第3話:記録に抗う者たち
記録されなかったのは、自分だけじゃなかった。
サヨの導きで出会う“存在しない者たち”との邂逅――
それが、アテルイにとって本当の始まりだった。
サヨに導かれるように、俺は崩れた通路を進んでいた。旧区画のさらに奥、記録殿の地下――そこは光も祈りも届かない“影の空間”だった。
床は苔に覆われ、壁は剥がれ落ち、崩れた柱の間に細い隙間が広がっている。だが、なぜかその先に、かすかな人の気配があった。
俺は思わず足を止めた。
俺「ここ……誰かいるのか?」
サヨはうなずいた。静かに、けれど確信を持って。
サヨ「うん。私と同じように、“記録に残らなかった人たち”が、ここにいるよ」
俺「……他にも、いるのか……」
世界に拒絶されたのは、俺だけじゃなかった。
それを知った瞬間、胸の奥に何かが灯った気がした。
通路の奥。崩れかけた扉を抜けた先に、十数人の人影があった。少年、少女、大人、老人――誰もが異端の匂いを纏っていた。
その中の一人、銀髪の青年がこちらを見て言った。
銀髪の青年「ようこそ、抗いし者よ」
その声は穏やかだった。けれど、そこに宿る気配は炎のように熱かった。
サヨが俺の背中を押す。
サヨ「彼はイノリ。ここでみんなをまとめてる人。アテルイ、ちゃんと話してみて」
イノリ「君は、“記録から除外された”のか?」
俺「ああ。属性もなく、名前も記されず、神殿で抹消されかけた」
イノリ「……やはり。僕たちと同じだね」
彼らは“存在しない者たち”だった。
神の記録から除外され、律からも祈りからも見放された者たち。
だが、彼らは消えなかった。
イノリ「僕たちはここで、もう何年も生きている。名前がなくても、生きられることを証明するために」
俺「それが……抗うってことなのか?」
イノリは静かに笑った。
イノリ「記録に抗う。それは、この世界の絶対に抗うということだ。神の定めた枠を拒み、自分で自分の存在を証明する。それが、僕たちの戦いだよ」
その言葉は、焼けつくように俺の中に刻まれた。
俺「そんな戦い、どうやって……記録にすらいないのに、どうやって勝てる?」
イノリ「勝てるかどうかじゃない。“いた”ことを残すんだ。誰か一人にでも、自分の存在が届けば、それは記録よりも強い証になる」
それは、サヨが俺にしてくれたことと同じだった。
記録ではなく、記憶に残すということ。
それは、神の目には映らなくても、確かに“ここにいた”と証明する力になる。
イノリ「君も抗うか?」
俺は――迷わなかった。
俺「ああ。もう消されるのは嫌だ。俺は……“いた”って叫びたい」
サヨがそっと微笑む。その笑みが、俺の選択を肯定してくれた気がした。
サヨ「アテルイなら、きっとできる。あの日から、そう思ってたよ」
彼らは語った。記録から消された理由を。
属性が不安定だった者、神殿の指令に従わなかった者、そして――ただ“忘れられた”者。
ある者は祈りを捨て、ある者は家族に見捨てられた。
けれど、その誰もが、ここで生きていた。光の届かない地下で、それでも火を灯すように。
サヨ「みんな、記録を消されたけど……生きてる。私も、そうだったよ」
俺「……なんで笑っていられる?」
サヨ「だって、生きてるもん。記録がなくても、私たちは“ここにいる”でしょ?」
その言葉は、何より強かった。
俺はずっと“存在しない”ということが、終わりだと思っていた。
けれど――違った。
存在しないということは、始まりだったんだ。
イノリ「抗うことは孤独だ。けれど、君はもう一人じゃない」
俺はゆっくりとうなずいた。
この場所に、俺の居場所があった。
そしてきっと、この戦いの先に――俺だけの“記録”が生まれるはずだ。
イノリ「僕たちは“記録”という名の枠に収まらなかった。でもね、それは恥じゃない。可能性なんだよ」
俺「可能性……?」
イノリ「そう。記録されなかったからこそ、記されてない“何か”を創れる。君が歩く道は、まだ誰の記録にも書かれていない。だからこそ自由だ」
その言葉に、俺は胸が熱くなるのを感じた。
自由――それは俺にとって、ただの憧れだった。
名前がなく、属性もなく、ただ存在していただけの俺にとって、自由とは“選べること”だった。
そして今、俺は選んだ。
この記録されない場所で、誰にも強制されず、誰にも操られず――自分の意志で、生きることを。
サヨは静かに言った。
サヨ「アテルイ。あなたの記録は、ここから始まるんだよ」
俺は頷いた。
それは確かな“始まり”だった。記録に存在しない俺の、“存在の証明”として。
そして――ここから、抗いが始まる。
記録ではなく、記憶に残る。
存在しないということは、終わりじゃない。“抗いの証”になる。
次回、迫る神殿の影と、最初の選択。