不思議が池の幸子さん・・・第一話・・・
このお話は、イソップ童話にヒントを求めています。ただし趣旨はまったく違っておりますが・・・。
深い深い、ある山の奥に、通称『不思議が池』があった。
遠い昔から、里では「この池には、けっして近づいてはならない」、と言い伝えられてきた。
池には、大変恐ろしい女神様が住んでいて、その姿を一目でも見た人間は、必ず死ぬ、と言われてきたのだった。
ある暑い夏の夜のこと、一台の車がこの奥深い山中に入り込んできた。
その車には、ひと組の男女が乗っていた。
そうして、女のほうが運転をしていた。
舗装もされていない山道を、その、割と綺麗で恰好のいい車は、がたがた揺れながら、ゆっくりと登ってきたのだった。
そうして、車はやがて池の真ん中あたりの崖っぷちに着いた。
すると、車からその男女が降りてきて、後ろの荷物室を開けた。
そこから、男が何やら袋に詰めた荷物を抱えあげると、地面をずるずると引きずったあと、今度は肩の高さくらいまで持ち上げて、池に放り込んだのだった。
大きな音がして虫たちが騒いだが、その音はすぐ森の木々に、すっと吸収されてしまった。
男女は、そそくさと、そこから立ち去ろうとした。
ところが、この様子を池の中からじっと見ていた、鋭い視線があった。
そうして、深い池の底から、みるみる、赤い光が迸り、それと同時に水柱が上がった。
車に乗りかけていた男女は、さすがに動転した。
動けなくなった二人の前に、とてもこの世のものとは思えない、美しい女神が現れたのだった。
彼女は、左手に一人の男をぶら下げ、右手には光り輝く斧を握っていた。
そうして女神は告げた。
「あなたが落としたのは、この不細工な男ですか?それとも、金の斧ですか?」
「僕だよう・・・・。」
ぶら下げられている、あわれな眼鏡の男が、蚊の鳴くような声で呼びかけた。
車の男は、もうすっかり怯えてしまって、ただ震えているばかりであったが、女の方は、もともと肝っ玉が据わっているため、すいすいと答えた。
「金の斧です。」
女神はにっこり笑って、両手を差し出して言った。
「あなたは、とても正直な人ですね。では、両方差し上げましょう。」
すると女は答えた。
「いえ、その男は貴方にあげます。」
女神は、今度は怒って言った。
「要りません、こんなの。じゃ、首を切りましょう。」
そう言うと、女神の持っていた斧は、大きな長く太い刀に変わったのだ。
女神は、刀の冷たい刃を、ぶら下げている男の首に当てた。
「さあ、切りますよ。本当に切るわよ。」
女は、何も答えなかった。
「さあ、切るわよ。そうして、首と胴体を、その自動車の後部座席に放り込んでやるわ。」
女神がそう言うと、後ろのドアがひとりでにすーっと開いた。
「いや、それは困る。まだ新車なんだから。」
車の男が叫んだ。
連れの女は、呆れたように男を見た。
「何を言ってるの。切ってもらえばいいじゃない。」
「ばか、足がつくぞ。それはまずい。」
「ほらほら、切るわよ-。そら、もう切れる、切れるう。」
女神がけしかけた。
「わかった。返してくれ、男も、斧も。」
車の男が叫んだ。
「そうそう、それがよい。では、二度と生きているうちに、ここに来るではないぞ。」
そう言うと、女神はすっと消え、崖っぷちには、眼鏡をかけた、髪の毛がもじゃもじゃの貧相な男と、女神の持っていた斧が残されていた。
「その斧、軽そうだね。」
眼鏡の男がにこにこしながら言った。
「うるさい。あなたは、歩いてどこにでも行きなさい。しゃべったら承知しないから。」
女は連れの男をけしかけて、さっさと車に乗り込んだ。
山から下りてゆく自動車を見ながら、女神は池の中の自宅に戻った。
「ああーあ、またつまらないものを拾ってしまった。まったく、最近の主婦はどうなってるの。」
女神・・・幸子さんは、ぼそっとつぶやいた。
「どうせなら、もっといい男が落ちてこないかなあ。」
そうして、体に巻きつけていた、どこかギリシャ風の衣装をソファーに放り投げると、下着姿で座り込み、団扇で体をあおぎ始めた。
「暑い、暑い。」
それから、幸子さんは長持ちのふたを開けた。
そこには、金色に輝く斧が、何本か、入れてあった。もちろん、偽物だ。
「大分減ったわね。また仕入れておかないと。」
そうして、自分のスマホを軽く叩いた。
「あ、不思議が池です。お久しぶりね。また例の斧、入れといてくださるかしら?
お支払いは、いつものようにね。お品は、あの淀みのほとりに置いといてくださいね。お金は明日、木にぶら下げとくから。領収書ちゃんとよろしくね。」
それから、彼女は手提げ金庫を開けた。そこには小さな金塊が、ばらばらと入っていた。
「まあ、こちらも残り少ないなあ、女王様におねだりしなくっちゃ。メールしようっと。」
女神=幸子さんは、鏡を見ながら、にっこり自分に微笑んでいた。
「ううん。綺麗だなあ。わたし、人間やめたから地球の終わりまで死なないし、あの人たちは、そのうち必ず死んじゃうし。」
そう呟いて幸子さんは古風なパソコンに向い、ここ2週間の間に仕入れた地球の情報を、『火星の女王様』あて入力しはじめた。
池は、再び深い闇に閉ざされた。
人の命を、ゴミのように扱ってはいけません。『命』はとても尊いのです。幸子さんは、いつもそれを教えてくれるのです。