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四.唐辛子の死

「行け、張飛!突撃なさい!」

「関羽、負けるでない!跳ぶのです!」


 関羽が軽やかに跳び上がり、奇妙な動きで張飛の突進を避けると、その後ろ足で張飛の背を蹴り上げた。張飛は弾かれるようにひっくり返り、四肢を天に向けて転がった。負けたのだ。私の愛するコオロギ・張飛が初めて敗北を喫した瞬間である。


 ふと顔を上げると、得意げな表情を浮かべた淑妃の姿が目に入り、さらに悔しさが込み上げる。


 私がコオロギに張飛と名付けたのは、捕まえた時の姿に由来する。全身が黒々とした艶を放ち、まるで日差しを浴びすぎて焦げたかのようなその姿は、どの品種にも見えぬ異色のものであった。しかし、張飛の如く猛々しく戦うその姿は見事で、二ヶ月もの間、一度たりとも敗北を知らなかった。今日までは。


 当然、淑妃のコオロギが関羽と呼ばれるのも、それが全身真紅に染まっているからである。かつて関羽は後宮コオロギ杯の常勝者であったが、私の張飛が現れて以来、その座を奪われていた。


 それゆえに、今の勝負には何か不審な点がある。負け続けていた関羽が、突如勝利を収めるとは?しかも、先ほどの動きはあまりに奇妙で、まるで何かに操られていたかのようではないか?


 そこで、私は淑妃について調査を始めた。決して盗みを働こうとしたわけではない。いや、確かに彼女の黒い肚兜はらおびはなかなかに艶めかしく、仄かに蘭の香りを漂わせており……いや違う。何やら不明な香りが混じっている?


 その香りは軽いものであったが、蘭の香りに紛れていたため、もし私が日頃から美女の香りを嗅ぎ慣れていなければ、気づかなかっただろう。


 私はさらに淑妃の行動を追った。夜明けと共に彼女は起床し、身支度を整えた。その所要時間は半刻(約一時間)ほど。以前ならば二刻(約四時間)を費やし、化粧を施し、皇帝陛下にお目通りできるかもしれぬと、宮門の前でひたすら三刻(約六時間)待ち続けていたのに。今の彼女は変わった。誰が彼女をここまで堕落させたのか?……私かもしれぬ。


 ともかく、私は追跡を続けた。


 昼食の時、彼女は新しく後宮に入った雪妃と共に食事をしていた。それは雪妃が自ら提案したもので、彼女の故郷の料理を振る舞うという。並べられた料理は、まるで炭と化したかのように赤黒く、到底美味そうには見えなかった。案の定、淑妃は一口目を口にした途端、苦悶の表情を浮かべた。しかし、次第に悦びへと変わり、汗を滲ませながらも、なお箸を進める。


 まだ春だというのに、なぜそんなに汗を?


 午後、淑妃は文妃のもとを訪れ、新作の話本を読んでいた。文妃の家系は代々の文人であり、父は大学士、祖父は史官であった。だが、彼女が宮中に入ることになったのは、何よりもその叔父の存在が大きい。


 その叔父は幼少の頃より山河を旅し、遊び歩くことを好み、官職にはまるで興味を示さなかった。むしろ妓楼に入り浸る時間の方が長いほどであった。ところが、何を思ったか、当代の皇帝を風刺する詩を詠んでしまったのだ。


 皇帝陛下が何より愛するのは権力、次いで体面。そして最も嫌うのは女人である。その面子を傷つけられた陛下が憤慨するのは当然のこと。とはいえ、叔父の名声を考慮すれば、迂闊に手を出すこともできない。そこで、ある策士が進言した。「文妃を後宮へ迎えればよい」と。


 こうして文妃は宮中へと入ったが、陛下は彼女にほとんど興味を示さず、一晩で去ってしまった。美しいというのに、まったく男とは愚かなもの。


 文妃は家系の才を受け継ぎ、話本を記すことに長けていた。彼女の書は宮外にまで流通し、京城の貴婦人たちの間で大いに読まれていた。その中で「攻」と「受」なる言葉を生み出したというが、攻の反対は「守」ではないのか?


 夜、淑妃はコオロギに餌を与えた。関羽はそれを食べると、異様に興奮し始め、淑妃は満足げな笑みを浮かべる。なるほど。原因は餌か。昼の食事が怪しい。私は雪妃のもとへ向かった。


「その赤い食べ物、何と申す?」

「唐辛子ですよ。私の故郷の美食です。味見なさいます?」


 そこで私は試しに一口食べてみた。……耐えた。私は耐え抜いた。しかし、一口が限界であった。口内は炎に焼かれるような苦しみに苛まれ、舌の感覚は失せ、全身が熱を帯びて汗が噴き出す。


 私は張飛にも唐辛子を食べさせた。関羽と同じ反応を示した。ふふふ、これで次こそは勝てる。


 だが、その機会は訪れなかった。唐辛子が禁じられたのだ。


 ことの発端は、御膳房が雪妃の故郷の料理を陛下に献上したことにあった。陛下は一口食べるなり卒倒し、目覚めた後も暗殺未遂を疑ったという。そして、真相を知った陛下は、その面子を潰した料理を禁じるよう命じた。


 唐辛子が無くとも、張飛はもう負けぬ!行け、張飛よ、その【蛇矛飛踢】を放つのです!



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