生きるのって素晴らしい
暗かった視界が少しずつ晴れていく。
どうやら僕はどこかの冷たいアスファルトの上に寝転がっているようだ。
(なんでこんな所にいるんだっけか…?確か…ビルの屋上にいて…飛び降りようとして…そしたら女の子が…!!!)
「そうだ!!!…ぐっ」
飛び起きた瞬間、頭の先から足の先までを貫くような鋭い痛みが走る。
頭をガンガン殴るような痛みが襲い、上手く息ができない。
(そうだ…僕はその女の子に突き落とされて…あれ?じゃあなんで僕は生きてるんだ?それに体中痛いけど…別に骨が折れてるわけじゃないみたいだし…)
コツンと足音が狭い路地に響く。
その足音は僕へと段々近づいてくるようだ。
「あれ?起きたんだ。どうかな?気分は」
振り向いた先でニコリと笑う少女は最後に見た彼女だった。
「どうって…」
「”気分最悪”って感じだね。まァそりゃそうかもね、いきなり僕に突き落とされたんだもの」
「やっぱりお前!!人を突き落としておいてよく…笑っていられるな!?」
「ありゃ?でも今、生きているんだから問題ないだろう?ほら、怪我もしていない」
悪びれる様子もなく笑い続ける目の前の彼女。
まるで「悪い事をした」というより「良い事をした」とでも言うかのように。
「ねぇ、なんで自分がこの高いビルから突き落とされても平気だったのか知りたくなぁい?」
「そりゃ!!!…そりゃ知りたいけど…」
彼女が指差す方向にある僕が突き落とされたビル。
ニュースか何かで最近建てられたばかりの高層ビルだと騒ぎ立てられていたのを覚えている。
普通、人間が50階だの100階だのから落とされたら即死の筈だ。
10階から落とされても死ぬだろうけど。
なのに、僕は生きている。
まだ体中痛いけど、生きているのだ。
「んふふ。僕が言っていた事覚えてる?」
「言ってた事…?」
「その様子だと見事に忘れているようだね。…はぁ」
「なんでため息吐くんだよ」
僕のほうが吐きたいくらいだよ。
「忘れているようだからもう一度言うよ。…僕は生神で君を気に入ったと話していたのだよ」
「はぁ…その生神って何?死神とかじゃ無いわけ?」
死神はよく聞くけど、生神なんて聞いたことが今までに無い。
「ん?生神は死神とよく似た者だよ。ただ違うのは死神はこの世の人間じゃない、つまりは死んでいるという事さ。
生神は死んでいない、生きながらにして神になった者の事だよ」
「…はぁ?」
表情を変えずに話す彼女を訝しげに見つめる。
とりあえずこの子は中二病を拗らせてでもいるのだろう。
そうじゃなきゃ、生きながらに神になるなんてどこぞの御伽噺だ。
見たところ僕とあまり年が変わらないようだし、神だなんて信じるわけないだろ。
「信じるも信じないも君の自由さ。…けど、君は身を持って体験しているからね。
最初の話に戻るけど、君が生きているのはね?僕が君を死ねないようにしているからだよ」
「僕を死ねないように…?馬鹿じゃないの?」
「じゃあ君はどうして死んでいないのかな?こんな高い…そう思い出した。
こんな100階建てのビルから落ちても平気だった理由はどうやって説明するのさ?」
「それは…」
言葉が詰まる。
もうこれは彼女の言葉を信じるしかないのかもしれない。
だって実際に僕は落ちても生きているのだから。
「僕は君を気に入ったと言っただろう?だからその時点から君はどうやっても死ねないの。
車に轢かれても、めった刺しにされても、首を吊っても、溺れても、死ねないの」
「そんな勝手に…これは僕の人生だろ?お前に勝手に決められたくない」
「お前、じゃない。九十九黄泉、名前で呼んでよ」
「馴れ馴れしくするかよ」
「釣れないなぁ。確かに勝手に死ねなくした事は謝るよ?けどさァ?死ぬ理由も無い奴が死のうとしてんの見ると最高に胸糞悪いんだわ。
自分を中心に世界回ってねぇんだよ?お前は何様だ?誰もお前が死んだって泣きやしないんだわ、分かってんだろ?」
ニコニコと笑いながら暴言…いや正論を吐く彼女は一種の恐怖を覚える。
体の芯から冷えるような感覚。
カタカタを震える体が、渇ききった喉が、止まりそうな呼吸が全てを物語る。
「ね?簡単に死ぬような奴大嫌いなの…そんな奴には死ぬよりも絶望する現実を与えよう…ってね。親も友人も死んでいく中、君だけは老いもせず生きていくんだよ」
「そんな事…っ」
「できる訳ない、って?でもできているでしょう?君は死ねなかった。
ふふっ、素晴らしいよねェ生きるってさ」
頭がグラグラする。
いつの間にか僕の目からは涙が零れていた。
自業自得
そんな言葉が脳裏を掠めたような気がした。
「改めて、僕は九十九黄泉。生神として僕は今年で190歳になる。よろしく」
彼女の白い手が僕へと差し出される。
先ほどまでの冷たい笑顔は姿を消していた。
「…高垣双汰。高校1年の16歳」
涙が零れたままの顔を上げ、自身の手で差し出される手を握る。
その手は氷のように冷たかった。
こうして僕と彼女の奇妙な関係が始まった。
長い、長い、ような短い関係が。
始まったのだ。