【短編小説】最高の同期
別に「嫌い」といっても殺意が湧き上がるほどではない。ただ、彼の放つ言葉やシワだらけのスーツの裾、文書で埋め尽くされたデスクトップ、視界に入る貧乏ゆすり、舌打ち、ボールペンをくるくる回す癖まで、全てが気に入らないだけである。
彼は定時前になると散らばったペン類を束ね、複数の書類を分類することなく乱雑に重ねてファイルに突っ込み、無秩序な机の整理を始める。5分ほどその作業をすると、定時ピッタリになったところでパソコンを閉じ、颯爽とオフィスを去る。
彼の帰宅後に急な仕事の依頼が来るのは珍しいことではない。すぐに見積書を送ってくれとか、期日の迫った請求書が届いてないとか、その手の問い合わせである。彼の残務は全て私に押し付けられた。おかげでどれくらい終電を逃しただろうか。いつか報復する時のためにと数えていたのだが、ある時からそれをやめた。
彼は勢いよく炭酸飲料を飲み干すとゲップを落とした。私は小さくため息をつく。これももう何度目か分からない。
まぁ色々と言ったが、つまり彼は、私にとって最悪の同期なのである。
夜。ビールをあける音で今日のゲップ事件を思い出した。なぜ職場であんなことができるのか。なぜ彼のスーツはあんなにしわくちゃなのか。同棲中の彼女がいると言っていたが、彼女は気にならないのだろうか。
それからふと、自分のスーツが気になりクローゼットから取り出してみる。ウエストあたりに薄いシワが広がっていたので、低温でアイロンをあててみた。
翌日の商談。想像よりもスムーズに話は進み、その場で契約となった。私は叫びたい心を奥に沈め、緩みそうな口元に力を込め、社長に頭を下げた。
『いや〜。若いのにしっかりしてて頼りになるよ。それに、いいスーツ着だね。よく似合ってるよ』
社長はそう言うと、『これからよろしく頼むよ』と私の二の腕あたりを軽く叩いた。
事務所では例の同期が頬杖をつきながらマウスをカチカチと動かしていた。頭に雑草のような寝癖を生やして。
私はトイレに行くと、ついでにササっと襟足を整える。
彼は独り言が多い。締切を過ぎていることに気づいた時は『あ、やべ』と、頬を掻く。
それを聞いて、私は自分の締め切りを確認する。
彼は仕事相手と話す時、まるで地元の先輩と話すかのようにタメ口を織り交ぜながら話す。
私はどんなに距離が近くなろうとも、敬語を崩すことはなかった。
そんなこんなで2年が過ぎたある時、私は営業部門で社長賞を受賞した。営業成績と社内評価が基準になっているらしい。最年少での受賞ということで課長は誇らしげだった。
『足立くんのおかげで、私も鼻が高いよ。何も言わなくても自分で考えてどんどん吸収してくれるから、ほんと助かってるよ』
「いえいえ、とんでもないことでございます」
『他の課長たちも足立くんから学ぶことが多いと言っていたよ。ぜひ、次世代のリーダー候補としてこれからも頑張ってくれ』
「はい。ありがとうございます」
『いやぁ、本当に素晴らしい部下をもった。ところで足立くんは締切を忘れることもないし、社外での評判も抜群だ。なにか秘訣でもあるのかい』
「いえ、私も周りの方々から学ぶことばかりで。特に同期の山下さんからは」
『山下ぁ?彼は先週も納期を間違えて取引先からクレームが入っていたよ。社内の評判も最悪だ。ここだけの話、来期には異動の話も出ている。君が彼から学ぶことなど無さそうだけどね』
「そんなことないですよ。彼からは、本当にたくさんのことを学びました。私にとって彼は、最高の同期なのです」