赤い風船
セミは、狂ったように鳴き続ける。
夏の日の青い空。化け物みたいな入道雲。目眩のする暑さ。
少年は、公園のブランコに揺られながら、真夏の温度にみとれていた。
どのくらい、そうしていただろうか。
風が吹いて、身体から流れる汗を冷やしていく。
夏に似合わない自分の白い肌を、少年は忌々しく思う。
ふと、足元に一匹の蟻。
衝動的に踏みつける。何度も何度も。執拗に靴の裏を地面にこすり付けた。
夏に消えた、命。足元に転がる、屍。
少年はこめかみを親指で押さえた。
耳鳴りと、かすかに聞こえる幻聴。
「判ってる。」
少年は声にこたえる。
蟻の屍は、吹いた風に弄ばれて、砂の上を転がる。
少年はブランコを降りた。
少年は帰り道を足早に歩く。
形のない声が、ついてくる。
オニイチャン 赤イ靴 ハ ドコ?
ワタシノ 靴 返シテ
少年は耳を塞いで歩いた。後ろは振り返らなかった。
オニイチャン 待ッテヨ
ワタシ靴ガ無イノ
コレジャ家ニ帰レナイヨ
追いかけてくる、形のない存在。
少年はついに駆け出した。
吐く息には、血の味が混じっていた。
ほら、僕はもう半分死んでいるんだ。少年は全速で家に帰る。
コワイヨ
※
喪服の母は、いつもより物悲しげで、きれいだった。
額に飾られた妹の写真は、葬儀の間中、ずっと僕を見つめていた。
妹は、火葬場で焼かれてしまい、スカスカの白いカルシウムの固まりになってしまった。
親戚の人たちがボソボソと囁く声が聞こえる。
―――――かわいそうにねぇ。
―――――犯人、捕まってないんでしょう?
―――――怖いわよね。
妹は、おととしの冬に亡くなった。
7歳だった。
公園のブランコの下で、うずくまって死んでいた。殺されたのだ。
年が明けて、春になっても、犯人に繋がる情報は無かった。
父も母も、疲れきっていた。
妹がいない、二回目の夏。
※
「おかえりなさい」
家に入ると、母が台所から声をかけた。
「ただいま」
二階の自分の部屋へ向かう。ギシギシと階段が軋む。
階段を上りきって、左側にあるのが僕の部屋。そして右側が、妹の部屋だった。
僕は、妹の部屋を開けた。
新しい勉強机の上に、赤いランドセルが乗っている。中に入ると、ひんやりした空気の中に、かすかに妹の匂いがした。
時間割表に妹の書いたチューリップの絵。お菓子の空き箱には、お気に入りの髪留めがしまってある。
ベットの上にはあの日まで着ていたパジャマがたたんで置いてある。冬物だから、厚地だ。
僕は枕元にちょこんと座っている女の子の人形を抱き上げた。その子は黒いワンピースに、赤い靴を履いている。
僕をじっと見つめていた。
深いグレーの、ガラス玉の瞳で。
※
どうして、あんな酷いことができるんだろう。人形をきつく抱き締めながら、僕はあの日から何度も沸き上がる怒りと悲しみに取り込まれた。
あんなに小さくて、かよわくて、愛らしい女の子を、どうして殺そうと思えるだろう。
たった一人の、僕の妹だったのに。
犯人を、絶対に許さない。
※
妹は、僕が5歳の時に産まれた。
父と母は女の子が産まれてとても喜んでいた。母はお気に入りの人形と同じ服を妹に着せていた。
黒いワンピースに、赤い靴。
お人形さんが二人いるみたい、と近所の人によく言われた。
僕は、妹をかまいたくて、よく人形を取り上げた。妹は泣きながら僕に言った。
「おにいちゃん、赤い靴の子、返して」
僕は笑って、妹に人形を返した。
※
ワタシハ 人形
ワタシノ分身ガ 死ンダ
ワタシハ 犯人ヲ 知ッテイル
※
少年はブランコに揺られながら、夏の暑さにみとれていた。
今日は、人形を抱いていた。
赤い靴をはいた、女の子の人形。
公園のトイレに、一人の男が入った。
くたびれた作業着を着て、虚ろな目をしていた。
少年はその男を見つめている。
蟻を潰すのとは違う。
そんなに簡単なことじゃない。
それに、妹はもう帰ってこない。
ワタシガ ヤル
人形が言った。
※
次の日、公園のトイレで、男の変死体が見つかった。
司法解剖で男の胃袋から子どもの靴が発見された。赤い靴だった。
殺された少女のものと一致した。
※
少年は公園のブランコに揺られて、過ぎ行く夏に目を細めた。
人形は、あの日以来いなくなってしまった。人を殺めたから呪われてしまったのかもしれない。
オニイチャン
また、形のない声がする。
オウチ ニ 帰ロウ
少年は隣のブランコを見た。
静かに微笑む。
「うん、一緒に帰ろうな」
どこからか赤い風船が、深い青空の彼方へ吸い込まれて行った。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。




