二十四日(2日目)
夢うつつの中、ガヤガヤとした物音に気付いた。
「―――――」
「―――――」
「―――――」
おそらくは人の声。
どうやら遅れていたO大のメンバーが到着したようだ。
「う……」
でも眠い。
仕方ないから、挨拶は起きてからにしようか。
などと考えていたら、一際大きな声が聞こえてきた。
「自己紹介!!」
『『『ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ!』』』
「……ぷはあっ! えー、H大クマ研、佐井は五年目になりました、T田です! 一週間よろしくお願いします!」
『『『おー!!』』』
「…………」
自己紹介前にイッキしてなかったか?
ノリがまるで寮生だ……!
危ない危ない。
起きてたら僕もやらされるところだった……。
まあでもビールならできるか。
日本酒なら少しキツいけど。
ふと気になって目を開ける。
「はい次!」
「うっす!」
「…………」
コップに注がれる、『大男』の名を冠する焼酎。
『『『ハイ! ハイ! ハイ!』』』
「く~っ!! G大クマ研、佐井は三年目のS木! 四日目で途中退場だが、よろしく!」
『『『おーっ!!』』』
「…………」
見なかったことにしよう。
僕は寝袋に潜り込み、今見た光景を忘れるべく瞳を閉じた。
が。
「ぅお~っし、次は俺だぁ~」
「T中さん、もう止めとけ。大分来てんだろ」
「んなに~? 俺には呑ませねぇってかぁ~?」
「そうは言ってないけど、アンタ酔うとすぐ喚き散らすから迷惑なんだよ」
「んだとぉ~?」
「何か違うか?」
「M上ぃ~、お前年下の癖に生意気なんだよぉ~!」
「アンタは教授になったからって調子に乗りすぎなんだよ!」
「こぉんのぉ~っ!」
「っと……危ねえな!(ガスッ)」
「何しやがるんだぁっ!!」
「正当防衛だ(ガスガスッ)」
「お前暴力団かぁ!」
「うるさい。とっとと大人しく寝ろ(ガスガスガスッ)」
「…………」
大の大人がいきなり取っ組み合いを始めましたよ!?
いや、正確にはT中さんが一方的に蹴られてるだけだけど。
つーか引くわっ!!
大人のマジ喧嘩って見苦しい……!
そんな中、聞こえてくる先輩たちの声。
「あーあ、またかよ」
「今年も何だかんだでこの展開かー」
また!?
今年も!?
何この二人毎年こんなことしてんの!?
色んな意味で目眩を覚えた僕は早々に寝袋の中に戻った。
本当に、今見たことは忘れよう……。
* * *
朝起きるとT中さんの口元に紫色の傷跡ができていた。
「…………」
忘れようと思ったのに……!
「えー、改めまして、佐井班の班長を務めますH浦だ。よろしく」
軽く頭を下げる白髪交じりのおっちゃん。
つか、T中さんの件についてはスルーなんだ。
やっぱり毎年やっているらしく、僕ら一年目メンバー以外は慣れている様子。
「じゃ、一年目集まれー」
「「「「はーい」」」」
一年目メンバーは僕を含めて四人。
二人はH大、もう一人はO大から来たそうだ。
「G大の山大です。出身はここ青森です」
「……オメ、青森県民か」
H浦さん、謎の食いつき。
「え、あ、はい。そうですけど」
「なしてオメ青森県民の癖して青森の言葉使んねんだ」
「そう言われましても……」
「青森県民が青森さ帰って来たんだば青森の言葉使えゃ」
「……はい」
青森出身と分かった途端訛り全開のH浦さんだった(本当はもっと方言がきついんですが、文字にすることが不可能でした)。
「O大のY山です。雪山は初めてですけど、頑張ります!」
聞けばO大周辺の積雪量に度肝を抜かれたらしい。
よくそんなんでこの調査に参加したな……。
「H大のN務です。俺は大阪出身です」
へー。
言われてみれば関西圏の訛りが若干出てる。
「同じくH大のM崎ちゃんでーす! 好きなものは大腸菌とバクテリオファージでーす! 気軽にファージさんと呼んでくださーい!」
「…………」
ちょっと待て何かとんでもねえのが出てきたぞ。
「気にしないほうがいいぞ山大。こいつはこんな奴だ」
「気にするなって言う方が無理な相談じゃないかコイツは!?」
大阪人よりキャラ濃いぞこの女!
何故に大腸菌!?
そしてどうしてファージさん!?
「じゃあとりあえず、さすがに四人いっぺんに連れて行くのは無理があるから――」
H浦さんまさかのスルー。
「Y山」
「は、はい」
「お前はT田と行って雪山に慣れろ。青森県民の山大とH大クマ研の踏査で慣れてるお前らは私と来い。サル調査の基本を教えてやる」
「「「「了解です」」」」
サル調査、本格的に始動。
* * *
「お、あったあった」
僕ら三人を車に乗せ、H浦さんは拠点近くの林道を走っていた。
そして何かを見つけたらしく、路肩に車を駐車する。
「ほら、降りろ。足跡だ」
「サルのですか?」
「おう。数え方を教える」
車から降りると、確かに辺り一帯に小さな足跡が散らばっていた。
「これがサルの足跡だ。この辺りの他の生き物とは全く形が違うから間違うことはないとして、問題は大きさだ」
「大きさ?」
「このように複数の足跡があるということは、こいつらは群れで移動したというわけだが、群れの構成は目視よりもこの足跡の数で行った方が効率的だ。一列に並んで歩いてるわけじゃないしな」
「なるほど」
「それで構成についてだが、基本はアダルトオス、アダルトメス、ヤングアダルトオス、ヤングアダルトメス、チャイルド、ベイビーで区別している。ただしこれらを足跡から判別するのは非常に困難だ。だから細かいことは別にこだわらなくていい。単純に足跡を大、中、小で区別しながらカウントしていけばいい」
「大中小の区別は?」
「基本は個人の感覚で行なう。だいたい後ろ足の親指の付け根から外側までの長さが五センチ以上なら大、四センチ前後なら中、三センチ以下なら小とすれば問題ない」
確かにこうして見てみると結構大きさに違いがある。
「…………」
「どうしたN務」
「あの、この微妙に重なってゴチャゴチャしてるのはどうすればいいんスか?」
「ああ、それは足跡を追いかけることができる場所なら辿って、バラバラになったところで改めてカウントしろ。無理なら何となくでいいぞ」
何となくでいいんだ……。
「あと、たまに群れから少し離れて移動する奴もいるから、足跡が集中しているところから前後五十メートルは確認するように」
「了解しました」
「よし、じゃあ行け」
「「「…………」」」
「どうした。早く足跡数えて来い」
「あの……H浦さんは行かないんですか?」
「私は車で休んでる! 年寄りに雪道歩かせるな」
「「「…………」」」
一瞬だけS木先輩の顔が浮かんだのは気のせいだろうか?
* * *
カウント中は特に何もなかったので報告だけ。
大9
中7
小5
列になっていて区別不能3+α
計24+α頭の群れでした。
報告したところで、ふいにH浦さんがニヤリと笑った。
「お前ら、サル見たいか?」
「え?」
「そりゃまあ、見たいですけど」
「見れるんですか!?」
「おう。この足跡はまだ新しいからな。そう遠くまでは行ってないだろう」
「「「おー」」」
「この足跡の先には浅い川があるんだが、連中はそこを渡ると予測される。先回りして待ち構えていれば向こうからきっと来る!」
「「「おーっ!」」」
「よし、車に乗れ! 先回りだ!」
「「「はいっ!!」」」
車に乗り、少し先にある橋を渡る。
そこから対岸の林道を走り、路肩に停める。
H浦さんの予想だと、この辺りに来るらしい。
「いいか、耳を澄ませ。姿はなくても鳴き声はするかもしれない」
「はいっ!!」
五分後。
「ニホンザルは地上性だが、たまには木にも登る。その時の枝の動きは風のそれとはかなり違うから間違うなよ」
「はい!」
十分後。
「サルはクマと違って歩き方がガサツなんだ。クマが枝を折らずヤブを鳴らさず歩くのにないし、サルは歩く時は盛大な音がする」
「……はい」
十五分後。
「…………」
「「「…………」」」
「……来ないな」
姿どころか泣き声も揺れる枝も足音もありませんが?
「もう行ったあとなんじゃないんですか?」
「だったら足跡があるだろう。少し戻ってみようか」
「……はい」
車に乗り込み、元来た道を逆送する。
そしてすぐにそれを見つける。
「…………」
「「「…………」」」
橋の上に積もった雪にしっかりとついた、真新しいサルの足跡。
もちろん、さっき橋を渡った時にはなかった。
「……これをサルに撒かれるという」
「「「…………」」」
川が冷たいからって、野生動物の癖に人間の橋を使うなよ!
便利なのは分かるけど!
* * *
その後。
H浦さんの「よし行け」の号令の元、山一つと沢一つ登っている時のこと(もちろんH浦さんはいない)。
「……ん?」
「どうしたファージ」
「何か聞こえなかった?」
「何かって何だよ」
「何かこう、キイ、って感じの音」
「んー?」
耳を済ませてみる。
すると。
――キイ、キイ……
「あ、ホントだ」
「結構近いぞ」
「何の音だろ?」
「トリじゃないしね」
三人で頭を捻る。
その時N務が不意に口にした。
「サルっぽくね?」
「「…………!」」
顔を見合わせ、音のする方を見る。
だがそこには反り立つ尾根があるばかり。
今いる場所は沢の近く。
ここからだと音源は上手く見えない。
「……登ってみるか?」
「この尾根を?」
「崖みたいだぞ」
「ウチらじゃキツくない?」
「けどさ――サル見たくないか?」
「「……見たい」」
崖登り決定。
雪が積もっている状況での崖登りは、意外と楽であることはあまり知られていない。
夏場などの土が露出している所だと地面の凹凸ぐらいしか足場がないが、冬場の積雪量の多いところならば足場を無理やり作ることができるのだ。
つまり、爪先を雪に突き刺すようにすればいい。
「お。お。お」
「どー? 山大―」
「結構行けるぞ!」
爪先と、ついでに手も雪に突き刺しながら崖を昇っていく。
途中雪が崩れやすいところはヒバの木の枝をロープ代わりに使う。
生きている針葉樹は細い枝でも結構丈夫。
人一人バランス取る分には申し分ない強度がある。
「N務―。頂上はまだ先かー?」
「いやー、もう少しー」
「ファージ呼ぶかー?」
「いや、上行って空振りだったらアレだから、まだいい」
一応女子であるファージは下で待機。
サル本体なり足跡なりを見つけてから登っても大丈夫だろうという判断。
「……よっと」
「はー、ようやく登りきった……」
下を見ると、結構登ってきたのが分かる。
十五メートルくらいか?
「さて……」
「サルはいるかな……?」
辺りを見渡す。
が。
「「…………」」
何もいない。
と言うか、生き物の気配もしない。
当然のように足跡もない。
その癖、
――キイ、キイ……
例の不思議な音は近くから聞こえてくる。
そう、少し離れた所に立つ枯れた木から……。
「……おい」
「……ああ、まさか」
「「…………」」
「おーい、二人ともー、どーだったー!?」
下からファージの暢気な声が聞こえてくる。
「……枯木が風で軋んでる音だったーっ!!」
「マジかー!!」
「マジだー!!」
「気をつけて降りといでー!!」
「テメエ必死こいて崖登った奴に対してそれだけかよーっ!?」
「じゃあ降りてきたらハグしてあげるー!!」
「「いらんわっ!!」」
この日、結局一度もサルの姿を見ることはできなかった。
あ、ハグは全力で拒否しました。
少し失礼かなと思ったが、ファージ本人がケラケラ笑ってたため罪悪感は消し飛んだ。
* * *
二日に一度の入浴(大間まで移動しての温泉)を済ませ、夕食の支度にとりかかる。
S木先輩曰く、佐井の夕食のルールは「勝手に作って喰え」
その由来が明らかとなった。
「…………」
今日の分の調査報告書はファージが書いてくれるらしいので、手持ち無沙汰となった僕は厨房(元給食室)に顔を出した。
するとそこには。
「おー美味そう!」
「味付けは塩コショウでいいかな?」
「いいって! さ、食おうぜ!」
缶ビール片手に、カリッと焼いた厚切りベーコンを摘むS木先輩とH大のOさんの姿。
「何してんですか……?」
「おー山大。お前も食え食え」
「あ、ありがとうございます……じゃなくて!」
何夕食前に勝手にツマミ作って呑み食いしてんだこの人たち!?
「山大よ……これが佐井のルールだ」
「つまり、飯を作った者は何を食べてもいいんだよ……!」
「夕食を作ろう、でもただ作るのじゃ割に合わん」
「じゃあ呑もう、それにはツマミが欲しい」
「それなら先にツマミを作ろう!」
「…………」
とんでもないルールですねそれ!?
「まあ逆にここで呑みたきゃ全員分の飯を作れってことでもあるんだがな」
「山大君ちょうどいいところに来たね。手伝ってよ。美味しいツマミを作ってあげるから」
「はあ……」
何かもう、どうでもよくなってきた……。
僕はそれから一時間近く、ひたすら野菜を切り続けたのだった。
十二月二十四日。
下北サル調査二日目のことである。