ひからびたパン
一番ショックだったのは、多分。
あなたと別れるのに必要だったのが、ほんの少しの勢いだけだったという事。
別れを告げて、初めて気が付いた。
私はもうとっくに、あなたを愛してなどいなかったのだ。
ただ、誰かを愛する自分に、陶酔していたに過ぎなかった。
母が家を出て行ったのは、中3の夏だった。
部活帰り、買い食いしたアイスキャンディーを片手に玄関の鍵を開けた。しんと静まり返る我が家。ミンミンと耳を劈く蝉の声。
世界が白く染まる様な太陽の。
そして足元では干からびたミミズが、アリの行列にずるずると引きずられていた。
上り框で靴を脱ぎ、いる筈の母の姿を探す。
家の奴隷のように、滅多に家を開けることのない母だった。今も良く思い出すのは、彼女が姑である祖母に嫌味を言われている場面だ。私の家は地元でも古い家で、時代錯誤な仕来りがいくつか生き残っていた。お風呂の順番も食事の順番も優先順位も何もかも、母はいつも最後尾に並んでいた。
台所にもお風呂場にもトイレにも、離れにも蔵の二階にもどこにも母の姿はなかった。
家じゅう走り回って、はしたないと祖母に叱られたが、私は構いはしなかった。
そしてすべての部屋を見終えた時、私は少しだけ安堵した。
母の死体を見つけてしまうかもしれないと、本当はずっと恐れていたから。
いなくなった母は、十五年も一緒に暮らした割に今では記憶が遠い。
彼女はそれだけ、息を潜めてあの家で暮らしていたのだろう。
どこか遠い場所で幸せになってくれていればと、二十歳をとうに過ぎた今ならば思う。
探すなと言った父の背中は頑なだった。祖母は最後まで手のかかる嫁だなんだと言いながら、それから一か月後にぽっくり死んでしまった。もっと早く死んでくれれば母も家を出ずに済んだかもしれない。妙に冷めた気分で、私は葬儀を終えた。
その日から多分、私は人を愛する方法を忘れてしまった。
噂が鬱陶しくて高校卒業と同時に田舎を捨て上京したが、東京での生活も目新しくはあってもどこかぼそぼそとした干からびたパンのように味気がなかった。
そこで何人かの友人を作り、幾人かの男性と付き合いもしたが、別に何も変わらなかった。
ただそういうものだからと思い付き合った。それが普通の大学生なのだろうと。平均的な大学生に自分を寄せることで、自分もこの無味無臭の日々から抜け出せるような気がした。けれど干からびたパンは別に水を掛けてもべしゃべしゃになるだけで、ちっともおいしくはならないのだ。そうして大学の四年間は瞬く間に過ぎていった。
大学を卒業した私は、中堅の文房具メーカーに事務として採用された。当時はまだ、就職活動もそこまで熾烈ではなかった。
夢もなくなんとなく入った会社でなんとなく仕事をし、なんとなく飲み会に参加し、なんとなくOL生活を楽しんだ。私は相変わらず干からびたパンだったが、もうその生活に慣れ過ぎていて今更どうにかしようとは思わなかった。もう私は死ぬまでこうなのだろうと、諦めてしまえばその生活もなんとなくやり過ごすことが出来た。
孝明さんとは、近所の公園で知り合った。
彼が連れていたゴールデンレトリーバーが、私に突然に体当たりしてきたせいだった。
あれは確か秋の深い頃で、公園の石畳には枯葉がこれでもかというほど敷き詰められていた。
思わず尻餅をついた私に孝明さんは大慌てで、驚いて目を丸くしていた私は、その動揺ぶりに思わず笑ってしまったのだ。
ガッチリして大柄で私より頭二つ分は大きいあなたが、ちょっぴり泣きそうなぐらい動揺している姿はセクシーだった。
ああこの人が欲しいなと、私は確かに思ったのだ。あのとき枯草の絨毯に埋もれて。
この人ならば干からびたパンに卵をかけて、おいしいパンプリンにしてくれるんじゃないかと。
ゴールデンのルークはかわいい犬だった。
しばらくは、二人と一匹のデートを重ねた。
都内の重機メーカーで営業として働く孝明さんは、仕事柄年中日に焼けていた。大学時代ラグビーで鍛えたという体は細の付かないただのマッチョで、それを維持するためにジムにも通っていた。
そんなプロフィールとは裏腹に料理が大好きな孝明さんは、私の為にサンドイッチと魔法瓶のスープを、ルークには蒸したささみを食べさせてくれた。
そうして私たちは公園で冬と春をすごし、夏には一緒に旅行する仲になっていた。
ルークのいないチンタオは少しさみしかったけれど、初めて見るものがいっぱいあって刺激的だった。
旅行帰り、お土産を配った職場のおじさんたちには、そろそろ結婚かとからかわれたりした。
今思えば、あれが幸せだったのか。
今はもう、いくら考えてもわからないのだけれど。
マッチョで優しくて料理もできて、だけれどそんな孝明さんの唯一の欠点は賭け事だった。
最初はそれとなく、最後の頃はハッキリと賭け事は辞めてほしいと言ったのに、孝明さんは何度も口ではわかったと、反省していると言ったけれど、本当にやめてくれたことなんて一度もなかった。
競艇にも競馬にもパチンコにも、私は勝つことが出来なかった。
何度も別れようと言って、何度も待ってくれと引き留められた。
その度に孝明さんはあの日のように動揺して、くりっとした目をじんわりと潤ませて神妙な顔をした。
もうしないからと言う彼の言葉を、私は何度信じて裏切られただろうか。
その度に私は傷ついて、そして三十を迎える頃にはいい加減疲れ果てていた。
いつの間にか職場の女子の中では最年長になっていたし、職場のおじちゃんたちはもう冗談でも私の前では結婚などと口に出さなくなっていた。
結局パンプリンにはなれなかった私は擦り切れ疲れ果て、そして孝明さんに別れを告げ、もう裏切られないように田舎へと帰った。
確かに愛したような気がしていた。
なのに私はあの日と同じように干からびたままでこの玄関をくぐる。
確かにそれが、愛だと思ったのに…。