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14.この気持ちはなに?

「そんなに端にいたら落ちてしまう。さ、もっとこちらへおいで、アイリス」


ランプの灯りだけが揺れる、仄暗い宿の一室。ルシフェルに甘く囁かれ、アイリスの鼓動は一瞬で跳ね上がった。


(困る、困るわ……そんな魅惑的なお顔でおっしゃらないで)


「そんなに嫌なのかい?それなら、やっぱり僕が床に寝るしかないね」


「そんな……」


王族を床に寝かせるなんて、できるわけがない。しかたなく、身体を寝台の中心へずらそうとしたアイリスは、その途端に抱き寄せられてしまった。


「っ?!?!っっ?!」


(なっ、何なの、この状況?!)


「こうでもしないと、君は逃げてしまうだろう?」


「でっ、ですが」


「心配しないで、君が困るようなことはしないから」


ルシフェルの腕は思いのほか力強く、もがくほど密着してしまう。いけないと思うのに、この逞しい腕に抱かれていると思うと身体が勝手に熱くなって、アイリスはどうしていいかわからなくなった。


(どっ、どうしてこんなことになったの?!私はただ、雨宿りをしようとしただけなのに)






ーー話は数刻前に遡る。


この日二人は、王都から離れたとある小さな街にいた。ルシフェルは視察だと言ったが、引きこもりがちな自分を気遣って連れ出してくれたのだと、アイリスはわかっている。言葉に出さない彼の優しさが嬉しかった。


アイリスが王宮に滞在してから半年。


毎日ルシフェルは時間を見つけては彼女のもとに通い、民や国のこと、いつか訪れてみたい遠い国のこと、たくさんのことを語り合った。彼の話に聞き入り、共感し、ときには自分の意見を控えめに語るアイリスに、ますます惹かれてしまう。


(君が豪華なドレスや宝石を望む人なら、いくらでも捧げるのにね…)


ルシフェルにしてみれば今日のことは、私利私欲のないアイリスを喜ばせたくて、懸命に考えたプランなのだ。


「あの綺麗な青色の飲み物は、蝶羽茶といってね。ここらの特産品なんだ」


「この菓子屋は焼き菓子が美味しいよ。一つ買ってみよう」


彼が何か紹介するたび、目を輝かせて微笑むアイリスがかわいくて、この街ごと買い取ってしまいたくなるルシフェルだった。



そして、雰囲気のいいカフェでお茶を楽しんでいたのだが、他愛もないことを語り合っているうちに、気がつけば夕刻になっていた。


なんだか、帰りたくない……そう思って、アイリスは困惑した。ルシフェルと過ごす時間が終わることに、寂しさを感じている自分に気付いたのだ。


(この人は、こんなに美しかったかしら……)


満足げに街を眺めるルシフェルの横顔が、なんだか眩しい。と、ふいにルシフェルがこちらを向いた。その瞬間、アイリスは彼と目を合わせるのが、急に怖くなった。鼓動が早くなり、顔が火照る。


これは、よくない。今までこんなことなかったのに……。



「あっ、そ、そろそろ帰りましょう!」


「アイリス?」


アイリスらしくもなく、慌てて立ち上がる。おそらく耳まで真っ赤になっている顔など、とても見せられない。店員にお代を手渡し、振り向きもせずドアを開けたアイリスだったが、外に飛び出すことはできなかった。


「…!」


「参ったな、まさか豪雨とは」


外はいつの間にか激しい雨になっていた。カフェでしばらく待ったが降り止む気配はなく、その間に辺りはすっかり暗くなってしまった。


いっときだけでも、と宿を探したが、あいにくどの宿も満室。町外れまで来て、ようやく小さな宿にたどり着いたのだが。


「一部屋しか空いてない……しかも一人部屋?」


「すみませんねえ。もともと小さな宿なんですけど、他の部屋は改装中なんですよ。この前の大雨で雨漏りがひどくって」


(どうしよう。でも殿下をこれ以上、雨の中歩かせるわけには……)


(こ、これは天が与えたもうたチャンスだ!)


そして結局ふたり同じ部屋に泊まることになり、冒頭のとおりとなったのだった。




「でっ、で、殿下、ここまでなさらなくても」


「ここまでって、何が?」


「で、ですから、こんなにきつく……」


抱かなくても、という響きが恥ずかしくて、口籠るアイリス。少女のように恥じらう彼女が可愛くて、ルシフェルはつい意地悪をしたくなってしまう。


「そんなこと言って、煽ってる?」


「なっ……!」


アイリスの鼓動が、またもや一気に跳ね上がる。それでなくても、シャツ越しに伝わるルシフェルの逞しさと、汗と香水の入り混じった男の匂いに、目眩を起こしそうになっているというのに。


(まずい)


ルシフェルはルシフェルで、自業自得とはいえ理性が崩壊寸前になっていた。


(アイリスの熱、アイリスの柔らかな肌、アイリスの甘い匂い……)


何もかも投げ打って、激情のまま彼女の全てを己で満たしたい。何度も本能に支配されそうになりながら、それでも耐えていた。何より大切な人を傷つけることは、自分であっても許せない。


「すまなかった。ちょっとからかっただけなんだ」


「……ひどいですわ」


「はは、ごめん。もうしないから」


その後しばらくの間、ルシフェルは優しくアイリスを抱いたまま、幼い頃の思い出話を語っていたのだが、やがてスヤスヤと寝息を立て始める。


(呆れた……眠ってしまうなんて)


少しがっかりした自分に気づいて、アイリスは複雑な気分になる。今日は本当に、困惑するしかないような気持ちにばかり、気づいてしまう日だ。


(でも、心地いいわ……)


ルシフェルの体から伝わる熱は温かい。こんなに安らかな気分になったのは、本当に久しぶりだ。規則的な寝息に眠気を誘われ、やがてアイリスもまどろみの中に落ちて行くのだった。




「……眠れるわけがないだろう」


アイリスの寝息を感じながら、ルシフェルは目を開けた。恋焦がれた女と寝台の中、平気で眠れる男がいるなら会わせてほしいものだ。


今夜は一睡もできないな、と心の中でため息をつく。アイリスのためなら、その苦しみさえも愛しいと思うけれど。



その時だった。


(足音…それに金属音?)


ルシフェルの耳が、微かな…音とも言えないようほど微かな違和感を、窓の外に捉えたのだった。


(向かいの建物の影にひとり、反対側にもひとり……他にも)

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