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深緑の森は嘘を隠す  作者: 本咲 サクラ


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第1記録 王命

 王城の廊下は、音が消える。

 石床は磨き上げられているのに、靴音だけが沈むように吸い込まれていく。誰かの気配はあるのに、存在が輪郭を持たない。

 ——ここはそういう場所だ。

 無駄なものを削ぎ落とし、必要な機能だけが残された空間。

 そして、人も同じように扱われる。


 リディア・エルンストは、一定の歩幅で歩く。

 呼吸は乱さない。視線は正面。余計な癖は排除する。

 心拍だけが、わずかに速い。

 理由は明確だった。

 呼び出しの内容が予測できているからだ。


 執務室の扉の前で立ち止まる。

 重厚な扉の前で、衛兵が槍をわずかに動かす。


 「特命文官、リディア・エルンスト。入室の許可を」

 「……確認した。通れ」


 王の執務室は、必要以上に静かで無駄な装飾すら緊張を助長しているように感じられた。

 視線の逃げ場が無い空間の中央には、君主が座るに相応しいデザインの机と椅子。机の上だけが例外のように雑多だった。


 リディアは進み、膝をつく。

 「リディア・エルンスト、参上いたしました」

 「顔を上げよ」

 顔を上げると、王の視線が落ちてくる。

 測られていると感じた。

 “人間”としてではなく、“使えるかどうか”で。


 「北方森林グリューンヴァルトについて、どう見ている」

 その言葉に、ほんの一瞬だけ呼吸が止まりかける。

 だが表情は変えない。


 北方森林グリューンヴァルト

 失踪者は、昔から出ていた。

 頻発ではない。だが、定期的に。

 “そういうもの”として処理されてきた。

 だが今回は違う。

 失踪者の増加。

 そして——

 王都に流れ始めた違法薬物、“緑滴”。

 それらが繋がっている可能性。

 それが、“噂”として王の耳に入った。

 確証はない。だが、無視できない。

 だからこそ——

 リディアに声がかかった。


 「失踪事案単体では、長期的に発生している自然減少の範囲内とも解釈できます。しかし今回、発生頻度が上昇していることと、違法薬物“緑滴”の流通経路が北方と一致していることから、両者が無関係である可能性は、低いと判断します。」

 室内が、わずかに静まる。

 王は数秒、沈黙した。

 ——試されている。


 「噂をどう扱う」

 「調査対象とすべきです。現時点で断定はできませんが、放置はリスクが高い事案です」

 即答だった。

 王は、わずかに目を細める。

 「……なるほど」

 机上の書類に視線を落とし、すぐに戻した。

 「他の文官は、“証拠不足”で退けた。貴様は違うか」

 「はい。証拠が揃うのを待つには、損失が大きいと判断します」


 短い沈黙。

 そして——

 「よろしい」

 決定だった。

 「現地調査を命じる」

 その言葉を受けた瞬間。

 胸の奥で、静かに何かが動く。

 「承知しました」


 ようやく、ここまで来た。

 十年。

 妹が消えた日から。

 “事故”として処理された日から。

 ずっと、同じ場所にいた。

 ただ立場が変わっただけだ。


 現場に入る権限。

 情報に触れる権限。

 命令を動かす権限。

 それを得るために、ここまで来た。

 特命文官、それは目的ではない。

 手段だ。


 「問題はあるか」

 「いいえ」

 声は揺れない。

 「任務は遂行可能です」

 王は数秒、リディアから目を逸らして手元にあった書類を一瞥し、頷いた。

 「護衛を付ける」

 その一言に、わずかに意識が外れる。

 「既に配置してある」

 扉の方で足音がした。規則的で、無駄がない。

 聞き慣れた音。

 振り返らずとも分かる。


 「騎士カイル・ヴォルフ。参上いたしました」

 その声にリディアの口元が、ほんのわずかに緩む。


 だが同時に、少しだけ引っかかる。

 この任務に彼が来ること。

 偶然ではない。


 「本任務において、リディア・エルンストの護衛を務めます」

 いつも通り、仕事モードの硬い言い方。


 (……相変わらず真面目)

 リディアは内心で少しだけ笑う。


 「異論はあるか」

 「ありません」

 リディアが答える。

 「ありません」

 カイルも続く。

 視線は交わらない。

 だが、それで十分だった。

 この距離感は知っている。


 「三日後に出発しろ」

 「承知しました」

 立ち上がる。

 任務は確定した。

 十年分の停滞が、動き出す。


 執務室を出て扉が閉まった瞬間、少しだけ空気が軽くなった。

 リディアはすぐに隣のカイルを見上げた。

 「護衛、引き受けてくれてありがとう」

 仕事の言葉に見せかけて、少しだけ違う意味を混ぜる。

 「任務ですので」

 カイルはそう言いながらも、

 「……それに、あなたの案件ですから」

 ほんのわずかに、声が柔らかくなる。


 リディアは一瞬だけ視線を逸らした。

 (……やめてほしい、そういうの)

 ——弱くなるから。


 「今回はちょっと厄介そうよ」

 「そのようですね」

 「森、嫌い?」

 軽く聞く。雑談のつもりだった。

 だが、カイルはほんの一瞬だけ沈黙した。

 「……いいえ」

 短い返答。だが、間があった。

 リディアはそれに気づく。

 (……何かある)

 同時に、自分も同じことをしていると気づく。

 (人のこと言えないか)


 「あなたは、森が苦手でしょう?」

 リディアの表情が、ほんのわずかに変わる。

 気づかれている。

 全部ではない。

 だが、何かは。

 「……あまり、いい記憶は無いわね」

 軽く流す。

 言わない。

 妹のことも。この任務が“目的”であることも。


 カイルもまた、何も言わない。

 互いに、分かっている。

 言っていないことがあると。

 それでも、今は。

 踏み込まない。


 「準備は、どうする?」

 「最低限でいいでしょう。現地調達も可能です」

 「了解。じゃあ私は資料まとめておく」

 いつもの調子。仕事の延長。

 だけど、その下にあるものは違う。


 言っていないことがある。

 互いに。


 並んで歩き出す。

 同じ歩幅。同じ方向。

 距離は近い。

 けれど——

 まだ、完全には重なっていない。

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