二つ目の仕事(けっこうな大仕事)
道中の屋台で肉串を買い求め、早朝の澄んだ空気の中を歩く。
何事も身体が資本だ。どんな時でも朝食だけは抜くなと育てられてきた。ちなみに宿での問いに対する解であるが、どうやらパーセには思春期というものが理解できないそうだ。宇宙人にはそういった機能がないらしい。
羨ましい反面、この胸の高鳴りを覚えることがないというのは寂しく感じられる。
昨日同様、朝のギルドは人波でごった返していた。
種種雑多な依頼の張られたボードには大勢の人間やら亜人やらが鈴なりとなって、我先にと目ぼしい依頼を、目を血走らせて選んでいる。
どうやら依頼は早い者勝ちのようだ。誰がどの依頼を受けるかで気勢があがっている。なんなら罵倒のし合い、互いの胸ぐらを掴み合うくらいは普通にやっていてびっくりだ。順番を守って行儀よくなんて観念は微塵もなさそう……。
あれの中に突入するのは相当に勇気が必用だろう。そして、俺にはそれがない。
だから遠巻きに荒々しい方々が去っていくのを待ちぼうける。
体格の良い男が揚々と依頼の紙を受付へと持っていく。ひ弱そうな男が鈴なりから弾き出されて尻もちをつく。
弱肉強食。世の中世知辛い。
「あの中に入っていかないんですかー?」
いつのまにフェトナさんが隣に立っていた。
「お、おはようございます」
「おはようございます」
「あんな剛腕たちの中に入ったら押しつぶされてしまいますよ」
「あの剛腕たちの中に入っていかないと、美味しいお仕事は受けられませんよ?」
「遠目で見たところ単価が高くて人気なのは討伐系ですから、今のところ俺たちには関係がありません」
「珍しいです。ギルドに所属する理由は様々ですが、木こりや農夫で終わってたまるかと剣を取る血気盛んな方も多いですから」
「安全第一。故郷の格言です」
なんなら装具にさえ書いてあるレベルだ。ヘルメットとか。
「へえ。故郷はどちらなんですか」
「とても遠いところです。それに、どれだけ願ってももう二度とその地を踏むことは叶いません」
俺としては異世界であることを迂遠に表現したつもりだった。しかし。
「はあ、滅亡でもしたんですか。大変ですね」
なるほど、そっちに取られるのか。それにしてはクソどうでもよさそうな反応だ。同情心の欠片もない。
「後ろのフードを被った無口な方も?」
「同郷といえば同郷ですね」
同じ宇宙に住まう者と考えれば。
「それで、こんなところで油を売っていていいんですか。昨日の男の人に怒られたりとか」
「新規加入者がいないと新人は暇なんですよ。つまらないですね」
「虐める相手がいなくて暇というわけですか」
「あっははー、それはもうやめましたって。おしおきされるのは勘弁です」
ケタケタと笑うフェトナさん。明らかに悪女の匂いがする。小学生のときこんな嗜虐的な女子がいたことをふと思い出した。その女子は気に入らない人間に後ろの席から消しゴムのカスを丸めて投げつけるような女子だった。そのくせ先生からの評価は高いというしたたかさがあり、皆目をつけられぬよう気を付けていた。フェトナさんに至ってはおしおきされてもめげる様子がない。その精神には脱帽だ。非常にありがたくない話だが。
そんなこんなで無駄話に花を咲かせていると、鈴なりは段々と減少し、やがては数える程度となった。
皆思い思いの依頼を見つけ旅立ったようだ。
俺とパーセは依頼のかかったボードの前に移動して、さっそくと内容を吟味する。が、昨日のような旨味のある依頼は見当たらない。
見るからに危険そうで高額報酬の依頼。
ペットの散歩という子供の駄賃くらいしか報酬のない依頼。誰だこんなクソみたいな依頼を出したのは。
今の二つは両極端だが、その中間も大したものは残っていない。残り物に福はないようだ。
「良ければまた私が選んであげましょうか」
この人は何を言っているのだろう。昨日の今日でこの人に選定を任せたら俺はただのバカ者じゃないか。
「私だって警戒感マックスな人を貶めたりしませんって」
「その台詞、警戒心が解かれたら再度貶めますって台詞にしか聞こえませんよ」
「警戒心強いなあ。そんなに疑ってばかりいたら相手からも信用を獲得できませんよ。ねえ、パーセさん?でしたっけ、こんなにも疑われてばかりだとウンザリしませんか?」
話を振られたパーセであるが、当然彼女の言葉はわからない。
「彼女はなんて?」
「俺は心配性に過ぎるってさ」
「シュウのそれは病気って言ってたもんね。しようがないよ」
微妙に語弊がある気がする。
しかし、いつまでも迷っていては進まない。
俺はボードに鋲で打たれた依頼のひとつを引き剝がすと、そのまま受付嬢のところまで持っていく。
「わー、これはまた守りに入った依頼を受けましたね。面白みの欠片もない」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら横から依頼を盗み見たフェトナさんがせせら笑う。
「いいんですよこれで。背伸びして死んでしまったら今度こそ終わりなんですから」
「今度こそ?」と首をかしげるフェトナさん。
人生に二度目はない。ゲームとは違い、死んだらそれで終わりなのだ。どれだけ悔やんでもやり直しは聞かない。
……まあ、俺は二度目なわけだけども。
「いやあ、依頼を受けていただきありがとうございます。最近は魔獣の数が増えたか何かで、私みたいなただの薬師には森へ薬草採取に行くのも一苦労なんです。こうして護衛を頼まないとおちおち薬草採取にも出られません」
もうすぐ老年に突入しそうな男が地面と睨めっこしながら言う。
俺たちが受けた依頼は薬草採取の護衛というものだった。
報酬は安めであるが、護衛対象に危機がなければただ飯が食える。悪くはないはずだ。場所も昨日と同じ森の中という具合。
森は変わらず鬱蒼と茂り、僅かな木漏れ日が辺りを照らすばかりで全体的に薄暗く、じめじめとしている。
俺とパーセはそれとなく周囲に気を配りながら、しゃがみ込む男の背中を眺めていた。
ところで魔獣とは何だろう?とりあえずは恐ろしそうな響きがあるが、しかしここで尋ねたら信用を落としそうだ。え、魔獣も知らないんですか?とんだ田舎者ですね、とか。あとでフェトナさんにでも聞いてみようと思う。ただただ当座は魔獣とやらに出逢わぬよう願うばかり。絶対に厄介な存在だろう。
話好きなのか男は他の話題を持ってくる。
「そういえば町を挟んでの反対側は、もっと大変らしいですね。なんでも野盗共が古城に巣食っているとかなんとか」
「へえ、それは初耳です」
なにせこちらは先日こちらへ来たばかり。地域の情報どころか一般常識さえわからない。
男が言うに、町の反対側の出口から抜けた先に、この国の昔の貴族様がこしらえた城があるらしい。城といっても王都にあるような仰々しいものではないそうだ。しかし時代が移ろい風化して、今は誰の手入れも入らない廃墟と化していた。それを盗賊団がねぐらとし、周囲の森や街道で悪さを働いているのだという。さらには規模も大きく現状では打つ手なし、王国から軍を派遣してもらうより他無いとのことだ。
「パーセ、町の反対側に城があるらしいんだけどさ、上空から見えるか?」
木の根に腰を下ろしていたパーセの瞳が、暫しの間虚ろになる。
「……あるね。お城というより豪奢な家屋って感じだけど。蔦も絡まっている。人が何人かいるみたい。でも、それがどうしたの?」
俺と男の会話内容がわからないパーセが尋ねてくる。
「盗賊団が巣食っているんだとさ。恐ろしいから近づかないようにしよう。君子危うきに近寄らずだ」
「盗賊団っていうのは、悪者?」
「悪者だなあ」
「ふうん、ならレーザービームで城ごと消滅させる?」
レーザービームとは、えらく先進的なワードが出て来たな。宇宙船の装備だろうか。
「……とりあえず、今は照準を合わせておくくらいでいいんじゃないか?見てみたい気もするけどさ」
「わかった。発射したい時は言ってね」
物騒なことを言う宇宙人だ。しかも引鉄は俺の合図らしい。
午前中はそのようにして、特に何が起こる事もなく過ごした。とても素晴らしいことだと思う。このまま当たり障りのない一日が終わることを切に願った。
「なんてそう上手くはいかないか……」
陽が頂点を過ぎて傾きだしたころ。
森の中に地響きのような音が木霊した。森全体がざわめき立つ。獣が騒ぎ出し、見たことのない鳥が一斉に飛び立った。まるで大地震の前触れのようだ。
「嫌な予感がバリバリする」
「何かの鳥獣の鳴き声かな」
「とてもそんな可愛らしい声には聞こえなかったけどなあ」
男も不安に顔を上げて、きょろきょろとしている。
「様子を探ろうよ」
どこかうずうずとした様子でパーセが言った。未知への探求心に溢れているようだ。なんとなくパーセの性格が把握されてきた。思い返せば小さい頃もそうだった……野犬に襲われた時も、逃げ惑う俺たちとは対照的にパーセは自ら近づいていたし。蛇を恐れない猿か。
「危なくないか。いや絶対に危ないだろう」
「様子を探りたいな」
提案が要望に変化したぞ。
「さっきの盗賊団のように空から確認できないか。声のした方角はわかっているし、どうだろうか」
「……とても大きな生き物が暴れているね」
「なら一刻も早くここを離れよう。こちらに来られたら堪らない」
「何人かで生き物を囲ってる……どうやら戦闘中みたい。今朝ギルドにいた人達だ。人類側が劣勢みたい」
「そうか」
「こういう場合、人類は助けに行くのが普通なんだよね?仁義とか、人道とか。地球で勉強したよ」
無機質な声。宇宙人のパーセのことだから、きっと他意はないんだろう。だが、だからこそ胸に突き刺さるものがある。
無感情な瞳が俺にどうするの?と問いかける。
俺は苦虫を嚙み潰したような顔をしていただろう。あああと髪を掻きむしる。
「くそ……そんな風に言われたら、行くしかないだろう。ただな、これは間違っても普通ではないから、ようく覚えておいてくれ!」
俺はなんて意思薄弱なんだ。
これで死んだら、パーセの枕元に化けて出でやる。
森を抜けるとそこは高さ五メートルほどの低い崖になっていた。
眼下では土埃が舞い上がり、あれは如何程だろう、シロナガスクジラくらいはありそうな超巨大な亀が地面を蠢いている。そう、まさに巨大亀だ。亀のわりに動きは俊敏で、まるで怪獣映画から抜け出してきたよう。尾には鉄球のような突起がついている。
その巨獣を囲うように五人ほどが大立ち回りを繰り広げていた。
大剣を振り回す大男と身軽な動きで巨獣の注意を惹きつける痩躯の男。距離を置いて弓矢や火球の魔法を放つ者もいた。
まさにファンタジーRPGゲームのような景色。
そしてパーセの言う通り人類側が劣勢のようで、弓も剣も魔法も深刻なダメージを与えられていない。甲羅は元より皮膚すら貫けていなかった。どの顔も必死の形相だ。
あんなの、俺が加勢したところで蟻が象に挑むようなものじゃないか。
「デカいなあ。てかデカすぎるだろう。さっき言ってたレーザービームって、あいつを倒せたりするか?」
「できるけど、他の人たちも巻き添えになるよ。というか、最小威力で放ってもこの辺り一体が消し飛ぶかな」
「怖っ。なら悪いんだが、昨日の虫取り網を貸してくれないか」
筋骨隆々な男の振り下ろす大剣すらあの岩のような肌は弾いている。腰の刀で挑むのは無謀が過ぎるだろう。
「うん、オーケー」とパーセは異次元ポケットから宇宙仕様の虫取り網を取り出す。
空間の裂け目から取り出されるそれに、横にいた男がぎょっとする。
「でも、さすがにあの巨体だと倒しきれないかも」
「まさに怪獣だもんなあ。まあやってみるしかない。ダメそうならすぐ逃げ帰ってくるからよろしく。わかっていると思うが、地球人の命は一つしかないんだ」
「シュウ、顔が引き攣っているよ。調子悪い?」
「男の顔が引き攣るのは、たいていはどうにもならない困難を前に強がっている時だ。これは地球では常識だから覚えておくといい。とはいえ、元の世界の常識だけどな」
「ある程度弱らせてくれたら僕がなんとかできるかも」
「……本当に?」
「シュウの故郷ではこういうとき大船に乗ったつもりでいて、というんだっけ」
「正解だ」
ならばここは宇宙人の言葉を信じよう。十二分にあてにさせてもらう。
「じゃあ行ってくる。せいぜい武運を祈っていてくれ」
比較的緩やかな斜面を滑るように降る。着地と同時に足がもつれて一回転。まったく締まらないな……。すぐに身を起こした俺は、視線を舞い上がる土埃へと向ける。
土埃の向こうに巨大な影がある。
圧倒的な臨場感。いや、これは紛れもない現実だった。思わず生唾を呑み込む。
巨獣が動くたびに、地面が揺れるようだった。
指を振るわせながら虫取り網を起動する。極僅かな電子音と共に本体が伸び、半月状の金属部分に紫電が奔る。
巨獣の足は近所の神社の御神木くらいに太かった。死角から近づいて虫取り網をその足に打ち当てると、巨獣は悲鳴のような咆哮を上げて身じろぎする。まるで子供がいやいやをするように。しかし押し当てた部分から蒸気と共に焦げ臭い匂いを僅かに発するだけで、効果はばつぐんとはいかないようだった。
それでも同じ個所に、俺は何度もそれを押し当てた。一度でダメでも繰り返せば深手を負わせられるかもしれない。石の上にもなんとやらだ。
ただ、これも上手くはいかなかった。巨獣が態勢を変えたと思った瞬間、背中にぞくりと怖気が奔る。神様から与えられたギフト、危機察知だ。
反射的に飛び退き身を屈めると、頭上を凶悪なトゲトゲ付きの尾が駆け抜けていく。俺はそのままごろごろと地面を転がって退避。あんなのを食らったらひとたまりもない。心臓がどきどきとしている。死ぬかと思った。
と、転がった先に大男がいた。果敢に大剣を掲げているが、呼吸は荒々しい。
「あ、誰だお前!」
「勝手ながら助太刀です!」
大男に叫び返す。
「邪魔だ!ガキにはどうにもならん!」
うるせえ。だったら大人だけでなんとかしておけよ、と心の中で毒づく。俺だってっやりたくてやっているわけじゃない。かくなる上は。
俺は虫取り網片手に大男から離れると、土煙の外に一度脱出した。首を巡らせると高台に目標を発見、一気にそこまで駆け上る。
「な、なんですかあなたは⁉」
巨獣に向かって攻撃魔法を打ち続けていた妙齢の女性が、突然の闖入者に驚く。こちらも大男同様疲労の色が窺えた。しかしそれはこちらも同じだ。一連の行動だけで随分と体力を持っていかれてしまった。温い生活に浸っていたせいだろう。これが運動部だったら違ったのだろうか。
「み、水魔法は使えますか」
「飲み水くらい自分で用意しなさいよ!馬鹿!」
「いやいや違いますって!疲れてはいますけど!」
どうやら勘違いされてしまったらしい。しかし酷い物言いだ。
「ひとつ考えがあります。大量でなくても威力がなくても良いので、途切れることなくあいつに水魔法で攻撃し続けられますか」
「無理ではないけれど……とてもダメージは与えられないわよ。全力で撃っても効いた様子がないし」
「問題ありません。勝算があります」
勝算、という言葉に彼女の眉根がぴくりと動く。
「じゃ、じゃあ」とキツルバミの杖を掲げる。彼女の頭上に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がり、その中央からまるで透明な水道管に水を通じたように、巨獣目がけて一直線に水が放出される。
それはものの一秒ほどで巨獣の甲羅へと降り注ぐ。彼女の言葉通りまるで威力はなく、ちろちろと巨体を滴るそれは、傍からみれば少しばかり滑稽な景色だったかもしれない。けれど俺からすれば上出来だ。途切れることなく水を供給することには成功した。
俺は力の限りに「みんな離れて!」と叫ぶ。
とはいえ殆ど人前に出たことのない高校生の叫声だ。如何程の声量があったかはわからない。なんなら自分の思うより小さかっただろう。もっとカラオケに行っておくんだった。
けれど前衛の戦士たちはそれを聞き取ってみせ、反射だろうか、皆一様に後ろへと飛び退いた。
虫取り網の切先で、放出される水に触れる。
ばちん、と破竹のような音がして紫電が水の中を奔った。
瞬く間にそれは巨獣へと到達し、巨獣の体躯が痺れたように小刻みに震える。無事感電したようだ。
先程は攻撃してもすぐに弾かれてしまった。が、これならどうだ。
この方法なら多少暴れられたところで問題はない。継続的に電撃を浴びせることができる。
痛みからか咆哮を上げる巨獣。けれど四肢は感電のためか大きくは動かせない。そのうちあの焦げ臭さがこちらまで漂ってくる。
これはいけるか……と思った矢先、「あのさ、私そろそろ限界なんだけど……」と隣で声が上がる。
女性の額から汗が滝のように流れていた。加えて杖を掲げる腕はプルプルと震え、はっはっとまるで犬のような息をしている。
どう考えても限界が近そうだ。
「も、もう少し粘れませんかね?」
「むりむりむりむり後十秒が限界!」
「ええ、もう一声!」
「だから限界だっつーの!」
恐らく十秒ではあの巨体を絶命せしめるには足りないだろう。
「パ、パーセは」
崖上のパーセと目が合う。宇宙人にこちらの窮地が伝わるだろうか。とにかく表情で訴える。
うん、とパーセが頷いた気がした。
再び異次元ポケットに手を差し入れて、何かを取り出す。
遠目で確認するに、それは手のひら大の箱だった。薄桜の淡い色合いに、糸のように細い光線が表面を駆け巡っている。
パーセが箱をかざすと、その四角の中央から赤い光線がまっすぐに巨獣へと伸びた。苦悶の顔を浮かべる巨獣。
唖然とする事態が起こった。
圧倒的存在感の塊だったそれが、まるで水をかけられた砂糖菓子のようにゆるゆると身体が崩れていき、空を漂いながらパーセの持つ箱の中へと吸い込まれていく。その有様は金角銀角の持つ紫金紅葫蘆……簡単にいえば西遊記に出てくるあの瓢箪のようだった。
一瞬のことにも、十秒程のことにも思えた。
気づけば辺りは寂々として、土埃を舞い上げていたはずの巨獣の姿が跡形もなく消えている。あまりの出来事に、皆一様に黙したまま動かなかった。
「パーセ、さっきは本当に助かった。ありがとう」
「シュウこそお疲れ様。怪我はない?」
「擦り傷くらいだから問題はない。あの尻尾にやられていたら、きっと即死だったな。今更ながらありがたい権能を神様から貰ったよ」
魔法使いの女性の許からそそくさと退散した俺は、付近の坂を上ってパーセのところまで戻った。
パーセは崖から近くの木陰に移動していた。
俺は早速と尋ねる。
「で、お手持ちのものは……?」
「シュウの世界で言うところの虫取り籠だよ。普通は今シュウの持っている虫取り網と一緒に使うんだ」
「へ、へえ」
こともなげに言うパーセだが、俺の知る虫取り網とはだいぶスケール感が違う。
曰く対象を箱の中に封じ込めておくことができるガジェットらしい。ある一定以上の生命力を持つ生き物は、弱らせないと捕獲できない。当然捕まえた生き物は外に出すことができ、加えて一度捕まえたものは、再度弱らせなくても再び箱に収納することができるという。まるでどこかのアニメのようだ。それを語れる人間も、もういないのだと少しだけ悲しくなる。
虫取り籠についての質問はもうやめておく。地球人の俺には到底理解できないオーバーテクノロジーの産物だろうし。
「ところで、依頼主さんは大丈夫なのか?」
「この人、喋らなくなっちゃった。壊れちゃったのかな」
パーセが後ろを指差す。
初老の男性はさっきから白昼夢でも見ているかのように虚空を見つめ、心ここにあらずといった様子だった。
「す、すみません。仕事をほっぽり出してしまって」
とりあえず頭を下げる。
それで我に返った男性だったが、何故だか何度もこちらが頭を下げられてしまう。まったく意味がわからない。
後半は怪獣退治でろくに護衛ができなかったし、今回は任務失敗かと思われたが、報酬はきちんと支払ってくるとのことだ。
骨折り損のくたびれ儲けにならなくて、心底良かったと思う。
さすがに依頼主も、あの大立ち回りを観戦した後に薬草採取に勤しむ余裕はないらしく、陽も傾き始めていたことから俺たちは町へと戻った。
門を潜り、荷を置きに帰るという男と別れ、俺たちはその足でギルドへと向かう。別れ際に木でできた札を男から貰った。それを提出すれば依頼完了と見做されるという。
今日は変に疲れたし、さっさと報奨金を頂いてパーセと何か美味しいものを食べよう、ここではそれくらいしか楽しみがないし。なんてことを考えながらギルドに立ち入ると、なんだか雰囲気がおかしいようだった。
陽も暮れはじめ、薄暗くなったギルドには昨日同様人の気は少ない。皆仕事が早いな。アフターファイブも真っ青だ。少しは地球も見習ったらと思う、アルバイトしかしたことないけど。
そんななかにあって、まだ居残っている好き者にジロジロと視姦されている気がした。
「シュウ、どうかしたの?」
「うーんと、俺たち何かやらかしたかなって。視線を感じるんだ。気味が悪いな」
だけれど足を止めても仕方ない。気味が悪いなら、それこそさっさと報奨金を貰って離れるだけだ。
昨日同様受付嬢に声をかけようとした時だ。
「おい!」と肩を掴まれる。ばかりではなく、存外力が強く、後ろへ引き倒されてしまうかたちとなってしまった。どすんとお尻を打ち付ける。特に痛くはなかった。
「お、おいおい、すまん。転ばせるつもりはなかった」と頭上から謝罪の声。
「ああ、いえ。大丈夫です」
きっと俺が軟弱なのだ。
平和な世に暮らしてきたこの身は他と比べてえてして薄い。元の世界でもどちらかといえばもやしっ子の部類だったしなあ。これは筋トレが必用かもしれない。鉄アレイとかこっちの世界にあるのだろうか。
埃を払いながら立ち上がると、目の前に昼間の大男が立っていた。背後には、やはり昼時に見かけた面々が雁首を揃えている。
「そう、お前だよ。えーと名前はなんだったけか」
なんだっけというか、名前を名乗った覚えはない。
「シュ、シュウです……いったい何用ですか」
まさかギルド内でカツアゲか。さすが異世界は民度が違う。
「そう怖がるなよ。べつに取って食いやしねえ。実はさっきまでヌシ討伐についてギルド長に相談してたんだ。で、あー、まずはだな……すまん、こういうの苦手なんだ」
大男はひととき思案するように口を結ぶと、ややあって自己紹介と共に事の次第を話し始めた。
彼の話を総合するとこうだ。
彼の名はアンガルドという。背後に控える者たちと共に、幸運の大剣というパーティーを組んでいるそうで、この町では名うてのパーティーらしい。幸運の大剣というのはこの国、ベルンライツ王国の伝説に起因するらしいが、今は割愛しておく。
そんな彼らは日々の依頼を遂げる傍ら、町からある特別な依頼を受けていた。
ヌシ討伐。
ヌシというのはここ数年目撃例と共に被害が出始めた魔獣のことで、時々姿を現しては主に家畜を襲っていた。この町の周囲にも村落や集落といったものが点在しているらしく、被害は主にそちらで起こっていたという。
ちなみに魔獣というのは魔法を使用する動植物の総称だそうだ。あの怪獣めいた存在も、火炎を吐き出すという目撃例があった。
街の外で活動する彼らが仮にヌシと遭遇した場合、可能最大限これを排除討伐するというのが依頼内容だ。
そして今日、二者は偶然にも邂逅した。
最悪討伐できなくても追い払えればそれで良し。人間にも強者があり、場合によっては手痛い仕返しがあるとヌシが認識すれば、被害が減る可能性がある。俺はなんだか畑を荒らす野生動物の話を聞いているよう気分だった。
ただ、ヌシは想像以上に巨躯であり頑強だった。剣も弓も魔法も通じない。そんな窮した場面で俺とパーセが乱入し、これを排除した。だのに名も告げずに去ったため、報告するにしてもあれは誰だろうと困ってしまったという。
「ギルド長に特徴を伝えたら、最近ギルドに登録した奴と一致すると言うし、しかも報酬を受け取りにここへ来るだろうというから待っていたんだ。お前たちもっと早く帰って来いよ。随分待たされた」
そんなこと言われても。この世界の人間が健脚過ぎるんじゃないかと思う。
「というかな。一番の問題はヌシの姿が消えてしまったことだ」
「……あー」
しまった。これはやらかしてしまったかもしれない。思ったより大事に首を突っ込んでしまったようだ。
「さらに問題というか、話題に上ったのは君と後ろの彼……でいいのか?が見たこともない魔法を使ったことだ」
つかつかとやってきたのは昨日の禿頭男性だ。フェトナさんを折檻しようとした方。
「ああ、ギルド長」
「ギルド長でしたかー」
「うん?昨日名乗っていなかったか」
「聞いていないです。漠然とフェトナさんの上司なのかなと」
反射的に昨日何か失礼を働いていなかったかと記憶を辿る……たぶん、大丈夫なはず。
ただ、俺たちを刺す奇異の目に得心がいった。見たことのない魔法というワード。つまりパーセの持つ宇宙仕様のガジェットだ。それで奇妙な視線を集めていたわけか。
なんにしても、さきほどから冷汗が背中にダラダラと流れている。
「シュウ、顔色が悪いけど、助けが必要?」
「いや全然大丈夫。本当に大丈夫だから、あんまり変な言動はしないで欲しい。今とても複雑な立ち回りを要求されているんだ」
日本語での会話に頭に疑問符を浮かべる面々に、「こ、こちらの話なのでお気になさらず」と作り笑顔を浮かべる。
「まずはギルド長として礼を述べたい。少なくとも脅威は排除されたんだろう、それはこの町にとっても、周辺の村落にとっても得難い成果だ」
「ど、どういたしまして」
ごつごつとした手が差し伸べられる、逡巡したのち、俺は手を取る。ギルド長の手はやはり分厚く血潮が通っているのか熱したように熱い。歴戦を重ねるとこうなるのか。ついでに俺の手を握る力も強かった。これをクラスメイトにやられたら、絶対悪意があるだろうと疑うところだ。
「ではもう遅いですし俺たちはこの辺で」
手を解かれた俺はそのまま回れ右をした。が、すぐにまた肩を掴まれる。
「まあ待ちなさい。まだ聞きたいことがある」
「……ですよねー」
世の中そんなに甘くない。
「立ち話もなんだ、向こうで話そう」と背中を押される。
嗚呼、いよいよ逃げ場がなくなっていくようだった。
俺とパーセはギルドの奥にある応接室のようなところに通された。この世界にやってきて初めてまともなソファに座ったかもしれない。壁には得体の知れない動物の頭蓋骨、棚には貴金属の調度品があり、この部屋だけまるで別世界だ。
なお、ギルド長とアンガルドさんは俺とパーセの対面、その他幸運の大剣の皆さまは周囲に立って俺たちを見下ろしている。まさに鳥かごの中の鳥である。
「一応確認したいんだが、隣のパーセという人物は、この国の言葉がわからないという認識で構わないか」
「はい、パーセはとても遠いところから来たばかりなので、ギルド登録も昨日終えたばかりです。そのあたりはギルド長も知っているでしょうけど。それとパーセは少しばかり奇異ないでたちをしているので、基本フードを被っていますが悪く思わないでください」
部屋の中でフードを被るなんて非常識な奴め!と怒られては敵わない。学校でもたまに注意される奴がいた。
「シュウとは会話ができるんだろう」
「俺もパーセと同郷……ではないですが、とある括りでは、同じところに存在してはいましたから。といっても、パーセの母国語と俺の母国語も違います。話すときはパーセが俺の言語に合わせてくれています」
国どころか星が違うけれど。ただ、同じ世界にあったという意味では嘘をついていない。
「なんという言語だ?」
「……日本語、です」
「ニホンゴ……」
知っているか?というようにギルド長が目を配る。首を横に振る面々。そりゃあそうだ。
しかしなんだろうこの質問は。身元調査?何かを疑われている?そう考えると囲まれている今の状況がとても怖い。昔行った某テーマパークのお化け屋敷よりもずっと。
しかし俺の疑念は杞憂だった。ギルドはそもそも流れ者の集まりと聞いていた通り、素性についてそれ以上の追究はなかった。
「本題だが、君たちの使う魔法はいったい何なんだ?」
「なんだと言われても……」
「報告を受けたところ、君にしてもパーセにしても、我々の知らない魔法を使用していたという話じゃないか。このあたりのことは、私よりリーシャ君から話してもらった方がいいだろう」
ローブ姿の女性が進み出る。戦場で攻撃魔法を繰り出していた人だ。俺の作戦に協力してくれた人。
戦場での彼女は社会に忙殺されたOLのようだったのに、今の御姿はとても、とても凛々しく感じられる。これが本来のリーシャさんなのかもしれない。全身から大人の色香が漂っている。先ほどは汗が滝のようだったのに。
彼女は咳払いをするようにコン、とキツルバミの杖を床で打ち鳴らす。
「私は魔法に対して造詣が深いのだけど、あなたたちの使用した魔法にまるで覚えがない。ただ、見たところ魔法を放っていたというより魔法具を使っていたという方が正しいのかもしれない……ちなみにうちのパーティーのバカ共にも一応伝えておくと、魔法具というのは何かしらの魔法が付与された道具のことよ。しかしそういったものも普通は単純な魔法や、小さな加護しか付与できない。けれど……パーセさんだったかしら?あなたの使った魔法具は、あの巨大な魔獣を吸い込んだようだった。そんな魔法具、私は聞いたことが無い。いったいアレはなんなの?」
鋭い眼光に射竦められる。
俺はしばしの間、瞑目した。
「パーセ、さっきの虫取り籠を貸してくれるか。説明する」
「うん、いいよ」
パーセは一切の迷いなく答えると、異次元ポケットの中から先程見た手のひら大の箱を取り出す。一連の出来事にぎょっとする一同。息を呑む音が広くない応接室に響く。
やはり、魔法の存在するこの世界でもそれは異端なようだ。手品とか見せたら面白い反応がありそうだなあとふと思った。
俺は受け取った虫取り籠を胸のあたりに掲げる。集中する視線。
「これはその……ふ、封印の箱と呼ばれるガジェットです」
「ガジェット?」
「あー、簡単に言えば道具、というような意味合いの言葉です。この箱は様々なモノを封じ込めておくことができます。このガジェットの力でヌシを吸い寄せ封じることで、あの場を収めることに成功しました」
封印の箱ってなんだよ、中二病か、と心の中でツッコミを入れながら説明する。
虫取り籠の機能については帰りの道中聞いていたので、それらしい説明が淀みなく口を吐く。本当は虫取り網だけあって封印したものを外に出すことができるが、要望されても面倒なので秘匿しておく。悪用しようとする者も現れるかもしれないし。
「にわかには信じられないことだけれど、実際この目に見てしまっているし、今の空間魔法も相当のものだった。パーセはかなりの大魔法使いのようね。それにシュウも、不思議な魔法具を使っていたわよね」
「……いかずちの杖ですね。あれは雷の力が込められた杖です」
まさか虫取り網と虫取り籠ですと言うわけにもいかない。それこそ馬鹿にしていると勘違いされてしまう。
「私の攻撃魔法ではどうにもならなかったのに、あなたの杖はヌシを一時的にとはいえ行動不能にするほどの力があった。魔法具ということは誰でも使えるということでしょう、この話を聞いたら真面目に研鑽を積んできた多くの魔法使いが馬鹿らしく思うでしょうね。これまでの自分の努力はなんだったんだって」
「もしかして、怒っていたりします?」
「いえ、呆れているだけよ」
ぜったいに嘘だと思う。これでもかというくらい眉間に皺が寄っているし。
「ひとつ訂正させてください。俺たちが使用したガジェットはどちらも特殊な訓練を受けた者にしか扱えない代物なので、これを手にすれば誰しもが強力な魔法を扱えるというわけではないので、その点に関しては安心してください。いえ、ご注意ください」だから間違っても俺たちを襲って奪ったりはしないで欲しい。
「そ、そうなの……」
露骨に安堵するリーシャさん。わかりやすいな!
会話が途切れたのを見計らって「それじゃあ具合も良いようなので、俺たちはこれで……」と腰を浮かす。ぼろが出る前に去るのが吉だ。パーセも倣うように立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
「今日はもう遅いですから、また今度ということで」
窓の外はもう真っ暗だ。応接室だけあっていくつもの燭台に火が灯り、室内は明るいけれど。
「じゃ、じゃあ最後に。あなたたちの使う魔法はなんと言うの?」
「……超科学魔法、ですかね」
そんな語句が咄嗟に口を吐く。我ながら安直だ。
けれどこちらでは聞きなれない音だったのか「チョウカ……?」と怪訝な顔をされてしまう。
フードを被るパーセと目があった。現実離れした深い碧の瞳。漠とした無色の瞳。思えば、ずっと非現実的なことばかりだ。
「呼び辛ければ、オカルト魔法とでもお呼びください」
「オカルト」リーシャさんが反芻するように口ずさむ。今度はしっくり来たようだ。
もうこれ以上はごめんだというように自らドアノブに手をかける。
ありがたいことに、鍵はかけられていなかった。
結局、その後すぐに帰ることはできなかった。
護衛依頼の報奨金と、ヌシ討伐の報奨金を半ば無理矢理に握らされてからやっとこさ解放される。僥倖なことにヌシ討伐の報奨金はかなりのもので、向こう一か月分の生活費が手に入ったかたちだ。まさに棚から牡丹餅。今日も美味しいものが食べられる。
逃げるようにギルドを出ると、あたりは殆ど真っ暗闇だった。
空に星が燦燦と輝いている。星の輝きが強いのか、地上に光がないからそう見えるのかは今のところわからない。ところどころにある松明の灯りが、静まった町の輪郭を、ひっそりと照らしている。
「……宿に戻る前に、また何か食べて帰るか。今日もきょうとて腹が減った」
「賛成。昨日は肉料理だったから、今日は魚料理が食べたいかも。ところで、さっきは何を話していたの」
「歩きながら話すよ」
と、そんなことを話しながら宿の方へと足を向けると、坂道の暗がりからひょいと顔を出す人があった。
「やあやあ偶然ですね」
「……フェトナさん」
フェトナさんだった。
暗がりに佇む小さな体躯は、どこか塾帰りの小学生を思わせる。
「待ち伏せですか」
「嫌だなあ偶然ですよ」
「絶対に嘘だ」
「信用ないなあ、嘘ですけど」
本性を知られたからか、明け透けに嘘を肯定する。小悪魔のような笑みは老獪な魔女のようだ。
「聞きましたよ、ヌシを倒したんですね。凄いです!まさかギルド登録をして間もないお二人がそんな偉業を成すとは露とは思いませんでしたよ!特にシュウさんは世間の厳しさに、すぐに根を上げるかと思っていたのに。完全に勘が外れました。しかもリーシャさんでさえ知らない魔法を使えるとか!」
いったい褒められているのか貶されているのか。いやどちらもか。
「フェトナさん、それを知っているってことは、絶対応接室の前で聞き耳を立てていましたよね。バレたらまたギルド長に怒られますよ。いや、怒られるだけじゃ済まないのか」
「痛いのは嫌なので、どうぞ黙っていてくださいね。優しいシュウさんなら大丈夫だと思いますけど」
それを考慮して話した、ということだろう。
「俺のせいで女の子が殴られては寝覚めが悪いので言いませんよ。でも、ギルド長も酷いですね。教育か躾かは知りませんが、殴る蹴るで人を矯正しようだなんて。言葉の通じない動物じゃないんですから」
「シュウさんはたまに変なことを言いますよね」
「え?」
何かおかしなことを言っただろうか。
「子供なんて動物と一緒ですよ。学がない人間なんていうのは特に。それに、痛みで覚えさせたほうが従順になりますし、人は必死に仕事をします。ずっと昔からそうじゃないですか」
「……それで懲りない人もいるようですけどね」
「はて、誰のことでしょうか。思い浮かぶ人がありませんね」
この世界に降りたって早三日。文化の違いを何度も経験したが、これも中々だ。
俺は体罰が禁止されて久しい世の中で育った。体罰は悪であり、それしかできない指導者は無能だと。
俺自身、体育会系の中で育ったわけじゃない。ただ結果を残した部活動の連中は、体罰とまではいかなくとも厳しい叱咤の中で成功を修めたイメージがある。
だから今の俺に、フェトナさんを否定することはできなかった。
「それで、俺たちを待ち伏せた理由は」
「シュウさん、私を買いませんか?」
「……は?」
「一晩でも二晩でもいいですよ。なんなら今からでも」
と、上目遣いに俺を見上げてくる。
いきなりのことに思考が追い付かない。心臓がどくどくと鼓動を強く打つ。からかわれている?十分にあり得た。なんといってフェトナさんだ。
俺は必死に言葉を絞り出す。
「話が見せません」
「え、そこまで朴念仁なんですかあ。春を売ると言っています……これ以上の説明が必要ですか?女の私に言わせますか?」
「……いえ」
俺とて高校生だ。その意味は知っているし、欲求がないわけじゃない。そもそもパーセと同室で、悶々とさえしていたのだ。
「本気ですか」
「冗談でこんな人気のない夜道に、危険を冒してまで待っていませんよお」
染み入るような猫なで声。甘美な誘惑だった。
でも、フェトナさんに限って悲しいかな俺に惚れたという線はないだろう。彼女のことだから明確な狙いがあるはず。よし、だんだんと思考力が戻ってきたぞ。
それを問うと、フェトナさんは「有望株にツバを付けておくのは当たり前のことじゃないですか?」とやはり包み隠さず白状する。
……つまりフェトナさんは俺に後ろ盾になれと言っているのだ。自身の身の安全の確保、そしていざという時、金銭の面倒をみてくれる相手。いわばパトロンだ。
「リーシャさん、お二人は知らないと思いますが、実はすごい人なんですよ。このベルンライツ王国の魔法大学を主席で卒業して、今では王国有数の魔法使いです。いえ、幸運の大剣の方々は皆一芸に秀でた方ばかりですが……。幸運の大剣はこの町で間違いなく一番の実力を持つパーティーです。そのパーティーが苦戦する相手をお二人は倒しました。しかも新人が、です。この意味がわかりますか?誰だって目をかけます。いえ、かけない奴は馬鹿者です。だから私はいの一番に手を出すんです」
「それが今日の今日で待ち伏せていた理由ですか」
「はい」
なるほど。とても納得できる理由だった。
一点の曇りなく、フェトナさんはこの世界で生き抜くことにまっすぐだ。俺のようにぬるま湯に浸かっていた高校生とはわけが違う。
「それにほら、私はまだ小さいですが、可愛いですよ。ちなみに初物です。買う価値はあると思いますよ?」
まるでバナナのたたき売りのように売り文句を口にする。必要があればこの場で衣服さえ脱ぎだしそうだ。
反面俺は、たいそう渋い顔をしていたことだろう。
「もしかしてまだ幼すぎます?大丈夫です。すぐシュウさん好みに成長すると思いますよ」
「……めちゃくちゃ嬉しい申し出ですが、すみません」
「あ、もうパーセさんとねんごろになっているとか?私はそーいうの全然気にしませんよ」
いやパーセはそんなんじゃないし。そもそも男なのか女なのかさえわからない。
「と、とにかく、今のところそのあたりは不便していないので。ごめんなさい」
嘘八百で押し切る。倫理観はともかくとして、ここでフェトナさんと関係を持ったら後から怖い人が出てくるという可能性も十分あり得る。美人局怖い。
まさか断られるとは思ってもいなかったのか、フェトナさんはショックを受けたように押し黙った。しかしそれも一瞬、すぐにけろりとした表情を見せる。
「……ダメかー。行けると思ったのになー。シュウさんチョロそうだし」
「ははは、すみません」
なぜ俺は謝っているんだろう?何も悪いことはしていないはずなのに。
「ひとつ聞きたいんですけど、パーセを勧誘しない理由はなんです?」
「パーセさんは言葉が通じないというのもありますが、黙っていてもその方面で苦労はしないでしょうから」
刃がグサグサと心臓に突き刺さる。理解していても、はっきり言葉にされるとダメージが深い。
このまま話しているとフェトナさんの毒牙にかかりそうなので、パーセの腕を持ち早々に退散する。三十六計逃げるに如かずだ。
「気が変わったら、いつでも言ってくださいねー」
月の輝く背後から、そんなフェトナさんの声が木霊した。
パーセの希望通り、俺たちは魚を扱う店に寄った。
文字が読めるのはとてもありがたいが、魚の名前はひとつとしてわからず、昨日同様博打だ。
生魚は怖かったので、焼き魚を中心に注文した。
「あー、今日も疲れた……」と、店員が去ってからテーブルに突っ伏する。
店内は昨日の店より少し小さく、一種居酒屋のような雰囲気がある。
「お疲れ様。いろいろと任せっきりでごめん」
「言葉が通じないんだから仕方がない。それ以上にパーセには助けて貰っているしな」
昨日のことも今日のことも、パーセの持つガジェットがなければ目も当てられないことになっていた。
肉体的にも精神的にも疲労が溜まっている。運動部の連中は、いつもこんな疲労感を抱えていたのだろうか。そりゃあ朝寝坊して遅刻もするよなと一人納得する。
「報告の続きだが──」
いまのうちに、と中断されていたギルドでのことをパーセに説明する。
パーセの持つ科学の結晶を、オカルト魔法と誤魔化したこと。ガジェットは特殊な者にしか扱えないと説明したこと。封じ込めたものを解放できることは伏せたこと。
「ヌシを召喚できるとなったら悪用を考える奴が出てくるだろうし、パーセの持つガジェットも、誰しもが扱えるとなったらきっと命がいくつあっても足りない。あの様子から察するに、強力無比な魔法具はかなりの価値がありそうだし」
パーセのガジェットひとつで御殿が建ちそうな気がする。
俺の話を聞いたパーセは特段の興味も示さずに、「良いと思う」とだけ言った。生物としての感覚がきっと地球人とは違うんだろうが、熟考するいとまのない中で、俺は上手くやったと思うんだがなあ。自分自身には花丸をあげたい。
そんなこんなで頼んだ料理が運ばれてくる。
俺の退屈な報告よりも、パーセの興味はもっぱら目の前の皿にあるらしい。心なし目をきらきらとさせている。相も変らぬ異文化大好きパーセ君だ。嬉しそうで何より。
不作法はやめて、俺とパーセは魚料理に舌鼓を打った。食事くらい楽しい時間にしなければ。
焼き魚に煮つけ、淡白な色をしたアクアパッツァ的な何か、それら複数の魚料理をシェアしながら喫する。
味はどれも美味しかった。どうにも魚の名前に違和感を覚えるが。
個人的には煮つけの味付けがブリの煮つけの味に近く、俺の舌にあった。すでに故郷の味が懐かしく感じられ、海外旅行で日本食が恋しくなるという話が嘘でないことを知る。白米が恋しい。
大方腹も膨れてきた頃だ。
「シュウ、さっき女の人と喋っていたよね」
「フェトナさんか。それがどうかしたのか」
「何の話をしていたの?」
咽た。
ちょうど飲んでいた果実のジュースが気管に入り込み、ゴホッゴホッと咳をする。
目深に被ったフードの奥で、パーセが目をぱちくりとさせる。
「何かまずいことでも言ったかな」
「いや、そういうんじゃないが……」
どう説明したものかと惑ってしまう。いや、惑うもクソもない。あるがままに話せば良いだけじゃないか。
けれども口は重く、喉は渇いた。
それをあっけらかんと話せるほど俺は思春期を脱していない。これが普通だろう、たぶん、きっと。とはいえ口にできないのも、逆に童貞を晒すようでプライドに傷がつく。男って面倒だな。
俺は言葉を選びつつ、つい先程のことを話した。
ここへ来てからパーセには色々と通訳代わりに説明してきたが、これが間違いなく一番苦労した。
「つまりシュウは求愛されていた?」
「途轍もなく平たく言えば」
なんだろう、この胸中に渦巻くざわざわとした感情は。鳥肌が立ちそう。
「それで恥ずかしそうなんだ」
「わかるのか……実際かなり恥ずかしい。起こった事自体も、今説明したことも」
「異性間交渉が?」
「その言葉遣いよ。宇宙人の感覚だと普通のことかもわからないが……実際普通のことなんだけどさ、俺たちには思春期っていう時期があって、多感というか、つまるところ途方もなく面倒な時期に今俺はいるんだ」
まさかこんな風に性を語る日が来るとは思わなかった。ふと小学生の時、男女別に分かれて行われた授業のことを思い出す。
「ふうん。僕にはあまり人類の美醜はわからないけど、フェトナは可愛いんだよね。なのに断ったんだ?」
さすがは宇宙人。ずけずけと来る。これも知的好奇心のなせる業だろうか。
「いくら可愛くてもなあ。好きな相手でもない人とそういうことをするのは無責任というか節操がないというか」
「でも生物としては自分の子孫をたくさん残せるほうが、色んな相手と関係を持ったほうが有利だよね。矛盾していないかな」
「はい、本当のことを言えば勇気がありませんでした……」
降参とばかりに諸手を挙げる。
後が怖いと思ったのは本当だ。だけどそれ以上に、俺には意気地が足りなかった……。
きっと慣れてしまえばどうということはないんだろう。でも、最初の一歩を踏み出すのは、とんでもなく怖いのだ。
腹を満たした俺たちは宿に戻った。
特に話題もなく、明かりも乏しいのでさっさと寝床に入る。
すぐにパーセの寝息が聞こえてきた。
シミのある天井を見上げる。
つい数日前までは家に自分の部屋があり、プライベートな空間があった。だが今はそれがない。いろいろと溜まってきている。
その夜、誘いを断ったことを死ぬほど後悔したのは言うまでもない。




