ハスラー・ザ・キャット
ハスラー・ザ・キャット
彼女は飼い猫で、共犯者で、残飯処理係だ。
なあごと鳴いて、暗黒街の路地裏をキレイキレイになめてくれている。俺は殺し屋。人の命を食い物にして生きている。彼女、ハスラー・ザ・キャットはその残飯を漁っている。白いワンピースに華奢な少女の輪郭。普段は天使みたく笑ってくれるけど、食事時に見せる妖しい獣の微笑みの方が見ていて心地いい。
どういう仕組みになっているのか、ハスラーは自分の体積より大きな男を食い尽くしていく。いや、これほど細かい肉塊になってはそうも言えない。食い終わった時のハスラーのフォルムはほとんど変化しない。いつみても不思議だ。
「きゅっふい」
食べた食べた、と言わんばかりに変な声をあげる。ハスラーは白い尻尾を立ててぶるぶると身をふるわせた。まわりのくすんだ煉瓦に赤い血が飛散する。
ハスラーは愛しげに白毛に覆われた手をなめなめと手入れする。鉄の爪より凶器めいた爪先は肉片が爪の隙間に入り込んでいる。それをかみかみと爪垢でも味わうようにハスラーは掃除する。
「ねえハニー」
甘ったるい声に上目遣い、ハスラーは挑発するように俺を見上げてくる。
「そんなに見つめないでよ」
ハスラー・ザ・キャットは天真爛漫にはにかみ笑った。
パセリたっぷりのパスタを食べた後みたく、汚れた歯をにっと隠さず。ひしゃげた弾丸を見せつけられた。
――断わっておくが、僕は彼女が人を殺しているところを見たことがない。
ハスラーと出逢ったのは一年前の秋だ。
はじめは不運な少女だと思った。余計な場面に出くわしてしまったのだ。かといって口封じすることのことでもない。変装はしていたし、どうせこの街ではよくあることだ。さっさと立ち去ろうとすると、彼女はこう訪ねてきた。
「これ食べてもいいかな?」
理解しがたい言葉だった。そのまま立ち去ろうとしたら、また訪ねてきた。
「これ食ってもいいかな? ねえ?」
「好きにしろ」
不気味だ。さっさとどこかへ行ってしまおう。その足を止めさせたのは猟奇的な人体音楽だった。弾丸一発で仕留めた死体は形を留めていて、飯が食えなくなるほど生理的嫌悪は感じさせない。が、そんな俺に吐き気を催させるほど醜悪な惨状がそこにあった。発作的に鉛玉を吐き出さなかったのは、ハスラーが心底うれしそうに笑ってたからだ。
なんとなく、フィアに似ているな、と思った。俺が一番好きだった女だ。
以来、腐れ縁がつづいている。
はじめは仲良くしようという気もなかった。匂いを嗅ぎつけるのか、残飯を狙っていつもやってくる。仕事の邪魔になるので口封じか、手懐けることを迫られた。口封じを選んでみるが、弾丸ひとつでは死なないらしい。自称、不死身。ショットガンかC4爆弾をもってきたら、とアドバイスされてしまった。しょうがなく話しをするうちに、ハスラーという化け猫娘のあれこれを聞くはめになった。
彼女曰く、人を殺したことは一度もないそうだ。
食人嗜好はあるけれど、殺人衝動はない。食べるのは決まって死体だけ。人間に例えるならば、フライドチキンを好きだからといって、にわとりを殺すのが好きとは限らない、ということだそうだ。
「人殺しはいけないことだよね。どうしてハニーは人間なのに人を殺すの?」
そう問われて、答えに惑った。彼女と同じことだ。結果として手に入る金が欲しいのであって、人を殺すことは趣味じゃない。こだわりはあるが、必要もないのにやるつもりはない。生ぬるいことに少々罪悪感を抱くこともある。けして俺は狂っちゃいない。
「ね、共犯者になろうよ。ハニーは殺す、私は食べる。足手まといになるってんだったら、代わりにサービスしてあげる」
どんなサービスができるんだ、と問い返すと、ハスラーは妖しく笑った。
「ごはんにおそうじおせんたく、こもりうたも歌ってあげるよ」
拍子抜けするようなことを言われて、俺は気が抜けた。その日の夕方にはどうやって見つけたのか隠れ家のひとつに押しかけてきて、ごはんにおそうじおせんたく、ついでにこもりうたまでサービスされてしまった。
猫の手を貸しつけられた気分だ。
奇妙な共犯生活は今に至るまでつづいている。
しくじった。
俺はふぬけちまってたのかもしれない。獲物を仕留め損ない、お返しを貰ってしまった。向こうは手負い、こっちも手負い。相手は暗黒街の重鎮。仲間を呼ばれたら即刻ゲームオーバーだ。
赤煉瓦に肩を借りながら彷徨い歩く。いや、逃げている。早くずらからなければ。隠れ家まではあいにく、遠い。なにより、傷は深かった。意識がかすんでくる。撃たれる側になってみると、こんなに痛いもんなんだな、と壊れた笑いが時おり漏れた。
そんな血の匂いをかぎつけてきたのか、ハスラーが迎えにくる。白いワンピースをなびかせ、しなやかに体を躍動させ、屋根の上から降りてきた。
死神じみた目をしてた。好奇心と憐憫、どちらに傾いているのか、猫の瞳が震えていた。
「ハニー、死んじゃうの?」
まだだ、とぶっきらぼうに答える。
「痛い?」
痛いよ。
「怖い?」
怖ぇよ。
「嬉しい?」
なにがだ、なにが。
「だってハニー笑ってるよ」
お前に逢えて嬉しいんだよ。
「ねえハニー」
なんだ。
「そんなに見つめないでよ」
待ってろ、俺がくれてやれる最後のエサに今なってやる。
「ハニー、私ね……」
――。
目を覚ます。生きていた。隠れ家のベッドの上だ。腹の傷には乱雑に包帯が巻かれている。すこぶる痛むが、生きてる証拠だ。机の灰皿には摘出したと思わしき弾丸が転がっていた。ハスラーがやったのか。
「おはようさま」
ハスラーはシャワーあがりなのか、ブラウス一枚を着て、バスタオルでわしわしと髪を拭いている。いやに落ち着いていて、驚きも喜びもしていない。そういう時の、無感動な感じの表情はフィアに似ていて、涼しい心地になれる。
「ハニーは死にたいの?」
そうでもない。こんな日々に虚しさを覚えることはあるが、死ぬほどつらいこともないので、とりあえず生きている。それより、どうして助けた。そう俺は答えて、たずねた。ハスラーはあっけらかんと答える。
「死にそうな人を見捨てるのは、ある種の殺人だから。わたし、やだよ」
予想も期待も外した答えだ。ハスラーは一体、俺のことをどう思っているのだろう。そのじつ、ビジネスライクな付き合いなのかもしれない。一年近く一緒に過ごしてきたが、三日で恩を忘れてどっかへ行ってしまいそうな感じがする。俺はこいつに何を求めているのだろう。エサをやって、家事をさせる。癒しを求めるだけだったら、ペット扱いしてればいいじゃないか。
怪我のせいで弱気になってるのだろうか。ハスラーの淹れたホットミルクがやけに甘く、熱かった。舌が焼けそうだ。
「あちち」
ハスラーがふーふーとカップ相手に北風ごっこしている。本当に熱かったらしい。
「ハニー、これ呑んだら支度して。そのうち追っ手がくるよ。一緒にわたしとにげよ」
ハスラーは白い耳をしきりに動かす。もう一眠り、とはいかないようだ。
俺は着替えと支度と装備を済ませると、窓から外へ出て、パイプ伝いに屋上に昇った。ハスラーが「きたよ」と合図する。追っ手が部屋の扉の前へやってきたのだろう。テレビやガスはつけっぱなしにして、在宅を装ってある。追っ手はドアを蹴破るか、ドア越しに撃ちまくってくれることだろう。
ハスラーと俺は息を潜め、罠を使うべきタイミングを見計らった。携帯を握り締める。
「今!」
キーを押す。
爆音、爆風。
粉塵になった窓ガラスが外へと吐き出される。
「いぇーい! 殺ったねハニー!」
思わず、俺はハスラーとハイタッチした。
「あ、今のはノーカウント。わたし、スイッチ押してないもん」
追っ手はそれだけでは済まなかった。
屋根の上を走る。煙突を盾に三人の男と銃撃戦になった。手榴弾をハスラーが手渡してくれた。M67破片手榴弾。通称アップルと呼ばれるモデルだ。
投擲した手榴弾は鉄片を飛散させ、敵をズタズタにした。備えあれば憂いなしだ。
「食べてる時間はなさそうだね」
のんきなことを言うハスラーを連れて、逃走をつづける。やはり仕留めそこなった獲物を殺し直さなくては。相手は暗黒街の重鎮、とはいえ手負いで部下もこっちに廻している。やってやれないこともない。
雇い主に連絡を入れる。情報が欲しい。
「どちらさまかね? 新聞の勧誘と教会への寄付はおことわりしているのだがね」
なけるぜ。さっさと尻尾切りされてしまった。この街で仕事をつづけていくのはむずかしそうだ。かといって、俺には帰る田舎があるわけでもない。
いっそ足を洗うか。罪だなんだは今更だ。そんなものは知ったこっちゃない。だが、この武器用の手は不器用だ。一体なにができるだろう。つくづく、弱気になっている。どのみち、まずは遺恨を断ち殺しておかなくては。
「お仕事、クビにされたね」
ああ、そうだな。
「もう人は殺さないの?」
そんな俺に興味はねぇか。
「そうでもない。そうでもないよ。ハニーのこと、気に入ってないわけじゃないし。銃弾一発もらったけど、まぁ、あんまり私のことイジメなかったし。この一年、楽しかった」
どれくらいだ?
「ハニーのお嫁さんになりたいくらいかな」
このままじゃ、結婚式で新郎新婦ともに新しい地獄への門出を祝福されちまうけどな。
「わたしも地獄に落ちるのかな?」
天国に行けると思ってんのか。
「おばあちゃんがね、人を殺したやつは天国になんていけないって言ってた」
そのおばあさまは?
「地獄に落ちたよ。たぶんね」
だろうな。
「……死にたくなかったのになぁ」
なんだそりゃ。
「キャットナインライブス。猫に九生あり。私には命のストックが九個あるの。さっき、ハニーに一個あげたから、あと三個」
帳尻が合ってない。
「ハニーに撃ち殺されたときに一個、使っちゃったんだよ」
他には。
「話せば長くなるし、わたしのこと嫌いになるかもよ」
――ハスラーは愛くるしく笑った。
「九人食えば、ゲームっぽくいえば1UP。命いっこ分。ひーふーみーよー、ハニーと一緒にいて稼いだのが命ふたつ分くらい。奪われた分とあげた分、ハニーに貰ってるから、貸し借りはないよ。けど、これから全部を使いきっちゃうかな、て」
お前だけ逃げろ。不死身でもなんでもないじゃないか。
「そうだね、逃げよっか。……ああ、猫は恩を三日で忘れるっていうけどさ」
ああ、そうだな。
「離れて三日で忘れるってっても、一緒に居る間はさすがに忘れないってば」
そーゆーもんかね。
「そばにいてもいい?」
好きにしろ。
夜。獲物の根城は不夜城で、ビリヤード場の地下にある。忍び込むのは容易ではない。腕利きの勝負師なんてどこにもいなくて、裏社会の社交の場というだけだ。それだけに厳重だ。
ごろつきあがりの見張り番が一丁前に紳士服を着て、入り口を塞いでいる。ハスラーの出番だ。合図をすると、ハスラーはビルの三階から飛び降りて、何事もなく着地した。見張りが振り返る間もなく、その首を締め上げて失神させる。細い腕のどこにそんな怪力を秘めているのだろう。首筋に爪の食い込まないよう、細心の注意を払っているようにみえた。そして本能的に、こういうことを愉しんでいるようにもみえた。
俺は入り口に罠を仕掛ける。また爆弾だ。鉄線とアップルを連動させ、入り口を爆破する仕掛けを作る。そうしてハスラーに耳栓とゴーグルを着けさせ、暴徒鎮圧用の閃光手榴弾を持たせておく。
しばらく待つ。と、地下より階段越しに眩い閃光と爆音が響いた。ここまでやれば、あとはハスラー次第だ。さしたる反撃を受けることもなく、肉弾戦のみによってフロアーを鎮圧できるはずだ。そう説明した。
が、それだけでは勝負がつかない。ハスラーには二つの指示が与えてある。敵がフロアーに増援に現れたら無理せず逃げて、入り口へ誘い込め、と。逆に、逃げたら奥まで追い込み、深追いはせずに威圧するように伝えてある。
俺は裏口へ向かった。隠し通路くらいは必ずあるものだ。ハスラーにそれを調べさせ、俺は店の倉庫へ先回りした。獲物とそのふたりの部下は面食らっていたが、何も喋らせぬまま俺はショットガンのトリガーを引いた。あっけない幕切れだった。
遠くではアップルの爆音がした。あっちも見事に成功したらしく、遅れてハスラーがひょっこりとやってきた。
「わたしはだれも殺してないよ。殺ったのはハニーなんだから」
あいまいな線引きでハスラーは無実を主張する。
「だから、天国にいけるよね」
ハスラーは倉庫の木箱へと倒れ込んだ。よく見れば、銃創がいくつもできていた。それはそうだろう。大丈夫だと説明したが、実際そんなにうまくいくとは限らない。嘘をついた。あるいは、賭けに負けた。危険だと知りつつもハスラーは囮になったのだ。
「えへへ。ダメだなぁ、もうこれが最後のいっこなのに。わたし、死んじゃいそうだよ」
死ぬな。
「ねえハニー」
死ぬな。
「そんなに見つめないでよ」
死ぬな。
「照れちゃうにゃあ」
ハスラーは天真爛漫にはにかみ笑った。
俺は叫んだ。何と叫んだかは思い出せない。
とにかく、ハスラーへ抱く、俺のありったけの全てを叫んだ。
月日は流れて半年が過ぎ、春になった。
片田舎の町では仕事という仕事もなく、失業手当が出てくるわけもなく、これまでの稼ぎを崩して職探しを続けている。そのうち、また裏家業に手を汚すかもしれない。それも悪くはないだろう。
今日も仕事は見つからない。
俺は何となく、彼女の墓へと足を運ぶ。教会の鐘が鳴っている。
花束を捧げると、どこかで彼女が笑ったように思えた。
「ねえハニー、それ誰の墓?」
ふにゃあ~とハスラーは退屈そうにあくびしている。なぜ生きてるのか。といえば、ちょうど倉庫にはおあつらえむきの死体が三つも転がっていた。最後の命が尽きる前に、新しい命をいっこ補充したのだ。次はない。あるとしても、九人を殺さなくてはならない。そもそもひとつしか命を持ち合わせない俺に言わせれば贅沢な話しだ。
さて、この墓には誰が眠るのか。それを語るとややこしくなりそうだ。
「フィア・ソフィアール。ね、ホントだれ?」
どう答えれば満足するんだよ。
「昔の女、とか。だとしたらご挨拶しないといけないよね」
ハスラーはぺこりとおじぎした。
「天国のフィアさん。ハニーの恋人兼ペットのハスラー・ザ・キャットです。ハニーを幸せにする自信はないですけど、わたしが幸せになる自信はあります。よろしくね」
そいつは天国には居ないよ。
「なんで?」
俺の師匠だからだ。
「そっか」
ハスラーは不意に俺に抱きついてきた。顔が見えないほど、深く。
「わたし、ずっと天国に憧れてたけどさ。地獄に落ちてハニーと一緒も悪くないね」
まだ死ぬ気はねえよ。
「殺し屋なんて、やめなよ」
いや、続けるよ。
「どうして?」
さあね。
「いじわるさん」
ハスラー・ザ・キャットは天真爛漫にはにかみ笑った。