんだけに、ずっと何一つ忽せにすることなく まるで母親みたく親身になって何くれと世話を焼いてあげてたけど、でも縫衣さん、あの人もまた別の意味でお節介なのか、知人のお医者さんが相当の老齢になってから建てたばかりの大っきい病院を 気乗りしてなさそうな息子さんへ何とか継がせたものの 院長さんが身罷られるや その息子さんが病院を継がされた不満からか情緒不安定になって家庭内不和に…とかって、自分に余裕があるわけでもないのに 外部の騒動やなんかまで持ち込んで来るようになって…。果ては、知人の実業家の人が 自閉症の実子を持った縁から支援施設を開設しようとしたものの 建設予定地域の周辺住民による強硬な反対に遭って頓挫しかけているとかいう話まで…。
さすがの小母さんも 遂にはとうとういよいよ心を鬼にして、映画ゴッドファーザーの冒頭シーンでのヴィト・コルレオーネばりに大迫力で叱りつけたんでしたっけ」
「んー…温故ちゃん、親戚とはいえ よそのプライバシーには程々にね。…でも ちょっと待って、私そこまでキツいことは言ってなかったと思うけど」
「でも、縫衣さん確か、薪ストーブを衝動買いしちゃったんだけど、燃料について事前リサーチが甘かった、とかって相談に来て…」
「知るか!! ってキレたくもなるでしょ、そりゃ」
いきなり盛り上がり始めた女性2人に 自ら少し間を離して、やや意識的に 東海北陸自動車道の沿線に望める山がちな風景、あらぬ方角の雪景色を眺めに立ちかけた知新の背中へ、急に思い出したかのような温故の声がかけられる。
「心配ないよ、シンくんが忘れてても、私がこの通り、かわりに全部憶えててあげるからね」
「…」
黙ったまま応えず 振り向かないでいた知新だったが、温故は気を悪くした風もなく、エルグランドの後部座席へ乗り込む気配まで 見ずとも分かった。
「──どうして窓を全開にしてるんだ。さすがに寒いぞ」
「だって、あなた まだ煙草のにおいが残ってそうなんだもの」
子供たちの前では煙草を吸わない知新の父が運転席に戻ってきて、自身の妻へ疑義を投げかけている。車外に佇む知新へではなく。
「最近、スキー行ってないな。温故ちゃんも中級だったろう? 初級だと思っていてインストラクター頼んだら、少し滑ってみるや『君たち中級ですよ』って言われちゃったんだよな?」
「あなたも鈍いわねぇ。今時の子たちなんてゲレンデへ向かうとしたらみんなスノボじゃない。保護者と一緒な年頃ならまだしも、思春期の子たちにしてみればスキーじゃ結構キツいものがあるのよ。最近は人気も持ち直しつつあるとは聞くけど まだ一般的な認識とも思えないし」
「なぜ他人の目など気にせねばならん。それで自分のしたいことができないなんて損でしかないぞ。人が勝手にやってるのに合わせて自分が引くなんてばかげている。人へ譲ってばかりいるのも 全く譲らないのと同じくらい正しくはないんだ」
「私に言わせれば、若者の半分は羞恥心でできてるの。恥じらいを覚えなくなったらもう若くはないって見做していいんじゃないかしら。まあ、恥ってものを完全に意地とかと履き違えている若造どもだって世の中には多いけどね。温故ちゃんたちはそんな若者になっちゃダメよ?」
「も、勿論です」
家族同然の距離感しかない雲鳥家へ対してさえ 温故は一線を忘れない。知新はひとり車外に立ちながらそう思った。
「ところで、さっきゴッドファーザーの比喩が出てたな…。中学生女子の口から聞かされたくはなかった。そうか、君んちのお父さんが何の配慮もなしに見せてしまいおったんか? おのれあいつめ、多感な時期の愛娘に何ということを。一度釘を刺しておかねば」
「ウチをコルレオーネファミリーに見立てたとしたら、温故ちゃんはさしずめトム・ヘイゲン枠になるの?」
「おいこら」
「えへへ。小母さんに高く買って貰えるのは嬉しいけど、私はドン・トマシーノ枠とかも捨てがたいかなって。マイケルとトムって最強のコンビではあったけど、ヴィトとトマシーノのコンビほど気の置けない関係にはなれてたのかなって、ちょっと疑問が…。マイケルが孤独な帝王になっちゃって、トムに対してさえ心のどこかで壁を作ってたかも、なんて思うと寂しいし…」
知新は背後に知覚した。温故が一瞬、知新の背中へと視線を投じて寄越した気配。
彼女の声の 中空への通り方に、ほんの少しだけ変化した間があったので、温故の顔の向きに動きがあったことだけは間違いないように思えた。
「ふぅ~ん…。まあ いずれにせよ、それならばこそ 温故ちゃんは、ヴィトかマイケルみたいな傑出したボスを見つけないとね」
「…え?
…えええ? これから探すんですか? まだ いはしないハズだっていう前提だったの!?」
知新は背後に知覚する。冗談めかした声音ほどには おちゃらけた温みを帯びていない母親からの眼差しが、やはり知新の背中へとかけられている。
「それにしても温故ちゃん、何だかやけにサポート役というかアシスト役というか、補佐役めいた役柄へ対する憧れみたいなものがあるように見受けられるな? 日本人的に流行る美学なのだろうかね、そういう立ち位置って」
「それはどうかしら…。 『一番よりナンバー2! これが俺の人生哲学。文句あっか!』とか言っちゃうと、途端に負け惜しみにしか聞こえなくなりそうだし…」
「あっ、小父さんも小母さんも 私の人生への意気込みを、将来の夢はパティシエって言ってるぐらいにしか真に受けてませんね? そもそも将来の夢って 職業のみを指すとは限らないと思うけど、いや それはそれとして。
ウチの雲雁家は ずっと昔から、分家 庶家 別家 傍流 支流、数多くの親族を抱える雲鳥一門において、雲鳥宗家の介添えを担ってきた分家筆頭の家なんですから。私も女子とはいえ長子、そんな家の跡継ぎとして生を享けたからには…」
「21世紀にもなって 子供に御家大事な生き方を強いるなんざ人権侵害だって。温故ちゃんだって自分の好きな人生を思うように生きればよいの。お父さんお母さんだってそう言ってるぞ」
「いや、その…。だから 小父さん。私は そう、好きで選んで…」
海から湧き立つ雪降らしの雲には襞のような斑があり、雪日の天気なら 陽が差しては吹雪いてを繰り返す。
晴れていた空を俄かに鈍色の雲底が覆い始めた折となって、知新へ母から 静かに促す声がかけられた。
「…そろそろ車に乗りなさい」
「…」
人生には、生涯可能鼓動回数やヘイフリック限界など、基本的に 何事についても一定の制限が課せられているのではないか と、朧げにでも信じている人は少なくない。
親しい人と心を通わせられる頻度についてもこれを疑い、ゆえに自ら距離を遠ざける人もまた少なくはないのではないか などと、雲鳥知新は近頃 時折、そう考えることがある。