二十五日(3日目)
「今日で大分なれたでしょ? 明日はうちと一緒に行こうかー」
「了解でーす」
先日の夕食後の調査報告後に交わしたU坂先輩との会話である。
普段は底抜けな明るさと妙にテキトーな態度で周囲(主にA先輩)を翻弄しているU坂先輩だが、彼女は修士課程一年のベテランである。
きっと彼女との踏査は色々と勉強になるだろうと踏んでいた。
その予想は正解だった。
「もし地図を読んでも今いるところが分からなくなったら、とりあえず落ち着いて周囲を見渡してみて。ほら、向こうに三つ頂上が並んでるでしょ? ああ言う特徴的な地形を見つけたら地図でそれがどこか探すの。で、間に谷を挟んで反対側の尾根にうちらが立っていると予想できるわけだよ」
この他にも、昨日実践した雪の積もった崖の登り方や、針葉樹の枝をロープ代わりに使うなどの技術はU坂先輩からの受け売りである。
「急斜面を登る時は木の幹を使おうねー。でもたまに枯れたまま立ってるのとかあるから、全体重を預けちゃだめだよ? バランス崩して落ちちゃうから」
「分かりました」
それは踏査開始三時間後のことである。
僕は言われた通り、木の幹をほどほどに体の支えとして斜面を登っていた。
が。
「痛っ!?」
「大丈夫!?」
手に激痛が走った。
見れば掴んだ木の幹から大量のトゲが出ていた。
「あー、タラノキ掴んじゃったんだ」
「え、タラ!? 太くないですか!?」
見れば確かにそれはタラノキだった。
ほらあれ、山菜の王様とか言われるタラノメのことね。
あれの枝には鋭いトゲがたくさん生えているのだ。
「手は大丈夫?」
「あ、はい。手袋二枚重ねにしてたんで、少し刺さっただけです」
「そっかー。まあ確かにこのタラノキすごいねー。うわっ、太すぎて指が回んないよ」
普通、その辺に生えているタラノキの太さは直径三、四センチがせいぜい。
しかし僕が掴んでしまった物はどう見ても直径十センチ近くはある。
「大木だねー」
「始めてみましたよ、こんなサイズ」
おかげでタラノキに見えなかった。
しかし驚くのはこれから。
「……うお」
「これは……さすがにびっくりだよ」
その先、まさかのタラノキ林が続いた。
しかも直径十センチクラスの大木がゴロゴロとあった。
「ここは春に来たいねー」
「ですねー」
などとユルい会話を交わしながらハードな登山(と言うか、道なき道を上り詰める)をすることさらに一時間。
面白いものを発見。
「お」
そこには足跡があった。
まあ、サルっちゃあ、サルの足跡。
「そう言えばS木たちがこの辺を踏査するって言ってたね」
僕らがS木先輩の縄張りに入ったのか、S木先輩が僕らの縄張りに入ったのか。
「どっち行ったんですかね?」
「んー、沢のほうだと思う」
地図と足跡の方向を確認しながら、U坂先輩が呟く。
「あ、これ見て」
「何ですか?」
「少し古いけど、これ多分サルの足跡だよ。きっと昨日のだと思う」
「これを追ったんですかね」
「多分ね。どうする?」
「どうする、とは?」
「うちらも追おうか? ちょっとS木と話して情報交換もしたいし」
「僕はいいですけど」
「そっか。地図を見る限り、ちょっとキツい道だけど、頑張って付いて来てねー」
「……了解っス」
U坂先輩の『ちょっと』はアテにならないと理解した。
少し歩いたら崖みたいな尾根下り。
その後はワサワサとしたヒバの密林を突っ切る。
かと思えばまたすぐ崖下り。
U坂先輩はケロッとしていましたよ?
「そろそろ見えてくると思うんだけど……」
「……はあ……」
確かに追ってきたS木先輩の物と思しき足跡はずいぶんと新しい。
つーか、サルの足跡を追いかけたとは言え、何もS木先輩もあんなところばっかり通らなくても……。
しかも途中でサルの方の足跡は消えちゃったし。
「呼んでみよっか」
「聞こえますかね?」
「物は試し。……おおーいっ!! S木―!!」
…………。
「――――!?」
「あ、答えた」
「すげー……」
何て言ってるか聞こえないけど。
「今どこー!?」
風が止んで静かになったのを見計らってもう一度。
「――下の沢ー!!」
「うちら尾根の上ー!!」
「――休憩中ー!!」
「今降りるー!!」
「――了解ー!!」
…………。
えー……。
また崖降りるんですか?
ま、降りるのは楽だけどね。
尻餅の姿勢から滑り台みたいに降りればいいだけだし。
――ズザザザッ……!!
「おお、U坂。それに山大」
「やっほー」
「ど、どうも……」
そこにいたのはS木先輩と、今日の彼の相方となったR大のA羽さん? だったかな?
「今飯食ったとこ」
「えー、待っててよ」
「何でだよ」
「うちらこれからだよー」
「じゃあ焚き火してやっから、それで許せ」
「え、焚き火してくれんの!? ラッキー!!」
へえ、焚き火いいんだ……。
まあ雪をかければ山火事にはならないか。
「山大、昼飯の包み紙」
「あ、はい」
S木先輩に保温のためにおにぎりを包んでいた新聞紙を渡す。
保温と言っても、この極寒の地では無意味だけど。
S木先輩はザックから鉈を取り出し、その辺にあった枯れ木をどんどん切って重ねていく。
曰く、焚き火のコツは空気が入りやすいように薪を組むことだそうだ。
「ほい、点火」
新聞紙にライターで火をつけ、それを薪の下に放り込む。
すると少し湿っていたためか、薪から大量の煙が噴出す。
「「「…………」」」
「うえっほ、うえっほっ!?」
U坂先輩の方へ一直線。
「よかったじゃないですかU坂先輩。煙が行く人は美男美女の証らしいでよ」
「咳き込み方は下品だったけどな」
「お黙りなさい!!」
「「うえっほ、うえっほっ!?」」
焚き火に息を吹きかけ、煙が僕らの方に向かってきた。
煙い。
「でもまあ暖かいねー」
「だな。今のうちに体温上げとこう」
昼食のおにぎりを腹に収め、しばらく火に当たることにした。
その時、U坂先輩が思い出したように自分のザックを漁りだした。
「どうしたんですか?」
「へへっ、ジャジャン!」
「おーっ、マシュマロじゃねえか!」
「焼いて食べよー」
「あ、待て。確かその辺にクロモジがあった」
クロモジとは、枝や葉からとても良い匂いがするクスノキの仲間である。
「これにマシュマロを刺して炙れば、香りもすっごく良くなるんだよねー!」
言いながら、U坂先輩は焚き火にマシュマロをかざした。
するとすぐにマシュマロの表面がこんがり狐色となる。
さらにクロモジのいい香りも漂ってくる。
「…………」
ヤバイ。
美味そう……!
「ぁん!」
U坂先輩、一口でパクリ。
「……うまーい!!」
「そりゃそうでしょうとも」
「ほら、みんなも食べよ」
「「「いただきます!!」」」
雪山の中、クロモジの枝に刺して焚き火で炙ったマシュマロは、下手をすれば今まで食べたお菓子の中で一番美味しかったかもしれない。
外はサクッ、中はトロッ、香りがフワッ。
最高っス!!
* * *
さあて衝撃の事実。
本日の踏査はこれで終わりー。
と言うのもS木先輩たちは、追っていた足跡が途中で消えてしまい、適当に歩いていたら帰りのルートに戻れそう沢を発見したため休んでいたのだそうだ。
その後一時間かけて沢伝いに山を下り、拠点に帰ったのです。
「ただいまー寒かったー」
帰るや否やスキーウェアを脱ぎ捨てストーブの前に陣取るU坂先輩。
今回の調査報告は僕が書くことになっている。
さっさと書いて少し休もうとペンを動かしている時のこと。
「山大、終わったら手伝え」
「え、何をですか?」
S木先輩がこちらにやってきた。
「俺とU坂と他数名は明日で帰るんだわ」
「あー、そう言えばそうでしたね」
「で、何か最後に皆でうどん食いたいって話になったから打つの手伝え」
「買えばいいじゃないですか!?」
「わざわざ買出しに行くのがメンドい。小麦粉なら余ってるから手打ちにすることにした」
「…………」
誰だよ最初にうどん食いたいって言った人……。
「あ、うちうちー」
「あなたですか!?」
U坂先輩だった。
「頑張ってねー。美味しいの期待してるよー!」
「……はい」
逆らう気力もなかった。
* * *
そう言えば忘れていたことがある。
どうやら世間一般では昨日がクリスマスイブだったらしい。
「一日遅れたけどケーキ作ろー?」
「…………」
U坂先輩、あなたはまた……。
「あの、僕うどん打ってるんですが?」
「大丈夫ー。もうスポンジと生クリームは初日に買っておいたから。あとは飾り付けだよ」
「毎年やってるんだよ」
「はあ……」
U坂先輩の後ろからT田さんが顔を出す。
「と、言うわけで少しスペース空けて。ケーキ作るから」
「了解です」
厨房のテーブルの上を少し片付けてケーキを飾り付けれるだけのスペースを作る。
「どんなのにするんですか?」
冷蔵庫にフルーツ的な物はなかったと思うんだけど……。
あ、缶詰が足元のダンボールに入ってた。
「とりあえず、マシュマロでサル作ってみようと思う!」
「ポッキーで冬芽も作ろうよ!」
「あ、いいね!」
「…………」
この辺の会話、農学部っぽい……。
少なくともケーキ作ろうとする女子の会話じゃない。
三十分後。
「と、言うわけで作ってみました!」
「おー……」
妙に完成度高いな……。
サルが。
「このお尻が赤いの、アダルトオス!」
「他は?」
「その他!」
「大雑把だ!?」
実に楽しい夕食準備だった。
ところで、本日の概要。
サルの足跡発見できず。
マシュマロが美味しかった。
ケーキが美味しかった。
踏査よりもうどん打ちの方が疲れた。
……踏査の記録がほとんどないな……。
何も見つけられないとこうなるのか……。