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それは、すべての始まり

 ワタシは美容師になる、そのため今ここにいる、はず。

 面接は簡単だった。あっさり終了し、家に着く前に採用のメールが入った。”明日から来て下さい”それだけだった、たぶん。

 昨日の面接官はその場に見当たらず、代わりに年齢不詳な髪を腰まで伸ばした魔女の様な女性が目の前に現れた。

 「よろしく。華子です。貴女が今日からの‥」「青葉、青葉奈々です」「アオバちゃんね、詳しい話は彼に聞いて。じゃっ」「は、はい」|(何だったんだ?何者?でも、ちょっと綺麗だな)

 いつの間にか昨日の面接官がそばにいてニコニコしている。「あ、今日からヨロシクお願いします!」

 「こちらこそ、よろしくね。わからない事はいつでも聞いて。そのままにして流しちゃうと後で困るからね」彼の名は中山龍弦、年は3つ上の25歳。美容師は顔なんだと改めて感動してしまう程の美形。身長はざっと見た感じ175センチ、細身な体にザ・美容師なオシャレなファッション、切れ長で涼しげな目元でやんわり優しげに挨拶されてしまった‥まあ、魔女は置いといて、とりあえず合格かな。


 余裕で店の評価してたワタシ、1ヶ月たってやっと周りが見えてきた。なんかおかしなお店に入ってしまった予感。

 とにかく少し変、というか普通じゃない所に迷い込んじゃったようです。まず、料金が高い!この辺のお店の2倍から3倍。お客様の要望をいっさい聞かない、さらにお客様もいきなり世間話始めちゃって‥いいのかなぁなんて。更に1ヶ月に一度は休みの日に仕事してるような?極めつけ、美容師って仮の姿かも‥

「ぎゃはは〜。すごいよ〜それ、考え過ぎ、飛躍し過ぎでしょ」専門学校からの友人星澤りかのでかい声に居酒屋の店内も一瞬ひるんだ空気。「声、おっきいよぉ」後ろめたくはないが自然と声のトーンを落としてしまっている。

「だってぇ〜、それ悩み?」話す相手を間違えたらしい。

「いじめられたりしてるの?嫌なヤツとかいるとか?」少しは真面目に聞く気になったらしい。

「そういうのは無いんだよね。ただ、いいのかなぁって‥」「いいんじゃないの?楽しいんでしょ?結局は」確かに、毎日楽しくないといえば嘘になるし、新鮮なほど新しい発見の連続だったりする。「でもさ、何?魔女の華子さんってどんな人なの?」そうだ、ここだ。私が聞いてほしい本日の議題、”華子”。


 彼女をこの1ヶ月観察した私が得た情報と言えば、華子は結構いい年で、かなり若い恋人がいる、不思議なパワーを持っている雰囲気、そして忘れっぽく、気分屋で接客業に向かない笑顔が苦手な美容師、ということくらい、かな。


「残念だけど、アオバちゃんさぁ〜龍弦はダメだよ。」赤面したのは自覚があったけど何も大きな声で、何を言い出すのかこの人は。

 とぼけて聞こえない振りを決め込んだ私に追い打ちをかける華子。「見る目が違うもんねぇ〜、高井の方とは」同期にあたる私より3ヶ月先輩の高井誠は、何?とこちらを注目。「何がです?」あ〜入ってくるなっ、高井。

「アオバちゃんが龍に見とれてるから早めに忠告しようと思っただけ。」あぁって、わかった様な顔する高井をにらみつつ「忠告って、どうしたんですか?」やっぱり気になる、でしょ。

「女の子は興味ないみたいだよぉ〜、美容師には多いらしいからね」面白がって横目でちらちら笑う華子が憎らしいほど綺麗だった。

そうして私の一目惚れが終わった。


「よくある話らしいよね〜、残念だったね。っと、すみませ〜ん!ビールと豚串、塩で」この軽い感じが好きなんだけどね、いい友達を持った自分に1人、乾杯だね。店は零時を回るとパラパラ空席も出てきて、りかのよく通る声が更に響き渡っていた。「で、で?スタッフは何人なの?魔女とゲイと高井と奈々と?」指を折りながら勝手に数えていく。「昨日からもう一人、女の子が入ったんだ」今の悩みと言えばこの子かもしれない。普通に後輩が出来た事に人並みの悩みが出来た事に、こうして気づけた事はオープンで頼れるはずのこの友人に感謝するべきなのかもと思えてきた。「ふ〜ん、後輩を持つと奈々も悩んだりするんだね〜。まあ、それは皆同じでしょ。で、不思議なパワーってなんなん?」「なんとなくだけど、見抜かれてる感じなんだよね。たまに鋭いし」口にしようとしたとたん、それほどの事でもないと思えるのに実際彼女を前にすると何かを感じてしまうのだ。

「普通に気のせいだね、間違いなく」軽く流された。うん、そうかもね。



 昨日は少々飲み過ぎたらしい。でも、収穫はあった。それほど変な店でもないかもしれないと思えてきたから。

料金が高いのは高級なお店という事で、客の要望を聞かない美容師だっているらしいし、世間話がしたい人もいる、普通だ。でも、やっぱり何か不思議な感じがする‥

「おはよう」「おはようございます」「おは〜」店には既に高井と新しく入った小山メグが朝の準備を始めていた。小山メグは大人しくて地味な印象を与えるが、ワタシは彼女にビビっていた。高井に言わせると子供が苦手な大人はそういうよね、等と軽く受け流す。

 丸顔で童顔、一見可愛い顔していて守ってあげたい雰囲気の後輩は何を教えても返事をしないし、言われた事の半分も出来ていない。 初めての後輩ってこんな感じなのか?想像していた後輩と先輩の図とはイメージが違った。高井にはそうではないらしいが。

 今日の低いテンションを見抜かれないよう1日を過ごすため、あまり余計な事は言わずにいようと決め、準備に没頭、集中しているワタシに華子の呼び出しだ。「アオバちゃん、華子さんとこ、行ってきて」中山に言われると笑顔でいい返事をしてしまう、情景反射ってやつか?

 路面に面した美容室は地下に通じていて、一つがスタッフルームで奥が華子の部屋。コーヒーの香りが漂っていた。

「失礼します」何を言われるのだろうか、わざわざこの部屋に呼び出すなんて入社以来あっただろうか。マグカップを片手に振り向く華子、今日も怪しさ満点だ。こんな服、どこに行けば買えるのかというほど常に一点もの風な個性的な色や柄やシルエット。なのにまったく野暮ったくもなく着こなす所がニクい。「今日は特別に出張するから、一緒に来て。必要なものは龍に聞いて用意して、出来たら出発ね」月に一度、華子はボランティアと称して訳あって美容室に出向けないお客様を訪問してカットやセット等しているらしい。そこは華子個人の仕事という事で他のスタッフは定休日の訪問ならノータッチでいいという事。今日の様に営業日に出かけるのは入社して以来、初めての事かもしれない。「持ち物は車に積んでおいたから、安全運転で華子さん、つれてってあげて」中山は手際よく地図を書いて説明すると華子の愛車カングーのキーを渡し、カットのお客様の方へ行ってしまった。なんだか緊張してきちゃったな。

 車の運転は嫌いではないけど、初めての車はやはり苦手。さらに体調も万全とは言えない状態で正直な所、弱気になっている。

「今日のお客様はね、ご主人亡くされてから髪の毛を切る事をしていないの。長い髪が好きだったらしくて、切ったらそんなご主人を否定するようで気がとがめてたんだって。毎月、キレイにしてたのに2年前から殆ど外出もせずに髪も切らずにね」運転に集中したいんですけど、なんて言えないムードの中で話続ける華子に相づちをなんとか打つだけのワタシ。「そうなんですか」「それでね、そこの家って息子がいて昔から知り合いなんだけど、仕事で家を空けるのも心配になるっていうんで家に仕事持ち込んで、あっ、建築家なんだけどね、そろそろなんとかしてあげてっていわれてさぁ、1年前からはシャンプーしてセットしてってやってたんだけど、今朝電話が来て切りたいなんて言うもんだから気が変わらないうちにってことで、突然だけどタイミングなんだね、今が」「へぇ〜」「アオバちゃんも今日はハードけど、頼んだよ」「はい、?」何がそれほど大変なのか華子が神妙な顔するから大変な気がしてきちゃうけど。

 和風の平屋建ての”平松”と書かれた表札を前に気分がズーンと沈んでいく気がしたが、趣のある玄関からまたまた俗にいうイケメン、もの静かで上品な中山とは別の種類のいい男が現れたとたんにスマイルのスイッチが入ったのが自分でもわかった。華子にもカチッとスイッチオンが聞こえていたようで、ちらっとこちらを振り向き笑ったようだった。

「とうとうその気になったの?」挨拶も省略する様な間柄か。「華子さん、今日大丈夫だったの?」そういいながらもワタシに目を向け頭を下げる‥いい男はこんな狭い範囲に固まっていたのか。「いいタイミングだったよ。アオバちゃん、こちら平松さんの息子で陽(よう)で、こっちがアオバちゃん」一気に紹介を終えスタスタと奥に入っていく華子に戸惑っていると「今日はヨロシクお願いします、アオバ、さん」改めて向き直ると更にステキ度がアップした陽に調子が狂ってしまい、スマイルスイッチが故障したのか「おじゃまします」一言いうのがやっとだ。

 すでに居間で上品なおば様と言う印象の女性と会話する華子が、また簡単にワタシを紹介すると長い髪をささっとまとめあげ仕事モードに入っていた。ワタシは華子の指示に従いローズマリーの香りのヘアトニックで平松さんの頭から首、肩にかけてゆっくりマッサージして堅い緊張感をほぐすよう努めた。傍らで華子と陽が平山さんに話しかけ和やかなムードを作っていく。

「せっかく切るんだから、ウンとステキにするからね」ハサミを持つ華子が優しく髪をとかして大切なものそっと、それでいて迷いのないスピードで作業していく。丁寧で大胆に動く指先から真剣な気持ちが伝染するようだ。

 場の空気を作るのが今の自分に任されている感じがして言葉を探した。「お庭のバラが見事ですね」開け放たれたポーチから手入れの行き届いたバラを中心とした庭が印象的だった。「主人が私のために色々と集めて造ってくれた庭なんですよ。だから何もする気がなくなっても、ここだけは放っておけなくてね。ちゃんと見ていてあげないと花は正直だから、すぐひねくれたりいじけるのよ、フフ」いいのか、この話題って。少し反応が遅れた私に陽が気づいたのか「土とか鉢とか運ぶ力仕事は僕の担当のようだけどね」「あら、そうだった?」ここは別の時間が存在するかのように、朝の自分がいた世界と同じものとは思えない様にゆったりと空気が流れていた。バサバサと床に落ちた毛の分だけ平山さんの表情や声が軽くなる様に思えた。肩の上でゆるくカールする程よいくせ毛の平山さんは10歳位若返った様にも見えた。「ありがとう、華子さんと奈々さんでしたね?お金は受け取ってもらえないんでしょうね、今回も。これは私の気持ちだと思って受け取ってね」

 フリルの様な花びらのルナロッサという可憐で女性らしいオレンジと黄色のバラの花束を抱えて車に乗り込むと華子はぐったりとうなだれて、「店に戻る」そう言って眠ってしまった。


 店と同じビルの3階に華子は住んでいる。華子はワタシに先に部屋に行くようにと鍵を渡し自分は店に顔を出すといって車を降り別れた。華子の部屋は初めてだったので興味があった。このビルには他に中山と高井も住んでいて同じフロアだ。どうやら華子が大家さんらしいので家賃がスタッフ価格のようだ。ドアを開けるとすぐ部屋が見渡せる造りで広いフロアにオープンキッチン、奥に一部屋あるようで寝室なんだと思われる。外国のアパートメントというイメージは片付いていてほんのりと白檀の香りがした。

 ボーッと立ったままのワタシの後ろの方でミャーという声がした。猫。シャム猫だ。華子よりずっと愛想の良さそうな猫がワタシを出迎えているようにみえた。「キャットだよ」いつの間にか華子がいた。「え?キャットって名前ですか?」「そうだけど」名前つけるセンスは無いんだな、同情した目で猫のキャットを見るワタシに反撃する事も無く甘いピンク色のソファーに倒れ込んだ華子は「アオバちゃん、グラッパ取って」ぼそっと言い終わるとリモコンを持ちTVをつけた。「え?グラッパってイタリアの食後酒ですよ、いきなりですか?」言いながらも何本か並ぶ瓶の中からグラッパを探した。彼女は必ず仕事の後にアルコールと決めているらしく何のレベルかは知らないがラム酒、ウィスキー、ウォッカ、テキーラ、そしてグラッパの日は”やばい”らしいと高井に聞かされていたので少々身構えてしまった。

「グラッパはね、ワタシの中では幸せな気分の時に飲む、幸せを呼ぶお酒なの。今日はそんな気分なんだよね〜、アオバちゃんもどうぞ」アルコール度数30〜60度のグラッパは普段ビール、焼酎派のワタシには少しキツい。でもそんな風に言われたら気になるではないか。無色透明の魔法の水は確かにほんのりと幸せの味がした。ソファーからユラユラと冷蔵庫に向かった華子が生ハムとチーズを出して白い皿に手際よく並べていた。「後でピザが届くから、それまでコレで我慢して」

 いつの間にか中山と高井が来ていてピザを片手に今日の話をしていた。「あ、起きたぁ〜」高井もほろ酔いでテンションが高め、声も大きめだ。「今日は大変だったでしょ、さすがに華子さんもやられてるもんね」そう言う中山の視線の先には抜け殻の様にTVを観ている華子とくつろぐ猫のキャットがいた。「そんなに疲れる仕事ってことでもなかったんですけど」そう言いながらも、たった1人のお客様にこんなに疲労感を感じた事も無かったかもとウーロン茶をすすりながら振り返って考えてみた。

 どうやら美容師という仕事、髪の毛を扱うという事は想像を超える重労働らしい。体を壊し、辞めていく人間が多いのも仕方の無い事のようだ。人には体に取り込まれてしまったもので害だと思うもの、不要なものを髪の毛に送り、外に捨てる機能があるらしくて、麻薬犯罪の検査で髪の毛を調べれば正直に毛髪から証拠が挙がるということなんだとか。そこで失恋した女の子が髪をバッサリ切ったり、病み上がりに気分転換のために退院後に最初に行くのが美容室なのは人間の本能がそうさせているんじゃないかってことなんだよと、さも自分が発見した事の様に説明を始めた高井が美味しそうにピザをほおばるのを見ながら、そうなのかもしれないと今まで深くは考えていなかった様々な出来事が蘇ってくるのを目を閉じ振り返っていた。


 専門学校を卒業後、友人が仕事が辛い、先輩が嫌いといっては次々に店を辞めた。ドンドン痩せて体を壊す、病院に行っても異常が無いと言われるが体調が優れず、休みがちになる人もいたりと丈夫でなければ続かない仕事だとよく聞かされた。華子曰く、優し過ぎもダメだし、心が弱いと持っていかれる、そう表現していた。念がこもる部分だという髪の毛は触れる事で当人の負の部分が伝わってしまうから万全でなければ癒すどころか共倒れになる。エステシャンやマッサージ師も体に触れる仕事だが髪の毛がメインの美容師にはかなわないそうで、そのテの職業の人間では余程、敏感でなければ感じ取れないと。だから今日の仕事は大きかった。2年分はあったマイナスのオーラを取り払う大手術だったのだから。なんだか凄い仕事についてしまったみたい。

 

 その後、ワタシは平山宅の前を通るように通勤コースを変えた。少しばかり遠回りにはなるが自転車通勤の手軽さもあって横目で様子を見るようになってから庭の手入れをする平山さんや陽とも挨拶を交わすのが日課となっていた。月に1度、華子の代わりに髪の手入れに訪問する事も買って出るワタシに華子はニヤニヤしながらも何も触れなかった。なんだかあの日以来、仕事に張り合いの様なものが生まれた気がしていた。中山もワタシの変化に気づいて「最近、変わったよね」と言いながらアドバイスをくれる回数が以前より多くなっている気がする。そんなワタシに「龍に認められたって事かな、アオバちゃんもやるね」などと暢気にしてる。

 相変わらず小山メグはワタシを先輩とは認めていないのか、あまり可愛くないが気にならなくなっていたので平和に毎日が過ぎていった。華子も平和なのか毎日、瓶がお気に入りというだけで”レモンハート”というラム酒で1杯やっている。高井の観察の結果、ラム酒は平穏の合図らしい。「華子さんは癒しのパワーが並じゃないんだよ、心が堅くなった人は彼女の力が必要になってどんな遠い所からでもやってくるんだ。彼女に会うだけで幸せになれると信じる事が出来るってさ」陽が言っていた言葉を思い出す。そこまではスゴイとか思えないんですけど。独り言が漏れていたようで軽く笑って「君にもいつかわかると思うよ」なんだか悪いことを言ってしまった気分になり無口になるワタシ。何度めかの訪問の時、つい慣れも手伝い彼と華子の歴史に口出ししてしまったのだ。

 その日から家の前も通りづらくなり1週間が経った。

 休日前の夜、店の掃除が終わると華子に誘われて1ブロック離れたイタリアン居酒屋に向かった。先に行ってるからと言い残して帰ってしまった華子はリラックスしたTシャツにジーンズに着替えていて店の奥から手をヒラつかせていた。1人ではない、はめられた気がして躊躇するワタシは誰かに背中を押され、前に進むしか無かった。後ろから肩に手をかける人も華子の仲間らしく「やあ」などと華子と陽に声をかけている。誘導されるがままに陽のとなりに座ると、おやじの飲み会の様に「まあ、まあ」とワインをつがれ飲む流れになった。紹介された初顔は陽の幼なじみでカメラマン「カイトです」榊原海人は浅黒く健康的に日焼けした爽やかな印象の青年だった。またまた華子には隠し球があったのかと驚いていると「華子にこき使われてる噂のアオバちゃん?」華子、華子って呼んでるけど?何か掴めていないワタシに通訳がついた。

 「この男が華子さんのパートナー。彼女が唯一、自分でいられる相手なんだって」陽がいつもの優しい目でワタシを見ていた。華子はそんな私達をやっぱり優しく見ているようだった。え?本当に若いんですけど。

 「陽が心配してたんだけど、大丈夫そうだね」運ばれてきたカルパッチョは華子の好物らしく、殆ど彼女1人で食べていた。「ワタシ、何か変でしたか?」二人の年の差も気になったが、心配されていたなんて聞き捨てならないんですけど。

 陽の顔を覗き込む様にして隣に顔を向けると、思いのほか近くに顔があったので赤面した所を見られないようにグラスのワインを飲み干した。

 困った様子の陽が「気を悪くする様な事、言ったかと思って。あれから見かけないから気になっちゃって」ワタシからみれば立派な大人の、しかもカッコいい男子が”気になっちゃう”なんて可愛い事言ってる。母性本能がくすぐられてしまうんですけど。

 ケータイが鳴り、陽が席を外すと「アオバちゃん、陽はいいヤツだから遊びはダメだよ」今までマッタリしてたくせに急に鋭い目つきでテーブルから身を乗り出して声を潜める華子。「な、何でそうなるんですかぁ?何言い出すんですか、びっくりですよぉ、華子さん」変な汗が出てきた。横のカイトがフォローしてくれなかったらどうなっていたんだろう、ワタシ。

「また、アオバちゃんイジメだね。困ってるみたいだよ、そんな事急に言われて」どうしていいかわからずフリーズしてしまった。

「あれ?違うの?勘違いかなぁ〜。なんだかとろけそうに見つめ合ってたから」恥ずかしいっ、そんな顔してましたか?

 首と手をブンブン横に振り”NO”のサインをしていると「ごめん、ちょっと用事」陽が戻るなり手を合わせ、上着を取ると出口に向かうところ、いったん振り返り「奈々ちゃん、また今度」返事をする間もなく店を出て行った。”奈々ちゃん”だって。

 華子はまだ何か言いたそうだったが放心状態のワタシの受け答えがつまらなかったのか、どのパスタをオーダーしようかとメニューと格闘し始めた。華子から解放されたと安心したのも見抜かれたようだったが何も無かったかのように話題が変わっていった。

 

 確かにワタシは後ろめたかった。

 でも、いいなぁって思うくらい自由、でしょ?彼氏がいたらダメなのか?ステキだなぁって思う事も罪なのか?何故、華子はあんなに強い眼力でワタシを攻める様な口調だったのか?‥考え過ぎ?

 酔いも醒めてしまい、甘い気分もどこかに消えてしまったワタシはワンルームマンションの3階にある自分の部屋に明かりがついてるのを確認すると重たい気分で鍵を開けた。空の缶ビールとコンビニの弁当の食べかけと気だるそうに漫画を読んでる男が見えた。

「来てたの?」こちらに背中を向けたままの男に声をかけた。

「ん、店辞めたから」男は次のワタシの反応を伺っているようだった。

「え?まだ、2週間でしょ?何が気に入らなかったの?」付き合いは高校時代から何となく続いていた。同じ美容師を目指していることもあり、当たり前のようにワタシの生活に組み込まれていた彼氏。ワタシにドラマや映画の様な出会いがあるなんて想像もしていなかったから、なんとなくでここまで別れる理由も無くて続いていたというところなのかも。

 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに勤め先の愚痴が出てくる出てくる。

「俺には合わない、俺とは方向性が違うし、俺が伸びないって感じたんだよね」

 1、2件辞めた頃は「大変だね」「運が悪かったね」などと真面目に聞いていたけれど、こう続くと本当はおまえが問題なんじゃないか?等と思えてきて聞き流している自分に気づいた。

 面食いのワタシの彼氏だから顔は勿論良いし背もそこそこ高くて「奈々の彼氏は優しくて面白くて顔も良いんだから幸せだね」とか言われたものだけれど、人間、社会に出て広い世界に出てみると今まで見えてなかったものが見えてくるってコレかななんて最近冷めてる自分を発見してしまう。華子は気づいているのかもしれない。こんなワタシが大事な陽に色目を使うなんて許せないんだ、きっと。そう思っているからあんなこと言ったんだ、絶対そうだ、絶対。


 

 「ダメじゃないですかぁ?そんな彼氏」

 翌朝、営業前の準備も終わり、コンビニで買ったおにぎりを食べながら高井とメグにポロリと昨日の彼氏とのやり取りを話してしまったワタシに対する厳しいメグのコメント。

「稼げない男とは二十歳過ぎたら縁切りです」メグは手作りらしいサンドウィッチを片手に、首を横に振り演説を続ける。

「さっさと別れて将来のある人を探しましょうよ」ダメな先輩を諭す後輩の図だ。

 こんな風に踏み込んだ話題で話した事が無かったからか、メグはなかなかのしっかり者だと気づかされ、ますます落ち込んだ。

「小山はさ、バツイチだから厳しいんだよね、こういう不甲斐ない女には」それまで鏡の前で自分の髪をスタイリングしていた高井の言葉に椅子から落ちそうになった。

「え〜、メグちゃんって21歳だよね?何それ、人生の先輩じゃない?!」

「まあ、色々あるんです。因みに2歳児と住んでます」

「ひえ〜、だからかぁ、そのどこかワタシをバカにした態度」

「そう見えました?ゴメンナサイ。なんだかアオバさん見てると一言いいたくなるのを押さえるのに苦労してます、私」

 悪びれずにズバズバ言われると可笑しくなってきた。彼女は専門学校時代にバイト先で出会った男性と子供が出来、結婚したらしい。若さの所為にはしたくないと言ってはいたが、今でこそ大人の目を持つ彼女も苦労して今があるようだった。

 二人ともワタシの態度が、そんな男を生み出すんだと言う様な事を面白がりながら結論づけていた。そうなのかも、素直に反省した。

 確かにこのままでは良くない。ワタシは華子に空いている部屋を借りたいと申し出た。華子のマンションに住むという事は彼氏は出入り出来ないという事になるのだ。彼氏や彼女を連れ込みんだりお泊まりは禁止というのが、格安でここを借りる事が出来る条件なので。華子にはどういう考えがあるのか計り知れないが、良い口実になると気楽に考えていた。


 意外にもすぐに返事はもらえなかった。

 「上手く別れたの?」

 情報が何処から漏れているのか素早く頭の中で答え方を探していると

 「どんな子なのか会ってみたい」予想外の展開だ。まだ、別れるとは切り出せずにいるワタシを見抜いての台詞なのか、早く会いたいという華子の希望で次のヤスミの前の日という事で三日後にということに。

 

 「富永和希、です」

 華子は行きつけ第2号の無国籍料理のお店にワタシと彼氏の和希を呼び出した。その日はお客様も早く引けて8時には店を閉めていた。一度家に帰り、渋る和希を連れ出してきた。この時点で引っ越す事も別れる話も出来ていなかったが、華子もその方が良いというので店の人に会わせたいとだけ言い引き合わせる事になっていた。

「悪いね〜、無理に呼んじゃって。まずはビールでも飲も」そこには中山も来ていて華子の隣で和希に笑いかけていた。

 挨拶もそこそこの華子をフォローするように中山が自己紹介をした。

「彼女が華子さん、で僕が中山龍弦です。アオバさんと富永くんも何か食べたいものあればオーダーしてね」細やかな気配りはさすが。

 今夜の華子は胸元の開いた黒いシフォンのノースリーブのブラウスとハイウエストのデニムのワイドパンツで綺麗めな大人のムードだった。その横には確実に自分よりレベルが上と思われる男がいては和希もビビって当然で、背筋もピンと伸びている。

 華子と中山は和希の緊張をほぐすように上手く場を盛り上げワタシのことなど忘れているのかと思う程に全くメインの話題を振ろうとはせず楽しく談笑している様子。

「じゃあ、今度店に遊びにおいで」

 ?

 お開きになった。


「奈々の店、いいなぁ〜。メチャクチャいい感じでしょ?奈々の店なら続けられそう」

 とんでもない!何を言い出す?

「いや、あれで営業中は怖いし大変なんだよ」

 もう、華子は何を考えているのか‥和希の嬉しそうな顔を見ていると複雑な気分。

 その日は和希が実家に帰ると言うのでマンションの前で別れ、華子に即、電話をした。

「華子さん、ワタシはどうすれば良いんですか?」それしか出てこない。

「どうしたの?情けない声出して。いい子じゃない?彼氏。大丈夫だから、アオバちゃんは大人しく引っ越す準備してて」

「何も言わなくていいんですか?」

「あまり考えないで待ってみて。たぶん、上手くいくから」

 華子は自信ありげに任せておけといい、一方的に電話を切ってしまった。まあ、何とかなるかな。


  

 あれから3日もしないうちに和希からメールが入り”新しい店が決まった。お互い頑張ろう。ひとまず別れる事にしよう”

 そりゃあ、別れたいとは思っていたけど、メールで簡単に済ませることか?

 言いたいことはいろいろあるけど、華子の作戦が効いたのかと思って大人しくしておくことにした。が、どうしてアッサリ引いたのか疑問が残る。そして引っ越しまで1週間は怒濤の忙しさで、それ以上和希のことを考えてる余裕も無くなっていた。

 引っ越しの日は陽も手伝いに来てくれて、中山、高井、メグ、も暇つぶしにと言いながら加わって楽しい引っ越しになった。

 華子は全てが終わった頃を見計らってなのか、デリバリーのおつまみや蕎麦、焼酎を持ってやって来たので、そこからは引っ越し祝いの飲み会になってしまった。明日は仕事なんですけど‥。

 メグは子供を迎えにいくとかで先に帰り、男達がTVの配線やらを酒を飲み飲み接続するのを横目に見ながら華子がボソッとつぶやいた。

「彼氏ねぇ、悩んでたみたいだよ。仕事が長続きしないのもアオバちゃんが考えてる様なことでもないみたいだし、ちゃんと聞いてあげれば良いのに」え?貴女はどっちの味方?〆にアイスだとか言いながらハーゲンダッツのラムレーズンを食べながら、華子の独り言の様な話が始まった。

「なんかさぁ〜多いじゃない?美容業界っていうのは」

「何がですか?」

「龍弦タイプっていうか、がさつな女子より繊細な男子選ぶ人」

「あぁ。確かに結構聞きますよね」

「でね、彼氏は勤める店のオーナーとか先輩に狙われたり、迫られたりで辞めてたらしいよ。ワタシも龍も会ってすぐ、ピンと来たもん」この人は何を言い始めたのか?返事もフリーズしたワタシに”大丈夫?”って顔しながら話し続けている。

「本人も戸惑うよね。龍は間違いないっていうし、聞いてみたんだ」いつの間にかワタシのいない所で話が進んでいる。


 どうやら和希はそっちの方面にも人気があるらしく、本人としては好みでもない女子ならまだしも男子に言い寄られ、それがオーナーやら先輩なものだからやりにくい。そこで居づらくなって店を点々とする事のなったという話。

 龍弦曰く、意外と本人も気づいてないというか認めるのが嫌でワタシとの関係を続けていたんじゃないかとのこと。

「私達としゃべってるうちに楽になったみたいでね、アオバとの腐れ縁も一度、解消する なんて言い出してさ〜、ふっふふ」なにやら思い出した様な不気味な笑い。

「自分がストレートかどうかもわからなくなったんだって。龍弦に会ったら、ははは」もう、完全に楽しんでる。

 いつの間にかTVの配線も終えた中山と高井が話に加わる。

「龍さんと初めて会ったらみんな勘違いしますよね〜、やっぱかっこいいっすから」

「彼には俺から紹介した店に行ってもらう事にしたんだけど、きっと今度は続くと思うよ。華子さんもアオバちゃんが選ぶ男に悪いヤツはいないはずだっていうから、会ってみたくなったんだけどね。良いヤツだと思うよ」

「類は友を呼ぶんだよ。アオバちゃんも彼氏も若いから見えなかった所があっただけで、元は同じ種類なんだよね、きっと」

 和希の事を褒められるのは悪い気がしなかったし、むしろ気分が良かった。でも、はっきりわかる、コレは恋愛感情ではないって。

 陽はそんな会話を聞いているのかいないのか、全く気にしていないように引っ越し祝いにと持って来てくれたオリーブの鉢を窓際に運んでいた。今日はあまり向き合って話す事も無かったけど、それでも彼の居る空間は心地よかった。やっぱり・・・たまらないっ!

「そうそう、陽さぁ〜、あんたもアオバちゃんとこにお泊まりなんか禁止だからね。風紀が乱れると営業に支障あるから、ね」何を言い出す?!華子さんてば。陽が変に思うでしょ!

「はいはい、了解です。会いたくなったら呼び出すからね」何をサラッと言うんですか、この人も。だてに華子との付き合い長くないということか。

「え?え?何がです?」慌てるワタシ、部屋には皆の笑い声が広がった。

皆が部屋に戻り、一息ついた所で直接、顔を合わせられずにメールで済ませた和希に、メールを返した。

”お互い、どんな美容師になるのかこれからが楽しみだね。気づいてあげれなくてごめんね。サヨナラ、美容師仲間より”



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