研鑽の日々
朝靄のかかる海辺の岩場で、カイは静かに構えを取った。
潮の香りとともに、波の音が耳を打つ。
「そこ、肩の角度が甘い。重心が後ろに残ってるぞ」
ナギが指摘する声は、相変わらず容赦がなかった。
「……わかってる、けど」
「言い訳より先に、体で覚えろってこと」
カイは口を噤んで、再び構えを取り直した。
二人の影が岩場の地面に交錯する。
一方、少し離れた丘の上では、ロウとユウナが端末を囲んでいた。
「この資料、ザイア連合の反射構造技術に関するもの。
内部構造まで再現してる。
ナギの感覚に合わせたトレーニング用に組めそうだ」
「すごい……こういうの、どうやって手に入れてるの?」
「……まあ、いろいろ」
ユウナは少し呆れたように笑った。
「ロウって、言わないけど、たぶん一番努力してるよね」
「言わないだけだ。君たちの努力も、全部わかってるよ」
海辺では、カイとナギが型の練習を終え、水を浴びていた。
「お前、前より動きが鋭くなったな」
「ナギに比べれば、まだまだだけどな」
「……でもよ、お前、あの頃と目が違う」
「そういえば三年前の模擬戦、バレムのクロムってやつにボコボコにされたな」
「……あいつの躯機、動きが異常だったよな。重いはずなのに、まるで“動かされてる”みたいだった」
ナギはそう言って、空を見上げた。
「本気になったんだな。あの日、“出よう”って言ったときよりも、もっと深く」
カイは黙っていたが、その目は確かに強さを増していた。
夕方、町外れの古い施設に集まった四人は、今日の練習を振り返っていた。
「ユウナ、今日の集中力すごかった。あの動き、セリカの“神筋”に似てたぞ」
「えっ、本当に?」
「意識の切り替えができてた。あとは身体がついてくれば……」
ロウの分析に、ユウナは照れくさそうに笑う。
「でも、ナギもすごいよね。筋力だけじゃなく、反応速度まで上がってる」
「はっ、まあな。けど一番変わったのはカイだろ。最近、妙に冷静になってきたよな」
「……冷静っていうより、“見えてる”感じ」
ユウナの言葉に、ロウもうなずいた。
「そうだ。視野が広がってる。戦術の読みが段違いになった」
「いや、みんながいるからだよ」
カイがぽつりと言った。
「一人だったら、こんなに続けられなかった。……
お前らがいてくれて、本当によかった」
少しだけ、沈黙が落ちる。
だが、それは不安やためらいではなく、確かな絆が育っている証だった。
「さてと、明日は山で持久走だ。準備しとけよ」
「また山か……」
「ついでに、資料も更新しとくよ。新しい訓練用モデルを使ってさ」
「……じゃあ、私は補給の担当する!」
笑い声が、小さな練習場に響いた。
この四年間、誰にも知られず続けてきた努力が、今、少しずつ形になっていた。
それぞれの強さが、それぞれの役割の中で磨かれていく。
彼らは、いつか世界に届く日を信じて歩み続けていた。
夜が明け始めていた。
神殿の丘に、再び柔らかな光が射し込む。
海の向こうから、薄桃色の朝焼けが空を染めていく。
遠くには、昨夜のクギアンピックの余韻がまだ残るように、かすかに光が揺れていた。
カイは、神殿の石段に腰を下ろしていた。
あの誓いの後、誰も言葉を交わさなかった。
ただ、それぞれの胸の内に、確かなものが宿ったのを感じていた。
「……結局さ」
背後から聞こえた声に振り返ると、ナギが立っていた。
「何一つ変わっちゃいねえんだよな。
俺たちは相変わらず、禁じられた国のガキだし、
クーギアは使えないし、世界から見たら空気みたいな存在でさ」
カイは静かに頷く。
「うん。でも……それでも、俺たちは“始めた”よ」
「はっ、まあな。……
それが、きっと一番すごいことなんだろうな」
ナギが空を見上げて笑う。
やがて、ユウナとロウも丘に上がってきた。
「おはよう、カイ。……まだ、眠れてなかった?」
「ううん、ずっと起きてた。……見てたんだ、この景色」
「朝って、こんなに綺麗だったんだね」
ユウナの目が、太陽に向かって細められる。
「でも……遠いね、世界って」
その言葉に、ロウが応える。
「だからこそ、記録する意味がある。
ここが、僕たちの起点。
誰に知られなくても、忘れられても。……
きっと未来に届くように」
カイが立ち上がる。
まだ眠りにつく町。
だが、自分たちだけは目を覚ましていた。
「行こう。訓練だって、資料集めだって、何だってやる」
「オレ、簡単な構造からクーギアの試作を作ってみようと思うんだ。
名前は……“ゼロ”。
最初の一歩って意味でさ」
「四年、短くねえぞ。やれること、全部やるぞ」
「うん。まずは、学校の講義資料をコピーしよう。
バレム重工の外骨格設計論、隠れて読んだことある」
「えっ……ずるいな……」
笑い声が重なった。
「ねえ、もし本当に出られたら、誰と戦ってみたい?」
「セリカのリュカだな。筋肉で殴り合ってみてえ」
ナギが即答する。
「私はノクスの子……仮面のあの子。
怖いけど、なんだか惹かれる」
ユウナがぽつりと言う。
「僕は……まだ誰とも戦いたくない。でも、立ちたいとは思う」
ロウの目が、遠くを見ていた。
そうして、四人はゆっくりと坂を下り始めた。
誰もがまだ、あの舞台に立つ資格など持っていない。
でも――
心には、確かに「光」が宿っていた。
小さな島国の、誰にも知られていない丘の上で。
世界を変える“始まり”が、静かに胎動を始めた。