1:自己探求研究会にようこそ
”悩める若人よ、集え! 自己探求研究会
〜つまらない日常を捨て去ろう〜”
ポスターには白地に黒い文字で荒々しく、その文言と謎の研究会の所在地だけが書かれていた。
行事予定やイベント告知などが所狭しと貼られているクラス掲示板の中で一際異彩を放っている。
というか、明らかに浮いている。
まるで自己啓発セミナーの謳い文句みたいだ。
でも、その安っぽい文章に何故だろう。
少し、ほんの少しだけ興味を惹かれた。
――
相馬先生はひょっとして催眠術師なのではないだろうか。
まるで生徒たちを深い眠りに誘うかのように、抑揚がない口調で講釈し、電車でつり革に掴まらず立っているみたいにゆらゆらと身体を揺らすもんだからたまったもんじゃない。
ぜひ今からでも数学教師ではなく催眠術師の道にチャレンジして頂きたいものだ。
――ふと、なぜ数学の教師は決まって皆じいさんなのか、という疑問が浮かび上がってきた。
教壇で揺れている相馬先生ももう還暦を迎えそうな歳のはずだ。
どこかの学校では美人で年若いグラマラス・ボディの数学教師がいたりするのだろうか。
いやしかし、そうなっては授業に集中できなくて勉強効率が落ちてしまうかもしれない。
いやいやたまたまグラマラスに生まれた美女の数学道を閉ざしてしまうなんて誰にもできないはずだ。
悶々と考えていると、この話題についての意見を求めたくなり、隣席の京坂を見やる。
彼女はロボットのように顔を上下に往復させながら板書に精を出している。
彼女のショートヘアはその度に肩に掛かりパラパラ揺れているけれど、前髪はシンプルなヘアピンで留められているので邪魔にはなってなさそうだ。
彼女は視線に気付いたのか、ちらと僕を横目で見て、すぐ黒板に目を戻す。
その横顔に向かって小声で質問をする。
「なんで数学教師にはおじいさんが多いと思う?」
その問いに彼女は短い吐息を漏らし―ひょっとしてため息なのだろうか―こちらを一目もせずに言い放った。
「死ぬほどどうでもいい」
「死んじゃうのか」
「死なないわよ!」
声が大きくなり周囲の注目を浴びてしまった事に気づいた京坂がわざとらしく姿勢を正す。
相馬先生はそんな京坂に、親指を下に向け、首を掻っ切るような仕草をして、唇をアヒルのように突き出した。
「しぃーっ」
御爺は”口にチャック”の仕草をずっと以前から勘違いしている。
もうすぐ放課後だ。
H.Rが終わり、少しノートの整理をして、帰るためにカバンに手を掛け立ち上がった。
ふと、京坂が黒板横の掲示板前に立っているのが見えた。
何となく見ていると、彼女は掲示物の一つに手をかけ、そのまま素早く手を引いた。
要するに、京坂は掲示物を剥がしたのだ。
彼女はそのままのっしのっしと肩を怒らせながら教室を後にした。
僕は掲示板に近づき、確認してみると、今日見たあの自己啓発セミナーもどきのポスターがない。
剥がされたのはあれか。
よほどあのポスターを見てイライラしたのだろうか。
それにしても剥がすなんてやりすぎだ。
僕は素早く自分のカバンを肩に引っ掛け、教室を出る。
階段をダッシュで降りると京坂の後ろ姿が見えた。
正面玄関の下駄箱を通り過ぎ、旧校舎の方に向かっているようだ。
まさか、あの場所に向かっているのだろうか。
あの場所。自己探求研究会。ポスターによると、確か、場所は旧校舎の図書室のはずだった。
京坂は早足で連絡通路を通り、躊躇なく旧校舎の玄関扉を開いた。
普通、生徒には用がない場所で、僕も入ったことはない。
何だかストーカーみたいだけど、ここまで来たら最後まで見届けよう。
閉まりかけた玄関扉を手で押し止め、京坂の後を追った。
京坂は旧校舎1階の再奥、やはり図書室に入ったようだ。
何となく音を立てないようにゆっくり扉を開ける。
埃っぽい匂いが鼻をつく。
光が入らないようにぶ厚いカーテンで閉ざされた薄暗い空間に、無機質なマンション群のように巨大な本棚がいくつも立ち並んでいる。
だが、本棚の中に書籍は収納されていない。
収納されていたであろう書籍はすべて、地べたに山のように積み重なっている。
まるで砂山だ。
その本でできた山が所狭しといくつも形成されていて、現代アートと言われたらそれで納得してしまいそうな雰囲気がある。
図書室の異様な光景に圧倒されていると、会話、というか喧嘩が聞こえてきた。
「……非常識にも程があるよ!こんの馬鹿兄貴!」
「やれやれ、騒がしくてたまらん。その声の大きさも、まあ間違いなく、非常識――」
「うるさい!」
声の方に近づいてみると、背後から見てもその怒り度合いがはっきりと伝わってくる京坂と、うず高く積まれた本の山の上に座している男子生徒が見えた。
片手で――読んでいる途中だったのか――分厚い本を開いたまま京坂の相手をしている。
「……おや?」
本の山の男子生徒が僕に気づいたようだ。目が合う。顔に覚えはない。
熱湯の入ったやかんのように怒り沸騰状態だった京坂も振り返った。
「多那葉君!? どうしてここに……」
「あ〜、と、ごめん。何だか、取り込み中だったみたいだな」
と言いながらくるりと反転する僕の背中に本の山の頂から男子生徒が声を掛けてきた。
「いや、大丈夫。取り込んではいないよ、君」
僕は再度ゆっくりと振り返り、京坂の顔を伺う。
端正な顔を歪ませて、苦々しい表情を浮かべている。
ひょっとして僕は邪魔をしてしまったのかもしれない。
「ここに居るということは、あのポスターを見て来てくれたんだね」
と、見知らぬ男性生徒は薄ら笑いを浮かべながら言う。
「あぁ、まあ……はい」
まさか京坂をつけてきたなんて言えない。
まあポスターを見たことは確かだ。
「はぁ〜……」
まるで肺活量のテストを行なっているかのような深い溜息をつく京坂を意に介さず、本の山の頂上に座っている男子生徒は自己紹介をしてきた。
「自己探求研究会にようこそ。俺は京坂黒杜。二年だ」
「京坂……?」
僕は京坂の方を見た。
先の苦々しい表情は既になくなっており、今度は腰に手を当ててムスッとしている。
普段はロボットのように冷静で落ち着いたなやつなのにここでは動きと表情が随分と豊かだ。
「ああ、湊と知り合いか? そこの騒がしいのは妹だよ」
彼は顎で僕の隣席のクラスメイトを示す。
京坂のお兄さんだったのか。
――顔は、あまり似てないようだ。
切れ長の目をしており、長めの前髪を横に流している。
身長は割りとありそうだが、細身だ。
パッと見のイメージでいうと――狐。
「……京坂、さんとは同じクラスなんです」
「そうか。いつも湊が世話になっている」
と京坂(兄)はその暗い瞳になんの感情も込めず言った。
「僕は多那葉 一翁です」
「いちおう……一翁ね。――ご両親は日本史好きかな」
「え、さあ……?」
いったい何のことだろう。
京坂黒杜は特にそれ以上突っ込んでは来なかった。
本の山の麓でむすっとしている京坂妹は、この自己探求研究会とかいう会の会員なのだろうか。
僕の視線の意味に気づいたのか京坂妹はしなくてもいい弁解をしてきた。
「私は関係ないからね。ただこの馬鹿兄貴に、恥ずかしい張り紙をしないでって」
なるほど、そういうことか。
ポスターを破いた理由も分かった。
確かに妹としては兄が貼ったあのポスターは看過できないだろう。
クラスの掲示板に貼るには怪しすぎる。
「話を戻そう」
京坂黒杜はピシャリと言い放ち、片手に持っていた本をぱたと閉じた。
そして、ジワリと口角を上げた。
「君は、常識者かい?」
――
京坂湊はもう用事は済んだと、とっとと帰ってしまった。
今はもう使われてない古い図書室に先輩、京坂黒杜と二人きりだ。
居心地はあまり良くない。
「さて、俺の質問の答えは?」
「えーと……」
「まあ正直言って君の返答にあまり期待はしていない。なぜなら、ここにたどり着いた時点でおそらく、君は立派な非常識を持っているだろうからね」
「……僕は、至って普通だと思いますよ」
面と向かって非常識と言われるのはちょっと心外だ。
京坂黒杜は細い目を少し見開いてオーバーに手を広げた。
「普通? 普通とはなんだろう。君は君の属している社会の常識から外れていなくて、圧倒的多数派の、常識者の中に属していると、そういうことかな」
僕は頷いた。
「そりゃあ、そうですよ。僕は学校生活でもうまくやってきました。友達もいます。周りにおかしいと言われたことはありませんからね」
あなたと違って、と心の中で付け加えた。
僕は既にこの先輩の事を友達もいない変人と決めつけていた。
「頭のてっぺんから爪の先まで常識しか持っていない人間なんて、本当にいると思うかい、多那葉君。誰もが多かれ少なかれ普通じゃない”非常識”を抱えて生きている」
この先輩は、非常識を持っているとか抱えているとか、何だか妙な言い回しをする。
「しかし大抵の人は、既に長い歴史の中で出来上がった常識で身を固めて生きるのでそれは覆い隠される。僕はその事を、非常識が殺されていると認識している」
「非常識が殺されるなんてそんな大げさな……常識者が増えるのは良いことだと思いますけど」
京坂黒杜は自信満々な態度を崩さない。
その細く鋭い視線は僕の眼をまっすぐ捉えたままだ。
「過去、非常識がみな殺されていれば、地球は平べったいままで、人が空を飛ぶことはできず今も地べたを這いずっていただろう。認識は事象を生む……一部の”強力な非常識”は世界をも変えてしまえる力を持つってことだ。つまるところ――」
ペラペラと講釈を垂れていた京坂黒杜の顔から笑みが消えた。
「世界は非常識で生まれ変わる。そして――俺はこの世界を変えたいと思っている」
京坂黒杜は手に持っていた本を再び開き、言った。
「君の非常識を確かめてみるとしよう」
とんだ茶番だ。
僕は腰に手を付いて、ため息をつきながら視線を足元に下げた。
京坂に付いて帰ればよかったんだ。
適当な理由を付けてとっととこの場を離れよう。
そう決意し、顔を上げた時。
”それ”を眼前にし、言葉にもなっていないただの息が、僕の口から漏れた。
腕?
腕らしきものが見える。
京坂黒杜の足元、山になった本の隙間から腕が覗いている。
ただの腕ではない。びっしりと漆黒の毛で覆われた、常人の何倍もありそうな太い腕、その手先には鋭い爪と浮き出た何本もの血管。
さらに、ずるずると腕がもがき、本の山から肩が、頭が、上半身が這い出てきた。
――悪魔だ。
悪魔なんて実際に見たことはない。
でも”これ”はどう形容しても、悪魔としか、言いようがない。
鋭く太い角が生えた牛の頭、上半身を覆う発達した筋肉、深い蒼の皮膚。
上半身までずるずると這い出たところで、その悪魔は両手を付き、僕に顔を向けた。
悪魔の真っ暗な瞳と目が合った、と思う。
そして、どうやら後ろに下がろうとしたらしい僕は、尻餅をついていた。
「ッハハハ! 驚いたな、これは。こんな非常識は、そうそうない」
この場に最も不釣合いであろう笑いがほの暗い図書室に響いた。
京坂黒杜だ。
「君の持つ非常識なんだよ、これが」
「な、な……?」
悪魔の巨躯と向き合っている僕は、声が言葉にならない。
頭が回らない。
「君に内在する非常識が事象化している。これは……悪魔か。悪魔の見本みたいなやつだ。しかし、まだ上半身だけのようだよ。未完成だ」
何を言っているのだろう、この男は。
悪魔が、悪魔が目の前にいるというのに。
逃げようにも足に、腰に力が入らない。
目が乾く。
瞬きができない。
息が詰まり呼吸が苦しい。
「落ち着けよ、多那葉君。君の持つ悪魔だ。君に危険はないはずだ」
なんだって?
僕が持っている悪魔?
――悪魔は動きを止めている。
肩をゆっくりと上下させ、呼吸をしている。
だが、ぽっかりと穴が開いたような暗い瞳は僕を捉えたまま離さない。
僕は尻餅をついたまま背後にある本棚まで後退り、棚に手を付きながら、ゆっくり、ゆっくりと、立ち上がった。
本の山の頂上で半笑いを浮かべて座っている京坂黒杜と、その山の中腹から悪魔の上半身が”生えている”のが見える。とんでもない光景だ。
何とか呼吸を整え、状況を把握する為、分かったような顔をしている京坂黒杜に向かって言葉を絞り出す。
「これは……こいつは何なんですか、いったい――こいつを、僕が持っているって」
僕は上半身だけの悪魔を震える指で指し示した。
悪魔は無反応だ。
「こいつは君の持つ非常識が事象化したものだ。君の非常識はどうやら悪魔だったみたいだね。恐ろしいことだ」
ククっといたずらっぽく笑う。
「どういうことだよ……全然――分からない」
「怖がらずに接したまえよ。君は”それ”の扱い方を知る必要がある」
京坂黒杜は分からない子どもを諭すように言った。
扱うなんて、出来るわけがない。
こんな化け物。
そもそも言葉が通じるのか。
僕は口をパクパクさせる。
「多那葉君、命令したまえ。これは”君の非常識”なのだから」
冷静な声が何か言っている。
くそ、もうやけくそだ。
「い……今すぐ、き、消えてくれ!!」
僕は叫んだ。
このまま相対していては、悪魔の威圧感で心臓が圧迫されて死んでしまいそうだ。
僕の言葉が届いたとはとても思えないが、上半身だけの悪魔の巨躯はすっと本の山に溶けるように、跡形もなく、消えた。
広い図書室に隙間なく充満していた圧迫感もきれいさっぱり消えていた。
「……まあ、こんなところか。リアクションは常識の範囲内だな」
僕は肩をすくめる京坂黒杜を放っておいて、図書室の出口に急いだ。
こんなところ、もう居たくない。旧館の玄関を出ると、外はもう暗くなっており、さらに雨も降り出していた。本当に――最悪だ。
自分の部屋に着き、雨で濡れた制服もそのままにベッドに身体を投げ出した。
冬の雨の冷たさも手伝い、先程までの興奮は幾分収まっていた。
布団に顔を埋め、目をつむり、冷静になって図書室で起きた出来事について思い返す。
本の山から生えた上半身だけの悪魔。
禍々しく歪んだ大きな角と漆黒の体毛で覆われた躯体。
牛頭の、温かみを一切感じさせない深淵に沈んだその瞳。
そして、京坂黒杜の歪んだ笑み。
僕は頭を起こし、冷えきった指で目頭を抑えた。
もう、考えるのは止めよう――。
夕食もまだだけど、今はもう、とにかく眠りたい。
布団の上でゴロンと仰向けになり、寝る体勢を整える。
見慣れた天井が見える。
見慣れない顔も見える。
「は?」
「その寝床はふかふかしとって随分と心地が良さそうじゃのう。どれ、儂も」
どすん。
スプリングベッドが深く沈み込む。
「おお、これは。よく跳ねおる。何やら落ち着かぬわ」
僕の隣で見知らぬ女子が上下に揺れ、跳ねている。楽しそうに。全裸で。
僕は何事かを叫び、壁とベッドの隙間にずり落ちた。
「痛っ! ててて……」
床に身体をしたたかにぶつけた僕は、呻きもがきながらも何とかベッドの脇から脱出した。
見知らぬ全裸女子はベッドに寝そべったまま楽しそうに首だけをこちらに向けている。
「大丈夫か? ご主人よ。寝ぼけておるのか?」
「だ、大丈夫、大丈夫だけど……お――」
「お?」
「おまえ誰だ!?」
全裸女子は両足を垂直にピンと上げ、ほっという掛け声と共に勢いをつけて身体を起こし、ベッドの上で仁王立ちになった。
全裸で。
「誰だ、と言われてものう。先刻行き合うたばかりではないか、ご主人。忘れてしもうたわけではあるまいに」
彼女は腕を組み、困ったように首を傾げる。長く青み掛かった髪がさらと肩口から流れ落ちる。
年は僕より少し下か同じくらいだろう。童顔だが知性を感じさせる上品な顔立ちをしている。
こんな美人と知り合ったなら確実に覚えがあるはずだが、残念ながらそんな記憶はまったくない。
先ほど出会ったのは陰気で奇天烈な先輩と上半身だけのいかつい悪魔だけだ。
ちなみに両者共にもう会いたくはない。
というか、服を着て欲しい。
全裸で勇ましく仁王立ちする美女はなるほど絵にはなるが、もしこの状況を親が目撃するようなことでもあれば、何と言い訳しようとも明日から僕を見る目が変わることは確実だ。
違うんだ、僕はまだ大人の階段の一段目に腰掛けてトランプ(大富豪)をして遊んでいるところなのに!
この不法侵入者は服をもっていないようなので、とりあえず僕のジャージを着てもらい(情けないことにサイズはぴったりだ)落ち着いて話を聞くことにする。
「さっきの悪魔……? お前が?」
「悪魔呼ばわりは心外じゃが、まあ、その通りじゃ。しかし、いささか強引にご主人から引っ張り出されたせいか、儂には足がないようじゃ。それ故、あそこから動けんでのう」
そう、僕が図書室で見たのは、まさに悪魔と呼ぶにふさわしい躯体をした上半身だけの怪物だったはずだ。
あれは幻覚なんかじゃない。
「仕方なく、ご主人の身体を依り代にして、こうして離れた所に具象化しておるというわけじゃ。ご主人とは元々一つだったわけじゃから、難儀なことではなかったわ」
ジャージの上からでも分かるほどの豊かな胸を張り、偉そうにふんぞる。
具象化とは一体どういうことだ?こいつは人間ではないのか?
「えっと……色々理解できないことがあるんだけど――」
「そんなことよりご主人よ」
質問をぴしゃりと遮り、自称悪魔は何もない部屋の壁の方を睨みつけ、まるで愚か者を嘲るような不敵な笑みを浮かべた。
「どうやら不届き者がいるようじゃ。――この距離で”具象化”すれば丸分かりじゃ、馬鹿者めが」
そう言い終わらない内に、女悪魔は跳ねるように飛び、僕に覆いかぶさり床に押し倒した。
その刹那。
パチン、と、僕がさっきまで居た空間がはじけた。でかい水風船に針を突き刺したように。
仰向けに倒れる形になった僕が状況を確認しようと頭を上げたときには、僕をかばい、覆いかぶさっていたはずの悪魔は既にいなかった。
「奇襲失敗じゃ、愚か者め!」
と女悪魔は叫んだ。
すぐ真近くで爆音と大きな地響き。
そして、その直後、コンクリートをハンマーでぶっ叩いたような鈍い音がした。
音が聞こえた方にとっさに視線を向ける。
”大きく穴の開いた壁”の、その向こう側で、悪魔は何かに対して見事なアッパーカットを炸裂させていた。
「多少は効いたか――のっ」
悪魔はバク転し、殴りつけた相手から距離を取り、僕の隣まで来る。
ふっ飛ばされたはずの相手の姿は見えない。
「さてご主人よ」
「お、お前何してるんだよ、いったい何をふっ飛ばした!? 壁を壊したのはお前か!? 格闘技か何かやってたの!?」
聞きたいことが多すぎてもう支離滅裂だ。
「ふっ飛ばしたのは敵じゃ。壁を壊したのは儂で、武道は知識としてはしっておるぞ」
すべての回答が無事返ってきたところで、丸い球体状の空間の歪みがいくつも周囲に浮かび上がってきた。
「ほうら、また来たぞ――伏せぃっ!」
「ひいっ!」
僕は必死に身体を床に叩きつけ頭を抱える。
頭上で幾つもの破裂音が響き渡る。
チラッと前方を見ると、ベッドと壁のあちこちがキレイに丸く切り取られているのが見える。
顔面から血の気が引いた気がした。
「ちょっとー、じじー! うるせーい」
階下から妹のやくもの声が聞こえてきた。
これだけでかい音を出してれば当然だ。
「と、とりあえず場所を変えてくれ! ここじゃまずい!」
「確かにそうじゃな。さっきの能力を見る限り、この狭い部屋じゃと敵の思う壺じゃ」
そういうことではないが、とりあえずはこの場を離れることが先決だ。
と、悪魔は何を思ったか、つかつかと僕に近づき楽々と脇に抱えた。
そして、そのまま窓を開け、縁に足を掛ける。
「お……おい、まさか―――」
「よっ」
そのまま二人揃って窓の外にダイブした。