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インテグラルダラー・イータアステリスク・パーセンテージ異世界を往く

 陰謀論だとか幽霊だとか、そういったものはあまり信じていない。だが、宇宙人だけは別だった。

 なぜかといえば、宇宙人には会ったことがあるからだ。


 目覚めると、どこともわからない草原に寝ころんでいた。

 空にはうろこ雲のようなものがふよふよと浮かび、風が吹くと、一面を覆う草花がざざあとさざめく。

 衣服は着慣れない、どうもゴワゴワとした肌触りのものに変わっていた。麻や、獣の毛皮をなめしたような前時代的な生地。少なくとも自分の持っていたものじゃない。

 自らの頬に触れてみる……が、どうだろう、鏡がないのでわからない。

 それから周囲に目を向ける。

 陽が燦燦と降り注いでいる。しかし暑くはない。

 俺はなだらかな丘の斜面にあるようだ。周りには青や赤、紫と色とりどりの花が咲いている。

 背後には鬱蒼と茂る雑木林が口を開け、俺たちを飲み込まんと待ち構えているようだった。

 そして。

隣では宇宙人のパーセが、やはりさっきまでとは違う装いで俺を見つめていた。


 眉間の辺りを指で押さえながら、記憶を手繰り寄せる。

 そうだ、俺は死んだはずだった。




 夕焼けが綺麗だった。

 棚引く雲を黄金に染め上げた太陽が、グラウンドに長い影を落としている。

 あと数日で文化祭だった。

 準備は佳境を迎え、校内は放課後となっても騒がしい。普段はグラウンドで大声を張り上げる運動部の連中も、今はクラスのために東奔西走の真っ最中だ。特に出し物がお化け屋敷となった俺たちは、借り上げた空き教室を夜の墓場に変貌させるべく、ああでもないこうでもないと知恵を絞っていた。

 とはいえ夜中まで校内に残れるわけじゃない。高校にだって最終下校時刻がある。

 先生に追い立てられるように作業を中断し、生徒たちは家路に就く。

 運悪く日直だった俺は、もう一人と共に教室を施錠して、鍵を職員室へと返しに向かう。

 まっすぐに並んだ窓から差し込む光が、廊下全体を真っ赤に染めている。

「やあやあ、ついに文化祭ですねえ」

 もう一人の日直が興奮冷めやらぬという様子で言った。

 佐竹。クラスの中心人物である女子だ。明るく朗らかで男女共に人気が高く、女子のなかではかなり話しやすい性格をしている。同じバスケ部に彼氏がいるらしい。

「お化け屋敷なんてありきたりだなあと当初思ったが、準備はなかなかに楽しいな。どんな動線にしようだとか、どんなギミックがより怖いんだろうだとか、考えることがたくさんだ」

「お、実は君ってそういうのが好きなたち?」

「いやあんまり。小さいころは心霊番組とかよく観ていたけどなあ」

「あはは、私も。いつのまに私たちは童心を捨ててしまったんだろうね。ところでこの準備段階で多くの男女が共に文化祭を観て回る約束を取り付けているようだけど、君はそんなお相手はいるの?」

「こわっ、遠慮のない発言が怖っ」

 新手のイジメだろうか。心が苦しい。自分には自慢の彼氏がいるんだぜというマウントか。

「冗談だよ。でも、そっか、いないのかあ。ちなみにもし仮に女子からお誘いがあったらどうする?」

「めちゃくちゃ悲しい仮定だな。正直その時になってみないとわからない」

「煮え切らない男子だなあ。そんなんじゃモテないよ?」

「尋ねておいて酷くないか⁉︎」

 そもそもそんな場面に遭遇したことないのだから、わかるわけがない。悲しいかな。

 佐竹はその後、「はーん」だとか「ふーん」だとかなんとも奇妙な反応を示したあと、会話はまったく別のものへと移り変わっていく。

 短い職員室までの道中を、最近のクラスの男女事情や文化祭の話題など、ありきたりな会話を交わして無事に鍵を返す。これでお役目御免だ。

 

「じゃあね。お疲れ様」

「また明日」

「うん、また明日。明日もまた準備でこき使ってあげるからね」

「お手柔らかに頼む」

 正門の前で俺たちは別れた。

 彼女は自転車通学で、俺はバス通学だ。ちりんちりんと意味もなく鈴の音を鳴らしながら佐竹は夕焼けの中に消えていく。

校門から少し歩くとバス停がある。

簡素な屋根付きのバス停には同じ制服の女子が一人と、禿頭の老人が一人並んでいた。

 中途半端な時間だからか、バスが来るまでやや時間があった。あと数十分はやってこない。片田舎の悲しさだ。さて、どうやって時間を潰そうか……。

 後ろを振り向くと、資材置き場と空きだらけの月極駐車場との間に小径があった。軽自動車がぎりぎり通れそうなくらいの、私道めいた小径。

 単なる気まぐれだ。

 考えてみれば、この小径を辿ったことがない。たしか霊園に繋がっていると聞いた気がするが……。

 自然、足がそちらに足を向いていた。

 たまには冒険も良いだろう。

 周囲にだんだんと緑が増えてくる。アスファルトはいつのまにか黄土色の土くれに変わっていた。林道は両脇を木々に覆われて薄暗い。それを抜ける。

 右手の斜面にススキが群生していた。

 小麦色のススキが風にさらさらと揺れている。

 その草原のなかに、フェンスに囲われた鉄塔が侘しく立っている。天高くに伸びる鉄骨の骨組み。未だに、あれが何のためにあるのかわからない。

 俺はぴたりと足を止める。

 視線の少し上、ススキの揺れる台地に人が立っていた。

 薄い体。深い、碧とも蒼ともつかない瞳。一文字の口。肩のあたりで軽やかに跳ねる髪。

 西日を背に、現実離れした銀髪が赤赤と燃えている。

「……パーセか?」 

 思わず口を吐く。

「久しぶり、シュウ」

 どこかおっとりとして、起伏のない口調。

 記憶の中のそれと少しも変わらない。背丈は随分と変わったけれど。

 俺は草を踏みつけてできた斜面の道を上り、パーセの前に立つ。

 パーセの下半身は群生するススキに埋もれていた。

 小麦色のそれを彩るように、黄色い花をつけたアキノキリンソウが処々に咲いている。

 風景を切り取り縁取れば、恐らく絵画として飾って申し分ない。十分に幻想的だ。

だがしかし、今こうして再会し思うことは。

「……なんでそんなところに立っていたんだ?」

「うん?意味はないけど」

「虫とか……大丈夫なのか。こっちへ移動した方が良いと思う」

「シュウが言うならそうする」

 しゃかしゃかと草を掻き分け出てくるパーセ。

「久しぶりだね。数年ぶり?」

「最後に会ったのは小学五年生の時、だったか」

改めてパーセを眺め見る。これはまた随分と……中性的に育ったものだ。以前もそうだったが、第二次性徴期が機能していない。

 それにこの歳になると、草むらの中へ分け入る勇気はなくなった。小学生のときは進んで虫や昆虫を追いかけていたはずなのに、視界に入れることすら憚られるようになってしまった。だからパーセがススキに囲まれている有様にも少し引いてしまう。虫とかたくさんいるだろうに。バッタとか、よくわからない小さな虫だとか……いや、そうじゃない。目下重要なことがある。

 俺の訝し気な視線に、「どうかした?」とパーセは小首をかしげる。

「パーセがここにいることに、作為しか感じないんだが」

 まさか学校帰りにふと寄り道した先で、昔遊んだ自称宇宙人と再会なんて偶然じゃありえない。

「作為というか、僕が呼んだんだよ。だからシュウはここへ来た」

「なるほどなあ」

 ……そうか、やはりパーセは宇宙人だったのか。

 記憶の中の小さなパーセも自分は宇宙からやってきたと語っていた。奇妙な現象も何度か目撃した。

 しかし俺も高校生になった。宇宙人の存在を信じられるほど子供じゃない。

 ゆえに幼い頃の記憶は何かの間違い、白昼夢か何かだと考えていた。

「……はは」

 自嘲的な笑みがこぼれる。まさか本当だったとは。

 どうやら知らないうちに宇宙人の発する電波を受信し、都合の良いように操られていたようだ。まるでカマキリに寄生し水辺へと誘導するハリガネムシのように。これでは頭にアルミホイルを巻く人たちを笑えないな。

「パーセは何しに地球へ?」

 地球人としては聞いておくべきだろう。

「遊びに来た。あとはまー観光、かな」

「前と一緒だな。ひねりがない」

 空の彼方からわざわざわ遊びに来るなんてご苦労な事である。

 以前も子供心に侵略やら調査やら、もっともらしい理由は他にあるだろうと思ったものだ。

 陽は少しずつ暮れていく。どこかで鈴虫が鳴いている。

 こんな辺鄙な場所で再会を喜ぶのもなんだろう。

 それに遠路はるばる旧交を温めに来たのだ、地球人代表としてこちらも応えるべきだ。

「……とりあえず、うちに来るか?」

「うん」

 というわけで元来た道を戻り、二人してバス停に向かった。

バス停はがらんどうだった。すでに乗る予定だったバスは発車していた。

特に会話もなく待ち呆けていると、やがて次のバスがやってくる。

がおん、と聞きなれた音と共に後部の扉が開かれる。 

「そういえばお前、お金は?」

「持ってないよ」

「……だよなあ。しかたないから今回は俺が奢るよ」

「ありがとう。今度どうにかして返すね」

「宇宙由来のものだと嬉しいな。高く売れそうだし」

 バスは殆どが空席だった。俺とパーセは後部の二人掛けの座席にかけているが、前方の席に二人ほど乗客がいるばかりだ。

 走行中、パーセは物珍し気に窓の外を眺めた。時々「おぉ」とか感嘆の息を漏らしながら。

 こちらとしては気が楽だ。

 既知の仲とはいえ、久方ぶりの再会だ。

 なんとなくだが、隣同士というのは何を話していいのかわからず居心地が悪い。それに宇宙人だし……というのはあまり関係ないか。

 二十分も揺られると最寄りのバス停に到着する。

 二人分の運賃を支払いバスを降りる。

 そこから少し歩けばあっという間にわが家へとたどり着く。

 家と家に挟まれた、どこにでもある二階建ての一軒家。

 玄関のたたきでパーセはぐるりを見渡した。

「こういうとき、たしかお邪魔しますって言うんだよね?」

「大正解。ま、気軽に上がってくれ。大したもてなしもできないしな。地球代表としては情けない限りだが」

 廊下を進み階段を上り、そのまま俺の自室へ。

「てきとうに座っていてくれ」

俺はブレザーをハンガーにかけると、自室を退出する。

来客に茶のひとつも出さないほど俺も世間知らずではない。

台所の冷蔵庫を開け、支度を整える。親がまだ帰っていなくて助かった。どんな友人かと聞かれたら……色々と面倒臭い。

「麦茶でいいか?」

 部屋に戻って一言。

 というか、麦茶しかなかった。

 こくりと頷いたのでローテーブルの上に盆を置く。

 パーセは律儀にも正座していた。思い返してみれば、以前来た時もそうだった。宇宙人のくせに。

 俺は自分のベッドに腰かける。

 パーセはグラスを手にすると、片手で横を持ち、もう一方を底面に添える。まるで湯呑を持つように。

「昔とおんなじ味がする」

「昔から同じ麦茶パックを使っているからな。家庭の味だ」

 人心地ついたのか、パーセはまた首を回して室内を確認した。

 こちらとしては心を覗かれているようで、少しばかり気恥ずかしい。

「昔より狭くなった?」

「棚が増えたんだよ。それと俺たちがあの頃より大きくなったんだ」

 自由に使えるお金が増えた分、必然的にモノは増えていく。キャラクター玩具や、漫画、小説なんかが棚に詰め込まれている。

 昔は勉強机とベッドぐらいしかなかった。しかし現在では小さいながらもテレビさえある。となれば生活スペースが圧迫されるのは必然だ。

「そういえばさっきバスを降りる時、運転手さんがびっくりしていたぞ。まるで宇宙人を見るような、という表現があるが、まさにだ」

 有様を思い出し、俺はくつくつと笑った。

「僕、姿形は地球人とあんまり変わりないと思うんだけどな。髪や瞳の色はこの惑星の人と少し違っているかもしれないけど」

 確認するように自らのふわりとした髪を弄ぶ。

 衣服も完全に地球のそれだが、奇妙な違和感があった。そしてその違和感を言語化することは、とても難しい。強いて言えば、CGを現実に投影したような違和感だろうか。

 二人の間に沈黙が流れる。

 ……さて、さっそく話題もなくなってきたぞ。

 考えるまでもなく宇宙人相手じゃ共通項がない。とりあえずは連れてきてはみたが。

「シュウは以前よりも大人しくなった?」

 じっと見つめられてしまう。

「違う。成長して大人になったんだよ。昔は考える前に言葉が出ていたが、今は考えてから話すようになったんだ」と言い訳めいた言葉が口を吐く。

 昔の俺はどんな会話をパーセと交わしていたんだろうか。記憶を辿ってみると、こちらの話したい内容を一方的に話していた気がする。それは昨日やっていたアニメの話だとか、熱中しているテレビゲームの話だとか、とにかくパーセにはちんぷんかんぷんな話題を振っていた。あまりにひどい。

 社会性を学んだ今、それを再実行するには相応の覚悟が必要だ。 

 それに、もうひとつ重大な懸案事項がある。

 再会の折にも思ったが……はてさて、こいつは男女どちらなのだろう?

華奢な男子なのか、それとも凹凸の少ない女子なのか。

首は細く、ベージュのカーディガンから覗く手首も細い。かといって僭越ながら胸は薄い。スカートなら一発でわかるのに。

 いやそもそも宇宙人に雌雄があるのか?という問題もある。

小学生時代の俺は、パーセの性別など微塵も気にしていなかった。

 自分と仲良くしてくれる者は味方で、そうでない者は敵だった。高学年になると口賢しい女子はだいたい敵になったけど。

 そんな時分に、パーセは髪色がおかしなだけの友人だった。薄っすらとこいつは男子なのか女子なのかと考えたこともあるような気がするが、ついぞ確認することはなかった。いや聞いておけよ過去の俺。

 いまさら聞くのは難易度が高すぎる。常識的に考えてアウトだ。男だったら笑い話のひとつにもなるだろうが、これが女子だったら決定的な亀裂が入る。

 加えて、心情はさらに複雑だ。

 男子なら再会した友人を久方ぶりに家へ上げたくらいの感覚だ。しかし女子なら話は大きく変わる。悲しいかな女子を部屋に上げた経験がない身の上だ。これは一大事だ。必要以上にドギマギしてしまう。昔パーセを上げたことがあるだろうというのは置いておく。

 嗚呼、一度パーセを女子と捉えると、仕草のひとつひとつが艶めかしく見えてくるから不思議だ。反対にこちらの動作はどんどんぎくしゃくとしてくる。以前クラスの女子に突然話しかけられて、声が上ずったり、言動がおかしくなったことを思い出して死にたくなる。

 手足はすらりとして長く、色白の頬にはシミひとつない。まさにアニメや漫画から出てきたような見た目。学校にいたらきっと男女問わず大モテだっただろう。非才な自分と比較して劣等感が芽生えそうになる。

 思春期の悲しい性にやきもきしていると、コトリとパーセはグラスを置く。

「久しぶりにゲームでもする?」

「……名案だ。そういえば以前はよく対戦ゲームで遊んだな」

 どうして思い浮かばなかったのだろう?そうだ、小さい頃も二人でテレビゲームに興じていた。その時は自室ではなくリビングだったが。

 俺は立ち上がるとテレビの電源を付け、ゲームをセットした。が、すぐに考え直してゲーム機の電源を落とす。それから押し入れから埃の被った昔のゲーム機を取り出す。

 パーセと遊んだゲームは後継が発売している。しかし、それじゃあフェアじゃないだろう。

 埃を被ったそれであれば、両者の実力は伯仲のはず。でないと面白くない。

 昔懐かしのゲームのコードをテレビと繋ぎ、スイッチを入れる。年代物の黒いコントローラーをパーセへ。

「地球のゲームはあんまり進化していないね」

「進化はしているぞ。これが当時のゲームってだけで」

 対戦するのは次世代機が発売されるたびに新作が発売される世間的にも有名なゲームだ。キャラクターを選び、殴り合う。シンプルだが奥深いゲームだ。

 対戦中は互いに無言、もしくは「いてっ」だとか「うわっ」だとか独り言を呟いていた。

 なんだか、その時ばかりは昔に戻ったようだった。

 下手に話題を探さなくて良いので気も楽だ。ゲームとはすばらしいコミュニケーションツールだと思った。

 しかしゲームに熱中しつつも、頭の片隅では小学生時代の光景が何度も再生されていた。


 出逢いがどうだったかはもう思い出せない。

 昔は今と違い、知らない奴と遊ぶことも多かった。

 公園で遊んでいると、見知らぬ誰かが仲間に入ってくる。たまに他校の奴もいた。その後も一緒に遊ぶようなった奴もいたし、まさしく一期一会で遊んだ者も多い。パーセもそのようにして輪の中に入ってきたのかもしれない。

 気づけば遊ぶ仲になっていた。

 当時からパーセはどこか人間離れした姿をしていたが、子供にはあまり関係がなかった。重要なのは一緒に遊んで楽しいか否かだ。

 そのうち二人で遊ぶようになり、家にも招くようになった。

 ゲームをしたことがないと言うのでリビングでゲームをした。

 そんな時、仕事から母親が帰ってきた。

 大人からすると、パーセはやはり奇異に映ったようだ。パーセを帰した後にどこの誰かと詰問された覚えがある。どこの小学校だとか何年生だとか、両親は何をしているのだとか。

 俺は答えなかった。というか、答えられなかった。そもそも知らなかったしな。知っていたのはパーセという名前だけだ。

 最終的にはとにかく得体の知れない子供とは遊ぶなとお灸をすえられた。沈黙が秘匿と勘違いされたようだ。

 ただ、母親の説教はあまり意味を為さなかった。パーセが気に入らないのなら黙って遊ぶだけだし、鬼の居ぬ間に家へ上げるだけである。

 一度予想外に早く帰ってきた時は、リビングの大窓からパーセを逃がしたこともある。

 まさに親の心子知らずである。

 とにかく、パーセが宇宙へと帰るまでの数週間の間に俺たちは無二の親友……は過言だが、それなりに仲良くなった。


 拮抗白熱したゲーム展開に、ふと外を見やると陽は完全に暮れていた。

「ごめん、長居をしてしまったね」

「構わないさ。こっちこそすまん。そこまで送るよ」

「うん、ありがとう」

 特に会話を交わしたわけでもないのに、不思議とその時には緊張も解けていた。

 家を出ると夜風が身を撫ぜる。俺は身震いした。

「ちなみに、どこへ帰るんだ?」

「山の方」 

パーセは上空を指差す。

「空に宇宙船があるから」

「そうか」

 つられるように空を見上げるが、残念ながらそれらしきものは見当たらない。当たり前か。宇宙船、どんなかたちをしているんだろう。地球人としては大変気になる。

 山を指定したのは人気がないからだそうだ。やはり空へと昇っていくときは、キャトルミューティレーションのように光に包まれるのだろうかと興味が湧く。

 道中、パーセを見た通行人はバスの運転手と同じように目を瞬いた。現実離れした髪色故だろうか。あんまり人通りのない方が良いだろうと生活道路を歩く。

 15分も歩くと片田舎の悲しさ故か、周囲に民家の灯りが少なくなってくる。というか、懐中電灯がないと足元が心許ない。

「このあたりで大丈夫。送ってくれてありがとう」

 くるりと振り返ったパーセが言う。

 ここから先は林道だった。緩やかなカーブを描きながら山の奥へと続いている。街灯もなく真っ暗闇だ。これが恐ろしくないとはさすが宇宙人。

「そういえば、僕の名前覚えてる?」

 試すような視線。

 俺は遠い昔の記憶を手繰り寄せる。

「……インテグラルダラー・イータアステリスク・パーセンテージ、だっけ」

「正解」と微笑む。

 俺はほっと胸を撫で下ろす。ここで間違えたら友達として最悪も最悪だ。

「でも、実際の発音は違うんだろう」

「まあね。ただそれほど間違ってもいないし、いいんじゃないかな」

「パーセはわりといい加減だよな」

 最初その名を聞いたときは、やけに長ったらしく覚えにくいと思った記憶がある。たしか俺がわかりやすいように∫$・η*・%と記号で表したのだ。おかげで多少覚えやすくなった。どうしてそう表そうと思ったのかは小学生時代の自分に聞くしかない。でもたぶん、小学生でパソコンを覚え、記号という言語とは趣きの異なった性質のものに出逢ったのもその頃だから、覚えたての知識をなんとか使用してみたかったんだろう。

「またな」

 数年ぶりに再会した友人との別れに、僅かばかりの寂寥を覚える。次に会えるのはいつだろうか。成人したころ?自分がどんな人間になっているのか想像もつかない。

「うん、また明日。今日と同じところで待ってる」

「……明日も遊ぶのか」

 なんだ、全然名残惜しくなかったな。

 そりゃあ宇宙の彼方からわざわざ地球へやってきて、一日で帰るわけないか。

 さあいよいよ別れようという時だ。

 視界の隅に何かが映り込む。

 ふと見ると中学生……いや小学生だろうか、暗闇に女児が一人歩いている。時間からすると塾帰りだろうか。その足取りは重く、どこかふらついているようだ。

 なんとなく小さな背中を追っていると、信号機のない横断歩道へと吸い込まれていく。

 夜の、人通りも車通りもない道路。

 交通量の殆どない田舎道だけあって飛ばす車も多い。

 なんとなく嫌な予感がした。

「どうかした?」とパーセ。

「いや、ただの杞憂だと思うんだが」

 やけに明るいヘッドライトが木々と小川と畑を照らす。

 自然と足が動き出す。

 歩みが走りに変わる。

 夜に響くエンジン音。トラック特有の重くけたたましい唸り。

 それでも女児が気づく気配はない。何か考え事でもしているのか?

 女児は横断歩道を渡り始める。しかしトラックが速度を緩める気配はない。なんでだよ!と心の中で叫ぶ。どちらも心だけが空を飛んでいるのか。

 眩いばかりの白い光に当てられて、やっと危機に気づいたようだ。びくりと身体を強張らせ、猫のようにその場で立ち止まる悪手を打つ。

 俺はその子を突き飛ばした。何を考えたわけじゃない、咄嗟の行動だ。すぐ目の前に迫る巨大トラックの姿。耳を劈く轟音。

「シュウ」

 刹那、名を呼ばれて背後にパーセがいることを知る。嗚呼、こんな時でもパーセの声は平坦だ。

 というかなんでお前まで飛び出してるんだ。

 危ないだろ、という言葉が口を吐いたかはわからない。

 その前に、一瞬の激痛と共に俺の意識は事切れた。




 死んだと思った。

 いや、実際死んだに違いない。

 目の前は真っ暗で、大地に立っている感覚もない。だのに意識はある。

 無明で無痛。

 目は開いているはずなのに、何も見えない。無痛どころか体の感覚もない。寒さや暑さすらも感じない。

 ここはどこだろう?

 なにがなんだかわからない。

 これが死後の世界というやつか。なんとなく、宇宙空間のようだと思った。

 そのうち上空から橙色の光が降りてきた。サッカーボール大で、まさに球体をしている。

「こんにちは」

 球体が喋った。

「こんにちは。もしかして神様ですか?」

「そう呼んでもらって差し支えありません」

「え、すごい!初めて神様に会いました。って当たり前か」

 我ながらテンションが高いな。なんと神様にお目見えしてしまった。優し気な女性の声をしているから女神様だろうか。これは自慢になる。けれど悲しいかな、この体験を自慢できる家族も友達ももういない。いや、いなくなったのは俺の方か。

 神様は言った。

「すでに認識しているでしょうが、あなたは現世で死にました。しかし、幸運にもあなたはチャンスに恵まれました」

「チャンス、ですか」

「宝くじに当たったと考えていただければけっこうです。あなたは異世界に転生する権利を得ました」

 もし俺に身体があれば、あんぐりと口を開けて目を瞬いていたことだろう。女神様の言うことが一瞬理解できなかった。

「えーと、あの、それはつまり、よくある異世界転生というやつですか」

「似たようなものですね。理解が早くて助かります。あなたが降り立つのは剣と魔法の異世界です。科学水準も文明水準もあなたがいた国より数世紀は遅れています。一部発達したものもありますが」

 本当にこんなことがあるのか。

 思い描いたことはあるけれど、行きたいと願ったことはない。考えるまでもなく現代日本の方がよほど安全で便利で衛生的だろうし。

「ちなみに拒否権は?」

「このままあなたという存在が消えてしまって良いのであれば?」

 恐ろしいことをさらりと言う。しかもなんだ最後のハテナは。

 ただ、このまま死ぬよりはマシか。いや、もう死んでいるのだけど。

「異世界で俺は何をすれば良いんですか?先に言っておきますが、俺は一介の高校生だったので、強い意志だとか、人より秀でたものというのがありません」

「何も。先程も言いましたが、これは宝くじに当たったようなものなのです。だから目的や目標はありません。第二の人生を、あなたは自由に生きてください。究極、次の世界でどんな悪逆非道を働こうと私が罰を下すことはありません」

「本当に自由なんですね、少しほっとしました。話を続けてください」

 世界を救えと言われなくて本気で良かった。ただでさえ痛いのは嫌いなのに。

 棚から牡丹餅が出てきた。ならば食べるしかないだろう。

「適応能力が高くて助かります。時々、泣き叫んで話にならない方もいらっしゃいますから。なだめるのも大変なんですよ」

「死んだら普通、取り乱しもしますよ」

 あまりに非現実的すぎて、俺の頭はたぶん正常に動いていないだけなのだ。次の瞬間堰を切ったように感情が溢れ出しても不思議じゃない。

「それでは説明致します。転生に際して、あなたにはまず平均的な魔法能力と剣技が与えられます。魔法が使えるのは大体十人に一人なので、貴重といえば貴重です」

「平均的……ですか。いわゆるチート能力は貰えないんですか」

「贔屓をして強力無比な力を授けたら、その世界がめちゃくちゃになってしまうでしょう?ですからあくまで平均的です。もちろんあなたの努力次第で能力は向上しますよ。これまでの世界で勉学に励めば成績が上昇したように」

「例えが的確というか、酷というか」

 正論も正論だった。 

 どの程度の確率でこの『宝くじ』に当選するのかはわからないが、規格外の力を持つ異世界人が一人いただけでもそこには他大な影響を及ぼすに違いない。世界の秩序を守るためには仕方ないのかもしれない。ただ、夢や希望はあまりなさそうだ。気楽に次の人生を、とはいかないだろうな。

「とはいえ右も左もわからない異世界へと旅立つのですから、ひとつだけ望んだ力を授けましょう。しかし注意事項があります」

「注意事項?」

 なんだろう。

「望みを言えるのは一回こっきりです。過ぎた望みであればそれは叶わず、先程説明した能力のみが授けられます」

「つまりは常識の範囲内であれば俺の欲しい力が手に入ると。ただしチャンスは一度切り」

「はい」

 なかなかどうして嫌らしい話だ。

「叶う、叶わないの指標は教えて貰えるんですか」

「たとえば永遠の命が欲しいという願いは認められません。他方、本来の寿命を十年延ばしたい、という程度であれば問題ありません。異世界最強の魔法使いと同等の力は認められませんが、それに至る才覚であれば認められます。もちろん、実際にその域に達するには筆舌に尽くしがたい努力が必要です」

「なるほど。わかりました」

「時間は多くありますので、熟考して頂いてけっこうです。どんな願いが生まれるのか、密かに私は楽しみにしているのです」

「神様の割りに悪趣味ですね⁉︎」

「人より理解の外にある生物はありませんから。意外性こそ私たちの糧であるといって相違ありません」

 えらく俗物的だな。神様にとっては事象の殆どが予定調和なのかもしれない。

「……」

 さて、どうしたもんだろう。

 望めば叶う、でないことがかなり心理的なブレーキをかける。

 これからの長い人生を付き合うのだから、できる限り有利に働く能力が欲しい。しかし欲を出せば最低限の能力のみでやりくりするしかない。

 ただ、俺はあまり迷わなかった。

 説明を聞いている時に脳裏に浮かぶものがあったから。

「叶うなら、危機察知能力が欲しいです」

 これからは多くの危険と隣り合わせになるんだろう、という漠然とした想像があった。その兆しにどれだけ素早く気づけるかで結果は大きく変わる。まずは身を守る術が最重要だと俺は考えた。

「危機察知能力ですね。変更はありませんか?もう少し考えてもいいんですよ?」

「決意が鈍るのでやめてください。ないです」

 心臓があるかもわからないのに俺はドキドキしていた。高校受験の結果発表を待つ気分だ。

 しばしの間があって。

「……その願い、承認されました」

 ほっと胸を撫で下ろす。

「先立つものも必要でしょうから、いくらかの路銀と向こうの衣類は用意します。また言語に関しては困らないようにしておきますので、いちから覚える必要はありません。気づいていないでしょうが、今あなたは日本語とは別の言語を話しているのですよ。自動翻訳機能だとでも思ってください。読み書きについても同様に、心配無用です」

「あー、助かりました。この間の中間テストでも、英語は赤点ぎりぎりだったんですよね」

「先程から思っていましたが、あなたはこの状況にもあまり動じていないようですね」

「現実感が無さすぎるというか、夢を見ている気分です。今も頬をつねればベッドで目を覚ますんじゃないかと思っています。今はつねる手がありませんが」

ははっ、とやけくそ気味に笑う。

説明は以上のようだった。習うより慣れろということだろう。

神様が締めくくる。

「それでは、第二の良き人生を。あまり力添えはできませんが、あなたのことはいつも天上から見守っていますからね。あまり不埒なことはしないように」

「立派な覗き行為では⁉︎」

「あ、もう一方のこともお願いしますね」

「え?」

 聞き返すだけの余裕はなく、俺の意識は麻酔にでもかかったように薄れていった。


 つい今しがたまでの回想終わり。

しかしいつも見ているって、とんでもなく迷惑だから本当にやめて欲しい。俺にだってプライバシーがあるはずなのに……。

「シュウ、ここがどこだかわかる?さっきから仲間と通信ができないんだ」

 おそらく女神様が言っていたもう一方が言う。

 仲間……宇宙人の同胞のことだろうか。

「ここは……そういえばこの世界の名前を聞いていなかったな。この世界は俺たちの元いた地球……というか、宇宙とはまた違う、異世界だそうだ。だからどんな通信技術かは知らないが、さすがに届かないと思う」

 俺たちの上を鳥ともトンボともつかない六枚羽の生き物が飛んでいる。まさしく異世界の生物だ。

「異世界?」

「神様から聞いていないのか。てっきりパーセも神様に案内を受けたものだと」

「真っ暗な空間に球体はいたよ。緑色だった」

「それが神様だと思う。どんな話をしたんだ?」

「何も。音を発してはいたんだけど、宇宙のものとも地球のものとも違う言語だったから、僕には理解ができなかった。それで気づいたらシュウと一緒にここにいたんだ」

 神様と会話を交わすとき、俺は日本語とは別の言語を喋っていたという。どんなシステムかは知らないが、神様の自動翻訳機能とやらも宇宙語までは網羅していなかったらしい。パーセにはだからどれだけ話しても宇宙人であるパーセには理解できなかった。

 ゆえに、俺と会った神様はパーセをよろしくと言ったのかもしれない。

「俺たちは一度死んで、元いたところとは違う世界に飛ばされたんだ。こういうとき普通なら厄介ごとを頼まれそうなものだが、特に為すべきことはないらしく、好きに生きてくれと言われた」

「厄介ごとって?」

「世界を救えだとか、何かしらの大役を背負わされることが多い。無理難題を押し付けられるのが世の常だ」

「一介の地球人に救世は殆ど不可能だと思う」

 パーセの純粋な疑問に、俺は苦笑する。

「同感だ。でも、そういうものなんだよ」

 俺は状況を説明する意味でも、ものは試しと魔法を使用してみることにした。

 試すのは炎の魔法だ。そう考えると頭の中に、勝手にイメージが湧いてくる。

 胸の前で人差し指を立てる。すると、ぼっという音と共に、指先に小さな炎が現れた。マッチくらいの、とても小さな炎だ。

腰には両刃の剣が鞘に納められている。

「すごいね。科学とはまったくの別ベクトルだ」とパーセが感心したように言った。

「俺は平均的な魔法の力と剣技を貰った、らしい。便利は便利だが、所詮は人並だから、あんまりアドバンテージはないだろうなあ。そもそも使用するような戦闘状況になって欲しくない」

 ところで気になるのは、パーセにも魔法能力が付与されているのかということだ。パーセに説明し試してもらうが、何も起こらなかった。

「ダメだね」

 特に残念そうでもなくパーセは淡々と言った。

「いつまでもここに腰を据えていても仕方ないか。まずは人のいるところを目指そう」

 斜面の下、遠くに大きな都市のような影が見える。都市を囲う巨大な城壁と、天に伸びる城。霞んで細部まではわからない。まずはあれを目指すべきか。

 肩にかけられた臙脂色の革の鞄には数日分の食糧らしきものと水筒、それに銀色に光る硬貨が入っている。距離から換算するにぎりぎり食料は持ちそうだった。

「目的地はあそこにするか。今ある食料だけでもなんとか食いつなげそうだ」

「いいけど、もっと近くにも町があるよ?」

「……あたりには何も見当たらないんだが」

首を左右に振ってみても、広々とした草原と鬱蒼とした森林があるばかり。

 パーセが細い指で森林の方を指し示す。

「この森の向こうに町がある。たぶん普通に歩いても数時間もあれば着くよ。あそこに見えるものよりはだいぶ小さいけどね」

「なんでわかる」

「空から見ればすぐにわかるよ。もうひとつの僕が上にいるから」

「もうひとつの僕って……もしかして宇宙船のことか」

「うん」

 それで思い出した。

 小学生の時、パーセに教えて貰ったことがある。

 俺たち人類の核といえば脳か心臓が思い浮かぶが、パーセの一族は石なのだという。

 石。どんな形をしているのかは俺も知らないが、パーセたちはそれを二つに割り、片割れを何かに埋め込むのだという。

 パーセは自分の宇宙船に片割れを埋め込んだ。そして宇宙船はパーセの第二の身体になった。地球人にはまるで理解の及ばぬ神秘だ。本当に意味がわからない。

「宇宙船まで異世界に来ているのか。やっぱりこの世界にも宇宙があって、そこに漂っているのか」

「うん。どんな技術で転送されたかはわからないけど、あれも僕の一部という扱いみたい。周りに人工衛星も何もないから、なんだか変な気分」

「雑踏が急に消えたような感じか。近くに町があるのなら、そこへ行くか。わざわざ遠くを目指すこともない」

「うん」

 俺とパーセは森林へと分け入った。

 森の殆どは背の高い杉のような樹木だった。低い位置に枝葉は少なく周囲を確認できる。ただ空は木々の葉に覆われており、辺りはじめじめとして薄暗い。

「これ、自分たちの位置わかるのか。空がまったく見透せないぞ。森はかなり広いようだし、迷ったら一大事だ」

「大丈夫、見えなくても自分の位置はわかるよ」

「まるでGPSみたいだ。疑うわけじゃないが、本当に大丈夫なのか」

「シュウは心配性だね」

「リスクを恐れる現代っ子だからな」

 途中、腰かけ岩で休憩を挟んだ。

落ち葉を踏みしめながら歩くと、やがて森を抜ける。

「あれがパーセの言っていた町か」

「うん」

 少し先に石垣があった。背はそれほど高くない。

 宣言通り数時間の道程だった。

 近づくと煉瓦造りや木造の建物が乱立されていることが、段々と理解されてくる。人口も多そうだ。少なくとも村という規模じゃない。

「パーセはフードを被っていたほうがいいかもしれないな」

「なぜ?」

「目立つ、だろうから」

 異世界の人類がどんな姿かたちをしているのかわからない。変に面倒事に巻き込まれるのは得策ではないだろう。少なくともうちの母親はパーセに対し警戒心を顕わにしていたしな。俺のイメージするエルフという種族が広く分布しているのであれば、違和感もないだろうけど。

 石造りのアーチには門番らしき姿もなく、誰でも通れるようになっていた。

 入口を潜ると途端に香辛料の香りが鼻孔をつく。焦げたカレーの匂いに似ていた。

「……はは、本当に異世界だ」

 ひき笑いが口から漏れた。

 建築物に関しては見覚えのある造りのものも多い。

 しかし往来を闊歩するのは人類のみならず、明らかな異形があった。猫耳、トカゲ男、荷を引いているのは六本脚のラクダのような生物だ。

 加えてヒト種にしても、髪の色も肌の色も十人十色、カラフルで奇天烈な有様がそこにある。

 尻もちをつきそうな足を必死に支える。立ち眩みさえ覚えそうだ。

「すごい光景だね、シュウ。地球とは、ううん、他の惑星とも全然違う」

「パーセからしても珍しいのか。宇宙にもやっぱりああいった生き物はいないのか」

「いないこともないけど、こんな風に同一の生活圏にあることはないかな。地球でいえば、ライオンとシマウマを同じ檻のなかで飼うようなものだよ」

「とにかく大変な光景ってことはよくわかった」

 その他にも屋台に積まれた野菜とも果物ともわからない果実や、吊るされた生肉など、馴染みないものばかりでこれからの生活に早くも不安を覚える。

 見知らぬ外国に取り残されたような気分だ。隣に友人がいることだけが救いだ。

 小腹が空いていたので俺たちは果実を売る屋台へと近づいた。店主らしき人物は恰幅の良い三十具合の女性だ。先客の用向きが終わってから、緊張を抑えて話しかける。

「すみません、この中でそのまま食べられるのってどれですか?こちらの果物にはまだ詳しくなくて」

「なんだ、あんたらこのあたりに来るのは初めてかい。どれもそのまま齧りつけるものばかりだよ」

「では二つばかり下さい」

「あいよ。どれがいい?」

 言葉が通じるか不安だったが問題なく意思疎通ができた。神様に感謝だ。俺は普通に日本語を喋っているつもりなのに。

 俺とパーセはそれぞれ赤い果実と青の果実を選んだ。金銭の支払いも問題はなく、未知の通貨の価値を俺は不思議と理解していた。これも神様の御業だろう。

 広場には噴水があり、その縁に腰かけて食事を摂っている人々があった。俺たちもそれに倣って石造りの縁に腰かける。

「これ、想像したより美味しいな。完全に果物だ。野菜じゃなくて良かった」

 見た目はトマトだが味は苺に似ている。食感は林檎。頭が混乱してくる。

「そっちの味はどうだ?」

「うん、おいしい。シュウも食べてみる?」

「頼む。パーセもこっちのを食べてみるか」

「うん」

 互いのものを交換して食べてみる。

 青の果実は見た目でいえば完全に茄子だった。

 味の方はといえば、アセロラとイチジクを足したような味だ。不味くはない。むしろ美味しい。しかし地球人の感覚が、やはりここでも混乱を起こす。茄子を食べたら果物の味がするってどうよ。

 ある程度腹の膨れた俺たちは、次に宿を探すことにした。

 森を抜けるのに時間を要してしまった。すでに空を見上げると茜の下を鳥が飛んでいた。せっかく町に辿り着いたのだ、野宿だけは勘弁願いたい。安全の確保はきっと何より大切だろう。

 屋台の女性にお勧めの宿を聞き、親しみのない土地に迷いながらも宿へと到着する。煉瓦造りの三階建て。宿賃は高くもなければ安くもない。節約するべきだろうが、今日ぐらいは許して欲しい。

 俺たちの部屋は二階の奥だった。

 六畳ほどの一間にベッドが二つ。中央に木製の丸テーブルと椅子が二脚ある。

 入室して間もなく、俺はベッドにダイブした。ごつんという固い感触。万年床より僅かに柔らかい程度。鼻腔を刺激するカビの匂い。

 しかし、それも今は気にならない。

「つ、疲れた……」

 人心地ついたのか、どっと疲れが押し寄せてくる。様々なことに脳の処理が追い付いていない。

 十分もそうしていただろうか、幾らか精神力を回復した俺は身を起こす。たった十分ベッドにうつ伏せになっていただけなのに、室内はもうかなり暗くなっている。

 もうひとつのベッドに座ったパーセは、退屈したように部屋の虚空を眺めている。

 窓外に目をやると、町並みは群青一色に染まっていた。往路を行く人影もずいぶんと少なくなっている。夜の気配が近づいていた。

 事前に受け取っていたひょうそくに火を点す。油皿に灯心という原始的な明かりだ。淡い小さな光が辺りを照らす。

 夕食は自室で摂った。固いパンと薄味のスープ。まずくはない。いや、やっぱりまずいな。

 一階に小ぢんまりとした食堂もあったが、気疲れを起こしそうだったのでやめた。

「明日以降の行動指針を決めようと思うんだ」

 物珍しそうにパンをスープに浸しながら食べていたパーセが顔を上げる。

 俺にとってはただの味気ない食事だったが、宇宙人のパーセからしたらこれも異文化に触れるという点で楽しみがあるのかもしれない。考えてみれば地球での食事だって宇宙人からすれば遅れているだろうし、大差ないか。

「行動指針?」

「俺たちは一度死んで異世界にやってきた。この世界で生きていかなきゃいけない。だったら当面の目標やどう動くかというのを話し合わなきゃいけないだろう。具体的にいえばどうお金を稼ぐか。これに尽きる」

 屋台の女性にものはついでと働き口についても聞いておいた。

 曰く、皿洗いから建築のような肉体労働とわりとなんでもあるらしい。この町は王都には及ばないが勢いがあるらしく、外部からの流入がさらに人流を加速させ、労働力が足りていないのだという。

 働き口がたくさんあるというのは素晴らしいことだ。それは職を選べるということだから。齢一七歳にして遊ぶ金欲しさのバイトではなく、生計のために働かなければならないとは露とも考えていなかったが。

 しかもギルドと呼ばれる組織もあるらしい!それはなかなかに心躍るワードだ。ただ、世に言う冒険者になりたいのかと問われれば否だ。資金は稼ぎやすそうだが、その分危険も多そうだし。

 とはいえ殆ど何でも屋らしいので、金が必要なら所属しておいて損はないそうだ。

「なるほど。いろいろ話しているなあと思ったけど、僕の知らないうちにたくさんの情報を引き出していたんだね。シュウは石橋さんだ」

「石橋さん?……まさか、石橋を叩いて渡るタイプって言いたいのか」

「そう、それ」

 間違ってはいない。こちとら心配性という国民病を患いながら生きてきたのだ。

「必死にもなるさ。今日の今日まで保障されていたはずの明日がなくなってしまったんだからなあ。というか、パーセも横で聞いていただろ」

 パーセはかぶりを振った。

「彼らの言葉が僕には理解できないんだ」

「……え?」

 とんでもないことを言っているはずなのに、揺らめく光に照らされたパーセは、どこまでも無感情な声で言った。

「僕にはあの神様と同様、この世界の人々が何を語っているのかわからない。シュウの言葉はわかるけど、彼らと話している時のシュウは、日本語を喋っていなかった」

「……やけに大人しいなと思ったのは、そういう理由があったのか」

「うん。任せてばかりでごめん」

「ああ、いや、問題ない」

 しかし、どうしたことだろう?

 パーセは元いた地球の言語であれば翻訳機を通じて会話できる。しかし神様やこの世界の言語は未登録なのでわからない。神様とパーセの話を紐解くと、俺は異世界人と会話するとき、異世界の言葉を話していることになる。そういえば神様もそんなことを言っていたか……いや、どうだろう?一種の異常状態だったので、不覚にもあまり覚えていない。

「つまり、パーセは俺以外の人間と意思疎通できないのか」

「現状はそうなるね、困った」

 困ったならもう少し困り顔をして欲しい。今の反応だと自販機で微糖コーヒーを選ぶつもりが無糖コーヒーを選んでしまった、くらいだ。

 ただパーセを一人きりにするつもりもないので今のところは大丈夫だろう。通訳じゃないが、俺が間に入れば会話は成り立つのだから。

 意思疎通の問題は一時置いておくとして、本筋に戻る。

「それでパーセはどうしたいっていうのはあるか?どんなことがしたいだとか、こんなことはしたくないだとか」

 男だとしても細腕だし、肉体労働には向かなそうだ。

「シュウが決めていいよ。僕よりシュウの方が異世界について詳しそうだし」

「アニメや漫画で手に入れた知識だから、殆ど役に立たないと思うが……」

「だとしてもだよ。それに、すでに一案がありそうだし」

「聡いなあ。俺はギルドに登録しておいて損はないと思ってる。先程も言ったように何でも屋を兼ねているらしいから、まずは易しそうな依頼をこなして様子をみるのはどうだろう。素材集めとか」

「地味だね」

「地味だとか派手だとかで社会を語ってはいけないんだぞ。どんな仕事も尊い、職業に貴賎なしだ」

 てきとうな文句が口を吐く。

 剣をやるから猛獣の檻に入ってライオンを狩ってこい、と言われて実行できる人間がどれだけいるのか。

 神様から魔法や剣技が与えられているとはいえ、頭や胴を噛まれたら一巻の終わり。HP制ならまだしも一撃必殺が適用される世界だ。一介の高校生には荷が勝ちすぎる。というか単純に怖い。足が竦む絶対的自信がある。普通に嫌だ。

「ふうん、じゃあそれでいこう」

 パーセは反論もなくすぐに頷いた。

「軽いなあ。意見はないのか」

「大金を得るために危険な任務を受けようと言ってもシュウは絶対に反対するでしょ?」

「もちろん」

「なら最初から選択肢はひとつだよ。さっきも言ったけど、僕はシュウの意見に賛成だから。気長にいこう。きっと先は長いんだし」

 席を立ったパーセはそのままベッドにかけ、寝ころぶ。

「今日は疲れたね」 

「ああ」

 時計がないので今が何時かわからない。時計というものが存在するのかも怪しい。

 感覚的には夜の九時にはなっていない。しかし、陽の完全に落ちた町は死んだようにひっそりとしている。江戸時代は日の出と共に起床し、陽が落ちれば眠るという生活を送っていたと聞く。この世界もそうなのかもしれない。

俺もかなり疲れていた。ずっと肩肘を張っていたせいだろう。

明日の予定も決まったことだし今日はもう休むことにする。

ひょうそくの炎を消してそそくさと硬いベッドに横たわる。

窓枠から落ちる月明かりが微かに部屋を青白く染める。

どこか遠くで男たちの笑い声が上がっている。飲み屋があるのかもしれない。

「おやすみ。明日からよろしく頼む」

「おやすみ、シュウ」

 そうしてしばらく無心で目を閉じていたが……眠れるはずもない。

 ゆっくりと目を開き、古びた木の天井を見上げる。

 頭が妙に冴えていた。胃が熱い。今日一日の出来事がずっとぐるぐると頭を巡っている。

 久しぶりに宇宙人の友人と再会し、家で遊んだ。

 見送りに出た先でトラックに轢かれそうになっている子供を見つけた。無我夢中で助けようとしたら、俺が轢かれて死んでしまった。

 そして神様とやらと邂逅し、この世界に落とされた。なんとか一日を終えることができた。

 あの少女は無事だろうか?命懸けで守ったのだ、無事でなければやっていられない。

 パーセには本当に申し訳ないことをしてしまった。あんなの俺の巻き添えみたいなものじゃないか。そのことについてまだ謝れてもいない。

 次に思い浮かぶのは学校の友達や両親だった。明日も学校があるはずだった。文化祭の準備だってあった。けっこう楽しみにしていたのにな。

明日も、親の作った料理が食べられると思っていた。話すことはおろか、もう顔を見る事すら叶わない。後悔先に立たずとはこのことか。

 様々な考えが怒涛のように押し寄せてきて、ベッドの中で丸くなる。

 明日が来るのが怖い。不登校の奴もこんな気持ちなのだろうか。

 それでも、やがては眠気がやってくる。

 布団を頭から被りながら俺は眠った。

 明日目覚めたら、今日のすべてが夢であればいいのにと願いながら。


 夢を見た。

 小学生のころの記憶だ。

 俺たちは高学年で、山の麓の公園に秘密基地を作っていた。ブランコの裏手から少し分け入った先に、ちょうどよい具合に開けた場所があり、そこにブルーシートやら段ボールやらを持ち寄って、十人程度が入れ替わりで遊んでいた。

 そこにはパーセの姿もあった。

 遊んでいると、二匹の野犬が出た。

 皆散り散りになって逃げた。

 俺も脱兎のごとく逃げ出したのだけど、すぐに足を止めた。当時好きだった女子が逃げ遅れていた。俺は付近に落ちていた木の棒を手にすると、恐怖に目に泣を浮かべながらも野犬の前に立ち塞がった。

 とにかく無我夢中で棒を振り回した。格好良さの欠片もない。しかし鬼気迫る気迫に気圧されたのか、野犬は何処へと逃げていった。女の子も無事だった。

 両親には危ないことをするなと怒られたが、友達には讃えられた。

 俺は誇らしい気持ちだった。


早朝の冷えた空気の中目覚めた俺は、ゆっくりと身を起こす。

「実際にはあんなこと無かったよな」

 開口一番、そんな独り言が漏れた。

 皆で秘密基地を作っている時に野犬が現れたのは本当だ。しかし俺はただ一目散に逃げただけだ。勇敢に戦ってなどいない。

 そもそも、好きな女子は中学生の時に知り合ったのだ。小学校は別々だった。妄想も甚だしい。パーセは……どうだったか。

 寝ぼけ眼にあたりを確認すると、くたびれた宿の、板張りの壁が目に映る。

「……こっちの方が現実だったか」

 好きな女の子を救う夢の方がまだ現実的だった。まさか死んで異世界に転生した方が事実とは。現実はどこまでも非情だ。

 テーブルには昨日使用した食器がそのまま残されている。相変わらずカビ臭い。

 ベッドから起き抜けて、もうひとつのベッドに向かう。

「うおうっ」

 一瞬、どきりとしてしまう。

 布団に包まるパーセの寝顔は完全に同世代の女子だった。閉じたまつ毛は長く、鼻筋が通っている。これで男なのだとしたら犯罪的だ。

 触れるのは憚られたので声をかける。

「パーセ、起きろ。朝だ」

「う、ううん……」

 カーテンのない窓からは朝陽が差し込んでいる。銀色の乱れ髪がはらりと頬に落ちて、パーセがゆっくりと目を開く。

「シュウ、おはよう」

「……ああ、おはよう」

 変な妄想に取り憑かれそうになる自分を必死に抑える。今のは中々の破壊力があった。


 身支度を整えた俺たちは宿の外へ出た。

 まだ朝靄に包まれた町ではあったが、街道は多くの人で充ちている。異世界の朝は早いらしい。時計がないのでわからないが、いつもならまだ寝ている時間だ。

 あたりには早朝特有の、朝露と草の匂いが充満している。

「やっぱり早朝は冷えるな」

「少し肌寒いね」

 青白い雑踏を掻き分け俺たちはギルドを目指した。

 やがて一際大きな建物が見えてくる。

 扉の上に掲げられた大きな鉄製の看板が印象的だ。年季を感じさせる錆び具合。様々な毛色の者たちがその中に吸い込まれていく。

「これ、なんて書いてあるの?」

「元の世界で言うところの、あー、ハローワークと書いてある」

「はろーわーく」

「つまり昨日話したギルドのことだな。職を斡旋してくれるところだ。とにかく入ってみよう」

「あ、ちょっと待って。シュウにこれをあげる」

 ずいと差し出されたのはペンダントだ。銀を加工したような精巧な造りで、中央にはルビーのような石が嵌め込まれている。

「これを僕だと思って大切にして欲しい」

「……それは別離の言葉だぞ、たぶん」

「プレゼントふぉーゆー?」

「そういう類の言葉、いったいどこで覚えたんだ?でもありがとう。なぜこのタイミングなのかは甚だ謎だが」

 せっかくのプレゼントなので首から下げてみる。が、鏡がないので似合っているかはわからない。一昨日まで洒落っ気もなかったし。それでもパーセが「うん、いいね。似合ってる」と満足げだったので良しとする。

 ギルドの中は活気で溢れていた。

 談笑する者、真剣に話し合う者、何やら喧嘩をしている者と忙しない。俺よりも年下らしきグループもあった。全体的に世を拗ねたような印象が強く、若いのに大変だなあと思うと同時、もはや俺も当事者なのだと身が引き締まる。彼らにもいろいろあるに違いない。

 カウンターはいくつかに別れて設置されており、それぞれの上部に天井からプレートが垂れ下がっている。なんだか役所みたいだ。

 どれも当然異世界の言葉で綴られていたが、不思議と読むことができた。どうやらご新規さんの受け付けは奥のようだ。

 目立たぬようフードを目深に被ったパーセと共に、奥へと移動する。

「すみません、ちょっと話を聞きたいんですけど」

「わっ、おはようございます。フェトナといいます。な、なんでしょうか」

 受け付けはまだ若い女性……というよりも女の子だった。年の頃はそろそろ中学生、というくらいだ。まだあどけなさが目立ち、慣れていないのかどこか目が泳いでいる。

「おはようございます、えーと、フェトナさん。ここでギルドの登録ができるんですか?可能ならお願いしたいんですけど。二人です」

「わかりました。受付をしますので、ちょっとお待ちください」

 彼女はカウンターの下から紙とペンを取り出すとこちらに寄こす。

「ええと、注意事項を読んだ上でここに名前を……」

 パーセはやはり文字も読めないようなので、代わりに読み上げる。

 特に難しいこともない。犯罪に手を染めるな。手柄を横取りするな。ギルドを通さず依頼を受けるな、と至極まっとうな内容だ。

 留意すべきは死んでも知らん、くらいだろうか。さすが異世界、命が軽い。とはいえ元いた世界でもガンジス川には普通に死体が浮かんでいると聞いたことがあるし、日本の価値観が異常だっただけかもしれない。

「こっちは字が書けないので、俺が代筆しても?」

「大丈夫ですよー」

「軽いというか、いろいろ簡単なんですね。記入欄も登録名だけですし」

 てっきり数多くの書類を書かされ、至るところに印鑑を求められるものと覚悟していたのに……印鑑はないか。

 俺は紙にシュウという名とパーセという名を記入する。

 女の子はあははー、と愛想笑いをした。

「字が書けない人も多いですから。ついでにギルドに所属する人なんて、学のない人も多いです。手に職のない人とか、流れ者とか、とりあえず当座のお金が欲しい人とか」

「なるほど」

 得心がいった。

 そこで言えば今の俺たちは流れ者だろうか。もはや浮き草のような存在だ。

「その点お兄さんは言葉もしっかりしていますし、雰囲気も悪く言えば世間知らず。実は貴族様の隠し子で、妾の子で囲うのが面倒になって放逐されたとか?」

「……見る目があるなあ。当たらずとも遠からずです」

 とぼけつつ、一瞬どきりとした。紛れるつもりもなかったが、まさかこんな簡単に気取られるとは。

 この世界に溶け込むには、立ち居振る舞いも考えないといけないかもしれない。

「参考までに聞きたいんですけど、どうしてわかったんですか」

「何を隠そう私も同じようなものなので」

 同類と相まみえたからか、どこか嬉しそうに微笑む。緊張も解けている。

 しかし朗らかな割りに重荷を背負って生きているようだ。やはり、この世界は生易しくはないのだろう。

「ところで、お二人はパーティーを組む予定なんですか?」

「おー、パーセ、パーティーだってさ。いよいよゲームみたいだな」

 思わず振り返ると、受付の少女に「え?」と怪訝な顔をされてしまう。……手抜かりだ。自分では気づかなかったが、俺は今日本語を喋っていたのかもしれない。自動切換えとは面倒なシステムだ。

「あ、いや、こちらの話です」

「もしかして寡黙な後ろの方は、外から?」

 外。国外、もしくは大陸の向こうからという意味か。

「実はそうなんです。俺もですけど」

「お二人とも複雑な事情をお持ちなんですね」

「ええ、まあ」

 本当に複雑だ。

 なんなら俺はこの世界の外から来たし、パーセに至ってはさらにその外からの来訪者である。

 その後も簡単な説明を受け、無事ギルド会員となった俺たちは、改めて食い扶持を稼ぐために依頼書と睨めっこをした。


 数時間後。

 俺とパーセは昨日の森にいた。

 散々初心者向けの依頼を漁ったのち、フェトナさんにオススメだと斡旋された依頼。

『一角ウサギの角4つ』

 非情に簡潔な依頼内容だった。

 決め手も単純で、他の簡単な依頼と比べて報酬が高価だったから。ざっと一週間分の生活費である。 

 受付のフェトナさん曰く、これは討伐ではなく採取に分類されるらしい。

 対象が小さく凶暴性も殆どない生き物というのが理由で、ではなぜ割りがいいのかといえば、一角ウサギの角は、高価な薬品に必要なのだとか。

 角だけ持ってきてもいいし、毛皮や肉も皮製品や食料になるので丸ごと納品すればさらに報酬アップとのことだ。

 薬草採りなんて庭の草むしりみたいで退屈だし、せっかく剣も魔法も使えるのだから、練習にもなると踏んだ次第だ。コスパが高いって素晴らしい。

 一角ウサギは森の中に生息するという。慣れない土地だしコンパスもないが、宇宙にいるもうひとつのパーセが遥か上空から位置を確認できるというのだから、迷って森の中を彷徨う心配もない。

「さあ、とっとと一角ウサギとやらを狩って、報酬を受け取ろうじゃないか」

 無意味に腰の刀を抜いて陽にかざしてみる。俺も男子だ、刀剣の類は嫌いじゃない。白銀の刀身には傷や欠けひとつなく、見事な業物であることが窺える。まあ、名刀か否かなんて俺にはまったくわからないのだけど。

「楽しそうだね」

「今朝も言ったが、ゲームの世界に入り込んだような感覚だ。楽しまないとやっていられないというのも正直ある。とにかく一角ウサギを見つけたら逃がさず狩ろう。昼過ぎには集まるといいなあ」

 だがしかし。

「はあ……はあ……はあ……」

 両腕を膝にあて、肩で息をする。

 完全に誤算だった。

 すでに異世界の太陽は高く、腹時計からすると昼時も過ぎている。だというのに釣果は未だ0匹だった。

 獲物が見つからなかったわけじゃない。鬱蒼と茂る森の中を歩いていると、文字通り角を生やしたウサギと出くわすことがあった。

 初めは剣を振りかざして切りかかってみたのだけど、身体の小ささゆえか、俺の刃は虚空ばかりを切った。次に俺は魔法を試した。炎の魔法は山火事が怖いので使用するわけにもいかず、電撃の魔法を使った。しかし稲妻は取っ散らかってまともに狙いが定まらない。氷魔法は空気中の水分を凍らせて氷柱を作り出し、それを一角ウサギへと掃射した。狙い通りに打ち出すことはできたが、代わりに今度は速度が足りない。ひらりひらりと躱されてしまった。

そんなこんなをもう何度か繰り返している。

俺はついに耐えかねて、ちょうどよい樹木の根に腰を下ろし、愚痴をこぼす。

「この世界の魔法使いの平均能力、しょっぱいな」

 これでは仕留めるどころか捕まえることすら叶わない。

脳裏にクエスト失敗という文字が躍る。もしかしなくても依頼失敗は無報酬だろう。

 そう考えると元の世界のアルバイトという制度はとても素晴らしかった。ただ規定の時間そこにいるだけで賃金が貰えるのだから。ちなみに俺のバイト先は高齢の爺さんが運営している昔ながらの古本屋だった。

「なんでこの依頼にしたの?」

 同じく隣に腰かけたパーセが問う。

「……コスパだよコスパ。簡単で、単価の高いほうがお得だろう」

「ふうん。今の状況が、コスパが高いって言うんだ」

 学校の友達が言ったなら、こいつ思い切り煽ってやがると考えたに違いない。手痛い皮肉だ。相手がパーセで良かった。変に意地を張らないで済む。

「……はあ。思ったようにはなかなか上手くいかないな。ごめん、いきなり躓いたかもしれない」

 俺は焦っていたのかもしれない。いや、事実焦っていたのだろう。一人ならまだしもパーセを巻き込んでしまった。その上パーセはこの世界では意思疎通さえままならないのだ。俺が頑張らないでどうする。

「僕も何か手伝うよ」

「ありがたいが、できることはあるだろうか……」

「ちょっと待って。考えていたことがあるから」

 言いながら虚空に腕を伸ばす。と、パーセの肘から先が消失する。まるで見えない水面に腕を浸したように。

 俺は唖然と目を瞬く。

「どうしたの?鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

「あ、いや、前腕が無くなっているなって。大丈夫なのか」

 痛がる様子もないので問題ないのだろうが。

「異次元ポケット。ものを収納するのに便利なんだ」

「へえ」

 いろいろとギリギリな名前である。

「あ、あったあった」

 引っ張り出すような動作をすると、ずるずると消えた前腕が現れた上に、その手に何かを掴んでいる。しかもけっこう大きい。

「……なんだ、それ?」

 かたちと大きさはまさに刺股だった。二メートル程の棒の先に、U字型の金属が取り付けられている。学校や商業施設などで暴漢を安全に制圧するためのアレだ。それは全体を通してグリーンともブルーともつかぬ色合いをしていた。

 しかしU字の内側には小さな鈍色の突起がいくつもついており、U字の幅自体も一メートルほどと長大。なんだかマジックでも見せられているような気分だ。

「シュウのいた国で言う、虫取り網が近いかな」

「虫取り網って……虫を捕まえるための道具だよな」

「うん」

 にしては地球仕様とは似ても似つかない。

 棒部分はともかくも、肝心の網がパーセのそれには見当たらない。まさかこれから網をU字部分に取り付けるわけもないよな……捕縛力は格段に上昇するだろうけど。

「これでどうやってあいつらを捕まえるんだ?」

「これをこうするとね……」

 パーセが持ち手の中間部分を擦る。ブゥンという羽虫の羽ばたくような音がして、U字部分に円形の、薄い紫の膜のようなものが現れる。膜はうっすらと揺れ動き、チリチリという僅かな音を発している。

「もしかして、これって電気でできた膜だったり?」

「うん。だからこの部分に相手を当てるだけでオーケー。昔は僕もこれで色んな虫を獲ったものだよ」

「宇宙の虫取り技術は革新的なんだな」

 そういえば電気の力で蠅を殺傷するテニスラケットみたいな商品は地球にもあった。その類似品か。

「出力も変えられるから、殺傷から気絶まで対応できるよ」

「恐ろしい道具だな。子供が使うんじゃないのか?これ」

 パーセの生まれた星はそれほど殺伐とした昆虫が闊歩していたのだろうか。今度聞いてみよう。

パーセは一通り虫取り網宇宙仕様の説明をすると、当然のようにそれを寄こしてくる。

「なんだよ。虫取り網は使ったことがあるけども、セミとかバッタくらいしか経験ないぞ。それに小さい頃にそいつを使っていたなら、パーセの方が扱いにも慣れているんじゃないか」

「剣技を神様から貰ったんでしょ?なら僕よりシュウが使った方が確実だよ。たぶん必要な動きも似てると思う」

 こいつ、明らかにてきとうなことを言っているな。ただ。

「……わかった、貸してくれ。やるだけやってみる」

 パーセは俺に花を持たせようとしているのかもしれない。

 パーセの道具でパーセが依頼を完遂したら、俺の価値はどうなるだろう?偉そうに先達を気取るだけの木偶の棒。相当に格好悪い。であればここが踏ん張りどころだ。俺にも意地がある。

 立ち上がり、自分を奮い立たせる。

 改めて見る虫取り網は手によく馴染んだ。

 見た目に反して重量は剣の半分もなさそうだ。軽い。さすが子供が振り回すことを想定している……?

 新たな武器を手にし、俺たちはさっそくウサギ狩りを再開した。

 十分も森を彷徨っていると、草むらから一角ウサギが顔を出す。運が良い。

 俺はゆっくりと距離を詰め、射程ぎりぎりまで近寄ると、素早く虫取り網を薙いだ。電流の部分が少しでも当たってくれればそれでいいと願いながら。

 渾身の一振りは飛び上がった一角ウサギの後ろ脚を微かに捉えた。ばちん、という音がして一角ウサギが地に倒れ伏す。

「や、やったぞパーセ!」

 思わず快哉を叫ぶ。

 パーセも珍しく表情を変えて「おー」と拍手した。

 動かなくなった一角ウサギは少しばかり焦げ臭いだけで、外傷は見当たらない。これは角以外も高く売れそうだ。

 捕らえた獲物はパーセに任せ、俺は次の獲物を探す。

 それからは一時間に一匹のペースで一角ウサギを仕留めた。しかし決して順調だったわけじゃない。取り逃がした個体もある。それでも少しずつだが一角ウサギの特性が理解されてきた。あいつら、全力で移動するときは前方方向へしか飛べないのだ。その特性を利用して上手いことすると、少なくとも見当違いの場所を攻撃することはなくなった。

 しかし快進撃も長くは続かない。

 計三匹を捕まえたところで一角ウサギはさっぱりと姿を隠してしまう。

「くそ、あと一匹がなかなか見つからないな」と石ころを蹴とばす。

 時間も差し迫っている。

陽が傾き始める頃には森を去らないといけない。漠然としか知らないが、夜の森は危険だろう。それに慣れぬ森林の道なき道だ。体力も順調に削られている。こんなことならもっと真面目に体育の授業を受けておくんだった。

「僕が一角ウサギを見つけてみようか」

 拾った棒切れに三匹の一角ウサギを括りつけ、細い肩に担いだパーセが言う。

 耳はともかくも髪と肌がエルフ染みたパーセのそんな姿は、大変ファンタジーな世界観だ。まさに狩人。弓を持たせれば完璧だろう。

「できるのか」

「一角ウサギの大きさや形は覚えたから、上空からも探せると思うよ。生体反応もわかるし」

「なら頼みたい。すでに明日は筋肉痛確定なんだ」

「合点承知の助」

「たぶんだけど、その台詞そうとうに古いぞ」

 苔むした大樹の前で棒立ちとなったパーセ。ぼうっとしたように視線が虚空を移ろう。きっと遥か上空、宇宙空間にある分身と深く通信しているんだろう。

 ややあって。

「見つけた」と一方向を指差す。

 それから程なくして最後の一角ウサギを確保することができた。けれど、そいつは一筋縄ではいかなかった。最後のそれは果敢にもこちらに挑んできたのだ。高い脚力を活かしたこちらへの突進。鋭利な角がある分ひやりとさせられたが、その寸前、俺は予知能力でも得たように身の危険を感じ取っていた。

 身を捻って攻撃を躱し、合わせるように虫取り網を薙いだ。力なく地へと倒れ伏す一角ウサギ。

 後から考えれば、あれが神様から貰った危機察知能力だったのかもしれない。


「剣も魔法も必要なかったな、これ。宇宙科学最強だ」

「でも捕まえたのは紛れもなくシュウの力だよ」

 二人の目の前に、棒に結われた都合四つの一角ウサギの骸が並べられている。

 達成感はあったが同時に良心の呵責もあった。俺にだって動物愛護の精神が染みついている。日本では美徳でも、ここではもはや呪いの類だろう。

 敬虔な仏教徒ではないが、俺は一角ウサギたちの骸に手を合わせた。隣のパーセも見様見真似で手を合わせる。たぶん、その意味するところはわかっていないだろうが。

「暗くなる前に町へ帰ろう。夜道は危ないし、ギルドの閉店時間を確認するのを忘れてしまった。日没と共に終了、というのも十分考えられるしな」

 俺たちは早々に森から引き上げ、夕暮れが迫る頃に町へと戻り、そのままギルドの門戸を叩く。

 ギルドは一仕事終えた者たちでごった返していた……と思いきや、今朝とは打って変わり、閉店間際の静けさだった。

 やはりこの世界の人々は日の出と共に起床して、日暮れと共に眠るらしい。日本昔話の世界である。異世界だけど。

「依頼を終えて来たんですけど、まだ大丈夫ですか」

 カウンターの中にいた壮年男性に確認を取る。ちらりとこちらを一瞥した男は、「報酬の受け取りはあっちだ」とだけ顎で指し示し、あとはもう興味を失ったようにそっぽを向く。接客業にあるまじき態度だ。しかしここで元いた世界の常識を持ち出したところで意味もなく、「ありがとうございました」と軽く頭を下げてその場を離れる。

 改めて報酬受け取りの受付へと向かった俺たちは、つつがなく一角ウサギを納め、報酬を受け取る。骸をそのまま納品したので割り増し分も無事ゲット。非常に簡単な手続きだった。

 用も終えたので宿へと帰ろうとした時のことだ。

「え、依頼成功したんですか⁉」

 頓狂な声が上がった。

「フェトナさん……でしたっけ」

 声の主は、今朝方俺たちのギルド登録を行ってくれた女性だった。女性といっても多分俺より年下だが。丁度業務を終えて帰宅するところだったのか、背中にランドセルのような鞄を背負っている。

 彼女はそのままドコドコと駆け寄ってくると、小さな体躯を伸ばし、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、カウンターの、今しがた納品したばかりのブツを確認する。少女が飛び跳ねるたびに、彼女の少し茶色がかった黒髪がぴょこぴょこと左右に跳ねた。

「うげ、本当に全部集めてる。しかも目立った傷も無しって、なんで⁉︎」

「なんでって……あの、どういうことですか?」

 なんだろう、今朝と随分様子が違う。すると。

「お前、またやったのか!」

「ひえっ」

 先程の、仏頂面した中年男の怒号が飛んだ。頭を抱えてその場に蹲る少女。納品の手続きをしてくれた受付嬢はカウンターの奥で苦笑いを浮かべている。

「すまん。うちの新人が迷惑をかけた」

「え、あ、はあ……」

 不意打ちに思いっきりキョドる。

たとえ他人でも、人が怒鳴られる姿は心臓に悪い。飲食店の厨房でたまに怒られている店員さんを見かけることがあるが、あれは料理の味がしなくなる。それと似た感情だ。

「で、今度は何をしたんだ。え?」

「あー、いやー、別に何をしたわけでもないんですけど……」

「言い訳が今更利くとでも思ってやがるのか?」と叱咤が続く。

 目がうようよと泳ぎ、冷汗を搔きまくるフェトナさん。

 面食らっている俺の肩をパーセがトントンと叩いた。

「みんなで何の話をしているの?」

「そうだよな。パーセには何がなんだかわからないものな。でもごめん、俺にもさっぱりだ」

俺のキャパシティも決壊寸前である。

そしてついに業を煮やしたらしい男が、「依頼内容を見せてみろ」と受付嬢に命令。言い訳を並べ立てていたフェトナさんだったが、青筋を立てて硬直した。

「……この依頼、初心者には向かないな。フェトナが選んだのか」

「え、はい。登録ついでにお勧めの依頼ということでこれを紹介されたんですが……」

 危険が少なく報酬も良い、つまりコスパが高いということで、俺たちはこの依頼を引き受けた。

 だのに初心者に向かないとはどういうことだろう?

 たしかに難度は考えていた以上だったが、無事に依頼を完了することはできた。報酬も上々だ。こちらとしては特段文句もない。

「まず一角ウサギはとてもすばしっこい生き物だ。そこらの魔法攻撃など軽々と回避してしまう。追いかけようにも素早い。小柄で非力な分、戦闘になってもこちらが死亡する可能性は少ないけどな……。何より熟練者は罠を仕掛けて捕らえるんだ。それでも日に一匹罠にかかっていれば良い方、何より一角ウサギは人の気配に敏感で、滅多に人前に姿を現さないんだ」

「……まったく知りませんでした」

 なぜってこちとら異世界人である。世間知らずどころか世界知らずだ。

「報酬が高かっただろう。報酬が高いということは、相応の理由があるに決まっている。依頼人だってよほどの金持ちでもない限り、易い仕事に高額の報酬はかけないだろう」

「耳が痛いです」

 言われてみればだ。言い得て妙。

 つまりたまたま事が上手く運んだだけで、俺たちはフェトナさんに一杯食わされていたわけだ。

 でもなぜ。理由がわからない。

「こいつの悪い癖だ。ムカつく新人に無理な依頼を受けさせ、失敗する様を見てほくそ笑む。以前にも何度かやらかしている。俺たちも困っているんだが、とはいえ職員の数も限られているから、そう簡単に他所へと移すこともできないんだ。それで、今回は何が気に食わなかったんだ?」

「……なんの苦労もしてこなかった人間の気楽さを感じたから。自分だけはそう悪い結末にならないだろうっていう無根拠の自信が鼻についたから。だから痛い目を見ればいいと思ったんです」

 観念したように、今朝とは違う胡乱だ瞳で呪詛を吐く。人格が入れ替わったのではないかと疑うほどだ。

「フェトナさんは俺のことを、たしか放逐された貴族の妾の子と推察しました。そして自分も似たようなものだと」

「……それもあるかも、です。以前の自分を見ているようで胸糞が悪かった」

 立場ある身分だった彼女がここで働き始めた理由なんて今の俺には想像もつかない。いろいろあったんだろう。ただ、それを口にするのは憚られた。つい一昨日まで温かい布団で眠っていた俺が口に出せば、きっと侮辱になってしまう。

「であれば、どうしてもっと危険な依頼を勧めなかったんですか?常識知らずな俺たちを嵌めるなんて簡単だったでしょう」

 危険な匂いを僅かでも感じていれば、俺は断っただろうけど。命に勝る報酬なんてない。

「私のせいで死んだら寝覚めが悪いじゃん?」

「……そりゃそうだ」

 転んで怪我をしろ、箪笥の角に小指をぶつけろ程度なら俺だってムカつく相手に考えたことはある。しかし心底死んでしまえと願ったことはない。

 俺は僅かながらも胸を撫で下ろす。言いがかりで酷い憂き目に遭いかけたが、事態は最悪ではなかった。

「今回のケジメはどうする?」

 本題だ、というように男が言う。

 同時にびくりと身を竦めるフェトナさん。蛇に睨まれた蛙のように顔に青筋を立て、そして無意識なのか脇腹のあたりを擦る。

 え、もしかして肉体言語万歳なお国柄なのか。普通に怖いんですけど。

「一応はこうして平穏無事に依頼も果たせましたし、報酬もいただけたので今回のことは穏便に済ませても良いと考えています。反省してもらえれば」

「はい、反省します!もうしません!なんならサービスしまくります!」

 びしっと右手を天に掲げての宣言。体育祭の選手宣誓のようだった。

 それからよほど恐ろしいのか、お伺いを立てるように男を見上げる。男は一度ギロリと睨みを利かせ、ため息をつく。

「こいつは罰なしで反省するようなタマじゃない。お人好しは死期を早めるぞ」

「お人好しじゃあないです。今回は貸しにしておくという意味に取ってもらえれば。そのうちちゃんと返してください」

「わかった。ならその時は、俺が責任を持ってこいつに返させる」

「はい!じゃ、じゃあ私はこのへんで……お疲れ様でしたー」

 踵を返そうとするフェトナさんに、俺は手を差し出す。

「……何のまね、ですか?」

「仲直りの握手です。俺の故郷ではこうして手打ちにします。これからは似た境遇の者同士、仲良くしてください」

 瞬間、葛藤するようにフェトナさんは差し出された手を見つめた。それから俺と瞳を交わし、やがて、恐る恐るといったように俺の手を……ばちんと叩く。

「誰が手を取りますか、バーカ」

 んべー、と悪ガキのように舌を出す。

「おいコラ!」

「許しは得たので!じゃあまた明日!」

 フェトナさんが逃げるように駆けていく。いや、実際逃げたんだろう。

「あいつという奴は……くそ。それにしてもお前たち、気配を殺すのが上手いな。どんな修行を積んだんだ?」

「特に修行したことはありませんけど。気配薄かったですか?」

 なんだろう、教室の隅で本を読んでいるタイプだと揶揄されているのだろうか。

「てことは生来のものってことか。一角ウサギは気配に敏感だと言っただろ?普通にしてたんじゃ出逢う前に向こうが逃げちまう。それにさっき俺に話しかけてきた時も、寸前まで俺はお前たちに気づけなかった。意図的なものだとしたら大したもんだと思ったんだが……」

 残念ながら心当たりはない。そんな魔法を使った覚えもなかった。


 少し遅れて俺たちもギルドを後にする。

 その頃には陽はもうとっぷりと暮れており、家屋から漏れる明かりが薄っすらと街中を照らしている。街灯は殆どない。行燈がないと転んでしまいそうだ。

「パーセ、ひとつ聞きたいんだけどさ、俺に何かしたか?」

 ギルドを出てすぐ、俺はパーセに問うた。先程のギルドでの話が気になっていた。

「何かって?」

「たとえば気配を薄くするなんていう宇宙的超技術を俺に使わなかったかなあと」

「使ったよ?」

 きょとんとした顔で言われてしまった。いつのまに……。

「なんで?」

「目立ちたくないって言っていたから」

「……ふむ」

 確かに言った覚えはある。目立って、東西を弁えない輩に絡まれたくなかった。特にそういったら奴らはパーセのような物珍しい存在に目がなさそうだし。だからこそ、パーセにはフードを被ってもらっている。

「ちなみにどんなからくりなんだ?」

「ペンダントを渡したでしょ?あれは認識を阻害する装置で、石の部分がスイッチになっているんだ。故郷の星で、地球で言うかくれんぼをする時によく使ってた。僕もつけているよ」と懐から取り出す。

「へー」

 パーセの故郷では、これが子供の玩具なのか。宇宙は広いな。とりあえず自分の分はスイッチを切っておく。

「もしかして迷惑だった?」

「いや、結果オーライ。おかげで美味しい報酬にありつけたしな。でも今後何か宇宙的なガジェットを使用する時は、一言断ってくれると非常に助かる」

「わかった。頑張るよ」

 頑張ってくれるらしい。だが日本人的に、その解答は行けたら行くくらいの信用度だ。理解して言っているのだろうか。

「とにかく、せっかく初仕事終えたんだ。懐も温まった。今日くらいはぱーっとやらないか」「賛成」

 と、無表情ながらパーセも快諾。

 俺たちはひっそりとした夜の町を徘徊し、声と明かりの漏れ出る店を選定した。賑やかだが、貧相ではなくそれほど高級でもなさそうな一店に絞り込む。

 店内は真昼のような明るさだった。照明をケチっていないのだ。客層も全体的に身綺麗で清潔感があり、酒を煽って大声を上げるような大人もいない。少なくとも外れではなさそうだ。

 すぐに給仕がやってきて、俺たちは端の席に通された。

 木版のメニューが渡される。俺は幾分緊張しながらそれに目を落とす。

「……よかった。ちゃんと文字が読めるぞ。パーセはどんなものが食べたい?いや、まずはドリンクか」

 メニューには酒類もあり、ソフトドリンクは果汁系のものが多いようだ。周囲を探るにこの世界では若者も酒を飲むようだが、俺はやめておく。酔って前後が不覚になった日には、どんな結果が待ち受けているか想像もできない。少なくとも日本よりろくでもない結果が待っていることは確実だろう。

 俺は無難にソフトドリンクに決め、パーセはどうするとメニューの説明をする。

 驚いたことに、パーセは酒類からドリンクを決めた。

「パーセが何歳かは知らないが、大丈夫なのか。酒は若い体には毒らしいぞ。脳にダメージを受けるらしい」

「そもそも僕、人間じゃないし。地球でもお酒を嗜んだよ」

「人間じゃないなら仕方ないか。それにしても酒を嗜むって、なんか格好良いな」

 パーセ、俺よりずっと大人である。そのうち俺も飲み方を教わろう。

 給仕に注文を告げ待つこと暫し。

 まずは大ジョッキ二つがやってきた。

「こういうとき、日本では誰かが乾杯の音頭を取るんでしょ」

「よく知ってるなあ。俺は子供だからやったことないけどさ」

 さりげなく牽制する。乾杯の音頭なんて恥ずかしいじゃないか。けれど日本人的婉曲表現が宇宙人に伝わるはずもなく、パーセの深い緑色の瞳が期待の眼差しを向けてくる。口は一文字なのになあ……。

「……それでは僭越ながら、皆さま……って二人しかいないけど、グラスをお持ちください」

 コトリとジョッキを持ち上げるパーセ。俺は頭をフル回転だ。

「異世界二日目、お疲れ様でした。まだまだ勝手のわからぬことばかりですが、まずは今日の成功を祝して……乾杯っ」

「おー、乾杯」

 パーセとジョッキを打ち交わす。ジョッキが硝子製ではなく木製なので、ゴゥンという鈍い音がした。

俺はごくごくと勢いよく果汁ジュースを嚥下する。身体が緊張と気恥ずかしさで火照っていた。慣れないことはするものじゃない。

パーセもこちらのマネをするように、一気にジョッキを傾ける。

「ぷはあ。これは柑橘系のジュースだな。けっこう美味しい」

名前だけじゃどんな味かわからなかったから半分博打だったが、賭けに勝ったようだ。

「こっちも地球のワインに似ているよ」とパーセ。

 料理も次々と運ばれてくる。

 聞きなれぬ料理名ばかりだったのでこちらも博打だ。肉料理や前菜と、種類別の欄からてきとうに選んだ。

 銀の皿に盛られた鳥類らしきものの丸焼き。山菜だろうか、これまた見たことのない植物の炒め物。

 ひとつはフランス料理のキッシュに似ていた。分厚い卵の生地に、具材がごろごろと詰め込まれている。

 見知らぬ品々に抵抗感はあった。しかしそれ以上に今日一日動き尽くめで腹の虫が鳴っていた。「いただきます」と手を合わせてから手を伸ばす。まずはメインの肉だ。

「……ふつうに美味しいな。香辛料がよく効いている。これが肉の臭みを消しているのか」

「うん、美味しい」

 パーセもまんざらではなさそうだ。モキュモキュと口を動かす。

 毒見も終えたので他のものも物色。山菜の炒め物もフキノトウのような苦みがあるが悪くない。キッシュもどきは中の燻製肉の塩加減が絶妙だ。

 腹が減っていたので手が止まらない。十分ほど無心で頬張ると、やっとこさ腹の虫も治まってきたようだった。

 俺は背もたれに身体を預ける。

「パーセはさ、なんだかあまり悲観的じゃないみたいだ。俺の目が節穴なのかもしれないが、今この状況を楽しんでいるように思える。俺なんか目が回りそうなのに」

 骨の間に挟まった肉を器用に歯でこそぎ落としていたパーセは、一度ぱちくりと目を瞬く。

「わりと楽しいよ。地球に来たのも異文化に触れるためだったし。未体験の生活様式は新鮮だよね。昔もそうだったけど、シュウと一緒にいると飽きなくて楽しいよ。新しい発見がある」

 たぶん、褒められているんだろう。

 この状況を作り出した当人としてはとても歯痒いものがあるが、その台詞に少しだけ救われる。

 俺は話題を変えた。

「それにしても異世界に来てもう二日目か。人生でまたとない機会をもう何度も経験した気がする。いろいろと認識を改めないといけないことも多いな。日本の常識じゃやっていられなさそうだ」

「どういうこと?」

「例えばフェトナさんだ。まさか貶められるとは露とも考えていなかった。だってまだ中学生か小学生くらいの歳だろ?俺も幾つも変わらないけどさ、でも俺たちぐらいの一年の差っていうのはめちゃくちゃデカいと思うんだよ。そんなついこの間中学生に上がったかってくらいの子供が、明確……ではなかったが、悪意を向けてきたわけだ。あれは俺の常識に照らすとけっこう衝撃的なことだった」

 小学校でも中学校でも弱い者いじめをする輩はいた。しかし、上級生や自分より社会的、肉体的強者に悪意を向ける者は殆どいなかった。

 当たり前だ。だれだってやり返されたくはない。小さな子供だってそれくらいは理解している。

 そういえば女子は小学校高学年にもなると狡賢くなって、集団で口裏を合わせたり、後ろで手を組んでいたりと厄介だった思い出がある。個人で劣勢なら徒党を組む。小学生時代の帰りの会は思い出したくない。

 しかしフェトナさんは一人だ。孤高の狼である。その彼女はどんな思惑と後ろ盾を持って行動しているのか。いや、後先なんて考えていないのかもしれない。ここは日本じゃない。後先を考えられるのは生活に余裕のある人間だけだ。

 そして後先を考えない人間は恐ろしい。何をしでかすかわからないという漠とした恐怖がある。

 そんなこんなをつらつらと宇宙人であるパーセに説明する。

「つまりシュウは異世界が恐ろしいんだね」

「正解」

 めちゃくちゃ端的に纏められたな。いや、恐ろしくないわけがないだろう。俺はチート能力のひとつすら持っていないのだ。しかも周りは一種の不良ばかりと考えれば身も竦む。

「ただ安堵したこともある。悪意や害意はあったが、それが大したものじゃなかったってことだ。これがちょっとムカついたからあいつ殺害しよう、みたいな世情だったさすがに俺は泣くぞ。山の奥に引き篭もる。やっていける気がこれっぽっちもしない」

「シュウが泣いているところはまだ見たことが無いから、そのうち見てみたいかも」

「……さすがにそれは冗談だよな?」

 宇宙人であるパーセも、どうやら冗談という概念が理解できるようになったようだ。でないと困る。パーセがその気になれば、俺なんてきっとひとたまりもない。


 腹の膨れるまで料理に舌鼓を打った俺たちは宿に戻った。

 暗がりに手を伸ばしながら互いのベッドに腰を下ろす。

 やはりひょうそくの心許ない灯りでは、相手の顔色を窺うので精いっぱいだ。暗がりとベッドの上ということもあり、どっと疲れが押し寄せて、足の裏がじんじんと痛んだ。

 窓の外で野犬か何かの、遠吠えの音が木霊している。

「暗いなあ。窓から差し込む月光でさえ明かりとして機能するレベル、まさに月明かりだ。もう以前のように夜更かしや夜に何かをするっていうのは難しそうだ。そういえば、パーセは夜目が利いたりするのか?」

「そこは人類と殆ど一緒だよ。今は対面のベッドでシュウがこちらを見ているのがわかるくらい。たしかに、こう暗いと不便だね」

「興味本位で聞くんだが、こっちで言う暗視ゴーグルめいた道具ってあったりするのか」

「あるよ。使う?」

「聞いてみただけだから大丈夫。ありがとう」

 さすがに宇宙レベルの代物を使ってまで今やりたいことはない。

 揺れ動く小さな炎があるばかりの空間では特にすることもなく、俺たちは軽く明日の打ち合わせをして眠る準備をした。といっても甲冑を着ているわけでもない俺たちは、革製のシューズを脱ぐくらいだ。そろそろ着替えなんかも揃えなきゃいけないだろう。

 電気を消す、という表現は金輪際使えないだろうな思いながらひょうそくの火を掻き消す。するともう辺りは真っ暗闇だ。

「おやすみ。明日もよろしく」

「おやすみ、シュウ」

 布団を被り目を閉じる。

 森閑とした部屋。今日は酔いどれの声も聞こえなかった。

 疲労もあったのですぐ寝付けるかと思いきや、昨夜に続きなかなか睡魔はやってこない。しかし過度なストレスのあった昨夜とは違い、今の心は凪ぎのように穏やかだ。今日の一日を無事乗り越えられたことで余裕が生まれたのかもしれない。

漠然と今何時ごろなのだろうという疑問が浮かぶ。

 感覚的には午後七時過ぎくらい。九時には届いていないはずだ。

 街中に時計は見当たらず、時刻という概念もここにはないのかもしれない。遅刻という概念がないのであればそれはそれで有難い。高校では時々寝坊して遅刻をしていた身の上だ。

 しばらくすると、パーセの寝床から、ぎしりとベッドの軋む音がする。

 いらぬ思考が鎌首をもたげる。

 パーセが男なのか女なのか、という今更の疑問。

 昨夜はそこに至るまでの余裕がなかった。

 しかしこれは、思春期男子にあっては最重要の問題だ。

 普段行動を共にすることでさえ相手が男子か女子かでこちらの言動は大きく変わる。女子相手では無駄に強がってしまうし、特に気のない相手であっても二人っきりとあれば変にそわそわとしてしまう。

 パーセはパーセだろうなんて、そんな仙人みたいな説法は思春期の前では無力なのだ。

 仮にパーセが女子だと仮定した場合、俺は今、女子と同じ部屋で眠っているというわけで。しかも二人きりで……そう考えるだけで七色の妄想が加速する。身体が発熱し、頭はさらに冴え冴えとする。

思春期男子を壊すには十分すぎるシチュエーションじゃないか。まったく煩わしい。煩わしすぎて悶々としてしまう。というか、であればパーセは俺をどう思い、同室にいるのか。

いや、パーセが男であればすべては問題でないのだ。そうだ、本当に。なんだか惜しい気もするけれど……。

 とにかくだ。

そんな邪な考えを抱くのはパーセに対して酷く失礼ではなかろうか。明日の朝も早い。早く寝るべきだ。

自分の中で折り合いをつけかけたその時。

「──う……んっ……」

寝言だろうか?

もうひとつのベッドの中がもぞもぞと蠢く気配がする。

「……これはいかん、本当に」

俺は頭まで布団を被り、その中で丸くなった。


「──シュウ、シュウ。朝だよ。起きなくていいの」

「……ああ、起きるよ。おはよう」

 揺り起こされて、俺は眠気眼を開いた。

 朝陽が、すぐ近くにあるパーセの横顔を照らしている。深い緑色の瞳、色素の薄い、口元にかかった柔らかな髪。

 なんだろうか、この不思議な幸福感は。朝陽が眩しい。

「クマができているよシュウ。昨日はよく眠れなかったの?」

「ん、いや、めちゃくちゃ良く眠れたよ。快調だ快調。なんせ昨夜はずっと明鏡止水、明鏡止水と念仏みたく唱えていたからな」

「ふうん。それで、今日もギルドへ行くんだよね」

「今日の依頼である程度懐が温まったら明日は休みにして、日用品の買い出しや町を観て回ろう。こんなにも異国情緒たっぷりなんだ、観光にはもってこいだろう」

「いいね、賛成」

 欠伸雑じりに身支度を整える。

「それじゃあ行こうか」と扉に手をかけるパーセに俺は声を投げる。

「なあパーセ、宇宙人にも思春期ってあったりするのか?」


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