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(6)愛・嫁〜それでも妻を愛してる〜

 エピソードタイトルはフィーリングでつけています。お話はシリアスです……。

 当面の難は回避した。シャフルナーズも屋敷の自室に戻った後に、「臭いし弓は重たいし、本当にひどいったらないわ」と、ナウザルが旅の商人より入手した安くはない薔薇の香油を緑髪に馴染ませながら、周囲の環境や武器への文句を垂れまくる。

 これに嫌気が差してもう的場へ行く気は起きないだろうと青年は安心しきり、妻のかぐわしい頭に鼻を寄せる。羽虫を払う仕草で手を振られて渋々少し距離を取ると、今度は娘の膝に視線を落とす。華奢な割にこっちの肉づきは悪くない。嫁入り道具の手鏡に見入っている隙をつき、まろやかな膝に武骨な戦士の手を這わせ、揉み込んだ。


 きゃっとシャフルナーズは手鏡を取り落とす。「何するのよ!」振り上がる手。ナウザルは先んじて手首をがっと掴み、平手が飛ぶのを制する。


 今日の俺はいつもの俺ではない!


 そう、いつもなら甘んじて妻の張り手を受け止める。避けたり防いだりしたら火に油、シャフルナーズは興奮した猿のごとく手に負えなくなる。

 ナウザルを常ならぬ行動に突き動かしたのは我慢の限界。目と鼻の先にある甘く瑞々しい果実(女体)を指をくわえて見つめるのに安んじるなど、そんなのは男ではない、戦士の名折れ、部族の長にあるまじき恥である。頭領、戦士、夫、男としての威厳を今こそ示す。生意気な小娘にわからせてやるのだ。


 猛る獅子に我が身を重ね、ナウザルはシャフルナーズの後頭部に手を回すや荒っぽく自身の側に引き込み、甘やかな薄桃の唇にかぶりついた。抗議の呻吟と吐息が隙間より漏れる。青年は構わずに柔らかな果肉の感触と噎せるような薔薇の香り、口腔に広がり脳髄にまで沁みる蜜の味に溺れた。


 身を離す頃には、空気が欠乏した娘はぐったりしていた。しまった、夢中になりすぎたと、ナウザルは毛織の絨毯の上に娘を横たえ覗き込む。病熱に浮かされたような顔つきに心配を覚え、まじまじ見つめるうちに刺激される男心。色っぽい。弱った無防備なシャフルナーズの、なんと庇護欲をそそられるあで姿すがたか!

 庇護とか言いつつ、ナウザルの中の猛獣は追い込んだ手負いの獲物に踊りかからんばかりだった。絨毯の上に月夜の黒い河のようにうねる豊かな髪、上下する胸、微かに開いた唇より漏れる熱い呼気、上気した薔薇の頬、悩ましげに伏せられた睫毛……すべて男を狂わせる。大人しく無害なシャフルナーズはただの目が覚める美少女だった。


 ふう、と餌にありついた野犬のように鼻をうずめ、白い首筋をやんわりむ。鼻先から女の香りが身体の隅々までふんわり浸透する。「んんっ……」と眉をひそめ、身をよじるシャフルナーズ。

 可愛い、我慢ならん。ナウザルは四つん這いに妻に覆いかぶさった。今やらずしていつやる? 日頃遠ざけられている分たっぷり愛し、この一度に一生分を賭する覚悟で夫の、男の本懐を遂げてみせる!


 世継ぎを、俺たちの子を孕むのだ!


 若頭領の並々ならぬ熱気が娘の防衛本能に達し、強烈な危険信号を発せさせたのか。次の瞬間、シャフルナーズがかっと目をひん剥くのとほぼ同時に、ナウザルの股間に重たい衝撃が突き抜けていた。


「うっ!?」


 股間にめり込むはシャフルナーズの足の爪先。鋭い殺意を帯びた反撃がものの見事に命中し、ナウザルの動きを完全に封じた。

 この世のものとは思われぬ激痛に唸り、床に転がり、股間を両手で押さえて身悶えた。歴戦の英雄も賢者に鍛え方を請わずにはおれないだろう男の急所。言い知れぬ苦悶に悲鳴を呑み込み、忍耐の沈黙を強いられ、ぎりりと歯を軋らせ脂汗を滲ませた。


 拘束を逃れたシャフルナーズはささっと立ち上がり、乱れた着衣を掻き寄せて足元の不埒者をわなわな見下ろした。潤む瞳は屈辱と苛烈なる怒気に揺らめいている。


「こっ、……この、けだもの!」


 くるり背を向けたと思えば手近のものを掴み、それをナウザル目がけて投げつけ出した。瓶、食器、手鏡、装身具、燭台、弦楽器、壺と、手当たり次第に、容赦ない力加減でぶつけてくる。股間で手一杯のナウザルにそれらはもろに直撃し、かどや金属が凶器と襲いかかった。非力な女のすることと構えていられない。


「きらい、きらい、だいっきらい! 出てって!」


 ことシャフルナーズの嵐は厄介だ。ナウザルを追い出してしばらくは収まらない。下半身に瀕死の重症を負うに等しい状態のナウザルは、まず部屋を出るのも一苦労。この死線を掻い潜り、我が身の安全を確保するのが何より先決だった。

 よろよろ身を立たせ、下腹部を抱え込む無様な格好で部屋の出口を目指す。出ていく、大人しく出ていくから物を投げつけるのはやめてくれ! ほうほうの体で部屋から飛び出し、頭領の品格もへったくれもなくひいひい命懸けで自室の安全圏へと逃げ込んだ。


 集落の中心で再勃発した族長夫婦の大喧嘩のほとぼりも、夜が深まり、静寂が荒原に広がる頃には冷気に薄まって消えた。しかしそれは表向きのこと。一切の生活音が鳴りやんだ夜の暗闇にナウザルは一人歩を進めた。さめやらぬ熱を冷やし、水底よりぶくぶく浮き上がるあぶくのごときやまぬ感情に整理をつけんがため。


 股間は大事には至らなかった。自室に一旦退却した後は、下半身を安静にしつつ妻への怒りに駆られた。あんな拒絶の返礼はないだろう。俺がこれほど尽くしているのに、指一本触れるのも嫌がる。引き合わないではないか。

 ああ、シャフルナーズ、おまえをこんなにも愛している。だがおまえは、俺をいやいや結婚して受け入れただけの男としか見ていないのだろうな……。


 一頻りの怒り不満が通り過ぎたあとには空虚、忍び込む切なさ()りきれなさ。広大な黒い空にかかる青白い星々を仰ぎ、冷たい夜の孤独を身に染み渡らせる。冷めきった身体の表面とは対照的に、身内には熾火の熱が篭る。


 それでも愛している。多少とも男の誇りを捻じ曲げ体裁を捨ててでも、あれのご機嫌を取りいい思いをさせてやりたいと思うほどには。俺をこんな惨めな気分に落とせる存在はシャフルナーズ、おまえを置いて他にない。おまえだから特別に許せるのだ。でなければとっくに荒地のむくろに変えている。


 愛がほしい。あれの愛が。柔い唇の感触、滑らかな肌触り、ふわふわと艶やかな黒髪の手触り、花の香りがナウザルの指、唇、鼻、娘を抱いた全身に熱を引き連れ蘇る。現実は手中にありながら星のように遠く冷たかった。

 恋う若妻の強い拒絶の言葉がじくじくと胸の傷に血を滲ませる。当分は部屋に近づけないなと気が参る。アーラシュを機に好転した夫婦仲も逆戻りか。ナウザルは天の的を狙い澄ます目つきになる。だが諦めない。早晩あの星を撃ち落としてやるとも、必ず。

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