STORIES 002:狭い世界の優雅なブルー
STORIES 002
学生の頃。
通りかかった店で色とりどりの熱帯魚を見かけた。
ベタ
闘魚とも呼ばれ、とても気の強い種類。
オス同士を同じ水槽に入れてしまうと、どちらかが死ぬまで闘い続けてしまう。
しかし、鑑賞用に色合いやヒレの大きさなどが改良されてゆき…とても優雅で美しい。
ラビリンス器官と呼ばれるものがあり、エラ呼吸だけでなく、空気中からも直接酸素を取り込める。
ラビリンス…
知れば知るほど魅力の塊のような観賞魚。
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その頃の僕は、都内でアパート住まいだった。
水槽なんて持っておらず、すべて新しく用意する必要があったが…
ポンプやフィルターはなくてもよいとのことなので、選んだのは大きくて小洒落たガラス瓶。
店頭でベタが入れられていた小瓶の5〜6倍はあるし、何より見た目が良い。
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うちで迎えたのは、黒い頭から尾へ向けて、濃い青のグラデーションが鮮やかな個体。
長いひれがゆらゆらと神秘的に揺れる様は、ずっと飽きずに眺めていられる。
「ブルー、おはよ」
彼女が訪ねてくると、まず彼に声をかけるようになった。
わかりやすい名前も、彼女による命名だ。
僕らは2人で顔を寄せ合うようにして眺め続けた。
いつまでも、飽きることなく。
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僕の実家へ里帰りするときには、蓋を閉めやすい小さめの瓶に移して…
片道だいたい3時間半。
彼と僕は電車に揺られながら旅した。
彼女も一緒に。
言葉少なに、過ぎゆく夏を気にしながら…
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しかしある時、ブルーは調子を崩してグッタリとしてしまう。
やはり大きな水槽で安定した環境で飼わないと、魚たちもストレスを抱えてしまう。
ほかにも、水替えの方法など、飼育知識と経験の無さが、彼を苦しめてしまったようだ。
まだネットで気軽に調べものが出来なかった頃。
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狭い世界で一人きり。
彼は毎日何を思い、短い生涯を終えていったのだろう。
僕は彼女と一緒にブルーを埋葬し、暫くは飼育を諦めることにした。
そして、カラになった大きな瓶が残された。
今でも部屋の片隅に飾られている。
星の砂や珊瑚のカケラとともに。
ガラス瓶には思い出だけ…
もう今はそこには何者もいない。
彼だけでなく彼女もまた…
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その後、何年も経ってから…
僕は本格的な熱帯魚飼育を始めることになる。
淡水だけでなく海水魚…
カクレクマノミ、フグ、珊瑚やタツノオトシゴまで。
部屋が水槽だらけになったこともある。
その出発点になったのは、間違いなく…
あの日飼い始めたブルーだ。
狭い瓶のなか、それでも優雅に泳いでいた
いつも孤独なブルー