16.反省しない男 ※ロイ視点
「ねえ聞いた?王太子様がお妃様を迎えられるんだって!とても美しい方だそうよ」
「王太子様が昔から恋焦がれてて、それは熱心に口説いたそうだぜ。結婚のお祝いに、最高級の贈り物を次々と贈られてるとか」
次代の名君と呼び声高く、その才覚と美貌で国内外から人気を集める王太子、ルシフェル。グロリア王国の誉たる王子の婚約の報せに、その夜、王都は沸き返っていた。
だがその片隅に、喜びとは無縁の男がいる。
(結婚なんてろくでもない!そのお妃様とやらも、今に夫を置き去りにしやがるに違いないんだ。アイリスのようにな!)
濁った赤い目をした、酒臭い息を撒き散らすこの男がロイ・アバンドールだと、気付く者がどれほどいるだろうか。
仕立ての良い服を着てはいるが、みっともなく着崩れし、靴も髪も埃にまみれている。かつて王都一の規模を誇った大商会当主の面影は、もはやどこにもなかった。
アイリスが去ってからわずか一年。その間にアバンドール商会は顧客を次々と失い、投資にも失敗して、今やかつての栄光は見る影もなくなっているのだった。
(くそう、酒だ、酒!)
酒を求めてロイは、狭い路地へと足を踏み入れた。落ちぶれたとはいえ未だ商会の商いは続いているというのに、すっかり当主の責務を放棄している。迷い込んだ先に酒屋はなく、ただ民家の裏口が立ち並ぶだけだった。
悪態をつこうとしたが、視界に飛び込んできたものに釘付けになる。
(あ、あいつ……)
視線の先にいたのは、まさに彼を置き去りにした妻、アイリスだったのだ。しかも、具合のいいことに一人きり。周りに人影もない。
(ツイてる、俺はツイてるぞ!)
アイリスさえ戻ってくれば全て元通りになる。地に堕ちた信頼を取り戻すことはもはや不可能なのに、そう信じて疑っていないのだ。
「お前、こんなとこにいやがったのかよ!」
なりふり構わず、ロイは飛び出した。いつも自分の顔色をうかがっていた妻。恫喝すれば従うと思い込んでいたのだが、アイリスの反応は予想に反して冷ややかだった。
「……なんのご用でしょう」
「くっ、何の用だ、だと?ふざけるなっ。お前がいなくなったせいで、俺がどれだけ……」
逆上しそうになったロイだが、グッとこらえる。逃げられては元も子もない。さっきまでとは打って変わって、気色の悪いほどの猫撫で声を出し始めた。
「なあ、アイリス、急にいなくなって心配したんだぞ。世間知らずのお前が、どこでどうやって暮らしていけるんだろうって」
自分の考えに夢中になっていて、アイリスがそっと誰かを制すように手を動かしたことに、ロイは気づかなかった。
「……そう」
「ああ、そうだとも」
(質素な服、しかも着古しじゃないか。こいつ、結局庶民に堕ちちまったんだな)
ロイに観察力があれば、アイリスの爪先が完璧に整えられていることにも、結われた髪が絹糸のように滑らかであることにも気付いただろう。
「なあ、戻ってこいよ。俺、ちっとも怒ってないからさ。戻ってくれば、前みたいに一流品に囲まれて暮らせるぜ」
アイリスの表情が動いた。ほらな、とロイは思った。こいつ、やっぱり貧しい暮らしに疲れてやがるんだ。あとひと押しすれば…。
「お断りするわ」
「な、なんだと?」
「お断りする、と言ったの。今さら戻る気はないわ。それに、あなたにはフローラさんがいるでしょう」
「……フローラ……」
ロイの赤く濁った目に、憎しみが宿る。
「あいつ、俺を置いて出て行きやがったんだよ!あんなによくしてやったのに!男作って出て行きやがったんだ……!」
ロイはフローラにまで捨てられていたのだった。
「そのうえ、妊娠も嘘だったんだぜ。子供なんかいなかったんだ……」
わなわなと肩を震わせると、アイリスに迫る。
「な、だから戻って来いよ。もう邪魔者はいないんだ。そうだ、お前と子供を作ってやるぜ。欲しがってただろ……な?」
「近寄らないで!」
全身総毛立ち、力の限りアイリスは元夫を振り解く。
「アイ……っ?!」
言い終える前に、ロイはその場に縫い止められたように動けなくなった。気配すら感じる間もなく、複数の剣先に囲まれていたからだ。
「な、なんだこれ、どういうことだよ?」




