かーちゃん対戦記
部屋に帰った途端に異変に気づいた。
何者かが浸入した形跡があったのだ。
その痕跡は至るところにあった。畳まれた服。埃一つない床。不自然なまでに角が揃えられて机の上にのせられている書籍類。
大急ぎで勉強机の上のノートパソコンを起動させる。マトリョーシカのように四つのフォルダを開いてその奥にある極めて個人的な、機密データの無事を確認する。
大丈夫だ。
俺はようやく叫んだ。
「かーちゃん! 勝手に部屋入んなよ!!」
*
俺とかーちゃんの関係は十七年前にまで遡る。
かなり小さな頃から面倒を見てやった自負があるらしく、奴は俺の事をまるで自分の所有物のように扱う。確かにミリ単位より小さい状態で父親の股座に収まっていたところを腹の中で培養してもらった恩はあるけれど、それとプライバシーの侵害は別、大きく別問題だ。
俺は明後日の休日に彼女、それも生まれて初めてできた可愛い彼女を家に連れ込む……もとい招待する壮大な計画があった。
その時のために下準備として大人の嗜みをドラッグストアで購入してみたり、腹筋をして少しでもマッチョな男になろうとしてみたり、鼻毛をチェックしまくったり、とにかくもうあっちこっちに余念がないのだ。
そしてその下準備における一番デカイハードルとして、『かーちゃんに、その日数時間は速やかに家を立ち退き、しりぞき、近寄らないでもらう』という魔除けのミッションがあった。
だって邪魔じゃないか! 初めてできた! 彼女と! あんなことやこんなこと……まで行かなくても、ちょっぴりくっついちゃったり……そこまで行かなくても……密室で物凄く冷静に落ち着いてお話をするために、かーちゃんという生き物が如何に邪魔な存在であるかは、これはもう特別な説明なんて不要な一般常識だろう。
しかし、これがいかんともしがたい。
第一にかーちゃんは、勘がいい。
息子のいつもと違った鼻息のフンという一音のみで、異変を察知する。
現にさっきの夕食だってこちらがまだ何も言っていないのに「大ちゃん何ソワソワしてるの? 何かあった?」などと恐ろしいまでの透視をしてきたばかりなのだ。侮れない。
「なんもねーよ。勝手に入らないでくれよ」
「あんたが自分できちんと掃除をすれば私だって入る必要はないんだけどね……」
「俺の部屋なんだから散らかってようがゴミ溜めだろうがたとえ土足で豚が歩いてようが俺の勝手だろ」
「駄目に決まってんでしょ。勝手に豚を飼ったりしそうだからチェックしてんのよ」
俺がいかに苦虫を噛み砕き液状にして飲み込んだ顔をしてもかーちゃんは怯まない。
ニヤァっと笑って「見られちゃマズいものはちゃんと隠しとくのよ」などとふてぶてしくも言って来る。
俺の恐るべき計画を知ってか知らずか「そんなんじゃ彼女もできないわよ」などとのたまってくる。俺は食っていたサツマイモと豚肉の炒め物を喉に詰まらせた。安物の肉の繊維が喉の奥と口中を跨いで居座り、俺はげふんげふんと勢いよく咳込む。
俺が彼女を部屋に呼ぶことはもちろん、かーちゃんにはまず彼女がいることだって知られてはならない。
彼女についての無駄な詮索を根掘り葉掘りされるだけでなくかーちゃんによるおぞましい性教育が開幕されてしまう恐れだってある。
*
「かーちゃんがなかなか出かけてくれなくて……」
彼女にこぼすと「あらいいじゃない」と軽く返された。
女の子のことはよく知らないけれど、交際相手の親に会うのなんて煩わしいものだと思っていた。少なくとも俺はそうだ。彼女は確かに社交的な方だとは思っていたけれど。それにしたって力が抜ける。
だいたいふたりきりでイチャイチャするために部屋に呼ぶのにそこら辺をまったく意識されてないのも地味に堪える。
そうして彼女はこちらを見て、ニヤァっと笑った。
「見られちゃマズイものとか、ちゃんと隠しとくんだよ?」
ぞっとした。
かーちゃんと同じことを言うから。
思わずかーちゃんが乗り移って邪魔をしようと思っているのかと思った。そんなはずはない。いつもなら聞き流すような台詞だし、これは彼女の性格だ。
彼女の顔を見ると、ふふんと笑う。
背筋がゾゾーっとした。
俺はその時彼女の中にかーちゃんの片鱗を見てしまった。
もしかしてあと数十年したら、この子は立派なかーちゃんになるんじゃないかのか。
もしかしてかーちゃんにもこんな時代があったんじゃないのか。だとしたら恐ろしすぎる。
もしかしてかーちゃんはこの世でループもののように繰り返されているある種の呪いなんじゃないのか。
かーちゃん怖い。