長時間労働
翌朝。
いつものように、と言えるほど自然に俺とパーセはギルドに向かった。今日は軽めの依頼にして、祭りを見て回る腹積もりだ。
いくつかのパーティーから昨日同様声をかけられたが、愛想笑いでやり過ごす。それ以外は一昨日までの雰囲気に戻っていた。
と思っていたのだが。
なんともなしに、新人向けのカウンターにいるはずのフェトナさんに目を向ける。だがそこにはフェトナさんの姿はなく、代わりにギルド長自らがつまらなそうに片肘をついて立っていた。
視線が合うと苦々しい顔を浮かべる。
「おはようございます。ギルド長がそこに立つこともあるんですね」
「急な欠員が出たときにはな」
「ということは、フェトナさんはお休みなんですか」
風邪か何かだろうか。
「いや、あいつは誘拐されたそうだ」
「えっ」
さらりととんでもないことを言われた気がする。
「誘拐っていったいどういう……」
「昨日連れ去られるのを目撃したやつがいる。そいつの話じゃ夜半に俵みたいに担がれて、町の外に連れ出されたらしい。今日から祭りだからな、前夜に浮かれて夜遊びに出たところを狙われたのかもしれん。誘拐犯は男で騎士崩れのような服装だったらしいから、最近近隣を騒がしている盗賊団かもな」
「そんな……」
「意地の悪いやつだったが物覚えは良かったからな。また一から探して教育しないといけないと考えるとまったく面倒だ」
「もう次の人を探すんですか⁉」
存外大きな声が出てしまった。
ギルド長が少しだけびっくりしたように目をぱちくりとさせる。
「そりゃあ、帰ってくる見込みがないんだ。次の準備をしなくちゃいけないだろう」
いやいや。誘拐犯がどこの誰ともわからないならともかくも、件の盗賊団は根城まで把握されているはずだ。
「あの、救出に向かったりとかは」
「誰が?」純粋な疑問をぶつけられてしまった。
誰がって。
きっと俺は、たいそう間の抜けた顔をしていたことだろう。
「たとえば警察とか……」
「警察?自警団のことか。人攫いなんてよくあることだ、調べるにしても、一々そんなことに本腰を入れるほど暇じゃない。貴族や富豪なら配下の者に探させたりもするが、フェトナは独り身で金もない。助けるほどの見返りも期待できない。そもそも誘拐したのが例の盗賊団だとしたら、正規軍が対応しなければならない案件だ。とてもじゃないが町のギルドじゃ対応できない。可哀そうだが何もできん」
ギルド長は話は終わったとばかりにまた頬杖をつく。
「ちなみに、攫われた人ってどうなるんですか」
「普通はどこかに売り飛ばすだろうな。誘拐なんてだいたいはそれ目当てだ」
「……わかりました。話してくれてありがとうございます」
礼を述べて踵を返す。
依頼書の貼られているボードには向かわず、そのままギルドの扉を目指す。
「変な気を起こすなよ」
後ろからそんな言葉があったが、俺は答えなかった。
「様子から察するに、何かあったんだよね」
俺の後についてギルドを出たパーセが言った。
「何も言わずに出てきてしまってごめん。フェトナさんが攫われたみたいだ」
「攫われた?」
ぴんと来ていないパーセに事態を説明する。フェトナさんが昨晩人攫いに遭ったこと。相手はどうやら最近巷を騒がせている盗賊団らしいこと。ギルドではどうしようもないこと。すでに次の職員を探そうとしていること。
話を呑み込んだパーセは一言「だからシュウは怖い顔をしているんだ」と頷いた。
「べつに怖い顔はしていないだろ」
「そうかな」
「そうだろうさ」
ただ、ひたらすらに腹立たしいだけだ。
ひと一人が攫われたのに、ギルドはいつも通り回っている。きっとこの世界、この国ではよくある、当たり前のことなんだろう。
異世界から来た俺だけが不満を持っている。
「それでシュウはどうしたいの?」
パーセの瞳にはやはり何の色も浮かんではいない。風のない、夜の草原のように穏やかだ。だが、不思議とこちらの真意を覗こうとしているようでもあった。
「すまん……危険を承知で頼む。力を貸してくれないか。フェトナさんを助けたい」
こうべを垂れる。
俺一人じゃ逆立ちしたって無理だ。実力はあってないようなもの。神様に貰った能力も大層なものじゃない。
だがパーセと一緒なら。いや、実際はパーセに負んぶに抱っこなのだけど。二人でなら……と言えるほど対等でないのはわかっている。それでも、縋れるのはこの宇宙人の友人しかいない。
「そうこなくっちゃね。わかった、フェトナを助けよう」
パーセがあまりに躊躇なく首肯するので、俺は少し怖くなった。事の恐ろしさを理解していないのかもしれない。
「危険だぞ」
「僕よりシュウの方が危険だろうけどね」
「……だな。俺のほうがずっと無力だ」
パーセがふふっ、と笑うので、こちらも笑ってしまった。
「ごめん、気が立っていた」
「しかたないよ。情動あってこその人間でしょ。それよりフェトナを助ける算段を練ろう」
俺たちは移動しながら話すことにした。
食糧や飲料水を異次元ポケットに仕舞い込み、町を出る。目的地はもちろん盗賊団のねぐらだ。場所は昨日の薬草採取の折り、もうひとつのパーセが宇宙から建物を補足してからそのままだったので、改めて探す必要もない。おまけに道に迷うこともなく、休みなく歩き続ければ四時間程度の道程だ。
森の中にできた街道は静かだった。
黄土色の土が覗き、ところどころから木の根が飛び出ている。人や馬車の跡が多く残っている。だけれどすれ違う人はいない。盗賊団の噂で迂回しているのかもしれなかった。
「今更だけど、ギルドに手助けを求めなくて良かったの。お金を出せば誰か雇えたんじゃ」
「皆もう依頼を決めていたし、あれから依頼を出してもいつ集まるかもわからない。そんな悠長には待ってはいられない」
「急を要するってこと?」
「攫われたのが昨夜だろ?どこかの誰かに売るとしても、ある程度時間がかかるはずだ。商談をしないといけない。そう考えると既に手遅れとは考えづらい。でも、明日はどうかわからない。商品を見せるため、今日のうちに移動する可能性だってある」
すでに建物は監視している。もし今日中にフェトナさんを連れ出すならば、大所帯で行くとは考え難いし、奪還はそう難しくないかもしれない。もちろん、フェトナさんを攫ったのが例の盗賊団というのが前提だが。それ以外だともう探しようがない。
「それにさ、改めて考えると二人の方がいろいろとやりやすいだろうと思った。申し訳ないが、パーセの持つガジェットに頼る腹積もりだからよろしく頼む」
どんな宇宙ガジェットを使用するかもわからない、人目はない方が良いという考えだ。
パーセはあるのかないのかわからない胸を張りながら、「悪い気はしないから、どんと頼ってよ」と言った。
途中途中に休憩を挟みながら移動する。街道はやがて山道に近いものになる。現代人には辛い行軍だ。
陽が頂点に達し少し経った頃、遠目に件の建物が見える、小高い丘に俺たちは到着した。
鬱蒼とした木々の隙間から覗き見るそれは、たしかに古城という表現がぴったりな威容だった。元は純白だったのだろう煉瓦造りの二階建て。しかし今は風雨に色や欠片が剥がれ落ちている。それを覆うように新緑の蔦が幾重にも絡みつき、歴史の重みを感じさせる。
手前には今はもう荒れ果て雑草も伸びているが、庭園めいた名残が見て取れた。貴族の道楽にしても中々だ。風化しているとはいえ見るからに堅牢そうだし、ねぐらとするにはぴったりだ。
「思った以上に大きいな。しかも見張りもしっかりといる」
眼下を確認するだけでも庭園に二人、建物の陰に一人確認できる。目視できる範囲でこれだ、実際はもっと多いかもしれない。身体も一部は金属の鎧で覆われており、騎士崩れというのも頷けた。
「フェトナさんが捕まっているかを確認したいんだが、遠くから室内を透過できるガジェットってあったりするか?」
「んー、ない。ごめんね。地球で言うサーモグラフィーみたいなことはできるけど、わかっても体型くらいだよ」
「そうか……」
もしあれば他のことにも使えたかもしれなのに。こんな時に不謹慎か。
「シュウ、何か違うことで落胆していない?」
「そ、そんなわけないだろう。とにかくまずはフェトナさんの存在確認と、安否確認だ。持ち物のなかで、使えそうなものはないだろうか」
「様子を探るのなら、小型のドローンなら持っているよ」
「ドローン!」
元の世界では最先端の機器じゃないか。これを利用しない手はない。
異次元ポケットから取り出されたそれは、蝶型のドローンだった。想像していたヘリコプターの亜種とはまったく違う。羽を広げると手のひら二つ分程度の大きさで、形は煌びやかな蝶々を模してはいるが、生物感はあまりなく、無機的な有様だ。特に羽に至っては骨組みのみで面は空洞となっており、羽ばたいても浮力を得そうにはない。陽の光を受けると骨組みは虹色に輝いた。
割と目立つ外観だな、と俺は思った。
「子供用の玩具だからね。それに飛ばすんだから目立つ方が見やすいだろう?元々が盗撮用じゃないし」
「せめて偵察用と言ってくれないか」
パーセが蝶々の背中部分に触れ、何かをなぞる。すると羽が僅かばかりに揺れた後、音もなくすっと飛び立つ。
普通のドローンのような機械音もしなければ、風切り音すらない。まったくの無音だ。羽も羽ばたかせることはなく、空中で見事に静止している。
「じゃあ、飛ばすよ」
パーセの合図でドローンは氷上を滑るように建物へと飛んでいく。俺はパーセが何かを握っていることに気づいた。卵みたいな形をした楕円形のすべすべとしたガジェットだ。
「これでドローンの映像が見られるんだよ」
卵から青白い光が三角に伸びる。その光は途中で屈折し繋がり、虚空に長方形を画いた。かと思うとその中に、ドローンのものと思われる映像が映し出される。
地上を鳥瞰した映像。眼下の森が鮮明に描かれている。
「これは完全に未来だな」
「地球にも同じようなものがあったじゃない」
「性能が違い過ぎる。特にこの投影方法はSF映画の中の代物だ。図らずも感動してしまうな」
虚空に浮かぶ画面を食い入るように眺める。
映像は滑らかに移り変わり、すぐに敷地一帯を鳥瞰したものへと変わる。深い森林にぽっかりと空いた拓けた空間。四方を木々に囲われ、敷地面積は一般的な小学校の三割もないくらいだろうか。いくつかの男たちの脂ぎった頭部が鮮明に映っている。
上空というのと無音というのが相まって、今のところ気づかれる気配はない。
映像はそこから段々と下降していく。建物と同じ高さになり、二階の窓枠が現れる。窓枠には硝子の嵌っているものもあれば、割れているものもあるし、そもそもない箇所もあった。
適度な距離を保ちつつ、一部屋ずつ窓から内部を確認していく。簡易ベッドで眠りこけている男がいた。武器や鎧の手入れをしている男も。どうやら何人かで一室を共有しているようだ。室内は想像するより小奇麗だった。
二階の角部屋にドローンが向かった時だ。
窓から覗く室内の景色に、まだ若い女性の足元が映り込んだ。
どくんと心臓が跳ねる。
「パーセ、もう少し寄れるか?」
「うん」
ドローンが窓に近づいていく。
フェトナさんだった。
家具の何もない板張りの小部屋にフェトナさんが倒れている。腕は後ろで拘束され、足も鎖で縛られている。鎖の先には重そうな鉄球があり、それがごろんと転がっている。目はスカーフのようなものは覆われ視界が奪われており、冷たい床で横向きに伏している。寝ているのか気絶しているのかぐったりとして微動だにしない。幸い着衣に乱れはなかった。
部屋には他に誰の気配もなく、扉の向こうに監視役がいるのかもしれない。
「……いたな」
独り言のように呟く。
一安心とはとても言えないが、一応の無事が確認できた。足首の鎖がとても痛々しい。本当にあんな風に拘束するんだな。映画なんかでしか見たことのない光景を目の当たりにして、なんだか衝撃を受ける。
少なくとも以前までの俺の生活にこんな光景は絶対なかった。一瞬この世界の文明が遅れているからとも思ったが、考えてみれば、きっと元の世界もどこかではこれと同じことが行われているのだ。無関心だったな、と今更思い至る。
その後も俺たちは各部屋を覗いて回った。
建物と庭園に確認できたのは総勢十名ほど。悪事のために出払っているのもいるだろうし、二十人くらいは見立てておくべきだろう。
盗賊団なんてどんな無体な連中かと思ったが、映像で見た顔は、あまりやさぐれてもいなかった。騎士崩れというくらいなのだから元は正規の騎士だったんだろう。正規軍が二十人と考えると、ギルドが手をこまねていていたのも頷ける。
「まずはフェトナさんを発見できて良かった。それでどう助け出すかだが、これじゃあ多勢に無勢だな。あらかじめわかっていたけどさ。しかも向こうは戦闘の元プロだろう」
「フェトナを売りに、何人か護衛を連れ出してというならまだなんとかなりそうだけど」
こちらにはパーセのガジェットがある。未知の道具は大きなアドバンテージだ。
「それが一番有難い。ただ、そうならなかった場合の作戦も考えないとな」
俺たちはあれこれと思考を巡らせた。一番危険が少なく、なおかつ成功率が高いような、そんな針に糸を通すような妙案をああでもないこうでもないと議論した。
目下の課題はフェトナさんの居場所が二階の最奥にあるということだ。それは突入した際多くの賊と顔を合わせるという意味であり、戦闘イベントは避けられない。
「例えばなんだけどさ、最悪フェトナさんごと全員眠らせることってできないか。建物内に大量の睡眠薬を散布する、みたいな。可能ならこの作戦が一番血が流れないと思うんだ」
「残念ながら人類用の睡眠薬は持っていないよ。僕たち用のもだけど。それにそんな大量の薬品、業者じゃないと用意できない。それに以前もちょっと話したけど、この宇宙に、今のところ僕の同胞は見当たらないんだ」
パーセはあくまで生活用品や便利グッズを持っているだけで、地球でいうところの拳銃やミサイルの類を持っているわけじゃないと説明を受ける。宇宙船からシグナルも送り続けているが、応答もないとのことだ。
「ごめん、それもそうだな」
しかし落胆はしない。次の作戦を考えるだけだ。
その後も俺とパーセは案を練った。
相談しながら携帯食を食べた。獣の干し肉で、塩の味しかしなかった。
森の中が薄暗くなったころ、やっとこさ作戦が決まる。俺とパーセはその時まで身体を休ませることにした。身体を木の幹に預ける。頭の中で、俺は作戦を何度も反芻した。
夕焼けが迫ってきたころ、出払っていた盗賊団の残りが続々と帰ってきた。総勢十人ほど。中には狩った鳥獣を肩から下げている者もおり、俺とパーセは屋敷を見張らせていたドローンの映像でそれを確認した。
残念ながら、今日中にフェトナさんが連れ出されることはないだろう。
夜となり、森は暗闇に包まれる。灯りを使うわけにもいかず、俺とパーセはぎりぎり相手の輪郭がわかるくらいの暗闇の中で、他愛のないことを話して過ごした。
一方の屋敷には窓にぽっと灯りが点りはじめ、騒がしい声がこちらまで木霊する。きっと今頃は、狩った獲物を食しながら酒でも飲んでいるのだろう。
夜も更けると辺りに静けさが戻る。窓の灯りがだんだんと消えていき、やがてはすべての光が途絶える。森の動物たちも活動を終えたのか、しんとした静けさが周囲に充ちる。
如何程が経ったろう?建物の灯りが消えて、もうかなり経ったはずだ。
俺はゆっくりと立ち上がる。
「さあ、そろそろ始めよう」
「うん」
パーセも立ち上がり、準備を始める。
「じゃあ、手筈通りに」
「さすがの僕も死人を生き返られることはできないから、どうか死なないようにね。シュウがいなくなったら僕は生きていけないんだから」
パーセも冗談を言うようになったらしい。表情はわからないが、どうやら笑っているようだ。
「優秀な通訳だからなあ。本当にヤバそうだったら、オカルト魔法の何でも使って俺を助けてくれ」
「わかった」
ふう、と息を整える。
これが最善かなんてわからない。でも、やるしかない。
パーセと別れ、月明かりを頼りに丘を下る。
一人きりになると、急に周囲を囲う森が恐ろしくなってくる。草木も眠っているはずなのに、近くの木々の後ろに何かが隠れているような気配がする。心霊番組を観た後の風呂で頭を洗う時、背後に何かの気配を感じることがあるが、それに似ている気がした。
屋敷の裏手に出ると、草木の間から姿を現す。
ドローンの映像で、夜の見張りは庭園に一人だけなのは確認済みだ。
そのドローンは今、頭上で俺の様子を窺っている。
俺はそそくさとパーセから借りたガジェットを取り出す。新たなオカルト魔法だ。
見た目は拳銃に似ている。金属というよりはプラスチッキーな質感で、銃口にはピンポン玉サイズの赤い球体が取り付けられている。トリガーはない。代わりに親指の位置に操作盤がある。
なんとなくコミカルというか、玩具っぽい感じがするガジェットだ。
二階の一番端の窓、その斜め上に照準を合わせ、親指で操作盤に触れる。投射された球体は音もなく狙いすました箇所に着弾、しかし跳弾はしなかった。まるで吸盤であるかのように屋敷の壁面に張り付いて離れない。パーセの言った通りだ。あの球体でどうして張り付くことができるのか不思議でならない。触れたときは粘着性もなかったのに。
球体と本体の間はピアノ線のようなもので繋がれている。
俺は一度本体を引いて球体が剥がれないことを確認してから、ゆっくりと片足を壁に沿わせる。手のひらに力を込める。親指を操作すると、ゆっくりと線の距離が縮まり、身体が地面から乖離する。もう一方の足も壁へ。少しずつ線を縮めながら、一歩一歩音を立てぬよう壁面を歩く。そうやって壁を上っていく。
ははっ、まるっきりスパイ映画の産物だ。もしくは登山用品か。これは険しい山を上るにはとても有用そうだ。
そんなことを考えているうちに、件の窓のすぐ真横まで上ることができた。けれど息つく暇はない。生憎と文科系な俺には握力の余裕がない。さっさと次の段階へ移ろう。
ドローンに合図を送る。
数秒後、面の方でけたたましい咆哮が上がった。びりびりと建物全体を揺らすような轟音だ。
消えていた屋敷にうっすらと光が灯る。静けさが一転、どたどたと騒がしい足音や、男たちの困惑する声が屋敷全体から響いてくる。
……我慢、我慢だ。屋敷から人手が消えるまで。
数度の地響きがあった後、表の方から、なにやら騒がしい戦闘めいた音が聞こえてくる。怒号や金属音、悲鳴。
よし、頃合いだ。
恐る恐る室内を覗く。
夜に彩られた、フェトナさんが監禁されている壁際の扉、その隣にもぬけの殻となった古椅子があった。日中ドローンで確認したときは、そこに見張りの男が座っていたのだ。しかし表の異常事態に見張りも加勢したようだ……作戦通り。
片手でパーセから貰った何でも切れるナイフを取り出し、両開きの窓の中央にすとんと差し入れる。殆ど何かを切った感触はなかった。それでも確実に鍵は真っ二つとなっており、するりと窓が開かれる。
首をつっこんで廊下に人の姿ないことを確認し、室内に着地。
「……いってぇ」
長時間握力を酷使していたため、両の手のひらが震えていた。だけどフェトナさんが感じている恐怖とは比べるべくもない。
鬼の居ぬ間に、と先程と同じ要領で扉と建枠の間にナイフを差し込む。これさえあれば鍵なんて意味ないな。
警戒しながら室内に闖入するが、どうやら室内にはフェトナさん一人だけのようだ。少しだけ肩の力を抜く。
彼女は後ろ手で縛られた上体を起こし、目が塞がれながらも外の様子を必死に窺っているようだった。表の狂騒で起きたのかもしれない。
俺の足音に気づいたらしい。
「誰っ?」
「あ、あんまり大声出さないでください。俺です、シュウです」
「……シュウさん?」
困惑した調子。そりゃそうか。
「助けに来ました。今拘束を解きます」
「気持ちはありがたいですが、でも、鎖を解くには鍵が必用なんじゃ……」と鉄球が転がっている辺りに視線を向ける。
「俺たちを舐めてもらっては困ります。問題ないです」
フェトナさんの皮膚に触れないよう気を揉みながら、ナイフで拘束された部分を断ち切る。パーセの言葉通り、金属でさえバターのようだ。もはや切れ味が鋭いってレベルじゃないな。
目隠しを取り払うと、やっとフェトナさんの顔がこんにちはをする。少しやつれているようだが、健勝なようだ。良かった。
「……どうやったんですか?今の感じは鍵じゃないですよね」
「企業秘密です」
「聞くなってことですか」
「話が早くて助かります。自力で歩けますか?」
「はい。それと表のあれって」
「話は後です。今はさっさとずらかりましょう」
ずらかるって、なんだかこっちが悪者みたいだな。
後は退散するのみだ、と立ち上がろうとした刹那、全身に悪寒が奔った。神様から貰った危機察知の能力が発動したのだと、瞬時に理解する。
反射的に俺は横に飛んでいた。
一拍遅れて、フェトナさんの「シュウさん!」という鋭い声が飛ぶ。
直前まで俺がいた位置に、きらりと光る何かが振り下ろされる。びゅん、という風切り音が耳朶に響いた。
俺は転がりながらもすぐさま態勢を立て直す。
相手は男だった。大男というほどでもないが、細面で身長が高く、それに比例して手足も長い。髪は金髪でだらりと垂れ下がっている。鎖帷子を着込み、胴体と首元の部分だけがプレートメイルで覆われている。急所さえ守られていればそれでいい、というような軽薄な哲学を感じる。
床に刀剣の切っ先が突き刺さっている。それを見て、さっと血の気が引く。
危なかった。能力がなければ死んでいた。一気に心拍数が上昇する。
「おお、今のを避けるのか。凄いな」
あまりに緊迫感のない声だった。それこそ寝起きのような。
「お前誰だ?」
「……匿名希望の若者です」
男は「ふむ」、と剣を床から引き抜く。
「部屋には鍵がかかっていたし、拘束具を解くのだって鍵が必要なはず。鍵は隊長がずっと身に着けていたはずだ。どうやって解いた?」
「手品のタネを明かすマジシャンはいませんよ」
魔法の存在する世界で手品師がいるのかは甚だ疑問だが。
「そうか、まあいいや。ただそいつは重要な商品だから、悪いが置いていってくれ。金づるだからな。そうしてくれりゃあ、外はあんな事態だし、俺は何も報告しないでやる」
「どうしてこんな酷いことをするんですか」
「生きるのに金が必要だからに決まってる」
「あなたたちは元々正規の軍隊だと」
「ああ、もうそんな噂が広まっているのか。事実だけどさ。酷いよなあ、こっちは命がけで働いていたのに、たった一度失敗しただけで俺たち騎士団は丸ごとお払い箱だ。それでこうなったわけ。田舎に帰った奴もいるし、俺みたいに隊長に付いてった奴もいる。騎士崩れといえばその通りだな。でも、こっちの方が案外気楽なもんさ。ははっ」
ゆさぶりのつもりで言ってみたが、相手は特に感傷に浸ることもなく、淡々とした調子だった。
俺は会話を続けながらじりじりとフェトナさんの前に出る。
「あなたは見張り……じゃないですよね」
「見張りは大慌てで戦闘に参加しに行ったぜ」
「その隙に、フェトナさんを一人で連れ去る算段だったんですか」
そこでやっと男の表情が変化する。だが表れたのは図星を突かれた憤りではく、それこそ愉快そうに、口角を上げてにんまりとする。
フェトナさんもぎょっとしたようだ。
「よくわかったな。俺はもう一抜けすることにした。お前も理解しているんだろう。今は好き勝手やっているが、先は長くない。王国も本腰を上げたって話だ。村々相手にはイキれても、本隊に来られちゃひとたまりもない。この辺りが潮時だろう。だからそいつを行きがけの駄賃にする心づもりだった。なのに先客がいるとは驚いたよ。というか、外のあれは何だ?お前の差し金?それともただ機を利用しただけか?」
「さて、どちらでしょう」
「まあいいや。時間も勿体ないし、そろそろおっぱじめよう」
と男は剣を構える。
俺は慌てて腕を前に突き出した。
「ちょ、ちょっとたんまです!そういった理由なら力になれるかもしれません。お金が必用なら、ここで俺たちを見逃してくれれば金を支払います!こう見えてけっこう持っているんですよ!」
「ん?ああ、それなら殺して奪うからいいよ。ありがとうな。儲かった」
絶妙に話通じないなこの人!
「フェトナさん下がってて!」
また悪寒が奔る。男が俺に向かって剣を振り上げる。俺は死に物狂いだ。必死にナイフの面でそれを受け止める。
さすがに宇宙仕様のナイフはビクともしない。しかし俺の身体は衝撃で吹っ飛んでしまう。男はそのまま突っ込んできて、体勢を崩した俺に突きを放つ。それも危機察知でなんとか避ける。
守るばかりじゃ限界がある。上半身を加速させ、こちらも腕を伸ばして刺突を試みるが、これは容易く避けられてしまう。練度に差がありすぎだ。
「防御の勘は鋭いのに、攻撃面はなんというか、普通だな」
そりゃあ攻撃面に関しては神様から貰った初期ステータスのままだからな!
一進一退の戦い、とはお世辞にも言えない。明らかに劣勢だ。視界の暗さがそれを加速させている。既に危機察知が無ければ何度殺されていたかわからない。それでも必死に相手の動きに食らいつくがジリ貧だ。
何か手はないか、何か手はないかと思考は巡るのに、活路はどこにも見当たらない。
そんなとき。
「シュウさん!」
壁際に避難していたフェトナさんが、切断された鎖を鞭のようにしならせて、男へと振るう。男は一瞬ぎょっとしたような顔をしたが、見事にかわしてみせる。が、僅かにバランスを崩す。
俺はその隙を見逃さなかった。
距離を詰めてナイフを振りかぶる。
絶好の好機……いや違う、男の口元が薄く笑っていた。
ふと悟る。この人は避ける気がない。罠だ。首と胴隊は金属の鎧で守られている。普通の刃物は通らない。なら、わざと食らってこちらが怯んだところに詰めの一撃を与える。そんな男の思惑が表情から読み取れた。
でも。
俺は構わずナイフを振り下ろす。
その作戦は、『普通の刃物』ならの話だ。今俺が振るうのは、普通じゃない。
肩口から斜めにナイフが入る。男は弾かれることを予想したんだろう。しかしそれは、まるで紙でも割くように鎧ごと男を袈裟斬りにした。吹く血飛沫。
「え」
そんな男の間の抜けた声が、最期に聞こえた気がした。
どん、と床に倒れ込む男。
俺もそのまま尻もちをつく。
「はあ、はあ、……死ぬかと思った」
戦闘中ずっと息を止めていたかのように肺が空気を吸い込む。
男は死んだのか?血は出ているけども。暗くてよくわからない。確認する勇気もない。ただただ目の前に転がった物体から目が離せなかった。
「……さん、シュウさん!」
はっとして振り向くと、すぐそばにフェトナさんがいた。
「大丈夫ですか?」
「……逃げましょう」
がくがくと震える足を殴って立ち上がる。
今は何も考えないほうがいい。フェトナさんの手を取って、廊下に人気のないことを確認。来た窓から身を乗り出し、すぐ横にぶら下がっているガジェットを握り、俺もまたぶら下がる。
「フェトナさん。こっちへ」
その一言で理解してくれたようだ。目をぱちくりとさせながら、同じように窓から脱出して俺の肩におぶさる。
二人分の体重が手にかかり、握力が悲鳴を上げる。しかし下りは時間がかからない。ガジェットを操作して線を伸ばし、すぐに地面に着地、フェトナさんを降ろす。操作盤を操作すると、壁にぴっちりと張り付いていた球体が苦労もなくぽんと外れ、線に引っ張られるかたちで手元に戻ってくる。
「それもオカルト魔法ですか?」
「みんなには秘密でお願いしますよ」
真っ暗闇な森林に立ち入ると、すぐ目の前に滑空するものがある。ドローンだ。それがゆっくりと踵を返す。俺は彼女の手を引きながら、ドローンを水先案内として右も左もわからない黒い森を移動する。
「あの、色々とわけがわからないんですけど。というか、浮かんでるそれなんですか。妖精……じゃないですよね」
「詳しい話は後でお願いします」
そう長くない時間が過ぎて、木々の合間からパーセの姿が現れる。
俺は改めてほっと溜息を吐く。なんだかセーブポイントに入ったような気分だ。
パーセもドローンの映像で俺たちの無事を確認していただろうに、どこか安心したように口元が緩む。
「シュウ、なんだか老けた?」
「リアルに十歳くらいは老けたかもしれない」
「目立った傷もないようだし、とにかく元気そうでなにより」
「そうでもない、九死に一生って感じだ。ホント死ぬかと思った」
「シュウさん、お取込み中のところすみませんが、そろそろ手を放してもらえると……」
「えっ?ああ!」
びっくりして手を放す。どうやらずっと手を握ったままだったようだ。別の意味でどきどきとしてしまう。まったく、締まらないな……。
俺たちは無事を喜びつつもこの場を離れることにした。四方を木々に囲われているとはいえここは敵地だ。この森にどんな魔獣がいるのかだってわからない。
パーセが異次元ポケットから封印の箱を取り出す。
眼下では未だ壮絶な戦いが繰り広げられている。誰かが炎魔法を使用とすると、一瞬だけぽっと周辺が明るくなった。
剣を振り回す男たちと、その周辺に倒れ伏す骸。戦意喪失した者もいるようだった。……パーセのガジェットはあくまで虫取り籠だ。捕まえた魔獣を従えられるわけじゃない。だからあの惨状は俺たちのせいじゃない、というのは言い訳だろうか。
「館が襲われてる……あんなに大きな魔獣、私は見たことがありません」
独り言のように呟くフェトナさんの横で、パーセは封印の箱をかざす。夜の闇に紛れるように薄っすらとした紫色の光線が、暴れ回るヌシの甲羅に触れる。
ヌシの身体がスライムのように崩れていく。雪崩のように崩壊したそれは、まっすぐに箱の中へと吸収されて、辺りは再び夜の静寂を取り戻す。地響きも、男たちの雄叫びも、狂乱も、すべてが虚ろのなかに消えていく。
きっと、盗賊たちには巨大な魔獣が溶けて消えたように思えただろう。突如として出でて、突如として消滅した魔獣。散らばる骸。悪夢でも見ていたんじゃないかと自分を疑いたくなるはずだ。
一連の光景を目の当たりにしたフェトナさんが、「お二人は、本当に何者ですか?」と何か恐ろしいものでも見たように言った。
三人で町を目指す。
夜はまだ長い。
森も街道も真っ暗闇で、自分がどちらを向いているのかもわからない。
だが俺たちには、宇宙にはパーセの目がある。だから道を違えることはない。
パーセを先頭に、フェトナさん、俺という順番で街道を行く。
光が少ないからか、異世界ゆえか、夜空の星が綺麗だった。
道中の腰掛石で俺たちは休憩をとった。
パーセはともかくとして、俺とフェトナさんはかなり消耗していた。フェトナさんはずっと拘束されていたし、俺も長時間の行軍の上、文字通り死ぬ思いをした。身体的にも精神的にもくたくただ。
「館からもうだいぶ離れましたし、そろそろ質問してもいいですか?」
フェトナさんが言った。
俺はパーセを一瞥してから首肯する。
「答えるかはわかりませんが、どうぞ」
「盗賊団を襲っていたあの魔獣は何ですか?」
「ノーコメントです」
「もしかして、あれが噂のヌシなんじゃ」
「ノーコメントです」
「空中に浮かんでいたのは」
「ノーコメントです」
「全然答えないじゃないですか」
「答えられないものは答えられないですもん」
「私は誰にも話しませんよ」
「信用がないです。その辺りは、フェトナさん自身が一番認識しているんじゃないかと」
誇張なく、フェトナさんならあらゆることに利用するだろう。
「くっ……言い返せないです。なら、趣向を変えましょう。どうして私を助けてくれたんですか?あんな危険を冒してまで」
「それは……」
「これなら答えられますよね?」と強めの圧を受ける。
フェトナさんを助けた理由、か。
できれば言いたくない。単純に、恥ずかしいからだ。それにここにはパーセもいる……いや、フェトナさんと会話する限り、パーセには何を話しているか理解できない。
なら。
「昨日……もう一昨日か。言ったじゃないですか、友達が困っていたら助けますって」
「はい」
「……」
「え、終わりですか?」
「終わりです」
「たったそれだけのことで?」
フェトナさんの驚きに見開かれた瞳が俺を捉える。俺は視線を逸らし、俯く。
「ほら、こうなるじゃないですか。だから言うの嫌だったんですよ」
同時に全身から汗が噴き出る。教室の教壇に立って、クラスメイトの前で読書感想文を朗読したときのようだ。
これでも約束は守りなさいと親に躾けられてきた。いやこれは約束じゃないか。だが仰々しく宣言しておいてそれを守らないなんて、まさしく格好がつかないじゃないか。端的に言って格好悪い。
しかしそれを口にすることは、とても羞恥を伴う。パーセに聞かれなくて良かった。死ぬほど恥ずかしい。
なぜ恥ずかしいのかと問われてもわからない。恥ずかしいものは恥ずかしい。もしこの感情に解を求めるならば、きっと思春期だからだ。
「もしかして、私と友達になりたいと言ったのも本心ですか」
「そりゃあ」
同年代とはいかなくとも歳が近く、頭脳は明晰で、おまけに可愛い。友達にならない理由がない。
「なんというか……シュウさんは変わっていますね。助けられた私が言うのもなんですけど」
「少なくとも俺のいた国では至って普通のことですよ」
「きっと、シュウさんの祖国はお人好しの国なんでしょうね」
「いいえ、きっと平和ボケの国です」
ありがたいことに。
俺たちはまた歩みを再開した。
その後は何事もなく、朝靄が立ち込めた頃に町へと到着する。
朝陽に照らされた石垣。
転がった樽。
我が物顔で街道を行く鳥たち。きゅんきゅん、と不思議な調子で鳴いている。
さすがの町もまだ眠っているようで、辺りには誰もいない。早朝のどこか清々しい空気が肺いっぱいに広がっていく。
「あー、やっと着いた……」
さすがに町までくれば安全だろう、と深い溜息を吐く。
「では、私はこの辺で失礼します」
ぼろぼろのフェトナさんが少し掠れた声で言った。
「足がふらついているようですが、大丈夫ですか」
「はい。こう見えて私は強いんですよ」
それはよく知っている。
「……わかりました。ここで別れましょう。お気をつけて。まずはゆっくりと休んでください」
「あの、シュウさん、パーセさん。本当に、本当にありがとうございました」とフェトナさんは深々と頭を下げる。仕草があまりに様になっていたので、俺はびっくりしてしまった。
「お礼はまた」
「別にいいですよ。こっちが勝手にやったことですし」
顔を上げた彼女の顔は土埃で汚れた上にやつれており、それでも空元気の笑みを浮かべている。小さい体でよく頑張ったと思う。
町の入り口で帰宅の途に就くフェトナさんを見送り、俺とパーセも自分たちの宿へと戻る。
「パーセ、ごめん。フェトナさんがお礼をしてくれると言ったんだが、断った。いつも事後承諾だな」
「言葉がわからないからね。いいよ、シュウがそう考えたなら。でもどうして?」
「古来より日本では、ああいった場では断るのが美徳とされているんだ」
てきとうなことを言う。
というか、身寄りもないあんな小さな子供からお礼を受け取るわけにはいかないだろう。これからの生活だってある。ギルドももう解雇扱いなようだし……まったく身も世もない世界だ。
パーセはしばし考え込んでいたが、やがてぽんと手を叩く。
「ああ、ブシドー?」
「パーセは物知りだな。そうだな、これが武士道かはわからんが」
町の中央へ向かうにつれて、わずかながら人の気配が増えて来る。
屋台を組み立てる者。
肩に荷を乗せて走る者。
そうかと思えば飲んだくれが道の端で寝入っていたり。近くには酒瓶が転がっている。
「ああ!」
そこで、昨日から祭りが始まっていたんだと思い出す。
「祭りのことをすっかりと忘れていた。本当なら昨日参加するつもりだったのにさ。思いがけない一日になってしまった」
「でも、お祭りは今日もあるってシュウは言っていたよね。なら今日参加すればいいんじゃないかな」
「だな。まずは宿でぐっすり眠って、夕方ぐらいから参加するか。とにかく今は眠くてたまらない」
「朝食はどうする?」
「あー」
朝食か……その発想はなかった。そこに至る余裕がなかった。考えてみれば朝になったら朝ごはんを食べるのが当たり前だ。
しかしこの友人はつい今しがたまで大変なことが起こっていたというのに、普段といくらも変わらないな。豪胆なのか無神経なのか。こいつだって寝不足なのは一緒のはずなのに。
「パーセは眠くないのか」
「僕たちはあまり寝なくても平気なんだ。反対にシュウはとても眠そうに見える」
「実際眠いからな。パーセが羨ましい。俺は普段夜更かしなんてテスト前夜か正月くらいしかしないから、ナチュラルハイなのか清々しい心地もあるけど、頭も瞼も鉛みたいに重い。ベッドに倒れれば三十秒で眠る自信があるぞ」
ただ考えてみれば随分長いこと何も口にしていない。俺も腹が減っていた。
というわけで、俺たちは屋台でサンドイッチを買って食べた。パーセは肉多め、俺は野菜主体のものを頼む。徹夜明けに肉は胃に重い。味のほうは疲労と眠気のせいで殆どわかわなかった。
その後宿の自室に戻り、そのままベッドにダイブ。固い黴臭いベッドでも、今はマシュマロにでも乗っているような心地だった。
パーセは向かいのベッドにぽんと腰かける。
カーテンのない窓からは朝陽が差し込んでいる。
「……たぶん、今寝たら夕方ぐらいまでは起きないと思う」
「了解。疲れただろうし、ゆっくり休みなよ」
「ありがとう。いつまでも起きなかったら、すまんが叩き起こして欲しい。お休み」
「うん、お休み」
瞼を閉じると睡魔が怒涛のように押し寄せてくる。相当に疲れたんだろう。
烈々たる出来事に身体は興奮していたはずのに、回顧するいとまさえない。
今は、ただただ眠い。
「シュウ、そろそろ起きなよ」
そんな鈴のような声で目が覚める。
目の前に、パーセの男とも女ともつかない整った顔があった。まつ毛が長く、少しカールした髪は梳かしたばかりのように艶やかだ。何日も風呂に入れず油ぎっていた俺の髪とは全然違う……。
我に返った俺は、ばっと上体を起こす。
「あ、起きた」
「……おはよう」
「おはよう。よく眠れた?」
「おかげさまでぐっすりだ」と大あくびをひとつ。
今は何時ごろだろう?と窓の外に視線を向ける。
連なる家屋のその向こうに、真っ赤な西日が差していた。黄昏時だ。だいたい八時間から九時間ほど眠っていたようだ。
外がいつも以上に騒がしい。人々の笑い合う声や、どんちゃんと楽器の音がここまで聞こえてくる。
異世界の催しのはずなのに、感覚的に「あ、お祭りだ」とわかったのが不思議だった。
「少し待ってくれ。着替える」
返り血の付着した衣類を脱ぎ捨て、新しい衣服に着替える。途中、なんだか視線を感じてそれを辿ると、犯人はパーセだった。
「なんでこっちを見てるんだ?」
深い意味はないが、なんとなく背を向ける。深い意味はないが。
「ううん、人類ってどんな骨格をしているのかなって」
変化球な回答だった。
考えてみると、パーセの前で着替えるのはこれが初めてかもしれない。
「……パーセたち宇宙人のそれは人類とは違うのか」
「シュウは見たいの?」
「え、あ、いや、どうだろう……」
くそ、しどろもどろになってしまう。
服の上からではよくわからないが、大変中性的な体つきをしているは確かだ。男だったら興味ないし、女だったらたぶんまともでいられない。
ブラックボックスはまだ開けない方が、俺のためな気がした。
着替えを終えると、俺たちはいよいよ町に繰り出す。
「おぉ、まさにお祭りって感じだ」
雑踏、雑踏、雑踏だった。
目の前を多くの人、亜人がわいわいがやがやと行き交っている。
元の世界に比べてこの町は圧倒的に人口密度が低い。だが今この場ばかりは例外だった。ただ人波があるだけでなんだか気分が高まってくる。
パーセも少しばかり興奮したように、視線を行ったり来たりさせている。
「これがお祭り?」
「ああ、この人混みが祭りの醍醐味の一部なのは間違いないと思う」
陽は傾きはじめ、夜の気配が薄っすらと町を浸しているに、しかし人々の熱でまるで真昼のように活力に満ちている。
「こうしちゃいられないな。俺たちも早速観て回ろう。ただ、巡るにあたって守らなくちゃいけないルールがあるんだ。パーセは知っているか?」
「ごめん、わからないや」
「問題ない。難しくないから聞いてほしい。ひとつには人の流れに無理矢理逆らわない事。ふたつには俺の傍から離れない事。もしはぐれてしまったら、パーセ一人じゃ屋台で買い物もできないしな」
「うんうん」
見慣れたフードの向こうでがくがくと首を振るパーセ。
心なしいつもより元気な返事だった。
「僕はビギナーだからお手柔らかによろしく」
「俺も言うほどエキスパートじゃないけどな。たぶん普通くらいだ」
というわけで、俺たちは人の波に飛び込んだ。
日本での祭りは酷いものだと常に押し合いへし合い体力を削られることもあったが、さすがにそこまでの盛り上がりはない。それでも気を抜くと肩がぶつかりそうな程度にはごった返している。
祭りだけあって明らかに屋台の数が多かった。
見知らぬ食べ物や、射的めいたもの、金魚すくいらしき何か、くじ引きと祭りの華である娯楽染みた屋台も多く出店している。
肉の串焼きを食べた。味は豚ロースに似ていた。
イカ焼きに似た何かは齧ると割けるチーズのように解れた。
パーセは果実を飴でコーティングしたものが気に入ったようだ。林檎飴のように鮮やかな見た目だった。
その後も得体の知れない魚を掬ったり、パチンコのようなもので木彫りの人形を落としたりした。
値段はあえて気にしなかった。絶対お祭り価格だし、それを気にするのは無粋というものだ。懐が温かくてよかった。
俺たちは広場に移動して、買い溜めた飲食物を頬張る。通路とは違いここは空間に余裕がある。俺は3つ4つですぐにお腹いっぱいになったが、パーセはまだまだいけるようだ。この細い体のどこにそんな余裕があるのか不思議でならない。
「どの食べ物も美味しいね。なんで普段から売らないんだろう」
「この一種異様な雰囲気が美味しくさせているっていうのもあるからな。ある意味魔法だ」
祭りの焼きそば五百円とか、普段なら絶対買わない。
「これがお祭り……。地球でも行っておけば良かったな」
パーセは何かの魔獣を模したらしい仮面を頭から斜めにかけている。お祭りを堪能しているようでなによりだ。
考えてみれば、この世界に来てから初めての娯楽らしい娯楽かもしれない。色街は別として。娯楽に溢れていた日本でも祭りは人気だったんだ、娯楽の乏しいここでは興奮もひとしおだろう。この盛況ぶりも無理からぬことに思える。
大人も子供も種族も関係なく、楽しそうに飲んたり食べたりしながら往来を行く。
俺はしばしその様を眺めていた。
もうすっかり陽は暮れて、赤提灯のような灯篭が、やさしく町を照らしている。
「故郷が懐かしい?」
気づくと屋台で買ったものをすべて平らげたパーセが、こちらを見ていた。
「懐かしい……と思えるほどこっちの世界で過ごした時間は長くないさ。ただ寂しいというか、小さい頃から縁日の屋台で食べてきた綿菓子やたこ焼き、かき氷なんかがもう食べられないんだなと思うと、なんとも感慨深いものがある」
「やっぱり日本のお祭りとは違う?」
「そりゃあ、な。雰囲気は似ているが、どれもこれもが違うんだ。言葉じゃ上手く説明できないが、でも違うんだよ」
もしかしたらそれは、俺のDNAに連綿と刻まれた先祖由来の何かなのかもしれない。神も仏も信じちゃいないが、初詣には行くし墓前では祈るし、というような。
ああ、でも神様はいたな。実際逢ったし。能力も貰った。
「僕が遊びに行ったばっかりに、ごめん」
「見送りに出たのは俺の意思だよ。それに危険を顧みずに歩道へ飛び出したのは俺で、それをパーセは助けようとしてくれたんだ。こちらこそ巻き込んでしまってごめん」
そういえばあの子供のこともすっかり忘れていた。せめて平穏無事であれ、と願う。
「なんだかしんみりとしてしまったな……。お祭りの夜にこれは相応しくない。もっと明るい話題はないか?」
なんともなしに放った言葉だった。
普段は凪いだ海のようなパーセの深い碧色の瞳に、妖し気な光が宿る。
「あ、そうだ。お祭りの日になったら、シュウに見せたいものがあるって僕言ったよね」
「そういえばそんなことを言っていたな」
本来なら昨日だったはずだ。しかし昨日はそれどころじゃなかった。
パーセは羽織ったマントの裾をごそごそとする。そこは異次元ポケットじゃないらしい。注目を集めなくて済むのでありがたいが。
「実はこんなものを作ったんだ」
どこか恥ずかしそうに、けれどどこぞの印籠のようにそれを掲げる。お前は黄門様か。
「……スイッチ、か」
「そう、スイッチ」
やはりスイッチらしい。
パーセの手にあるそれは、ちょうど学校の黒板消しのような大きさとかたちをしており、白磁のような白い光沢のある一枚の板だった。板の中央には赤色をした丸型のボタンがどんと構えており、それが板をスイッチたらしめている。
さて、しかし俺は困ってしまった。
どんな反応をすべきだろう?
小さい頃、パーセがもはや宇宙人の世界から消え失せた旧時代のスイッチというシロモノに深い感動を覚えていたのは記憶している。
作ったというのだから自作だろう。造りはとても精巧で、工場製品と遜色ない。そこを褒めるべきだろうか。だがスイッチというのはボタンを押して起こる変化にこそ真価があると、地球人である俺は思う。仮にパーセも同じ意見なのだとしたら、スイッチのでき自体を褒めそやすのは不正解だ。
というよりも。
目下俺の注目はスイッチそれ自体ではなく、それを押した時に起こる変化にこそあった。
なんだかとても嫌な予感がするのだ。
「ところでパーセ、そのスイッチを押す」とどうなるんだ。
言葉が最後まで続かなかった。
「あ、シュウさんみーっけ」
どん、と背中に衝撃が奔る。そして人のぬくもりと、柔らかな感触。こんなことをするのはフェトナさん以外にいない。
俺も健全な男子だから、抱きつかれるのは吝かではないし、むしろ望むところでさえある。平時なら大歓迎だ。
しかし、今は間が悪かった。
背後から押されたことにより俺は前へとつんのめった。
俺の額が、ちょうどそこにあった赤いボタンと運命的にこんにちはした。確かにボタンが押し込まれる感覚を、額を通して脳が感じ取る。
「あ」
とパーセが小さく発っす。こころなし顔を青くさせて。
ぐん、と首を捻り、遠くの空を見上げるパーセ。俺も反射的にその視線を追う。
地上が明るいせいで気づかなかったが、今日は曇り空だった。星の瞬きは遮られ、分厚い雲が棚引いている。
遠くの空が光った。漆黒の雲がそこだけ灰や白に染まる。かと思えば分厚い雲が割れ、光の束が垂直に地上へと降り注ぐ。
遅れてくる地面の振動。ほとんど地震だった。
人々も異変に気づき、何事かと夜空を注視して、あんぐりと口を開ける。
雷とは違い、それは数秒間、夜の静寂に包まれた地上へと照射され続けた。
祭りの盛り上がりが一瞬にして消え、幽霊が通ったような静けさが町全体を包み込む。しかしそれも長くは続かず、すぐに方々から今のは何だという困惑の声が上がり始める。
ざわざわとした不協和音が辺りに立ち込めた。
「……もしかして、私なにかやっちゃいました?」
フェトナさんが困惑したように言った。
俺はパーセに目を向ける。
「今のはもしかして……宇宙船の武器だったりするか?レーザービームみたいだったけど」
「う、うん……。ボタンを押すとあれが発射されるスイッチだったんだ」
とてもけったいなものを作ったな、この宇宙人。
「ちなみにあっちの方角って」
「昨日の盗賊団のアジト。照準の設定がそのままだったから」
そういえば数日前に、盗賊団のアジトをロックオンしたと言っていた気がする。照射は俺が止めたんだった。
「も、もちろん出力は最小に抑えてあったけどね?」
「最小であの威力か……恐ろしいな」
次に危ないスイッチを作る時は、きちんと安全装置を付けるよう言い含めるべきだろう。そもそも危険な代物は作らないで欲しいんだが。
それから改めて、俺はフェトナさんに言葉を返す。
「……いえ、あれは俺たちとは全然まったく何もかも関係のないことなので、フェトナさんは気にしないでください」
これは殆ど認めているようなものだな、と焦りでごちゃごちゃになった自らの言葉を反芻しながら俺は思った。
その後も何か会話を交わした気がするが、当然頭には何も残らなかった。
「さすがに町を離れるより他はないよなあ」
「ごめんなさい……」
宿に戻ってからのことだ。
俺とパーセは今後について急遽話し合うことにした。
何分事態が事態だ。あれが俺たちの仕業だと勘繰るのはフェトナさんくらいなものだろうが、俺たちは既にこの町で異端の存在と認知され始めている。遠い国からやってきて、オカルト魔法なる未知の魔法を使う二人組。
「しかたない……とは言えないが、次に活かすしかない。失敗は成功の母というしな。とりあえず今後物騒なものを作る時は事前に相談してくれると助かる。頭はパーセに遠く及ばないが、アドバイスくらいはできると思うからさ」
「うん、これからはそうする」
部屋も暗ければ雰囲気も暗い。俺は話題を変えた。
「しかしあれには心底驚いたぞ。本物のレーザービームなんて初めて見たし。クラスの連中にもきっと自慢できるな。まあそれを言ったらここでの経験すべてがそうだけどさ……。王国も右往左往だろうな、せっかく討伐軍を組むという話だったのに、あれじゃあ跡形もない」
あそこにいた盗賊団のことは知らないし考えたくない。考えればきっとドツボに嵌ってしまう。悪人だからと割り切れるほど、俺は人生経験を積んではいない。
パーセが空元気に「シュウが見たいなら、もっと見せてあげるよ!」というのを俺は努めて固辞した。普通に危ない。
「で、次の行先なんだが、王都はどうだろう?」
ここベルンライツ王国の地図を確認したところ、王都はこの町から徒歩で四日ほどの距離がある。当初俺たちが目覚めた丘から見えたあの大きな町が王都だったらしい。
「王都なら栄えているだろうし、ここ以上に人間も多いだろうから、俺たちもそこに紛れられる。仕事に関しても選択肢はたくさんあるだろう。パーセは色んな文化を経験したいだろうから、王都で体制を整えた後に旅に出たっていい。どうだろうか」
俺の提案にパーセは二つ返事で頷いた。
曰く希望はないそうだ。
聞き分けが良いというか、自分がないというか。意見が割れて言い争うより全然良いけれども。
「明日の朝、ギルドに挨拶に向かおう。短い間だったが世話になったしな。それに一応、フェトナさんの席がまだ空いているかは最後に確認したいし」
「シュウはフェトナのことが気になるんだね」
「違うわっ!めちゃくちゃ語弊のある言い方だぞ、それ」
「うーん、言葉って難しい。翻訳機も万能じゃないね」
「……本当にわざとじゃないんだよな?」
ひょうそくの炎がちらちらと揺れる。
外は未だに人の気があるが、さすがに下火になっていた。飲んだくれ以外は家に帰ったんだろう。
灯りを消す。パーセはもそもそと寝床に入る。反対に俺は椅子を移動させて、二つのベッドの丁度中間にある窓際にそれを置き、座る。
変に目が冴えていた。たぶんこのまま横になったところで眠ることはできないだろう。
空はいつのまにか晴れたようで、月明かりが室内と、外の景色を柔らかく照らしている。宿の前の小道を、肩を組んだ男二人が酒瓶片手に歩いている。
考えてみればこの町に来てまだ一週間も経っていない。密度が高すぎてもう数か月は過ごしたような気になっていた。
何事も初めてで、手探りで、振り返る暇もなかった。目の前のことで精いっぱいだった。
パーセを巻き込んで、パーセに頼りきりで、迷惑をかけてばかりだ。自己嫌悪で口のなかが苦くなる。
そんな心情が悟られたのかもしれない。
「僕はわりと今の状況を楽しんでいるよ。シュウといると色々なことがあって飽きないから」
パーセが布団から鼻より上だけを出して、こちらを見ていた。
「……なら救われるよ、本当に」
安寧を旨とする日本人としては、トラブルは御免被りたいところではあるが。
しばらく異世界のことや、元の世界の思い出に耽っていると、だんだんと眠気がやってくる。
俺は席を立ち、寝床に潜る。
また明日から状況が変わる。
せめて良い方に、と願いながら俺は目を閉じた。
……嗚呼そういえば、あの占い師、実力は本物だったんだな。