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それぞれの休日

 元いた世界の夢を見た。

 夢というより、これは記憶だろうか。

 パーセが俺と出逢った頃の、小学生時代の記憶だ。

 パーセはいつも気づくと遊びの輪に混じっていた。まるで妖怪のように。

 見た目も派手なのに、子供たちのなかにあってはあまり目立たない。不思議な存在感だった。

 パーセは何度かうちへ遊びに来た。べつに明確にすることがあったわけじゃない。パーセはゲーム機の類を持っていなかったし、流行のカードだって一枚も持っていなかった。けれども「来るか」と聞くと、「行く」と頷くので、うちへと招いた。

 夢だけあって、俺は身体の小さな二人を頭上から見下ろすように鳥瞰していた。

 学校終わりの放課後で、窓からは柔らかな陽がカーペットに落ちて、二人はジュースとお菓子をお供に、RPGゲームや対戦ゲームに勤しんでいる。親はまだ帰っていない。

 どこにでもある、なんてことのない放課後だ。そこにいるのはただの子供二人だった。

 ゲームを終えた二人は夕方アニメを鑑賞しはじめる。そして……。

 嗚呼、思い出した。

 パーセが興味を示すもの。ひとつはまだ知らぬ未知の文化だが、面白いものがもうひとつあった。それがスイッチだ。ボタン、と言ってもいい。

 記憶……夢の中のパーセがテレビを操作する俺の手元に注目する。言わずもがな、俺の手にあるのはテレビリモコンだ。

 宇宙人界隈にはそれがないらしく、興味を惹かれたようだった。

 宇宙人のガジェットはタッチ式か音声認識らしい。だから押し込むことにより効果を発揮するそれが、とても珍しく感じられるようだった。地球人である俺には皆目理解不能だが。

 リモコンを借りてポチポチと操作するパーセ。次々に切り替わるテレビ画面。

 幼い俺はなんとも微妙な顔をしている。

 アニメを観たいのにという気持ちと、こいつは何をしているんだろうという不思議がる気持ち。そもそもゲームコントローラーにだってボタンがたくさん付いていただろうに。いや、身の回りのあらゆるものにスイッチがある。

 だのに今更気づいたように「お、おぉー」と珍しく感嘆の声を上げている。

 俺は仕方がないので見守ることにした。

 パーセはテレビリモコンを弄んだのち、今度は壁にあるスイッチに気づいたようだ。照明のスイッチ。それをぱちぱちとするたびに、明るくなったり暗くなったりを繰り返すリビング。

 母親が見たら怒りそうだ。俺も苦い経験がある。

「そんなに面白いか」

「とてもとても面白い」

 おかしな奴だと思った。まあ宇宙人だし。

 なんの身にもならない夢だ。

 夢の中のはずなのに、俺はそう思った。


 日の出と共に起きて軽食を喫し、身支度を整える。

 一連の作業が早くも日常と化していた。しかし、眠たいのは変わらない。なんだか学校へ通うより早起きしている気がする。

 雑踏を掻き分け朝陽の輝く道を行き、ギルドへと向かう。

 そういえば受け取った報奨金の殆どは、パーセの異次元ポケットに収納してもらっている。ここには碌な預け先がないし、ヌシ討伐の報奨金はかなりの額だった。持ち歩くのは怖い。パーセに預けておくのが一番安全だろう。

 慣れたものだとギルドの門を叩く。

 はてさて今日は美味しい依頼にありつけるかしらん。でもどうせ昼時の購買のように、みんなして押し合いへし合いおしくらまんじゅうに勤しんでいるんだろう。

 そんな調子で辺りを見渡すと、なぜだか昨日同様の違和感があった。刺すような視線。なんだろう、と考える暇もなく、あっという間に周囲に人だかりができた。

 お世辞にもいい匂いとはいえない香りが鼻腔を満たす。しかし俺も人のことは言えない。そろそろ風呂に浸かりたい。髪もべとべとしているし。

「え、なに、なんスか」

 学校で怖い先輩にでも呼び出されたように、俺は狼狽して言った。

「俺たちのパーティーに入ってくれないか!」

 ガチガチの金属鎧に身を包んだ男が言った。面を被っているので顔はわからない。

「は、はあ……」いきなりだな。

「いやいや、こっちに入ってくれよ。こっちは先日人員が抜けちまったんだ」

「お前のところは弱すぎる。見合わないだろう」

「そこの二人は置いておいて、私たちのところへ来ない?歓迎するわよ」

 それ以外にもごちゃごちゃとした情報がひっきりなしに耳へと入ってくる。

「……あ、なるほど」

つと悟る。

 ヌシの件が知れ渡ったんだ。これまで見向きもされなかったのに、これでもかというくらいの手のひら返しである。

SNSもないのにいったいどんな情報網だろう。

「僕たち大人気だね。またトラブル?」とパーセ。

「または余計だ。とりあえず逃げよう」

「わかった」

 パーセの腕を取り、鈴なりを掻き分けようとしたところでパンパン、と手を叩く音がした。途端に人波が二つに割れる。

 現れたのはギルド長だ。その後ろにはフェトナさんが控えていた。

「こんなところで集まるな。邪魔だろう」

 周囲を鷹のような瞳で睨みつけるのだけど、さすがは肉体派の荒くれもの共というか、効き目の程は左程ない。ただ、俺たちへの勧誘の声は止まる。

ギルド長の陰に隠れるようにして立っていたフェトナさんは、ちょいと顔を出して「だから言ったでしょ?」とでも言うように意地の悪い顔で笑う。

本当に、彼女の言う通りだ。もしかしたらギルド長も彼女が連れてきてくれたのかもしれない。ただの野次馬の可能性もあるが。

「きょ、今日は日が悪いようなので改めます。失礼しましたー」

 今のうちにとパーセを連れ出してギルドから逃げ出す。

さすがに、ギルドの外にまで追ってくる者はいなかった。  


「予想外だった。いや、予想はできたんだろうが、俺の見通しが悪かった。あそこまで早く話が広がるなんてなあ。ネットもないのに」

「シュウのせいじゃないよ。僕に至っては、何も考えていなかったから」

 いつもの起伏のない声でそう言うと、サンドイッチを頬張る。その様を眺めながら、俺は「これからは少しくらいは考えてもらえると大変助かる……」と苦笑する。だって宇宙人だ。俺なんかより、ずっと頭は良いだろう。

 ギルドを後にした俺たちは町の中心にある広場に辿り着いた。そこでは様々な屋台が軒を連ね、その一角で売られていたサンドイッチにパーセが興味を惹かれたらしく、二人分買い求めたかたちだ。

 広場中央には噴水があり、それを囲うように朱塗りのベンチが設置されている。俺とパーセはそのひとつに腰かけた。広場では子供たちが駆けまわり、小鳥が地面の食べかすをついばんでいる。人足らしき男たちが何やらやぐらを組んだり飾りつけをしていた。

俺もサンドイッチを齧る。味はツナサンドに似ていた。おいしい。宿の朝食は固いパンと味のないスープが主なので、こっちの方がずっと上等だ。パーセもこころなし表情が緩い。

 とても平和な風景だった。

 今更ながら、何も危険に身を晒さずとも、この町のどこかでまっとうに働くという選択肢もあることを思い出す。

 そもそも様子見のつもりでギルドに登録しただけなのだ。昨日は不運にも危険な状況に身を投じることになってしまっただけである……自分から首を突っ込んだことは考えないでおく。

「今日はもう依頼を受けるのは無理そうだし、休みにするか。幸運にも蓄えはできたし、働きすぎて身体を壊しても面白くない」

「知ってる。過労死だね」

「まだ過労死するほど働いてはいないけどな。というか良く知ってるな、その言葉」

「カワイイも知ってるよ」

「宇宙レベルで知られているなんて、誇らしいんだか悲しんだかわからないな」

 まるで日本かぶれの外国人のようだ。

「お休みなら、今日は別行動にしようか。実はやりたいことがあって」

 突然の申し出だった。

 パーセのやりたいこと。気にはなるが、別行動の上でということだから、聞くだけ野暮だろう。誰にだってプライベートな時間は必要だ。

 俺は二つ返事で首肯した。

「でも大丈夫か。スマホもない世界で一度離れ離れになってしまったら、互いを探すのにも苦労するだろう。特にパーセはこの世界の文字も言葉もわからないんだ、迷子にでもなったら大変じゃないか?」

 通信機器でもあればそのあたり楽だろうが……いや、持ってるんじゃね?

 それを尋ねようとする前に、パーセが口を開く。 

「大丈夫、以前ペンダントを渡したでしょ。あれには発信機の機能もあるから。僕の方からいつでもシュウの位置を確認できるよ」

「パーセのガジェットは本当に便利だなあ。そうか、こいつを付けていると位置情報がバレバレなのか。ふむふむ」

 これ、日本だったら迷惑防止条例に引っかかるんじゃなかろうか……まあいい。探られて痛い腹は今のところないし。

「一応夕方になったら宿に集合ということにしておこう。日が暮れても俺が帰らなかったら、何かトラブルに巻き込まれたと思って迎えに来てくれると嬉しい。パーセのほうは……特に安全面で問題はないか。規格外のガジェットを持っているし」と一人納得する。

「そう、それでシュウにこれをあげようと思って」

 言いながら異次元ポケットを開き、中から全長四十センチほどの長物を取り出す。鞘があり、直感的に刃物だと理解した。

 受け取った俺は、試しに鞘から抜いてみる。短剣というには短く、ナイフにしては刃渡りが長い。刀身が微かにエメラルドグリーンに発光している。柄は白磁のような質感だった。

「これは地球で言うカッターとか鋏とか、そういう類の道具。昔、地球で言う……図画工作?なんかで使っていたんだ」

「図画工作……」

 とても懐かしい響きだ。パーセが幼少期に使っていたということか。

「どうしてこれを俺に?」

「シュウの持っている剣、あんまり切れ味が良くなさそうだったから」

 たしかに昨日、護衛のいとまに木々で試し切りをしてみたところ、剣技を習得したとはいえ真っ二つとは程遠かった。当たり前といえば当たり前だ。そもそも幹を切断するのに斧でも何十回と腕を振り下ろさないといけないのだから。腰の剣がなまくらというわけじゃない、はず。一応神様に貰ったものだし。

「これなら鋼鉄でもバターみたいに切れるよ。たぶん、この世界のものなら切れないものはないと思う。いる?」

「いる!」

 俺は即答した。貰わぬ理由がない。


 扱い方を教わった俺はパーセと別れた。

 数日ぶりの自由時間だ、有意義に使わなければ。ぐん、と太陽に向かって伸びをする。

 俺は手始めに服屋を巡った。

 替えの着替えをひとつも持っていないし、数日間着っぱなしだ。土埃で汚れてもいる。

 何件か回り手ごろなモノを揃える。パーセの分もと一瞬頭を過ぎったが、好みもあるだろうし、男女どちらのものを買えばいいのかもわからない。それについては今度一緒に見て回ることにする。

 買い物を終えた俺が次の目的地と定めたのが公衆浴場だ。

 服屋で場所を聞いておいた。

 衣服同様身体もかなり汚れているし、髪に至ってはべたべただ。自分でも臭う。現代人としてはあるまじき状態だ。

 この町には二つの公衆浴場があるらしい。

 ひとつは庶民向けの公衆浴場。もうひとつが利用料が宿代よりも高い、上級国民向けの公衆浴場だ。

 俺は高い方を選んだ。懐が潤っているんだ、これくらいの贅沢は許されるはず。

 件の公衆浴場は白い石造りの外観で、ハンガリーのゲッレールト温泉を一回りも二回りも小さくしたような建物だった。大きさ自体は地元の利用料数百円の銭湯ほど。

 入湯料を払い入館。脱衣場で衣服を脱ぎ捨て浴場へと向かう。

 浴場に一歩踏み出すと、懐かしきむわっとした湿気が全身を撫でた。高いだけあって人気もなく、全体的に清潔だ。床もぬめっていない。手前に身体を洗うのに使いそうな石積みがあり、その奥に湯舟が確認できた。

 勝手がわからないが、汚れたまま湯舟に浸かるのはここでもマナー違反だろう。とりあえずはと身体を流しに行く。

 石積みの横には巨大な甕があり、中には水がなみなみとあった。桶らしきものもある。それで身体を流す。

「うひゃあっ」

冷たい。普通に水だ。そりゃそうか。

手前には茶色い石鹸らしきものがひとつだけ置いてある。シャンプーやコンディショナーの類は当然のように見当たらない。これひとつですべての役をこなすというわけか。

それを泡立て髪や体を丁寧に洗い、再び冷水を浴びる。なんだか滝行でもしている気分になった。

 ぶるぶると身を震わせながら湯舟に浸かると、そこでやっと人心地つく。

「あ、ああ……」

 肺の空気が一気に押し出される。湯気が立ち昇る。さすがに湯舟は温かい。気持ち少しぬるいくらいだろうか。どこからかハーブの香りが漂ってくる。

 やっぱりお風呂って素晴らしいな。数日ぶりの風呂に四肢が弛緩して、指先がじんじんとする。

改めて見る内装も西洋風だ。御影石らしきものがあるくらいしかわからないが。切り出した白色の石が薄っすらと光っている。

湯舟も決して大きくはない。十人も入ればかなり手狭になりそうだ。だがしかし、心地良さはひとしおだ。やっぱりお風呂って素晴らしい。日本人で良かった。

そうやって一人ぼんやりとしていると、湯煙の向こうから一人やってきて、ぽちゃりと湯舟に沈む。

 どうやらもう一人客がいたようだ。中年の、腹のでっぱった恰幅の良い男だ。髪も髭も金髪で、垂れ目の柔和な顔をしていたが、どことなく威厳めいたものがある。

 そんなことを薄ぼんやりと考えていると、「もし」と声をかけられる。

「はい」

「こんな昼間からここへいらっしゃるなんて、珍しいですな」

 世間話だろうか。話好きなのかもしれない。

 普段なら見知らぬ大人との会話は歓迎しないが、風呂の効能なのか、今は悪い気がしなかった。

「暇をもてあましておりまして、それでここに来ました」まさか自分自身が臭かったから、とは言えない。

「お若いのに豪勢ですな。まさか貴族様とか?」

「いえいえ、そんなたいそうな者じゃないですよ。湯に浸かりたいと思い立ち、町の人に聞いてみるとこの町には二つの施設があると言います。それでこちらに来てみただけですよ。綺麗な方が良かったので」

「正解ですな。私もよくこの町にやって参りますが、あちらは湯自体も垢などでかなり濁っていると聞き及びますからな」

 なんとまあ。高い金を出して損はなかったか。 

「申し遅れました。私はトッテムと申します。商いをやっておりまして、各国、各町にこうしてお邪魔することもしばし。今はこの町で部下たちを走らせて、その間にこうして日々の疲れを落としているところでございます。失礼ですが、そちらは」

「シュウと言います。職業は──」

 言いかけて、淀む。

 俺はいったい何者なのだろう?

 高校生は廃業した。死人?特に冒険した覚えもないので冒険者ではないだろう。一番近しいのは日雇い労働者か……申し訳ないことに聞こえが悪そうだ。なら……。

「ふ、フリーターですかね」

 言ってから、失敗したと思う。日雇い労働者とあんまり変わっていない気がするぞ。

 皆があくせく働いている昼間からこんなところに入り浸るフリーター。とっても……とてもダメ人間の気配がする。

けれど「フリーター?」と頭にハテナマークを浮かべるトッテムさん。

「申し訳ありません。それはどういった職なのでしょうか」

「自由業……と言いますか、ひとつのことに囚われず、様々な専門的役割を様々なかたちでまっとうする職、でしょうか。すみません、遥か遠くの祖国の言葉でして」

「ほほう、シュウさんは長旅をしてきたのですね。となればやはり、祖国ではかなりの身分だったのでしょう。それもかなりの才をお持ちと見える」

「そんなことありませんよ。今日ここへ来たのだって半分は気まぐれというか、気分転換ですし」

「一般庶民は、とてもじゃないですが気まぐれでここへは来られませんよ」

 そうなのか。思った以上にこの町の生活水準は低いらしい。つまりトッテムさんは俺をかなりの高給取り、それを稼ぐだけの才があると勘違いしているのだ。まあこの場ばかりの関係だ、勘違いされても問題ない。

「お話を聞く限り、この町には最近おいでで?」

「数日前に到着したばかりです。右も左もわからないので、なかなかに大変ですよ」

「それはそれは。私ならば何かとお力になれるのではないかと存じます。こう見えて顔は広いのですぞ」

 俺は昇り立つ湯気をしばし眺めながら思案した。喫緊の問題は……。

「……であれば、ひとつ聞きたいことがあります」

「はい、なんでしょうか」

「大声ではなんなので、耳をお借りできますか」

といっても、俺たちの他には誰もいないのだが。

トッテムさんは特に嫌がることもなく身体を寄せてくる。

 耳打ちを終えると、トッテムさんは悪い顔になった。下卑た笑み、とでもいうのだろうか。

「なるほどなるほど。問題ありません。このトッテム、そちらの方面にも詳しいゆえ」

「助かります」

 ぐふふという女性からは嫌われそうな微笑みが、今は何より頼もしい。

「ではこちらも耳を拝借」

「……なるほどなるほど。大変参考になります」

「いえいえ、もし今後機会があれば、ぜひとも感想をお聞かせいただければ」

 男二人、湯舟のなかで肩を揺らして笑う。

 話のわかるおじさんで良かった。

 こういう人だからこそ、きっと商いでも成功できるのだろう。


 もう少し長湯をするというトッテムさんに挨拶をして先に上がる。トッテムさんには「ご武運を」という言葉を頂いた。

 ドライヤーの類は当然ないので、ごわごわとしたタオルで髪と身体の水分を拭きとる。先程買ってきた衣服に袖を通せばかなりさっぱりとした気分になった。やはり人間、清潔なのが一番だ。

 朗らかな気分で施設を出、トッテムさんに聞いた店へと足を向ける。

 曰く、トッテムさんの名を出せば良い思いができるそうだ。

 石畳の街道を歩いていたときだ。

「あ」

「あ……」

 右手の家屋の前に樽があった。その上にちょこんと座るのは、最近おなじみとなった人だ。

「……また待ち伏せですか?」

「そう見えますか?」

 フェトナさんは膝に風呂敷を広げ、固そうなパンをその小動物のような口で齧っている。

「仕事が一段落したので遅いお昼ご飯です。今朝は大変でしたね」と意地の悪い笑みを浮かべる。

「まさかフェトナさんが情報を流したとか」

「私が、自分が不利になるようなことをすると思いますか?ギルドに所属するような人にとって、情報は何より重要です。自分の身を守るためにも、美味しい話にありつくためにも。他より先んじるため、みんな耳聡いんです。私が昨日先回りしたのだって、こうなることがわかっていたからですよ」

 言われてみれば。

 情報化社会と言われるほど元の世界でも情報は重要視されていた。

「今朝だって騒ぎを治めるためにギルド長を呼んできてあげたんですよ。ああしなきゃ延々お二人は勧誘に四苦八苦することになっていました。だからもっと私に感謝してくれてもいいと思うんですよー」

「他のパーティーに靡かれても困るからじゃないですか」

 つまりはお為ごかし。

 フェトナさんはくすりと笑う。

「ははは、ちょっと前までは良いとこのボンボンって感じだったのに、成長しましたねえ」

 褒められているのだろうか。ただ単純に、相手がフェトナさんだから、というのも大きい。ただの善意では動かないだろう、この人は。

 さて。

 俺にはこれから重要な予定があるし、あんまり道草を食ってはいられない。そろそろこの場を離れよう。

「それではまた」

「あ、ちなみに色街はまだ開いていないですよ」

「え、そうなんですか⁉」

 反射的に口元を押さえる。完全にやらかした。案の定、フェトナさんはジト目をくれる。

「へえー……女遊びですかあ。あっちには色街しかありませんし、パーセさんを連れていませんからもしかしてとは思いましたが。ちなみにああいったお店が開くのは普通日が暮れてからですよ」

色街。つまりは風俗街だ。

 俺も健全な男子だ。色々と溜まっているのを発散したかった。ここには元の世界のような法律もなさそうだし。幸いパーセも別行動で、太客らしきトッテムさんの助言もあったとなれば行かない選択肢がなかった。

 なぜだか首元を冷汗が伝う。

 最大の誤算はここでフェトナさんと出逢ってしまったことだ。

「まあ?英雄色を好むと言いますし、良いと思いますよ?私の誘いを断っておいてというのが気に食わないですが。それに見た目もさっぱりしちゃって」

 それはたまたまです、と言える雰囲気ではなかった。

 しかし、女性の敵でも見るような視線はすぐに消えて、代わりに聖母のような微笑みが面に表れる。

「でも私は寛大なので気にしません。それに丁度良かったじゃないですかあ。シュウさんは色々と発散したいけど、お店はやっていない。そんなときに私と出逢えたんですから」

 妙案を思いついたというように、ぱちんと手を打つ。

 その意味するところはさすがに鈍感な俺でもわかる。

「い、いや、これから仕事があるんじゃないですか?」

「どちらの方がより私に得が大きいかという話です」

 多少殴られたとてお釣りがくるという算段か。

「それに、どうせ昨晩は私の誘いを断ったことを後悔したんでしょう」

「ぐぅっ」

 バレている。

「昨日は言いませんでしたが、私の黒髪は、この辺りじゃ珍しいんですよ。シュウさんとおんなじです。懐かしい故郷の女性たちに似ているでしょう、こういうのって燃えませんか?」と自らの少し栗色がかった黒髪を弄ぶ。ただ生憎と燃えはしなかった。つい先日までは腐るほど見て来たし。どちらかといえば同族意識の方が強い。

「思い立ったが吉日です。休憩できるところがあるので、そこへ行きましょう」

「ちょ、ちょっと。勝手に話を進めないでくださいよ」

「あ、もしかして野外の方が好みですか?であればそこに丁度良い裏路地がありますよ」

 ぴょんと樽から飛び降りて俺の手を取り、半ば無理矢理に連れていこうとする。

 ただ、さすがに俺の方が力が強い。簡単に手を振り払うことができた。

「行きませんよ」

 強く否定する。

 フェトナさんは振り払われた腕を後ろで組む。ここに至ってもその整ったあどけない顔には微笑みが張り付いている。

「どーしてもですか?」

「どうしてもです」

「私のどこが嫌なんでしょう?生意気なのが気に障るのなら、従順にだってなれます」

「……」

 フェトナさんは本気だ。……いや、それも少し違うか。正しくはたぶん、焦っている。

「後ろ盾が欲しいのなら、わざわざ俺に身体を売らなくても力にはなれると思います」

 もちろんパーセにも相談しないといけないが。

 他人本位だが、俺とパーセはこの世界でかなり優位な立場にある。昨日の件だけでも実証は十分だし、目の前にいる人が何よりの証明な気がした。

 自分の安全を確保するために虎の威を借りる。その虎になるくらいなら、大した負担にはならないだろう。いたずらに利用するほどフェトナさんは愚かじゃない。

「馬鹿にしないでもらえます?」

 はっとして見ると、フェトナさんの笑顔が崩れている。吊り上がった細い眉、暖かみの消えた頬。

この世界に多くある、世を拗ねた瞳。

 本気で怒っているのだと直感で理解する。

「私が貴族の妾の娘というのは話しましたよね。今はこんなんですが、これでもプライドがあります。私が望むのは対等な関係です。施されるだけの関係なんて、そんなの乞食と一緒じゃないですか」

「……すみません。俺が浅はかでした」

 互いの間に気まずい空気が流れる。

通りすがる人達には、きっと痴話げんかか何かだと勘違いされたことだろう。

 フェトナさんが、長い長い溜息を吐く。

「はー、私もまだまだお子ちゃまですね。この程度で心を乱すなんて。もう挽回の目もないでしょうし、諦めます。しつこくしてしまってすみません」

 ぺこりと頭を下げて立ち去ろうとする彼女を、俺は引き留めた。

「待ってください。なら……俺と友達になりませんか?」

「はあ?」

 意味がわからない、というように顔を歪める。

「フェトナさんが望むのはギブアンドテイクな関係なんでしょう。一方的ではなく、互いに益のある互恵関係。でも、それだけに固執しなくたって良いじゃないですか」

「その代わりの関係が、友達関係だと?」

「俺は友達が困っていたら助けますよ。これは当たり前のことです。それに、知っての通りこっちへ来てまだ日が浅いんです。友達もパーセしかいません。だからフェトナさんが友達になってくれると、俺としてはとてもありがたいんです」

 これは本心だ。この世界で一番話した相手なのは間違いないし、人となりも知れている。しかも可愛い。ならない理由がない。

 今度はこちらから手を差し出す。思えば二度目だ。先日は、すげなく叩かれてしまった。

フェトナさんはその差し出された手を、いつかのようにじっと見つめた。怪しんでいるといよりは、やはり戸惑っているようだった。

「今度こそ、この手を取ってはもらえませんか」

「友達になろうなんて、生まれて初めて言われました」

「奇遇ですね、俺も初めて言いましたよ」

 恥ずかしくて心臓バクバクだし、背中にも汗を掻いている。しかも相手は女子だ。告白する人はきっとこの何倍も恥ずかしい気持ちを覚えながら、その思いの丈を伝えているのだ。まったく尊敬に値する。

「……まあ、まずはお友達からというのもアリかもしれませんね」

「え」

「なにか?」

「いえ、こちらの話です」

 故郷の通俗からすると、その台詞はなんとも歯痒いものがある。

 フェトナさんは手を出したり引っ込めたりを繰り返したあと後、最後にはおっかなびっくりという風情で俺の手を取った。

 少女の手はやはりとても小さく、頼りない。けれど彼女は賢明にものを考え生きている。改めて立派な人だと思った。性格に少し、いやかなり難があるが。

「こ、これからもよろしくお願いします」

「なんでここで照れるんですか」

「こういうの慣れていないんですよ。純朴なんです」

「自分で言いますか」

 最後に女の子と手を繋いだのなんて、それこそ小学生の遠足が最後じゃないだろうか。我ながら人生経験が浅い。でも高校生なら普通だろう、たぶん、おそらく。

「まさか私の誘いを断ったのも、深慮の結果ではなく単純に手を出す勇気がなかったから、とか言わないですよね」

「半分半分、ですかね。ははっ」

 誤魔化すようにして笑い、その場を締める。


 フェトナさんは仕事に戻った。

 色街はまだ開いていないというし、なんとなく達成感に浸りたかった俺は、踵を返して町を散策することにした。

 それほど大きな町ではないが、屋台や商店は数多くあり、活気があった。軒先にはフェトナさんくらいの子供が店番をしていたり、かと思えば道端で遊んでいる様子も散見できた。家庭によって様々みたいだ。

 吹き抜ける風が心地好い。

 大荷物を積んだ荷馬車とすれ違う。

 ちょっとした広場では、小鳥に餌をやる老人の姿があった。

 ペットショップらしき店では、見たことのない小動物が籠に入れられて飾られていた。リスに似た何かがちょっとだけ欲しくなる。

 石畳の道を歩いていた時だ。

「ちょいとそこのお兄さん」と声をかけられる。

 見ると建物の陰に老婆の姿があった。テントのような簡素な天幕に、組み立て式のテーブルとイス。手前には立て看板。

 占い、と読めた。

「占いですか」

「さようでございます」

 こっちの世界にも占いがあるようだ。魔法がある世界だ、占いの方もなんとなく元の世界よりよく当たりそうな気がする。

「ひとつどうだい?安くしておくよ」

 今日は散財デーと決めている。それに少しばかり興味があった。元の世界でも本業の占い師に占ってもらったことはないし。たぶん、そういうお店は子供を相手にしてくれないだろう。

 占い師の対面に座る。

 赤を基調としたエスニックなテーブルクロス。その上に水晶玉らしきものが、若紫の布に包まれるようにしてあった。道具は元の世界と変わらないらしい。この部分だけ雰囲気がある。

「お願いします」

「では、何から占いましょうかねえ」

「詳しくは知らないので、これまでのこととか、これからのこととかを占えますか」

 少なくとも過去を言い当てられるなら、能力は確かだ。

 老婆は「よしきた」と膝を打った。なんだか気合が入ったようだ。

 うむむと唸りながら手前の宝玉に集中する。と思っていたら、普通に話しかけてきた。

「最近は愛だの恋だのを占ってくれという若者が多くて困ります。王都でその手の筋が流行っているようですな。やりがいがないったらありゃしない。何が楽しくて他人の恋愛相談に乗らにゃいかんのですか」

 鬱憤が溜まっているようで、その辺りの事情は元の世界と大差ないようだ。

「恋愛関係は占い甲斐がないですか」

「ないわけではないですが、後に恋愛相談が絶対についてきますから。しかもそんなクズ男と別れろと言っても聞きゃあしません……おぉ、おお」

 何か見えたようだ。

「何も見えない……?」

「見えなかったですか……」

「霧がかかったように何も見透せませぬ。しかし直近では何か大きな魚を逃したようで?」

「あー、そうですね。特大の魚を逃がしたかもしれません」

 童貞を捨てる千載一遇のチャンスだったかもしれないのに……。

 とにかく過去視は終わった。次は未来だ。

「未来は確定した過去とは違い定まっておりませんので、何卒ご了承を。私の言葉で未来が変わる可能性も大いにあります」

「そりゃあ占いですから、当たるも八卦、当たらぬも八卦じゃないですか」

 こっちだって唯々諾々と本気にするつもりはない。

 だが占い師曰く、基本的に未来も過去同様定まっているらしく、万物は決まった道をただひたすらに進むだけのものらしい。もちろん人も例外じゃない。以前ネットで知ったラプラスの悪魔のような考え方だ。

 しかし占い師の一言によってその道が逸れる、または分岐して、未来が変わることがある。だからまともな占い師は未来を占うとき、この文句を忘れないそうだ。そういう宗教観なのかもしれない。

 先程同様うむむと唸る占い師。眉間に皺が寄っている。

「……これはなんとも説明しがたいですが、天から眩い光が地上へと降り注いでいる光景が見えます。とても眩い光です。その場にあなたや他の方もいるようです」

「なるほど……つまりそれの意味するところは」

「わかりません」

 わからんのかい!

 クラスメイトのなんちゃって手相の方がまだそれらしいことを語っていたぞ。

 これはハズレを引いてしまったかもしれない。と、そんな心情を気取られたらしい。慌てたように説明を加える。

「いえいえこれはとても珍しいことなんですよ。普段はもっと見えますし、お客さんが変わっているのです。あんな光景初めてでした。もしや数奇な運命を辿っているのでは?」

 数奇といえば数奇かもしれない。異世界人相手じゃ勝手が違うのだろうか。

 代金を支払おうとしたが相手は固辞した。この不出来で代金は受け取れないという。プロのプライドだろうか。悪徳業者かと思ったが、普段は本当に見えるのかもしれない。

 そして去り際、今度は薄い木札を何枚か手渡される。

「これは?」

「町の商店で配っている福引券でございます。五枚で一回、今お渡ししたのが五枚なので、丁度一回引くことが可能です。せめてものお詫びと思っていただければ」

 おぉ、福引か。ありがたく頂戴する。

「どこで引けるんでしょうか」

「明日からのお祭りで。町の中央広場に会場を設営中なはずです。今年は二日間の開催と聞いております」

「ああ」

 そういえば昨日も飾りつけをしている人たちを見かけた気がする。

「お祭りですか……それは興味深いですね。祖国でもいろいろなお祭りがありましたし、お祭り騒ぎが大好きな民族でしたので」

「そう大きいわけでもない町ですが、規模としては近隣の村々と比べれば、やはり例年盛り上がります。普段とは異なり夜中まで其処此処に灯りが燈り、その期間中は子供も夜に外へと出ます。今年は音楽隊の演奏もあるというので、なお一等でしょう」

 これは期待の高まることを聞いた。

 たこ焼きも風船も綿菓子も林檎飴もないだろうが、明日は依頼を早めに終わらせて、パーセと巡るのも楽しいかもしれない。


 宿に戻るとすでにパーセの姿があった。

 宿の一階、受付の傍に簡易的な食事処がある。そのスペースで一人、灯火の小さな光に揺られながら、酒を煽っていた。グラスが何杯か転がっている。酒の匂いもあった。けれど宇宙人はアルコールに対して高い耐性があるらしく、フードから覗く白い肌にはなんら変わりはない。

「シュウ、お帰り。遅かったね」

「ごめん、待たせたか」

「御覧の通りだから大丈夫」

 と眼下を指し示す。

パーセも無事おひとり様を楽しめたようだ。良かった良かった。と思っていたら。

「ちょっとあんた!」

「え、なんでしょう」

 店主の恰幅の良い女性がどたどたとやってくる。

「そこの異人さん、あんたの連れだろう。酒の注文は指差しでわかったけど、代金のやり取りがわからないらしくて、まだなんだよ。あんたが支払っとくれ」

「す、すみません。わかりました」

 提示された金額を支払う。ついでといってはなんだが、パーセも食事はまだというので軽食も頼み、宿の一角で夕食にした。

 俺たちが連泊している間、宿には他の客を殆ど見かけなかった。しかし今日に限っては次々と新たな客がやってくる。食事の片手間に耳をそばだててみると、どうやら近隣の村々からやってくる人が多いようだ。女将さんも忙しなく働いている。

「そうか、明日からお祭りだからか」

「お祭り?」

「今日聞いたんだけどさ、明日からこの町でお祭りが開催されるみたいだ。何の祭りかまでは知らないが。って、お祭りってわかるか?」

「意味としては知ってるよ」

 つまり体験したことはないと。

 俺は祭りのなんたるかをパーセに説明した。この世界の祭りに関しては無知も良いところなので、日本の縁日の祭りや、それ以外のイベントめいたものを体験談を交えて話す。

 パーセは屋台で売られる品々と、一種異様な、普段とは異なる祭りの雰囲気に興味を覚えたようだ。

 俺も色んな祭りに行ったことがあるが、どれも独特の趣きがあった。変にエネルギーに満ちていたり、厳かであったり、きらきらと輝いていたり。

「シュウは祭り好き?」

「嫌いな人はあんまりいないんじゃないか」

「じゃあ、明日依頼が終わったら見て回ろうか」

「そう言ってもらえるとありがたい。俺も同じことを言おうと思っていた。最悪一人で回ることも考えたが、孤独感に苛まれそうだしな……」

 お祭りを一人で回るというのは今の俺にはレベルが高すぎる。それに単純な話、誰かがいた方が楽しいだろう。 

「そういえばパーセ、今日のおひとりさまはどうだったんだ?秘密なら全然言わなくていいけどさ」

「実はひとつ面白いものがあって」

 にんまりとして、そこで言葉を切る。

 パーセにしてはもったいぶってくる。母親に自分の宝物をひけらかそうとする子供のようだ。

「それを見せてくれると」

「でも、お祭りってめでたいことなんだよね?」

「基本的にはそんな気がするな。収穫祭とか」

「だったら、明日の、おめでたい時に話すよ」

「わかった。心待ちにしているよ」

 これで楽しみがひとつ増えたな。

 食後にだべっている間にも、また一人家族連れが宿を求めてやってくる。祭りの方もかなり期待ができそうだ。

 次の日、あんなことになるとも知らずに。


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