「命令できない。」
命令すれば、相手が動く。
言葉に力が宿るなんて、不思議だけど、ちょっと怖い。
だって、私は命令なんてしたくないから。
ある日、道に迷った私は、知らない世界にいた。
そこで「呪言師」という職業を与えられたけれど、
命令口調じゃないと力が発動しないらしい。
……無理だよ。私にはそんな強い言葉、使えない。
これは、そんな私が「お願い」というやさしい言葉で、
少しずつ世界と向き合っていく、小さな物語。
放課後、誰もいない帰り道。知らない裏路地へ迷い込んだのは、ただの偶然だった。
携帯の電波は入らず、空はいつの間にか真っ赤に染まっていた。
「……ここ、どこでしょうか……」
沙織はかすかに震える声でそうつぶやいた。
ふと足元が揺れ、視界がぐにゃりと歪む。
気づいたときには、そこはもう、彼女の知る世界ではなかった。
ーー草の香りと土のにおい。見知らぬ森の中。
見上げれば、紫の月が空に浮かんでいる。
「……え? え、ここは……?」
混乱する沙織の耳元に、不思議な声が響く。
《適性職:呪言師――発動条件、命令口調による指示》
「じゅ……言師? え、命令……? あの……あの、ちょっと、待ってくださいませっ……!」
しかし返事はない。そのまま周りを見渡していると、森の雰囲気が変わった。空気が震え、木々がざわめいた。黒い獣が現れた。
鋭い牙。うなり声。足がすくんで動けない。
逃げなきゃ。でも、逃げられない。
頭の中で警告の声が響く。
《スキル未発動――発動ワード:「動け」または「倒れろ」等、命令形が必要です》
「そ、そんな……無理です……そんなこと、とても……っ」
沙織はそっと手を合わせた。
「お願い……どうか……お引き取りいただけませんか……」
もちろん、それでは魔物は止まらなかった。
咆哮が背中を裂くように響いた。
必死で草をかき分け、森の奥へ奥へと逃げ込む沙織。
「ご、ごめんなさい……もう少しだけ……頑張ってくださいませ、足……!」
そんな願いを聞き届けるはずもなく、ついに足がもつれる。
「あ……!」
転んだ瞬間、迫る黒い影。その牙が、沙織に届こうとした――そのときだった。
「ファイア・ランス!」
鋭い炎の槍が魔物を貫く。
「……は? 女の子ひとりでこんな森に?」
現れたのは、銀髪の青年。鋭い眼差しと、冒険者風の軽装。
「た、大変助かりました……!」
ぺこりと頭を下げる沙織に、彼は呆れたように肩をすくめた。
「まったく……なんでこんなところに。ま、いいや。行こうぜ、俺、村はすぐそこだから着いてきな!」
村に着いた沙織は、回復薬をもらいながら事情をぼかして話す。
しかし――
「名前は?」
「沙織と申します……」
「職業は?」
「えと、あの……じゅ、ご……呪言師?と……」
「なっ!? 呪言師!?」
村中がざわめいた。
呪言師。それは“言葉ひとつで命を奪える”最強職。
旅人の少女がそれだと聞き、村人は色めき立つ。
「魔物退治をお願いしたい」
「ギルドで登録してくれ!」
沙織は困惑していた。
(わ、わたくし……命令なんて、できないのに……!)
「魔物の出没が続いていてな……腕の立つ者を探していたんだ」
村の長――白髭を蓄えた壮年の男が、深刻な顔で沙織を見る。
対する沙織は、困り果てていた。
「わたくし、その……呪言師とは申しましたが……」
「おお、礼儀正しいお嬢さんだな!これは頼もしい!」
「いえ、ですから……その……」
誰も聞いてない。
こうして、沙織はひとまず“おためし”として、
村の外れに出るというスライム退治へと連れていかれることになる。
同行するのは、あの銀髪の青年――リュカという名だった。
無愛想だが悪い人ではない。けれど――
「お前、ほんとに呪言師なんだよな?」
「……形式上は、はい……たぶん」
「たぶん…?」
森の入り口に現れたスライムは、確かに弱い。
しかし、沙織にとっては最初の戦い。
「さ、さあ……えっと、動きを……止めていただけます、か……?」
《スキル未発動――条件不一致》
発動しない。やはり、さっきと一緒ですね〜。
「喋ったのに何も起きねぇ!?どうしてだ?」
リュカの突っ込みが容赦ない。
沙織はスライムにじりじりと詰め寄られながら、震える手で呟く。
「……ごめんなさい……。でも……お願いです……もう、誰も……傷つけたくないんです……」
その瞬間だった。
ふわり、と空気が震えた。
スライムの動きが、ぴたりと止まる。
《特殊呪言発動:抑制(効果:対象の敵対意志を一時的に無効化)》
「……っ!? 今の、何だ……?」
リュカが呆然とする中、沙織はただ目を見開いていた。
(わたくしの、“お願い”が……効いた……?)
戦いは終わった。スライムは村人たちにより安全に処理され、
沙織の力――“命令しない呪言”が初めて発動した瞬間だった。
誰もまだ、それがどれほど特異な力かを知らない。
沙織自身もまた、自分の“言葉”がどこまで届くのかを、まだ知らなかった。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
最初は「命令できない呪言師」なんて、自分でも意味がわからなかったけど、
沙織の声を文字にしていくうちに、
「言葉は強さじゃなくて、気持ちなんだ」って思えるようになりました。
誰かに命令できなくても、
ちゃんと伝えたいことがあれば、言葉は届く。
そう信じて、この物語を最後まで書きました。
沙織のこれからも、もし見守っていただけたら嬉しいです。
そしてあなた自身の「言葉」も、どうか優しくあれますように。