三日月もまた満月
この作品は「なろうラジオ大賞5」参加作品である1000文字以下の超短編小説です。
「月が綺麗ですね」
夜、仕事帰りにふと空を見上げると、彼女の懐かしい声が脳裏に浮かんだ。
随分久しぶりに思い出した気がする。彼女が居なくなって、何年たったんだっけか。
あの時、僕が何と返したのかすらよく覚えていない。
またベタなことを。
そんな事を言って、笑って誤魔化したような気がする。
家に着くと、ジャケットを脱いでハンガーに掛ける。鞄も仕舞う。
そして、途中で寄ったコンビニで買った物をテーブルに乗せる。
弁当とビール。そして、小さなケーキ。
彼女のことを思い出したからだろうか。仲直りする時も、ちょっとしたおねだりをする時も。
いつも、彼女に買ってくるのはこのケーキだった。
「コンビニケーキで機嫌をとろうなんて、安く見られたものね」
彼女はいつも決まってそう言った。
頬を膨らませ、拗ねたように。
だけど、ケーキに手を付けなかったことはなかった。
仲直り出来なかったことも。おねだりが通らなかったことも。
だからって今更買ってきたところで、彼女が返ってくるわけでもあるまいに。
……はあ、駄目だな。
一度思い出すと止まらない。
何気ないソファの染みが、彼女が決めたリモコンの定位置が、失くした思っていた彼女の記憶を掘り起こす。
逃げよう。
タバコを引っ掴み、カラカラと窓を開けてベランダへと逃げ出す。
彼女と気まずくなった時にもこうしていたな、なんて思えてしまうのが本当に始末に負えない。
そして、ベランダへ出て、月明かりにつられて空を仰いで、また彼女の声がリフレインする。
今夜は三日月なのに。普通、そういうのは満月の時に――――。
あ。
そうだ、思い出した。あの時もそう言ったんだ。
三日月じゃん、なんて、僕は照れ隠しで突っ込んで見せて。
それで彼女は、不敵に笑って言ったんだ。
「見えて無くても、月はそこに全部あるんだよ」
こんなにも焦がれて仕方がないのならいっそ、本当に欠けてしまえばいいと思うのに。
それでも尚、見えない部分ばかりが大切に思えて仕方がないのは何故だろうか。
君が居てくれたら、答えてくれただろうか。
僕の満月はもう来ない。
それでもずっとここにある。