プロローグ:神に抗う者、記録から消される日
名前も属性も与えられず、記録すら存在しない少年。
世界が彼を“いなかったこと”にしようとする中、ただひとつの異常が起こる。
すべての始まりは、“抗えなかった世界”への反逆から。
《記録:抹消開始》
空は、ひどく静かだった。
律師たちは神殿の石畳に黒く並び、巫女たちは奥の祈祷殿で白の装束を揺らしながら、無言の祈りを捧げていた。
その中心、冷たい祭壇の上。俺は膝をつかされ、両手を後ろで拘束されたまま、名もなき存在としてひざまずいていた。
膝が軋む。石の冷たさが骨に染みる。
だけどそれよりも、俺の心を締めつけていたのは――“世界から拒絶されている”という現実だった。
「存在認定、失効。属性適合率、測定不能。記録違反、確認済み。記録神の名のもと、これより“抹消”を執行する」
律師の声は無感情だった。
まるで古びた記録装置が読み上げているだけのような声音。
彼らにとって、俺は“処理対象”でしかない。
名前も属性も持たぬ、ただの異物。
それでも、俺には記憶がある。
ここに至るまでの“誰にも知られなかった”日々のことを。
誰も名前を呼んでくれなかった毎日。
存在を問う声すら、届かなかった夜。
そして、一人だけ。
目を合わせた少女がいた。
記録殿の外れの路地裏。すれ違っただけの時間。
でも――あの瞳だけは、確かに“俺という存在”を見つめていた。
《記録抹消開始:対象名不明、存在値0.000001》
神殿の天蓋が淡く輝き、空間に無数の記録文字が現れる。
属性の光が交差し、世界の“理”が俺を消そうと押し寄せてくる。
その時だった。
雷の属性干渉がねじれ、炎の律師の手から光が逃げた。
記録の光が歪み、空間が軋み、祭壇の石がうなる。
「……抹消、無効化?」
「属性反応、ゼロ……これは……記録が……拒絶されている?」
ざわめきが広がった。
俺は、属性を持たない。
記録に存在しない。
でも――ここに“いる”。
名前すら許されず、定義もされず、世界から見落とされた異物。
それが、俺という存在だった。
《記録:抹消、失敗》
「この存在……なんだ?」
誰かがつぶやく。
恐れと、興味と、理解不能の混じった声。
律師たちの列がわずかに揺らぎ、巫女たちの祈りが止まった。
でも、俺は知っている。
ここに“俺だけが知る記録”があることを。
俺は、誰にもなれなかった。
だけど、それでも――
俺は、生きている。
記録に存在しない、最強の戦士として。
誰にも操られない、無所属の意志として。
だから俺は、立ち上がる。
世界に俺の“存在”を刻みつけるために。
神の記録に、抗うために。
これが物語の出発点。
記録から漏れた存在が、どう世界に爪痕を残すのか――
ゆっくり、深く、そして確実に描いていく。