二十九日(7日目)
「山大くん、今日もよろしくね」
「…………」
今日の相方は怪我人だった。
ちなみに口元はまだ青紫の傷が残ってるし、腰も痛むらしい。
しかしこの言い方だとさすがに失礼があるか。
言い直そう。
今日の相方は初日にしょーもない理由で怪我をしたT中さんだった。
変わらん?
まあまあ置いといて。
「今日の調査内容は何ですか?」
「うん、もうこの頃になると大体欲しいデータも出揃ってくるからね。俺たちは昨日T田さんと山大くんが見つけた群れの確認だね」
「足跡ですか?」
「姿が見れたらそれに越したことはないけどね」
とりあえず、昨日沢で見つけた足跡でおおよその構成は把握できたらしい。
今回はその念押しだそうだ。
「ま、足跡が見つかったら後はゆっくり焚き火でもしてよっか」
「いいんですか? そんなんで」
「と言ってもね、足跡を追おうにも腰が痛くて無理だし」
「…………」
もう突っ込まんよ。
ちなみに僕らの他にも、首輪回収のW部さんと佐Tさん、奥に進むI十嵐さんとO越もいるらしい。
「じゃ、行こうか」
「了解っス」
I十嵐さんによる送迎の車から降り、とりあえずは昨日僕らが群れを見た辺りを探してみることにした。
サルがどこにいるのか懸命に双眼鏡で覗いていたので、その周囲の地形は覚えていた。
「この辺です。ちょうど、そこの二本の大きなスギの間に見えたんです」
「立ち居地はここ?」
「はい」
「で、林道と平行に移動したらしい、か……」
一度双眼鏡で確認した後、地図に目を落とす。
本当なら見えたところまで登ってみたいところだが、T中さんがこの様なので諦める。
一人の崖登りは大変危険です。
絶対に止めましょう。
やる時は必ずパートナーをつけること!
……やらん?
あ、そう。
「このまま林道沿いに進んだとして、どこに行ったんですかね」
「うーん、尾根の向こう側に行かれたらもう追えないなー。こっち下りてきて林道沿いの川を渡ったんなら足跡は残るけど」
「探してみましょうか」
「えー」
「えー、って」
その反応に、えー、だ。
「T中さん、一応このペアのリーダーなんですから」
「まあね。でも歩きたくない」
「……行きますよ」
この前は割と普通に歩いてたんだから、言い訳にならない。
僕が歩き進めると、渋々といった具合に付いて来た。
この人、本当に教授だろうか?
「あ」
少し進んだところで、ここ数日でずいぶんと見慣れたものに遭遇。
「ほらT中さん、ありましたよ」
「お、本当?」
少し元気を取り戻したらしいT中さんが小走りで寄ってくる。
その間に僕はカウントを済ませる。
「22+αです。ゴチャゴチャしてるんで難しいですが、たぶん二十後半かと。川の方に向かってるんで、たぶん対岸に渡ったっぽいです」
「ん、まあ大体いい感じの数だね。もう少し行って戻ってきてないか確認しようか」
「了解っス」
そして二百メートルほど行ったところでまた足跡があった。
ただしこちらはさらにゴチャゴチャとしていた。
というか、何頭も行ったり来たりしていた。
「……どうなんですかね」
「うーん……。多分だけど、林道沿いに歩いてた群れがこの辺りで川を渡ろうとしたけど、流れが急で諦めて戻って行った、って感じかな?」
「じゃあ、さっきのがリトライして川を渡ったって感じですか」
「多分ね。まあ実際のところはサルに聞いてみないと分かんないけど」
そりゃそうだ。
……いや、それよりも。
「どうしましょう?」
「どうしよっか」
調査、もう終わってしまった……。
足跡の数は確認したし、T中さんがこのザマだから追えないし。
「おーい!!」
なんて悩んでいると、遠くから軽トラが走ってきた。
その運転席から誰かが手を振っている。
「ん、あれ?」
「佐Tさんじゃないっスか」
「や。山大くん」
そしてなぜか荷台からW部さんが手を振っている。
佐Tさんはこの佐井で、サル対策としてモンキードックを育成している人だ。
たまに拠点に連れてくるんだけど、こいつ、ラブラドールなのにとんでもなく吠え癖があった。
まあそれもサル対策のためなんだろうけど、盲導犬や介助犬の穏やかなイメージはどっか行った。
心なしか人(犬?)相も悪いし。
荷台で手を振っているW部さんはR大の方で、T田さんの友人だそうだ。
卒論のデータに使えないかと今回サル調査に初参加したらしい。
「ぼくらの首輪回収終わっちゃってさ」
「それで、これからI十嵐さんの後を追うと思ったの」
「そうなんスか」
ほらほらT中さん、これが本来あるべき姿じゃないんですか?
「実はこっちも終わっちゃってさ」
「はい。もう足跡のカウントもしちゃいましたし」
「あ、じゃあぼくらと行きません?」
「行きたいけどねえ、腰が痛くて山道はキツいなー」
「……また暴れたんですって? その場にいなかったので知りませんけど、ほどほどにしといてくださいよ」
「分かってるんだけどねー」
「…………」
反省の色が薄い。
「で、どうします?」
「どうせここにいても暇なだけだから、途中までついていくよ」
「了解です。後ろ乗ってください。W部さん、前ね」
「はーい」
荷台に乗せてもらい、車で行けるところまで行く。
そこで佐TさんとW部さんとは別行動。
二人はさっさとI十嵐さんたちを追って山道を登っていった。
二人は歩くのが早く、すぐに見えなくなってしまった。
* * *
一方、僕らはと言うと……。
「暇だねー」
「暇っスねー」
ダラダラとその辺を散策していた。
川の中を覗き込んだり、たまに飛んでくる鳥の名前を当てたり……。
とにかく暇。
「あ、イワナ」
「え、本当?」
「はい。背中の模様的に、多分イワナかと」
「捕まえて焚き火で炙って食べようか」
「……今禁漁期です。そもそも、どうやって捕まえるんですか」
「それもそうか」
ちなみにこの雑談、焚き火を囲んで交わしています。
だってすることないもん。
じっとしてると寒いだけだし。
しばしそのまま特に何かをするまでもなく、ひたすら取りとめもない雑談。
そして一時間後(!)――
「あ、W部さん帰ってきた」
「あ、T中さんに山大くん」
「佐Tさんは?」
「んーと、何かI十嵐さんとO越くんが違う方の道を行ったらしくて、一人で追いかけて行ったよ。で、わたしだけ下りてきた。どうせT中さんが焚き火してるだろうからあたらせてもらって来いって」
「…………」
T中さんの動向は読みやすいようです。
「じゃあしばらくこのまま待ってよっか」
「ですねー」
そしてそのまま、周囲のスギの枯れ枝を掻き集めつつ焚き火の延命を続けること二時間(!!)――
「あ、佐Tさん戻ってきた」
「お、W部さん。それにT中さんと山大くん」
「I十嵐さんたちどうでした?」
「大分先まで進んでるらしくってねー。追いつけないから戻ってきた。少し早いけどもう帰還しようかと思って」
「へー。あ、じゃあ僕も連れてってくれません? 夕食の準備、今日は僕に押し付けれてるんで」
「あ、今日何?」
「手作りギョーザっス。……皮から」
「……お疲れ」
「でもダメ。軽トラ二人乗りだし。国道を荷台に乗せて走れない」
「……そうっスか」
どうやらI十嵐さんが戻ってくるまで帰れないようだ。
焚き火を名残惜しそうにするW部さんを引きずって佐Tさんは帰っていった。
そして二人が帰って三十分後。
まさかの出来事。
――ギャギャギャッ!!
「んんっ!?」
T中さんが慌てて自分の双眼鏡を構える。
声は対岸の崖から聞こえてきた。
僕も双眼鏡を覗いて確認する。
だが、双眼鏡の必要はなかった。
――ギャギャ!!
――ギャー!
――ギャギャ!!
「おおっ!?」
「何だっ!?」
崖の上から三頭のサルがもみくちゃになりながら転がり落ちるように駆けてきた。
しかもよく見れば、崖の上にもまだ数頭こっちをみている。
「山大くん、メモ」
「あ、はい!」
「下りてきたのはアダルトメス、アダルトオス、アダルトオス。メスは子供を抱えてる。上にはアダルトメス、アダルトメス、アダルトオス、アダルトメス……残り三頭は不明」
「……えーと、アダルトオス3、アダルトメス4、ベイビー1、不明3ですね?」
「うん。子持ちのメスにオスがちょっかいを出したって感じだな」
「……何してんすかね」
「さあ?」
いや、それよりも。
「最後の最後にもう一回サルが見れましたね」
「だね。焚き火してるだけだったのに」
「ある意味充実した調査だったんじゃないですか?」
「なるほど、言えてる」
サルたちは十分ほど対岸をウロウロしていた後、また崖の上に消えていった。
* * *
調査を終えた後が大変だった。
拠点に戻った後、急いで報告書を書き上げるとすぐに厨房に向かった。
なんせ二十人分のギョーザを皮から作らねばならんのだ。
「小麦粉はある。肉は今日風呂に行った帰りに買ってくるらしい。野菜は余ったやつを全て使えば問題ない。よし!」
とりあえず小麦粉を捏ねる。
一キロの小麦粉を三十分かけて捏ね上げ、纏め上げ、さらに二十分寝かせる。
「ふう……」
休憩。
拠点の中はやけに静かだ。
皮を捏ねている間に僕以外のメンバーは温泉に行ったようだ。
僕はこれがあるし、昨日は行ったから断ったのだ。
「さて、寝かせている間に……」
麺棒を作らなくては。
実はここには麺棒がない。
三日目にS木先輩とうどんを作ったが、僕らは空いた一升瓶のラベルを剥がして代用していた。
だけどその一升瓶はもうゴミに出してしまった。
また空いた一升瓶のラベルを剥がさねばならない。
……ぶっちゃけ、面倒。
「誰だよギョーザ食いたいなんて言い出した奴……」
まあ、余った野菜を消費するにはちょうど良かったから僕も賛成したけど……。
でもまさか一人で皮作りをするハメになるとは……。
もっとも、グチグチ文句を言っていても仕方がないわけで。
ラベルを剥がした一升瓶を一度洗い、水気を拭き取る。
「さて、本番」
小麦粉の塊を細長く延ばし、小さく切り分けていく。
それを打ち粉をしながら一升瓶でできるだけ丸く、限界まで薄く伸ばしていく。
「……少しでかい」
市販のより三割り増しくらい大きくなってしまった。
まあ手作りっぽくて、いいっちゃいいけど。
それをひたすら繰り返す。
小麦粉の小さな塊は全部で八十個ある。
二十人近くいるから一人四つの計算だが、一個一個がでかいので問題ないだろう。
そして一時間後。
「……ぐおおおおおっ……!! 終わった……」
目の前に並ぶ八十枚のギョーザの皮。
さすがに壮観である。
あとは温泉組みが肉を買って帰ってくるのを待つのみ。
今のうちに野菜も刻んでおこうか。
と。
「ただいまー」
「あ、お帰りー」
来たな。
「おおっ、スゲエ」
「一人でやったのか?」
「おお、N務にO越。よく来た手伝え」
「「げ」」
「……逃しはしない……!」
厨房に足を踏み入れたのが運の尽き!
僕は問答無用でキャベツとハクサイ、タマネギを二人に差し出した。
「もう残ってる野菜は全部使うから、とりあえず全部みじん切りにして」
「マジか……」
「ハクサイも入れるのか?」
「残しても意味ないし。僕はニンニクやってるから、刻んだ野菜はそこのボールに突っ込んどいて」
「「了解……」」
さあ今度は怒涛の野菜タイム。
買出し組みがひき肉を買ってきてくれるまで、延々と男三人で野菜を刻んでいた。
「あ、ニンニク余る」
「どうする?」
なぜか知らないがニンニクが大量に残っていた。
具に練りこむにも限度があるし、このままだと六個も残ってしまう。
「……ロシアンギョーザにするか」
「……おお」
つまりはニンニク一欠け丸々を具でコーティングして皮に包むというのだ。
これだと一気にニンニクも消費でき、かつハラハラドキドキして楽しめる。
もちろんニンニク一欠け丸々は火が通りにくい。
生のニンニクは辛いよ?
「……でもそれでもまだ何個か余るな」
「ホイル焼きにしてここで食べちまおうぜ」
「いいね!」
男三人、いい具合に佐井の色に染まってきた……。
以下、割愛!!
具材こねて皮に包んで焼くの繰り返しだし。
* * *
佐井での最後の夕食である。
メニューは僕の作ったギョーザ(ニンニクの地雷入り)。
そして大間の漁師さんからの差し入れとらしいマグロの刺身(!)。
プラス最終日まで残っていたお酒の数々(むしろこっちがメイン)。
「サル調査お疲れ!!」
『『『お疲れっすっ!!』』』
「また来年も頼むぞ!!」
『『『おおおおおっ!!』』』
「乾杯っ!!」
『『『乾杯っ!!』』』
呑んで食べて呑んで呑んで食べて。
みんなで盛り上がった最後の夕食。
明日早くにフェリーに乗る人もいるため遅くまでは騒げないけど、本当に楽しい夕食だった。
最初はどんな目に遭うのかと乗り気ではなかったが、こうして下北半島サル調査に一週間フル参加した後だと、全く印象は変わっていた。
また、来年も来よう――